アートと文藝のCafe

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『七人の侍』の主役は野武士たちだ


 三船敏郎 生誕100年にちなみ、WOWOWシネマで、彼の代表作が続けて放映された。

 そのなかで、黒澤明監督による『用心棒』(1961年)、『椿三十郎』(1962年)、『七人の侍』(1954年)の3本をピックアップして見たが、やはり『七人の侍』が群を抜いて素晴らしかった。

 

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 この映画に関しては、以前このブログに感想文を書いたことがある。
  ↓
 『「七人の侍」のような映画は今後100年生まれない』
 (2019-03-23)
https://campingcarboy.hatenablog.com/entry/2019/03/23/181622

 

 上記のブログで、私は自分の言いたいことをほぼ言い尽した気持ちでいた。
 だから、再び同作品を採り上げる必要もないと思ったが、やっぱりあらためて鑑賞してしまうと、何かを書かざるを得ない気分になる。

 

 それほど、この映画は、見た人間に「何かを語らせたくなる」映画なのだ。

 

 ただ、今回見て思ったのは、黒澤明監督の “最高傑作” であると同時に、なにか “不幸な映画” だなぁ  という気もした。

 

 というのは、この映画を見てしまった観客は、この後の黒澤作品にも同じレベルのものを期待してしまうからだ。

 

 言い換えれば、黒澤監督がこの映画のあとにどんな傑作を撮ろうが、『七人の侍』に感動した観客は、もう満足できなくなってしまうのだ。

 

 同じ戦国モノということで、私は『影武者』(1980年)にも、『乱』(1985年)にも、喜び勇んで映画館に足を運んだ。
 だが、2作とも、1954年につくられた『七人の侍』ほどの興奮をもたらせてはくれなかった。

 

 あたためて、『七人の侍』は、別世界から舞い降りたような映画だと思った。
 まさに、「100年に一本しか生まれない映画」。
 奇跡のような作品といえる。

 

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 どのような内容なのかは、すでに上記のエントリーで触れているし、いろいろな人が書いている評論もネットにも溢れているので、詳しくは述べない。

 

 だが、この映画がもたらす興奮の秘密が今回あらためて分かったような気がする。

 

 馬だ。

 

 7人の侍たちが守る村を襲ってくる40騎の野武士。
 この騎乗した野武士たちがいなければ、この映画は成立しなかった。
 
 百姓と野武士。
 侍と野武士。

 

 本来ならば同一次元に存在するはずのない二つの生存原理が、ここでは偶然の作用によって衝突してしまう。
  
 剣をかざして待ち構える侍たちと、そこに突進する騎馬の野武士たち。
 どっしりと地に立つ侍たちの「垂直力学」と、道を疾駆する騎馬兵たちの「水平力学」。

 

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 これほど見事な「静」と「動」の対比はほかにあろうか。

 

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 この時代、多くの日本人は、従順に農作業を繰り返す “百姓” の感覚で生きてきたから、疾風のごとく野武士が襲ってくる状況など、まさに想像の範囲外だったろう。

 

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 未知なる存在が人間の日常性を脅かすという意味で、この映画は、当時の観客にとっては、同年(1954年)公開された東宝映画『ゴジラ』に匹敵する衝撃であったはずだ。

 

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 西洋史においても、中央アジア史においても、人類の戦いは騎馬部隊と歩兵部隊の戦闘だった。

 

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 歩兵で構成されたローマ軍団(上)とフン族の騎馬軍団(下)。

 

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 漢の歩兵部隊と、匈奴の騎馬部隊。
 
 農耕民族と騎馬民族との戦いは、みなすべて『七人の侍』で描かれた戦闘のスタイルをとった。

 

 突進してくる騎馬軍団は、歩兵部隊から見ると「脅威」だ。
 しかし、訓練された歩兵部隊は、騎馬軍団の突撃力をかわし、それを粉砕することもある。

 

 つまり、この映画の戦闘シーンには、人類が2000年以上の歳月をかけて繰り広げてきた戦いの原型が刻まれている。

 

 人馬一体となった騎馬兵の姿は、安全な場所で眺めるならば、人間のロマンをかき立てる。
 それは、馬のスピードを意のままに操れる人間に対する驚愕となり、憧れとなる。

 

 『七人の侍』に登場する野武士たちは、みな凶悪な面構えをした極悪人として登場する。


 しかし、映画を見ている観客は、無意識のうちに、馬のスピードを意のままにコントロールできる野武士たちの姿に颯爽したものを感じるようになる。

 

 この映画には、農耕民族(百姓)と騎馬民族(野武士)という、異質の原理に生きてきた二つの人間集団の歴史そのものが凝縮している。