衆議院選挙が公示され、各党派の政策発表がマスコミで取り上げられるようになった。
それらを見るにつけ、
「なんと貧しい選挙戦か」
と暗澹たる気持ちにならざるを得ない。
与党も野党も、主張する政策の内容が乏しく、しかも基本的な認識に間違いが多い。
自民党の岸田首相は、言葉だけ聞いていると、よどみなくしゃべっているように見えるが、政策の射程距離が短く、いってしまえば、近視眼的な主張に終始している。
話の骨子が抽象的で、現実性に乏しいのだ。
もっと悪いことは、岸田首相の発言の裏には、安倍・菅政権の思想の残滓が濃厚に立ち込めていることだ。
たとえば、原発推進政策。
これなどは、安倍路線をそのまま受け継いで、東電などの電力会社の利益をそのまま維持させてやろうという主張にほかならない。
東日本大震災で福島の原発事故が起きるまで、日本全国で稼働していた原発はようやく減価償却を終え、「さぁ、これから儲けるぞ!」という時期を迎えていた。
それ以降は、稼働すればするほど、原発関係者たちの懐はうるおう状態に入ろうとしていた。
そのときに起こったのが、2011年の3・11原発事故である。
安倍元総理や甘利氏が、原発事故の状況をひたすら覆い隠し、東電などの意向を尊重する対応に踏み切るのは、こういう電力会社の経営戦略をサポートしてやりたいという意向が反映されたものだ。
憲法をどう扱うかという議論においても、安倍元首相の意見ははっきりしている。
憲法9条に、「自衛隊」という文言をはっきりと追加し、国民に対しても、海外の為政者たちに対しても、自衛隊のプレゼンスをしっかりと打ち出すというのが安倍氏の悲願と言われていた。
しかし、10月19日の「プライムニュース」(BSフジ)に出演していた元参議院議員の藤井裕久氏(89歳)は、この安倍氏の意向に反対意見を述べた。
藤井氏は、89歳という年齢であるため、戦前の明治憲法(大日本帝国憲法)の理念を知っているという。
明治憲法では、軍人出身の大臣も保証していたため、結果として、閣僚に選ばれた軍人政治家たちが戦争への引き金を用意することになった。
新しい平和憲法においても、もし「自衛隊」の存在を表記してそれを揺るぎないものにすれば、軍人政治家的が台頭してきた場合、それを阻止する論理が成立しなくなる。
そういうロジックを排除する意味においても、憲法に「自衛隊」を明記する愚を避けた方がいい。
… というのが、藤井氏の意見であった。
私は、この藤井氏の論理に対し、今ひとつはっきりしたイメージを持てないのだが、自衛隊が憲法に表記されることによって、今まで以上のプレゼンスを持つことになれば、やがてその存在が政治にも影響力を持つだろうということは、感覚的にも分かる。
自民党のタカ派の人々が求めるものも、けっきょくそこに行きつくのだろう。
つまり、いつまでも「自衛隊を違憲だ」と放置するのではなく、憲法によってはっきり認められた “軍隊” として扱おうじゃないか、ということなのだ。
こういう自民党内右派の声を、岸田首相は無視できないだろう。
さらにいえば、このタカ派グループが主張する「対敵基地先制攻撃能力の確保」という主張も、岸田氏は踏襲していくことになるはずだ。
しかし、「対敵基地先制攻撃能力の確保」などという防衛方針は、もう技術的に無理だ。
それは北朝鮮がしきりに実験しているミサイルシステムの動きなどを見れば一目瞭然だろう。
もし、日本がそんな防衛戦略を立てれば、たちどころに全面戦争になる。
これに関しては、同じ与党内にいる公明党の山口那津男代表がはっきりと異を唱えている。
山口氏によると、
「敵基地攻撃能力というのは昭和31年に提起された古めかしい議論の立て方だ」と述べ、そういう愚を犯さないように、早くも自民党執行部を牽制した。
また、同党の山口氏は、自民党の安倍・菅政権が進めてきた原発推進運動にもクギを刺し、もう少し広い視野に立った “カーボンニュートラル” 戦略に言及している。
こういうように、同じ「政権与党」という立場を維持しながら、自民党と公明党はかなり主張が異なる。
このあたりを一緒くたにして議論してしまうと、「与党」全体を理解するときの理論が薄っぺらになる。
このように、自民党の岸田首相の政策は、非常に危うい。
特に、安保・外交に関しては、安倍元首相や高市政調会長という保守派の息のかかった政権運営にならざるを得ないので、「安倍・菅路線の延長」と野党が批判するのも当然と思える。
では、今回の選挙における野党の主張はどうなのか?
総じて、自民党の “危うさ” に引けを取らないくらいの危なっかしさが感じられる。
まず、「財源」の考え方が、どの野党もお粗末。
コロナ禍で苦しんだ人々に対し、給付金を与えたり、消費税を低減して生活の立て直しを図るという方針をどこの党も大きく掲げたが、その財源を確保する目途を立てた野党はひとつもない。
常識的に考えて、(限定的処置とはいえ、)消費税を5%に戻すとか、消費税そのものを廃止しようといいながら、10万円程度の給付金をばら撒くという主張は何を根拠にしているのか?
まさに狂気の沙汰としかいいようがない。
どこにその財源があるというのか?
「お金持ちから取ればいい」
というのが、共産党をはじめ、ほとんどの野党の基本戦略だ。
バカげた考え方だ。
「富裕層に課税して、それを財源にする」
という主張に、今どきの国民がどれほどの説得力を感じるだろうか。
確かに、今の日本は高度成長期を支えた膨大な中間層が没落し、富裕層と低所得層という二極分解が進んだ。
それを「格差社会」と名付けていいが、アメリカや中国のような、とてつもない大金持ちとホームレスぎりぎりのようなビンボー人という格差社会は、まだ成立していない。
だから、共産党や社民党がいうような、「富裕層や大企業からカネを取ればいい」という主張には、(現在のところは)説得力がない。
まず、富裕層や大企業と、一般的な中間層や中小企業との線引きはどこに置くのか?
日本は、個人の所得においても、企業の収益に関しても、そのピンとキリの間には、そうとう広範なグラデーションが形成されていて、明瞭な線引きの難しい国なのだ。
だから、「富裕層・大企業の資産を財源にする」という主張は、けっきょくは生活を守らなければならない中間層や中小企業の収益すら削り取っていくリスクを抱えることになる。
仮に、大企業に課税することが決まったとしたら、そういう企業が海外に拠点を移していくことだって十分に考えられる。
そうなれば、国内産業の空洞化が始まる。
そういった意味で、現在の野党の大多数が掲げる政策はお粗末きわまりないとしかいいようがない。
まず、「野党共闘」によって、仮に政権交代が生じたときに、いったいどういう政権が誕生するのか。
想像もできない。
もちろん、期待もできない。
むしろ、そら恐ろしい世の中が生まれてきそうに思える。
もうひとつ野党に言いたいことは、その言葉の貧しさだ。
自民党を批判することしかしゃべらない。
それも、余裕なく絶叫しているだけ。
こういう貧しい言葉の連鎖には、やがて有権者もそっぽを向くだろう。
なんで日本の与党も野党も、言葉の貧しさを克服できないのか。