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教科書に出てくる “泣ける名作”

文芸批評

この不条理感が子供に分かるのか?  
 

 
 2016年の1月から3月まで、約2ヶ月ほど肺の病気で入院していたが、そのとき読んで印象に残った本のなかに、『もう一度読みたい教科書の泣ける名作』(学研教育出版 2013年)という本があった。
 「わが国の小学校・中学校の国語の教科書に掲載された物語から、“懐かしい珠玉の名作” を集めたもの」(同書の前書きより)だという。

 

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 ざぁっと見るに、戦前から終戦直後の作品が多い。
 自分が教科書で読んだものは一つもなかったが、収録作品のなかには、古典として、すでに記念碑的な評価を確立しているものもあり、全体のレベルは高いと思った。 

 ちなみに、収録作品は以下の通り。

 ごん狐(ぎつね)  新美南吉
 注文の多い料理店  宮沢賢治
 大造(だいぞう)じいさんとガン  椋鳩十(むく・はとじゅう)
 かわいそうなぞう  土家由岐雄
 やまなし  宮沢賢治
 モチモチの木  斎藤隆介
 手袋を買いに  新美南吉
 百羽のツル  花岡大学
 野ばら  小川未明
 ちいちゃんのかげおくり  あまんきみこ
 アジサイ  椋鳩十(むく・はとじゅう)
 きみならどうする  フランク・R・ストックタン
 とびこみ  トルストイ
 空に浮かぶ騎士  アンブローズ・ビアス
 形  菊池寛
 杜子春(とししゅん)  芥川龍之介


 これらの作品群を通読してみると、「泣ける名作」と謳うだけあって、瞬時に涙がほとばしるような物語もあったが、読み終えてから、しばらくテーブルの上に本を伏せ、じっと考えさせられるような作品もあった。

 

 戦前から終戦直後にかけての作品が多いということは、それぞれの作品が、どこかで戦争の匂いを潜ませているということだ。
 「死の匂い」
 といってもかまわない。
 どんな作品にも、かならず人間の死、もしくは動物の死が潜んでいる。

 

 本の帯にも紹介されている「ごん狐(ぎつね)」の話というのは、ふとした悪戯(いたずら)心によって百姓に迷惑をかけた狐が、それを後悔し、次からその百姓の家を訪ねては、こっそりと栗やマツタケを置いてくるという話である。

 しかし、ある日狐を発見した百姓は、狐の誠意に気づくこともなく、自分を騙しに来たのだと思い、火縄銃で撃ち殺してしまう。

 

 実に、あっけらかんとした、救いのない結末。
 狐が可哀想だとか、哀れだなどという気分が込み上げる前に、この話が読者にもたらすものは、それこそ “狐につままれたような” 不条理感だ。
 まるで戦場で、“むき出しの死体” がゴロンと転がっているのをいきなり見たような、気持ちの整理のつかない動揺だけがいつまでも残る。
 
 こういう話を、昔の小学生や中学生は、ほんとうに理解できたのだろうか?
 もしそうだとしたら、当時の小中学生というのは、そうとう高度な感受性を備えていたという言い方もできる。

 しかし、考えてみれば、このような不条理感というのは、大人よりもむしろ子供の方が理解するのかもしれない。
 
 理屈の通らない、ある意味では不親切でぶっきら棒な結末というのは、別の言葉でいえば、現実的な物語が、そこから異次元の世界へ飛んでしまうということでもある。
 大人は理屈が通っていない物語からは不安と違和感しか感じないが、子供は、現実感がストンと断ち切られる場所で、想像力を飛翔させる。

 

 「ごん狐」の物語では、狐を撃ってしまった百姓が、これまで栗やマツタケを運んでくれたモノの正体が狐であることを知る。
 そのときに、その百姓の胸を襲ってきた思いは何だっただろう?

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 自分の軽はずみな行動に対する後悔の念か?
 それとも、
 狐への愛おしさか?
 あるいは、もっと漠然とした、「生命」のはかなさのようなものか?
  
 結末の説明が乏しければ乏しいほど、逆に、読み終わった後に想像力が飛んでいく射程距離は長くなる。
 

 印象に残った作品は数多くあるが、やはり突出した文章力を持っていると感じたのは、芥川龍之介(『杜子春』)と、宮沢賢治(『やまなし』)だった。
 
 芥川の『杜子春』は、かつて芥川全集に収録されたものを読んだことがある。
 そのときは、教訓話としてのあざとさの方が目についたが、再読してみると、そのストーリー展開の巧みさにはあらためて目を見張った。 
 ここには、ワクワクドキドキという、あの物語を読むときの高揚感が凝縮している。

 

 宮沢賢治の文章力にも舌を巻いた。
 『やまなし』というのは、谷川の浅瀬で暮らすカニの親子の話である。

 物語の大半は、水底から水面を見上げるカニの視点で描かれる。
 水の中に屈折して入ってくる太陽の光。
 魚が身をひるがえすときに生まれる気泡の流れ。

 
 いつのまにか、まるで自分がカニにでもなったような気分で、水中の光の乱舞を見ていることに気づく。
 事件らしい事件がほとんど起こらない短い話だが、読んでいるときには、異次元の世界をさまようような酩酊感があった。