日本代表がベストエイトまで勝ち進み、南アフリカと決勝トーナメントを戦ったワールドカップラグビーだったが、惜しくも敗れ、日本列島を襲った約1ヶ月のラグビーフィーバーも幕を閉じた。
それでも、日本代表の偉業をたたえるマスコミ報道の熱は冷めない。
テレビの各局では、ラグビーファンたちの街の声を拾ったり、日本代表のインタビューを繰り返している。
実は、私もこのワールドカップラグビーにはそうとう熱中した。
テレビ報道を観ているうちに、こちらも主要メンバーの顔やら個性をほとんど記憶するようになった。
なぜ突然のラグビーブームが日本に訪れたのか。
もちろん予選リーグを全勝した日本チームの快進撃がすべてを物語っているわけだが、やっぱりヴィジュアル的に見て、
「こんな面白いスポーツがこの世にあったのか !」
という衝撃が大きい。
私個人は、ギリシャ時代やローマ時代の古代戦士たちの戦闘をまっ先に思い浮かべたが、多くの日本人も、このスポーツの本質が格闘技にあることを直感的に感じたはずだ。
しかし、“格闘技” の要素を保ちながら、やはり球技なのだ。
しかも、もっとも洗練された球技であることは間違いない。
ボールを追っていく男たちの動きは、それこそ舞の名手たちが秘儀を尽くように美しい。
特に、日本代表のプレイを観ていると、“動くアート” と言い切れるほど洗練されている。
一見、粗暴な肉弾戦のように見えながら、男たちの動きは、高度にプログラミングされた精密機械のように冷たく、正確だ。
たぶん、多くの日本人は、そこにカルチャーショックを受けたのだろうと思う。
ここまで来るようになったのは、代表メンバーの気の遠くなるような訓練と経験の蓄積のたまものなのだろうが、私などは、そこに、職人が何十年かけて技(ワザ)を鍛えてきた、きわめて日本的な修練の蓄積を想像してしまう。
さらにいえば、ラグビーにおける “フェアプレイの精神” は、日本の武士道というものの美学を現代に蘇らせたように思う。
特に、リーチ・マイケル選手のような、外国から渡って来て、日本のラグビーを盛り立てた選手たちの生きざまにそれを感じる。
決勝トーナメントに進むことが決定したスコットランド戦が行われた一週間ほど前の夜、用事を済まし、夜11時頃の井の頭線に乗った。
赤・白のボーダーが入った日本チームのユニフォームを着たカップルの姿を見た。
横浜スタジアムからの帰りだったのだろう。
終点の吉祥寺に着いたとき、
「勝ったんですって?」
と、そのカップルに尋ねた。
「そうなんです!」
と、2人はうれしそうに振り返った。
「こんな試合をこの目で見られるなんて幸せ」
と女性は言った。
吉祥寺の街で、ラーメンを食べるために「日高屋」に入った。
若い男性の4人組がチューハイを飲みながら盛り上がっていた。
「ジャッカルがよ」
「オフロードパスってのはさ」
最近使われるようになったラグビー用語がふんだんに飛び交っていた。
テレビのワイドショーで、どこかのコメンテーターが言っていた。
「ロシア戦の頃は、にわかラグビーファンが急に増えたのを感じた。しかしスコットランド戦の頃は、にわかラグビー解説者が増えた」
ほんとうにそのように思う。
日本にラグビーという「文化」が定着したのを感じた。