アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

「コロナ後」に世界の風景は変わっているか?

f:id:campingcarboy:20200515220959j:plain

  

 世界中で、コロナ対策のロックダウンが徐々に解除されてくると、各メディアから、「アフターコロナ(コロナ後)」という言葉が出回り始めた。

 

 人々の心に、「コロナ騒動」が終息したあとの世界を問う意識が生まれてきたからだ。

 

f:id:campingcarboy:20200515221030j:plain

 

 日本においても、「緊急解除宣言」が解除される地域が出るようになってからは、「コロナ前の生活に戻れるのかどうか?」ということが、マスコミでも大きく取り上げられるようになってきた。

 

f:id:campingcarboy:20200515221054j:plain

 

 はたして、世界は「コロナ前」に戻れるのか?

 

 「戻ってほしい」というのが、大半の人々の願いであろう。

 

 しかし、半年というコロナ封じ込め政策に慣らされてきた人々が、そう簡単に “コロナ前” の生活を取り戻せるのか疑問視する声も出ている。

 

 5月2日に放映された『プライムニュース』(BSフジ)において、“アフターコロナ” について語った古田徹也(東京大学大学院准教授)氏は、
 「(コロナ前とコロナ後を比較した人は)、おそらく、同じ景色を眺めても、まったく違ったものを感じるようになっている可能性がある」
 と指摘する。

 

f:id:campingcarboy:20200515221133j:plain

 

 古田氏が放映中に取り出した写真は、氏が5年ほど前に友人と東京ドームのコンサートに行ったときのスナップだった。

 

 ステージに向かう通路を、人、人、人が埋め尽くしている。
 ここ何ヶ月の間、人々が見たこともない「密」がそこに写されていた。

 

 「たぶん今この写真を見たら、誰でも怖いと思うはずです」
 と氏は語った。

 

 5年ほど前だったら、誰にも楽しく感じられる光景が、コロナの蔓延を脳裏に浮かべた人には恐ろしいものにすり替わっている。

 

 「本質的には何も変わっていない景色が、ある時を境に、人間にはまったく異なるものに感じられることがある」
 と古田氏はいう。

 

 次に氏が取り出した画像が、下の絵。

 

f:id:campingcarboy:20200515221208j:plain

 

 哲学者のヴィトゲンシュタインが著書『哲学探究』に掲載した絵で、左側に突き出した2本の棒の部分を「くちばし」として見ればアヒルに見え、それを「耳」として見れば、ウサギに見える。
 俗に「ウサギ・アヒル頭」と呼ばれる騙し絵の一種だ。

 

 このように、同じ絵でも、見ている人の意識のなかで、ある “変換” が生じると、まったく別の画像が現れてきて、もう最初のイメージは取り戻せなくなる。

 

 古田准教授は、コロナ前とコロナ後に見える世界は、これぐらい変わってしまうこともありうるのではないか、という。

 

 マスクの着用を嫌っていた欧米人たちも、コロナ禍を恐れてマスクで顔を覆う光景が日常化してきたし、キスやハグという接触文化が警戒されるようになってきた。

 

f:id:campingcarboy:20200515221242j:plain

 

 「ソーシャルディスタンス」の呼びかけが始まった頃は、そういう光景が奇異に見えたが、それが定着してくると、今度は人が密集している光景が恐ろしく見えてくる。

 

f:id:campingcarboy:20200515221301j:plain

 

 もちろん、そういう日常感覚は一過性のものだとも思う。
 やがて、コロナ禍が収束してくると、人々の意識は徐々に “コロナ前” に戻っていくだろう。

 

 しかし、いま現在、私たちは、今までとは何か違った光景を見始めていることは確かなのだ。

 

 ある人は、
 「今の状態というのは、“コロナ前の世界” が何であったのか?」
 ということをじっくり検証するいいチャンスになっているのではないかという。

 

 “コロナ前の世界” とは何か?

 

 世界中に広まった「グローバル資本主義」が猛威を奮っていた世界と言ってもかまわない。

 

 それまでわれわれは、「人、カネ、物」を短期間に効率よく回転させて莫大な利益を生み出してきたグローバル資本主義のまっただ中に生きていた。

 

f:id:campingcarboy:20200515221343j:plain

  
 しかし、そのグローバル資本主義が、このコロナ騒動によって、突然急ブレーキをかけられたといっていい。

 

 そういう視点でいまの現状を分析しているのが、法政大学教授の水野和夫氏である。
  
 水野氏は、
 「新型コロナウイルスは、16世紀以来世界に広がってきたグローバル資本主義というシステムを終焉させる役割を持っている」(朝日新聞 2020年5月9日号)
 という。

 

f:id:campingcarboy:20200515221408j:plain

 

 氏は別のところで、こうも言う。

 「地球全体を巻き込んだ現在の資本主義は、21世紀を迎えた頃から、限界が見え始めてきた。
 資本主義は地理上のフロンティアがあってこそ延命できる。
 そのために、現在の資本主義は、より安い人件費を求めて、バングラディッシュからアフリカまで貪欲に手を伸ばしてきたが、ついにそのフロンティアを食いつぶしてしまった」 『資本主義がわかる本棚』(日経プレミアシリーズ 2016年)。

 

 つまり、グローバル資本主義の「終わりの始まり」が見えてきた、と水野氏はいう。

 

f:id:campingcarboy:20200515221440j:plain

 

 「資本主義」とは何か。

 

 それは、「より速く、より遠く、より合理的(科学的)に」という価値観でドライブされてきた経済システムのことをいう。
 資本主義社会を生き抜く企業は、みなこの原理を忠実に実行すれば、利潤を極大化することができた。

 

 繰り返しになるが、その限界が見えてきたのが4~5年ほど前であり、トランプ米大統領の「アメリカファースト」という反グローバリズム宣言がそれを決定づけた。

 

 そして、それが誰の目にはっきりしてきたのが、このコロナ騒動である。
 それまで、「人、カネ、物」の移動を高速でフル回転させていたグローバル資本主義はわずか数ヶ月でエンストし、世界中の国家が、国境を閉ざして、鎖国体制を敷くようになった。

 

 これだけ見ても、世界がガラッと変わったことが分かる。

 

 結論からいうと、「人、カネ、物」が世界中をかけめぐるグローバル資本主義の経済成長路線は、ここに至って頓挫したとみるべきだ。

 

f:id:campingcarboy:20200515221521j:plain

 

 しかし、それは「資本主義」の終わりを意味していない。

 

 繰り返しになるが、現在のグローバル資本主義は、中国、東南アジア、アフリカといったように、常に国境をまたぎ、「中心」から「周辺」へと軸足を移動させてきたが、最後に残されたアフリカを舐め尽してしまえば、資本主義が手に入れられる低コストの労働力資源は消滅する。

 

 それは、資本主義が呑み込んできた「周辺」の淘汰を意味する。

 

f:id:campingcarboy:20200515221550j:plain

  
 では、そうなった資本主義はどう変身していくのか。

 

 国境間の差異を解消させてしまった資本主義は、今度は、国家の内側に「中心/周辺」という構図をつくり始める。

 

 この国家の内側に広がりつつある「中心/周辺」を、今日われわれは「格差社会」とか「貧富の差の拡大」などという言葉で表現している。

 

 コロナショックによって、世界中の低所得者の仕事がどんどん追い詰められている現在、今後は「格差社会」などという言葉すら成立しなくなるほど、富める者と貧しい者との差が決定的になってしまう恐れがある。

 

f:id:campingcarboy:20200515221615j:plain

 

 もしかしたら、われわれは、グローバル資本主義という状況が人間を追い詰めた以上の過酷な世界に直面し始めているのかもしれない。

 

 「資本主義(キャピタリズム)」というのは、“主義” という言葉がついていても、イズム すなわちイデオロギーではない。

 

 正確にいうと、それは、
 「無限に変容し、自己増殖を図ろうとする “運動体” 」
 である。
 そういった意味で、コロナウイルスにも近い。

 

 「グローバル資本主義」が終焉の兆しを見せ始めても、資本主義は、また形を変えて、人類に寄生していくことには変わりがない。