今年(2020年)の干支は「子(ネズミ)」である。
ネズミがなぜ干支の動物に選ばれているかは諸説あるらしいが、一つは、「子供をどんどん産んで数を増やす」という特性から、「子孫繁栄」の象徴とされるらしいからだ。
しかし、歴史的にみると、ネズミが個体数を増やすことは、人類の生存を脅かす不安材料でもあった。
特に、人類が農耕を学んでからは、ネズミの増加によって、人類は穀物(麦・米等)を奪われるようになり、彼らは「害獣」として駆除の対象にされるようになった。
しかし、そんな “悪辣なネズミ” の姿を、われわれ人類はなぜ「可愛い」と思うのだろうか。
おそらくそれは、「ネズミ様」が、われわれ人類の遠い祖先だからである。
これまで人類は、長い間、霊長類の猿から進化してきたと思われてきたが、近年の研究によると、猿も含めた哺乳類がこの世で栄え始めたのは、ネズミ一派の必死な生き残り作戦の結果ということになるらしい。
なにしろ、哺乳類が活躍する前、この世は恐竜たちのパラダイスだった。
しかし、よく知られているように、約6,500万年前に隕石の衝突で、地球上から恐竜が消えたとき、実はそれまで生きていた哺乳類の大半も死に絶えたらしい。
唯一生き残ったのが、小型の爬虫類と小型の哺乳類だったという。
そのときに生き延びた哺乳類というのは、基本的には “ネズミのグループ” で、虫を主食にして生き延びた貧弱な四つ足生物にすぎなかった。
しかし、そのうち彼らは様々な進化を遂げ、驚異的な多様性を帯びるようになっていく。
▼ 初期の “ネズミグループ” のイラスト
“ネズミ一派” にそれが可能になったのは、一つは、個体の生命が比較的短いこと。
そして、もう一つは、多産系であったこと。
つまり、この二つの要素が噛み合って、突然変異の確率が高まり、より環境に適合した新種がどんどん生まれていったということになるという。
その進化の果てに、猿、人類、ウマ、シカ、クジラといった雑多な哺乳類が現れるようになっていく。
われわれ人類が、ネズミの姿にどこか愛嬌を感じ、害獣であるにもかかわらず “可愛い” と思うのは、彼らがご先祖様であるという事実が人間のノスタルジーをくすぐるからだろう。
なぜ人類はヘビを怖がるのか?
ところで、ネズミとは反対に、人類が本能的に恐怖を感じる生き物がいる。
「ヘビ」である。
人類に限らず、ほとんどの哺乳類は本能的にヘビを怖がる性質を持っている。
これは、われわれのご先祖様だった “ネズミ一派” が、ヘビの格好のエサになり続けていたことに由来するらしい。
とにかく、ヘビは足音も立てず … 足がないからなぁ … エモノに近づき、頃合いを見計らって飛びかかり、小型哺乳類を一気に丸飲みする。
さらに、ヘビの模様は、葉や石と見分けがつかないようになっているものが多く、近づくまで気がつきにくい。
こういうヘビに対する恐怖が、小型哺乳類の独特の感受性を育てた。
すなわち、視界の下の方からゆっくりと這うヘビの気配を察すると、ほとんどの小型哺乳類は、瞳孔が拡大し、心拍数が上がり、脳へのエネルギー供給が一気に増えるようになるのだという。
これは、猿のような霊長類に進化した動物でも同じで、彼らも、木の上に登ってくる “くねくねと動く竿状” のモノに対しては、群れが大パニックを起こすそうだ。
一説によると、人間が飛びぬけた視覚システムを獲得するようになったのは、忍び寄るヘビを素早く見つけるために訓練されたものだともいう。
このような人間のヘビに対する恐怖は、やがて単なる恐怖を超えて、崇拝や信仰の対象としてヘビを認知していくようになる。
太古の昔、ヘビを信仰の対象としていた民族は世界中に存在したらしく、旧約聖書に登場するアダムとイブの話にも、ヘビが絡んでくる。
ここに登場するヘビは、人間(アダムとイブ)に知恵を授ける動物として登場する。
ヘビは彼らに、楽園に植わっていた「知恵の実(リンゴ)」を食べるように勧めるが、もちろん、それは神の教えに背くことになり、ヘビの誘惑に負けたアダムとイブは楽園を追われることになる。
この話は、人間は、神の約束に従うよりも、ヘビの誘惑の方を優先する生き物だということを示唆している。
つまり、人類が “ヘビへの恐怖” に対抗するために、それに襲われたときの経験を語り継ぎ、逃げ延びるための知恵を磨き、脳の進化を図ってきたことをこのエピソードは語っている。
すなわち、「ヘビ」は恐怖の根源であると同時に、「知恵」の源でもあったということなのだ。
ネズミもヘビも、同じ干支の仲間として生きている。
もちろんネズミにとっては、ヘビも怖いが、天敵のネコがいないだけでもホッとしているかもしれない。