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ウィーチャットが招く超管理社会

 テレビ朝日のニュース番組「羽鳥慎一モーニングショー」で、「ウィーチャット(WeChat=微信)」という中国製SNSアプリのことを採り上げていた。

 

 テレビで、しばらくその話題をフォローしてから、ネットで「ウィーチャット」を検索してみた。

 
 すると、
 「(ウィーチャットは)主に中国・マレーシア・インド・インドネシア・オーストラリアなど、中国を中心とした海外ではポピュラーなメッセージアプリで、今や10億以上のユーザー数を持っている」
 とのこと。

 

 「分かりやすくいうと、中国版LINEアプリのようなものだ」
 とか。

 

 もちろん単なる通信機能のほか、QR・バーコード決済サービスを受けられるほか、数々のクレジットカードが利用できたり、他のユーザーへの送金などをアプリ経由で可能になるなど、中国では生活必需品アプリとして、ものすごい勢いで利用人口を拡大しているらしい。

 

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 ところが、前述のモーニングショーでは、このウィーチャットが、現在中国政府のものすごい監視下に置かれるようになっており、都合の悪い情報はことごとく政府によって強制削除され、そのような情報を流した者もアカウントが凍結されて、場合によっては、当局によって拘束されてしまうと報道していた。

  
 その場合、ユーザーがもしアカウントの回復を望むときは、自分の顔画像の提出や音声登録を含め、資産、経歴、学歴等のすべての個人情報をサービス会社に提出し、ようやく再使用の許可をもらえるというのだ。

  

 このように管理された中国のネット社会では、当然政府にとって都合の悪いニュースは流れないし、もちろんウィーチャットでも、その手の情報のやり取りは禁止される。
  
 だから、中国本土で暮らす大多数の中国国民は、いま香港やウイグル自治区で何が起こっているのか知らないという。
  
 それほどの情報統制を受けながら、多くの中国国民はそれでもウィーチャットを利用せざるを得ないらしい。
 なぜなら、
 「不自由だけど便利だから」

 

 番組のレギュラーコメンテーターを務める玉川徹氏(写真右)は、こういう。

  

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 「今までは、自由主義圏内のイデオロギーが支配的だったため、西側の人たちは “自由” というものが一番の価値だと信じ込んできた。
 しかし、いま中国は、それに代わる価値観を打ち立て、新しいイデオロギーを掲げようとしている。
 それが、“便利” という価値観だ。
 “自由” というものを尊重しようとしたとき、当然、自由主義国では個々人の自由意志がぶつかり合うことは避けられないから、社会システムの整備が非常に非効率になる。
 しかし、“便利さ” というものは容易に万人を納得させることができるので、効率化が一気に進む」

 

 玉川氏にいわせると、未来の超管理社会を描いた映画『未来世紀ブラジル』や、ジョージ・オーウエルの小説『1984年』などが描いているのは、管理社会の抑圧的な恐怖というよりも、むしろ、民衆が「自由より便利さを求めた社会だったのではないか?」とも。

 

 この日にコメンテーターを務めた浜田敬子女史は、
 「怖いのは、いま日本人の一部の企業経営者のなかに、中国のような国家システムの方がいいのではないかと真面目に発言する人が出てきたことだ」
 という。

  

 なぜなら、「効率」や「発展の早さ」が大事になる企業経営においては、中国式システムの方が有利だからだ。

  

 現に、これからの各企業が目指す商品開発には、どうしても、GAFAが管理しているようなビッグデータが必要になってくる。

  

 しかし、GAFAといえども、それぞれはみな私企業である。
 ゆえに、個人情報を提出することに抵抗を感じるユーザーの存在を無視できない。

  

 ところが、中国という国家は、13万億人という膨大な人口を使って、GAFAが一束になってようやく手に入れられるようなビッグデータを瞬時に手に入れられるところまで来ている。

  
 なぜなら、中国国民はすでにウィーチャットなどの通信システムに個人情報を提供することに何のためらいも持たなくなるほど訓練されてきたからだ。

  

 現在、高度にAI 化が進行している中国では、このような超管理システムの構築をAI が担うようになっている。人間の顔認証や音声データの管理などは、それこそ、AI が最も得意とする分野だ。

 

 このAI 化は、中国人の人間評価にも影を落とすようになってきた。
 中国の若者の間では、婚活も、恋人探しも、すべてAI による個人データを頼るようになってきたという。

 

 AI による個人データでは、探したい相手の顔画像から資産、学歴、趣味すべてが閲覧できるようになっている。

 
 だから、
 「人間はAI データ化されなければ存在しない」
 といういう認識すら定着してきたとか。

 

 しかし、当然のことながら、AI というのは、しょせん高効率な “電子計算機” にすぎないから、人間のような「心」はない。

 
 つまり、いま中国で進んでいる人間管理システムとは、従来「心」と呼ばれていた人間の精神活動を縮小して別のものにしようという試みなのである。

 

 「心」が縮小した人間とは何なのか?
 それは、人間が「物欲」、 すなわち動物的な「食欲」「性欲」「睡眠欲」だけで生きていくような世界かもしれない。

 

 しかし、そうではないかもしれない。
 それは、人間の新しい精神活動を用意するものかもしれない。

 

 いずれにせよ、「自由」とか「民主主義」、「人権」などという20世紀型の西洋イデオロギーでは人間を語れないような世界が訪れようとしている。
 その壮大な実験に、いま中国はいち早く着手したところである。