両親は日本人なのに、突然変異的に西洋人のハーフのような顔つきで生まれてしまった子どもがいる。
音楽にも、そういうものがある。
出自は歌謡曲ながら、奇妙に “洋楽っぽい” 部分が突如顔を出すというような曲があるのだ。
昭和歌謡に多い。
こういう曲に、なぜか自分は、不思議な面白さを感じる。
特に、そのチグハグ感が強烈だと、ふふふ … と笑ったりもするけれど、別の意味で感心したりもする。
『嵐を呼ぶ男』という歌がある。
1957年に公開された石原裕次郎主演の同名タイトル映画の主題歌である。
この曲がよくラジオから流れてきた時代は、ちょうど私が小学校生活を送っていた時代と重なる。
当時の流行歌であったから、クラスメイトの男の子たちも、よく鼻歌でこれを歌っていた。
僕らの世代は、特に裕次郎をヒーローと崇める感覚はなかったが、家に兄貴がいるような子どもたちは、兄世代の影響を受けて、裕次郎に “カッコいい男” の代表例を求める傾向があった。
だけど、私にはそのカッコよさがピンと来なかった。
特に、この『嵐を呼ぶ男』の歌を聞いていると、イキがった少年が背伸びしている歌にしか感じられなかった。
「♪ おいらが怒れば嵐を呼ぶぜ」
「♪ ケンカ代わりにドラムを叩きゃ、恋のうさも、ぶっとぶぜ」
これじゃ、欲求不満のガキが、スティックに憤懣を託してドラムに当たり散らしているだけじゃないか。
特に、語りの部分。
「♪ この野郎、かかって来い、最初はジャブだ。やりやがったな、倍にして返すぜ、フックだ、ボディだ、チンだ !」
もちろん、このセリフは、ケンカに見立ててドラムを叩いている状況を語っているわけだが、こういうセリフを聞いていると、歌っている裕次郎がケンカ上手の男には見えなくて、ただ「ケンカの弱い男の子の “妄想” 」が語られているにすぎないと感じた。
たぶん俳優としての裕次郎に、ケンカ慣れした男の声が出せなかったのだろうと思う。
ムード歌謡調の甘い歌声では、彼は天下一品の声質であったかもしれないけれど、ドスを利かせる声の役者ではないと思うのだ。
彼の声は、あくまでも湘南の明るい太陽のもとで輝く、健康で裕福な若者の声なのだ。
ま、そんな感じで、歌声と曲のテーマが離れすぎて、小さい頃はつまらない歌に思えた。
しかし、後年大人になって、あらためてこの曲を聞き直してみると、なかなか前衛的な歌であることが分かった。
感心したのは、間奏の部分。
“ホンモノのモダンジャズ” が挿入されていたのである。
聞くところによると、映画ではこの演奏に「白木秀雄とオールスターズ」というクレジットが入っているという。
白木秀雄は、日本のジャズ界の大御所といってかまわない。
バンドリーダーのドラマーとして活躍し、実際に『嵐を呼ぶ男』では、裕次郎のドラムのアテレコを担当している。
この演奏部分に注目するようになって、あらためてこの歌の面白さに気がついた。
演奏のスタイルは、まさに1950年代に一世を風靡したアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのスタイルだったのだ。
それも、かなり本場モノの雰囲気を色濃く漂わせている。
カッコいいのだ !
歌部分も、よく聞けば歌謡曲のリズムではなく、ジャズの4ビートである。
それが、独特の疾走感を演出している。
外国のリズムを取り入れた歌謡曲というのは戦前からあったが、こういうモダンジャズのスピード感(グルーブ感)を取り入れたものは、後にも先にもこの曲だけではなかろうか。
そうとう異色な曲である。
この突如紛れ込んだホンモノのジャズのおかげで、この曲は、当時としてはかなり “尖った” 歌だったのだと思い直した。
1950年代のモダンジャズというのは、70年代のロックのように、若者にとっては先端的な音楽だった。
この時代、裕次郎の兄貴石原慎太郎も、ジャズビートを想起させるような文体で小説(『ファンキー・ジャンプ』 1959年)を書くという実験的な試みを行なっている。
そういう意味では、この『嵐を呼ぶ男』の主題歌も、当時の洋楽を聞いていた人にとっては、かなり前衛的な曲に感じられた可能性も高いのだ。
しかし、それが、あまり前衛的とは思えない裕次郎の “坊ちゃん声” で歌われたというのが面白い。
だから、モダンジャズを知らなかった小学生の私は、これを、ただの “若者のイキがった歌” としてしか聞けなかったのだ。
埋もれてしまった名曲かもしれない。
ちなみに、アート・ブレイキー(↑)の演奏も1曲。
『嵐を呼ぶ男』 の歌が目指していたものが分かる。
ま、本場モノのジャズメンの演奏の方が、それなりにカッコいいけどね。
▼ 映画 『危険な関係』(1959年)のテーマ曲