マスコミがコロナウイルス報道を混乱させている
新型コロナウイルスのために、世界的な大混乱が起きている。
「中国の武漢で新しいウイルスが猛威を奮っている」
という報道が最初に出されてすでに3ヶ月経つというのに、ウイルス感染地域は世界中に拡大し、死者数も増加の一途をたどっている。
もちろんこの世界的感染はいつかは終息するだろうが、連日のマスコミの報道ぶりを見ていると、年内どころか、ここ数年はコロナウイルスの猛威が衰えないのではないか? という不安すら芽生えてくる。
こういう状況を伝えようとするメディアの対応も様々だ。
ニュース、ワイドショーのたぐいは朝から深夜までコロナウイルスの専門家を総動員してコメントを流し続けているが、問題は、コメンテーターによって話す内容も異なれば、見通しも異なること。
概して、医療関係の専門家たちは、国民に厳しい対応を求める論調に傾く。
彼らは、
「自粛ムードが高まると経済的損失が大きくなることも覚悟せねばならないが、まずは “人命維持” が最優先だ」
と主張する。
そのため、国民は旅行やイベントの参加、外食などを控え、しばらく自宅待機するようにと訴える。
しかし、反対に、政治・経済の専門家は、国民が生活行動を縮小することによる経済損失の方が大問題だと主張する。
「コロナで死ぬ人もいるかもしれないが、企業倒産で死ぬ人も出てくる。どちらにも犠牲者が出るとすれば、コロナよりも、経済破綻によって死ぬ人が増えることの方が深刻だ」
こういうとき、いちばん困るのは、二つの意見を聞かされた視聴者だ。
どちらの意見に耳を傾けるかによって、人の行動は正反対に向かう。
この3月下旬、日本列島はちょうど桜の満開期を迎え、さらに天候にも恵まれた。
お花見や居酒屋にくり出す若者たちも多かったそうだ。
そういう現場を取材したテレビ報道のスタッフに向かって、若者たちは悪びれることもなく、こう語る。
「マスコミは大変だと騒いでいるけれど、自分たちの周りには感染者もいないし、案外たいしたことはないのかな … と。
人間には気晴らしも必要だし、それを禁じられると神経がおかしくなっちゃいますよね」
「政府があんまり自粛を要請すると、経済が低迷しちゃうじゃないですか。だから自粛ムードもほどほどにした方がいいんじゃないですかね」
こういう声が若者たちから出てくるというのは、彼らの認識が甘いからではない。マスコミのなかには、そういう意見を主張する者も多いからだ。
中国をはじめ、ヨーロッパやアメリカでは、政府が強硬な姿勢を打ち出して、感染拡大を実力で阻止しようとしている。
それに対し、日本の政府や自治体は、「自粛を要請する」という呼びかけで、国民の自主判断に任せている。
どちらが正しいのか、なんともいえない。
国民性の違いもあるだろうし、医療システムの違いもあるかもしれない。
私自身は、政府や医療関係者が「外に出るな」と勧告するかぎり、外出をひかえて、“内向きの遊び” を発見するチャンスにするべきだろうと思っている。
ネットで今まで聞いたこともなかったアーチストの音楽に触れたり、動画を探したりするチャンスかもしれない。
日頃読んだこともないジャンルの本に親しむチャンスかもしれない。
21世紀の人間は、日本人・外国人問わず、あまりにも「人間の内面」を見つめるような文化を軽視しすぎてきた。
平成から令和にかけて、アニメ、コミック、ポップスなどの分野で、目を見張るような新しい創造物はたくさん生まれてきたけれど、そこからさらに人間の心の奥底にまで踏み込んでいくような、デーモニッシュな迫力を持つものは少ない。
私は、昭和の中頃に生まれた世代として、第二次世界大戦を経験した小説家や芸術家の作品に多少は触れてきた。
そこから、「人間の内面」というものがこんなに深いものかと学んだ。
戦争体験を持った世代は、いずれも自分の家族の死、敬愛する隣人の死など、たくさんの「死」を見つめてきた。
それが、自然に、彼らに人間の生死を考える「哲学」を授けた。
コロナウイルスによる室内待機の要請を、そういうものに触れるチャンスだと感じてくれる人が増えるといいなぁ … と思っている。