テレビでも、ネットでも、9月3日のニュース番組の中心は、「菅義偉首相の総裁選不出馬」報道だった。
国民もメディアもみなびっくり!
ネットニュースをスクロールしてみると、3日のニュースの大半は菅氏の記事であり、その顔写真が上から下まで、延々と続いた。
それらの記事の中身は、この1年間の菅政権に対する批判が中心だった。
戦後の政治家のなかで、これほど評判の悪かった首相は、ほかにいなかったとも思う。
なぜ、そうなったのか。
ウソつき首相だったからだ。
本人は、たぶん国民やメディアに対してウソをついたという意識はなかったかもしれない。
ただ、彼の言動は、主観的願望ばかり強調しようとして、客観的な真実や科学的合理性を無視したところに成り立っていた。
そのことが結果的に、「ウソ」とおなじ効果になってしまったのだ。
「Go To トラベル」に舵を切ったときも、「コロナの脅威は落ち着いてきたから経済を回さないといけな」といった。
主観的願望を述べただけである。
その判断に科学的合理性はなかった。
結果、感染拡大はさらに深刻化し、「Go To トラベル」事業はいち早く頓挫した。
東京オリンピックもそうだ。
コロナ禍において開催することに対する懸念は、専門家や国民からずいぶんあがっていたが、菅氏は「安全安心の大会にする」という無機質な言葉を繰り返すだけで強硬突破を試みた。
結局、会期中に緊急事態宣言の発令を余儀なくされ、「無観客試合」というふがいない結論を選ばざるを得なかった。
それ以外の “悪口” は、すでにメディアにさんざん出尽くしている。
だから、これ以上私が書くことは何もないと思うが、なんとなく違和感が残るのは、菅氏に対してというよりも、むしろ、急に「ポスト菅」に名乗りを上げた自民党の候補者たちである。
菅氏が「出馬表明」を繰り返していた時点においては、対抗馬に名乗りをあげたのは岸田文雄 元政調会長と、高市早苗 元総務大臣だけであった。
あと一人、下村博文 現政調会長は、立候補の意思表示をしたものの、菅氏に脅されて出馬を取りやめた。
しかし、菅氏が「不出馬」を宣言するやいなや、河野太郎 行革相や野田聖子 幹事長代行などが、竜巻が巻き起こるかのごとく出馬に名乗りを上げ、いったんは諦めた下村 現政調会長までもが再び色気を見せ始めた。
さらには、前に総裁選に立候補した石破茂氏も再び立候補の構えを見せている。
なぜ、それほどまでに、みな「首相」になりたがるのか?
政治家という人種は、誰もがいつかは「首相」になりたがるものなのだろうか。
私には、そこのところがよく分からない。
彼らの「首相」を目指す情熱は、いったいどこから来るのだろう?
それって、単に「権力欲」という言葉に置き換えていいものなのだろうか?
「権力欲」というのは、簡単にいえば “他人を自在に操る快楽” とでもいえるものだろうけれど、そういう欲望って、いったいどのくらい魅力的なものなのか?