アートと文藝のCafe

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カツカレーの憂鬱

 

 昼間、散歩に出たついでにカツカレーを食った。
 カレーを食いたいと思っていたのだけれど、なんとなくメニューの隣りに、うまそうなカツカレーの写真が載っていて、ついついそっちを頼んでしまったけれど、結局、あまり幸せじゃなかった。
 
 
 実は、今日に限ったことではなく、いつもそうなんである。
 なぜなんだろう。
 
 昔からカツカレーというものに、あまり感激した記憶がない。
 よく食べるのだけれど、食い終わって後悔することの方が多い。
 
 カレーは好きだ。
 トンカツも大好き。

 だから、カツカレーって、感激が2倍になってもいいように思うのだけれど、案外そうじゃない。

 
  
 きっと、私の頭が固いのかもしれない。
 モノを食うってことは、舌が感じる味覚を、脳が整理して、「うまい」とか「まずい」とか判断するのだろうと思うのだけれど、私のガンコな脳は、カツとカレーが同時に舌の上に乗ったとき、「こりゃカレーじゃねぇ」と脳が判断し、「じゃカツか?」と気持ちを切り替えたときに、今度は「こいつはカツじゃねぇ」と判断してしまうらしいのだ。
  
 そのため、カレーなのかよ? カツなのかよ?
 …… と、脳が迷っているうちに、いつの間にか食べ終わってしまって、結局、どちらを食ったのか分からないままにレジで勘定を払うというハメに陥ってしまう。

  
 知り合いにその話をしたとき、
 「あれはカツというトッピングの乗ったカレーなんであって、ラーメンの上にチャーシューが乗っているように食べればいいんだ」
 と諭された。
 
 どうやらそれが世間の常識のようなのだが、やっぱり自分の舌は、そういう意見に対して「うん」といわない。
 
 そこで、仕方なくカツの方にはソースをかけて「カツライス」として食べ、カツが片付くと、今度は「カレーライス」として食べるという2段構えの食べ方になる。

 
 
 そうなると、悲しいことがひとつ起こる。
 カツカレーのルーには、カツ以外の固形物がほとんど入っていないことが多いのだ。

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 カレーだけ頼むと、たいていビーフかポークか、肉片のようなものが入ってくるのに、カツカレーの場合は、そういう肉片を添えない店が大半である。

 

 統計を取ったわけではないが、実感として80%近くは、カツカレーの場合はそれ以外の肉片のないルーを出す店で占められているような気がする。

 

 「カツっていう贅沢なトッピングがあんだから、他の肉は要らないだろ?」
 っていう店の傲慢さが、そこに表れているようで悲しい。
 
 せめて、普通のカレーに肉片を三つ付けるのだったら、カツカレーには、肉片をひとつぐらい付けてもいいように思う。
 
 同じように、ラーメン屋でチャーシューメンを頼むと、普通のラーメンに入っているメンマとか、ナルトなんかが省略されることが多い。
 
 良心的な店は、普通のラーメンに入っているメンマの量を若干減らしながらも、それでも二つ三つは入れている場合もあるが、傲慢な店のチャーシューメンには、それすらない。
 チャーシューとネギだけという店もあった。

 

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 お客はチャーシューメンを頼むときは、「ラーメン+チャーシュー」を期待して注文するのである。
 つまり、ラーメンの基本骨格をしっかり貫いた上で、(東京ラーメンの場合は、まずメンマ、チャーシュー1枚、海苔、ナルト、場合によってはホーレンソウ、時にはワカメ)


 
 そこにチャーシューの量が増えるから、贅沢な気分にひたれるのである。
 
 なのに、チャーシューとネギしかないチャーシューメンを出されると、騙されたような気になって悲しくなる。
 
 最近は悲しい食堂が多い。
 こんな日本で、はたしていいのだろうか。