アートと文藝のCafe

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ワイエス 『クリスティーナの世界』

絵画批評
草原の孤独

 

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 彼女は何をしているのだろう。
 茫漠と広がる草原に倒れたまま、上半身を起こし、丘の稜線に建つ家を眺めている女性がいる。
 
 草原にたたずむ家は、彼女の家なのか。
 それとも、見知らぬ人の家なのか。
 画面に描かれた情景は、何のインフォメーションも伝えてくれない。
 
 絵の題名は『クリスティーナの世界』。
 
 「世界」というからには、この画面に描かれた大地と、空と、彼方にたたずむ家だけが、たぶん、彼女が日常的に眺め、匂いを嗅ぎ、手に触れることのできる “すべて” なのだろう。
 
 彼女は何者なのか。
 そして、何をしているところなのか。
 
 どことなく不安定な彼女の姿態を見ていると、何かの事件性も感じとれる。
 映画かドラマを途中から見てしまったような、全貌の分からぬところから生まれる不安感が、かすかに漂ってくる。

 

ワイエスという画家がテーマにしたもの


 画家の名は、アンドリュー・ワイエス
 1917年、アメリカ・ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれた人だという。
 
 この絵は、彼の代表作といえる作品で、描かれた女性の名はクリスティーナ。
 ワイエスの別荘の近くに住んでいた女性らしい。
 そのクリスティーナが、ポリオに冒された不自由な足を引き吊りながら家族の眠る墓地に祈りに行き、そして、家に戻る途中の状態を描いたのが、この絵である。
 
 自分の身に降りかかった障害を克服するために、クリスティーナは自分がまかなうべき生活をすべて自力でやってのけ、車椅子の助けすら借りようとしなかったという。
 
 ワイエスは、彼女の力強く生き抜く覚悟に感動し、その輝かしい生命力を賛美するために、この絵を描いた。

 

 そのように、巷間で伝えられる解釈に従って眺めれば、この絵は、けなげに生き抜く一人の女性に捧げられた生命賛歌であることが分かる。
 そして、絵の主題が分かれば、もうそこに淋しさや不安を感じ取る要素は何もない(はずだ)。

 

 見渡す限り青く美しい大地が連なり、その彼方には、平和な明るさを保った空が広がっている。

 
 ここまで這ってきたクリスティーナは、今ようやく自分の家が見える位置までたどり着き、トップをキープしてきたマラソンランナーが、ゴールの競技場を見るような安堵感を覚えているはずだ。
 

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この絵の “寂しさ” はどこから来るのか?

 

 なのに、この画面から漂う静謐(せいひつ)な寂しさは、いったい何なのか。
 力強く生きている女性を描いているはずなのに、ここに漂うはかなげな哀切感と虚無感は何に由来するのか。
 
 それは「距離」がもたらすマジックなのだ。
 
 彼女と自分の家の間には、永遠にたどり着けないのではなかろうか、と思えるほどの茫漠たる距離感が存在し、その距離感がこの絵にいい知れぬ寂しさを与えている。
 
 この「距離感」こそ、アメリカという国が持っている寂しさの原点であるように思う。
 
 アメリカの内陸部には、世界中のどこを探しても見当たらないような “がらんどう” が横たわっている。
 荒野を突き抜ける一本道。
 アクセルを思いっきり踏み込み、陽気な音楽が流れるラジオのボリュームを最大限に高めて走っていても、決して癒されることのない空漠感。

 

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 目的地など、次第にどうでもよくなっていくような、このロング・ディスタンス(無限の距離感)の感覚は、時に、旅する者の心をディープな虚無感に引きずり込む。
 
 ラジオから流れ出る能天気なカントリー&ウエスタンも、野獣の咆哮 (ほうこう) を思わせる大排気量エンジンの唸りも、すべて、このとろりと心身を脱力させるような虚無感の前には無力となる。

 

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アメリカという国の内部には「風」しかない
 
 「この世に生を受けている」という実感を与えてくれるものは、その空っぽの大地を吹き抜けていく風だけ。
 アメリカ大陸で一番リアルなものは、あの草原を這うクリスティーナの髪をなぶっている「風」だ。
 
 アンドリュー・ワイエスは、また「風」を描くのもうまい画家だった。
 ここにあるもう一枚の絵。
 『海からの風』
 
 窓から流れ込む風が、レースのカーテンをなびかせているだけの静かな絵。
 目に見えない「風」を、これほど視覚的に鮮明に捉えた絵というものも、他にはあるまい。
 

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 「海からの風」といいながら、その海は遠い。
 窓の外には、少し湿った緑の大地が森まで連なっている。
 森と大地を遮るものは、何もない。
 何もない空漠たる空間が、風がこの窓にたどり着くまでの「距離感」を伝えている。
 

ディスタンス(距離感)が生む詩情
 
 しかし、アメリカ大陸がはらむ「距離感」は、同時に、アメリカ人の詩情の根源ともなっている。
 放浪に放浪を重ねていく人々の心情を描いたホーボーソングやロードムービーという文化は、アメリカでしか生まれなかった。
 
 「チョッパー」という、直線路しか想定していない不思議なハンドルを持つモーターサイクルが存在するのも、「いかに遠くまで行くか」という、アメリカ人の飽くことのない「距離感」との格闘ないしは融合がもたらした結果だ。

 

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 アンドリュー・ワイエスも、アメリカの持つ独特の「距離感」に敏感な画家だった。

 
 家を描いても、その先の風景が存在しない。
 家の向こう側で口を開けているのは、空漠とした虚空。
 それは「無の世界」への入口であり、同時に豊饒な宇宙に通じる扉でもある。


▼ 『ワイエス家の家』

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 アメリカでは、画家はもとより無教養な市井の飲んだくれですら、茫漠と広がるアメリカの虚空を前にしたときは「詩人」になる。

 

 ワイエスが亡くなったのは、ちょうど10年前、2009年であったそうな。
 91歳の大往生だった。