アートと文藝のCafe

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菅総理はとにかく陰気だ

 

 コロナウイルスの感染拡大が止まらない。
 7月31日の東京都の感染者数は4058人(これまでで最多)だという。
 この数値を聞いたときは驚いたが、すぐに、感染者が “一万人” を超える日も近いだろうと思った。

 

 こういう危機的な状況でありながら、人流は一向に抑制されない。


 7月31日の朝日新聞夕刊では、コンビニのポリ袋に酒やツマミを入れた若者たちが公園で路上飲みをする様子がレポートされていた。
 居酒屋でオリンピックを観戦した後、飲み足りなくて、公園に集まって盛り上がるのだとか。


 そう語る若者たちに、悪びれた様子はないようだ。

 

 年寄りの私は、そういう若者たちの行動に単純に怒りを覚える。
 しかし、考えてみれば、若者ばかりを責めるわけにはいかない。

 

 彼らはいう。

 

 「若者をすぐ悪者扱いするが、すべての若者がルールを無視しているわけではない。
 外で遊んでいるのはごく一部。早くワクチンを打ちたい若者だった多いのに、そのワクチン自体が足りない」

 

 考え方を変えれば、若者たちが、マスクもせず、路上で酒をあおり、大騒ぎするというのは、彼らの “抗議行動” ともいえる。
  
 たぶん、彼らは、コロナ感染者が急増するのを止められない為政者たちの無策をそういう挑発的な態度であざ笑っているのだ。

 
 7月30日から、『パンケーキを毒見する』という映画(内山雄人 監督)が東京・新宿ピカデリーほか全国で公開されたという。
 詳しくは知らないが、菅義偉(すが・よしひで)首相という政治家の姿を、関係者のインタビューなどを絡めて多角的に浮き彫りにした映画らしい。

 

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 菅義偉という政治家は、秋田のイチゴ農家の出身で、上京してからは段ボール工場で働き、国会議員の秘書から横浜市議会議員、そして衆議院議員へと登り詰めた。
 安倍政権下では、有能な官房長官として名を売り、そして安倍氏の後をついで首相へ。

 

 その経歴から、「世襲議員ではない叩き上げ」の首相の誕生ともてはやされ、世間的には好意的に受け止められた。

 

 首相に就任してからは、 携帯料金値下げ、ハンコ廃止、デジタル庁の新設など、一般受けする政策を次々と断行し、国民の人気取りにも余念がなかった。

 

 しかし、私の(あくまでも個人的な感想に過ぎないが、)政治家としてはものすごく小粒な人のように思える。かつての田中角栄中曽根康弘小泉純一郎たちのような “スケール感” がない。

 

 別の言葉をつかえば、「カリスマ性」がない。
 官僚型の「実務家」かもしれないが、「政治家」としての “カッコ良さ” に乏しい。

 

 「思想性がない」といってしまってもいい。
 この国をどういう方向に導こうとするのか。
 彼の発言、彼の表情などからは、そういうビジョンがまったく見えてこない。

 

 菅氏の政治姿勢は、戦術的には “場当たり的” 。
 深い考えもなく、気分的に政治を取り仕切っているように思える。
 コロナ禍で経済が危ないと見るや、すぐに「GoTo トラベル」や「GoTo イート」に舵を切る。


 しかし、それらの施政が感染者を増やすとマスコミに指摘されれば、すぐに打ち切り。

 

 一度オリンピックを行うと決めると、それがコロナ感染へのリスクを高めるかどうかという検証をまったくせぬまま突っ走る。


 メディアがそのことを心配しても、
 「とにかく、安全・安心の大会を成功させる」と答えるだけで、その実現性、実効性に対する説明は何もない。

 

 「コロナの感染拡大を警戒して、五輪を中止することは検討しないのか?」
 というマスコミの質問に対しても、
 「人流は減少している」
 と嘘をつく。

 

 野党やメディアの質問にはっきりと答えることを(戦略的に)拒否しているのか。
 それとも、質問を理解する能力に欠けているのか。

 

 あの分厚いまぶたの下でうごめく感情を押し殺したような目からは、彼の本心は見えてこない。

 

 強情なのに、小心。
 劣等感が強いくせに、威嚇的。
 彼を動かしているのは、理想や理念ではなく、権力欲。
 ユーモアのセンスもないのに、若者にウケようとする(自分のことを “ガースー” と呼んだり)。

 

 性格的に矛盾したものをじっと胸の内にたくわえ、陰気な顔をしたままこの人は、ただひたすらコロナ禍が過ぎ去っていくのを待っている。

 

  菅さんにはずいぶん失礼なことを書いてしまったが、私はほんとうにこの人を好きになれないのだ。