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安倍氏の「国葬」問題が暴き出したもの

  

 2022年 9月27日(火曜日)。
 安倍晋三元首相の「国葬」が行われた。

 

 

 最後まで賛否両論に分かれた国葬だった。

 葬儀場となった武道館周辺では安倍氏を偲んで献花に訪れる人々が長蛇の列をつくったが、一方、その近くでは「国葬反対」のプラカードを掲げた市民が激しいデモを繰り広げた。

 

 これまでのさまざまな世論調査によると、どの調査でも「国葬反対」を掲げる声が6割くらいで、「賛成」が4割程度。常に反対の方が多い形で終始していた。

 

 「国葬反対」の理由は、
 「このたびの国葬には法的根拠がない」、
 「(警備などで)16億円以上の税金をつかうのは意味がない」、
 「憲法違反だ」、
 「民主主義的ではない」
 などの意見が多かった。

 

 それ以外では、「安倍元首相という政治家の評価が定まっていない」という声もあった。

 

 私個人の感覚では、安倍氏の銃撃事件以降、多くの自民党議員を巻き込んだ  “旧統一教会問題” が一気に明るみに出たことが最大の要因であるように思う。
 実際、安倍氏の死が報道された直後、つまり統一教会問題が取りざたされる前の世論では国葬を評価する声の方が多かったのだ。

 

 ところが安倍氏を狙撃した犯人の殺害動機が「統一教会への恨みだった」ということがクローズアップされてからは、みるみるうちに安倍氏国葬に疑問の声が上がるようになった。

 

 旧統一教会問題は、何をあぶり出したのか?
 
 自民党を筆頭とする日本の政治家たちは、「嘘つき集団」だったということが暴露されたのだ。それも、あまりにも露骨なかたちで。

        
 自民党議員たちに自己申告制のアンケート調査をしたところ、「統一教会と関りがあった」という報告が相当数噴出したものの、その大半は、
 「関わった団体が統一教会とは知らなかった」、
 「自分が関わった団体がどんなものだったのかあまり意識していなかった」
 という答えに終始するもので、私のような素人が判断しても、その嘘つきぶりはすぐにバレてしまうものばっかりだった。

 

 私たちは、政治家たちの「嘘」に、もう辟易(へきえき)している。
 もちろん、政治の世界では「上手に嘘をつく」ことも技術として要求されることもあるだろう。
 しかし、世界的にみても、最近の政治家たちは、発言を聞いた国民が唖然とするようなしらじらしい嘘を平気でつき通す。

 最近の例では、その筆頭がアメリカのトランプ元大統領だ。
 あのような下手な大嘘を精力的につき通す政治家というのは、今まであまりいなかった。

 

 

 さらに、現在、嘘をつき通す路線を爆走しているのが、ロシアのプーチン大統領だ。

 

 

 私たちはずっと、こういった世界のリーダーの貧しい嘘の連続に、もう心が萎えそうな日々を送っている。

 

 その日本における顕著な例が、まさに安倍元首相の発言だった。
 “モリカケ問題” 、“桜問題” 。
 安倍氏は、国会答弁で、これらの問題を野党に追求されても、ことごとく語気を強めて嘘を通し続けた。
 そして、その最後に、選挙戦では、安倍氏統一教会の票を他の自民党候補に差配していたことが暴露された。

 

 その安倍氏の嘘に接しながら、今の岸田首相は自分の身を挺しても安倍氏の業績をかばい続けた。

 「安倍氏がどれだけ旧統一教会問題と関わっていたかは、安倍氏が亡くなった今、調査するにも限界がある」というのが岸田氏の理屈。
 そんなものはいくらでも調べようがあるにもかかわらずだ。

 

 結局、岸田氏のその発言は、党内最大派閥の “安倍派” への配慮に他ならない。つまりは、岸田氏の大嘘といえよう。

 

 今回の国葬問題に関して、私はBS-TBSの「報道1930」に出演した保坂正康氏の発言に共感した。

 保坂氏は、安倍氏が進めようとした政治は、日本の現代史を逆行させようとしていたという。

 

 

 つまり保坂氏にいわせると、安倍氏は、戦後の政治家として最大の功績があった吉田茂平和憲法の精神を覆そうとしていたというのだ。


 吉田茂は、アメリカのGHQとのたび重なる交渉によって、戦争をしない国家としての戦後日本の原型をつくろうとした。その具体的な宣言が戦後の日本国憲法となった。

 

 しかし安倍元首相は、「戦後レジームとの決別」を標語に、「アメリカに押し付けられた憲法を正し、日本独自の憲法解釈を進める」ことを提案。それが新しい時代のテーマだと主張した。

 

 それに関して、保坂氏はいう。

 

 「戦後の政治を変えようとする主張を悪いとはいわない。しかし、安倍氏はあまりにも吉田茂を筆頭とする当時の日本の政治家たちの努力に敬意をはらわなかった。
 吉田たちがどんな思いでアメリカと交渉し、日本独自の平和憲法の草案をまとめたのか。その必死の思いを安倍氏はまったく汲もうとしなかった」

 

 保坂氏は日本の近現代史に精通したジャーナリストだから、戦後の日本国憲法がどのような形で生まれてきたのか、その経緯を詳しく知っている。そういう保坂氏から眺めると、安倍氏の浅薄な短慮が悲しく思えただろう。 

 

 それは、当然「安倍氏の目指した道を忠実に歩む」と明言した岸田首相への批判にもつながる。保坂氏は、安倍氏の「憲法改正」という路線を継承しようとする岸田氏に失望していることも同番組のなかで明言した。

 

 結局、安倍路線を踏襲しようとしたり、旧統一教会問題に真剣に取り組もうとしない岸田自民党が、これ以上国民の信頼を回復する手段は現在のところ見い出せないというのが「報道1930」の結論だった。


 私も、その通りだと思う。

 

 ただ、一方で、「国葬反対」を唱える人々の主張にも、ものすごい違和感を感じた。
 「違和感」というより、正直にいえば「嫌悪感」に近い。
 報道によると、国葬の参加者が黙祷しているときに、反対を唱えるデモ隊は、鐘や太鼓を鳴らして騒音を立てまくったという。
「なんと下品な!」
 と軽蔑せざるを得ない。

 

 

 私は、「国葬反対」と大声で叫ぶ人々を信用しない。
 安倍氏を擁護する自民党の嘘つきたちと同じくらい信用しない。
 
 方や白々しい嘘を平気で垂れ流す厚顔無恥自民党政治家たち。
 方や、硬直した(薄っぺらい)正義感を恥ずかしげもなく叫び続けるイデオロギッシュな “市民グループ” 。

 

 どちらも消えてくれ。
 日本はもっと成熟した国にならなければならない。