絵画批評
人間はいつから「死」を恐れるようになったのか
絵画というものは、基礎的な知識がないと、理解できないものが多い。
特に、近代以前の古典的な西洋絵画の場合は、そこに登場する人物や情景を説明してくれる解説者がいないと、意味が伝わらないことがある。
しかし、その絵が描かれた時代を生きた西洋の人々は、見ただけで、その絵にどういうメッセージが込められていたかをだいたい理解できた。
テーマの大半は、ギリシャ神話とキリスト教の教義に関係したものだったから、そういう知識を自然と身に付けていた人々は、一目見ただけで、絵の意味を把握できたのである。
ところが … である。
そのような古典的教養を持っていた時代の人ですら、「謎」に出合って困惑していたような絵画もあった。
そんな絵のひとつに、ニコラ・プッサンが描いた『アルカディアの牧人(まきびと)たち』がある。
乳と蜜があふれかえる楽園
「アルカディア」とは、ヨーロッパ人が、ローマ時代から「牧人たちの理想の楽園」として夢見た地域の名前である。
もちろん、その名を持つ土地は、ギリシャのペロボネソス半島に実在していた。
ただ、実際のアルカディアは、どちらかというと地味の痩せた土地で、聖書で謳われるような、「乳と蜜にあふれかえる楽園」というイメージからはほど遠い。
しかし、ローマ時代の詩人ウェルギリウスが、この地を「美しい桃源郷」と歌ったことをきっかけに、「アルカディア」という言葉自体が、ヨーロッパ古典文学では「楽園」の代名詞として使われるようになった。
プッサンの『アルカディアの牧人たち』は、その楽園に住む4人の人物を描いた絵である。
“理想郷” のアルカディア
に忍び寄る不安
この絵には、確かに、優しそうな風を宿した緑の木々。遠くに浮かぶのどかな雲など、“楽園” の匂いが立ち込めている。
なのに、4の人物が浮かべる表情は不安そうな影に覆われている。
左側の3人の男は、身なりからして、この地で遊牧を営む牧人のようだ。
では、右側の女性は誰か。
その聡明そうな横顔から推測するに、この地で尊敬を集めている知的階級の貴族かもしれず、男たちの主人であるのかもしれない。
4人の間には笑いがない。
岩のようなモニュメントを囲んで、2人の男は、その「岩」の正体を見極めるように、壁面を指でなぞりながら見入っている。
右の男はたまりかねて、そばにいる女性に何かを尋ねかけている。
彼らは、何か深刻な問題に直面し、それをどう解決するか悩んでいるようだ。
きっと、簡単には解決しえないようなテーマなのだろう。
立ち尽くす女性は、その困難さを理解し、物思いにふけっているように見える。
彼らが直面した悩みとは、何か?
当時すでに、この絵の画面中央に位置するモニュメントが、実は石棺であり、その底に誰かの遺体が安置されているという説明が流布していた。
つまり、この4人は、墓の前にたたずんでいるのである。
「われもまたアルカディアに在(あ)りき」
誰の墓なのか。
それは、石棺を穿って中を改めてみても、もう定かではないだろう。
まず、その前に、その中に遺体があるのか、ないのか。
彼らにとって、この永遠の幸せを約束されている楽園に、不幸の象徴たる「人の死」があるということ自体が不思議なのだから。
墓の主(あるじ)の名前でも刻まれていれば、まだその「謎」を解明する手がかりはつかめるかもしれない。
だが、墓碑銘として残されているのは、
「 Et in Arcadia ego (エト・イン・アルカディア・エゴ) 」
という言葉だけ。
訳すと、「われもまたアルカディアに在(あ)りき」。
「われ」とは誰だ ?
おそらく、この4人を戸惑わせているのは、その「われ」の正体がつかめないからである。
それは、この絵が描かれた当時から、すでに多くの議論を呼んだテーマだった。
この「われ」に関して、古来より二つの解釈があるとされていた。
というのは、「 Et in Arcadia ego 」という言葉が、「われもまたアルカディアに在りき」という過去形とも取れるし、「われもまたアルカディアに在る」という現在形としても取れるからだという。
過去形として考えれば、墓の主は、かつてこの地で暮らした先住の牧人であるという推測が成り立つ。
それが、どのような牧人であったかは不明ながら、立派な石棺に葬られるくらいだから、そうとうな有力者か、あるいはこの楽園の秘密を知った者かもしれない。
しかし、この「 Et in Arcadia ego 」という言葉を現在形として捉えれば、「私も、またここにいる」という意味になる。
墓のなかに埋葬された住人の正体
では、いったい、“今ここに” 誰がいるというのか ?
墓の中に、生きているモノが存在し得ない以上、それは、寓意としての「死」そのものとしか言いようがない。
そう考えれば、4人の人物に浮かぶ不安の影の正体は、この “永遠の生” を約束された楽園にも、密かに「死」がまぎれ込んでいたことを発見したときの困惑であるといえそうだ。
現代の通説は、後者の方に落ち着いているという。
すなわち、これは、「死を忘れるべからず」という中世以降のヨーロッパに広まった「メメント・モリ」の思想を表現した絵であるというのが、大方の見方である。
死の恐怖を知ってしまった人間の苦悩
だが、「死を忘れるべからず」というメッセージが、いったいいつ生まれてきたのか。また、当時の人々は、なぜそのメッセージに深い関心を寄せるようになったのか。
それを考えると、面白いことがわかってくる。
「死の恐怖」というのは、必ずしも人間の本能ではないということだ。
死を恐れる気持ちというのは、実はこの絵が描かれた時代から深まってきたのだ。
いわば、この絵は、人間が「死」を本気になって恐れ始めた時代に描かれたものだといえる。
作者ニコラ・プッサンが生きたのは17世紀。
歴史区分では「近世」と呼ばれ、芸術領域では「バロック」といわれた時代である。
すでにルネッサンスを経験したヨーロッパ人の意識は、中世的な神への依存から脱却しつつあった。
神学的な世界観から解放され、「人間」としての自由、「人間」としての物質的な欲望をストレートに享受できる精神風土が生まれつつあったといえよう。
それが、ちょうど絶対王政を確立しつつあった王権や新興ブルジョワジーの成長期と重なり、ヨーロッパ全体が “人間くさい“ 活力に満ちた時代を迎えていたのである。
だが、「人間くさい時代を迎えた」とはどういうことか ?
それは、中世まで神に預けていた死の観念を、今度は自分たち「人間」が引き受けなければならない時代が来たということである。
つまり、貨幣経済も浸透し、物質的な生活環境も整い始めた近世ヨーロッパ人たちは、その “豊かな暮らし” が、個人の死によってあっけなく消滅することも知ってしまったわけだ。
だから、「楽園にも死は忍び寄ってくる」という『アルカディアの牧人たち』が示唆した死の恐怖は、近世人にとっては、かなり切実なものになってきたということが分かる。
プッサンがこの絵で描きたかったもの
ニコラ・プッサンという画家は、その切実なテーマを、どうして自分で引き受けなければならなかったのか。
これに関しては、美術評論家の中山公男氏が『西洋の誘惑』という著書で鋭く説いている。
▼ 『西洋の誘惑』
中山公男氏は書く。
「この絵に登場する人々の挙措や表情に漂っている『静かな畏怖』はどこからくるのか?
それは、物質的にも精神的にも、手に入るものはすべて獲得しようとした近世人たちが、やはり、この世には手に入らぬものがあることを知ったときの畏怖だ。
つまり、それは中世までは神が保証してくれた『永遠の命』である」
意識しても、しなくても、「死」は刻々と近づいてくる。
そのことを忘れるな(メメント・モリ)。
『アルカディアの牧人たち』とは、「神が保証した永遠の命」を取り上げられた人々。すなわち、「死を個人で引き受けなければならなくなった」人々の戸惑いと不安を描いた絵といえる。
つまり、この絵は、その古典絵画のタッチとはうらはらに、「神なき時代」を生き始めた人々が抱える “近代的不安” を先取りする絵にもなっているのだ。