アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

格差社会のトップに立つセレブたちの資産 

 現在、日本のマスコミをにぎわせているニュースのひとつに、元・日産自動車CEOカルロス・ゴーン氏の国外逃亡がある。

 

 逃亡先はレバノン
 ゴーン氏の祖父や父の故郷であり、かつ現在の(2人目の)夫人であるキャロル・ナハス女史の出身地でもある。

 

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 密出国であるから、日本はレバノン政府にゴーン氏の身柄の引き渡し請求をしたいところだが、レバノン政府は、「ゴーン氏の入国は合法であった」と強く主張し、日本の請求に応える気配はない。

 

 同政府が、ゴーン氏の引き渡しに応じないのは、ゴーン氏が所持している財産の規模がすごいからだという。

 

 ある調査によると、彼が日産のCEOを務めていた時代の年収は19億円。
 それが途切れた後でも、残った個人総資産の総額は2,300億円とか。

 

 なんと、これはレバノン政府が所持している資産の3倍ぐらいに相当し、ゴーン氏は、その財産を使ってレバノン経済を全面的にサポートすると約束。すでにレバノンへの大々的な投資を始めているとも。
 これでは、レバノン政府もゴーン氏を手放すわけにはいかなくなる。

 

 東京地検は、保釈中にゴーン氏が密出国したため、保釈金の15億円をそのまま没収したというが、2,300億円も持っていれば、15億円程度はレストランのボーイに手渡すチップの感覚であろう。

 

 しかし、上には上がいる。
 世界のお金持ちの資産を見ると、「億」の単位を超えて「兆」に至っている。

 

 ちなみに、現在の “億万長者番付” の1位に輝く「アマゾン」のジェフ・ベソス氏の推定資産は17兆円。
 2位の「マイクロソフト」のビル・ゲイツ氏の推定資産は14兆円。

 

 以下、2019年の “お金持ちトップテン” は下記の通り。

 

  ジェフ・ベソス(アマゾン) アメリ
  ビル・ゲイツマイクロソフト) アメリ
  ウォーレン・バフェット(投資家) アメリ
  ベルナール・アルノークリスチャン・ディオールルイ・ヴィトン)フランス
  カルロス・スリム・ヘル(通信事業) メキシコ
  アマンシオ・オルテガ(ザラ) スペイン
  ラリー・エリソン(ソフトウェア事業部) アメリ
  マーク・ザッカーバーグフェイスブック) アメリ
  マイケル・ブルームバーグブルームバーグ) アメリ
  ラリー・ペイジ(グーグル) アメリ

 

 以下、参考。

  ジャック・マー (アリババ) 中国
 ……
  柳井正ユニクロ) 日本
 ……
  孫正義 (ソフトバンク) 日本

  1月1日放映 TBS「サンデーモーニング」より

 

 上位に名を連ねている人たちを見ると、やはりIT 系が多い。

 

 昔は、「石油王」といわれたロックフェラー氏(1839~1937年 推定資産35兆円)、「鉄鋼王」といわれたカーネギー氏(1835~1919年 推定資産32兆円)、「自動車王」のヘンリー・フォード氏(1863~1947年 推定資産20兆円)というようなエネルギー産業や製造業の人たちが上位を占めていたが、ずいぶん様変わりしたものだ。

 

 20世紀から21世紀に向かうときの産業構造の変化が、ここから読み採れる。
 
 
 現在の “億万長者” たちの資産総額は、合わせるといったいどのくらいになるのだろうか?

 

 あるデータによると、世界のお金持ち上位26人の資産総額は、合計150兆円。
 これは下位の38億人の全資産に相当するという。


 
 すなわち、パーセントでいえば1%の富裕層が、世界の99%の貧困層の上に君臨しているという計算になる。
 要は、「格差社会」が地球規模で広がっているということなのだ。

 

 どうして、こういう世の中になったのか?

 

 経済学者の水野和夫氏(下の写真右)によると、そもそも資本主義社会がこの世に出現した1870年以来、その恩恵にあずかって「豊かな暮らし」を享受できた人の比率は、地球の全人口のうちの15%程度に過ぎなかったという。
(水野和夫&萱野稔人 著 『超マクロ展望 世界経済の真実』)

 

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 氏によると、資本主義の130年の歴史の中で、欧米などの先進国15%の人々だけが、残りの85%の人が住む地域の資源を安く購入し、自国の産業を興隆させ、その利益を享受できた。

 

 このように、そもそも資本主義というのは最初から「お金持ち」と「ビンボー人」という経済格差を前提とした経済システムだったのだ。

 

 ところが、第二次世界大戦後、経済的に大発展を遂げたアメリカを中心に、“膨大な中間層” が世界的に生まれることになった。

 
 この中間層の増大が、あたかも地球全体に繁栄が訪れた(かのように見える)一時代を築いた。

 

 しかし、戦後、アメリカのライバルとしてソ連が力を増し、イデオロギーや軍事力においてアメリカと覇を競うようになってきた。

 

 こうして冷戦時代が訪れたわけだが、1989年、ベルリンの壁が崩壊したことを機に、ソ連が解体され、社会主義陣営と資本主義陣営の競争においては、資本主義陣営が最終的勝利を勝ち取った(と思われた)。 
 
 勝者となったアメリカは、その同盟国と一緒に “我が世の春” を謳歌したが、一方では、アメリカの仲間であったはずの日本とドイツの産業が急成長し、経済的にアメリカを脅かすようになっていた。
 
 追い詰められたアメリカは、経済的優位を維持するために、新しい経済戦略を打ち出さざるを得なくなった。

 

 それが、製造部門からの金融部門へ軸足を移す「金融資本主義」だった。

 

 この金融資本主義を根幹に据えた経済・政治システムを「新自由主義」という。

 

 その理論的支柱となったのは、ミルトン・フリードマン(1912年~2006年)だったが、彼の唱えた経済政策を採り入れ、アメリカのプレゼンス(存在感)を再び世界に見せつけたのは、1981年に大統領に就任したロナルド・レーガン(写真下)だった。

 

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 同じころ、イギリスではマーガレット・サッチャー政権が誕生し、アメリカと同じように新自由主義的な経済政策で、イギリスの国力を復活させた。

 

 これを機に、「新自由主義」が世界のトレンドとなり、世界各国で、金融や貿易の自由化、規制緩和、企業の雇用調整(リストラ)、国営企業の民営化などが進められた。

 

 そして、これらの制度改革をうまく利用した人々から、これまでになかったような富裕層が生まれ、中間層や貧困層との格差が広がるようになった。

 

 なんていうことはない。
 世界は、資本主義の誕生した時代に戻り、その恩恵を受ける少数のお金持ちと、大多数の貧困層とがはっきりと分かれることになったわけだ。

 

 富裕層と貧困層の比率は、昔は15%と85%であったが、今は1%のお金持ちと、99%のビンボー人という比率に変わってきている。

 

 トランプ大統領の躍進、そしてイギリスのEU離脱という現象は、こういう背景から生まれてきたものだといえる。

 

 でも、今はもう眠くなったので、それ以上を述べない。
 皆様お休みなさい。

 

トランプ大統領の精神分析


 「令和」という時代の最初の正月を迎えたばかりだというのに、波乱の時代の幕開けを予感させる事件が立て続けに起こっている。

 

 その一つが、米国トランプ大統領の指示によるイランのソレイマニ司令官の暗殺。

 

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 トランプ氏は、これを、
 「アメリカとイランが戦争へ向かう危険を取り除くための行為だった」
 と正当化しているが、こういう自分だけに都合のいいメッセージをまともに信じるのは、アメリカ国内にいる岩盤支持者たちだけだろう。

  

 明らかに、この発言は、その支持者たちに対するアピールを意識したものだが、トランプ氏の意図とは逆に、中東情勢が不穏な空気に包まれたことを反映して、世界の株価は暴落。
 アメリカ国内においても、トランプ氏の行動を「暴挙」と批判する声が高まっている。

 

 世の良識派の多くは、このようなトランプ氏の動向を不安な眼差しで見つめているが、彼のこういう政治姿勢を評価する日本のジャーナリストもいる。
 政治評論のコメンテーターとして活躍している木村太郎氏だ。

 

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 木村氏は、BS-TBSの『報道1930』(1月7日放映)に出演したとき、次のように語っている。

 

 「トランプ大統領が誕生して以来、世界は安定的に繁栄している。アメリカの経済も絶好調を迎え、その恩恵を日本も受けている。
 安全保障の面から見ても、日本は北朝鮮の核開発やミサイル攻撃の脅威から免れている。
 トランプ政権が世界を不安定にしているという見方は、とんでもない過ちだ」

 

 こういう木村太郎氏の意見は、一面正しい。
 しかし、木村氏はあえて意識してか、トランプ大統領の不安定要素には目をつぶっている。

 

 トランプ氏が政治家として抱えている一番の「不安定要素」とは何か?

 

 それは、彼の “無教養” である。

 

 本も新聞も読むことなく、側近からの近況報告にも耳を傾けず、テレビニュースだけを見て世界情勢を判断しているトランプ氏に、一般人としての教養が備わるはずがない。

 

 彼は、どんな国の歴史にも興味がなく、どんな国の文化にも関心がなく、各国の首脳たちと、ひたすら経済的利益のみ議題にする交渉事だけに専念している。

 

 そのことを、「ビジネスマンとしての才能がある」と評価する声もあるが、はっきりいえば、「ビジネスマン」と「政治家」は別の生き物だ。

 

 さらにいえば、「ビジネスマン」としての能力も2流以下である。
 彼は、イラン軍司令官を殺害することで、イランから受ける報復の被害額や、その報復を抑え込むための軍事費の流出を、まったくコストに入れていない。

 

 つまり、トランプ氏には、ビジネスマンにも政治家にも要求される長期的展望というものが一切ないのだ。
 
 
 なぜ、そういう人間がアメリカという大国のリーダーになれたのか?

 

 アメリカという国の「国力」が大崩壊を始めているからだ。
 
 「国力」とは何か?

 

 そこには、経済力も軍事力も含まれるだろう。
 目下のところ、アメリカはその二つにおいて、相変わらず、ダントツで世界をリードしている。

 

 しかし、「国力」として三つ目に挙げられる「知性の力」は、もう目を覆うばかりに地盤沈下を始めている。

 

 トランプ氏が大統領になるために掲げた政策を振り返ってみよう。
 「アメリカン・ファースト」
 「移民(難民)排斥」
 
 この二つのスローガンに興奮したプアホワイトの人々が大統領選では熱狂的にトランプ氏を支持し、それが今も岩盤支持者として彼の政権を支えているわけだが、よく考えてみると、
 「アメリカン・ファースト」とは、「世界のなかでは俺さまだけが偉い」という意味であり、「移民排斥」というのは、「ワケの分からない人種は出ていけ」という異民族・異文化への不安を表明したものだ。
  
 この二つは、「他者を排除」するという “思想” として一つに交わる。
  
 正月1日に放映されたTBSの『サンデーモーニング “幸せ” になれない時代』(新春スペシャル 分断と格差が深まる世界)という番組では、社会心理学者の加藤諦三氏に、
 「他者を排斥したいというのは、人々の幼児化が進んだことを意味する」
 と語らせている。

 

 「幼児化」というのは、大人の思考に耐えられないことをいう。
 つまり、「人間は困難な状況に接すると、無意識のうちに自我を防衛しようとして、退行現象を引き起こす」(フロイド)というのだ。

 

 今の世界は、一人の人間が自分の思考で全体を把握することができないほど複雑怪奇になっている。
 しかも、その複雑化する速度が年々早まっている。

 

 こうした状況に置かれると、人々は、身に降りかかる不安を払しょくするために思考を幼児化させ、単純な言葉を使って世界を分かりやすく説明する政治家の言葉だけを信じようとする。 
 
 それがポピュリズムの始まりで、その代表者として登場したのが、トランプ氏だ。
  
 彼は、幼児化していく支持者たちの知的コンプレックスを一掃した。

 

 大統領選を通じて、アメリカの新聞メディアはこぞって、トランプ批判にまわった。
 しかし、彼はそれを逆手に取り、「新聞が伝えるニュースはフェイクニュース(ニセ情報)だ」と言って、支持者たちから新聞を遠ざけ、代わりに自分の「ツィッター」を使って、言いたいメッセージだけを立て続けに流し続けた。

 

 彼の使う言葉は小学生レベルで、しかもセンテンスが短く、内容は扇動的だった。
 これが、さらに、支持者たちの知的コンプレックスを解消する働きを持った。

  
 こうしてみると、トランプ氏は、実にたぐいまれなる政治戦略をもっていた政治家だったのか?  と思い込む人も出てくるかもしれない。 
 
 しかし、専門家の分析によると、彼は政治戦略などほとんど持ったことがなく、ただひたすら「自分をカッコよく見せる」ことだけに神経をつかって生きてきた人だという。

 

 東洋経済ON LINE でトランプ氏を分析した岡本純子氏は、かつてこんなことをWEB上で発表していた。

 

 「トランプ氏という人は、とにかく自分が大好きな人である。彼はことあるごとに、歴代大統領のなかで、もっとも雇用を生み出したのは自分。アメリカをもっとも偉大な国にしたのも自分。いったんは地盤沈下したアメリカ経済をかつてないほど繁栄させたのも自分 というように、人々が賛美してくれることだけを期待して行動する人である」

 

 そういう傾向を持つ人を一般的に「ナルシスト」と呼ぶが、トランプ氏の場合は、その傾向が強すぎて、病的な領域に入り込んでいるとも。

 

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 アメリカの精神医学会のデータによると、精神疾患のなかには、「自己愛性パーソナリティ障害」と呼ばれるものがあるらしい。
 トランプ氏というのは、そういう診断を下されかねない人だという。

 

 この病理を抱えている人は、

  とにかく、自分の実績や人格を誇張して喧伝する傾向がある。
  限りない成功や権力欲にとりつかれる。
  人々からの過剰な称賛を求める。
  対人関係では、相手を常に利用することしか考えない。
 ⑤ 他者に対する共感をはなはだしく欠く。
  しばしば他人に嫉妬する。
  他者に対して、自分が傲慢であることを自覚しない。
  自分が批判されたときの耐性が低い(すぐ逆ギレする)

 …… いくつか省略したが、おおむね上記のような性格が目立つのだそうだ。

 

 上記の項目を見ただけでも、すべてトランプ氏に当てはまりそうな気がする。

 

 こういう精神構造を抱えたアメリカ大統領に接するとき、他国の元首はどう振舞えばいいのだろうか。
 
 まず、「教養」や「知性」をひけらかしてはだめだ。
 そういうものに欠けているトランプ氏を逆ギレさせる可能性がある。
  
 ドイツのメルケル首相やフランスのマクロン大統領は、その点でトランプ氏とそりが合わない。
 
 今のところ、もっとも相性がいいのは、日本の安倍晋三首相である。

 

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 安倍氏も、あまり本など読んでいないようだし、新聞も手に取ることがなさそうだ。
 そういった意味で、安倍さんは、現在のところ「教養」と「知性」に欠けるトランプ氏を不快にさせる要素がほとんどない。
 
 不安定要素ばかりが目立つトランプ大統領だが、日本の外交だけは、無教養な安倍さんのおかげで、多少安定しているのかもしれない。
   

ターナー、光に愛を求めて

映画批評
大英帝国の誕生を絵画で表現した男

   
2014年イギリス・ドイツ・フランス合作映画
原題「Mr. Turner」 日本公開 2015年6月

 

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知的興奮を誘う傑作

 

 美しい映画である。

 

 主人公は、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
 “人物事典” ふうにいうと、「18世紀の末から19世紀にかけてイギリスで活躍したロマン主義の画家」ということになる。


 たとえば、こんな(↓)絵が有名だ。

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ターナー作『解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号』
▼ 主役のターナーを演じたティモシー・スポール

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随所に現れる風景の美しさ


 芸術家ターナーを主人公にしただけあって、映像がほんとうにきれいなのだ。
 たとえば、冒頭のシーンを飾る朝焼けの風車。

 

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 あるいは、夕陽に染まった海に浮かぶ大型帆船。

 

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 そして、森の中の静かな湖。

 

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 まさに、ターナーの絵そのものともいえるような美しい画像がいたるところに挿入されている。


 それを見るたびに、観客は息を吞む。
 「これは、はたして地球上の風景か?」と。

 

 玄妙な光と影に彩られた大自然の風景を眺めるだけで、この映画の美学的なこだわりが、鮮烈な印象をともなって観客の目に迫ってくる。 

 

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 特に、荒涼としたイギリス郊外の風景には圧倒される。


 長い間、ヨーロッパ史において、イギリスは、文明の光の届かない辺境の地でしかなかった。
 イタリアやフランスのような地中海文明の遺産をたっぷり浴びた大陸の国家に比べ、荒れた大西洋に浮かぶ島国イギリスは、風土的にもさびしい。

 

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 そんな、ヨーロッパ文明の辺境の地であったイギリスが、ターナーの生きた時代には、世界一の強国になりつつあった。


 つまり、この映画は、ターナーという画家の生きざまを素材にしながら、実は “イギリス帝国” が発展していく過程を描いた物語なのである。

 

▼ 繁栄を極めた19世紀中頃のロンドン

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イギリスの激動期を生きたターナー

 

 1837年。ターナーが62歳になったときに、ヴィクトリア女王が即位。


 この女王の治世期に、イギリス帝国はこれまでの領土を10倍以上拡大させ、地球の全陸地面積の4分の1、世界全人口の4分の1(4億人)を支配する空前絶後の大帝国を築いた。


▼ 映画に出てくるヴィクトリア女王

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イギリス世界帝国の本当の姿を描いた画家


 ターナーの作品には、海および船を描いた絵が多い。

 

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 だから、絵から受け取る印象として、大自然の猛威の前には人間も無力であるという “教訓話” としてとらえることも可能だ。


 しかし、逆に考えれば、大海に新しい活躍場所を見出したイギリスという海洋国家の不屈の精神を描いているともいえそうだ。

 

 
海を制する者が世界を制する

 

 海に進出したイギリスが、なぜ世界制覇をなしとげることができたのか。
 
 それは、海が、まだ世界の誰からも支配を受けていない “空白地帯” だったからだ。


ターナー作『嵐の近づく海景』(1803年頃)

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海は治外法権

 
 もともと海という空間には、陸の法(ルール)が通用しない。
 人類は陸上帝国の歴史だけを繰り返してきたため、海は無法地帯として放り出されていたのだ。

 

 その海を独占したのが19世紀のイギリスだった。
 つまり、世界の海は、イギリスが定めたルールによって管理される空間に変貌したのである。

 

 そして、極東やインドなどの広大なイギリス植民地からは、安価な労働力によって収穫される安価な原材料がイギリスに集まり、それが工業製品となって、今度は世界中に供給された。

 

 こうして、イギリスの首都ロンドンは、世界一の繁栄を誇る大都市となって “我が世の春” を謳歌した。
  

 

地球上の富の集積地
 

 映画『ターナー』では、後半、美術評論家ラスキンを交えた美術談議が繰り広げられるシーンが出てくる。

 
 そこで、登場人物たちの会話で交わされたテーマのひとつが、各国に生息するツグミという鳥の違いについてであった。
 
 「中国のツグミはこういう性格で、東南アジアのツグミはこういう習性がある」
 というような会話が、ターナーも列席した美術愛好家の集いの場で交わされる。

 

 このシーンの意味するものは何なのか。

 

 イギリスが世界の富の集積地となったことを表している。


 集積した富とは、「財貨」や「物産」だけとは限らなかった。
 「情報」もまた過剰なくらいイギリスに集積し、それがイギリスの自然科学の質を劇的に高めた。

 

 この時代、イギリスでは新しい学問が一気に花開いている。

 「人類学」などという学問もその一つだ。


 イギリス人たちは、世界各地に散らばった植民地の支配を強化するために、インド、中国、中近東、北アフリカアメリカなどの各民族の生活風習・文化の違いをデータ化する必要を感じていた。

 

 それが「学問」として整理され、後にフレイザーが『金枝篇』としてまとめたような「人類学」や「民族学」の形をとるようになる。

 

フレイザーの『金枝篇』の口絵はターナーの絵で飾られている

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 このような知的文化の向上は、イギリスの芸術家たちをも巻き込まずにはいなかった。

  

 

光と色の秘密が解明された時代


 1800年代に入ると、それ以前の科学的認識が一気に塗り替えられるような新しい発見・発明が次々と登場するようになる。


 特に、光・色彩などの科学的研究が飛躍的に進んだ。 

 

 1800年ハーシェルが、赤外線を発見する。
 1801年には、リッターが紫外線を発見。
 同年、トーマス・ヤングが、光の正体を「波動」だととらえた “波動説” を唱える。

 

 それまで光というものは、ニュートンの考えたように「粒子」であると信じられていた。
 それが、「波動」であるという説によって、学者の間にパラダイムシフトが起こったのだ。

 

 現在は、アインシュタインの研究(量子力学)によって、光は「波動」と「粒子」の両方の性質を持っていると説明されているが、19世紀の初頭に始まった “光の研究” は、画家たちの思想にも多大な影響を及ぼした。

 

 映画『ターナー』においては、昔からの友人であるサマヴィル夫人(写真下)がターナーの家を訪れて、彼に「光」の講義を行うというエピソードが盛り込まれている。

 

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 メアリー・サマヴィルは、天文学の分野で秀でた功績を残した女流科学者で、1826年に「太陽スペクトルの紫外線の磁性」という論文を王立協会会報に掲載し、その名をとどろかせた。

 

 映画のなかの彼女は、ターナーにプリズムを使った色や光の実験を見せ、色や光の神秘的な動きには、実は厳密な科学的根拠があると明かす。
   
   
もっと絵に「リアル」を!

  
 そのことを理解してからのターナーの絵には、徐々に変化が現れるようになる。
 自然光をプリズムを通して眺めると、色が波長ごとに分節されるということを知った彼は、 “科学的・分析的” に太陽光をとらえるようになっていく。

 

 このようなターナーの絵の変化を、よく “抽象画に近くなった” などと表現することがある。

 
 しかし、その見方は当たっていない。彼は抽象画などを描くつもりはなかったからだ。
 
 彼の絵がどんどん “ぼやけて” いくようになったのは、「抽象への意志」ではなく、「リアルなものの凝視」であった。
 つまり、ターナーはリアリズムというものの本質を知ったのだ。
 
 下は、有名な『ノラム城、日の出』(1835~40年頃)である。

 

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 城の輪郭は、画面中央の青い台形のシルエットとしてしか把握することができない。
 画面のなかに描かれた対象物はすべて分厚い水蒸気のベールに包まれてフォルムを失い、漠然とした “色のかたまり” に変貌している。
 
 もし、画面右下の「牛」のシルエットが読み取れなかったら、もうこの絵は20世紀に出現する抽象画の範疇に入れられてしまうかもしれない。

 

 しかし、ターナーは、現実世界をきわめて科学的・実証的に追求したつもりになっていた。
 
 彼は、すべての光をプリズムを通して波長順に配置されたように構成し、絵の中に “科学” を導入したつもりでいた。

 

 たぶん、彼には、「ほんとうの世界は、人間の目には、このように映るはずだ」という信念があったに違いない。
 
 朝の水蒸気にもやった環境の中で、もし城の輪郭が細部までくっきりと見えたとしたら、それは人間の目がとらえた「城」ではなく、人間の脳裏に去来した「城という観念」だと彼は主張したかったはずである。
  
  

 
人間は、見慣れた物を実は見ていない

 
 「リアリズムの本質は非親和化にある」
 という言葉がある。

 
 非親和化。
 つまり、見慣れていたはずのものを “よそよそしい” ものに変えてしまうことをいう。
 
 なぜ、それがリアリズムの本質かというと、我々は、いつも見慣れているものを、実は見ていないからだ。
 
 見慣れた物というのは、視覚がその対象に慣れ親しんでしまったために、頭のなかで「観念」として処理され、意識の引き出しに無造作に仕舞われてしまったものをいう。
 
 だから、見慣れたはずの物というのは、改めてじっくり見てみると、それが日ごろ思っていたものとは異なる、なんとも奇怪な姿をしていることに気づく。
 
 そのときに、我々の目は、ようやくその物のリアルな実相にたどり着いたことになる。

 

 ターナーが自分の絵画で追求したかったことは、それであった。
 彼はそのとき、それまでの古典絵画と決別したのだ。
 
 対象に明確なフォルムを与えて、安定した構図のなかに収めた古典絵画は、ターナーにとっては、人間が「頭のなかの “観念” で処理した絵画」に過ぎなかった。

 

 そうではなく、「目の前にある現実の世界を見よ ! それは色と光の強烈なせめぎあいから生まれる感性の乱舞ではないのか?」
 ターナーが言葉をあやつる文学者であったなら、たぶんそう言いたかったに違いない。

  

 

テクノロジーの変化が芸術をも変える

 

 映画の後半、新しい商売として街に生まれた “写真館” に行って、ターナーが自分の写真を撮ってもらうシーンが登場する。

 
 写真技師たちが、カメラを設定している間、ターナーは彼らに質問を向ける。

 

 「このカメラで、戸外の景色も撮れるのか?」
 技師が答える。
 「もちろん撮れますとも。私はナイアガラの滝をこのカメラで撮りました」

 

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 それを聞いて、ターナーがつぶやく。
 「なるほど。これからの画家は、スケッチブックではなく、カメラを抱えて旅に出ることになるんだな」

 

 彼は、そこで新しいテクノロジーの出現が、芸術表現をも変えていくことを理解する。  

   
  
人々の世界観を変えた蒸気機関
 

 ターナーは、カメラというテクノロジーにも大いなる関心を示したが、さらに驚いたのは、蒸気機関車というテクノロジーだった。


 この映画のハイライトとなるのは、彼がその姿を絵画のなかに描くところである。

 

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ターナーが描いた蒸気機関車 『雨、蒸気、速度、グレート・ウェスタン鉄道』(1844年)

 

 雨の中で、蒸気を上げ、テムズ川にかかるメイドンヘッド橋を疾駆してくる蒸気機関車
 映画のなかでは、それは下のような画像として登場する。

 

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 この蒸気機関車を見つめるターナーの表情は、まるで天空を駆ける “神々の戦車” でも見たような、畏れと感動に満ちたものになっている。

 

▼ アトリエに帰り、さっそく蒸気機関車を描き上げるターナー

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 ターナーが、蒸気機関車に見たものは何だったのか。
  
 彼が目にしたのは、神を中心に回っていた「神学的な世界」が、「科学技術的な世界」に変わる瞬間であった。

 
 言葉を変えていえば、それは「資本主義」であり、「近代」だった。

 

 多くの科学史家たちは、蒸気機関の登場する前と登場した後では、人間の世界観がまったく変わったと指摘する。

 

 たとえば、文化人類学者のレヴィ=ストロース(1908~2009年)は、蒸気機関が登場する前の前近代的社会を「冷たい社会」と定義し、それを「時計」という比喩で表現した。

 つまり、(蒸気機関が登場する前の社会は)時計のように、静的で、円を描くように、規則正しく循環していく社会だった。

 

 それに対し、蒸気機関がもたらした社会は「熱い社会」であり、循環するのではなく、どこまでもまっしぐらにばく進する社会であった。

  

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 まず、蒸気機関の登場によって、人々は工場の立地条件が変わったことを理解した。
 それまでは、大きな動力が必要なときは、水力や風力に頼るしかなく、そのため、物を生産する工場は、自然に恵まれた都市郊外に分散する傾向にあった。

 

 しかし、蒸気機関が普及すると、工場経営者は、水力や風力に頼らない動力を得られるようになったため、都市に工場を集中させるようになった。

 

 工場の都市集中化は、そのまま労働力の集中化につながり、かつエネルギー原となる石炭貯蔵の集中化を招いた。

 
 このように、蒸気機関はイギリスの産業構造を変えることによって、景観も人口構成もドラスティックに変えていった。

 

 のみならず、人々の「思想」も変えた。
 マルクスニーチェフロイトなど、“20世紀の思考” を築いた19世紀の人々は、意識すると否とにかかわらず、蒸気機関の “力動感” を前提とした知的パラダイムの上に自分の思想を構築した。 

 

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 ターナーは、画家として、無意識のうちに、「資本主義」の本質を1枚の蒸気機関車の絵の中に封じ込めたのである。

 

生タヌキと遭遇

 
 これは昨年(2019年)の話である。

 

 11月の末。
 小雨の降る夜に雨ガッパをはおり、自転車を漕いで、家から500mほど離れたコンビニまで飲み物を買いに出たことがある。


 時間は夜の0時を回り、深夜の1時ぐらいになっていたと思う。

 

 住宅街を真っ直ぐ抜ける道の奥に、小動物のシルエットが見えた。
 ネコの姿とは微妙に違う。

 

 近づくと、タヌキだった。
 2mほどの距離で、見つめ合うことになった。
 目の周りが黒いので、まぎれもなくタヌキだ。

 

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 わが町に60年以上住んで、野生のタヌキに遭遇したのははじめてのことだった。
 
 この時期、野生のイノシシやら、クマやら、サルたちが冬場のエサを求めて住宅街に出没するというニュースが相次いでいた。

 

 だから、民家がぎっしり建て込んでいる住宅街のど真ん中に、見慣れぬ動物がうごめいていてもおかしくはない状況であったが、それにしても、タヌキの出現には意表を突かれた。

 

 そいつはしばらく道路のはしをチョロチョロ歩いていたが、やがて「キャウン」と一声ほえてから、もと来た道を戻っていった。

 

 暗くて見えなかったが、その先に、もう一匹いたような気もする。

 2匹は、こそこそと仲良く闇の中に消えた。

  

 でも、いったいどこから出てきたのだろう?

 周囲には林もなければ、森もない。

 
 ここから1kmほどの距離に、巨大な池を有した広い公園があるが、仮にそこから来たにせよ、この住宅街まで来るには、2車線の広い道路を横断しなければならない。

 

 タヌキは臆病な動物で、自動車のヘッドライトを浴びただけで、気絶してしまう(これをタヌキ寝入りという)くらいだから、深夜になっても車の往来が激しいその道を渡ってくるとは考えにくい。

 

 となると、どこかの古い屋敷の軒下などに潜り込み、昼はひっそりと寝て暮らしているのだろうか?

 

 エサはどうしているのか?
 冬は寒くはないか?
 夏は暑くないか?
 散歩中の犬に追われることはないのか?
 野良ネコから、ネコパンチを受けたりすることはないのか?
 子供の教育はどうしているのか?
 
 人ごと というかタヌキごとながら、いろいろと心配してしまう。

 

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 ネット情報によると、現在、東京都内にはタヌキが1,000匹ぐらいいるという。
 いずれも、林の中や、古民家の床下や、空の排水溝の奥などで暮らしているらしい。
 ミミズのような虫から木の実まで。
 肉食のキツネと違い、タヌキは雑食だから、都市生活を苦手としていない。
 彼らは知る人ぞ知るアーバンアニマルなのだ。
   
  
 翌日、近所の井の頭動物園までタヌキを見に行った。
 コンクリートで固められた獣舎のなかに、確かにいた。

 だが、寝ていた。
 夜行性なので、昼間は体を丸くしてずっと寝ているという。

 

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 タヌキの名前は「ポン」というらしい。
 たぶん男性。
 2009年に杉並区で保護された個体だとか。

 

 仲間に「リン」という女性がいたらしいが、2019年の4月から療養生活に入り、11月22日に死亡したという。

 

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 1人残された「ポン」。
 なんだか可哀想だ。

 

 そういえば、私がタヌキを住宅街で見たのも11月の終わり。
 あれは、その頃亡くなった「リン」の霊だったのだろうか。
 私がブログネームを「たぬき」としているばっかりに、
 「どんなヤツなのだろう?」
 と顔を見にきたのかもしれない。

 

 真夜中に 住宅街に出るタヌキ 夫婦か親子か体を寄せて

 

人類はなぜネズミを可愛いと思うのか?

 今年(2020年)の干支は「子(ネズミ)」である。

 

 ネズミがなぜ干支の動物に選ばれているかは諸説あるらしいが、一つは、「子供をどんどん産んで数を増やす」という特性から、「子孫繁栄」の象徴とされるらしいからだ。

 

 しかし、歴史的にみると、ネズミが個体数を増やすことは、人類の生存を脅かす不安材料でもあった。

 
 特に、人類が農耕を学んでからは、ネズミの増加によって、人類は穀物(麦・米等)を奪われるようになり、彼らは「害獣」として駆除の対象にされるようになった。

 

 しかし、そんな “悪辣なネズミ” の姿を、われわれ人類はなぜ「可愛い」と思うのだろうか。

 

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 おそらくそれは、「ネズミ様」が、われわれ人類の遠い祖先だからである。

 

 これまで人類は、長い間、霊長類の猿から進化してきたと思われてきたが、近年の研究によると、猿も含めた哺乳類がこの世で栄え始めたのは、ネズミ一派の必死な生き残り作戦の結果ということになるらしい。 

 

 なにしろ、哺乳類が活躍する前、この世は恐竜たちのパラダイスだった。
 しかし、よく知られているように、約6,500万年前に隕石の衝突で、地球上から恐竜が消えたとき、実はそれまで生きていた哺乳類の大半も死に絶えたらしい。

 

 唯一生き残ったのが、小型の爬虫類と小型の哺乳類だったという。
 そのときに生き延びた哺乳類というのは、基本的には “ネズミのグループ” で、虫を主食にして生き延びた貧弱な四つ足生物にすぎなかった。

 

 しかし、そのうち彼らは様々な進化を遂げ、驚異的な多様性を帯びるようになっていく。

 

▼ 初期の “ネズミグループ” のイラスト

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 “ネズミ一派” にそれが可能になったのは、一つは、個体の生命が比較的短いこと。
 そして、もう一つは、多産系であったこと。

 

 つまり、この二つの要素が噛み合って、突然変異の確率が高まり、より環境に適合した新種がどんどん生まれていったということになるという。

 

 その進化の果てに、猿、人類、ウマ、シカ、クジラといった雑多な哺乳類が現れるようになっていく。

 

 われわれ人類が、ネズミの姿にどこか愛嬌を感じ、害獣であるにもかかわらず “可愛い” と思うのは、彼らがご先祖様であるという事実が人間のノスタルジーをくすぐるからだろう。

 

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なぜ人類はヘビを怖がるのか?


 ところで、ネズミとは反対に、人類が本能的に恐怖を感じる生き物がいる。
 「ヘビ」である。

 

 人類に限らず、ほとんどの哺乳類は本能的にヘビを怖がる性質を持っている。

 

 これは、われわれのご先祖様だった “ネズミ一派” が、ヘビの格好のエサになり続けていたことに由来するらしい。

 

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 とにかく、ヘビは足音も立てず 足がないからなぁ エモノに近づき、頃合いを見計らって飛びかかり、小型哺乳類を一気に丸飲みする。

 

 さらに、ヘビの模様は、葉や石と見分けがつかないようになっているものが多く、近づくまで気がつきにくい。

 

 こういうヘビに対する恐怖が、小型哺乳類の独特の感受性を育てた。

 

 すなわち、視界の下の方からゆっくりと這うヘビの気配を察すると、ほとんどの小型哺乳類は、瞳孔が拡大し、心拍数が上がり、脳へのエネルギー供給が一気に増えるようになるのだという。

 

 これは、猿のような霊長類に進化した動物でも同じで、彼らも、木の上に登ってくる “くねくねと動く竿状” のモノに対しては、群れが大パニックを起こすそうだ。 

 

 一説によると、人間が飛びぬけた視覚システムを獲得するようになったのは、忍び寄るヘビを素早く見つけるために訓練されたものだともいう。
 

 このような人間のヘビに対する恐怖は、やがて単なる恐怖を超えて、崇拝や信仰の対象としてヘビを認知していくようになる。

 

 太古の昔、ヘビを信仰の対象としていた民族は世界中に存在したらしく、旧約聖書に登場するアダムとイブの話にも、ヘビが絡んでくる。

 

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 ここに登場するヘビは、人間(アダムとイブ)に知恵を授ける動物として登場する。

 
 ヘビは彼らに、楽園に植わっていた「知恵の実(リンゴ)」を食べるように勧めるが、もちろん、それは神の教えに背くことになり、ヘビの誘惑に負けたアダムとイブは楽園を追われることになる。

 

 この話は、人間は、神の約束に従うよりも、ヘビの誘惑の方を優先する生き物だということを示唆している。

 

 つまり、人類が “ヘビへの恐怖” に対抗するために、それに襲われたときの経験を語り継ぎ、逃げ延びるための知恵を磨き、脳の進化を図ってきたことをこのエピソードは語っている。

 

 すなわち、「ヘビ」は恐怖の根源であると同時に、「知恵」の源でもあったということなのだ。

 

 ネズミもヘビも、同じ干支の仲間として生きている。
 もちろんネズミにとっては、ヘビも怖いが、天敵のネコがいないだけでもホッとしているかもしれない。

  

『2001年宇宙の旅』再び

 年末、中学校時代の友人たちと飲む機会があった。
 すでに70歳に近い老人たちが集う会だから、半世紀以上の付き合いとなる。
 固定メンバーはだいたい4名だが、この日は3人だけの会となった。

 

 中学時代に、小説、評論、漫画などを集めたガリ版刷りの同人雑誌を制作した仲であるから、会うと「文学」や「映画」の話になることが多い。

 

 この日も、映画のゴジラシリーズやSF映画の話題となった。

 

 そういうテーマではいつも主導権を握る T 氏が、自分の一生の方向を定めたという映画『2001年宇宙の旅』(監督スタンリー・キューブリック 1968年制作)について熱く語り始めた。

 

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 彼がこの作品に接したのは、年齢的には17~18歳。
 高校3年生ぐらいの年であったろうか。
 50年ほど前の話である。

 

 中学を卒業した後に、我々はそれぞれ別の高校へ進学したが、この映画が公開されたとき、
 「すごい映画ができたから、みんなで見ようぜ」
 という T 氏の発案によって、久しぶりに集合して鑑賞した。

 

 映像的には凝った映画だと思ったが、正直、難解すぎて、私は T 氏ほどには感激しなかった記憶がある。

 

 この映画をすごいなぁ! と思ったのは、それから40年ほど経ってBS放送で見直してからだ。


 17~18歳頃には難解に思えた個所が、40年も経つと、さすがにキラキラと輝くほどの魅力を放っていて、当時は気づかなかったが、なんともすごい映画に接していたものだと、改めて考え直した。

 

 T 氏は、けっきょくこの映画に触れたことによって、クラシック音楽というものに開眼し、SF的世界観に目覚め、そこから遡行して、さらに文学・哲学の領域に関心を広げていった。
 人間にとって、そういう作品に出会うということは、とてつもない幸福であるといえるだろう。

 

 この年末に集合したときは、この映画のテーマは何であったのか、ということが改めて話題になった。

 

 素人がこの映画の感想を述べるとき、必ず「難解である」という印象が最初に語られる。

 しかし、T 氏の話によると、この『2001年 』という映画や小説には、原作者たちの丹念な制作ノートが残されており、お蔵になった脚本や未使用のフィルムもたくさんあるという。

 

 だから、「難解だ」と思う人は、まず作品以外の資料に当たるべきだ、というのだ。

 

 さらに、このシリーズには、別の制作陣による続編も用意されており、それを逐一フォローしていくことで、第一作目をつくった映画監督のキューブリックの意図や、それを小説化したアーサー・クラークの世界観や哲学が分かるようになっているとも。

 

 T 氏はそういってから、この作品の背景となるストーリーを簡単に要約してくれた。

 

 彼の説明によると、この映画は次のような構成になっているという。

 

 かつて高度な知性をもった異星人(映画ではその姿が描かれない)が地球を訪れたとき、地球はあまりにも野蛮な原初の闇に包まれていた。
 そこで、その異星人は、地球上のある猿のグループを選んで、知性を授けることにした。

 

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 そのとき、知性の教育装置となったのが、「モノリス」といわれる長方体の構造物(上)で、それに触れた猿が知恵を授かることになった。
 つまり、その段階で、猿から進化した人類が誕生したというわけだ。

 

 しかし、「人類」というのは宇宙旅行に行ける技術を持った段階でも、まだ進化の途上にある生き物でしかなく、最高の知性を持つ異星人からすると、人類はさらなる進化を遂げる必要があると見なされていた。

 

 その進化の過程を描いたのが、『2001年宇宙の旅』の終盤に描かれた木星探索に出たボーマン船長(写真下)の体験談だという。

 

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 時空を超える飛行体験の後に目を覚ましたボーマン船長は、ロココ風の室内装飾を施された謎の一室で食事をしている自分の姿を見る。

 

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 そこに登場する自分は、見る見るうちに老衰していき、最後はベッドに横たわって、もう死を待つしかないような状態になる。

 

 しかし、そのシーンのあとに映画の観客が見るのは、空中に浮かぶ巨大な胎児の姿。
 T 氏によると、その胎児こそ、人類が次の進化を遂げたことを示す「スターチャイルド」と呼ばれる新生命なのだとか。

 

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 この「スターチャイルド」こそが、猿から進化して人間になった人類が、その次のステップに移ったときの姿なのだという。

 

 ただ、それがどんな存在なのか。
 映画はそれを具体的に解き明かすことなく終わる。

 

 しかし、原作者のキューブリックとクラークは、他の文献で、この新生命がどういうものであるのかということを詳細に語っているという話だった。

 

 そこまで話したT 氏は、私に向かって、こんなことを言った。

 

 「映画や文学には謎があった方がいいと、(私が)昔ブログに書いていたが、しかし、芸術作品というのは謎のまま放置するよりも、真実を究明した方が作品理解が深くなることもある」

 

 こういう言い方だったかどうか、正確には記憶していない。
 ただ、
 「町田もより深い文献に触れて、いっしょにこの映画の本質的なテーマに向き合ってほしい」
 ということだったと思う。

 

 彼の言い分にも一理あると思い、インターネットを使って、この映画を解説していた町山智浩氏の『映画塾!2001年宇宙の旅』(2017年制作)という番組を見た。

 

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 町山氏の解説は、この映画の原作者たちのインタビューや著作などをある程度読破した成果の上に成り立ったもので、多くの観客が「難解である」と戸惑った内容をほぼ完ぺきに解き明かすものだった。

 

 その話自体はとても知的な刺激に満ちたもので、聞いているとかなり面白かったのだが、一方で、「だから何だよ」という気持ちも湧いた。

 

 私が思うに、この映画では「難解である」ことが豊饒さにつながっていて、それを解き明かしてしまうと、内容がどんどん薄っぺらになってしまうという特徴がある。

 

 実は、そう言っているのは解説している町山智浩氏自身であって、彼にいわせると、
 「キューブリック監督は、この映画に関して、完璧な説明をすべて用意しながら、公開時に、観客が理解できるような情報をいっさい映画からそぎ落とし、あえて “難解さ” を強調したのだ」
 という。

 

 なぜ、そういう作り方をしたのか?
 それについて、キューブリック自身が残した言葉があるらしい。

 
 すなわち、
 「なぜ(ダ・ヴィンチの)モナ・リザは魅力的なのか? それは、鑑賞者が彼女の微笑に “謎” を感じるからだ。要は、謎があってこそ芸術品は生命を得るのだ」
 と。

 

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 もしキューブリックがほんとうにそう言ったのだとしたら、それは至言であると言わざるを得ない。

 

 彼は、芸術品は「いつ完成するのか?」ということを考察したのだ。
 つまり、芸術品は、表現者の手を離れ、それを見た鑑賞者の “脳内” で完成するとキューブリックは言いたかったのだ。

 

 芸術品が作者の手を離れ、鑑賞者の脳内に沁み込んでいくためには、どうしても強力な原動力が不可欠になる。
 その「原動力」こそ、芸術品がその深部に抱え込む「謎」にほかならない。
 娯楽文学の王道が、いまだに「推理小説」であり続けるのはそのためである。

 
 
 キューブリックは、なぜ「謎の解明」を鑑賞者にゆだねたのか。

 

 町山氏によると、実はキューブリック監督と小説家のクラークは、この映画制作が始まる前に、ストーリーの細部まで説明するシーンをたくさん用意していたという。

 

 ところが、公開前にキューブリックの気持ちが変わった。
 すなわち、彼は、詳細な解説を施すことよりも、「謎」を残すことを取ったのだ。

 

 もし、ボツとなった企画がすべてこの映画に収録されていたら、見終わった観客から「難解だ」と非難する声はほとんどなかっただろう、と町山氏はいう。

 

 しかし、彼は、次にこういう言葉を残す。
 「難解さはなくなったとしても、それが名作といわれたかどうかは別の話だ」

 

 町山氏もまた、芸術作品は「観客の脳内で完成する」という自論の持ち主なのだろう。

 

 私もその説を支持する。

 

 もし、仮にキューブリックやクラークが、非の打ちどころのないほど完璧に自作を説明したとしても、世界の観客のなかには、原作者たちの予想をはるかに超える高次の解釈を行う人間がぜったい出てくる。
 原作者には、より優れた解釈を試みる “未来の鑑賞者たち” を排除する権利はないのだ。

 

 キューブリックはそのことが分かっていたから、この映画が公開される直前に、すべての “解説” を削り落とし、あえて暴力的なまでにそっけない作品に仕立て直した。

 

 そのことで、作品の骨格は “やせ細った” が、逆に、切り落としたところに闇が残り、その暗がりに、めくるめくような豊饒さが宿った。

 

  

 

アレクサンドロス大王の精神分析

 今年(2019年)の11月、NHK BSプレミアムの『ザ・プロファイラー』という番組で、アレクサンドロス大王が取り上げられていた。

 

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 番組の進行はほとんど覚えていないが、“アレクサンドロス大王” の不思議な精神構造には興味をおぼえた。

 

 アレクサンドロスという男は、大遠征を開始したとき、いったい何を追求したかったのか?


 そして、実際にギリシャペルシャ/エジプト/インドという広大な領土を獲得することによって、何を得たのか。

 

 そういうアレクサンドロスの内面を掘り下げた文献というものを、実は私はまだ知らない。


 彼の大遠征ストーリーは数々の華やかな光輝に包まれているが、実際のところ、彼の心理を分析した資料は何もないのだ。

 

 もちろん、幼少期から様々な逸話は残されている。
 少年時代に、馬の心理を読み、大人たちが乗りこなせなかった荒馬を見事に乗りこなしたといったような彼の傑出した能力を喧伝するエピソードは枚挙にいとまがない。
 
 しかし、それらの逸話は、アレクサンドロスという人物がとった行動に焦点を当てたものが大半を占め、彼の内面に触れてはいない。

 

 ギリシャ人というのは、歴史を語るときも、ヒーローたちの人間味を語ることが好きな民族だった。

 

 たとえばホメロスの『イリアス』や『オデッセイア』においても、ホメロスは、想像上の人物に近いアキレウスオデッセウスを、まるでサスペンスドラマかメロドラマの主役たちのように描いた。

 

 そのような人間味の濃い古代ギリシャの英雄像のなかで、アレクサンドロスという人だけは、非常に人間像が抽象的である。

 

 私は歴史好きの少年だったから、小さい頃から日本語訳の『プルターク英雄伝』などを読みあさっていたが、古代ギリシャ人の話が続いた後で、アレクサンドロスのところまでくると、急に人物像が神秘のベールに包まれてしまうのを感じていた。

 

 それがなぜなのか。
 少年時代の私には、よく分からなかった。

 

 しかし、今の私はこう思っている。

 

 アレクサンドロスという人の内面が分かりにくいのは、彼が神話と歴史の狭間(はざま)を生きた人だったからだ。
 つまり、彼は、幼い頃から自分は「神の子」であるという意識を持ちながら成長したのだろうと思う。

 

 そこには実母のオリュンピアスという女性の育て方が関わってくる。

 

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 オリュンピアスは、呪術を重んじる巫女的性格が強く、幼いアレクサンドロスの精神性を神秘的な世界観に染め上げていったといわれている。

 

 父のフィリッポス2世が、わざわざアテナイからアリストテレスという哲学者を招いてアレクサンドロスの家庭教師にしたのも、たぶんにオリュンピアスの呪術的世界観から息子を遠ざけようという意図が働いたからかもしれない。

 

 こうしてアレクサンドロスは、アリストテレス経由のギリシャ的合理主義を身に付けながら、一方では、母譲りの呪術的世界観もまた意識の底に沁み込ませたいった。

 

 後にペルシャ遠征の途に就いたとき、彼はエジプトにも進出し、少数の部下だけ連れて砂漠の中のアメン神殿を訪れている。

 
 そこで、「なんじはアメンの子である」という神託を受け、いたく満足して帰ったというエピソードが残されているが、自分を無邪気に “神の子” と信じる精神性というものに、私はギリシャ的合理主義とは何か異質なものを感じる。

 

 アレクサンドロスは、長き遠征中も一度も戦いに敗れたことがなく、戦略家・戦術家として、世界史上のどの軍事司令官も超えることのできない偉業を成し遂げた人として知られている。


 のみならず、最前線で戦う一兵卒としても有能な戦士であった。

 

 普通、よほどのことがないかぎり、軍司令官が先頭に立って戦うということはない。
 指揮者が戦死すれば、軍全体が瓦解するからだ。

 

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 しかし、アレクサンドロスは、常に部隊の先頭を切って敵陣に切り込んでいった。

 なぜ、彼にそれができたのか?
 
 「神の子は死なない」
 という信念があったからである。

 

 このように、アレクサンドロスはどこか神がかりの人であったことは間違いなく、言葉を変えていえば、彼は自分を「超能力者」のように思っていたかもしれない。

 

 そうでなければ、彼はペルシャを滅ぼした後に、「世界の果ての景色を見る」という妄想を抱いて、インド遠征に着手することもなかったろう。

 

 彼は、インドの東部を流れるガンジス川こそが、“世界の果て” を流れる川だと信じていたが、「それをこの目で見たい」という感覚は、今でいえば有人探査機で銀河系の果てまで航行したいという欲望に近く、「神の子」でなければ発想できないようなものだった。

 

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 しかし、「神の子」の精神世界は、「人間」である部下たちには把握できない。

 ひたすら “世界の果て” を目指す大王の欲望は、部下からみれば、「狂気」の様相を呈していただろう。

 

 アレクサンドロスがインドを越える遠征を諦めたのは、マケドニア本国から連れてきた兵士たちが厭世的な気分になり、もう大王の言うことを聞かなくなったからだという。

 

 マケドニアギリシャの兵たちは、日増しにペルシャ的な風俗やしきたりを尊重し、ペルシャ的な支配体制を築こうとしたアレクサンドロスに反発した。
 昔から大王につき従ってきた兵士たちからみれば、それは野蛮なアジアの風俗に堕するものであり、ギリシャ風の闊達な自由主義に反するものに見えた。

 

 彼らはアレクサンドロスのことを、東方的な専制君主を目指す独裁者に変貌したと非難した。

 

 このときのアレクサンドロスの心を分かる家臣は、ギリシャ人部隊の中には一人もいなかったし、征服されたペルシャ人の中にもいなかった。
 

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 アレクサンドロスが体現したものは、今でいう “グローバリズム” そのものであったのだ。

 

 彼は、ギリシャ文化とペルシャ文化を融合させ、さらにインドに迫るアジアの辺境文化をも取り込もうとした。
 そのようなグローバリズムを、後世の歴史家たちは「ヘレニズム」と呼んだ。

 

 そもそも「グローバリズム」という言葉は、文字通り、グローブ(地球)からきている。

 

 しかし、「地球」という概念が今のような形で確立されていない時代に、グローバルなものを想像することは、「神の視点」に立つということ以外の何ものでもない。
 アレクサンドロスは、この時代、唯一「神の視点」を手に入れた軍司令官であったかもしれない。 

  

 結果的には、アレクサンドロスの意識をとらえたグローバリズムは、マケドニアギリシャ兵たちのローカリズムに屈した形になり、彼の死後、“アレクサンドロス帝国” は、将軍たちのローカリズムによって四分五裂になる。

 

 将軍たちは、ギリシャ文化の伝統を守ったつもりになっただろうが、彼らには、国境を超えて広がりを実現しようとしたアレクサンドロスの野望をこぢんまりと縮小したにすぎなかった。

  

 ギリシャ文化が本当の意味でのグローバリズムを獲得するには、次のローマ時代を待たねばならない。

   

 地中海を “内海” とし、ヨーロッパ、アフリカ、西アジアに至る大版図を築きあげたローマ帝国というのは、間違いなく、アレクサンドロス帝国が生まれたことによって実現したグローバル国家であった。

 

 

ウィーチャットが招く超管理社会

 テレビ朝日のニュース番組「羽鳥慎一モーニングショー」で、「ウィーチャット(WeChat=微信)」という中国製SNSアプリのことを採り上げていた。

 

 テレビで、しばらくその話題をフォローしてから、ネットで「ウィーチャット」を検索してみた。

 
 すると、
 「(ウィーチャットは)主に中国・マレーシア・インド・インドネシア・オーストラリアなど、中国を中心とした海外ではポピュラーなメッセージアプリで、今や10億以上のユーザー数を持っている」
 とのこと。

 

 「分かりやすくいうと、中国版LINEアプリのようなものだ」
 とか。

 

 もちろん単なる通信機能のほか、QR・バーコード決済サービスを受けられるほか、数々のクレジットカードが利用できたり、他のユーザーへの送金などをアプリ経由で可能になるなど、中国では生活必需品アプリとして、ものすごい勢いで利用人口を拡大しているらしい。

 

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 ところが、前述のモーニングショーでは、このウィーチャットが、現在中国政府のものすごい監視下に置かれるようになっており、都合の悪い情報はことごとく政府によって強制削除され、そのような情報を流した者もアカウントが凍結されて、場合によっては、当局によって拘束されてしまうと報道していた。

  
 その場合、ユーザーがもしアカウントの回復を望むときは、自分の顔画像の提出や音声登録を含め、資産、経歴、学歴等のすべての個人情報をサービス会社に提出し、ようやく再使用の許可をもらえるというのだ。

  

 このように管理された中国のネット社会では、当然政府にとって都合の悪いニュースは流れないし、もちろんウィーチャットでも、その手の情報のやり取りは禁止される。
  
 だから、中国本土で暮らす大多数の中国国民は、いま香港やウイグル自治区で何が起こっているのか知らないという。
  
 それほどの情報統制を受けながら、多くの中国国民はそれでもウィーチャットを利用せざるを得ないらしい。
 なぜなら、
 「不自由だけど便利だから」

 

 番組のレギュラーコメンテーターを務める玉川徹氏(写真右)は、こういう。

  

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 「今までは、自由主義圏内のイデオロギーが支配的だったため、西側の人たちは “自由” というものが一番の価値だと信じ込んできた。
 しかし、いま中国は、それに代わる価値観を打ち立て、新しいイデオロギーを掲げようとしている。
 それが、“便利” という価値観だ。
 “自由” というものを尊重しようとしたとき、当然、自由主義国では個々人の自由意志がぶつかり合うことは避けられないから、社会システムの整備が非常に非効率になる。
 しかし、“便利さ” というものは容易に万人を納得させることができるので、効率化が一気に進む」

 

 玉川氏にいわせると、未来の超管理社会を描いた映画『未来世紀ブラジル』や、ジョージ・オーウエルの小説『1984年』などが描いているのは、管理社会の抑圧的な恐怖というよりも、むしろ、民衆が「自由より便利さを求めた社会だったのではないか?」とも。

 

 この日にコメンテーターを務めた浜田敬子女史は、
 「怖いのは、いま日本人の一部の企業経営者のなかに、中国のような国家システムの方がいいのではないかと真面目に発言する人が出てきたことだ」
 という。

  

 なぜなら、「効率」や「発展の早さ」が大事になる企業経営においては、中国式システムの方が有利だからだ。

  

 現に、これからの各企業が目指す商品開発には、どうしても、GAFAが管理しているようなビッグデータが必要になってくる。

  

 しかし、GAFAといえども、それぞれはみな私企業である。
 ゆえに、個人情報を提出することに抵抗を感じるユーザーの存在を無視できない。

  

 ところが、中国という国家は、13万億人という膨大な人口を使って、GAFAが一束になってようやく手に入れられるようなビッグデータを瞬時に手に入れられるところまで来ている。

  
 なぜなら、中国国民はすでにウィーチャットなどの通信システムに個人情報を提供することに何のためらいも持たなくなるほど訓練されてきたからだ。

  

 現在、高度にAI 化が進行している中国では、このような超管理システムの構築をAI が担うようになっている。人間の顔認証や音声データの管理などは、それこそ、AI が最も得意とする分野だ。

 

 このAI 化は、中国人の人間評価にも影を落とすようになってきた。
 中国の若者の間では、婚活も、恋人探しも、すべてAI による個人データを頼るようになってきたという。

 

 AI による個人データでは、探したい相手の顔画像から資産、学歴、趣味すべてが閲覧できるようになっている。

 
 だから、
 「人間はAI データ化されなければ存在しない」
 といういう認識すら定着してきたとか。

 

 しかし、当然のことながら、AI というのは、しょせん高効率な “電子計算機” にすぎないから、人間のような「心」はない。

 
 つまり、いま中国で進んでいる人間管理システムとは、従来「心」と呼ばれていた人間の精神活動を縮小して別のものにしようという試みなのである。

 

 「心」が縮小した人間とは何なのか?
 それは、人間が「物欲」、 すなわち動物的な「食欲」「性欲」「睡眠欲」だけで生きていくような世界かもしれない。

 

 しかし、そうではないかもしれない。
 それは、人間の新しい精神活動を用意するものかもしれない。

 

 いずれにせよ、「自由」とか「民主主義」、「人権」などという20世紀型の西洋イデオロギーでは人間を語れないような世界が訪れようとしている。
 その壮大な実験に、いま中国はいち早く着手したところである。

 

グランエースはキャンパーになれるのか?

 

 10月24日(木)から始まっている「東京モーターショー」で、キャンピングカーに興味を持っている人たちの関心を集めているのが、トヨタコーナーで発表された「グランエース」(開発 トヨタ車体)だ。

 

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 全長5,300mm。
 全幅1,970mm。

 

 現在バンコンの主流を占める200系ハイエース・スーパーロングと同等の全長を誇り、全幅に関してはスーパーロングよりも広い。

 

 エンジンもトルクを重視するディーゼルエンジン(2.8リットル)。
 足回りも、バンベースのハイエースとは違い、リヤサスペンションは新開発のトレーリングリンク車軸式を採用して、乗用車としての乗り心地を確保している。

 

 さらにいえば、前突を想定したときに心強い “鼻つき” 。
 どことなく、昔キャンピングカーベース車として一世を風靡した「グランドハイエース」の面影すら漂う。

 

 そういった意味で、この「グランエース」は、キャンピングカーベース車としてのこの上ないポテンシャルを確保した新型車ともいえるのだ。

 

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 しかし、現状では、この車がキャンピングカーシャシーとしてそのまま活用される可能性はほとんどないだろう、と一部のキャンピングカー専門家はいう。

 

 プレスデーに訪れていたあるキャンピングカージャーナリストは次のように語った。

 

 「まず価格的にこのままでは無理でしょう。現段階(モーターショー開催中)では価格が公開されていませんが、トヨタのミニバンのなかでは、アルファードヴェルファイアを上回る高級ワゴンになるはず。
 そうなると、価格的に500万円を超えることも考えられ、ひょっとすると600万円以上の可能性もあるかもしれない。
 それをベースに架装するとなると、とんでもない高いキャンピングカーになってしまいます。
 たぶん手を出すビルダーさんは、なかなかいないのではなかろうか」

 

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 ただ、このスタイルを維持したまま、サードシートのところだけを加工して、簡易的な家具を載せる方法もないわけではない、という。

 

 M・Y・Sミスティックさんや、バンレボさんが開発するような高級ワゴンスタイルのミニバンキャンパーである。

 

 ベース車の内装が豪華であるがゆえに、架装部分の家具がそれに見合った格調を維持できれば、「それはそれで面白いキャンピングカーになるかもしれない」 と、プレスデーにグランエースを観察したキャンピングカーライターさんは語った。

 

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 ところで、そもそもこの「グランエース」。
 いったいどういう目的で開発された車なのだろうか。

 

  「高級送迎車」


  と、トヨタ車体の増井敬二社長は、多くの報道人を集めたプレスカンファレンスでそう語った。

 

 つまり、VIPを乗せて、空港からホテル、あるいはホテルからゴルフ場などへ。
 そういう送迎用に使われる高級ワゴンの市場が、諸外国ではすでに確立されている。

 

 そのような車として高い人気を誇るのが、欧米ではベンツのVクラス
 タイやフィリピンでは、ヒュンダイのH1など。

 

 が、残念なことに日本車はまだその市場に参入していない。

 

 しかし、これからは日本国内でも、そういう市場が急激に伸びるのではないか、とトヨタはにらんだ。
 具体的には、来年のオリンピック。
 また、セレブの外国人観光客に焦点を合わせたカジノ構想も動き出している。


 
 「もちろん、個人のお客様も想定していますが、それ以上に、ホテルのようなサービス業の方々の送迎車としてのマーケットを掘り起こしたい」
 とトヨタ車体のスタッフは語る。
  
  
 では、送迎車としてのグランエースの特徴は何か?

 

 「ひとつはゆったりした移動を楽しんでもらえるシートです」
 と、スタッフ。

 

 今回登場したグランエースの2列シートおよび3列シートには、電動オットマン付きの本革のキャプテンシートが奢られている。
 基本的には、職業運転手がハンドルを握り、VIPのお客を快適にもてなすための車なのだ。

 

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 そのため、乗り心地や走行安定性には細心の注意が払われている。
 サスペンションは、フロントにマクファーソンストラット。
 リヤはトレーリングリンク車軸式。
 
 静粛性を追求するために、遮音材・吸音材もふんだんに使われ、車であることを忘れさせるような快適空間が実現しているという。

 

 「そのため、正直にいうと、車両重量も増えています」
 と、トヨタ車体のスタッフは語る。

 

 そうなると、当然トルク特性が大事になってくる。
 そのため、エンジンはディーゼル1本。


 排気量は2.8リットル = 1GD型 2,754cc 130kW(177PS)/3400rpm
トルクは450N・m(45.9kgf・m)/1600~2400rpm。
 すでにプラドにも使われているエンジンだ。


 なお、今回のモーターショーには出展されていなかったが、6人乗り仕様のほかに、8人乗り仕様も用意されているという。

 

 ともに全長・全幅は変わらず。
 8人乗りの場合は、後席のシートピッチを少しずつ狭くして、多人数の乗車に対応するという。
 
 その場合の4列目シートは跳ね上げ。
 跳ね上げた場合は、そこにラゲージスペースが生まれる。

 

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 さて、ここで最初の本題にもどる。
 はたして、この車をベースにしたキャンピングカーは生まれてくるのだろうか。

 
 
 現在、キャンピングカーのなかで、バンコンといわれるジャンルの最大ボリュームを誇る車は200系ハイエースのスーパーロングバンだ。
 グランエースは、サイズ的にはこのスーパーロングと同等になる。

 

▼ 200系ハイエース・スーパーロング

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 スーパーロングの全長は5,380mm。
 それに対して、グランエースは5,300mm。

 
 全長はグランエースの方が若干足りないが、それでもアルファードの4,945mmやヴェルファイアの4,935mmをはるかにしのいでいる。

 

 逆に、全幅は、スーパーロングの1,880mmに対し、グランエースは1,970mm。
 もう “ほぼ2m” といっていい。

 

 この横幅では、ミニバンとしては走りづらいかもしれないが、キャンピングカーとしての居住性を考えると有利だ。

 

 ただ、室内長を考えると、グランエースはスーパーロングよりも不利である。
 グランエースの室内長は3,290mm。
 それに対し、スーパーロングバンのワゴン版であるグランドキャビンの室内長は3,525mm。

 

 グランエースは、衝突規制強化対応の “鼻付き” であるため、やはりスーパーロングよりも室内容積が足りない。

 

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 また、全高も、スーパーロングの2,285mmに対し、グランエースは1,990mm。
 そのため、室内高も1,290mmしか取れず、キャンパーとしてのヘッドクリアランスも乏しくなる。

 

 ただ、最小回転半径は、グランエースの方が有利だ。
 スーパーロングバンの最小回転半径は6.3m(2700ガソリン 6AT)。
 それに対し、グランエースは5.6m。

 

 最小回転半径は、よくホイールベースの長さに左右されるというが、ホイールベースそのものは、さほど変わらない。

 
 スーパーロングの3,110mmに対し、グランエースは3,210mmで、むしろグランエースの方が長いくらいだ。

 

 それなのに、グランエースの方がよく切れるのは、フロントの舵角を45度に設定しているからだという。

 

▼ 200系ハイエース・スーパーロング

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 以上のように両車を比較すると、それぞれ一長一短があるものの、キャンパーシャシーとしては、現状では200系ハイエース・スーパーロングの方が、居住性、価格、架装効率すべての面でまさっているとしかいいようがない。

 

 特に、ベース車がそうとう高くなりそうだというところが、大きなハードルとなることは明らか。

 

 豪華なキャプテンシートをはじめ、ここまで作り込まれた高級ワゴンの室内装備をすべて捨てさって、そこにベッドやダイネットというキャンピング装備を組み込むということは、どう考えても現実的ではない。

 

 ただ、シートなどを最初からレスして価格を抑えた “どんがら” ボディがデリバリされるようになれば、話は別である。

 

 かつて一世を風靡したグランドハイエースなどは、「キャンパー特装」という形で、キャンピングカービルダーにドンガラボディが供給されるようになり、それによって一大ブームが巻き起こった。

 

▼ グランドハイエースベースのバンコン

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 グランエースにその可能性はあるのだろうか?

 

 まったくない という気配でもなさそうである。

 

 というのは、トヨタ車体のスタッフがいうところによると、
 「すでにリヤシートをレスした “特装車” のようなものは出ないのだろうか?」
 という質問が、主にキャンピングカービルダーからかなり寄せられているという。

 

 もちろん、現状では、
 「その予定は今のところはない」
 と答えざるを得ないとのこと。

 

 しかし、
 「そういうニーズがどのくらいのボリュームになるのか。それによっては、架装に対して負担にならないような仕様の価格設定も検討せざるを得なくなるかもしれない」
 とも。

 

 「ただ、今は、“送迎に最適な高級ワゴン” というブランドイメージを確立することの方が急務」
 という。

 

 このへんは非常にセンシティブな話になるので、しばらくの間は、前向きな答が出てくることはなさそうだ。

 

 ただ、少なくとも、開発スタッフの意識のなかには、“キャンピングカーベース車” としての「グランエース」というイメージがまったくないわけでもなさそうだった。

 

 ま、これは “気配” の話なので、確たるものは、今は何もなし。
 しばらくは「楽しみに待つ」という気持ちでいようと思う。

 

『フランス絵画の精華』展

 
 東京富士美術館(東京都・八王子市)で、『フランス絵画の精華』という展覧会が開かれている(2020年1月19日まで)。

 

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 フランス絵画のもっとも華やかな17世紀から19世紀の作品が集められており、
 「ヴェルサイユ宮殿美術館、オルセー美術館大英博物館スコットランド・ナショナル・ギャラリーなど20館以上の美術館の協力を得て、成立した企画展である」
 という。

 

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 17~19世紀といえば、イタリア・ルネッサンス美術の影響がフランスで花開き、端正な古典主義絵画や典雅なロココ絵画を経て、勇壮なロマン主義絵画へと向かう “美術の黄金時代” ともいえる。

 

 「芸術といえばフランス」
 という文化風潮は、この時代につくられたといっても過言ではない。

 

 今回の展示作品を貫くコンセプトは、“人間” 。
 
 それ以前のヨーロッパ絵画は、宗教画を中心に発展してきた。
 つまり、「神の偉業」や「キリストの受難」、「聖母マリアの慈愛」などがテーマだった。

 

▼ ※ 参考 中世ヨーロッパの聖母子像 (この絵画が展示されているわけではありません)

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 このような宗教画の流れから脱して、「人間」を主役に置いた絵が登場したのが、イタリア・ルネッサンス


 そして、それをさらに庶民的文化にまで広げ、主題の多様さを追求したのが、この展覧会で企画された『フランス絵画の精華』展である。

 

 だから、ここには、ギリシャ神話や聖書などに題材をとりながらも、基本的には、人間の生々しさ、崇高さ、美しさなどがしっかり描かれた作品群が集められている。

 

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 個々の画家の名前を列挙してみると、まさに “巨匠” のオンパレードといっていい。

 

 二コラ・プッサン
 クロード・ロラン
 アントワーヌ・ヴァトー
 フランソワ・ブーシェ
 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
 ドミニク・アングル
 テオドール・ジェリコー
 ウジェーヌ・ドラクロワ ……

 

 書店の美術書コーナーにいけば、それぞれ分厚い1冊の作品集が用意されている著名な画家ばかりである。

 

 もちろん、今回の展覧会では、誰もが一度は観たような、これらの巨匠のポピュラーな作品が集まっているわけではない。

 
 しかし、逆にいうと、こういう大画家たちの偉業のなかで、あまり知られていない名品に接する良いチャンスであるともいえる。

 

▼ ニコラ・プッサン 『コリオラヌスに哀訴する妻と母』

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 この企画展のパンフレットには、「印象派誕生前夜」という言葉が何回か使われている。


 主催者がその言葉を使ったのは、今回の作品展では、日本人がことのほか好きな印象派が生まれてくる背景を見てもらう、という意向があったのだろう。

 

 日本人の絵画愛好家の多くは、マネ、モネ、セザンヌルノワールゴッホゴーギャンなど、印象派やその流れをくむアーチストの作品を好む傾向がある。

 

 そういった意味では、この『フランス絵画の精華』展に登場する二コラ・プッサン、クロード・ロラン、アントワーヌ・ヴァトー、フランソワ・ブーシェといった人たちは、日本人には今一つなじみがないかもしれない。

 


 しかし、ある意味、彼らの絵は、マネ、モネ、ルノワールゴッホなどよりも “分かりやすい部分” がある。
 そこには「見た通りのもの」が描かれているからだ。

 すなわち「人間」である。

 

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 愛らしい少女のポートレート
 威厳を漂わす上流階級の紳士の肖像画
 予備知識を持たずに観ても、そこにどんな人物が描かれているかが一目で分かる。

 

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 それがいったいどういう人たちなのか。
 各絵画の横には、必ず親切な説明書きが添えられているので、絵と照らし合わせて読めば、さらに理解が深まる。

 

 もちろん、風景画であっても、必ずそこには人間の姿が描かれている。

 

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 登場人物のなかには、西洋の神話や歴史から引用される登場人物もいるが、基本的には、
 「これは愛し合っている男女だな」
 とか、
 「高貴な出の淑女だな」
 など、観たまんまの推測がそのまま通用する。

 

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 さらに、そういう解釈を助けるためのヒントも、絵の中にはしっかり用意されている。

 

 たとえば、画面にキューピッドが登場すれば、それは、男女の「愛」をテーマにした絵という意味だ。

 

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 同じように、犬が出てくれば、それは「忠義」や「忠誠」をテーマにした絵。

 蛇が出てくれば、サタンの誘惑が描かれたものなどと推測することができる。
  
 この時代(17~19世紀)の絵というのは、そのような “お約束事” の上に成立していた絵であった。
 

  
 そういう “お約束事” から作品を解放したのが、19世紀後半から登場してくる印象派だ。

 

 印象派というのは、「人間」の描写よりも、「自然科学」の見地を重視したグループだといっていい。
 19世紀末から、ヨーロッパ先進国では、世の自然現象を科学的・合理的に研究する学問体系が確立された。

 

 そういう近代の自然科学から得た知識を絵画に採り入れたのが、印象派という芸術運動だった。

 

▼ ※ 参考 印象派のモネ 『印象・日の出』 (この絵は展示されているわけではありませ)

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 だから、印象派の絵画というのは、当時の工学や色彩学の最先端知識に基づいて追及されたものだといえる。

 

 それに対し、この『フランス絵画の精華』展では、「人間をめぐる物語」が主題になっている。
 つまり、“理科系絵画” の印象派に対し、こちらは “文芸系絵画” といっていい。

 

 フランス革命前夜、パリのベルサイユ宮殿では、文学や芸術に造詣の深い哲学者、文学者、画家などを集めたサロンが催され、そこでは日々文芸の香りの高い会話が交わされた。

 

 そういうフランス宮廷の文化や教養が、この展覧会の作品すべてに横溢している。
 そこに、今日のわれわれの基礎的教養を培ったものの原型を見ることが可能である。

 

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ジェリー四方&エディー早川ライブ

 
10月13日(日)、東京・世田谷区の梅ヶ丘で、ジェリー四方とエディー早川のライブコンサートが開かれた。

 

▼ Jerry四方氏(右)&Eddie早川氏(左)

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 この二人は、もともと「Jerry Shikata & Rock-O-Motions(ジェリー四方&ロコモーションズ)」という4人編成バンドとして、赤坂を中心に西麻布、銀座のライブハウスで活動していたが、ここ最近は、機動力を生かしたツーピースユニットとして、世田谷の梅ヶ丘のバー「珍品堂」を拠点にライブ活動を展開している。

 

 レパートリーは、アメリカンポップス、リバプールサウンズを中心に、日本のグループサウンズまで。

 
 音としては、1960年代から70年代あたりの懐かしいサウンドが得意だ。

 

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 具体的なアーチストとしては、ビートルズCCRエリック・クラプトンクリフ・リチャード、プロコルハルム、エリック・カルメン、エブリーブラザース、スティービー・ワンダーテンプテーションズ …… などなど。

 

 それを、四方氏のギターとヴォーカル、そして、早川氏のキーボードというシンプルな構成で見事に演じきる。

 

 4人バンドのライブでは、アップテンポのダンスビートの曲が多くなるが、2人だけのユニットの場合は、スローからミディアムテンポのバラードが中心。

 
 
 “音数” は少なくとも、長年数々のライブをこなしてきた2人だけに、どのような曲も、オリジナル音源の情緒を見事に生かし切ったアレンジで、“大人の音楽” を提供してくれる。

 

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 この日のライブ会場は、世田谷区・梅ヶ丘のBAR「TRILL」(バー・トリル)。
 “大人のライブ” を楽しむには格好の落ち着いたバーだ。

 

 ところがこの日、2ステージ目が始まる頃、休憩時間にトイレに立った四方氏が見知らぬ外国人観光客を3人連れてきた。

 

 店内の場外トイレで知り合った外国人に、
 「今ライブをやっているから、見物に来ないか?」
 と声をかけたのだという。

 

 で、どやどやと入ってきたのが、下の3人。

 

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 日本をよく知っているインド人男性(右)と、その友達の、日本にはじめてきたドバイ人(真ん中)。


 そして左端の女性は、どうやらインド男性の “彼女” のようだ。

 

 この人たち、はたしてジェリー四方氏たちが得意とする60年代アメリカンポップスなどを知っているのだろうか?

 

 …… などということを心配する必要もなく、彼らは昔のアメリカンポップスにもビートルズにも精通していた。

 

 で、ドバイから来た男性は、四方氏の誘いに応じ、ついにマイクの前で、サイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』を歌い出した。

 

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 次の女性が歌ったのは、ジョン・レノンの『イマジン』。

 

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 どうしてそんな古い歌を知っているのか?

 

 彼らに聞くと、自分たちの両親が歌っていた歌だという。
 ちなみに、彼らの両親の年齢を聞いてみると、なんと現在70歳代。

 

 奇しくも、当日はジェリー四方氏の70回目の誕生日だった。
 インドやドバイから来た青年たちは、自分たちの両親と同世代の四方氏の演奏で、オールディズの名曲を歌ったことになる。

 

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 外国からの参加者が飛び入りしてきたせいで、ライブ会場の「バー・トリル」も一気に国際的雰囲気に。

 

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 商社に勤務してアメリカ生活の長い四方氏の会話は、最後の方はほとんど英語に変わってしまい、われわれ日本人参加者は、ただ「イェーイ! イェーイ! ワァーイ! ワァーイ!」と連呼するだけ。

 

 外国人グループも、それに合わせて日本人たちとハイタッチ。
 なんとも不思議な盛り上がりを見せた梅ヶ丘の夜であった。

 

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ラグビーがスポーツから文化になった

 日本代表がベストエイトまで勝ち進み、南アフリカと決勝トーナメントを戦ったワールドカップラグビーだったが、惜しくも敗れ、日本列島を襲った約1ヶ月のラグビーフィーバーも幕を閉じた。

 

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 それでも、日本代表の偉業をたたえるマスコミ報道の熱は冷めない。
 テレビの各局では、ラグビーファンたちの街の声を拾ったり、日本代表のインタビューを繰り返している。

 

 実は、私もこのワールドカップラグビーにはそうとう熱中した。
 テレビ報道を観ているうちに、こちらも主要メンバーの顔やら個性をほとんど記憶するようになった。
 
 
 なぜ突然のラグビーブームが日本に訪れたのか。
 もちろん予選リーグを全勝した日本チームの快進撃がすべてを物語っているわけだが、やっぱりヴィジュアル的に見て、
 「こんな面白いスポーツがこの世にあったのか !」
 という衝撃が大きい。

 

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 私個人は、ギリシャ時代やローマ時代の古代戦士たちの戦闘をまっ先に思い浮かべたが、多くの日本人も、このスポーツの本質が格闘技にあることを直感的に感じたはずだ。

 

 しかし、“格闘技” の要素を保ちながら、やはり球技なのだ。
 しかも、もっとも洗練された球技であることは間違いない。
 ボールを追っていく男たちの動きは、それこそ舞の名手たちが秘儀を尽くように美しい。

 特に、日本代表のプレイを観ていると、“動くアート” と言い切れるほど洗練されている。

 

 一見、粗暴な肉弾戦のように見えながら、男たちの動きは、高度にプログラミングされた精密機械のように冷たく、正確だ。

 

 たぶん、多くの日本人は、そこにカルチャーショックを受けたのだろうと思う。

 

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 ここまで来るようになったのは、代表メンバーの気の遠くなるような訓練と経験の蓄積のたまものなのだろうが、私などは、そこに、職人が何十年かけて技(ワザ)を鍛えてきた、きわめて日本的な修練の蓄積を想像してしまう。

 

 さらにいえば、ラグビーにおける “フェアプレイの精神” は、日本の武士道というものの美学を現代に蘇らせたように思う。

 

 特に、リーチ・マイケル選手のような、外国から渡って来て、日本のラグビーを盛り立てた選手たちの生きざまにそれを感じる。

 
 決勝トーナメントに進むことが決定したスコットランド戦が行われた一週間ほど前の夜、用事を済まし、夜11時頃の井の頭線に乗った。


 赤・白のボーダーが入った日本チームのユニフォームを着たカップルの姿を見た。
 横浜スタジアムからの帰りだったのだろう。

 

 終点の吉祥寺に着いたとき、
 「勝ったんですって?」
 と、そのカップルに尋ねた。

 

 「そうなんです!」
 と、2人はうれしそうに振り返った。
 「こんな試合をこの目で見られるなんて幸せ」
 と女性は言った。
  
  
 吉祥寺の街で、ラーメンを食べるために「日高屋」に入った。

 若い男性の4人組がチューハイを飲みながら盛り上がっていた。
 「ジャッカルがよ」
 「オフロードパスってのはさ」
 最近使われるようになったラグビー用語がふんだんに飛び交っていた。

 

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 テレビのワイドショーで、どこかのコメンテーターが言っていた。
 「ロシア戦の頃は、にわかラグビーファンが急に増えたのを感じた。しかしスコットランド戦の頃は、にわかラグビー解説者が増えた」

 

 ほんとうにそのように思う。
 日本にラグビーという「文化」が定着したのを感じた。

 

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村上春樹はもうノーベル賞を取れない

 毎年この季節になると、村上春樹ノーベル文学賞を取るかどうかという話題がメディアに採り上げられるが、今年もそれは叶わなかった。

 

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 毎度のことなので、“ハルキスト” と呼ばれるファン層の落胆ぶりもそれほど話題にならなかった。

 

 たぶん多くの日本人は分かってしまったのだ。
 村上春樹ノーベル文学賞が与えられることは、もうほとんど絶望的な状況になってしまったことを。

 

 いうまでもなく、ノーベル文学賞というのは、その年に世界でもっとも話題性のある文学者に与えられるものである。

 
 “話題性” のなかには、テーマの鋭さ、表現の斬新さ、スケール感の大きさ、哲学性、そしてグローバルな説得力など、すべてが含まれる。

  

 要は、世界中の読書家が、「そうだよね、当然だよね」という納得感のいく作品群を用意した作家に与えられるものである。

 

 今の村上春樹に、それがあるか?

 

 私はデビュー作の頃から村上春樹の大ファンで、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』などといった初期作品から『羊をめぐる冒険』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『中国行のスロウ・ボート』(短編集)あたりまでは熱中して読み込んだ。

 

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 特に、登場人物として「鼠(ねずみ)」が出てくる作品が好きで、主人公の “僕” より、“鼠” のファンであったといっていい。

 

 なんとなく、「つまらないなぁ  」と感じたのは『ノルウェーの森』からで、以降『国境の南、太陽の西』、『スプートニクの恋人』、『アフターダーク』、『約束された場所で』、『東京奇譚集』、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』などを散発的によみあさったが、初期作品集を超えて感動できるようなものがなかった。
 
 
 よくいわれる言説に、彼が初期の作品において意識していたことは「デタッチメント」(世界に対する無関心)の感覚であり、その後は徐々に「コミットメント」(世界に対する積極的な関与)をテーマに据えていったというものがある。

 

 その境目がどこにあるのか諸説があるが、多くの読者や評論家は、『ノルウェーの森』あたりからそういう変化が見えてきたという。

 

 もしそれが当たっているのなら、私は、村上春樹の「コミットメント」を志向する作品につまらなさを感じるタイプの人間らしい。
 
 
 彼の「コミットメント」に対する意欲を端的に訴える2作品として、『アンダーグラウンド』、『約束された場所で』の2作がある。

 

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 ともに、オウム真理教の犯罪をテーマにしたもので、1作目はオウムの起こした地下鉄サリン事件の被害者に行ったインタビュー集。
 そして、2作目はそのオウム真理教信者へのインタビュー集である。

 

 2冊を読んだ感想。

 
 「浅い」
 「物足りない」

 その二つだった。

 

 オウム真理教の起こした一連の犯罪事件には、とてつもなく広がる “闇” を感じさせた。

 
 頭脳明晰で、学歴優秀な若者たちが、なぜあの無教養なエゴイストである麻原彰晃にマインドコントロールされ、罪の意識もないままに多くの殺人事件を犯してしまったのか。

 

 その謎を解き明かした言説というものは、既存のメディアや評論家から語られることはなかった。

 
 もちろん、型通りの心理学や精神分析学的な解明は横行した。

 

 しかし、あの犯罪には、そのようなありきたりの解釈を跳ねのけるような不気味な強靭さが備わっていた。

 

 そこに “世界的な” 知名度を誇る文学者の村上春樹が切り込もうとしたわけだから、期待しない方が無理だった。

 

 だが、結果的にいうと、あの事件の本質は、村上春樹の真摯さや真面目さをはるかに通り越すところに隠されていて、読み終えた後、「村上春樹をもってしても歯がたたなかった」という失望感があった。

 

 同時に、「村上春樹の限界」を感じた。

 

 そういう私は、いったい何と比較したのか。


 一つは、吉本隆明の『共同幻想論』である。
 あれは、思想書の体裁をとったエンターティメントだと思うし、作品の質もそれほど高くない。

 

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 しかし、「人間というものは何に支配されるのか?」というテーマを追求する激しさにおいて、あの当時の吉本の情熱にはいまだに圧倒される。

 

 もうひとつは、柄谷行人の『意味という病』である。
 こちらはシェークスピアの「マクベス」をテーマに据えた文学論であるが、著者自身が後書きで触れているように、連合赤軍あさま山荘事件を読み解くというモチーフを秘めた作品である。

 

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 あさま山荘事件というのは、連合赤軍という左翼過激派が警察と銃撃戦を展開し、逮捕された後、むごたらしい集団リンチ殺人が明るみになったという事件である。

 

 柄谷は、そのことをシェークスピア悲劇になぞらえて思想化した。
 書かれたことは、
 「マクベスは魔女の予言に接して、何にとらわれるようになったのか」
 であった。
  
 つまり、人間を襲う “観念の狂気” がテーマになっていた。

 

 これらのような鬼気迫る評論を経験してしまうと、村上春樹のレポートは軽すぎる。

 彼は、絶妙な語彙を操る一流の小説家ではあったが、思想家・評論家としては二流であったといわざるを得ない。

 

 しかし、「デタッチメント」の雰囲気にあふれた初期作品においては、村上春樹の思想家としての限界性は現れなかった。

 

 ところが、「コミットメント」を意識する作品を志向するようになれば、思想性の浅さは致命的になる。
 ノーベル文学賞の対象から外れてしまったのは、たぶん世界中の選考員からそこのところを見抜かれたからだろう。

 

 私は、それはしょうがないことだと思っている。
 別にノーベル文学賞が取れなかったからといって、彼の小説家としての価値が下がるわけではない。

 

 私は、これからも相変わらず彼の初期作品を愛していくだろうし、場合によっては、温かい目でその感想文を書くだろう。

 

 
 ところで、日本にはもうノーベル文学賞が取れるような作家が誕生していないのか?

 

 私はそうは思わない。
 
 ノーベル文学賞の選考基準で、「グローバルな視野」というものが重要であるならば、現在のところ、それをもっとも明瞭な形で作品化しているのは、塩野七生氏である。

 

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 イタリア・ルネッサンス史、ローマ史、そのほか十字軍、アレクサンダー伝記、地中海海賊の栄枯盛衰記。
 彼女の描く歴史物語は、「過去の記録」ではなく、まぎれもなく現在の政治・経済・宗教・哲学の流れまでカバーしている。

 

 “日本人の小説家” として、こういう知の巨人がいるというのに、ノーベル文学賞の選考委員たちはいったいなにを見ているのだろう。

  

 

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FICCオートキャンプ世界大会 89th

 2019年9月28日(土)より、10月6日(日)まで、福島県天栄村の羽鳥湖高原にて、「FICCオートキャンプ世界大会」(日本オートキャンプ協会主催)が開かれた。

 

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 この大会に、TAS(トレイル・アドベンチャー・スピリット = BCヴァーノンを中心としたモーターホームクラブ)の一員として参加させてもらった。

 

 参加国はイギリス、フランス、ドイツ、ポルトガルなどのヨーロッパ各国のほか、台湾、韓国などアジア諸国を含め、計14ヶ国。

 

 「世界大会」が日本で開かれるのは25年ぶりだという。
 次の国際大会が日本で開かれるのも、25年後。
 人生の半ばで貴重なイベントを経験できたことになる。

 

▼ TASのメンバーが集まった道の駅「羽鳥湖」の駐車場

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 なにしろ9日間にわたる長丁場のラリー。
 普通のキャンプイベントなら時間を持て余してしまうところだが、世界各国のキャンプ愛好家が集まる国際大会だけに、イベントのメニューは豊富。

 

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 民族衣装を身にまとった各国メンバーが会場を行進するパレード(写真上)。
 国ごとの料理が振舞われるパーティー(写真下)。

 

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 そのほか、
 日本酒品評会。
 花火大会など、豊富なメニューが用意され、1日があっという間に過ぎていった。

 

▼ 日本の民族衣装で仮装した日本人グループ。

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▼ TASのポトラックパーティ。様々な食文化を持った人々が参加するため、料理メニューの表記には材料表示も行われた。

 

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▼ コリア・ナイトでは、韓国音楽界を代表するテノール歌手ベー・チェチョル氏のミニコンサートも開かれた。
 舞曲「カルメン」やイタリアのカンツォーネを採り上げた選曲も素晴らしく、たいへん楽しめた演奏会となった。

 

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 今回、片言の英語とボディランゲージを駆使して、短い会話ながら、各国の参加者とコミュニケーションを交わすことができた。

 

 ただ、韓国の人々との会話は、最初だけは緊張した。
 なにしろ、日韓の関係悪化がマスコミから連日報道されている最中である。
 会話の内容が相手に失礼に当たらないかどうか、それだけはかなり気をつかった。

 

 しかし、けっきょくは “笑顔” が最大の友好関係の表示となった。
 前述したベー・チェチョル氏などとは、TASのポトラックパーティーで短い会話を交わし、温泉でも顔を合わせているうちに、彼の表情がとても人懐っこくなっていくのを感じた。

 

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 国同士の関係は、マスコミの伝えるニュースだけでは分からない。
 ニュースの教える情報は、抽象的かつ観念的なものに限られ、そこには、その国を生きる人々の喜怒哀楽などは反映されない。

 

 けっきょく、その国の実情を理解できるかどうかは、その国に生きる人々の具体的な顔を思い浮かべられるかどうかに尽きる。

 

 そのときの相手の笑顔。
 親しげなニュアンスを帯びた会話。
 そういうものの “生きた手触り” を体感してこそ、他国のことを理解できるようになる。

 

 そういうチャンスを得たキャンプイベントであった。

 

▼ 台湾から来たチャーミングな女性と乾杯 

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