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桐野夏生の『抱く女』を読む

 

70年代全共闘運動の終焉
  

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 『抱く女』は、日本の現代女流作家を代表する桐野夏生(68歳)が2015年に発表した、自伝的色彩を持つ青春小説である。
 
 それをこのブログで取り上げるのは、先だって書いた記事( 『全共闘運動はまだ総括されていない』 )を補完する意味がありそうに思えたからだ。

 というのは、この小説が、全共闘運動の終焉に立ち会った活動家たちの一部の姿をうまくとらえているからである。

 

 小説の主人公は、1972年に、東京の吉祥寺で大学生活を送る女子学生。
 目次には、
 「1972年 9月」、
 「1972年10月」、
 「1972年11月」、
 「1972年12月」
 という四つの章が並ぶ。

 

 たった4ヶ月の時間を切り取っただけの小説なのに、そこにはこの時代が抱えていた “空気” のようなものが凝縮している。

 

 1972年というのは、まさに、1960年代末から盛り上がった全共闘運動が急速にしぼんでいく時代を象徴したような年であった。学生反乱の闘争課題だった「日米安保条約」も調印され、反戦闘争のメインテーマだった「ベトナム戦争」も収束する気配が見えた時期だった。

 

 この年を境に、戦争や政治闘争の影を引きずっていた「発展途上国の日本」が消え、かわりに “明るい希望に満ちた” 「先進国日本」が浮上する。

 

 新しく日本の首相となった田中角栄は「日本列島改造論」をぶち上げ、それに呼応するかのように、国を上げての建設ラッシュが始まる。


 地価が高騰し、道路網が整備され、自動車産業アメリカを脅かすほどの成長を示し始め、日本はアジア一の大国への道をひた走るようになる。

 

 そのような日本の繁栄ぶりを呪うように、追い詰められた新左翼活動家たちは最後の抵抗を試みた。
 連合赤軍あさま山荘銃撃事件を起こし、日本赤軍はテルアビブ乱射事件を起こした。


 しかし、世間はそれらをもう新左翼過激派の末期的痙攣(けいれん)症状としてしか見なかった。

 

 特に、連合赤軍あさま山荘事件は、わずかに残っていた知識人たちの “左翼幻想” を完全に谷底に突き落とした。

 

 仲間同士が殺し合うという彼らの凄惨なリンチ事件を知ることによって、「全共闘」に携わっていた学生たちは、みな自分の関わってきた運動の意義を検証する作業を放棄してしまったのだ。

 

 (余談だが、現在「左翼」という言葉が死語になり、替わりに「リベラル」という言葉が用いられるようになったのは、この事件によって、「左翼」という言葉に忌まわしい響きがこもるようになったからではないかと思う)。
  
 話を戻す。
 1972年に闘争が終焉を迎えた時期、過激派にも属すことなく、学園闘争の拠点も失ってしまった全共闘の若者たちは、いったいどのように生きたのだろうか。

 

 学生運動をリードするぐらいの頭の良かった連中は、さっさと気持を切り替え、自分たちが批判していた大企業への就職活動に励み、後に企業戦士として、発展する日本経済の繁栄の影に身を隠した。

 

 しかし、すべての学生活動家が優秀な企業戦士に変身できたわけではなかった。
   
 大学を「権力の補助機関」として否定した全共闘に対し、運動に参加しなかった学生たちは冷たかった。


 政治闘争に肩入れしなかった者にとっては、“全共闘” は学業の破壊者でしかなかったから、クラスに戻ってきた彼らを歓迎する空気は生まれにくかった。

 いっぽう、活動家たちも、自分たちが否定した学園生活に戻るのはプライドが許さなかっただろう。

 

 そのため、多くの “全共闘の残党” は、学園から遠ざかり、雀荘に入り浸り、居酒屋に身を潜め、自分たちが政治闘争に関わったことなどをおくびにも出さず、街の底に身を沈めた。
 卒業もしないままアルバイト生活に明け暮れた者も多かった。

 
 桐野夏生の『抱く女』は、そういう状況に身を置いた70年安保闘争の敗残者たちの生活を「女の視点」であぶり出した小説である。

 

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 ヒロイン三浦直子は、70年安保を直接戦った学生ではない。
 年齢的にも、この時代の全共闘世代より2~3歳若いという設定になっている。
 しかし、彼女の交友関係や周辺の空気からは、まぎれもなく、1972年当時の学生運動家たちの生活が浮かび上がってくる。

 

 ただ、ここで作者がはっきり書きたかったことは、同じ活動家といっても、男の活動家と女の活動家では意識にそうとうのへだたりがあったということだ。 

 

 ヒロインが見た新左翼の男たちの多くは、既成の権力への抵抗を口にしながらも、同じ組織の女たちには驚くほど旧態依然とした男尊女卑の態度を貫いた。

 

 彼らはみな横柄で、女性を “物” として扱い、「愛」をくれないばかりか、女からの「愛」も求めなかった。
 そのような男たちと、いくら関係を結んでも、ヒロインの鬱鬱たる気分は晴れることがなかった。

 

 組織を離れて街を歩けば、今度は後ろ姿を執拗に追い回す街の男たちの下卑た視線が絡みつく。
 彼らは野卑な言葉で女を誘い、それを無視した女に「なんだこのブス!」とあからさまに侮蔑の言葉を投げつけてくる。

 

 そのような屈辱的な形であっても、この時代、男に声を掛けられてセックスを求められることが、女のアイデンティティであるかのように錯覚する女は多かった。

 

 しかし、ヒロインだけは、そのような男と女の不均衡な関係を許す社会に息苦しさを感じ始める。

 

 それだけではない。
 男の横暴さや身勝手さを断罪するウーマンリブの女性闘士にも、ヒロインは、男たちと同じ匂いを感じるようになる。
  
 女が化粧することを、「男に媚びている」と断罪するウーマンリブの闘士たちは、男と寝た女を「公衆便所」と揶揄する下品な男たちの思考と表裏をなしている、とヒロインは思い始める。

 

 男も女も、どこか狂っている。
 ヒロインはそう感じながらも、なすすべもなく、男たちに混じって麻雀を打ち、酒を喰らい、タバコをふかし、JAZZを聞き、男と同衾する。

 

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 ここには、後の桐野作品に多く登場するようになる “戦う女” はまだ生まれていない。 
 しかし、戦う女が生まれてくる背景は、たっぷりと描かれている。

 

 そういった意味で、この小説は、この後の桐野作品でひとつのスタイルを確立する “戦う女” の揺籃(ようらん)期を描いた作品なのだ。

 

 だから、ヒロイン直子は、この時点ではまだ人格を確立していない。
 男社会の価値観に不公平さを感じる女でありながら、自分が戦うべき “敵” の正体をつかめていない。

 

 しかし、やがてヒロインは次のように思うはずである。
 「女」のことを、男を喜ばせる無邪気な愛玩物か、あるいは男の労働力の補完物のように扱う社会はどのようにして生まれてきたのか。
 それを許容している社会的構造とは何なのか?

 

 その根源を見つけ出して戦おうとするヒロインが、少しずつ爪を研ぎ始める。
 ただ、それはこの作品が終わった後の話である。
   
  
 舞台となる場所は、中央線が通る東京の吉祥寺。
 この作品に登場する店は、ほぼ1972年当時に実在したものばかりだ。
 もちろん、店の名前は変えられているものもある。
 しかし、実名どおりに出てくる店もある。

 

 ヒロインたちが入り浸る雀荘の『スカラ』は、当時「スカラ座」という映画館の2階にあった(作品で描かれたまんまの)ウナギの寝床のような店で、これは実名で登場する。


 今のパルコ通りにあったR&Bスナックの『ロコ』も実在していた店だ。
 フォーク喫茶の『ぐゎらん堂』も同様。

 

 雀荘『スカラ』の向かい側にあるジャズ喫茶『COOL』は、あの有名な『FUNKY』のことである。
 公園通りにある『甚平』は、当時『甚助』といった餃子と沖縄ソバの人気店だった。

 

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▲ 「FUNKY」のマッチ

 

 吉祥寺の周辺で生まれ、桐野夏生と同じように1972年を吉祥寺の繁華街で過ごした私には、この小説に出てくるだいたいの店を特定できる。
 それほど、桐野夏生の生活圏と私の生活圏は重なっていたといってよい。

 

 重なっていたのは、生活圏だけではない。
 交友関係も重なっていた。

 

 あの時代には、全共闘運動の敗残者や勤労社会からはじき出されて鬱屈した精神を刹那的な遊びでまぎらわす若者たちのコミュニティーのようなものが吉祥寺の裏街で成立していた。

 

 だから、私には、ヒロインが入り浸っている雀荘『スカラ』で卓を囲んでいる男たちのほぼ半数の顔を脳裏に浮かべることができる。

 

 もちろん、名前は変えられている。
 風貌も、来歴も、実際の人物たちとは異なる。
 フィクションだから当然のことなのだが、しかし、登場人物たちの基本的なキャラクターをみるかぎり、誰をモデルとしたものなのかは、私はすぐに推測できた。

 

 なかには、「これ、ひょっとして俺のこと?」と思えるような人物も登場した。

 「黒いシャツに黒いジーパン。痩せ型で目が鋭い。ブルースが好きで、麻雀が好きで、自分が好き。いつも手が濡れているから、彼の握る牌はぬるぬるして気持ちが悪い」
 と書かれた男は、ほぼ私である。

 

 確かに、私は緊張すると手に汗をかくことが多く、麻雀をしていると、ときどき牌が私の汗で濡れた。

 

 さらにいえば、この時代の私はそうとううぬぼれの強いエゴイストであったから、ヒロインが「自分好きの男」と見抜いたとおりのキャラクターでもあった。

 

 さすが小説家。
 人間をよく見ている。

 

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▲ 作者近影
 

 表面的には、意味もない空騒ぎに時間を浪費する若者たちの姿が描かれた小説ではあるが、彼らの生活の背後には、無慈悲な死がいくつも転がっている。

 

 テルアビブ空港で銃を乱射した日本人テロリストの行為を「革命的」として評価し、その “英雄的(?)” な壮挙に後れを取った自分を恥じて自殺してしまう青年が出てくる。

 

 ヒロインの兄も、セクトの幹部に祭り上げられたが、過激派同士の内ゲバによって惨殺される。
 「革命に命を捧げる」という男の身勝手なヒロイズムは、女の目で闘争を見ているヒロインの心を寒々とさせる。

 

 このあたりの事実関係は作者のフィクションだと思うが、“革命戦争” などとは無縁のところで、若くして死んでいった何人かの登場人物を、私も知っている。
 1972年という年は、今の時代とは違った意味で、若者の間に無慈悲な「死」がごろりと転がっていた時代だったのだ。

  

 
 読んでいて、心のなかでずっと比較していた作品があった。
 ヒロインの年齢より10歳ぐらい上の世代の学生群像を描いた『されどわれらが日々ー』(柴田翔 1964年)である。

 

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 こちらの作品も、“60年安保闘争” に敗れた学生たちをの生活を描いた小説で、作品全体を通して、政治闘争に敗れた若者たちのやるせない敗北感が色濃くにじんでいた。
 しかし、そこから立ち昇ってくるセンチメンタリズムは、文芸的な香りをともなった爽やかなものだった。

 

 桐野作品の『抱く女』には、それがない。
 男社会の身勝手さを女の立場から暴くというテーマがある以上、センチメンタリズムに頼る作風を作者が避けたのは当然であったろう。
 
 しかし、センチメンタリズムを拒否した分、『抱く女』に出てくる人物造形は殺風景でもある。

 

 さらにいえば、無気力に生きる若者たちの姿を追うのだったら、もっとズブズブの退廃が描かれていてもよかったような気がする。
 もし、彼らの姿に濃厚なデカダンスと虚無的なアンニュイが盛り込まれていたら、それはそれで世情の評価の高い作品になっていたと思う。
  
 最後に、タイトルについて、一言。
 『抱く女』というのは、ヒロインがこれまでの「抱かれる女」から脱却し、自ら恋人を選び、「抱く女」へと生まれ変わっていくことを表す言葉。
 これまでの桐野作品に接してきた読者なら、それがヒロインの新しい “戦い” の始まりであると察するはずだ。

 

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