アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

カンブリア紀に栄えた恐怖の大魔王

最大・最強生物アノマロカリス

 
 落ち込んでいるときは、古生物の話なんかにうつつを抜かしていると、癒される。
 
 昔、「肺血栓症」の様態が安定するまで、病院の入退院を繰り返したり、家に閉じこもって安静を保った時期があった。
 今のコロナ禍における「ステイホーム」と同じ状況を経験していたのだ。
 
 もともと独りでいる時間を耐えることは、それほど苦痛ではない。

 

 しかし、体が思うように動かないということとは別に、社会との接点を断ってしまうと、気力も一気に萎えることがある。

  
 そんなとき、何をしていたかというと、古生物の本などを読んで気を紛らわせていた。

 

 面白かったのは、カンブリア紀の奇妙な生き物たちの話。
 「古生物」というと、恐竜が一番人気だけど、それ以前の生き物たちも、よく調べてみるとなかなか面白い。
 
 とくに興味をもったのが、「アノマロカリス」という生き物。
 本を読んで知ったことだが、アノマロカリスというのは、「奇妙なエビ」という意味だという。
 

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アノマロカリスWikipediaより)
 


 確かに、イラストを見るとエビっぽい。
 が、この “エビ” は、今から5億年前のカンブリア紀においては、食物連鎖の頂点に立つ最大・最強の生物だったらしい。

 

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 この時代、生物の種類が突然増えた。
 専門家は、これを「カンブリア紀の爆発」という。
 特に、硬い殻(から)を持ったさまざまな生物が海中を埋め尽くすようになった。
  
 なぜ、このとき生物の多様化が進んだのかは、諸説ある。
 また、殻を持つ生物がなぜ生まれたかということに関しても、諸説ある。
  


 忘れてならないのは、この時代に、生物たちがいっせいに「眼」を持ったことだ。
 
 それまで、地球は霧に覆われた世界だったので、眼は不要だった。
 ところがカンブリア紀に入って太陽の光が増大し、その光りが霧を突き破って海中をも透過するようになった。

 

 生物たちは、その光に反応する器官を持つようになったのだ。
 それが「眼」だった。  


 眼を持つとは、一体どういうことなのだろうか?
 
 すべての生き物が、お互いの存在を確認し合うようになったことを意味する。
 そのとき、
 「あ、あいつは俺より小さいから食べてやれ」
  なんていう乱暴なヤツが現れてきて、海の中は一気に弱肉強食の世界になったと思われる。


 
 この時代、殻(から)を持つ生き物が現れたのは、そこで生じる戦いへの備えだったかもしれない。
 (それとは関係なく、偶然殻を持ったに過ぎないという学者もいる)
 
 で、殻を持った生物の代表的なものが、ちょっとゴキブリっぽい形をした三葉虫
 大きいものは60㎝~70㎝もあったといわれ、太古の海を生きる生物としては立派な体格の持ち主だった。
 

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三葉虫の化石 (Wikipediaより)
 
 が、そんな三葉虫族に容赦なく襲い掛かり、ガッツリ捕食していたのが、体調1mはあったと思われるアノマロカリス

 

 なにしろ、当時はこれより強い生物は他にいなかったらしく、ジュラ紀でいえばティラノザウルス。今のアフリカのサバンナでいえばライオンのように、「無敵の帝王」として振る舞っていたらしい。
 
 しかし、そんな最強生物の存在が知られるようになったのは、比較的最近 1980年代のことだという。
 
 というのは、その全体像を伝えるような化石がなかったからだ。
 アノマロカリスというのは、その捕食肢(ほしょくし)やら、口やら、胴として残された化石をパズルのように組み合わせることによって、ようやくその全貌が分かった生物だったのだ。

 
 最初に化石として発見されたのは、その捕食肢 つまりエサをバクっと押さえるための触手 つぅか、ハサミっていうのか、そこの部分だった。
 その形がエビに似ていた。

 

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 だから、最初の発見者は、それを大きな生物の捕食肢(ハサミ?)とは思わず、それ自体が単体のエビだと判断した。(アノマロカリス 奇妙なエビという命名はそこから生まれている)。
 
 捕食肢が “エビ” だと思われたのは仕方がなかった。
 その部分だけでも、10㎝ぐらいあったからだ。
 大きな生き物のいなかったカンブリア紀の海では、10㎝もあれば、立派な体躯を持つひとつの生き物だった。
 
 それとは別に、胴と口の化石も、それぞれ別個に発見された。
 しかし、これも捕食肢と同じように、最初は独立した生き物だと勘違いされた。
 胴はナマコの仲間に分類され、口はクラゲの仲間の扱いを受けた。
  


 しかし、一部の学者たちは、やがてその “エビ(捕食肢)” に疑問を感じるようになった。
 アノマロカリスの捕食肢はその後もたくさん発見されたが、奇妙なことに、どの化石にも消化管がない。
 つまり、食べた物を消化する機能を持たない生物ということになってしまう。

  
 そこで、「これはなんかもっと大きな生き物の “一部” ではないのか?」という推論が生まれ、そこからアノマロカリスの本格的研究が進むようになったという。
 
 こうして、別個の生き物だと思われていた捕食肢と、胴と、口が統合されたとき、学者たちは、その生物の巨大さ(といっても1mだが )と、その捕食行動を完璧にこなすための身体構造に舌を巻いたという。

 

 神ですらこのような完全無欠の捕食者を設計するのは難しい と思われるほどの恐ろしい生き物だったのだ。

 

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 だが、このカンブリア紀の帝王は、その後どうなったのか。
 それ以上のものに進化することもなく、いつのまにか姿を消したらしい。
 
 食物連鎖の頂点に立つ無敵の王者がなぜ滅んだのか。
 答えは闇の中。
 
 しかし、生物の歴史ではそのようなことが頻繁に起こる。
 そして、その多くは謎に包まれた長い年月を送ることになる。
 恐竜が絶滅した原因も、真相が知られるようになったのは比較的最近のことだ。

 

 いつかは、アノマロカリスが姿を消した理由も明るみに出るだろう。
 それがちょっと楽しみ。
 
 

 

村上春樹『女のいない男たち』

 コロナ禍で「ステイホーム」が浸透したせいか、書店の売上げが伸びたという。
   
 確かに、読書は、ある程度 “退屈な時間を持て余す” という気分に支えられるようなところがあるから、運動も外出も制限されたときのやるせない気分を紛らわせるには理想的な時間のつぶし方といえる。

 

 私も、長い入院を経験したことがあるから、読書に助けられたという記憶を持っている。

 

 4~5年ほど前、肺血栓症の手術を受けるために、1月、6月、7月、10月と、1年のうちに4回入院したことがあった。
 長いときは2ヶ月近い入院を経験した。
 じっくり本が読めた。

 

 2016年に入院したとき、病院の売店で、村上春樹の『女のいない男たち』を買った。

 

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 この年も、村上春樹ノーベル文学賞を授与されるかどうかが、巷の話題となっていた。 
 しかし、春樹ファンには残念なことに、ノーベル文学賞ボブ・ディランのもとに去った。

 

 私は、村上春樹の作品を適度に読んでいる方だと思うが、彼がノーベル文学賞に値するような作品を書いているのかどうかということに関しては、正直、よく分からない。

 

 私のイメージでは、村上春樹という人は世界の文芸史に名を残す “大文豪” というようなタイプではなく、本来は、少数のごくセンスのいいファンたちがこっそり評価し合うような作家に思えるのだ。
 
 そして、その方が、愛読者にとっては、かえって安心して「村上ファン」を名乗ることができるような気がする。

 

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 で、『女のいない男たち』。
 六つの短編で構成されている。
 
 そのどれもが、基本的に、女に振られたか、女に死なれたか、女に自分の思いをうまく伝えられなかった男たちの話になっている。
 
 
 村上春樹は、なぜそのような男たちを取り上げる気になったのか。

 

 もしかしたら彼は、これからは、男には恋愛が不可能な時代が来ると踏んだのではなかろうか。
 
 つまり、男の恋心を受け入れてくれる女性が次第に少なくなりつつあると感じたのだ。

 

 六つの短編において、主人公から去って行った女たちは、いずれも男と一緒に迎える “ハッピーエンド” を拒否する。

 

 女たちは、他の男と不倫するにせよ、自殺するにせよ、いつの間にか姿を消すにせよ、みな男が用意したハッピーエンドの<外>に歩み去っていく。

 

 そして、男たちは、女が去っていく理由も分からず、途方に暮れるか、いつまでも懊悩する。
 それは、そのまま現代社会の男女関係をぞっているように思える。
  
 
 なぜ、男たちにとって、これほど恋愛が難しい時代がやってきたのか。

 

 結論を先にいえば、それは現代社会が、「男の恋愛文化」を失ったからである。
 すなわち、恋愛からセンチメンタリズム(感傷的情緒)が失われたのだ。

 

 これまでの古典的な男の恋愛観は、すべて女に対する男の片思いやら女に振られたときのセンチメンタリズムをベースに構成されてきた。

 

 こういう言い方もできるだろうか。
 センチメンタリズムが保証されていたからこそ、男たちは孤独な片思いやら辛い失恋に耐えられたのだと。

 

▼ 愛する女が去っていく姿を見つめる主人公 映画『カサブランカ

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 つまり、それまでの男たちは、思いを遂げられない心の痛みをセンチメンタリズムで濾過(ろか)できたからこそ、傷をしのぐことができた。
 そして、「失恋に耐えた」経験が、その男の滋養となり、次の恋愛に向き合う覚悟を準備した。

 

 こうして、昭和の青年たちは、かろうじて恋愛対象と向き合うことができたのだ。

 

 しかし、そのようなセンチな男文化が生き延びられたのは、せいぜい昭和50代までではなかろうか。

 

 50年代の終わり頃は、男のセンチメンタリズムを強調した歌謡曲が、まさに最後の宴を謳歌するがごとく、歌謡曲のヒットチャートを席巻した。

 

 『ルビーの指輪』(寺尾聰
 『もしもピアノが弾けたなら』(西田敏行
 『みちのくひとり旅』(山本譲二
 『帰ってこいよ』(松村和子
 『スローなブギにしてくれ』(南佳孝
 『サチコ』(ニックニューサ)

 

 そのどれもが、恋を成就させることのできなかった男の自己憐憫を美化した歌である。

 

 1960年代から1970年代の半ば頃までの歌謡曲は、藤圭子の演歌に代表されるような、「騙された女/捨てられた女」の世界だった。

 

 しかし、1978年に杏里が『オリビアを聴きながら』を歌った頃から、男女の形勢が逆転し、80年代以降の歌謡曲は「泣く男」の世界となった。

 

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 いったい、そこで何が起こったのだろうか。

 

 高度成長からバブルに向かっての一時期、日本はつかの間の “一億総中流社会” を実現する。
 その時代に、男が会社勤めに出て、女が専業主婦として家事を切り盛りできるような社会が誕生した。

 

 専業主婦というのは、女性の「無報酬労働」である。
 つまり、女が無報酬で家事というシャドーワークに専念できるほど、日本の家庭は見かけ上の豊かさを維持することができたのだ。

 

 この余裕が、男のセンチメンタリズムを育てた。
 専業主婦たちは、会社勤めのような “社会” を経験せずに暮らせたから、男の身勝手な甘えの文化に無頓着でいられたのだ。

 

 しかし、共稼ぎの時代が訪れ、外で働き始めた女性たちは、次第に男のセンチメンタリズムが許容できなくなっていった。

 

 そのようなセンチメンタリズムは、男の自己完結的な自意識の産物だから、それ自体に生産性がない。
 当然、バブル崩壊後に生まれてきたせちがらい世の中は、そういう情緒性のはびこる文化を許さなくなっていった。

 

 1990年代になり、日本経済が津波に吞み込まれるように崩壊していくなかで、企業倒産が続出。男の安定した雇用が消滅していく過程で、男たちは、みな「女に振られた悲しさ」を歌や酒や旅でまぎらわすといった情緒的な方法で処理できなくなっていく。

 

 村上文学とは、こういう時代が始まる直前に登場した文学である。
 すなわち、男が女を失うときのセンチメンタリズムがまだ機能していた時代の最後の文学なのだ。

 

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 村上春樹が『風の歌を聴け』で群像新人賞を取ったのは1979年。 
 『1973年のピンボール』が芥川賞の候補になったのは1980年。
 つまり、村上春樹の初期作品は、日本社会が男のセンチメンタリズムを許容していたぎりぎりの年に生まれている。

 

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 それらの作品に登場する “僕” と呼ばれる主人公たちは、女の理不尽な行動にも取り乱すことなく、ただ「やれやれ」とつぶやいて耐えている。


 しかし、それは見かけ上の冷静さであって、彼らの本心を占めているのは女々しさである。

 

 その女々しさが、あまりにも洗練された筆致で処理されるために、センチメンタリズムの上澄みが浄化され、そこにドライでクールな空気感が生まれたのだ。
 それが、村上流 “喪失の文学” の正体である。

 

 そう考えると、村上文学の構造というのは、案外シンプルである。
 それほど奥行きのある世界ではない。
 ただ、そう思わせないテクニックを村上春樹は持っていた。
 それは、「肝心なことは描かない」というテクニックだ。

 

 彼の小説作法を解き明かした名著のひとつに、『若い読者のための短編小説案内』があるが、そのなかで、彼はこんなことを書いている。

 

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 「優れた作家はいちばん大事なことは書かないのです。優れたパーカッショニストがいちばん大事な音は叩かないのと同じように」
 
 まさに、これは、村上春樹の小説作法そのものを表現した言葉であり、彼の全作品がこの作法に則って作られているといっても過言ではない。

 

 この『女のいない男たち』においても、その手法は貫かれている。
 
 たとえば、『シェラザード』という短編では、施設に閉じ込められた主人公の男性のもとに、身の回りの世話をする女が一人通ってきて、冷蔵庫のなかに食材を詰め、退屈しのぎのために読む本を用意し、主人公を相手にルーティンワークのような情事をこなし、そのあと、ベッドに寝たまま魅惑的な話を披露して去っていく。
 主人公にとって、その女の話の続きを聞くことが一番の楽しみになる。

 

 しかし、ある日主人公は、その女性がもう姿を現わさないのではないかと予感に怯える。
 もちろん女性の言動からその兆候を読み取ったわけではない。あくまでも、予感にすぎない。

 

 でも、その予感は、主人公を茫洋と霧が立ち込めるような哀しさのなかに沈ませていく。
 
 そこで、この短編はすとんと終わる。
 けっきょく最後まで何も描かれない。

 

 主人公がどのような施設に閉じ込められているのかも語られず、彼がなぜそこから抜け出ようとしないのかも説明されず、主人公のもとを訪れる女性の正体も明かされない。

 

 実は、何も説明されないということが、ここでは “詩” になっているのだ。
 この短編には「情感」だけがあって、「ロジック」がない。
 つまり、物語自体が、壮大な “余韻” に包まれているのである。

 

 何もかもがはっきりと描かれないからこそ、切ない。
 村上春樹のセンチメンタリズムというのは、そういう形で提示される。

 私はそれをとても心地よいと思うけれど、この先、この村上春樹的センチメンタリズムがどこまで読者に通用するのか、それはまったく分からない。 

 

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 ただ、入院中の私は、この村上作品によってずいぶん癒された。
 1ページを読み終えるごとに、その余韻を噛みしめるように、病室の窓から見える青空を眺めた。
 
 村上春樹センチメンタリズムは、病室で独り取り残された老人の心にも寄り添ってくれた。
 

 

 

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「さらば愛しき女よ」

映画批評

映画「さらば愛しき女よ」のけだるく甘い切なさ
 

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 原題、『Farewell, My Lovely(フェアウェル・マイ・ラブリー)』。

 

 レイモンド・チャンドラーが1940年に書いた同名小説をディック・リチャーズ監督が1975年に映画化した洒落た作品である。

 

 ハードボイルド小説の代表的 “探偵” であるフィリップ・マーロウを、ハリウッドスターのロバート・ミッチャムが演じ、妖艶な悪女役をイギリス女優のシャーロット・ランプリングが演じた。

 

ロバート・ミッチャム

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シャーロット・ランプリング

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 この映画は、封切り当時に劇場で観たことがあった。
 それから50年経って、再びDVDで観る機会を得た。

 

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 50年前 つまり20代の “若造” では感じ取れなかった “洒落た大人の感覚” というものが、今回ようやく理解できた。
 
 「大人の感覚」とは何か?
 
 アンニュイ(物憂さ)である。
 
 映画の底に潜んでいる気怠い雰囲気。
 切なく、退廃的で、甘酸っぱい情緒。
 そんなものが、20代半ばの自分にはあまりピンと来なかった。
 それが “美的価値” であるという評価基準を、若い頃の自分は持ち合わせていなかったのだ。

 

 だが、今ではよく分かる。

 

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 たぶん、これは、恋人や女房と一緒に見る映画ではなく、一人で観る映画なんだろうと思う。
 
 仕事に絶望したり、女に振られたり、友だちに裏切られたりした夜なんかに、照明を落としたソファに座り、ウィスキーグラスを手にしながら、ぼんやりとテレビモニターの前にうずくまって観る映画だ。
 きっと、そんなときは、心の奥に澱んだ疲労が心地よいものに変わっていくとはずだ。

 


ため息が出そうな素敵なアンニュイ

 

 タイトルクレジットが浮かぶオープニングから、もうこの作品は、「切なく、退廃的で、甘酸っぱいアンニュイ」に満ちている。  
 まさにため息が出るような “けだるさ” だ。

  

▼ 『さらば愛しき女よ』 オープニングロール from YOU TUBE

youtu.be

 

 もの憂いメロディーのタイトル曲の向こうには、1940年代のロサンゼルスの夜景が広がる。
 なんとも、美しく、さびしく、とりとめもない空気に満ちた夜景。

 

 自動車のライトとネオンサインに彩られた都市風景というのは、1920~30年代にこの世にはじめて誕生した光景で、この映画の背景となった1940年代ともなると、それがより爛熟した美しさを獲得した時代であった。

 

 なのに、この光景は眠りの浅い夜に見る夢のように、はかなげだ。
 たぶんそこには、マーロウが暮らしたロサンゼルスという街の “いびつさ” があらわれている。 

 

 
世界で一番さびしい街「ロサンゼルス」

 

 ロサンゼルスは、モータリゼーションという文化をはじめて手に入れた人類の、壮大な実験都市である。
 つまり、この街は、ニューヨークやロンドン、アムステルダムなどといった「人間の歩く尺度(ヒューマンスケール)」で作られてはいない。

 

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 では、なんのスケールで構成されているかというと、「自動車のスケール」で作られている。

 

 だから、車に乗っている限りは、きわめて快適な街ではあるが、ひとたび車を降りると、なんとも空虚な、それこそ人間でいることの無力感にどっと襲われるような、索漠たる気分に包まれる街だ。

 

 人間の身体感覚を超えた、異質な原理に貫かれた街。
 この街の美しさというのは、人間の感じるリアリズムから外れているところに由来する。

 

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 オープニングロールが終わると、フィリップ・マーロウがそのロサンゼルスの夜景を見下ろしているカットにつながる。
 

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 彼の口から、こんなモノローグが流れる。

 

  「今年の春、はじめて疲れを感じ、年をとったと思った。
  たぶん、ロスの不快な気候やくだらない依頼のせいだ。
  なにしろ、行方不明の夫や妻を探し回る生活だ。
  ただ金のために。
  でも、それだけではなく、やはり年をとったせいかもしれない」

 

 最初から、もう “かったるさ” 全開である。

 

 この映画の撮影時にマーロウを演じるロバート・ミッチャムは58歳。
 原作では、このときのマーロウは38歳ぐらいに設定されている。

 

 年が合わない。
 その違和感を解消するために、映画では、
 「俺も年をとって疲れた」
 というモノローグを入れて、整合性をとろうとしたのだろう。 

  
 そんな疲労感たっぷりの主人公を唯一まぎらわせてくれるのが、野球選手ジョー・ディマジオの活躍だ。

 

 1941年。
 ニューヨーク・ヤンキースジョー・ディマジオは、56試合連続ヒットという途方もない記録を更新中だった。

 

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 彼の連続安打がいつまで続くのか。
 仕事に疲れたフィリップ・マーロウの関心事は、もうそれだけといってよかった。

 

 もちろん、このジョー・ディマジオのエピソードは、小説の原作にはない。
 映画化されたときに、脚本につけ加えられたものだ。
 
 しかし、この挿話は、これから始まる物語が「いつの時代の話なのか」ということを的確に解説している。
 さらにいえば、ディマジオの記録更新にしか興味を感じなくなった主人公の荒廃した精神風景をも説明している。 

  
 そういった意味で、この映画の脚本はチャンドラーの原作を忠実になぞっているわけではないのに、まさにチャンドラーの文体がそのまま映像になったような憎い作りになっている。

 

 
ハードボイルド作品はお洒落な会話が命  

 

 映画のなかで流れる会話もおしゃれだ。
 冒頭のフィリップ・マーロウの独白が終わると、彼は知り合いの警部に電話をかける。
 
 電話の相手はマーロウとは “腐れ縁” の仲といっていいナルティー警部補(写真下)である。
 そのナルティーが電話で呼び出されて、マーロウのいるホテルを尋ねてくる。

 

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 ナルティー自身は、マーロウに対して友情に近い感情を抱いているのだが、彼の部下の刑事は、マーロウのことを嫌っている。

 
 その刑事をパトカーの中に閉じ込めておくために、ナルティーは部下に向かって命令する。
 「ここで待ってろ」

 「いつまで?」
 と尋ねる部下。
 「警部補になるまでだ」
 ナルティーはそう言い捨てて、車を降りる。

 

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 続いて、彼はマーロウの泊っている部屋のドアをノックする。
 「誰だ?」
 と尋ねるマーロウ。


 「白雪姫だ」
 と答えるナルティー
 「こびとは?」
 と聞きながら、マーロウがドアを開ける。

 

 

 マーロウがいつも依頼される “くだらない仕事” の例として、ダンスホールで男あさりをする家出少女を保護するというエピソードが紹介される。
 少女をダンス会場から連れ出し、入口で待っていた両親に引き渡すマーロウ。
 
 そのマーロウに向かって、母親が25ドルの報酬と5ドルの経費をチップを付けて、渡そうとする。
 するとマーロウは、チップの方を断る。
 「チップを取るのはペットの捜索だけだ。犬猫は5ドル。象なら10ドル」 
  
  
 全編が、こんな調子の会話なのだ。
 マーロウをはじめとする登場人物たちは、すべてこういうジョークを仏頂面のまま、かったるそうにつぶやく。
 
 たぶんハードボイルド小説の空気感というのは、主人公たちが、洒落たジョークをつまらなそうに語るときに生まれるものなのだろう。
 この映画を観ていると、原作が持っているそういう匂いが伝わってくる。

 


センチメンタルなミステリー

 

 この映画を、ミステリー映画やサスペンス映画のように期待すると、きっと裏切られる。
 原作を読まなかった人でも、映画が進行するにつれて、今後の話がどう展開するのか、どういう連中が犯人なのか、およそ想像がつく。

 

 私はそれでいいと思う。 
 そもそもハードボイルド小説というのは、謎解きではない。
 特にチャンドラーの書くものは、情緒小説である。
 真犯人探しだけに終始するミステリでは味わえないセンチメンタルな哀感をたっぷり味わえばいいのだ。
 
 この映画も、原作の持つセンチメンタリズムを大事にしながら、泣ける展開で進んでいく。

 
 なにしろ、今回マーロウが引き受けた仕事の依頼人は、粗暴な性格と強靭な肉体を持ちながら、幼児のような純粋さを失わない男なのだ。

 

 男は “大鹿マロイ” と呼ばれる。
 マーロウの表現によると、「突如街中に “自由の女神” が現われたと感じるほどの大男」だ。

 

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 マロイ(上)は、「ベルマ」という名前を持つ美しい恋人のために、銀行強盗を働き、8年間刑務所で過ごした。


 しかし、最初の1年が経過する頃には刑務所に手紙も来なくなり、出所してみると、ベルマは失踪していた。

 

 「俺の可愛いベルマを探し出せ」
 というのが、マーロウが依頼された仕事である。
 
 多くの観客は、依頼を受けた段階で、大鹿マロイを待ち受けている悲しい結果が想像できてしまう。 

 

 ケンカだけはやたら強いマロイの致命傷は、赤子レベルのような粗雑な認識力だ。とても魅力的な女を長い間つなぎとめておくことなどできそうもない。
 だから、彼の気持ちが純粋であればあるほど、騙される男の悲劇が目に浮かんでくる。

 

 しかし、フィリップ・マーロウという探偵の不思議さは、相手がどんなに愚鈍であろうとも、依頼人に対しては誠実に、命を張ってまでも職務を遂行しようとする侠気を持ち合わせているところにある。

 

 マーロウは、マロイを殺そうとする謎の組織の銃撃の巻き添えを食いながら、かつ殺人犯としてマロイを追跡する警察の捜査から彼をかばいながら、次第に事件の核心に迫っていく。

 

 そのマーロウの前に立ちふさがるのが、シャーロット・ランプリング演じる魔性の女である。

 

 彼女は、ロサンゼルスの政界に大きな影響力を持つ大富豪の若奥様に収まりながら、旦那が部屋を覗いているのを知りつつも、平気でマーロウを誘惑するような大胆な生き方ができる女だ。

 

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 この女性の私生活が描かれることによって、次第に当時のロサンゼルスの上流階級の腐敗が暴き出されていく。

 

 そして、マーロウが、マロイの元恋人である「ベルマ」に迫ろうとすればするほど、それを邪魔だてする勢力の抵抗に遭い、「ベルマ」の居場所を知っていそうな関係者たちが、次々と殺されていく。

 

 
無邪気で愚鈍な男の悲劇
 
 結局、ハッピーエンドは訪れない。

 
 依頼人の大鹿マロイは、自分が元恋人のベルマに去られた理由を最後まで理解することができず、ようやく再開した最愛の恋人が自分に向けた銃口に、むしろ喜んで飛び込むように死んでいく。
   
 マーロウの手元には、悪の組織がマーロウを手なずけるために渡した2000ドルが残っていた。
 事件が解決したわけだから、マーロウが着服しても何も問題が残らない金なのだが、彼はそんな金を欲しいとは思わない。
  

 
 ラストシーン。
 彼は、遊戯センターの野球ゲームの前にうずくまるような格好で、所在なくゲーム盤のバットを振るっている。

 

 ジョー・ディマジオの連続安打記録は、このとき「平凡なピッチャーによって、あっけなく食い止められた」ことが、遊戯センターのベンチに置き去りにされた新聞で報じられている。
 
 「2000ドルの使いみちは、もう決まっていた」
 というモノローグとともに、マーロウは野球ゲーム盤を離れ、2000ドルをポケットに入れ直して、今回の事件に巻き込まれて殺されたバンドマンの母子が住んでいるホテルに向かって歩き出す。

 

 彼は手にした金を、貧しい母子に渡すことで、自分の心を清算しようとするのだ。


 裏さびれたホテルの玄関に消えゆくマーロウの背中に、エンドロールが流れ始める。

 

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物悲しいレトロ感

 

 全体を通じて印象に残るのは、やはり、物悲しいレトロ感をたたえた映像の数々だ。

 

 特に、街の風情が鮮やかだ。
 ここでは、男たちの物憂い表情以上に、くたびれた光をまき散らす街のネオンが主役だ。

 

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 1940年代のアメリカは、光り輝くネオン管に彩られた「太陽の沈まない国」を実現した。

 しかし、24時間人工の光に照らされることになった街は、人々から睡眠を奪うことになった。

 そのため、夜の街には、不眠症患者の不安を煽るような場所が至るところに、顔を覗かせることになる。

 

 それまで光の届かない闇というのは “何もないただの空間” に過ぎなかったが、ネオンライトが点滅する空間にまぎれ込んで来た闇には、“何か” が潜むようになる。
 人を誘惑するか、犯罪に引き込むような “何か” が。
  

 
 アメリカに生まれ、「新しい都市空間」のさびしさを描いた画家のエドワード・ホッパーは、このような “闇” を絵に残した。

 

エドワード・ホッパー『ナイト・ホークス』

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 ホッパーが描いた「ナイト・ホークス」(1942年)は、まさにフィリップ・マーロウが “くだらない仕事” をこなすために徘徊する1940年代のアメリカ風景そのものを表現している。

 

 明るく照らされたダイナース(簡易食堂)の外側に立ち込める絶対的な虚無を秘めた暗がり。
 都市に潜むこのような “闇” を、1940年代のアメリカ人ははじめて知ったのだ。
 そのことを、『さらば愛しき人よ』という小説とそれを映画化した本作は伝えてくる。

 

 
シルベスター・スタローンのデビュー作

 

 余談だが、この映画には、悪の組織に雇われたチンピラ運転手として、シルベスター・スタローンが登場している。


 後のハリウッド史上最強のアクションスターが、ここでは単なるチンピラ役しかもらえなかったというのが感慨深い。

 

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 彼がこの映画に出演していたことは、1975年当時に封切館で観たときには気づかなかった。

 

 当たり前かもしれない。
 スタローンがボクシング映画の『ロッキー』で世に知られるようになったのは、この『さらば愛しき人』が封切られた翌年の1976年になってからだ。

 

 しかし、この映画に登場した無名時代のスタローンは、いかにもイタリア・マフィア系のチンピラにいそうな「軽薄だがしたたかな男」という雰囲気を上手に伝えていた。

 
 端役であったが、このときすでに彼は、ハリウッドで頭角を現すためのオーラを身につけていたのかもしれない。

 

 
 

なぜいまだに“昭和的なるもの”が話題になるのか?

 平成が終わろうとしていたころ、「今の若者が昭和歌謡に夢中 」みたいな情報がマスコミに流れていたことがあった。

 

 そのころ、ふと思ったことがあった。
 そういう若者たちが、「昭和」という言葉からイメージしているものって、いったい何なのだろう?

 

 「令和」になっても、テレビのワイドショーなど観ていると、とかく「昭和」がキーワードとなることが多い。
 「平成」ではなく、必ず「昭和」なのだ。

 

 たとえば、散歩番組などを観ていると、レポーターが、
 「いやぁ、昭和チックな街並みですねぇ !」
 と表現したり、グルメ番組を取材するレポーターが、
 「まさに、昭和の味そのままのナポリタンです」
 とかいう。 

 

▼ 「昭和」の街並み

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 そういうときに、「昭和」という言葉を使う人たちは、いったいどんな風景、どんな風俗、どんな味を想像しているのだろうか。
 
 
すぐ浮かぶのは『三丁目の夕日』的映像

 

 一口に「昭和」といっても、その言葉があらわす時代は長い。
 「昭和」というのは、西暦でいうと1926年から1989年。
 63年の長きにわたり、その間に太平洋戦争がある。

 

 ただ、戦争に覆われた「昭和」を知っている人は、高齢者になってきているから、人口としては少なくなってきている。
 したがって、大多数の人が想像する「昭和」というのは、主に昭和30年代から60年代。
 西暦でいうと、1960年代から1980年代ぐらいではなかろうか。
 

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 昭和30年代といば、街中をオート3輪が走り、東京タワーの建設が始まり、家にぽつぽつと白黒のテレビが普及し始めた時代。まさに映画『三丁目の夕日』のような世界だった。


 それは、経済的にはまだ貧しかった東洋の島国が、経済立国を旗じるしに歩み始めた時代だった。

 

 しかし、昭和50年代になると、日本は諸外国から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと称される経済大国になる。世界をリードする経済力を背景に、大都市を中心にバブル文化が花開いた。

 

 どちらの時代においても、「昭和」のキーワードは「成長」と「繁栄」という言葉に集約される。
 つまり、「高度成長」と「バブル」という二つの膨張期を抱えたのが昭和という時代なのだ。

 

 デフレ一色に覆われた平成期に「昭和再評価」が生まれてきた背景には、この「膨張した日本」に対するノスタルジーがあったはずだ。
  

 
 
モノが増えていくことを確認するのが
「昭和」だった
 
 昭和25年(1950年)生まれの私の個人史に、この「昭和」という時代を重ね合わせてみると、私は「高度成長」と「バブル」という二つの膨張期をリアルタイムで体験している。

 

 高度成長期がスタートしたといわれる昭和29年(1954年)。
 私は4歳だった。


 翌年から神武景気と呼ばれる好況期がやってきて、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビという三つの家電が家庭にそろうことが「最高の幸せ」といわれるようになった。
 もちろん、当時の私の家にはそのどれもなかった。

 

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 昭和32年(1957年)、ようやくわが家に白黒テレビがやってくる。
 そのテレビで「名犬ラッシー」、「パパは何でも知っている」などのアメリカ製ホームドラマや「月光仮面」、「まぼろし探偵」といった(今でいうコスチュームヒーローもの)を見るようになる。

 

 翌年、隣の家が、登場したばかりのスバル360を買い、それを自慢げに運転する姿を見て、自家用車を持つ家庭というものが近所に出現したことに驚いたものだった。

 

スバル360

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 昭和39年(1964年)、中学2年生だった私は、ビートルズのファンだという友人の家に遊びに行き、ラジオでしか聞いたことのなかったビートルズをはじめてステレオで聞いた。

 

 レコードはモノラルだったが、左右のスピーカーから流れてくる音量の豊かさに圧倒された。
 「俺もステレオが欲しい」と思いつつ、受験のためしばらく我慢し、高校に入ってようやく親に買ってもらった。

 

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 こういうように、私から見た「高度成長期」というのは、自分の家や周りの家に「モノ」が増えていく時代といえた。


 そのモノを本当に欲しいのかどうかは別にして、とにかく「お隣が買ったのだから、うちも買う」というのが、物を購入する最大の動機となった。
  


  
高度成長期の人々の感性
 
 おそらく、こうして多くの “中間層” がこの時代に生まれていったのだ。
 つまり、高度成長期の「昭和」というのは、大量生産されたものを大量消費することによって、膨大な中流家庭が生まれていった時代だった。
  
 同じものを買って消費するのだから、商品を買ったときの感動も、それを消費するときの満足感もだいたい似たり寄ったりになる。
 
 ということは、人々の生活感覚や人生観もステレオタイプ化されたことを意味する。

 

 ただ、それを当時「個性の喪失」などと考える人はほとんどいなかった。
 むしろ、階層アップして、周りの人と同じ価値観を共有することが、ひとつの喜びとなった。

 

 そこには、少しずつ生活をステップアップさせていく人々同士の連帯感があった。
 それを、今風に「人との絆」という言葉で言い表してもいいのかもしれない。

 

 たぶん、平成を生きた人々が「昭和」という言葉に温かいイメージを感じるとしたら、それは “昭和の人間” がお互いに維持していた「絆」の強さからくるものであろう。

 

 イメージとしては、“フーテンの寅さん” がときどき帰ってくる柴又に生きるオジサン、オバサンの世界といってもいい。

 

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 この昭和的な「人と人との絆」は、テレビドラマでもノスタルジックに反復されており、池井戸潤氏の小説をドラマ化したものなどは、みなこの路線に沿っている。

 

▼ ドラマ「下町ロケット

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 つまり、最初に、利害の異なる人々の敵対関係が示される。
 次に、主人公の夢や情熱に共感する協力者が現れる。
 (この場合の主人公は、たいてい時代に乗り遅れそうになった中小企業事業者だ)
 
 やがて、主人公が一つのプロジェクトを立ち上げ、協力者たちの力を結集して、圧倒的な力を持つ敵対者にコンペティションを挑む。

 

 最後は、主人公と協力者たちの信頼関係が実を結び、主人公側が勝利を収めて、「絆の勝利」という美談に収束する。
 『下町ロケット』や『陸王』などに登場する人々のメンタリティーは、基本的にこういう高度成長期の精神モードがベースとなっている。

 

 まさに、この昭和的な人間の絆が、ドライな企業経営者が増えた平成の人たちを泣かせてきたわけだ。

 

▼ ドラマ「陸王

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バブル文化は「昭和」が格差社会
向かったことを示すもの

 
 高度成長期のあとに、日本はもう一回 “膨張期” を迎える。
 それが「バブル」である。
 
 バブルという言葉は、「泡のように実体のない好景気」という意味で使われているが、その渦中にいるときは、誰もそんな言葉を知らなかった。

 

 やがて、狂乱的な好景気が突如終焉し、企業倒産やリストラの嵐が吹き荒れるようになってから、「あの好景気はバブルだったのか 」という形で語られることになった。

 

 バブルのスタートは、昭和61年(1986年)だとされている。
 「昭和」は63年(1988年)で幕を閉じるから、バブル期といわれる「昭和」はわずか3年でしかない。

 

 しかし、その3年間はあまりにも強烈で、後に「昭和」 = 「バブル」というイメージを日本人の心に植え付けることになった。

 

 バブルスタートの昭和61年。
 私は、大手自動車メーカーのPR誌を編集する仕事の11年目を迎えており、そのメーカーが制作するCMの裏話などを取材するために、CMに出演するタレントや文化人のインタビューをまとめることがメインの仕事になっていた。

 

 CM制作の裏話の取材だから、それを企画した大手広告代理店の担当者やクライアントの広報マンたちと顔を突き合わせることになる。

 

 みな見事なファッションに身を包んでいた。
 広告代理店の担当者たちは、男はアルマーニなどの細身のスーツに身を包み、ヴィトンのセカンドバッグを小脇に抱え、きれいに整えた細身のヒゲを鼻の下に蓄えていた。

 

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 女性たちは、これまた「ジュリアナ東京」のお立ち台で踊っているような肩パッドの張ったボディコンスーツで身を整え、バリバリのキャリアウーマンの色気を漂わせていた。

 

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 みなカッコよかった。
 打ち合わせた後に、CMに出演したタレントや俳優、文化人と実際に会うことになるのだが、タレントや俳優よりも、周りを固めたスタッフたちのほうがはるかにカッコいいということも多かった。
  
 しかし、彼らのファッションには「個性」というものがまったくなかった。
 つまり、この時代から、「カッコいい」ということは無個性を意味するようになっていたのだ。
  
  


「差別化」という言葉に潜む「非個性化」

 
 この時代、広告制作のコンセプトを練り上げるスタッフたちは、「差別化」という言葉をよく使った。


 類似商品が乱立するなかで、いかに今回打ち出す商品の個性を際立たせるか。
 それが、広告制作のキーとなった。

 

 しかし、その「差別化」を訴えるバブル期のモテ男・モテ女たちのファッションは、逆にブランド品の呪縛にとらわれ過ぎて、結果的に無個性になってしまうところがあった。
  
 高度成長期においては、誰もが同じモノを持つことで安心感を共有する人が多かったが、バブル期の人々は「人と違う個性」を発揮しようとして、結果的に同一性のワナにハマったのだ。
 
 それは、たぶんバブル期が、実は格差社会が広がりつつある時代だったからだと思う。
 
 「個性を追求する」
 という標語がメディアに踊るようになったのは、高度成長期に形成された膨大な中流層が崩れ始めたことを意味する。

 

 実際は、その頃、「個性化」とか「多様化」という美辞のもとに、モノを買える層と買えない層の分断化が図られたといっていい。


 
 だから、モノを買える消費者であることをアピールするには、自分がセレブであることを周りに知らせる “記号” が必要となった。

 

 記号として認知してもらうには、誰が見てもそれと分かる同一性が保証されなければならない。

 

 その記号が、“ブランド” であった。
 だから、ブランドブームは格差社会を背景にして登場したブームであった。
 

 
 昭和50年代末期、渡辺和博が発表した『金魂巻』(1984年)では、金持ちを「まる金」、ビンボー人を「まるビ」と峻別することによって多くの読者を笑わせたが、それはまさに格差社会の到来を予告した現象だった。

 

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 ブランド消費の世界では、「個人消費こそが自己実現につながる」というキャンペーンが張られ、衣服においてはアルマーニヴェルサーチ、コムデギャルソン、小物ではヴィトン、エルメス、車ではシーマといったブランド商品がマーケットの先端を飾るようになった。

 

 そういう傾向を促進する文化として、西武百貨店のCMや松任谷由美のニューミュージックなどが総動員された。
 

 
西武百貨店のCM「おいしい生活

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 こういうバブル文化の特徴を、一言でいえば「表層的」という言葉に集約される。
 「バブル(泡)」とは言い得て妙で、まさに中身のないことをいう。

 

 バブル商品の多くがブランド化を図っていったということは、逆にいえば、実体の伴わないプアな商品でも、ブランドという “表層” で粉飾すれば売れる時代が到来したことを意味する。
 
  


消費構造の最先端を行ったバブル文化
 


 こういう中身のないブランド戦略を盛り上げるために、メディアもこぞって協力し、ブランド品を消費するシチュエーションやロケーションを用意した。

 すなわち、
 「船上から眺める東京湾」、
 「大都会の夜景を見下ろすレストラン」、
 「ウォーターフロントの倉庫街にたたずむタンゴカフェ」。

 

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 そんなシチュエーションに身を置いてキラキラ輝く一夜を享受する若者たちの姿が、テレビのワイドショーやトレンディドラマ、ファッション誌を彩るようになった。

 

 今日、「平成」から「令和」に生きた人々が、「昭和」という言葉から受けるバブリーなイメージというのは、この昭和の最後を飾ったバブル文化に由来する。
 
 

 
昭和期の「高度成長」と「バブル」の相克が
平成ドラマを生む
 
 以上、高度成長期の人々のメンタリティーと、バブル時代の人々のメンタリティーを比べてみたが、平成後の人々が抱く「昭和」のイメージには、この両方が重なっている。

 

 つまり、暑苦しくって野暮ったい高度成長期と、スマートで軽佻浮薄なバブル期の二つが混在しているわけだ。

 

 そして、この二つの「昭和」が混ざり合って、ドラマなどでせめぎ合うことがある。
 池井戸潤氏の描くドラマ、『半沢直樹』、『下町ロケット』、『陸王』などは、まさに「高度成長」と「バブル」の相克を描いたドラマと見なすこともできる。

 

 企業家の情熱や意欲などには目を背け、スマートに資金を回収して利益を確保しようとする銀行や大手企業。

 

 そういう勢力がバブル人のメンタリティーを代表するならば、それと戦い、社員同士が助け合って自分たちのプロジェクトを貫こうとする中小企業の人々は、まさに “汗と涙” の「高度成長期」のメンタリティーを代表している。

  
 高度成長期のメンタリティーが現代の視聴者の目頭を熱くするとすれば、それは、そういう時代はもう戻らないというノスタルジーの成せるワザであるともいえる。 

 

▼ ドラマ「陸王

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▼ 関連記事「コスパ思想で始まり、そして終わった平成」 

 

 

 

『資本論』は優れたエンターテイメントである

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 ここのところ、「資本主義」をテーマにしたブログ記事をやたら書いている。
 
 新型コロナウイルスによって、各国の経済活動が “鎖国状態” に入り、グローバル資本主義に急ブレーキがかかったように見えてきたからだ。

 

 そういう状況下では、法政大学の水野和夫教授の言うように、
 「新型コロナウイルスは、16世紀以来世界に広がってきたグローバル資本主義というシステムを終焉させるかもしれない」(朝日新聞 2020年5月9日号)
 というような指摘が好奇心を刺激してくる。
  
  
 もともと、「資本主義」というテーマに、自分は昔から興味を抱いていた。
 それが、単なる経済システムの問題ではなく、ときに哲学を問う問題であったり、文学を左右する問題であったり、アートや宗教に関わる問題であったりするからだ。

 

 そういう意識を持つようになったのは、一冊の本が影響している。
 柄谷行人(からたに・こうじん)氏が書いた『マルクスその可能性の中心』である。

 

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 本書の初版が講談社から出たのは、1978年。
 28歳だった私は、社会人3年目にして与えられた雑誌の主幹的なポジションをこなすのに忙しく、思想書や文学書などに目を通す時間もなかった。


 だから、『マルクスその可能性の中心』などという本の存在に気づくこともなく、柄谷行人という著者など知るよしもなかった。

 

 しかし、1983年頃だったか、浅田彰氏の『構造と力』という本が大ヒットし、世に “ニューアカデミズム” ブームが到来したとき、好奇心に駆られて、“ニューアカ文化人” の書籍を読みあさるようになった。

 

 ブームの火付け役であった浅田彰のほか、中沢新一岸田秀上野千鶴子などの書物を片っ端から読んだ。
 その中の一冊に、柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』があった。

 

 一言でいうと、この本には、他のニューアカ文化人の書いたものとは比べ物にならないほどの “手応え” があった。

 

 「あ、資本主義って面白い!」
 読みながら、おもわず何度もそうつぶやいた。

 

 この時代、「資本主義を読み解く」というのが、一つのブームで、浅田彰の『構造と力』、中沢新一の『チベットモーツァルト』などはその路線を売り物にした書籍だった。

 

 当時は、そういう若い研究者たちのレトリックの斬新さやボキャブラリーの独創性に度肝を抜かれたが、結果的にいうと、彼らの “新しい文体” が古色蒼然としたものになっていくのには、それほどの時間を要しなかった。(いまは読んでいる自分が赤面してしまう)

 

 けっきょく、今も耐えうる格調を持っているのは、柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』だけといっていい。

 

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 同書は、マルクスの『資本論』を論じた本である。
 『資本論』というと、一般的には、経済学の専門書のように思われがちだが、柄谷氏は、この書を「文学批評」として書いたという。

 

 実際、氏は文芸評論というフィールドでデビューした物書きであり、『マルクスその可能性の中心』という論考も、文芸雑誌の『群像』に連載されていた原稿をまとめたものである。

 

 私がこれを読み始めた頃は、「思想家としてのマルクスは時代遅れだ」という論調が左翼陣営からもたくさん流れていた。
 
 特に、1972年の「連合赤軍」による仲間のリンチ殺人事件が明るみに出ることによって、世間は、革命運動の理論的支柱であった「マルクス主義」の誤謬が露呈したという評価を下した。

 

 日本の新左翼運動の崩壊と、マルクス主義とはまったくの別物と考えなければならないのに、“過激派” の恐怖におびえた世間は「マルクス主義」を葬り去ることによって、安心したかったのだ。 

 

 柄谷氏は、むしろそういう時代になってから、あらためて、マルクスを本気になって読み始めたという。

 それは、この本のタイトルにあるように、マルクスという思想家の “可能性の中心” をもう一度とらえ直そうという真摯な気持ちから来たものである。

 

 同書を読み始めてすぐ、私は、この本の文章の進め方に魅せられた。

 

 序章で、柄谷氏はこう書く。

 「マルクスを知るには、『資本論』を熟読すればよい。しかし、ひとは、史的唯物論とか弁証法唯物論といった外在的なイデオロギーを通して、ただそれを確認するために『資本論』を読む。それでは読んだことにならない」

 

 確かに、私もまた、『資本論』というのはマルクス主義イデオロギーのかたまりのようなものだという先入観を抱いていた。

 

 だが、柄谷氏は、『資本論』というテキストを、それまでの研究家が、イデオロギーとして確認するための文献から、“謎解き” に満ちた刺激的な文学として再構成したのだ。 

 

 彼はいう。

 「マルクスは、商品のことを一見したところでは自明で平凡な物のように見えるという。
 しかし、商品というものをしっかり分析してみると、それは形而上学的な繊細さと神学的な意地悪さに満ちた、きわめて奇怪なものであることが分かってくる。
 こういうように語れるマルクスの眼は、もはや経済学者の眼ではない。
 『資本論』という作品が卓越しているのは、それが資本制生産の秘密を暴露しているからではなく、この『商品』という “きわめて奇怪な” 性質に対するマルクスの驚きにある」

 

 こう記述する柄谷氏の視点そのものが、すでに “文学” になっている。
 つまり、マルクスの見た「商品」は、人間の意志を超えて動きだし、人間を拘束する一つの観念形態(幻想)である、というのだ。

 

 マルクスの “可能性” を見つけた柄谷氏の知的興奮が、そういう記述からも溢れだしてくる。

 

 柄谷氏によると、マルクスは(他の経済学者たちよりもはるかに)貨幣形態の謎に魅せられた思想家であるらしい。 

 

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 貨幣のはらむ最大の謎は、いくら人間が考えても、貨幣の起源を解き明かす秘密にたどり着けないことだという。

 

 それは、「貨幣」と「商品」が、なぜ等価交換という関係を保ちうるのかという問いにつながっていく。

 

 アダム・スミスリカードという古典経済学者たちは、「貨幣」と「商品」が等価交換を成立させるときというのは、その「商品」を製作する人間の労働力と、「貨幣」の保有する価値が見合ったときだという。


 つまり、「貨幣」と「商品」という二つの異質のものが等価になるのは、そこに含まれる人間的労働が等価だからだというわけだ。

 

 しかし、マルクスはそういう考えを否定する。
 「人間はみな等しい」という考えは、絶対的な真理として最初からあるものではなく、むしろ貨幣経済の拡大のなかであらわれてくるものだという。

 

 つまり、ここでは、貨幣というものが、人間の経済をサポートする道具などというものではなく、「人間そのものを規定する」得体のしれない奇怪さを持ったものであることが示唆されている。

 

 いやぁ、まぁ、ほんとうにスリリングな展開である。
 このような『資本論』の叙述のスタイルには、エンターテイメント的なワクワク感がある。

 
 もちろん、そこには、『資本論』を論じる柄谷氏の目線の配り方が大きく作用している。
 しかし、やはり、マルクス自身のペンの力に負うものも大きい。

 

 柄谷氏にいわせると、マルクスはそうとうな読書家で、哲学や経済学、社会学政治学はもとより、文学にも精通していたらしい。

 

 氏によると、マルクスは、シェークスピアをよく読んでいたという。
 だから、『資本論』はシェークスピアの引用だらけだとも。(『定本 柄谷行人文学論集』収録の編集者との対談 2016年)

 

 つまり、『資本論』自体が、まばゆりばかりの文学的修辞に満ちたエンターテイメントなのである。

 

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マルクスエンゲルスの若き日の活躍を描いた映画。2017年制作


 『資本論』ファンにとって、有名なフレーズとして、次のようなものがある。

 

 <資本は流通において発生しなければならぬと同時に、流通において発生してはならない。…… 幼虫から成虫への彼(資本)の発展は、流通部面で行われねばならず、しかも流通部面で行われてはならぬ。
 以上が問題の与件である。
 ここがロードス島だ、ここで跳べ !>

 

 二律背反に満ちた謎のフレーズを無造作に読者に投げ出し、最後は、「ここがロードス島だ、ここで跳べ !」と突き放す。

 

 この展開にしびれた『資本論』ファンは多い。

 

 「ここがロードス島だ、ここで跳べ!」
 というのは、人間にある種の覚悟を迫る言葉として、『イソップ寓話集』から引用されたものである。

 

 マルクスだけでなく、ヘーゲルも『法の哲学』で引用しており、いわば、「発想の転換」がなければ解決しない難問に挑むときの西洋哲学の決まり文句だ。

 

 柄谷氏は、後のヴィトゲンシュタイン哲学を論じる『探求』でも、このフレーズを引用し、さらに深化させ、「暗闇の中での跳躍」という言葉を創造している。

 

 「跳躍」とは、人間の思考が次のフェーズに向かうときの決意と覚悟を示す言葉でもある。
 こういう言葉を柄谷氏が使うとき、おそらく氏自身も着地点の定かならぬ暗闇に向かって跳躍している。

 

 その “向こう見ずな” 決意が、氏のすべての思索の原点にある。
 だから、彼のすべての著作には、跳んだ先の地平がどうなっているのか知りたくなるようなスリルがある。
 その原点は、このマルクスの “ロードス島での跳躍” にあるといっていい。

 

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 マルクスの『資本論』がすでに古典になったように、それを論じた『マルクスその可能性の中心』も、50年近い歳月が過ぎ、もう古典になりつつある。

 

 だが、「古典になる」ということは、「普遍性を持つ」ということの同義語でもある。
 時の流れに洗われ、いちばん核となるものが濾過されて残り、永遠の生命を持ったものが「古典」と呼ばれる。

 

 だから、逆説的にいうと、「古典は常に時代の先端に位置する」という言い方も可能だ。

 

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 最後に、『マルクスその可能性の中心』というタイトルに、柄谷氏が何を託したのかを語っておく。

 

 「すべて著作家は一つの言語・論理のなかで書く以上、それに固有の体系を持つ。
 しかし、ある作家の豊かさは、著作家が意識的に支配している体系そのものにおいて、なにか彼が『支配していない』体系を持つことにある。
 私(柄谷)にとって、マルクスを『読む』ことは、『資本論』のなかで、『まだ思惟されていないもの』を読むことなのだ。
 マルクスをその可能性の中心において読むとはそういうことにほからない」

 

資本主義は「煩悩」を全面開花させる

書評
水野和夫 著 『資本主義がわかる本棚』

 

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 いま我々が暮らしている社会は、「資本主義社会」と呼ばれる社会である。
 それがどんな社会かというと、「煩悩(ぼんのう)」をかぎりなく肯定していく社会といっていい。

 

 「煩悩」とは仏教用語で、「人の苦の原因となるもの」(Wikipedia)とされ、「人間の心をかき乱す妄念や欲望のこと」と説明されている。

 

 そんなマイナス要素の強い「煩悩」を全面的に肯定し、人間の妄念や欲望をかぎりなく解放していくことが、資本主義の目指すところなのである。

 

 だから、人間の物質的・心理的欲望が消えてしまうと、資本主義は成り立たなくなる。
 そのため資本主義は、絶えず人間に向かって、「欲望を持とうよ、快楽に溺れようよ」とささやきかける。


 まことに、「資本主義(capitalism)」は罪深い “主義(ism)” である。

 

 いや、正確にいうと、「主義(イズム)」なんかではない。
 「経済システム」という表現がより適切かもしれない。

 

 しかし、だからといって資本主義は、単なる “システム” なんかに収まり切るような行儀の良いものではない。
 それは、システムそのものを食い破って盲目的に自己増殖していく、モンスターのような運動体といっていい。
  
  
資本主義は、「経済」だけを勉強しても解らない
 
 このような資本主義の奇妙な「運動」に最初に興味を抱いたのはマルクスであった。
 彼は資本主義の構造に “謎めいた不思議さ” を感じ、その神秘性を解き明かすための古典的名著、『資本論』をこの世に残した。


▼ カール・マルクス

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 また、資本主義を支える人間の精神には、キリスト教のプロテスタンティシズムの倫理観が反映されていると唱えたドイツの社会学マックス・ウェーバーの名も忘れることはできないだろう。

 

 マルクスウェーバーは、すでに資本主義が単なる「経済」の問題ではなく、哲学、宗教学、社会学といった広い意味での “人間学” が関わってくる問題であることを見抜いていた。

 

 しかし、資本主義の不思議な面白さに気づいたのは、マルクスウェーバーだけではなかった。

 

 フェルナン・ブローデルカール・シュミットウォーラーステインスーザン・ソンタグ、トマ・ピケティ、山本義隆宇沢弘文など、経済学の分野に留まらず、人文学の領域を幅広く逍遥する「知の巨人」たちが、みな一様に資本主義の謎を解くことに好奇心を抱いたのだ。
 
 そのような資本主義の核心に挑んだ人たちの書籍を集め、それらを書評する形で きわめて簡潔明瞭に資本主義の本質を解き明かしたのが、水野和夫氏の『資本主義がわかる本棚』(日経プレミアシリーズ)である。


▼ 『資本主義がわかる本棚』

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 書名に “本棚” という言葉があるとおり、この本は、「資本主義」を考察するための参考書がずらりと並んだ “目録” のようなものだといっていい。

 

 これが、とにかく面白い。
 “資本主義論” というと、誰もが経済をテーマにした書籍だと思うだろうが、水野氏の関心は、いつも経済の範囲に収まらない。


 この本の序文では、次のようなことが書かれている。

 

 「(資本主義を考えるための)本をたくさん読むと、ある時、ふと点と点が結びついて線になるのが見えてくる。
 そして、線と線が結びつくと、やがてそれが立体形となる。
 そこに至るまでには、経済書だけを読んでいても無理である。文学、社会学、哲学、宗教、科学史など幅広いジャンルの本を読む必要がある。
 こうした(さまざまな)本の著者たちは、常に『人間とは何か?』を探求している。
 人間は、経済学が想定しているように、健全な精神を持って合理的に行動するとはかぎらない。むしろ、人間の住む世界は『病院』にも似ている。実際に、(企業を合理的に運営しているはずの)グローバル企業のトップといわれる人ほど、どこか精神を病んでいることがある」

 

 この本の冒頭に掲げられた以上の文章から分かるように、本書は資本主義が現在抱えている “病理” にメスを入れた本である。
 
 
 では、資本主義は、いったいどのようにして生まれてきたのか。
 また、なぜそれが病んでしまったのか。

 

 この本が問題にしているのは、
 「資本主義はどこから来たのか? 資本主義とは何者か? 資本主義はどこへ行くのか?」
 という謎である。

 

ゴーギャン 『われわれはどこから来たのか? われわれは何者か? われわれはどこへ行くのか?』

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いつから資本主義は始まったのか? 

 

 まず、「資本主義はどこから来たのか?」という問を掘り起こす例の一つとして、水野和夫氏は、大黒俊二・著『嘘と貪欲』という本を挙げる。

 

 「これまでは、資本主義の誕生は17世紀のオランダ東インド会社設立、あるいは産業革命が契機だといわれたが、13世紀にはすでに今の資本の概念が生まれ、“資本論” が存在していたことが1970年代になって明らかになった。
 (それが)オリーヴィー(1248~1298年)が構築した13世紀の “資本論” であり、(それによって)中世経済思想の見方は一変した」(大黒俊二『嘘と貪欲』)
  のだそうだ。

 

 ここで言われていることは何かというと、13世紀に、時の宗教的権威の頂点に立っていたローマ教会が、ついに金銭の貸し借りに付随する「利子」を認めたということなのである。

 

 それまで、「利子」というのは、正当な報酬に収まり切らない奇妙なおカネとされ、それがゆえに、「不浄なもの」として忌み嫌われていた。

 

 しかし、貨幣経済が普及し、遠隔地貿易も発達してくると、リスク回避の保証やら商行為のモチベーションを高めるために、ついにローマ教会ですら「利子」を認めざるを得なくなってきた。

 

 要するに、13世紀の西欧世界で、「儲けることは良いことだ」という新しい “道徳” が生まれたのだ。
 「資本の概念は、この時点で、『嘘と貪欲』から『必要と有益』へと変わった」というわけだ。

 

 この『嘘と貪欲』という本を書いた大黒俊二氏は、それをもって、「資本主義的な思考が準備された」といっているらしい。
 
 

 
「近代」とは「資本主義の時代」をいう

 

 「資本主義」は、西欧における「近代」の誕生とともに始まったというのが一般的な見方であるが、では時代区分としての「近代」が西暦何年頃に始まったのかというと、それを判断する人の歴史観がそれぞれ反映されるため、諸説並び立つことになる。
 
 しかし、『世界の見方の転換』という本を書いた山本義隆(元・東大全共闘議長)氏によると、
 「コペルニクスの『回転論』の出版(1543年)をもって、近代の始まりと見なしうる」
 ということになるようだ。

 

コペルニクス

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 コペルニクス(1473年~1543年)は、ポーランド出身の天文学者
 彼は、当時の天文学上の “常識” とされていた「天動説」(地球の周りを太陽が回っているという説)に対し、「地動説」(地球の方が太陽の周りを回っているという説)を唱えた学者として知られる。
 

 
 
コペルニクスが準備した近代的思考

 

 この「地動説」が、なんで “近代の幕開け” を用意したのか?

 

 コペルニクスが「地動説」を唱える前、当時の天文学では、「動かない地球の周りを、太陽や月、星といった惑星が回っている」と考えられてきた。
 
 このような認識は、人々に次のようなイメージを植え付けてきた。

 

 すなわち、世界は、「神様が住んでいる聖なる天上世界」と、その下に広がっている「人間の住む賤しい地上世界」に分かれている。

 

 コペルニクス以前のヨーロッパ人は、庶民もインテリ階級も等しく、世界はこのように二つの異なる “領域” に分かれていると思い込んでいたわけだ。

 

 だが、コペルニクスは、
 「みんなが思っているのとは逆に、地球は “固定された大地” ではなく、月や星と同じように、太陽の周りを回っている星の一つに過ぎない」
 と言い始めた。

 

 これによって、何が起こったのか?

 

 天空に存在する “高貴な太陽” と、地上に存在する “賤しい地球” という中世的な二元論が崩壊し、天と地がベタにつながる “のっぺりとした均一空間” が誕生したのである。

 

 この「のっぺりした均一空間」は、計量可能な空間として意識されるようになった。 
 
 資本主義的な思考というのは、世界を計量化して把握するという視点がなければ成立しない。


 つまり、コペルニクス的な世界観が普及することによって、神様のつくった世界であったとしても、それは自然科学的に計測できる世界であるという認識が生まれるようになったのだ。

 

 これを「神学的世界観」から、「数学的世界観」への転換と言いかえてもいいかもしれない。
 

 
 
資本主義的な世界観を確立した「大航海時代

 

▼ ゲームに登場する「大航海時代」の画像

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 このような、ヨーロッパにおける “世界観” の大転換期というのは、まさに彼らの大航海時代に当たっていた。

 

 そのため、どこまでも続く「均質な世界」という世界観は、そっくりそのまま地球の海洋のイメージと重なった。

 

 それまで、海には「果て」があったり、「地獄」があったりするなど、行く先々が階層の異なる世界に分節されていたが、コペルニクス以降、海もまた均質な空間であると意識されるようになった。

 

 これは、船乗りたちからみれば、“閉じられた地中海世界” から “無限に広がる大西洋” へと海図のイメージが転換したことを意味した。

 

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 ほぼおなじ時代に、イギリスの物理学者であるアイザック・ニュートンも『プリンキピア』(1687年)という書物で、「時間」もまた「数学的に均一に流れる」ということを主張した。
 
 それまで、人間に与えられた時間には、「始まり」と「終わり」があった。
 神様が「天地創造」を行ったときが「時間」の始まりであり、神様が人間を裁く「最後の審判」が訪れたとき、それまで流れていた時間も止まると考えられてきた。

 

 しかし、ニュートンは、コペルニクスが「無限の空間」を発見したのと同じように、「時間もまた無限である」と言い切ったのだ。
 
 「時間が無限である」ということは、人間の経済活動には終点がないということでもある。

 

 水野氏は、こう書く。

 「“時間” が将来にわたって永遠に続くのだとしたら、人間の経済活動も永久に続くことを前提にしなければならない。
 その頃作られていた会社組織というのは、“時間の終わり” を前提とした一度限りの “事業清算型の合資会社” でしかなかったが、やがてオランダの東インド会社のように、継続性を前提とした株式会社が設立されるようになっていく」
 

 
 
資本主義が頂点を極めたのはいつか?

 

 このように、16世紀前後にその原型を構築した「資本主義」という経済モデルは、その後、未曾有の発展を遂げていくことになる。
 その大繁栄の頂点を示したのが、20世紀であった。

 

 水野氏は、資本主義の原理は次の三つの要素に還元できるという。
 すなわち、
 「より速く、より遠く、より合理的(科学的)に」
 である。

 

 そのどれもが、エネルギー消費の問題と関わっていた。


 「より速く、より遠く」を実現するには、エネルギーの大量消費が前提となった。
 さらにエネルギーのインプットを効率的に抑えたまま、より多くのアウトプット(工業製品)をつくるには、エネルギーの合理的供給がシステム化されなければならなかった。

 

 この完璧なエネルギー供給が、まさに奇跡のように実現したのが、20世紀である。
 資本主義が頂点を極めた20世紀の繁栄というのは、「石油」という化石燃料の上に築かれたのだ。

 

 水野氏は、フェルナン・ブローデルの『地中海』を紹介する文章で、次のように書く。

 「20世紀は『アメリカの世紀』であり、『石油の世紀』だった。この二つを合わせれば、『モータリゼーションの時代』でもあった」

 

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 「自動車」は、まさに資本主義的な工業製品のシンボルであり、また資本主義文明そのものの象徴でもあった。


 実際に、20世紀の先進国の繁栄は、自動車による大量かつ高速輸送によって実現したといっても過言ではない。

 

 そのような先進国の繁栄は、実は発展途上国との貿易収支の格差によってもたらされたものであった。
 19世紀半ばから20世紀にかけて、先進国は工業製品1単位と引き換えに、およそ10倍の量の原油発展途上国から入手できたのである。
 
 先進国の各企業は、このメリットを維持したまま大量の工業製品を作り続けることによって、利益を増加させ、貿易収支を黒字にもっていくことができた。

 

 しかし、先進国がこのように安価なエネルギーを入手できたのは、1970年代半ばまでであったという。


アメリカの繁栄

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資本主義の「終わりの始まり」 

 

 1970年代に入り、先進国に原油を安く買い叩かれていた資源国に「資源ナショナリズム」が台頭するようになる。

 

 それまでは、先進国の石油メジャーが油田の開発権を独占し、国際カルテルを結んで価格を仕切っていたが、資源ナショナリズムの台頭によって、多くの産油国が油田を国有化するようになり、石油メジャーはそれらの地域での石油利権を失っていくようになったのだ。
 いわゆる「オイルショック」(1973年)である。

 

 実は、この1970年代というのが、資本主義の「終わりの始まり」ではなかったか?  というのが、水野和夫氏の大胆な仮説なのだ。

 

 資本主義が「近代」の産物であるならば、その資本主義の “エンドタイトル” が見えてきたということは、近代の限界が露呈したことを意味する。

 

 「近代の限界」とは、どういうことか?
 水野氏の叙述を追ってみよう。

 

 「21世紀になって、わずか10年間に、何百年ぶりともいえる事件・事故がたて続けに起こった。
 9・11(2001年アメリ同時多発テロ)、9・15(2008年リーマンショック)、3・11(2011年東日本大震災福島原発事故)である。
 これらの事件・事故はいずれも近代の限界が露呈してきたことを示唆している」
 と、氏は述べる。

 

▼ 9・11

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 さらに、それに加えて、2020年の “コロナウイルスショック” を挙げてもいいだろう。


 水野氏に言わせると、
 「新型コロナウイルスの蔓延は、地球全体を巻き込んだ現在のグローバル資本主義の限界が見えてきたことをはっきりさせた」(朝日新聞 2020年5月9日号)
 とも。

 それは、「近代」の終わりを示すことにもつながる。

 

 氏にいわせると、
 「『近代』は、休むことなく『前進すること』によって成り立ってきたが、その『前進する意味』が失われてきたにもかかわらず、『前進しようとする衝動』が止まらないから、その反動として収縮が起きているのだ」
 となる。

 その収縮のもっとも象徴的な例が、今回のコロナショックだ。

 


では、なぜ資本主義は今日まで “前進” してこれたのか?

 

 資本主義の「前進しようとする衝動」とは何だったのか?
 
 それは、「技術の進歩には限界がない」という人間の信仰がもたらしたものだ。
 20世紀になって、電気機械、自動車、航空機など、これまでの技術水準をはるかに超えた驚異的な発明品・応用品が、次々と誕生した。

 

 このあまりにも巨大な技術革新を見た人たちの間で、「技術さえ進歩していけば他の諸問題(=文化、教育、医療など)もすべて技術によって解決されるという “技術教” ともいうべき宗教が誕生した。

 

 「しかし
 と、水野氏はいう。

 

 「民間旅客機という現代技術の粋を集めたものが、テロリストの手によって “兵器” に変えられたのが 9・11であり、金融工学(という技術)を駆使した結果が 9・15(リーマンショック)であった。


 そして、絶対安全神話を誇っているはずの原子力工学も、3・11(東日本大震災)自然の猛威の前ではなすすべもなかったことが証明された」

 

 つまり、「技術の進歩」という盲目的な信仰から目を覚まさない限り、人間は、「近代の限界」を認知する目を養うこともできず、今後も同じような悲劇を繰り返していくだろう、というのが水野氏の警告なのである。
   
   
フロンティアの消滅により変貌を遂げた
21世紀の資本主義


  
 資本主義は、地理上のフロンティアを探し出し、それを食い尽くすことで発展を遂げてきた。
 20世紀までの資本主義は、安い物資、安い労働力、そして広大な市場を求めて、中国、東南アジア、中南米という “フロンティア” を食い尽くし、ついには、インドやバングラディッシュを経由して、アフリカにまで到達した。

 

 そのため、21世紀のグローバル資本主義には、もう物理的なフロンティアが残されていない状態になった。

 
 
 そうなると、資本主義は、フロンティアをもう一度自分の内部に探さなければならなくなる。

 

 それが、一国内に広がっていく「格差社会」である。
 先進国に、のきなみ猛烈な勢いで低所得層が増えてきたのは、行き場を失った現代資本主義が、自己の “胎内” に「低賃金労働資源」という新たなフロンティアを見出したからである。

 

 こういう話になってくると、一般庶民の未来はけっして明るくないように思えてくるが、しかし、本書には、その苦難を乗り越える指針も示されている。

 

 すなわち、近代の資本主義が「より速く、より遠く、より合理的に」を目指してきたのだとしたら、その限界が見えてきた現代こそ、「よりゆっくり、より近く、より寛容に」という精神が求められてくると説く。

 

 そして、そのための具体的な展望にも触れられているのだが、長くなるので、ここではフォローしない。
  
 
ジャンヌ・ダルクの火刑から学べるもの

 
 とにかく、ここで紹介された著作は、どれもみな素晴らしい。
 よくもまぁ、こんな多方面にわたって様々な本を探し出したと感嘆してしまう。

 

 たとえば、フランス史で有名なジャンヌ・ダルクの火刑の話。
 水野氏は、コレット・ボーヌ著『幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会』という本から、次のような知見を得る。

 

ジャンヌ・ダルク

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 ジャンヌの宗教裁判が行われたのは1430年だが、この事件はフランスが近代化を遂げていくためには避けて通れない事件だったというのだ。

 

 すなわち、この時代に、時の為政者や宗教家、そして一般庶民が、ジャンヌを「魔女」だとか「聖女」だとか議論しながら火刑することによって、「魔女」や「聖女」が実在した中世的な幻想に決着をつけることができたというわけだ。

 

 まぁ、ほかにも面白い書籍がたくさん紹介されていたが、長くなるので、これ以上は触れない。

 最後に、結論めいた話を一言。

  

 
グローバル企業のトップたちが抱えるニヒリズム


 現在、水野氏が問題にしているのは、世界のグローバル企業のトップたちが抱えているニヒリズムだ。

 

 すでにAI による計算すら追いつかないような世界中の富を手に入れたグローバル企業のトップたちがいま求めているのは、物への欲望でも、精神の充足でもない。
 マネーゲームの高揚感に過ぎない。

 

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 「何もやることがないから、とりあえず “マネーゲーム” でもするか」
 というグローバル企業のトップたちのアンニュイに満ちた精神によって、いま世界の資本主義が動いている。 

 

 そういう彼らの終末論めいた荒廃感も、文芸的には興味深いけど 。 
 

 

 

 
▼美術から見るイギリスの資本主義社会の成立

 

 

 

 

 

ドラマ『野ブタ … 』は何を訴えていたのか?

 ネットニュースの「文春オンライン」(2020年5月16日)で、霜田明寛さんというライターが、15年ぶりに再放送されている『野ブタ。をプロデュース』が、なぜ今の時代に大反響を呼び起こしているのか? ということを分析されていた。

 

 私は、当時そのドラマをまったく観ていない。
 そして、それが現在再放送されているということも知らなかった。

 

 しかし、そのライターさんの分析から、いまの時代を考える大事なヒントをもらったような気になった。

 

 記事を読んだだけの印象だが、そのドラマがいまもインパクトを持ち続けているとしたら、それは、ドラマの開始時 すなわち2005年の日本と今の日本が状況的に酷似しているか、もしくは、2005年に撒かれた問題が、今ようやく可視化される時代になってきた、ということを物語っている。

 

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 では、どういうドラマなのか?

 

 ライターの霜田さんは、『野ブタ 』の再放送を見たとき、
 「こんな暗いドラマだったのか !?」
 と、びっくりしたという。

 

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 物語は、いじめられキャラである “野ブタ” という女子転校生(堀北真希 写真上)のことを、クラスのスターである桐谷修二(亀梨和也 写真下)という男子学生がプロデュースし、ついには “野ブタ” をクラスの人気者に仕立てるという話 らしい。

 

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 ストーリーだけ追うと、爽やかな青春ドラマのように感じられるが、ライターの霜田氏は、桐谷修二という男子学生の内面にメスを入れていく。

 

 実は、修二が野ブタをプロデュースしようと思ったのは、彼女を「いじめ」から助けるためではなかった。
 むしろ、自分の退屈を紛らわすために、ゲームとして、野ブタをプロデュースするという遊びを始めただけだった。

 

 そこで浮かび上がってくるのは、「人生はすべてゲームだ」と割り切る修二のニヒルな心である。

 

 修二は、「マジになった方が負け」と常に自分をいましめ、「うまく立ち回っていれば傷つくことなくゴールまでいける」と諦観する寂しい青年である。

 

 そういう青年を主人公に据えた『野ブタ 』というドラマの暗さが、15年ぶりに見た霜田氏の心に鋭く突き刺さったらしい。

 

 霜田氏の年齢は35歳(1985年生まれ)。
 『野ブタ 』の放送が始まったときは、登場人物の一人である山下智久と同じ19歳だったそうだ。


 しかし、主題歌が明るかったり、登場人物たちが若いこともあって、ドラマそのものの底に沈んでいた暗さに気づかなかったとか。

 

 それから15年後。
 久しぶりにこのドラマを見た彼は、
 「主人公たちが生き抜く学校という“小さな社会”が、大人の社会と何ら変わらない息苦しさをまとっていた」
 ことに気づいたという。

 

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 基本的に、このドラマは「スクールカースト」を描いたドラマである。

 
 主人公の修二は、スクールカーストの上位に君臨している男子で、頭もいいし、運動能力にも恵まれた人気者。
 コミュニケーション能力も高いため、周囲の空気を読むのもうまく、人の気持ちを和ませる才能に恵まれている。

 

 しかし、その内面は乾ききっていて、寂しい。
 あまりにも “先が見通せる” ために、普通の生徒よりも自分の将来が読めてしまい、「夢」を持てない状態にいる。

 

 スクールカーストの上位にいる(はずの)人間を襲う孤独と虚無感。
 私は、これと同じ構図を、朝井リョウ氏が書いた『桐島、部活やめるってよ』という小説に見出す。

 

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 『野ブタ 』が放送されたのは、2005年。
 『桐島、部活やめるってよ』が出版されたのは、2010年。

 

 ライターの霜田氏によると、「2005年にはまだ “スクールカースト” という言葉は生まれていなかった」という。

 

 しかし、すでにその当時の教室には、「容姿に恵まれ、身のこなしのうまい特定グループがクラスを牛耳り、その支配下に組み込まれて、発言すら許されない下位グループが存在した」という事実があったらしい。

 

 霜田氏は、このように構造化された教室は、すでに「大人の社会」とまったく変らず、大人が感じる息苦しさを子供たちも経験していたと書き加える。

 

 そして、氏は、
 「あれから15年が経って自分も大人になったが、そのままの構造をただ拡大しただけの社会を今も生きている」
 と吐露する。

 

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 2005年から2010年にかけて、つまり学校にスクールカーストが生まれた時代というのは、いったい日本で何が起こっていたのだろうか?

 
 2005年に高校生活を送るようになった子供たちというのは、だいたい1997年~1999年ぐらいに小学校生活か中学生活を経験している。
 年齢でいうと10歳~12歳、もしくは13歳といういちばん多感な時期だ。

 

 この時代、彼らの父親・母親は、戦後はじめてといえるくらいの大激動期に翻弄されていた。

 1990年にバブルが崩壊する。
 以降、国内企業の大型倒産が相次ぎ、世の中を「リストラ」、「事業所閉鎖」、「希望退職」などという言葉が行き交うようになる。

 

 その原因は、国際社会の変化にあった。
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦構造が終焉を迎えたことを機に、「資本主義社会の全面勝利」を謳った西側企業が、新自由主義的な経済政策をとり始めたからだ。

 

 それによって、「人、カネ、物」の移動が一気に地球規模に広がり、グローバル資本主義の時代が始まった。

 

 日本はこの流れに追いついていけなかった。
 大手銀行まで倒産しかねないという経済不安が日本中を覆い、国際競争を勝ち抜くために、どの企業も内部留保を確保する方向に舵を切らざるを得なかった。

 

 そのために、多くの企業がとった方法は、「人件費の削除」であった。
 つまり、正規雇用を抑え、非正規雇用を増やすことで難局を乗り切ろうとした。

 

 このときに、それまで日本企業の美徳とされていた「終身雇用」や「年功序列」という制度も、「時代に合わない悪弊」として切り捨てられ、社員の評価軸はドライな欧米風の「成果主義」に移行し、それになじめなかった社員の大量リストラが断行された。

 

 日本に、そういう大規模な社会変革が訪れたのが、1997年から1998年ぐらいにかけてであった。
 この間に、雇用を奪われた日本人の自殺者は33,000人に達したという。

 

 2004年以降の日本の高校に登場した「スクールカースト」という現象は、この時代に小学校や中学校に通っていた子供たちの間から生まれたといっても過言ではない。

 

 つまり、「スクールカースト」の上位を目指した子供たちは、親が企業や組織のなかで繰り広げてきた熾烈な生き残り作戦を観察し、それを自分の生活圏のなかに持ち込んだものといえよう。

 

 卒なく、スマートに身を処し、上司(教師)への忖度を忘れず、仲間同士の世界に戻れば、立場の弱いグループを徹底的に叩いて競争相手を減らし、常に自分たち上位グループだけにスポットライトが当たるような工夫を凝らす。

 

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 もちろん、それがうまくいけば、学園生活を送っている間は心地よい気分を満喫できる。

 

 しかし、そういう暮らしがずっと自分の将来まで続くとは限らない。
 彼らは、自分の親たちが必死に身に付けた処世術を見てきたから、社会に出ても息が抜けないことを知っている。
 
 つまり、常に周りの空気を読み、上司の意向を忖度し、一生「仮面」を被って生きなければならないことを自覚しているのだ。

 

 社会は、そういう姿勢を「コミュニケーション能力」として評価したから、「仮面」を脱いで自分の “地” をさらすことは、コミュニケーション能力の欠如を見せることになる。

 

 だから、辛くても必死に耐えるしかない。
 それが、今の若い社会人たちにのしかかっている “重荷” の正体だ。

 

 私個人の感覚だが、アニメ『アナと雪の女王』で、「♪ ありのままの~」と歌う主題歌が、昔から私には奇異に感じられて仕方がなかった。

 

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 なぜ、「ありのままの自分」がそれほど尊いのか。
 
 それは、「ありのままでは生きられない」と覚悟した若者たちの密かな願いだったからだ。

 霜田明寛氏の記事は、そんなことまで教えてくれたように思う。

 

 
 

 

 

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ソウル・ミュージック解説本の名著

 高校生の頃、自分の好きな音楽が変った。
 1960年代後半のことである。

 

 それまでは、同じ年ぐらいの仲間と同じように、「ロック」と呼ばれる白人系の洋楽を聞いていた。

 
 ビートルズローリング・ストーンズというビッグネームはもちろん、クリーム、レッド・ツェッペリン、フリーというUKサウンド。ドアーズ、ジャニス・ジョプリンジミ・ヘンドリックスといったアメリカ系のロックが好みだった。

 

 しかし、ある時を境に、黒人音楽のR&Bに惹かれるようになった。
 きっかけは、ディスコだった。

 

 高校生のとき、隣りのクラスの女の子をこっそり誘ってディスコに行った。
 びっくりした。
 セーラー服姿しか見せたことがない彼女が、唇を赤く塗って、揺れるミニスカートから見事な脚をさらし、黒人顔負けのステップを踏んでいたのである。

 

  ▼ The Four Tops 「Reach Out I`ll Be There」
youtu.be

 

 あまりもの華麗な足さばきに、おじけづいた。
 「町田君、踊らないの?」(私の本名は町田である)

 

 … と、言われたって、とても彼女のステップに足を合わせる勇気が出ない。
 リーゼントで決めた横浜・横須賀系の男たちが、フロアで踊る彼女に話しかけるのを、情けなく見守るしかなかった。

 
 
 「俺も、踊りがうまくならなければ
 そう思った。

 

 私にとって、R&Bというのは、そういう生々しい欲望やら恍惚感やら焦燥感と一体となった「欲情の音楽」としてスタートした。
 それは、この時期、私が聞いていた白人系のロックとはまったく別種な音楽だった。

 

 1960年代後期の白人系ロックでは、アーチストがアルバム単位で自分の音楽性を打ち出すコンセプトアルバムの思想が芽生えていた。

 
 ベトナム戦争などの影響もあって、ロックの方が、時代に向かい合うための思想や戦略を意識する必要に迫られていたからだろう。

 

 それに対して、同時代のR&Bは、ナンパとパーティの音楽だった。 
 少なくも、私にとっては、ディスコの重い扉の向こうで鳴り響く “不良の巣窟” で流れる音楽だった。

 

 だから、私はR&Bを「アーチストの芸術性」とかいう理屈抜きで、
 「この曲はここでターンを決めて、次に2ステップで前に出る」
  という “肉体の音楽” として聞いていた。
 
 フォートップスの「リーチアウト・アイル・ビー・ゼア」
 サム&デイブの「ホールド・オン・アイム・カミング」
 アーチ-・ベルズ&ドレルズの「タイトンアップ」
 ジェームズ・ブラウンの「セックス・マシーン」
 
 こういう曲は、ディスコのミラーボールの下で聞くものであったから、最初のうちはアルバムジャケットすら見たことがなかった。


 しかし、そのうち、R&Bそのものが変容を遂げるようになった。

 
 70年代に入った頃から、R&Bにもロックのような先鋭的な意識と理論で武装した黒人アーティストたちが台頭してきたからである。

 

 スティービー・ワンダーマーヴィン・ゲイといったモータウン系のアーティストが、まず「白人文化」に対する「黒人文化」というものを鮮明に打ち出すようになったし、ジェームズ・ブラウンカーティス・メイフィールドアル・グリーンたちが、ロックにはない黒人独特のグルーブ感のようなものを創出し始めていた。
  
 ようやくこの頃から、黒人のアイデンティティを高らかに歌う音楽という意味で、「SOUL MUSIC」という言葉が使われ始めた。

 
 
 そういう新しい黒人音楽を紹介する素晴らしい本にもたくさんめぐり会った。

 ひとつは、紺野慧(こんの・とし)さんが書かれた『ソウルミュージック・イン・ジャパン』(1973年刊 写真下)。

 

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 まだ、「ソウル・ミュージック」という言葉が、日本で市民権を得る前のことだ。
 彼は、福生ベースの近くのブラックバーに入り浸り、そこに集まる黒人たちと一緒になって、最先端のブラックミュージックを堪能する喜びを手に入れる。
 

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 おそらくこの本が、日本でソウル・ミュージックという音楽を独立したジャンルとして捉えた最初の本ではなかったかと思う。

 

 彼はソウル・ミュージックを、部屋の中のオーディオを通して聞く音楽ではなく、黒人兵と一緒にソウルフードを食べ、彼らが兵士として、戦争のもたらす軋轢の中で悩んだり、国に残した恋人への思慕でセンチになったりするときの音楽として捉えた。
 
 彼は言う。
 「僕にはひとつの偏見がある。それは黒人音楽、とりわけソウル・ミュージックは、黒人たちが力強く息づいている世界で聴くことこそが最も楽しく、すばらしいものであるということだ。
 それはジェームズ・ブラウンアル・グリーンを聞いて、そのオフ・ビートにのって腰が動き出さない人にはぜったいに分からないということである」

 

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 この本は、すぐさま私のバイブルになった。
 ミーハーな私は、その本を読んでから3日後ぐらいに青梅線に乗って、福生ベースまで遊びに行ったように記憶している。

 
 
 本場物のソウル・ミュージックの素晴らしさを描いた本としては、白石かずこさんの『ブラックの朝』(1974年刊)を挙げてもいい。
 

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 彼女は、ジョン・コルトレーンジェームズ・ブラウンを等価に捉える。
 片や前衛ジャズを求道的に追求したジャズの聖人。
 片や野卑で挑発的なステージで、大衆の熱狂を誘い出す煽情的なエンターティナー。

 

 しかし、どちらも、
 「暴風雨のように、心を打ち叩き、雷のように咆哮し、瞬時、息もできぬほどにエキサイトさせる魂(ソウル)の叫び」
 だという。
 
 彼女は、知識も教養もある詩人だが、“後頭部でモノをいう人間” (つまりモノを書いたり、考えたりする人間)のハートの対極にあるものとして、ブラックミュージックを捉えた。
 
 私は、彼女の本から、ソウル・ミュージックのエモーションを表現するときの言葉を数多く教わった。


 基本的文献でいえば、チャールズ・カイルが書いた『都市の黒人ブルース』(相倉久人訳(1968年刊)を忘れるわけにはいかない。

 

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 この本では、アメリカ黒人音楽がどのように発生し、どのように発展し、どういう思想展開を遂げていったかということがアカデミックに追求されていた。
 黒人音楽独特の音階であるブルーノートなどに関しても詳しく解説されている。
  
 さっき、この本を久しぶりに手にとってみたら、やたら赤線が引いてあって、書き込みがあった。
 ほとんど忘れていた本だったが、当時は自分なりに必死に勉強していたようだ。

  
 決定的だったのは、松本隆さんの『微熱少年』(1975年刊)だった。
 この本は、彼の音楽遍歴を綴った本だが、途中からソウル・ミュージックの賛歌に変る。

 

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 それまで、松本さんという人は「はっぴいえんど」のドラマー兼作詞家というぐらいの認識しかなかったのだが、この本を読んで、彼に対する印象が変わった。
 
 彼は、生粋のソウルフリークだったのだ。
 「はっぴいえんど」の創り出す世界に対して、私は、知的で醒めた白人的センスを感じていたが、松本さん自身は、黒人音楽に触れることで、常に「微熱状態」の中にいたらしい。

 

 彼は徹底して、ソウル・ミュージックを「都市の音楽」として捉えた。
 私のソウル・ミュージック観が形成されたのは、この松本さんの影響によるところが大きい。
 
 松本さんは、『微熱少年』のなかで、
 「ウエストコースト系の白人によるロックが自分にとって終わったと感じた頃、マービン・ゲイのホワッツ・ゴーイン・オンが、眼前に新鮮な驚きを与えながら未知の光条を放っていた」
 と書いている。

 

Marvin Gaye「What’s Going On」 

youtu.be

 
 日本を代表する作詞家の松本さんと自分を比べるわけにはいかないが、その一点に関する限り、私は同じ時代に、同じ地平に立っていたんだ と思う。

 
 私もまた、「ホワッツ・ゴーイング・オン」には特別な思い入れがある。
 二十歳ぐらいのときだった。

 

 夜の冷気が漂う自分の部屋で、突然 FEN から流れた来た「ホワッツ・ゴーイン・オン」を聞いたときは、脳天がしびれて、鳥肌が立った。

 

 それは自分の “音楽体験” のみならず、“人生体験” においても決定的なターニングポイントになった。
 これからは、こういうモノを「美しい!」とする基準を自分のなかに確立していこう、と自分に言い聞かせた。

 
 60年代後半から70年代初期にかけて、ソウルミュージックが日本でも新しい音楽潮流を切り開こうとしたとき、それと同時に、素晴らしい評論集がたくさん生まれた。
 それが相互に、黒人音楽文化を支えあった。

 
 自分は幸せな時代を生きたと思う。
 

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▲ 紺野慧 著「ソウルミュージック・イン・ジャパン」の中のイラストより
  


 

campingcarboy.hatenablog.com

 

 

「コロナ後」に世界の風景は変わっているか?

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 世界中で、コロナ対策のロックダウンが徐々に解除されてくると、各メディアから、「アフターコロナ(コロナ後)」という言葉が出回り始めた。

 

 人々の心に、「コロナ騒動」が終息したあとの世界を問う意識が生まれてきたからだ。

 

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 日本においても、「緊急解除宣言」が解除される地域が出るようになってからは、「コロナ前の生活に戻れるのかどうか?」ということが、マスコミでも大きく取り上げられるようになってきた。

 

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 はたして、世界は「コロナ前」に戻れるのか?

 

 「戻ってほしい」というのが、大半の人々の願いであろう。

 

 しかし、半年というコロナ封じ込め政策に慣らされてきた人々が、そう簡単に “コロナ前” の生活を取り戻せるのか疑問視する声も出ている。

 

 5月2日に放映された『プライムニュース』(BSフジ)において、“アフターコロナ” について語った古田徹也(東京大学大学院准教授)氏は、
 「(コロナ前とコロナ後を比較した人は)、おそらく、同じ景色を眺めても、まったく違ったものを感じるようになっている可能性がある」
 と指摘する。

 

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 古田氏が放映中に取り出した写真は、氏が5年ほど前に友人と東京ドームのコンサートに行ったときのスナップだった。

 

 ステージに向かう通路を、人、人、人が埋め尽くしている。
 ここ何ヶ月の間、人々が見たこともない「密」がそこに写されていた。

 

 「たぶん今この写真を見たら、誰でも怖いと思うはずです」
 と氏は語った。

 

 5年ほど前だったら、誰にも楽しく感じられる光景が、コロナの蔓延を脳裏に浮かべた人には恐ろしいものにすり替わっている。

 

 「本質的には何も変わっていない景色が、ある時を境に、人間にはまったく異なるものに感じられることがある」
 と古田氏はいう。

 

 次に氏が取り出した画像が、下の絵。

 

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 哲学者のヴィトゲンシュタインが著書『哲学探究』に掲載した絵で、左側に突き出した2本の棒の部分を「くちばし」として見ればアヒルに見え、それを「耳」として見れば、ウサギに見える。
 俗に「ウサギ・アヒル頭」と呼ばれる騙し絵の一種だ。

 

 このように、同じ絵でも、見ている人の意識のなかで、ある “変換” が生じると、まったく別の画像が現れてきて、もう最初のイメージは取り戻せなくなる。

 

 古田准教授は、コロナ前とコロナ後に見える世界は、これぐらい変わってしまうこともありうるのではないか、という。

 

 マスクの着用を嫌っていた欧米人たちも、コロナ禍を恐れてマスクで顔を覆う光景が日常化してきたし、キスやハグという接触文化が警戒されるようになってきた。

 

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 「ソーシャルディスタンス」の呼びかけが始まった頃は、そういう光景が奇異に見えたが、それが定着してくると、今度は人が密集している光景が恐ろしく見えてくる。

 

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 もちろん、そういう日常感覚は一過性のものだとも思う。
 やがて、コロナ禍が収束してくると、人々の意識は徐々に “コロナ前” に戻っていくだろう。

 

 しかし、いま現在、私たちは、今までとは何か違った光景を見始めていることは確かなのだ。

 

 ある人は、
 「今の状態というのは、“コロナ前の世界” が何であったのか?」
 ということをじっくり検証するいいチャンスになっているのではないかという。

 

 “コロナ前の世界” とは何か?

 

 世界中に広まった「グローバル資本主義」が猛威を奮っていた世界と言ってもかまわない。

 

 それまでわれわれは、「人、カネ、物」を短期間に効率よく回転させて莫大な利益を生み出してきたグローバル資本主義のまっただ中に生きていた。

 

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 しかし、そのグローバル資本主義が、このコロナ騒動によって、突然急ブレーキをかけられたといっていい。

 

 そういう視点でいまの現状を分析しているのが、法政大学教授の水野和夫氏である。
  
 水野氏は、
 「新型コロナウイルスは、16世紀以来世界に広がってきたグローバル資本主義というシステムを終焉させる役割を持っている」(朝日新聞 2020年5月9日号)
 という。

 

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 氏は別のところで、こうも言う。

 「地球全体を巻き込んだ現在の資本主義は、21世紀を迎えた頃から、限界が見え始めてきた。
 資本主義は地理上のフロンティアがあってこそ延命できる。
 そのために、現在の資本主義は、より安い人件費を求めて、バングラディッシュからアフリカまで貪欲に手を伸ばしてきたが、ついにそのフロンティアを食いつぶしてしまった」 『資本主義がわかる本棚』(日経プレミアシリーズ 2016年)。

 

 つまり、グローバル資本主義の「終わりの始まり」が見えてきた、と水野氏はいう。

 

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 「資本主義」とは何か。

 

 それは、「より速く、より遠く、より合理的(科学的)に」という価値観でドライブされてきた経済システムのことをいう。
 資本主義社会を生き抜く企業は、みなこの原理を忠実に実行すれば、利潤を極大化することができた。

 

 繰り返しになるが、その限界が見えてきたのが4~5年ほど前であり、トランプ米大統領の「アメリカファースト」という反グローバリズム宣言がそれを決定づけた。

 

 そして、それが誰の目にはっきりしてきたのが、このコロナ騒動である。
 それまで、「人、カネ、物」の移動を高速でフル回転させていたグローバル資本主義はわずか数ヶ月でエンストし、世界中の国家が、国境を閉ざして、鎖国体制を敷くようになった。

 

 これだけ見ても、世界がガラッと変わったことが分かる。

 

 結論からいうと、「人、カネ、物」が世界中をかけめぐるグローバル資本主義の経済成長路線は、ここに至って頓挫したとみるべきだ。

 

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 しかし、それは「資本主義」の終わりを意味していない。

 

 繰り返しになるが、現在のグローバル資本主義は、中国、東南アジア、アフリカといったように、常に国境をまたぎ、「中心」から「周辺」へと軸足を移動させてきたが、最後に残されたアフリカを舐め尽してしまえば、資本主義が手に入れられる低コストの労働力資源は消滅する。

 

 それは、資本主義が呑み込んできた「周辺」の淘汰を意味する。

 

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 では、そうなった資本主義はどう変身していくのか。

 

 国境間の差異を解消させてしまった資本主義は、今度は、国家の内側に「中心/周辺」という構図をつくり始める。

 

 この国家の内側に広がりつつある「中心/周辺」を、今日われわれは「格差社会」とか「貧富の差の拡大」などという言葉で表現している。

 

 コロナショックによって、世界中の低所得者の仕事がどんどん追い詰められている現在、今後は「格差社会」などという言葉すら成立しなくなるほど、富める者と貧しい者との差が決定的になってしまう恐れがある。

 

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 もしかしたら、われわれは、グローバル資本主義という状況が人間を追い詰めた以上の過酷な世界に直面し始めているのかもしれない。

 

 「資本主義(キャピタリズム)」というのは、“主義” という言葉がついていても、イズム すなわちイデオロギーではない。

 

 正確にいうと、それは、
 「無限に変容し、自己増殖を図ろうとする “運動体” 」
 である。
 そういった意味で、コロナウイルスにも近い。

 

 「グローバル資本主義」が終焉の兆しを見せ始めても、資本主義は、また形を変えて、人類に寄生していくことには変わりがない。

 

  

 

 

 

 

コロナによる経済的疲弊は日本に何をもたらすか

  新型コロナの感染拡大を防止すための「緊急事態宣言」の解除が始まったことを機に、コロナ禍による疲弊した経済をどう立て直すかという議論も活発になってきた。

 

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 コロナ禍をやり過ごすために「自粛生活」を強いる指導方針がこのまま続くと、日本の経済的損失額は100兆円を超えるという専門家の試算もあるという。

 

 夏を迎える頃には、日本におけるコロナ騒動もいったんは沈静化するかもしれない。
 しかし、そうなっても、経済活動が元の状態に戻るかどうかを疑問視する声は多い。

 

 フランス文学者であり、翻訳家でもある内田樹(うちだ・たつる)氏は、4月22日のネットニュースで、コロナ禍による「中間層の没落」を懸念している。

 

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 コロナ騒動による営業自粛が広がった現在、基礎体力のある大企業はなんとか生き残れても、中小企業や自営業の多くは、倒産か廃業に追い込まれる可能性が高い。

 

 それは、
 「ささやかながら “自立した資本家” であった市民たちが、無産階級に没落することを意味する」
 と内田氏はいう。

 

 「このままだと、日本社会は『一握りの富裕層』と『圧倒的多数の貧困層』に二極化する」
 とも。
 
 
 日本人の階層が二極化していくとどうなるか。

 

 「民主主義が機能しなくなる」
 と内田氏。

 

 そもそも民主主義というのは、所得水準も教育レベルも均等化された “分厚い中間層” によって支えられる面がある。
 高度成長期の日本が、まさにそういう状態に近かった。

 

 しかし、中間層がやせ細って、貧困化が進めば、一部の富裕なエリート階級と、没落した中間層との格差が広がり、最大公約数の意見をまとめようとする民主主義的機能が衰弱する。

 

 そうなると、
 「富裕層は、お互いの縁故を使って政界やビジネス界を牛耳るようになり、一部の人たちが経済的な富を排他的に独占する傾向を強める」
 と内田氏はみる。
 
 
 では、コロナ禍によって没落を余儀なくされたかつての中間層は、そういう社会にどう立ち向かおうとするのか。

 

 社会を是正するような姿勢をしっかり保ち、選挙やデモなどの手段によって、自分たちと同じ境遇に陥った “仲間” と共闘できるような人たちはいい。

 

 しかし、もっと安易な手法で自分たちの意見を主張しようという人も出てくる。

 

 つまり、口先だけうまいポピュリストのリーダーを担ぎ上げ、その助けを借りてうっ憤を晴らそうとする人々も出てくることになる。

 

 そう危惧するのは、日本大学危機管理学部教授の先崎彰容(せんざき・あきなか)氏だ。

 

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 先崎氏は、5月2日に放映された「プライムニュース」(BSフジ)に出演したとき、次のように語っていた。

 

 「(今のような政治的・社会的リーダー不在の時代のなかで)発言力を強めて来るのは、ポピュリストだと思う。
 そういう人は、実はあまり権力の実態を知らないことが多い。だからこそ、人を惹き付ける話術を無責任に駆使できる」

 

 つまり、没落して憤懣がたまった中間層の憤りを、そういう人が平気で吸収し、世論に火をつけることになる。

 

 それは、どういう事態を招くか。
 ポピュリストの扇動にやすやすと乗った人々のエネルギーが、民主主義的「理性」とは程遠いものになることは火を見るより明らかだ。 
 
 
 この日の「プライムニュース」で、先崎氏がもっとも危惧したことは、感情的に高揚した人々の情熱が見境もなくエスカレートしていくことだった。

 

 具体的には、自治体の自粛要請にもかかわらず、営業を続けるパチンコ店、あるいは、居酒屋やバー、キャバレーに対して、義憤に駆られた人々が嫌がらせをしたり、非難めいた落書きをする “自粛警察” 的な動きのことをいう。

 

 こういう “自粛警察” 的な行為は
 「自分が正義に加担している」
 と錯覚している分だけ、よけい始末が悪い。

 

 先崎氏はいう。

 

 「誰もが、正義を守るための行動と錯覚して、嫌がらせや暴力を奮うのは、テロリストと変らない。
 そういう行動の先には、発展途上国の『海賊や民兵の正義』がある。
 義憤に駆られるあまり、社会秩序を乱すほうが、もっと厄介だ」

 

 とにかく、コロナ騒動で、われわれは( というか世界中の人々が)みな殺気立っている。

 

 そういうときに、庶民の気持ちを逆なでするような発言を行うタレントや文化人にはほんとうに腹が立つ。

 

堀江貴文は庶民をバカにしている

 先週の日曜日『サンデージャポン』(TBS)で、堀江貴文ホリエモン)が、政府の緊急事態宣言を批判し、それに唯々諾々と従った国民を汚い言葉でこき下ろした。

 私は、ちょうどその番組を家で見ていたが、そう発言するホリエモンに憤りを覚えた。

 

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 彼の言っていることは、
 「政府などに洗脳されず、国民一人一人が自分の頭を使って、冷静に物事を考えろ」
 ということである。

 

 そうすれば、緊急事態宣言などという “無意味な国民統制” がいかにバカげたものであるかということが分かるはずだというわけだ。

 

 ホリエモンは間違ったことを言ったのか?

 

 いや、言ってない。
 そういう指摘は、国民が物事を自立して考えるためには必要なメッセージであるとも思うのだ。

 

 しかし、彼のものの言い方は最悪である。
 緊急事態宣言に唯々諾々(いいだくだく)と従った国民は「アホだ、バカだ」と一方的に罵ったわけだ。

 

 つまり、彼の表現は、外出を我慢してコロナの鎮静化を待とうとした善良な庶民に対する「礼儀」をまったく欠いたものだったのだ。
 
 しかも、彼はいまだに自身のツィッターで、GWに自宅にこもっていた国民を「集団ヒステリー」呼ばわりし、「戸外に遊びに出た人々を注意するような行動こそ狂気の沙汰だ」と罵倒を浴びせているらしい。

 

 私は、そういう彼の言葉づかいそのものに、強い違和感を覚える。
 確かに、私は、このGW中、政府や自治体の外出自粛要請を忠実に守って、家に閉じこもっていた。
 
 しかし、それが正しい判断なのかどうか、自分で考える必要もあるとは思っていたところだ。 
 だから、ホリエモントークが、もっと冷静な表現だったら素直に耳を傾けたと思う。

 

 しかし、ああいう下品な言葉使いで、一方的な上から目線のまま挑発的な物言いをされたら、こっちも冷静ではいられなくなる。


 売り言葉に買い言葉というわけではないが、「お前、ケンカを売る気か?」と、自己抑制力が低下している老人の私などは、はらわたが煮えくり返った。

 

 東大出ってことを鼻にかけているんじゃねぇよ、このバカ。
 「東大出」であろうが、真ん中の「大」を抜いてしまえば、不倫報道で窮地に立たされている「東出」と同じじゃねぇか。

 え、それともなにかい?
 IT 産業や金融で一儲けできる自分の能力を自慢してぇのか?
 てめぇらみたいなヤクザエリートに、俺たち庶民の気持ちが分かってたまるかよぉ。

 

 ま、そんな気持ちになるのである。
 
 確かに彼には、ビジネスマンとしての才覚は(多少)あるのかもしれない。
 だけど、頭の中身は薄っぺらだ。

 

 はっきりいうと、知性がない。
 つまり、彼には、視聴者の大半は自分より教養レベルが下だという思い込みの方が強すぎて、そういう人たちに語りかける言葉を持っていない。

 

 だからいつまで経っても、TVのバラエティ番組やワイドショーの席は確保できても、文化人としての社会的評価は得られない。

 こういうヤツが、天下のご意見番みたいな顔をしているのを見るとほんとうに不愉快だ。

 

 コロナ騒動で、確かに、自粛疲れの人たちが増えている。
 人々の気持ちも、そうとう荒んできている。

 

 だからこそ、過激な言葉を使って無意味な挑発を行うのは、今のご時世正しくはないと思う。

 ↑ これはホリエモンに言っているだけでなく、自分自身に対し、自戒の意味も込めて書いているんだけどね。

 

 

 

 

 

 

どんな瞬間に企画は生まれるのか

 人間は、絶えず何かを「企画」しながら生きている。

 

 「企画」というと、広告代理店とか編集プロダクションの “専売特許” のように思われがちだが、普通の営業でも、製造業に関わる工場労働においても、仕事を続ける上で「企画」は必要とされる。

 

 資本主義原理に貫かれた競争社会にいる限り、人々は意識・無意識にかかわらず、お金を得るために、なんらかの「企画」を生み続けているものだ。

 

 では「企画」とは何か?

 

  ということになると、これが分かったようで、なかなか説明するのが難しい。
 「企画」の「企」は “たくらみ” であることからして、「人を動かすためのなんらかのアイデア」ということになるだろう。

 

 すでに行き渡ってしまったようなものは「人を動かす」力が弱っているから、それは「企画」としての役割を終えたものとなる。

 

 そうなると、「企画」とは、人々がそれまで目にしなかったような「新しい意匠を身につけた新しい考え方」ということになる。

 

 では、その「新しい考え方」は、どこから生まれてくるのか?
 

 企業ブランディングを手掛けるある専門家によると、
 「企画とは記憶の複合である」
 という。
 
 「(人は)見たことも聞いたこともないことを、(突然)神が降りたように語りだすことはできない。
 数年前に気になったこと、1年前に面白いと思ったこと、昨日覚えておこうと思ったこと、そして今思いついたこと、それらの記憶がひとつになったものが『企画』なのである」

 

 人間は、自分の記憶が二つ以上複合したときに、「ハッと」して「ひらめいた!」と思うものらしい。

 

 重要なのは、『二つ以上の記憶』であるということ。一つの記憶だと、それはひらめきとはいえず、単なる思い出に過ぎない。

 

 そして、それは、無理矢理ヒネリ出そうと思ってパソコンやメモ用紙の前で唸っていても湧いてくるものではなく、散歩をしたり、ドライブをしているときなどに、ふと “ひらめく” ものだとか。

 

 たぶん、散歩とかドライブといった “ゆるい” 行動をしているときというのは、人間の記憶も自由にゆらめいているときで、それまでの思考回路とは異なる場所で、記憶同士が勝手にスパークしたり、つながったりするからだろう。

 
 「あり得ないもの同士の結合」は、ドラマなどでもヒット作を生む。

 

 たとえば、2011年放映されて有名になったドラマ『JIN-仁』(原作は村上もとかによる漫画)。


 2020年5月にも、新型コロナウイルス感染拡大防止の意味も込めて、TBS系で再放送されていたが、これなど、「江戸時代」と「現代医療」というあり得ないもの同士の組み合わせによって生まれた物語だった。

 

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 食生活の現場では、そのような例は、さらに日常茶飯事だ。


 大正時代。
 「豚カツの上にカレーソースをかけたらどうなるか?」
 と考えたシェフが登場して “カツカレー” が誕生したように、人類の食文化というのは、常にあり得ないもの同士の結合からヒット作が生まれてきた。

 

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 実は、私も、いま密かに新しい食品の企画を練っている。

 

 「コーヒーうどん」

 

 どうだぁ!

 

 食事と、その食後のコーヒーが同時に味わえるという忙しい現代人向けの食品で、時間に追われている人の食事時間を短縮するという意味で、実に画期的なものだと思う。

 興味を持った食品会社および飲食店経営者は、私のところに相談に来てほしい。
 

掌編小説「狐部隊」

 「狐部隊って知ってた?」
 隣りに座った女は、そう言って私の方を振り向く。
 「いいや。 何それ?」
 私は、物憂く返事する。
 
 深夜のパブだ。
 とっくに電車は終わっている。
 地下室の穴倉みたいなカウンターに座っている客は、もう私と女しかいない。
 カウンターの中にはバーテンもいない。ウェイターもいない。
 音楽も止まった。
 時間が死んだようだ。
 
 「狐部隊ってかわいそうなの。聞いたとき、泣いちゃった
 
 女は、別に悲しそうにするふうでもなく、壁に向かって独り言のようにつぶやく。
 「何だい? 狐部隊って
 私は、もう一度同じ質問を繰り返す。

 
 「満州での話なの。日本が満州で戦争をしていたころの話なのよ。あなた知ってた?」
 「いいや」
 「あなたって、そういうこと知らない年なの?」
 女がびっくりしたように尋ねる。
 
 「おいおい、俺を90歳以上の老人にする気かい?」
 「戦争って、そんな昔なの?」
 女が怪訝そうな顔で、私を振り返った。
 
 「そうだ。もう “戦後” という言葉すら、とっくの昔になくなった」
 「それでね

 
 女は、私の言葉など念頭にないように、話を続ける。
 「日本が負けそうになって、ソ連軍が攻めてきたのに、日本軍は逃げてしまって、普通の人を守る兵隊がいなくなったの」
 
 「それで?」
 「男は小学生しかいなくなったんですって」
 「まさか
 「本当よ」
 女が唇を尖らせる。
 
 「 で、小学生たちが日本の民間人を守るために、兵隊にさせられたの」
 「学徒出陣よりひどいね」


 「ガクトシュツジン って?」
 「いや、いいよ。 それで?」
 「小学生じゃ敵になめられるじゃない? それで小学生ということを隠すために、狐のお面をかぶることになったの」
 
 「狐のお面
 「そう、神社のお祭りに使うような白い仮面」
 

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 私は脳裏に、白い仮面をかぶった小学生の一団を想像してみた。
 滑稽なような、悲惨なような
 女の話は遠い昔のおとぎ話のようで、現実味がなかった。
 
 「私、狐部隊に会いたい」
 女がため息をついた。
 「会ってどうするんだ?」
 「応援するの。頑張ってぇーって 。死ぬなよーって
 そう言って、女は遠くを見るような目になった。

 
 
 「出よう。そろそろ店も終わりだ」
 私はそう言って、女をうながした。
  
 
 北極の冷気のような寒風が、頭上で渦を巻いていた。
 夜明けは遠く、漆黒の闇が扉の外で澱んでいた。
 私と女は、霜を踏みしめながら、よろけるように歩き出した。
 
 「寒い
 女が、おびえるように私の腕に絡まりついてきた。
 
 「どこに帰るんだ?」
 私は女に尋ねた。
 「どこでもいい。暖かいところで眠りたい」
 
 女の声が外気に凍りついて、ポトッと地面に落ちそうだった。
 振り向くと、店も電気を消したのか、闇の中にまぎれて跡形もなかった。
  

 
 「ねぇ、何か見える」
 女の足が止まった。
 「どこ?」
 「あそこ
 
 女がどこかを指さしたらしいが、その女の指先さえ、暗くて見えなかった。
 「何も見えないよ」
 「明かりよ、明かり。ほら
 女が私の腕をギュッと握りしめた。
 
 遠くに、いくつかのかがり火のようなものが揺れていた。
 「たいまつだな
 私は、闇の中にたたずんで、次第に増えてくる明かりの数を数えた。
 
 「みっつ …、よっつ、いつつ
 丘を越えてくるのだろうか、一直線になったたいまつは、次第にその数を増やしていった。

 
 「狐部隊よ!」
 女が叫んだ。

 

 たいまつの明かりで、それをかざしている人間の顔がぼんやりと浮かんできた。
 「本当だ
 私は、たたずんだまま近づいてくる狐の仮面を眺めた。
 

 
 お祭りの夜店で売っているような狐の面が、続々と明かりの中に浮かびあがり、駆け足で向かってくるところだった。

 
 たいまつを右手にかざしたまま、ある子供は旧式の小銃を肩にかけ、別の子供は竹槍をかざし、何もない子は、手に石粒を抱えていた。
 
 「頑張ってぇー!」
 狐たちが前を横切ると、女は飛び上がって大声で叫んだ。


 「死なないでぇー!」
 手を振る女に気づく様子もなく、狐の集団は黙々と走っていく。


 「死ぬなよ!」
 思わず、私も叫んだ。
 
 行列はあっという間に姿を消した。

 
 「20人ぐらいかな
 遠ざかる明かりを追いながら、私は言った。
 
 「勝つわね、きっと」
 女が祈るようにつぶやいた。
 

 

 

『桐島、部活やめるってよ』とスクールカースト  

 「スクールカースト」という言葉がある。
 
 カーストとは、インドで古代から現代に至るまで連綿と続く身分差別制度のことだが、そのような身分差別が、今の日本の中学・高校あたりに広がっている様子を指す言葉だ。

 

 最近はあまりこの言葉を耳にしなくなってきたが、2000年以降、2016~17年ぐらいまでは、これを社会問題として論じる風潮があった。


 
 この現象を解説した研究書(鈴木翔・著『教室内カースト』)によると、
 「(カーストがはびこる教室では)特別な理由もないのに、特定のグループが教室を牛耳り、一方では発言すら許されないグループが存在する」
 と説明されている。

 

 そして、それが「いじめ」を生む土壌になると問題視する声もあって、この言葉自体が悪い印象で語られることが多い。

 

 しかし、このような “学内カースト制” を、一概にすべて「悪いことだ」と断罪してしまうと、現代の中高生の生きている世界を見誤ることになるのかもしれない。
 10年ほど前、直木賞を取った朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』(2010年 集英社文庫)を読んだときに、そう思った。
 

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 『桐島、部活やめるってよ』は、バレーボール部のキャプテンを辞めた桐島という男の子の周辺にいる生徒たちが繰り広げる数週間の日常を描いた学園小説である。
 
 そこには、スクールカーストが生まれる瞬間の生々しい記述がある。

 

 小説の中で、「沢島亜矢」と付けられた少女が、その友達の「志乃(しの)」とともに、教室の隅で騒いでいる男子グループの一人の男の子を眺めているシーンがある。

 

 彼女たちが見ている「竜汰」と呼ばれる男子は、「骨ばっているけれど細くて長い指で、いつも茶色くくねるくしゃくしゃパーマをかき回している」。

 

▼ 2012年に吉田大八監督によって映画化された『桐島 … 』に竜汰役で出演した落合モトキ(左)

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 その竜汰を眺めている沢島亜矢は、次のように思うのだ。

 

 「みんな同じ学ラン着ているのに、目立つ男子って、なんでこんなにカッコよく着るんだろう。
 後ろ姿の学ランから少しだけ出た白いシャツが、なんで、あんなにカッコいいんだろう」

 

 そう思いながら竜汰を眺めている沢島亜矢に、友人の志乃が近づいてきて、こう語る。
 「やっぱ、竜汰、菊池、友弘のあのグループが一番カッコいいよね」

 

 そう話しかける志乃は、“カッコいい男子たち” を遠くに眺めながら、自分の唇にリップクリープを塗り始める。


 うっすらとピンク色に塗られた志乃の唇を見つめた亜矢は、こう思うのだ。

 

 「ピンクが似合う女の子って、きっと、勝っている。
 すでに何かに。
 なんで高校のクラスって、こんなにもわかりやすく人間が階層化されるんだろう。男子のトップグループ、女子のトップグループ、あとはそれ以外。
 ぱっと見て、一瞬でわかってしまう。
 お互いのグループって、制服の着方から、持ち物から、字の形やら歩き方やら喋り方やら、全部違う気がする」

 

▼ 映画『桐島 … 』に登場する女子カーストのトップグループ

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 もうお分かりだと思うけれど、(作者の朝井リョウの記述が正しいのなら)、「スクールカースト」というのは、“ブサイクな人間” を卑しめるために生まれてきたものではない。
 
 むしろ、眩しいばかりの「カッコよさ」を持つ人間たちへのオマージュから生まれてくるのだ。

 

 しかし、その「カッコよさ」の基準に合わない生徒は、すでに「人間」ではない。
 「ブサイク」と認定されるならまだしも、言葉で表現すると、「それ以外」。
 
 つまり、教室の机や黒板、グランドのバスケットゴールのように、常に視界には入ってくるけれど、人間ではなく、ただの「モノ」なのだ。

 

 

 「カッコいい」とされる基準は時代によっても、地域によっても少しずつ異なるのだろうけれど、今の時代の「カッコよさ」を簡単に表現すれば、男子では、「運動能力が高く、人間関係もそつなくこなし、サッカーやバスケがうまく、見た目がチャラい」男の子 ということになる。

 

 インドのカーストは、人間の後天的な能力とは関係なく、生まれた家の出自で決められてしまう。

 

 それに対し、日本のスクールカーストは、対人スキルを磨いたり、見た目のチャラさを演出したりという後天的な要素と、美貌とか高い運動能力などという先天的な要素が微妙に混じっているから、よけい複雑である。
 
 外貌が先天的に恵まれているだけでもダメで、努力してスキルアップしただけでもダメ。
 “ハキハキ元気” はダサくて、かったるそ~というのが(カッコよさの)条件の一つだが、切り返しのうまさのような、反射神経の鋭さと自頭の良さは必要となる。
 
 逆にいえば、その込み入った “差異体系” を、瞬時に、しかも直感的に感じ取る日本の高校生の感受性というものは、なかなか鋭いものがあるように思う。

 

 
 ところで、クラスのなかで “下層カースト” になってしまった生徒たちは、どう感じているのだろう。
 
 この小説には、映画部にいる前田涼也という男の子が登場する。

 

▼ 映画『桐島 … 』で前田涼也を演じた神木隆之介

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 映画部。
 こういう部そのものが、すでに下層カーストを意味する。

 

 下層カーストの前田涼也は思うのだ。

 

 「生徒がランク付けされるとき、大きく二つに分けられる。
 目立つ人と、目立たない人。
 運動部と文化部」

 

 文化部のなかでも、特に映画部は、不気味なくらいオタクっぽい。
 涼也は、講堂で校長の口から「映画部」という名前が出されるだけで、なんとなく生徒全体の空気が変わるのを感じる。

 

 「映画部ってなに ? 」
 「そんなんあったん ? 」
 というざわめきが空気の波動となって、涼也の耳に届くような気がしてくる。

 

 涼也は、一人で、こうつぶやく。

 

 「同じ学生服なのに、僕らが着ると、こうも情けない感じになってしまうんだろう。
 目立つ人は、同じ制服を着てもかっこよく着られるし、髪の毛だって凝っていいし、染めてもいいし、大きな声で笑っていいし、騒いでもいい。
 でも、目立たない人間は、(そのようなことをしては)全部だめ」
 
 もちろん涼也は、自分がその “目立たない人間” の方にいることを十分に自覚している。

 
 そういう人間に残された道は、ひたすら周囲のことに気づかないように振舞うことだ。

 

 周囲のことに気づくことは、自分の位置を確かめることになる。
 確かめたとたん、自分が下層カーストの住民であるという屈辱に耐えなければならなくなる。
 
 たぶん、この “差別” 対して、差別された人間がなにがしかの反応を示したときに、いじめが発生するのだろう。
  
 
 このような「カッコいい」上層と、「カッコ悪い」下層は、いつ、どうやって分化するのだろうか?

 

 それらを区別するそれぞれの定義というようなものは、実はない。
 しかし、入学してきたときから、誰にでも、即座に、厳然として分かるものだという。

 上層同士はお互いにすぐに結束し、下層同士は自然に肩を寄せ合う。
 その両方が接点を持つことはなく、ほとんど口を聞くこともないまま学園生活を終える。
  

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 それにしても、鮮やかな小説である。
 まず、タイトルがすごい。
 
 『桐島、部活やめるってよ

 

 この読点も入れた11文字だけで、読者は、読まない前からその小説のおよそのシチュエーションを推測することができる。

 

 「部活」という言葉からは、舞台が中学か高校であることがうかがえる。
 「やめるってよ」という言葉から、仲間たちが感じた戸惑いや驚きが伝わる。
 特に、末尾の「 よ」という言葉からは、桐島のことをウワサする少年たちの、ちょっと投げやりな、「学園生活なんてうんざり 」という思いまで伝えてくるようだ。
 
 
 構成も巧みだ。
 タイトルに出てくる「桐島」という男の子が、なかなか登場しないので、それが一種のミステリーのような効果を生む。

 

 物語は、彼の周りにいる男子学生や女子学生が、それぞれの章の主人公となることで成立している。
 
 しかし、肝心の桐島は、最後までこの小説に登場することはない。
 「桐島」は、あくまでも、章ごとに区切られた物語を束にして綴るときの “ホチキス” のようなものなのだ。

 

 それがゆえに、桐島がなぜバレーボール部を辞めることになったのか、という謎は永遠に解かれることはない。
 それが、この小説に不思議な奥行き(余韻)を与えている。

 

 文章表現も鮮やか。

 

 登場人物の一人である詩織(しおり)という少女が夕焼けを見るシーンがある。
 それを見て、
 「たそがれ !」と彼女は叫ぶ。
  
 「そう叫んだ詩織(しおり)の声が、ひらがなのまま聞こえてくる。たぶん漢字もちゃんと思い浮かんでいないのだろう」

 

 「動きを止めた私の前で、詩織は片目だけで四ミリくらい笑った」

 

 「私はポーンと(ピアノ)の鍵盤を叩いてみる。高いラの音が、音楽室の中で迷子になった」

 

 取り立てて新味があるようにも思えないレトリックながら、こういう表現が意表を突いた場所に出てくると、それなりにハッとする。

 

 この作者の文体には、空気中を漂うホコリの粒子が、とつぜんキラキラ輝き出すような不思議な感覚がある。
 使われている言葉が、光の乱反射を受けて、思いもかけない場所を照らし出す。

 

 「スクールカースト」というテーマを扱いながら、したり顔の評論家が “社会問題” として語るときの陰湿さがないのは、この宙を舞うホコリですら黄金色に変える鮮やかな文体のせいもある。 

 
 最後の最後になって、この小説に、劇的な転換が訪れる。

 
 「菊池宏樹」という男の子を主人公にした章だ。

 

▼ 映画『桐島 … 』で、菊池宏樹を演じた東出昌大

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 菊池宏樹は、カーストの上位にいる人間である。
 運動神経も抜群。容姿にも恵まれ、学ランをカッコよく着こなす様々なノウハウも身に付けている。
 頭も良いので、さほど勉強しなくても東京の一流私大ぐらいはどこでも受かる自信を持っている。

 

 だが、彼は、心の中に巣食っているメランコリーをどうしても払拭することができない。

 
 現在は、カーストの上位にいる自分に満足しているが、その先に広がる未来の自分の姿を何も思い浮かべることができないのだ。

 

 「未来はどこまでも広がっている?
 いや、違う。
 出発点から動いていないからそう見えるだけだ」

 

 彼の頭の中では、いつもその言葉がリフレーンとなってこだましている。
 だから「沙奈(さな)」という、とびっきり美人の “彼女” がいても、それに溺れきることができない。

 

▼ 映画『桐島 … 』で沙奈を演じた松岡茉優

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 宏樹は思う。
 「俺の彼女はかわいい。確かにかわいい。
 だけどたぶん、それだけだ」

 

 沙奈(さな)は、宏樹と同じく、女子カーストのトップにいる。
 そして、自分たちが特権階級でいることに満足し、下層カーストの人間をあざ笑うことに喜びを感じている。

 

 「映画部の男の子たちって、ちょーキモいよね。そういうのが体育でサッカーやっているって、それだけでヤベーよね」
 と無邪気にケラケラと笑う。
 
 宏樹はそんな沙奈(さな)のことをかわいそうに思う。
 そして、心の中で、
 「沙奈(さな)はきっと、これからずっとそういう価値観で生きていくんだろう。ダサいかダサくないかでとりあえず人をふるいにかけて、ランク付けして、目立ったモン勝ちで、そういうふうにしか考えられないんだろう」
 とつぶやく。

 

 そして、少し間をおいて、
 「だけどお前だってそうだろうが
 と自嘲する。 

 

 物語は、宏樹が、沙奈(さな)のバカにしていた映画部の男の子たちと接することで、思わぬ方向に舵を切る。

 

 下校時に、宏樹は見てしまうのだ。
 今まで、視界に入って来なかった下層カーストの映画部の男の子が、自分たちの好きな映画を語っているときの輝いている表情を。

 

 宏樹は、映画部の男子が校庭に落としたカメラのレンズキャップを拾って、彼らの後を追いかける。

 

 映画部の男子2人は、真剣な面持ちで、バドミントン部の練習風景を撮っている。
 宏樹は、その姿を見て、はじめて言いようのない緊張をおぼえる。

 

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 自分たちの熱中するものを持っている “ダサい男子” たちが、突然神々しく見えてしまうのだ。
 うろたえた宏樹は、「これたぶん、落としとるよ」とぶっきらぼうにレンズキャップを映画部の男子に渡し、その場を立ち去る。

 
 
 一方、自分たちとは別世界に住む人間から不意に声を賭けられた映画部の男子の前田涼也は、緊張して、礼をいう言葉すら見つけられない。

 

 だが、彼もまた、接することも許されるとは思わなかった上位カーストの男子に声かけられて、不覚にも感動してしまうのだ。

 

 

 「スクールカースト」って何なんだ ?

 いじめの問題などと結びつけて、それを悲惨な社会問題として取り上げようとするマスコミの報道などとはまったく違う角度で、この作者はその問題を静かに捉えている。
 
 

 

映画『嵐を呼ぶ男』の主題歌は隠れた名曲だ

 
 両親は日本人なのに、突然変異的に西洋人のハーフのような顔つきで生まれてしまった子どもがいる。

 

 音楽にも、そういうものがある。
 出自は歌謡曲ながら、奇妙に “洋楽っぽい” 部分が突如顔を出すというような曲があるのだ。
 昭和歌謡に多い。

 

 こういう曲に、なぜか自分は、不思議な面白さを感じる。
 特に、そのチグハグ感が強烈だと、ふふふ と笑ったりもするけれど、別の意味で感心したりもする。
 
 『嵐を呼ぶ男』という歌がある。

 

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 1957年に公開された石原裕次郎主演の同名タイトル映画の主題歌である。

 

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 この曲がよくラジオから流れてきた時代は、ちょうど私が小学校生活を送っていた時代と重なる。
 当時の流行歌であったから、クラスメイトの男の子たちも、よく鼻歌でこれを歌っていた。

 

 僕らの世代は、特に裕次郎をヒーローと崇める感覚はなかったが、家に兄貴がいるような子どもたちは、兄世代の影響を受けて、裕次郎に “カッコいい男” の代表例を求める傾向があった。

 

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 だけど、私にはそのカッコよさがピンと来なかった。
 特に、この『嵐を呼ぶ男』の歌を聞いていると、イキがった少年が背伸びしている歌にしか感じられなかった。

 

 「♪ おいらが怒れば嵐を呼ぶぜ」
 「♪ ケンカ代わりにドラムを叩きゃ、恋のうさも、ぶっとぶぜ」

 

 これじゃ、欲求不満のガキが、スティックに憤懣を託してドラムに当たり散らしているだけじゃないか。

 

 特に、語りの部分。
 「♪ この野郎、かかって来い、最初はジャブだ。やりやがったな、倍にして返すぜ、フックだ、ボディだ、チンだ !」

 

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 もちろん、このセリフは、ケンカに見立ててドラムを叩いている状況を語っているわけだが、こういうセリフを聞いていると、歌っている裕次郎がケンカ上手の男には見えなくて、ただ「ケンカの弱い男の子の “妄想” 」が語られているにすぎないと感じた。

 

 たぶん俳優としての裕次郎に、ケンカ慣れした男の声が出せなかったのだろうと思う。
 
 ムード歌謡調の甘い歌声では、彼は天下一品の声質であったかもしれないけれど、ドスを利かせる声の役者ではないと思うのだ。
 彼の声は、あくまでも湘南の明るい太陽のもとで輝く、健康で裕福な若者の声なのだ。 

 

 ま、そんな感じで、歌声と曲のテーマが離れすぎて、小さい頃はつまらない歌に思えた。
  
  
 しかし、後年大人になって、あらためてこの曲を聞き直してみると、なかなか前衛的な歌であることが分かった。
 
 感心したのは、間奏の部分。
 “ホンモノのモダンジャズ” が挿入されていたのである。

 

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 聞くところによると、映画ではこの演奏に「白木秀雄とオールスターズ」というクレジットが入っているという。
 
 白木秀雄は、日本のジャズ界の大御所といってかまわない。
 バンドリーダーのドラマーとして活躍し、実際に『嵐を呼ぶ男』では、裕次郎のドラムのアテレコを担当している。

 

 この演奏部分に注目するようになって、あらためてこの歌の面白さに気がついた。
 
 演奏のスタイルは、まさに1950年代に一世を風靡したアート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズのスタイルだったのだ。
 それも、かなり本場モノの雰囲気を色濃く漂わせている。
 カッコいいのだ !

 

 歌部分も、よく聞けば歌謡曲のリズムではなく、ジャズの4ビートである。
 それが、独特の疾走感を演出している。
 
 外国のリズムを取り入れた歌謡曲というのは戦前からあったが、こういうモダンジャズのスピード感(グルーブ感)を取り入れたものは、後にも先にもこの曲だけではなかろうか。
  
 そうとう異色な曲である。
 この突如紛れ込んだホンモノのジャズのおかげで、この曲は、当時としてはかなり “尖った” 歌だったのだと思い直した。
  
 
 1950年代のモダンジャズというのは、70年代のロックのように、若者にとっては先端的な音楽だった。
 この時代、裕次郎の兄貴石原慎太郎も、ジャズビートを想起させるような文体で小説(『ファンキー・ジャンプ』 1959年)を書くという実験的な試みを行なっている。
 
 そういう意味では、この『嵐を呼ぶ男』の主題歌も、当時の洋楽を聞いていた人にとっては、かなり前衛的な曲に感じられた可能性も高いのだ。
 
 しかし、それが、あまり前衛的とは思えない裕次郎の “坊ちゃん声” で歌われたというのが面白い。
 だから、モダンジャズを知らなかった小学生の私は、これを、ただの “若者のイキがった歌” としてしか聞けなかったのだ。
 埋もれてしまった名曲かもしれない。
 

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 ちなみに、アート・ブレイキー(↑)の演奏も1曲。
 『嵐を呼ぶ男』 の歌が目指していたものが分かる。
 ま、本場モノのジャズメンの演奏の方が、それなりにカッコいいけどね。

 

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▼  映画 『危険な関係』(1959年)のテーマ曲

 

 

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