恐くて、美しい眼の女
かくも恐ろしく、かつ美しい眼をした女性を描いた絵を、ほかに知らない。
タイトルは、「ホロフェルネスの首を斬るユディト」。
西洋絵画ではおなじみのテーマで、クラナッハ、クリムトなど有名な画家の無数の作品が残されている。
しかし、上記の絵が評判になったのは、2014年に、フランスのトゥルーズの民家の屋根裏から偶然発見され、しかも作者が、あの巨匠カラバッジョ(1571~1610年)ではないか? と詮索され始めたからだ。
このニュースを知ったのは、NHKの「BS世界のドキュメンタリー」だった。
邦題は「疑惑のカラヴァッジョ」。(原題 The Caravaggio Affair 2019年フランス)。
絵の異様な迫力に、テレビを見ていた私にも戦慄が走った。
「むごたらしい絵だ!」
というのが、第一印象だった。
しかし、カメラが原画に近づき、「ユディト」と呼ばれる女性の顔がクローズアップされた段階で、その戦慄は別のものになった。
なんとも奇妙なエロティシズムがその顔に漂っている。
ただの「恐ろしさ」とは、別のもの。
人の首に刃をこすりつける瞬間の冷たい “恍惚感” 。
その異様な迫力が、ユディトの眼に宿っている。
それが、この絵の「むごたらしさ」の正体だ。
この絵は、どういう情景を描いたものなのか?
画題は、旧約聖書からとられている。
紀元前600年から500年ぐらいのこと。
アッシリアの王がユダヤ人の王国を滅ぼそうとして、ホロフェルネスという将軍をユダヤの地に派遣した。
将軍ホロフェルネスは、ベトリアというユダヤ人都市を包囲。
その陥落も間近というとき、町に住むユディトという美しい未亡人が将軍のもとを訪ねてくる。
ホロフェルネスの幕舎に案内されたユディトは、
「あの町には愛想をつかしたから、攻略方法をこっそり教える」
と打ち明け、彼にさんざん酒を勧める。
ホロフェルネスはユディトの色香に惑わされ、部下も退けた状態で、しこたま酒を飲み、泥酔してしまう。
頃を見計らったユディトは、剣をつかみ、侍女とともに、ホロフェルネスの首を斬り落として、味方の陣営に戻り、ベトリアの町を救う。
簡単に要約すると、そういう話なのだが、実話ではないらしい。
旧約聖書に出てくる話だが、時代を特定できるデータもなく、都市名も架空のもの。
もちろん「ユディト」と名乗る寡婦が実在したという証拠もない。
しかし、ユディトの神々しい美しさと、彼女が犯した残忍な行動の落差が伝説となり、画家たちの想像力が刺激されたことは確かで、中世から近代にかけて無数の絵が生まれた。
そのなかには、クラナッハ、クリムト、アローリなどという大家の作品もたくさん含まれている。
▼ クラナッハ作
▼ クリムト作
▼ アローリ作
実は、画家名がカラバッジョだと特定できる作品も、すでに存在している。
▼ カラバッジョ作
▼ 上記の作品の部分
… となると、2016年に発見された絵は、カラバッジョが描いた2作目のユディトということになる。
同じ作者が、これほど異なる雰囲気の別バージョンを残すのだろうか?
二つの絵を比べてみると、まず、ユディトの表情がまったく異なる。
すでに「カラバッジョ作」と特定されている絵を見ると、ホルフェルネスの首を切り裂くユディットは、自分で犯した殺人ながら、そのおぞましさに耐えきれず、眉をしかめて身をのけ反らせている。
それに対し、2016年に発見されたユディトの表情には、断固となる冷たい決意がにじみ出ている。
2016年版は、カラバッジョとは異なる絵描きの作品ではないか? と推理する鑑定士がたくさんいる理由もそこに集中する。
真贋を見極める意見は、真っ二つに分かれている。
技法やタッチには、2作とも、紛れもなくカラバッジョでなければ描けないような技術が凝縮しているという。
X線やコンピューター解析などによる総合的判断の結果、そう主張する鑑定士の数は多い。
だからといって、2016年版が、即座に「カラバッジョ作」とは断定しきれない疑惑も残ったままなのだとか。
同時代の画家であるルイ・ファンソンが、この絵そっくりの構図で模写している作品もあり、本作も、ファンソンが描いたという可能性が払拭しきれないらしい。
また、カラバッジョが未完成のまま残した作品を、ルイ・ファンソンか別の画家が仕上げたのではないか、と推論する鑑定士もいるようだ。
▼ カラバッジョ自画像
今のところ、鑑定の最終判断は下されていない。
ということは、2016年に発見されたユディトは、作者不詳のまま、「幻の傑作」という状態で放置されたままなのだ。
謎は謎を呼ぶ。
実際に、2016年に発見されたこのユディトの顔は謎に満ちている。
男の首を斬り離そうとしながら、彼女は、男の顔も自分の手元も見ていない。
彼女の心の状態はどうなっているんだろう?
ユダヤの町を救うという使命感に燃えているのだろうか。
それとも、神の意志を実現するという信仰心に突き動かされているのだろうか。
あるいは、殺戮の快楽という “おぞましい” 欲望を噛みしめているのだろうか。
最大の謎は、彼女はホロフェルネスの首を斬りながら、誰を見ているのか? … ということだ。
この “カメラ目線” こそ、この絵の最大の謎である。
彼女の感情を押し殺した冷たい眼の奥に何が潜んでいるのか。
それは、誰にも分からない。