僕の周りには、「小説を書いている」と、こっそり打ち明ける人が、昔からたくさんいた。
別に、僕が “文芸サークル” のようなものに所属していたということではない。
キャンパスの芝生広場で偶然話し合うようになった他の学部の人間とか、飲み屋でたまたま隣り合って話し合うようになった人とか。
ことさら “親友” になったわけでもないのに、そういう人たちは、たわいもない雑談の途中に、ふと声を潜めて、
「実は、いま小説を書いているんだよ」
と、打ち明けてくるのだ。
なぜ、“声を潜める” のか?
いったい、小説を書くということは、それほど後ろめたい行為なのだろうか。
「釣りを始めたんですよ」
「登山が趣味です」
「囲碁に凝ってましてね」
… などという会話を、声を潜めて語る人はいない。
「ジャズが好きです」
「ロックバンドをやってます」
… などというのも、こっそり打ち明ける人はいない。
なのに、「小説を書いています」という人は、みな一様に、恥ずかしい思いを押し殺したように、ひっそりと語り始めた。
たぶんそれは、小説のテーマが何であるかを問わず、「小説を書く」という行為自体が、自分の恥ずかしい部分をさらけ出すという意識を伴うからだろう。
「作家と主人公は別物」とはいうけれど、小説に表現される登場人物には、どこかで作者の自己が投影される。
作者が、自分のキャラとは正反対の人物像を作り上げたと思い込んでも、… というか、そうであるがゆえに、そこには無意識のうちに、その作者の自己がひっそりと表現されてしまう。
作者は、それが本能的に分かるがゆえに、「恥ずかしい」のである。
もう一つの理由は、小説というのは「自己採点」できない作文だからだ。
つまり、自分自身が、自作を客観的に評価することが難しい文芸であるためだ。
エッセーとか評論は、なんとなくその出来ばえが自分でも採点できる。
ロジックに頼れる部分があるからだ。
そこに客観性が生まれる。
それが自己チェックするときにも機能する。
しかし、小説というのは、どこかでロジックを振り切ってしまうようなパワーがないと成り立たない。
内からこみ上げてくるデーモニッシュな情熱がないと、書き続けられないのだ。
もともと、太古の昔から、「物語」というのは人間を興奮させる機能がある。
だから、小説執筆中に筆が進み、気持ちがのめり込んでいるときは、誰もが「自分は天才ではないか?」と信じることができる。
だが、それは(多くの場合)、錯覚にすぎない。
夢中になって書いていると、脳内にアドレナリンがどんどん分泌してきて、それが創作中の自分をハイにさせる。
しかし、それは酒の酔いに似ていて、覚めた後に作者を襲うのは、落胆と自己嫌悪だけというケースが多い。
さらにいえば、「傑作」と思い込んだ作品を他人から酷評されたとか、自信満々で小説新人賞募集に投稿したのに、ボツになったか。
作家志望の人がよく経験することではあるが、それがきっかけで、小説をあきらめる人も多い。
しかし、小説家志望のアマチュアとプロの差は、書き始めた時点における才能の差とは無関係である。
アマチュアは、一度挫折を経験すると、あっさり自分の才能に見切りをつけてしまう。
あきらめなかった人が、プロになる。
つまり、気持ちを切り替えて、再チャレンジするメンタルの強さ。
プロとアマの差を分けるのは、そのメンタルの部分だけのような気もする。
それにしても、なぜ作家志望の人は減らないのか。
たぶん、小説というものは、書き上げるとき以上に、それを構想しているだけでも楽しいからではなかろうか。
昔の話だ。
「いま小説を書いている」
と、僕に最初に告白した友だちは、これから「恋愛小説」を書くつもりだと話し始めた。
学生の身分でありながら、田舎の地元の商店街のオヤジたちに混じって、韓国まで行き、女性から接待を受ける店で豪遊したときの体験を書くのだという。
「水商売だというのに、日本人女性が忘れていたような恥じらいや礼節を持っている女性に会って、その感激を小説にするんだ」
と、彼は語った。
タイトルも決まっており、『釜山旅情』というのだとか。
しかし、完成作を見せてくれることはなかった。
もしかしたら、最初の1行すら書くことはなかったのかもしれない。
5年ほど経って再会したとき、僕は彼の告白を思い出し、「小説はどうなった?」と尋ねてみた。
「あ、あれか … 。いま構想中」
という答が返ってきた。
たぶん、永遠に “構想中” のままで終わるのだろう。
ただ、5年経った後も、彼はその構想を楽しそうに語った。
飲み屋で親しくなって、構想中の小説のことを話してくれた人もいた。
もともと出版社に勤めていた人だった。
大手とはいわぬまでも、歴史モノ、思想モノにも名著の多い中堅どころの有名書店だった。
年齢的には、団塊のど真ん中という世代の人で、中国文学や中国文化に詳しく、司馬遷や魯迅にまつわるエピソードをよく教えてくれた。
しかし、やがてその出版社の上司と折り合いが悪くなったのか、それとも一念発起して独立したかったのか( … 詳しい話は忘れたが)、彼は出版社を辞めた。
その後、いくつかの仕事を転々としたらしい。
僕と知り合ったころ、その人は建設系の肉体労働者として、日々の労働の疲れを癒すために、居酒屋で飲み、他の客に議論をふっかけるような生活を送っていた。
「今、小説を書いているんだよ」
と、彼は、酔って他の客と大声で議論している最中、ふと隣りにいた僕に振り返り、人が変わったように、小声でしゃべった。
そして、「別に大作家になろうなんて野心などないのさ」と続けた。
「でも、バカたちと議論することの空しさから逃れるために、自分の力を信じて、一からやり直したいんだ」
と語った。
彼も構想をしゃべった。
あまりよく覚えていないが、19世紀のロシア文学みたいなスケールのでかい話だったように記憶している。
その後、何度か会って、構想の続きは聞いたが、ついぞ一度も書き始めたという話は聞かなかった。
彼にとっても、小説の構想を練ることは、やりきれない日常に埋没しそうなっていく自分を奮い立たせるための大事な「心の支え」だったのだろう。
頭の中の構想を、しっかり文字にして、実際にナマ原稿の形で見せてくれた人もいた。
もうかなり昔の話だが、学生時代に、友人から原稿を手渡されたことがあった。
その人は、私を喫茶店に呼び出し、その場で読んだ感想を聞かせてくれと言う。
400字詰めで、70枚か、80枚ぐらいの小説だったか。
読む時間はそれほどかからないと思えたが、さすがに、作者を目の前にして、読むというのは、気が重いものだった。
僕が読んでいる最中、彼は煙草をふかしながら、身を乗り出して、僕の読んでいる部分を上から覗き込み、
「そこはさぁ、ちょっと心理描写が多いと思えるところなんだよな。自分でも少し煩わしいように思っているのだが、読んでどうだった?」
などと聞いてくる。
そのことで気が散り、僕は読後にたいした感想も延べられなかったような気がする。
だから、小説の内容までははっきりと覚えていない。
ただ、彼が、僕が読み終えるのをすごく楽しみにしていたことだけは、はっきり覚えている。
小説というのは、それほど魔力があるのだ。
出版文化が衰えたとはいいつつ、今でもいろいろな文芸誌で作品募集の要項が載り、様々な人が「未来の作家」を夢見て、膨大な作品群を出版社に送っている。
原稿を読ませてもらった人の中には、女性もいた。
僕が社会人になって、2~3年経った頃だった。
「読んで、感想を聞かせてくれない?」
と頼まれて、ずしりと束になった原稿を手渡された。
ワープロも普及していない時代だったので、400字詰め原稿用紙で100枚を軽く超える手書きの大作は、ちょっと荷が重かった。
しかし、これは読み進めているうちに、すぐ引き込まれた。
面白いのである。
感心したのは、構成力の緻密さだった。
短編小説なら、ひらめきだけで書けることもある。
しかし、長編となると、そうはいかない。
どこで事件を仕掛けるか。
何が主人公の落とし穴になるのか。
最後のシーンを鮮やか見せるには、どういう伏線を張っておけばいいのか。
そういうプロットが綿密に計算されていないと、読者が楽しめる長編にはならない。
しかし、その構成力の堅牢さが、その女性の小説からは感じられた。
「この人は、もしかしたら、本物の小説家になれるかもしれない」
そう思ったのは、結局その女性だけである。
案の定、彼女はその後、ジュニア小説の分野でデビューを果たし、さらには「桐野夏生」というペンネームで、江戸川乱歩賞を受賞し、その後『柔らかい頬』で、直木賞を受賞した。