ラグビーワールドカップを面白く観ている。
最初はそれほど関心がなかった。
しかし、日本代表が初戦でロシアを破ってからがぜん興味が湧き、他のチームの試合もフォローするようになった。
ラグビーに熱い関心を持っていたのは、もう40年ぐらい前の話だ。
若い頃の年末年始の楽しみは、ラグビー観戦だったのだ。
北島監督のいた明大ラグビーが好きで、そのときのスタープレイヤーだった松尾雄治の後を追って新日鉄釜石のファンになり、その後は平尾誠二のカッコ良さに惹かれて、同志社や神戸製鋼を応援するようになった。
いずれにせよ、古い話だ。
松尾や平尾が現役を去ってからは、だんだんラグビーへの関心を失い、その後は日本のラグビーがどういう進歩を遂げていたのかも、ほとんど知らなかった。
しかし、今回のワールドカップを観て、一種のカルチャーショックに近い衝撃を受けた。
恥ずかしい話を告白すると、最初はテレビ画面を観ただけでは日本チームとは思えなかった。
外国人が多い。
相撲取りやプロレスラーを彷彿とさせる体型の人が多い。
奇抜な髪形の選手が多い。
サッカーに比べると、同じ「フットボール」を名乗るスポーツでも、選手たちの雰囲気があまりにも違いすぎるため、違和感を払しょくするのにしばしの時間が必用だった。
しかし、観続けているうちに、昔、早明戦やら新日鉄釜石とか神戸製鋼の試合をフォローし続けていた頃の感激がよみがえった。
ただ、今回のワールドカップに出てきた選手たちから受ける迫力は、昔とはまるっきり違っていた。
古代のスパルタ兵やらローマ兵が出てくる歴史映画の戦闘シーンを見ている感覚に近い。
「古代戦士たちの復活」
そんな言葉を与えたくなった。
思えば、ここ最近のスポーツは、妙に都会的に洗練されてきた。
オリンピックの種目をみても、スケートボード、サーフィン、BMX、スポーツクライミング、ビーチバレーなど、元来は遊びの部門から発達してきたものが増えてきた。
そういう競技を支えるのは若者が中心となるから、参加者の顔を見ても、男子はイケメン、女子は美女が増えてきた。
彼らの身体は細く、スマートで、とても都会的である。
そういうアスリートたちが主流になり始めたとき、ラグビー選手たちが発散する野性的な “男臭さ” には意表を突かれた。
日本人なら、頭の上に戦国時代の兜(かぶと)でも載せた方が似合いそうな顔立ちだし、外国人は、海上から敵地に上陸するバイキングのような顔をしている。
つまり、彼らの肉体は、何百年という時の風雪をかいくぐり、現代に突如タイプスリップしてきたような迫力を発散している。
ニュージランド選手たち(オールブラックス)が試合前に披露する踊り(ハカ)をみても、明らかにサッカー文化とは異なる “匂い” を感じる。
ニュージランドの先住民マオリ族の男たちが、部族間の戦闘の前に、自分たちの戦意を高揚させる儀式が「ハカ」の起源だというが、そういう太古の儀式にこだわる現代スポーツが、ほかにあるだろうか。
そこにサッカーとの大きな違いをみた。
ひたすら洗練の極致に向かおうとしているサッカー文化に対し、ラグビー文化は、原始時代から一貫して求められてきた “男の生存原理” というものにこだわり続ける。
そういう時代錯誤的な “野蛮さ” と、高度な訓練とスピードに保証されたスマートな戦術。
そのアクロバティックな取り合わせが、現代ラグビーの面白さなのだろうと思う。
ラグビーワールドカップからはしばらく目が離せない。