アートと文藝のCafe

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砂糖の切ないほどの哀しさ

 

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  糖尿病を多少意識して、もう7~8年ほど、コーヒーや紅茶に砂糖を入れないで飲んでいる。


  といっても、甘いものが大好きなので、ブラックで飲んでいるわけではない。
  砂糖の代表品に頼っているわけだ。
  
  「低カロリー甘味料」
  というやつ。
  「1.8グラムで、砂糖の約 5グラムと同じ甘さ」
 とかいうのが謳い文句で、「カロリー摂取量を控えている方に最適」だという。

 

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  これを使いだしたとき、最初は「まずい」と思った。
  甘くはあっても “味わい” がないのである。

 

  脳のなかに「甘い/からい」を感じる神経があるとしたら、そこに擬似的な「甘さ情報」を送って、神経をねじ伏せるように、「な、甘いだろう? 甘いと思え!」と迫るような甘さなのである。

  
  しかし、慣れると、これが快感に変わった。
  “まがいもの砂糖” のえげつない刺激の方が、むしろ本物の砂糖よりも、よりナチュラルな感じに思えてくるようになったのだ。


  今ではこっちの方でないと満足しない。
  慣れとは、いかに恐ろしいものであるかということが分かる。
  

 
  では、本物の砂糖には、何を感じるようになったのか?
  
  この前、 “ニセ砂糖” が切れたので、コーヒーに久しぶりに本物の砂糖を入れて口に含んでみた。

 

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  何かが違う。
   
  どう言ったらいいのか ……
  
  「切ない」感じがしたのだ。
  
  つまり、砂糖がまだ貴重品だった時代に、人類がそれを口に含んだときのなんともいえない幸福感と、その砂糖が胃の奥に吸い込まれていった後の、「次は、いつ口に入るか分からない」といった諦めと未練のようなもの。
  そんな「切なさ」が想像できたのだ。

 
  
  この感覚は、もちろんすぐに浮かんだものではない。
  
  「この舌に残る感じって、何なんだろうなぁ
  と砂糖入りコーヒーを舌の上で転がしながら、ヒマに任せて、窓の外を見ていたときに浮かんできた感覚だ。

   
 舌に残る ……
 舌が、いつまでもそれを求めている ……
 舌がその味を “恋しい” と言っている ……
 
  これは、はっきりいって、低カロリー甘味料にはない感覚だ。
  長年かかって、人類の遺伝子の中に組み込まれたような感覚である。

 
   
  砂糖が日本にもたらされたのは、奈良時代だという。
  当時は輸入品としてしか手に入らない貴重品で、嗜好品としてではなく、医薬品として使われたとか。

 

  現代でも、「砂糖は脳の疲労を回復させる」といわれているから、その昔は「滋養強壮剤」みたいな扱いだったのかもしれない。
  

 
  いずれにせよ、古代社会では、砂糖はとてつもない貴重品として珍重された。

  それにありつけるのは、病気になったときとか、何かの祝い事のときだけで、しかも、その恩恵に浴することができたのは、豊かな生活を享受できる特権階級に限られていた。
  庶民がそれを口にするのは、現代では考えられないほど希少なことであったに違いない。
  

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  だから、砂糖は切なく、哀しい。
  めったにありつけない「幸福」を意味するからだ。
  口にした瞬間に溶けてしまうので、さらにいとおしい。

  
  そのため、砂糖の甘みは、しばしば「はかない幸福」の代名詞として使われた。


  「砂糖菓子」といえば、甘く愛らしい存在ながら、壊れやすいものを意味する。
  「砂糖のような雪」といえば、さらさらした美しい雪でありながら、すぐ溶けるもの という含みをもつ。
  


  昔を回顧するときに使われる「甘酸っぱい」という表現だって、失われたものを自覚した時の酸っぱさ、すなわち「はかない」という意味合いを持つ。
  


  砂糖は、そのように、人間に「はかなさ」や「哀しさ」を思い出させる嗜好品であったのだ。


  だから、近代文学はくりかえし、砂糖を「甘いけど壊れやすい」ものの比喩として扱った。

  さらに、それは「誘惑する者」の比喩となり、「甘いものには罠がある」という観念にまで昇華した。
  その習慣は、今でも「お前は甘い!」などという言い方として残っている。

   
  しかし、それほどまでに、つまり罪深いものを感じさせるほどに、砂糖の甘さは、人間にとって蠱惑的(こわくてき)なものだったのだ。
   

 
  現代の食生活は、その「砂糖」を悪者にして、遠ざけようとしている。
  糖分の摂り過ぎは、あらゆる面で健康を害するものとされる。
  
  砂糖から縁を切ろうとしている現代人は、健康を手に入れる代わりに、きっと、「はかなさ」や「哀しさ」や「罪深いほどの快楽」を感受する精神を失っていくことになるだろう。

  って、言い過ぎ?