アートと文藝のCafe

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山岸凉子 『日出処の天子』


漫画批評
魔性を秘めた美少年の妖しさ

 

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 「BL(ボーイズ・ラブ)は女性だけのものか?」
 と、男性の私はよくそう思う。
 
 というのは、自分が “BL漫画” にとことんハマった時期があったからだ。
 男がハマれば、「ストレートなホモってことじゃない?」と言われそうだが、いやいや、ホモとかゲイとかいう嗜好を離れ、BLって、本当に切ないのだ。
 
 男女の恋愛は、やがて結婚というステップを踏み、子供も生まれ、生産社会に貢献するという “祝福” に至るシナリオが用意されている。
 しかし、出産による子孫の繁栄というシナリオが成立しないBLは、純度「100%の恋愛」に終始するしかない。
 
 最近は、LGBTへの理解がそうとう進んだとはいえ、まだまだ「子を産まない性愛」というものに対する世間の視線は冷たい。
 だからこそ、逆に「子を産まない性愛」は、ピュアで美しいともいえる。


BLの愛は相手を食らい尽すまで終わらない
 
 ただし、そのピュアな美しさは、常に相手を食らい尽くすような魔性と背中合わせになっている。
 「お前が不幸になるのなら、俺も一緒に不幸になる」
 という一体感とともに、
 「お前が、俺と別れて幸福になることは許さない」
 というハードな愛の規律も貫かれているのだ。
 
 このようなBLの美しさと恐ろしさを、日本の古代史の中で描ききったのが、山岸凉子の『日出処の天子』(ひいづるところのてんし)であった。

 

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ホモで邪悪な聖徳太子

 

 ある日、カミさんがレンタルコミック屋から借りてきたいくつかの漫画のなかに、奇妙な表紙の絵があった。
 美形だが、女か少年か分からないような異形な人物が描かれていた。
 
 「ふ~む … なにこれ? 聖徳太子の話?」
 って感じで、パラパラと2~3ページ繰っているうちに、やめられなくなった。
 美しいのである。
 そこに出てくる厩戸王子(うまやどのおうじ)の姿が。

 わぁ、世の中にはこんなに美しい漫画があったのか!
 目からウロコだった。

 

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 単に “美少年” というのではないのだ。
 なにしろ、ここで描かれる聖徳太子は、英明な聖人君子という世間一般の通念をあざ笑うかのような、「ホモで邪悪な超能力者」という設定なのだから、人に見せないときの素顔に魔性が宿る。

 

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 その表情が怖い。
 美少女と見まがうばかりの美少年が、一転して夜叉、羅刹(やしゃ、らせつ)の表情となる。
 しかし、それがまた美しい。
 山岸凉子の筆力には、ほとほと感服するしかなかった。

 

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凡庸な男に恋してしまうという悲劇

 

 ところで、この厩戸王子の恋の相手は誰なのか?
 古代史では、天皇家転覆を謀ったとして悪人扱いされる蘇我氏3代のうちの2代目、蘇我毛人(そがのえみし)である。
 
 もちろんこの漫画が扱っている時代においては、蘇我氏天皇家の対立者ではなく、まだ天皇家をサポートする大臣一族でしかない。
 その蘇我氏の2代目である毛人は、後に天皇家を超えようとした不遜者という扱いを受けてしまうけれど、漫画では誠実・温厚な性格で、誰に対しても優しい常識人として描かれている。

 

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 ま、それだけが取り柄の “凡人” なのだが、そういう凡人を、魔界の帝王である厩戸王子が恋してしまうという不釣り合いさがミソなのだ。
 その気になれば、人を呪い殺すなど朝飯前という魔力を持つ厩戸王子が、毛人の気持ちだけは独占できないという無力感にうちひしがれて、さめざめと泣く。

 

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 悲しみをたっぷり吸い込んだ細い肩。
 うちひしがれた細いうなじ。
 そういうシーンから、ホモッ気やサドッ気のない男性の下半身をも疼かせるような、濃密なエロスが漂ってくる。


 このエロさはどこから来るのか !?

 といっても、そこに性的な描写が描かれているわけではない。
 直接的に性を暗示するような画像は一切登場しない。
 
 にもかかわらず、ここに登場する厩戸王子は、ものすごいエロい。
 まさに「萌え」という言葉でしか表現できないような “エロさ” だ。
 

さわやかで哀しい最後のページ

 

 で、このハードカバーにして全5巻に及ぶ恋のドラマは、厩戸王子が毛人を諦めることによって、静かに、ひっそりと幕を閉じる。
 
 最後のカットがすがすがしい。
 玄界灘を越えて、随(中国)への使者に託す手紙の草案を練る厩戸皇子の静かな姿が、波の上に描かれている。

 

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 その文案が、例の、
 「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を送る。つつがなきや … 」
 という有名な文章。

 先進国の中国に対し、日本の気概を伝え、アジア史の舞台に日本が登場したことを記す、あのすさまじい手紙なのだ。
 
 その文案を考える王子の姿に、もうバイセクシャルな妖しさは認められない。
 表情にも、秋の風のような静けさが漂っている。
 
 歴史上の聖徳太子は、この時、自分の華々しい時代が始まるスタート台に立ったことになる。

 しかし、漫画の中の厩戸王子は、毛人への愛を諦めるという、精神の砂漠を生きる道を選ぶ。
 聖徳太子の輝かしい業績とは、実は彼のニヒリズムからもたらされたものだという味わい深い省察が、山岸凉子の漫画にはある。


2種類の本を揃えたほどの熱狂
 
 すごい作品と出会ったものだ と思い、貸し本で読むのがもったいなくなり、さっそく本屋に買いに行った。
 それも、保存用のハードカバーの全集。
 そして、日頃読み歩くためのソフトカバーの全集。
 その2種類を買い揃えた。

 

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 関西方面に出張したときは、日程をやりくりして、日帰りで奈良まで飛び、法隆寺などを見に行ったし、アパートの押入のふすまが破れたときは、ふすまを貼り替える代わりに、厩戸王子の漫画を模写して、そこに貼った。
 
 この時期、聖徳太子にまつわる歴史書なども読み漁ったけれど、脳裏に浮かんでくる画像は、いつも山岸凉子厩戸王子であった。

 聖徳太子の業績や歴史的役割などをアカデミックに解説するいろいろな研究書を読んでも、一つとして「ホモで邪悪な超能力者である厩戸王子」に勝る魅力を感じたものはなかった。

 漫画が史実を歪曲してしまう。
 そんなことが起こるとしたら、それはこのようなとんでもない傑作コミックが登場したときのことだろうと思った。