新型コロナウイルスの感染拡大にともなう政府や自治体の緊急事態宣言が発令され、人が密集する店舗への休業要請が出されている。
にもかかわらず、一部のパチンコ店が休業要請に従わないため、多くのパチンコファンがそういう店を探し、ときには県をまたいで殺到しているという。
ネットを見ていたら、こういう動きに対して、さまざまな反応が寄せられていた。
批判を寄せる声がある一方、パチンコファンの気持ちを代表し、パチンコの魅力を訴える声もあった。
開いているパチンコ店を探して開店前から行列に並んでいた男性を取材したサイトがあった。
その男性は、取材者にこう答えたらしい。
「無責任と批判されようが、息が詰まるような毎日の中で、(政府や自治体の命令によって)楽しみを奪われるのは心外だ」
続けていう。
「コロナコロナって言うけれど、他の感染症だって怖い。結核患者は都内で年間3千人出ている。インフルエンザだって怖いはずだ。夏になったらデング熱も出る。
要は、気にしていたらキリがないわけ。コロナだってなる時はなるし、ならない時はならない。すべては自己責任。コロナに罹る(かかる)かどうかもギャンブルだよ」
それだけの覚悟を持ちながらも、やっぱりパチンコ店に繰り出したくなる気持ちというのは、いったい何なのだろうか。
私にはそれがよく分からない。
もちろん、私だってパチンコをやることはある。
それは、人との待ち合わせ場所に20分か30分先に着いてしまったときだ。
そういうときに、とりあえず目に入ったパチンコ店に入ったりする。
しかし、台の前に座るのはせいぜい10分。
つかう金も1,000円が上限だ。
だから、儲けた記憶もないし、楽しんだという記憶もない。
そのように「パチンコの魅力」にはまったく無頓着な私だが、熱中する人には独特の魔力を発揮する遊戯が、パチンコらしい。
次もネットから拾った意見だ。
「パチンコやパチスロの良いところは、夢中になれることだと思います。
仕事で失敗をして、落ち込んだ時でもパチンコやパチスロをすれば、嫌なことも忘れ、また明日から頑張ろうという気になります。
パチンコやパチスロの魅力は、機械の動作や音声、画像など、興奮する素材が盛りだくさんなことではないでしょうか。
特にパチンコでリーチになった時は、思わず “来い!” って叫んでしまいます」
ほかにはこんな声も。
「パチンコは、負けることが分かっていても、それなりのスリルを味わうことができます。そのスリルを味わうと、つまらない休日もそれなりに充実していたような気持ちになれます」
さらには、
「長くいられて時間をつぶせるし、ストレス解消になる。もしかしたら大金が手に入るかも … 、という夢もある」
次もパチンコマニアの弁。
「自分の給料は世間でいう一番下の方。だから、1カ月で3万でも4万でも勝てば、それを給料に上乗せして新卒の初任給くらいにはなる。
もちろん負ける日もあるけど、千円や2千円の投資が7千円ぐらいになる日もある。7~8千円勝てば1日の日給くらいになるので、働いているのがバカらしくなる」
やっぱり「おカネが儲かる」という感覚は、パチンコの魅力の一つになっているようだ。
夢中になれる。
ストレス解消。
カネが儲かる。
いいことだらけのように見える。
しかし、「パチンコ依存症から抜けた」と語る元・マニアは、こんなコメントをネットに書き残していた。
「パチンコ店の店側と客側を比べると、パチンコは、圧倒的に客側が不利なようにできています。基本的に、やれば必ず負けるように仕組まれているといっても過言ではありません。
パチンコという遊戯自体をみても、何の生産性もなければ、人間の成長をもたらすものでもない。
パチンコは、椅子に座ってただお金を入れ、ハンドルを回すだけのゲームなので、頭を使う要素が何もない。それこそ本当にバカになっていくだけの遊戯です」
その人の記事は、次のようにまとめられていた。
「パチンコはどれだけ時間を使おうがスキルが貯まっていくものではありません。
パチンコにハマっている人で、魅力的な人に会ったことはありますか?
パチンコに没頭している人で、魅力的な人を想像できますか?
パチンコばかりしていると人生経験も乏しくなり、つまらない人間になってしまうということです」
そういう経験者の声がありながら、いまだに多くのお客が店に入り浸る秘密はどこにあるのだろう。
お笑い芸人をやりながら、パチンコ店の定員もやっているという人が、こんなコメントを残していた。
「パチンコというのは、お金のない人の方がハマるんですよね。仮に5万円すったとしても、お金持ちは『今日は遊んでしまったな … 』で店を出られる。
しかし、お金のない人にとって5万円は大金なんですよ。
だから、そういう人が5万突っ込んじゃった場合、取り返すためには借金しても必死にパチンコ台に張り付くしかない。
失ったお金を取り返せる可能性は、確率的に20%ぐらいしかないのに … 」
そういう状態になると、闇金融に頼るのも時間の問題となるらしい。
つまり、パチンコに5万~10万とつぎ込んでいくうちに金銭感覚がマヒしていく。闇金に20万~30万借りても、パチンコで大当たりすればすぐに取り戻せると錯覚してしまうのだ。
そうやって家を失い、家族も失い、最後は自殺する人も出てくるという。
そういう話が出ると、最初からやらなければいいのに … という人が必ず出てくる。
しかし、はじめてパチンコ台に座る人は、それがきっかけで、どんどん依存症になっていくなどとは決して思わない。
では、パチンコ依存症への道は、どういうふうに開かれているのか。
そこから抜け出したという人は次のようにいう。
「多くの人は、ヒマだから(店を)覗いてみるか …… という軽い気持ちで最初は入店するんです。
特に、地方都市ではあまり遊ぶところがないから、パチンコはかっこうの “時間つぶし” の手段となるわけですね」
そして、始めてみると、チーンジャラジャラという爆音や光の乱舞に助けられ、遊戯中は “嫌なこと” も忘れられる。
一回でもお金が手に入ると、それがきっかけとなり、あとは病みつきになる。
負けたら、翌日に取り戻したくなる。
こうして「パチンコ通い」が生活習慣に組み込まれる。
パチンコマニアとなるのは、だいたいこのパターンだという。
また、別の人にいわせると、パチンコ店に入り浸っている人には、寂しさを紛らわすために通っている人がかなりいる、という。
特に、自分の意にそわないような仕事を続けている人がこの傾向に陥りやすい。
そういう人は仕事に面白さを感じないから、私生活にもメリハリがない。
休日になっても、特に予定がない。
友人もいない。
そのような人にとって、独りぼっちで過ごす昼過ぎからの空虚な時間を忘れさせてくれるのはパチンコしかない。
もちろん、勝てばうれしい。
しかし、負けても、それで寂しさや空虚感を忘れさせてくれるのだったら、パチンコ店はその人にとっての “安らぎの場” となる。
パチンコに限らず、最近のギャンブル依存症を調べてみると、「寂しさをまぎらわすため」という人が増えているそうだ。
その中心となるのは高齢者。
特に団塊の世代。
高度成長期を仕事一辺倒で生き抜いてきた彼らは、接待ゴルフや接待マージャンのような仕事絡みの遊びしか知らない。
そういう人たちは、定年退職して、仕事上の付き合いがなくなると、大きな喪失感に陥るようになる。
家庭の中に自分の居場所がある老人ならまだいいが、奥さんとの関係が良好でない場合は、昼間は外に出るしかなくなる。
そのような高齢者が、寂しさをまぎらわすためにパチンコにのめり込むようになるのは、時間の問題だとか。
人間であるかぎり、寂しさを感じることは誰にでもある。
その「寂しさ」を紛らわせてくれるのは、何事かに「没頭」することである。
しかし、何事かに没頭するには、(どんな趣味でもそうだが)、事前の準備や、スキルアップの訓練や、より成果をあげるための想像力が要求される。
パチンコというのは、そういう準備をせずとも、とりあえず台の前に座れば(おカネさえ続けば)、一日中「没頭」することを可能にしてくれる。
だから、コロナ感染拡大を阻止するために、パチンコ業務を自粛するようにと政府や自治体が要請しても、パチンコを取り上げられたら何もすることがなくなってしまうという人は、そうとうの数に及ぶらしい。
パチンコマニアというのは、「何かに没頭する」ための準備を放棄して、ひたすらパチンコだけに生きてきた人だから、そう簡単に他の趣味にくら替えできない、と断定する人もいる。
まぁ、そこまで言い切ってしまうのは、たぶんに偏見が絡んでいるようにも思えるが、私も(多少だが)そういう気持ちを持つことがある。
幼なじみで、そういう人間を見てきたからだ。
私が二十歳ぐらいの頃だ。
10年ぶりぐらいに街であったその幼なじみの男は、ちょうどパチンコ店から出てきたところだった。
少し儲けたのだろう。
私に「酒をおごる」という。
ところが、居酒屋に入っても、話題がないのだ。
もちろん彼はしゃべり続けていたが、その話の大半はパチンコのことだった。
それも、台の話、クギの話、さらにはパチンコメーカーの種類やその台を設計するときのクセなど、私には分からない世界を延々と語り続けた。
「パチンコが彼の内面を奪っている」
私は、そう思わざるを得なかった。
今から思えば、10年ぶりに会った私に対し、パチンコの話が、唯一彼にとって胸を張って語れる話題だったのかもしれない。
同じ町に住んでいたが、その後もう会う機会がなかった。
散歩のついでに、さりげなく彼が住んでいるというアパートに近づいてみたことはあったが、いつのまにか表札が変わっていた。
「ギャンブル依存症」という言葉はあるが、その実態については、それほど掘り下げられたことがない。
ギャンブルをやめられなくなった理由にはさまざまなものがあるだろうから、一つの方程式のようなものにまとめるのが難しいのかもしれない。
ただ、ひとついえることは、パチンコの “魅力” に若いうちに染まってしまうと、それ以外の楽しみを知らないうちに依存症への道を歩むことになるということだ。
これは、ほとんどの経験者が言っている。
すでに卒業した人も言っているし、現役の人も言っている。
それだけ、パチンコというのは、刺激性が強く、瞬時の憂さ晴らしには最適な遊戯でもあるのだ。
その刺激に「脳」が慣らされると、若いうちにこそ必要な「読書」とか「映画鑑賞」といった内面を刺激する文化にまどろっこしさを感じるようになる。
もちろん、そういう「内面を刺激する文化」になじんできた人なら、孤独を楽しめるような耐性をつちかっているものだが、そういう耐性を持っていない人にとっては、独りでいること自体がもう「ストレス」になる。
もし、パチンコマニアにそういう人が多いとなれば、「何が何でもパチンコ店を閉鎖しろ」という通達は酷かもしれない。
そういう人は、コロナに感染して死ぬよりも、ストレスで死んでしまう可能性もありそうに思える。
では、なぜそういうリスクを抱えながらも、この業界は比較的政治に守られてきたのか。
政府が緊急事態宣言を発令して、国民に外出自粛を呼びかけたとき、繁華街の店舗も営業自粛が要請されたが、パチンコ店は、最初はそこから外された。
その後、居酒屋、バー、キャバクラのような夜の飲食店や遊び場が名指しで自粛要請の対象となったが、パチンコ店がその対象になったのは一番最後であった。
いったいなぜパチンコ店は優遇されているのか。
あるサイトの情報では、パチンコ業界というのは、比較的「時の政権」と近しい間柄だからだという。
ウソかマコトか知らないが、大手のパチンコ業界の団体で構成される組織には、多くの国会議員が「政治分野アドバイザー」として名を連ねているとか。
その議員の比率は、(ウワサが本当だとすれば)自民党系22名。維新の会7名。国民民主党7名。立憲民主党4名だというから、与党も野党もパチンコ業界には “強いことがいえない” 状況になっていることがうかがえる。
なにしろ、この業界はお金持ちである。
あるサイトの情報によると、(2009年のデータだが)、その年のパチンコ産業の年間売り上げは21兆650億だったそうだ。
この金額は、その年の国の税収(42~43兆円)の約半分にあたる。
つまり、日本では、国家の税収の半分に相当するおカネが、パチンコに流れていたことになる。
これほどのおカネがあれば、国を動かすことも簡単なはずである。
そのためか、パチンコ業界は、政府に多額の献金をする一方、警察官僚などの天下りをどんどん受け入れて身の保全を図ってきた(ということをいう人もいる)。
もちろん、そういう情報がどれだけ真実を言い当てているのか、私には分からない。
ただ、そういうことを伝えるサイトもあるので、参考までに付記したにすぎない。
以上!
パチンコにはまったく興味がなく、ギャンブルといえばマージャン。
ゲームといえば「ドラクエ」と「信長の野望」を愛する一老人の書き散らしでありました。