アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

薬漬けの日々

 

 体調の思わしくない状態がずっと続いている。
 この4月。
 肺血栓症の症状がぶり返してきたと感じ、行きつけの病院の診察を受けたが、検査上はさほどの問題がないということが判明。
  
 しかしながら、以前よりも疲労が蓄積している感覚をぬぐえない。
 よくないことと知りつつ、昼間からソファーに横になったまま寝てしまう。
 昼過ぎに目を覚ますと、次は夕方に睡魔が襲ってくる。

 

 かといって、夜中に目を覚ましている時間が増えているわけでもない。
 多いときは、1日12時間ほど寝ている。
  
 寝てばかりいると、精神的にも倦怠感が襲ってくる。
 本や新聞などを見るのもだんだん面倒になり、テレビばっかり見るようになる。

 

 さらに、体力不足のせいか、筋力が落ちてきている。
 特に、お尻の筋肉が薄くなって、長時間椅子に座っていると、お尻が痛くなる。
 
 それと、最大の悩みは、「頻尿」。
 トイレに行く回数がべらばーに増えた。
 特に夜などは、2時間おきにトイレに行きたくなって目が覚める。

 

 たまりかねて、泌尿器科に相談にいった。
 検査の結果、膀胱の筋肉が硬くなって、尿を溜める容量が少なくなっているとか。

 

 現在、薬(ベタニス)をもらって治療中。

 

 それ以外にも、朝晩糖尿病の薬(メトホルミンなど)5種類ほど服用する。
 それプラス、肺血栓症の薬(エリキュース)1種類。
 (これは一生飲み続けなければならないらしい)
 
 薬を多用することで胃を荒らさないように、胃の薬(タケキャブ)も飲む。

 ここのところ、ずっと薬漬けだ。

  

 

 

現実を知るために不条理と向き合う

 

 このGWに、コロナウイルスの蔓延を防止するための三度目の緊急事態宣言が出されたが、人の流れは一向に減らないという。

 

 テレビニュースなどを見ていると、(東京を例にとれば)渋谷、新宿、銀座などの繁華街への人流は多少減ったらしい。
 そのかわり、郊外の観光地へのおびただしい人出が見られた。
 高速道路なども、例年のGWを彷彿とさせるぐらいの渋滞が観測されたという。

 

 郊外に遊びに出た人たちの様子をテレビ局が報道していた。
 「人の密集する都会はまずいが、郊外ならば “三密” を回避できるだろう」
 と計算した人たちが野外にくりだしたとのことだった。

 

 観光地に遊びにきたそういう若者たちに、テレビ局がマイクを向けてインタビューしていた。

 

 「緊急事態宣言が出されたのに、なぜ遊びに出てきたのですか?」
 というテレビ局のスタッフの問に対して、若者が答える。
 「コロナが流行っているといっても、自分の身の回りの人で罹った人はいないから案外大丈夫なのではないかと思っている」

 

 あるいは、
 「“医療崩壊” という言葉をよく聞くが、あくまでもニュースの話でしかないので、あまり実感がない」

 

 こういう回答をいくつか受けた医療従事者の一人が、若者たちに対し、
 「もう少し想像力を持って現実を見てほしい」
 とこぼしていた。


 つまり、自分の主観だけで世の中を見るのではなく、客観的な観察力を発揮して社会を見てほしいということなのだろう。

 

 それを聞いて、
 「想像力というのは、空想に基づいて物事を夢想するのではなく、現実をはっきりと直視することなのだろう」
 と感じた。

 

 「想像力」はあくまでも「現実」に依拠したものである。
 最近、強くそう思う。
 そのことをはっきりと意識したのは、陰謀論を信じる人たちの言動に接したときだ。

 

 昨年のアメリカ大統領選のときに、トランプ氏を支持した人たちの中に、「Qアノン」を名乗る陰謀論集団がいた。
 彼らは、「民主党は世界規模の児童売春組織を運営している悪魔崇拝者たちだ」という何の根拠もないデマを信じて、トランプ支持を訴え続けた。

 

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 現実にはありえないことを、あたかも “真実” のように信じ込む。
 そういう “ニュース” の発生源はほとんどがSNSで、そういうサイトには、事実を確かめることなく、そう信じた人たちの書き込みが殺到する。


 そして、それを鵜呑みにした人たちが、事実を検証することなく、それを拡散する。
 そういう行動こそ、「想像力の欠如」以外の何ものでもない。

 

 では、想像力とは、どのように育まれるものなのか。
 
 漫画家のヤマザキマリ氏(『テルマエ・ロマエ』の作者)は、SDGs を語る番組(BS‐TBS)のなかで、
 「想像力を鍛えるには、不条理なものから目を背けないこと」
 だと語っていた。

 

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 不条理。
 すなわち、すぐには「正解」にたどり着けないようなものと真剣に向き合うことが大事だという。
 

 現代人は、どんどん不条理なものから目を背けるようになってきた。
 「正解」がすぐに示されないものが苦手になってきたのだ。
 
 陰謀論は、そういう心を持つ人に取り付きやすい。
 つまり、ワケの分からないものと対峙して頭を悩ますよりも、陰謀論のように、「何かが悪い」といい切るような説に乗っかった方が、人は自分の頭を使わなくてすむ。

 

 しかし、それは人間として怠惰になることだ。
 不思議なことに、怠惰な人間ほど粗雑な思想に熱狂する。
 それが、この世をどんどんおかしくしている。

 

 不条理なものに目を凝らすことは、そういう陰謀論に依拠せず、もう一度自分自身の頭を使うことに回帰することである。

 

 

10年前の「3・11」


 東日本大震災が起きて、10年経った。
 地震が始まったとき(3月11日の14時46分)、私は北関東のキャンピングカー販売店で、新型車の取材をしていた。

 

 その場所が震源地に近かったせいもあり、10年経った今も、そのときの記憶は鮮明によみがえってくる。

 

 野外で写真を撮っていたが、突然、大地が波打った。
 立っていられなかった。
 ほぼ同時に、その販売店と道路を隔てて建っていた2階屋の瓦屋根がバラバラと地面に舞い降りてきた。

 

 販売店スタッフも私たちも、地震の概要を知ろうと、みな事務所のテレビの前に集まった。
 すでに、停電が生じていて、テレビがつかない。

 
 ラジオは電波を拾った。
 岩手、宮城、福島を中心に、かつてないほどの大地震が発生したと伝えている。

 

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 スタッフの携帯電話に入ってくる情報によると、道路の信号も動かなくなり、すでにあちこちで大渋滞が発生しているという。

 

 私は、その販売店のスタッフたちに暇乞いをして、急いで家に戻ることにした。
 家の様子を知りたいと思い、家族に携帯電話をかけたが、つながらなかった。

 

 幹線道路に出ると、どこの十字路でも、車はみな車が停まった状態であった。
 それでも、2~3台ずつ譲り合って、少しずつ前に進む。
 どの町の信号も故障しているので、夕暮れが迫ってきても幹線道路の渋滞は一向に収まらない。

 

 自分の住んでいる町にたどり着いたのは、深夜の2時だった。
 その時間でも、多くの通勤客が歩道を歩いて自分の家を目指していた。
 
 家に入り、テレビを見て、はじめて津波の情景を眺めた。
 恐ろしい出来事が起こったことを、その時点でようやく理解した。

 

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 当時、勤めていた会社は東京の品川にあった。
 翌日出社すると、地震が起きた直後、やはり会社の本棚から本や雑誌がバラバラとこぼれ落ちたと同僚が言った。


 その日は、仕事をしていても、余震が何度も会社の建物を揺らした。

 

 夜、駅に向かって歩いていると、ビルの窓から見える明かりがほとんど消えていた。
 歩道を照らす街路灯だけが寂しく灯っていた。

 異様な光景であったが、不思議なもので、その暗さがなんだか爽やかに見えた。

 

 それまで、東京の夜は異様に明るかった。
 キャンピングカーを使って、地方のキャンプ場を取材していたとき、どこの地方に寄っても、街全体がびっくりするほど暗いことが分かって驚いたことがあった。

 

 しかし、そういう経験を重ねているうちに、気づいたことがある。 
 「東京の夜の明かりの方が異常なのだ」と。


 都心部では、どんな路地に入っても、舗道全体がガラス張りのショーウィンドウのようにけばけばしく輝いている。
 東京の繁華街では、路上がそのまま宝石箱だった。

 

 いかに無駄な明かりが多かったことか。
 そういうことを、3・11の震災後にようやく気付いた。

 

 東日本大震災の被害は、地震津波だけではなかった。
 今も被災地の復興を妨げているのは、原子力発電所の事故である。

 

 原発の周辺では、10年経っても除染作業が進展せず、いまだに危険区域として、人の立ち寄りが許されない地域が広大に残っている。
 しかも汚染物質の処理には、まったく目途が立っていない。

 

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 大都市を中心とした、まばゆいほどの「夜の光り」は、みな原子力発電所の助けを借りて実現されていたことを、今さらながら感慨深く思う。
 
 菅政権は、「日本のカーボンニュートラルの実現」を公約に掲げた。
 そのなかに原発依存度がどのくらい残るのか、それに対する言及はほとんどない。
 もちろん重油を焚く火力発電をこれ以上増やすわけにもいかない。

 

 日本の電力事情は、将来どうなるのか。
 それがはっきりと示されないかぎり、東日本大震災の脅威が去ったとは、誰にもいえない。

 

 

ラー油の奇跡

  
 人間の舌が感じる “味” というのは、なかなか微妙なものである。

 

 うまいモノはうまい。
 まずいモノはまずい。
  のだけれど、
 「まずいもの」+「まずいもの」 = うまい!
 ということが起こりうるのだ。

 

 実は、ある中華食堂の話。

 

 学生の頃、夏休みの間だけだったが、ある事務所でアルバイトをしていたことがあった。


 都心の一頭地にあるビルで、その屋上からは、東京駅を出ていく新幹線が見下ろせるという、まぁいかにも地価の高そうな場所にあった事務所なんだけど、昼飯に困った。

 

 食う店はいっぱいあったのである。
 ビルの地下が大食堂街になっており、洋食屋から寿司屋、天ぷら屋、ステーキ屋など、何でもそろっていた。

 

 しかし、エリートサラリーマンたちを相手にしている食堂ばかりなので、みな値段が高いのである。

 

 一軒だけ、貧乏学生の私でも入れる店があった。
 リーズナブルな価格を掲げたラーメン屋で、昼飯どきには、一人前の炒飯を半分ぐらいの量にした “半炒飯(チャーハン)” というメニューが用意されていた。

 

 今なら “半炒飯” というのは、たいていの中華屋の定番メニューになっている。
 しかし、その時代は珍しかった。

 

 ラーメンと半炒飯を足しても、当時400円代で収まったか。
 そんなわけで、よくこの中華屋に入った。

 

 が、味がまずいのである。
 安いのはいいんだが、まずラーメンがとんでもなくまずい。 
 炒飯はさらにまずい。

 
 
 昼飯時にいちばん出るのが「ラーメン+半炒飯」であるために、注文が入る前から大量の炒飯がカウンターの奥で山盛りになって用意されている。


 で、注文が入ると、それを温めることもなく、オタマでポンとすくって、そのまま出してくるわけ。

 温かみは遠のいている上に、飯はぼそぼそ。
 レンゲで中をほじると、かろうじてひと皿に、奥歯にはさまりそうなチャーシューの小片が一個。ナルトが少々。
 玉子なんかケチっているから、めしに色すらついていない。ほとんど白いご飯のまんま。

 

 ある日、ちょっとイラッとしたもんだから、炒飯の上にラー油をたっぷりかけてみた。
 そのラー油の辛さで多少舌をシビらせ、同時にラーメンを口のなかに注ぎ込んだ。

 あ !

 なんだ、こりゃ ?
 うまいじゃんか !

 

 「化学変化」というのは、こういうことを言うのだろう。
 ラー油めしと中華麺の奇跡的なコラボ。

 

 たっぷりラー油が染み込んだ炒飯の米粒が、口の中で麺の小麦とほどよく絡み、醤油の辛味と絶妙の調和を見せて、なんとも奥行のある味に変化しているではないか。

 

 「うめぇ ! 」
 感極まって、ほとんど一人で叫んでしまった。

 

 その日から、ほとんどその店に通いつめた。
 コツはラー油の量である。
 炒飯が真っ赤に染まるほどかけると、実にラーメンの醤油と相性がいい。
 店には悪いと思ったが、ひと瓶の半分ぐらい使ってしまうこともあった。

 

 「おお辛ぇぇ ! 辛ぇぇ !」
 と涙が出そうになる瞬間に、急いでラーメンを頬ばって中和させる。

 

 ラー油の尖ったパンチ力を、米粒と麺のクッション材でほどよく受け止め、醤油味たっぷりの汁の中に溶かし込むと、それぞれの素材がほんらいの味を超えて、さらに2倍、3倍のうまみを引き寄せてくるのだ。
 
 幸せだぁ ……

 

 以来、いろんな店で、「ラーメン&ラー油炒飯」を試してみたが、この店ほどの劇的なうまさが実現されることはなかった。

 

 ひとつ気づいたことは、おいしいラーメンとおいしい炒飯では無理であるということ。
 特に、おいしい炒飯は、ラー油をかけると味が変わって、かえってまずくなるのだ。
 その店の炒飯は、ぼそぼそっと素っ気ない “まずい炒飯” だったからこそ、“ラー油シャワー“ の必殺ワザが生きたのだ。

 

 あれから、50年。
 実は、この店には、今でもときどき通っている。
 1年に1回くらいの割で、あのまずいラーメンとまずい炒飯が、ラー油の力によって、劇的な「化学変化」を起こす奇跡を体験したくなるのだ。

 

 きっと一生、自分からあのラー油魔術が解けることはないと思う。

 

▼ 写真は「おいしい炒飯」の例。この記事とは何の関係もありません

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よくコメントをいただく「司馬遼太郎大好きクン」様から紹介していただいた「半チャーハンの歌」 (↓) 

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名曲ありて「名画」あり

ある日どこかで
 

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 「名画」とは何か?

 この言葉が意味するものには、絵画と映画の両方があるが、とりあえず映画における「名画」を考えてみる。

 

 感動を得られたもの。
 深い印象を与えてくれたもの。
 無類に面白かったもの。

 …… などなど、「名画」といわれる映画を表現するときは、いろいろな言葉が用意されているが、そのなかでも、今回は “音楽の美しさ” を特徴とした映画を挙げてみたい。

  

 1980年に公開された『ある日どこかで(Somewhere in Time)』。
 それを2021年2月10日(水)に、BSテレ東で鑑賞した。

 

 この映画、なにしろ、テーマ曲が秀逸なのだ。
 楽曲としてメロディが美しいというだけでなく、映画音楽としての構成が見事。
 静かなイントロから入り、得も言われぬタイミングで重層的なストリングスが絡み、そしてクライマックスへ至るプロセスで、ロマンチックでセンチメンタルな主旋律が朗々と鳴り響く。

 

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 作曲は、『007』シリーズや『野生のエルザ』など、映画音楽における数々のヒット曲を手掛けたジョン・バリー

 

 いわば、「映画における音楽の使い方」を知り尽くしたプロ中のプロがテーマ曲を手掛けているのだ。


 だから、「この曲がどのようなシーンで使われると効果的か」という計算は鮮やかなくらい決まっている。

 

 私が、最初この曲をどこで耳にしたのか、あまり覚えていない。 
 たぶん、仕事で使う車を運転していたときにカーラジオから流れていたように思う。

 

 「ああ、きれいな曲だな」
 と感激し、そのとき、フロントガラスの両脇に流れていく景色がキラキラと輝いたような記憶がある。

 

 それがいつだったのか。
 おそらく映画の公開から10年か20年ぐらい経っていたのではなかろうか。

 

 私は、この映画が1980年に公開されていたことなどまったく知らなかった。
 1980年に封切られた映画として注目していたのは、なんといっても『地獄の黙示録』であり、『影武者』であり、『ロングライダース』などであったから、『ある日どこかで』のような “軽いラブロマンス” などが意識にひっかかることはなかった。

  

 実際に、Wikipedia などを見ても、公開当時この映画の評価はさほどたいしたものではなく、興行成績も伸び悩んだまま早めに打ち切られたという。

 

 しかし、それから40年経った現在、この映画の評判は驚くほど高くなっている。「カルト的古典映画」として、コアなマニアが熱烈に評価しているとも聞く。
 そういう高評価は、おそらく、音楽の素晴らしさに基づくものであるような気もする。

  

 では、どのような映画なのか。

 

 時代設定は1980年。
 脚本家のリチャード・コリア(クリストファー・リーヴ)は、原稿書きに行き詰まり、気晴らしの旅に出て、豪華で古風なホテルに一泊する。

 

 ホテルには資料館があり、その壁に美しい女性のポートレートが飾ってあった。
 その写真に魅せられたリチャードは、老いたボーイに彼女のことを尋ねる。
 すると、1912年に活躍したエリーズ・マッケナという女優(ジェーン・シーモア)だという。

 

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 その女性の画像に一目ぼれしたリチャードは、本物の女優に会いたくなり、タイムトラベルすることを念じて、自分に催眠術をかけると、なんと、本当に1912年の世界にスリップしてしまう。

 そこでリチャードは本物の女優に出会い、二人はたちまち恋におちる。

 

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 リチャードは、1912年の世界にそのまま入り込み、彼女との愛を成就するつもりになったが、ふとした出来事がきっかけで、1980年の世界に連れ戻されてしまう。

 

 突然夢から現実に連れ戻されたリチャード。
 激しい懊悩が彼を襲う。

 

 二人はもう一度出逢うことができるのだろうか?

 

 …… というのが、この映画のあらましだ。

 

 タイムスリップがストーリーのカギとなるという意味で、ジャンルでいえば、これはSF。
 テーマはラブロマンスだから、「SFロマンチック・ファンタジー」ということになるのかもしれない。

 

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 はじめて、BSテレ東で、この映画をみた感想を正直に書く。
 
 けっきょく、主役のクリストファー・リーヴという存在になじめなかった。

 

 いい男ではあるのだが、彼の顔からは “知性” が感じられなかったからだ。
 首が太くて、胸板も厚く、どうみてもスーパーマン
 つまり、脚本家には見えない男が脚本家を演じているという違和感。
 それが最後まで払拭できなかった。

 

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 知的な感じというのなら、主人公リチャードの敵役として登場するウィリアム・ロビンソン(クリストファー・プラマー)の方が上。
 さすが役者としての年季が違うと思った。
 彼の存在が、この映画に厚みを与えていた。

 

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 ま、そうはいっても、「駄作」ではなかった。
 それなりの感動はあるのだ。

 

 結局は、「音楽」である。
 主人公リチャードと、ヒロインのエリーズが心を通わせるシーンになると、ここぞ! とばかりに、例のテーマ曲が流れる。

 

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 この曲が途切れない限り、悲しい展開になっても、
 「きっと感動的な再会がある!」
 と期待する気持ちが生まれる。

 

 つまり観客はこのメロディに洗脳され、各自の脳内に、勝手に感動的なシーンを思い描くようになる。
 そうとう音楽に助けられた映画だといえる。

 

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 ネット情報によると、作曲家のジョン・バリーがこのテーマ曲をつくったのは、最愛の父と母を立て続けに亡くした直後だったという。
 「その喪失感が自然にメロディを紡がせたのではないか」
 と本人は後述しているとも。

 

 実は、もう1曲、この映画には別のテーマソングがある。
 セルゲイ・ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』だ。

 

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 こちらは、主人公のリチャードが、写真のエリーズに惹かれていく状況を表現するときのBGMとして使われている。
 もちろん、これもメロディーの美しい「名曲」だ。

 

 数あるクラシックのなかで、この曲を選考したのは、メインテーマを作曲したジョン・バリー
 最初は、グスタフ・マーラーの「交響曲第9番ニ長調」か、もしくは「交響曲第10番」を使う予定だったらしいが、ジョン・バリーの提案により、挿入曲がこのラフマニノフの曲に変更されたとか。

 

 その結果、とにかく甘くて、ロマンチックで、センチメンタルな名曲が2本立て続けに流れる映画となった。

 

 映画を彩った二人の名優はもう亡くなっている。

 

 主演のクリストファー・リーヴは2004年に逝去(享年52歳)
 彼の敵役として登場し、映画に緊張感をもたらしたクリストファー・プラマー(写真下)の方は、この2021年の2月5日に亡くなった。享年91歳だった。

 

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この世の果てから届く音


処女航海/リターン・トゥ・フォーエバ
 
 この世には、物理的にも理念的にも、人間がたどり着くことのできない領域というものがある。そこから先は、人間が足を踏み入れてはならないと思わせるような “場所” がある。

 

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 そういう “場所” を、仮に「この世の果て」と呼ぶならば、音楽にも、「この世の果てから届く音」というものがあるのだ。

 

 ハービー・ハンコックの『処女航海』と、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』は、まさに人間には見通せない、“この世の果てから届く音” である。

 

 ハービー・ハンコックの『処女航海』というアルバムがリリースされたのが、1965年。
 チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』が世に出たのは、それから7年後の1972年。

 

 その7年の間に、ジャズに使われる楽器は劇的に変化した。
 ピアノが生ピアノからエレキピアノに変わったように、ジャズ界においては、電気楽器が急速に普及するようになった。

 

 ハービーの『処女航海』は、いわば電気が導入される前のジャズの音を代表する屈指の名盤であり、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』は、「フュージョンの先駆け」といわれるアルバムにふさわしく、エレピの電気音を全面的に押し出したサウンドを特徴としている。

 

▼ 「処女航海」

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▼ 「リターン・トゥ・フォーエバー」

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 にもかかわらず、両者が伝えてくるものは似ている。
 まず、アルバムジャケットのデザインに、共通したものがうかがえる。

 

 「海」だ。
 
 海面を疾走するヨットをあしらった『処女航海』。
 海面すれすれに飛ぶカモメを捉えた『リターン・トゥ・フォーエバー』。
 両者とも、人智の及ばない大自然の深さを、「海」で象徴しようとしている。

 ジャケット・デザインの類似は、まさに音楽性の類似そのものを意味している。
 この2者はともに、人間がいまだ触れたことのない “未知の世界から届く音” を捉えたジャズなのだ。
 

 

ハービー・ハンコック 『処女航海』

 

Herbie Hancock - Maiden Voyage(処女航海)

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 アルバムタイトル『処女航海』の冒頭を飾る曲「処女航海」。
 これは、まさに人間が未知の世界へ漕ぎ出ていくときの心象を表現した曲である。
 多くのリスナーが、この曲が始まった瞬間から、「船が大海に漕ぎ出していくときの高揚感」を感じるという。

 

 確かにこの曲は、そのイントロから、冒険にチャレンジする人間の心の高ぶりを伝えてくる。 
 だが、それと同時に、なんともいえない不安感、あるいは戸惑い感。そんなネガティブな気配も、このサウンドのなかには混じっている。

 

 ずばり、その “ためらい” の気配こそ、演奏たちが表現したかった “未知の世界から吹いてくる風” の気配なのだ。
 はじめて海に出る者たちを襲う、あの水平線の向こうに隠れている “見えない世界” へのおののきが、実はこの音楽のベースになっている。
 
ハービー・ハンコック

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 この「処女航海」のサウンドには、アーシーな匂いを強調したビ・バップやハードバップとは異なる “空気感” が生まれている。
 圧倒的なのは、その透明感だ。
 そして、詩情があり、抒情性がある。

  
 この透明感あふれる音は、いったいどこから来るのだろうか。
 この音には、
 「未知なるものは、人間を畏怖させる」
 という、きわめて心理学的な心情が投影されている。
  
 「畏怖」とは、“おそれ” でもあるが、人間をピュアのものに目覚めさせる契機ともなる。

 「未知なるもの」は、もちろん不安もかき立てる。
 しかし、同時に、知らない世界へのときめきも醸成する。
 「不安」と「ときめき」が同時に生じたとき、人間ははじめて “透明度の高い精神” を手に入れることができる。

 

 ハービー・ハンコックの『処女航海』がリスナーに伝えようとしているのは、そのような「未知なるものの気配」である。
 リスナーはそれを受け止めるからこそ、この演奏に「透明感あふれる抒情性」を見出すのだ。
  

  
チック・コリア 『クリスタル・サイレンス』

 

 同じようなことが、チック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』にもいえる。


 特に、そのアルバムのうちの「クリスタル・サイレンス」という曲は、ハービー・ハンコックが『処女航海』で伝えようとした「未知なるものの気配」を、さらに手触りとして感じられるほど身近に引き寄せたサウンドになった。

 

チック・コリア

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Chick Corea - Crystal Silence

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 冒頭から、圧倒的な静寂の気配が立ち込めてくる。
 すべてのものが、みるみるうちに凍り付いていくような静寂。
 この静けさには、「死の気配」が漂っている。


 曲名の「クリスタル・サイレンス」とは、まさにそのことを指している。

 

 このタイトルは、まぎれもなく、本来可視化できない「死」が、身近に忍び寄ってきた気配を伝えようとしている。


 そういった意味で、これは、J・G・バラードが書いたSF小説『結晶世界』(1966年)をそのまま音楽化したものといえないこともない。

 

 J・G・バラードの『結晶世界』は、アフリカの密林で結晶化した不思議な死体が見つかったという導入部から始まり、それが全宇宙が結晶化していくという恐ろしい現象の前触れだったという壮大なファンタジーを、美しい文体で描いた小説だ。

 

▼ 『結晶世界』 アメリカ版表紙

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 「宇宙の結晶化」が始まると、この世のすべてのものは動きを停止し、永遠の沈黙のなかに横たわる。
 チック・コリアがエレキピアノで描き出す「クリスタル・サイレンス」は、そういう情景を濃厚にイメージさせる。

 

 だが、この曲は、けっして不吉な音ではない。
 逆に、言葉に尽くせないほど美しい。
 それは、「時の止まった世界」から生まれてくる美しさだ。
 そこには、どんな宗教も哲学もけっして解明することのできない「死」というものの超越性が「音」に託されている。

 

 すべての宗教と哲学は、これまでずっと「死」を語ろうとしてきた。
 しかし、それはみな “解釈” に過ぎず、“解明” ではない。
  
 「死」は語れない。
 だからこそ、沈黙を強いる。
 「クリスタル・サイレンス」とは、その沈黙を意味する。
  
  
 それにしても、アルバム・タイトルの『リターン・トゥ・フォーエバー』とは、よくも付けたり。
 漢語に訳せば、「永劫回帰」。
 哲学者ニーチェの根源的思想を表現する言葉だ。

 

 もし、チック・コリアが、アルバムタイトル(そして自分の率いるバンドのグループ名でもある)『リターン・トゥ・フォーエバー』をニーチェの思想から取ったのだとしたら、そこには「宇宙の死が、やがて生を呼び戻し、また死に至る」という壮大な円環構造になっていることを伝える東洋哲学の教えを暗示していることになる。

 

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 ニーチェの思想は、「脱・キリスト教」を掲げるものであった。
 そうだとすれば、ニーチェも、そしてチック・コリアも、(さらにハービー・ハンコックも)、西洋人にとっては伝統的な思考の枠組みとなるキリスト教を超えて、さらなる未知の世界を見ようとしていたのかもしれない。

 
 チック・コリアが逝去したのは、この2021年2月9日だった。
 享年79歳。
 冥福を祈りたい。

  

 

参考記事  

 

 

 

南にある大人の恋の国

 
鹿児島独り旅

 

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 前回「薩摩示現流」の記事を書いたが、そのときに体験した鹿児島旅行の思い出を、もう少し綴る。

 

 そのときにも書いたが、この旅行は、CAR雑誌に掲載する “ドライブガイド” の取材が目的だった。

 

 一応、記事にするべきものをあらかた取材して、1日だけ日程が余った。

 

 南に行ってみようかと思った。
 「指宿(いぶすき)スカイラン」という看板が出ていたので、それに乗ることにした。
 

 
 “スカイライン” という名からは自動車専用ハイウェイという感じが伝わってきたが、実際は片道1車線の「信号がない」だけの道だった。
 
 道の途中に現れる展望台に何回か止まって、噴煙を噴く桜島を撮影した。
 不思議な気持ちになった。
 富士山などがあのような噴煙を撒き散らしたりしたら、大変なニュースになるはずなのに、ここに住んでいる人々はそれを日常的な景色として眺め、気にもせずに暮らしている。
 

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 薩摩人というのは、太っ腹な人たちだ。
 明治維新から西南戦争にかけての時代、鹿児島はほとんど日本国内における「独立国」といった体裁を示すが、薩摩人のそういう剛胆さというのは、“火を噴く山” を町の中に抱えているという風土が生んだものかもしれないと思った。


 
 指宿スカイラインを走って南に下ってくると、今度は、開聞岳が見え隠れするようになった。
 富士山と似たコニーデ型の美しい山だ。
 ヤシの木などの隙間からみる開聞岳は、なんだか行ったことのないバリ島とか、ハワイとかいった、“南の楽園” をイメージさせた。
 

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 幼少の頃、街角に貼られた『南太平洋』というミュージカル映画のポスターを見たことがある。(wikipedia で調べると1958年の映画だという)
 その映画を思い出した。

 

 どんな俳優が出演するどんなストーリーの話なのか。実はいまだによく知らない。

 

 しかし、そのポスターに秘められた南国の官能というものだけは、子供の私にも理解できた。
 

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 「南の国には大人の恋がある」
 何の根拠もなく、そう思い込むようになったのは、もしかしたら、そのときに刷り込まれたものかもしれない。
  
 この『南太平洋』というミュージカルに使われたヒット曲に「魅惑の宵」という曲がある。

 

 いやぁこの曲は、昔ほんとうに流行ったものだ。
 小さい頃、家族に連れていかれたデパートの食堂などでは、よく “ムードミュージック” というジャンルの音楽が流れていて、そのなかに、必ずこの「魅惑の宵」が入っていた。

 

 デパートの食堂というのは、当時は “洗練された大人の食事どころ” だったから、この曲が映画『南太平洋』で使われている曲だと知った後では、さらに映画そのものが “大人の恋の話” に思えたのだろう。
 

マントヴァーニ・オーケストラ 「魅惑の宵」

youtu.be

 

 で、「大人の恋」を探すために、鹿児島をさらに南下したら、ウナギを見つけた。

 

 池田湖というところまで来ると、湖岸のボート乗り場やみやげ物屋には、どの店も「一番大きなウナギ」という看板が掲げられている。

 

 「一番のウナギ」を謳う店が何件も連なっているのだが、そのへんは、お互いにあまり頓着してない様子だ。
 おおらかな土地柄である。
 
 そのうちの一軒を覗く。
 体長2メートル、胴回り50センチという “お化けウナギ” がいた。
 ウナギというより黒いニシキヘビである。
 顔なんかナマズに近い。
 

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 店の人に聞くと、その1匹で、20人分の蒲焼ができるらしい。
 ただ、味は大味で、まずくて食える代物(しろもの)ではないという。
 あくまでも観光用。
 うっかり食べたら、一晩中ウナギの夢にうなされそうだ。
 
 さらに走って南へ。
 目指すは指宿。

 

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 いつのまにか頭の中では、指宿の町が、ミュージカル『南太平洋』に出てくるような南国リゾートのイメージに染め上げられている。
 今晩は、そこで「大人の恋」を見つけよう。

 

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 南へ、南へ。
 国境の南へ。
 
 あたりは典型的な日本の田舎道になった。
 小高い丘陵がうねうねと続き、その間に田畑が広がっている。 
 
 その光景は、どこの田舎にも溢れていそうなものだったが、ただ一点、陽光が違う。
 明らかに、南国の日差しだ。
 夏でもないのに、道の彼方に陽炎でも立っているような気がする。
  

 
 坦々とした一本道が続くなか、視線が妙な看板を捉えた。
 
 「ムー大陸の秘宝館」

 周りが畑だけに、「ムー大陸」と大きく出たところが、なにやら「怪しげ」で「妖しげ」。
 無性に寄り道したくなった。

 

 看板の指示する矢印通りに進むと、これがとんでもない山の中だった。
 地元のクルマさえ1台も通らない。
 
 その寂しいワインディング・ロードを、上へ上へと登っていくと、いきなり眺望が開け、人気のない広場の向こうに、なんともいえない奇妙な門が立ちはだかっていた。

 

 インド風というのか、イスラム風というのか。
 仰々しい赤い門が、「寄ってらっしゃい」とも「立ち去れ!」とも、どちらとも取れる風情で、じっと見下ろしてくる。
  
 テーマパークか?
 遊園地か?
 それとも宗教施設か?
 
 この摩訶不思議な味わいが、いい感じで、人の好奇心をくすぐってくる。
 門の横の事務所にはスピーカーが備え付けられていて、そこから、初期のコンピューターゲームで使われたようなふわふわした電子音のメロディが流れている。
  
 クルマを止めておそるおそる事務所(受付?)の中を覗いてみたが、もとより客などあてにしていないのか、事務所には人っ子一人いない。
 
 門から中を覗くと、意外に奥行きがあって、山あり、谷ありの公園のようになっている。
 “秘宝館” は山の向こうにでもあるのか、ここからは姿が見えない。

 

 門から先は “古代ローマアッピア街道” といった感じの石畳の小道が伸びていて、その彼方の丘の上には、白くピカピカ光る象の彫刻が横たわっている。
 ますますもって、わけが分からなくなる。
 

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 門の横にこの施設の由来を説明した碑があった。
 読むといよいよ大変な施設であることが分かった。

 

 なんでも、
 「世界平和の実現のため、3000万年の昔に太平洋に沈んだ理想の仏国土ムー大陸の秘宝を展示」
  した施設なんだとか。
 
 ムー大陸が、釈迦が生まれる前はおろか、人類が生まれるまえから仏教の国だと初めて知って、びっくりした。

 よっぽど入ってみようと思ったが、日のあるうちに指宿の町に行きたかったので、残念だったが、あきらめて山道を引き返すことにした。

 
 
 陽が西に傾きかけた頃、南九州屈指の温泉街である指宿に着く。

 

 映画『ビッグウェンズデー』級の大波が押し寄せる南国の浜辺をイメージしていたのだが、海岸沿いに並ぶホテル、スナック、ストリップ小屋などのたたずまいは、わりと日本のどこでも見られる観光温泉街だった。
 
 ウィークデイのせいか、人の姿もまばら。
 旅館やホテルもひっそりとした感じだ。
 仮に、どこかの宿に飛び込んでも、だだっぴろい大広間で、浴衣を着たまま一人で食事をとっている自分の姿が想像できた。
 
 街並を見ながら走っているうちに、いつのまにか町を出てしまった。
 
 ……  どうするか。
 
 今から戻れば、鹿児島の町には戻れる。
 やっぱり、旅の最後の夜は、天文館あたりの居酒屋で、さつま揚げに焼酎でも飲みたい。
 南国リゾートの「大人の恋」はあきらめて、再び来た道を引き返す。

 
 
 途中、ちょっと洒落た喫茶店が見えた。
 田舎の町並みにポツンと立っているモダンな店構えが、周りの景色から浮いている。
 どんな客が入るのだろうと と、好奇心が湧く。
 
 店の中には、60年代~70年代のロック・アーチストのLPジャケットやCDが飾られ、心地よいノリのロックが、適度なボリュームで流れていた。

 

 カウンターでは、40代か50代くらいのマスターが地元の青年と話していた。
 話題は音楽のことではなさそうだ。
 コーヒーを注文し、しげしげと店内のディスプレイを眺める。
 ニール・ヤングジャニス・ジョプリンCCRザ・バンド
 古びた30㎝ LP のジャケットが、壁いっぱいに飾られている。

 

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 マスターの人生が分かりそうだった。
 若い頃 都会の大学でロックの洗礼を受け、それにのめり込み、故郷に戻って、趣味を生かした喫茶店を開く。
 そういう人生設計を描いたんだな という感じがひしひしと伝わってくるのだ。
  
 なんとなく ( 年齢的にも近そうだったし) 親近感を覚えたので、帰りぎわに、
 「今かかっているのは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングでしょ?」
 と聞いた。

 

 マスターは、こともなげに、「そうですが 」(それが何か?)と怪訝そうな表情で見つめ返してくる。
 こんな田舎でロックの話するなんて、お前よっぽど変わりものだなぁ という感じなのである。 

 

 ちょっと鼻白んでしまったが、「ま、いいか 」と思って、勘定を済ませて外に出る。
 
 少し休んでいる間に、町はすっかり夕暮れの色に染めあげられていた。
 夕方になると淋しい町だ、この辺は。
 

 
 さぁて、ひとっ走り。
 天文館で、気の利いた居酒屋でも探し、街の喧騒をサカナに焼酎でも飲もう。
   
 「大人の恋の国」が後ろに遠ざかる。
 ふと見上げると、空には早々と一番星。
   

  

 

 

必殺の剣法「薩摩示現流」

  
 司馬遼太郎さんの幕末小説を読んでいると、「薩摩示現流(さつまじげんりゅう)」という言葉によく出くわす。
   
 『新撰組血風録』
 『燃えよ剣
 『竜馬がゆく
 『跳ぶが如く』

 

 こういう作品群では、必ず「示現流」という剣術の話が紹介される。

 

 NHK大河ドラマにおいても、2004年の『新選組!』、2008年の『篤姫』、2018年の『西郷どん』などという薩摩藩に触れる作品では、どこかで「示現流」が登場していた。
 

▼ 2018年の大河『西郷どん』で中村半次郎を演じた大野拓朗

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 昔、会社勤めをしていた頃、鹿児島に「観光ガイド」を書くための取材に行ったことがある。

 

 市内に「黎明館(れいめいかん)」という資料館があった。
 鹿児島の歴史が一目でわかるような展示物が並んでいた。

 

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 そこに、鹿児島の伝統芸能や祭を紹介するビデオコーナーがあり、示現流の練習風景が紹介されていた。
 
 剣士が、枝を切り落としただけの丸太を持って、地面に植え込まれた棒を次々と叩いていく。

 

薩摩藩士は子供の頃から示現流を叩き込まれた(大河「西郷どん」より)

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 洗練さのかけらもない素朴で原始的な剣術だ。
 ただ、「キェー」とか「チェースト」というかけ声だけが、聞き手の心を震撼させるほど恐ろしい。 

 

 司馬遼太郎さんは、『新選組血風録』や『燃えよ剣』のなかで、新選組近藤勇の口を借りて、こう言わせている。

 

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 「隊士諸君。薩摩の浪士と切り結ぶときは、初太刀(しょだち)を外せ。恥も外聞もなく退いていいから、初太刀だけはかわせ」
 
 初太刀。
 最初の一撃という意味だ。

 

 示現流では、初太刀に気合を込め、最初の一撃で相手を倒すことに全てを賭ける。

 

 逆にいえば、薩摩剣士は、相手にその初太刀を外されたら、死ぬしかない。
 まさに捨て身の剣法であり、幕末、勤皇方の志士たちを血祭りにあげていた新選組ですら、この薩摩示現流には恐れおののいたといわれる。

 

NHK大河「新選組

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 薩摩の人々には、その示現流の精神が、生活全般にも沁み込んでいるといわれている。

 

 そんな薩摩男の話を、居酒屋の女将(おかみ)さんから聞いた。
 鹿児島市内の『焼酎天国』という、それなりに名の知れた店で、その店を取材した後、そこの女将さんが酒の相手をしてくれた。

 

 鹿児島では決断を下す速さを表す言葉として、「太刀の来ぬ間に」という表現がある、と女将さんは話す。
 
 つまり、相手の刀が切りかかって来ないうちに、素早く決断せよという意味らしい。
 いかにも、示現流の故郷であることを感じさせる例えだ。

 

 司馬遼太郎の小説の中で、
 「鹿児島では、男の行動をたとえる表現は、ことごとく軍事か剣術の表現がベースになっている」
 と言う指摘があったが、それを思い出した。

 

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 このような、薩摩剣士の精神を体現した男たちを「薩摩隼人(はやと)」という。
 女将さんが、薩摩隼人の「定義」を教えてくれた。

 

 薩摩隼人といわれる男の条件は、
 一に 「議をいうな」
 二に 「弱者に優しくあれ」
 三に 「勇猛果敢であれ」
 …  だそうだ。

 

 議を言うな、というのは「ごちゃごちゃ理屈をこくな」という意味。
 男は不言実行。しかも、的確な判断力を持って、瞬時に決断せよというのである。
  
 そして、そういう男に惚れる女のことを「薩摩おごじょ」というそうな。
 
 薩摩おごじょというのは、「薩摩隼人」の美質を、女だてらに臓腑の隅々にまで沁みこませた女のことを指し、それでいて、常に風下に回って男を立て、万が一男がくじけそうになったときこそ、「示現流」のすさまじい炎を男に注入するのだとか。

 「私こそ、まさに薩摩おごじょの典型!」
 と、さすがに『焼酎天国』の女将さんは言わなかったが、目がそう語っていた。

 

▼ 大河『西郷どん』で女房役の薩摩おごじょを演じた黒木華 f:id:campingcarboy:20210208081744j:plain

 
 で、薩摩隼人でも何でもない軟弱な東京男の私は、一気に酔いが回った。

 
  
 翌日、鹿児島市内の風景をカメラに収めようと思って外に出たら、季節外れの雪が舞っていた。

 

 道行く車のルーフがみな白く変色している。
 通行人は、傘をさしているし、女性はスカーフをほっかぶりしている。

 

 「変だな。天気予報は晴だといっていたのに
 と思って、よく見ると火山灰だった。
 桜島が煙をはき出したのだ。
 
 城山の高台に登っても、灰で桜島が見えない。
 小雨で視界が悪かったときよりまだひどい。撮影どころではない。

 

 考えてみると、不思議な町だ。
 中心部に火山を抱えている町なんて信じられない。

 

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 火を噴く山とともに暮らしている人たちって、やはり感性がホットだ。

 

 明治維新から西南戦争にかけての時代、鹿児島は、ほとんど日本国内における唯一の独立国だった。

 「中央政府なにするものぞ!」
 と、薩摩隼人たちは、明治政府の繰り出す大軍に対して、少しもひるむことなく戦った。

 

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 示現流の苛烈さも、薩摩人の気迫も、燃え続ける桜島が生んだものかもしれないと、ふと思った。  
  

  

司馬遼太郎 『坂の上の雲』を読む

バルチック艦隊の悲劇

 

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 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、日本近代史を深堀りする画期的な名著の一つに数えられるが、私が読んでいちばん記憶に残っているのは、意外にも、“敵国” として描かれたロシア軍の記録なのだ。
 なかでも、バルチック艦隊の悲劇は、魂をゆすぶる壮絶な話といっていい。
   
 『坂の上の雲』を単なる戦記モノとして読むならば、バルチック艦隊というのは、日本海軍のただの “かたき役” でしかない。
 
 しかし、彼らがどのような労苦を払って日本海までたどり着いたか ということに着目するならば、これはもう涙なくして読めない波乱万丈の冒険物語といえる。たぶん、それだけで独立した小説ができあがるはずだ。

 

NHKでドラマ化された『坂の上の雲』(2011年)に出演したロシア海軍の役者たち

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 現に、司馬氏はこの艦隊が出航してから海戦に至るまでの叙述で、文庫本8巻のうちのほぼ1巻分ぐらいのボリュームを割いている。それ以上かもしれない。

 

 
地球を半周する壮大な航路
 
 満州の陸戦で日本軍に苦戦を強いられたロシア政府は、その難局を打開するため、ヨーロッパ方面の有事に備えて温存していたバルチック艦隊を、ついに極東の戦線に派遣することに決めた。
  
 これが、どのような難事であったかは、その遠大な航路がそれを物語っている。
 バルト海から大西洋に出て、アフリカ西岸を南下し、インド洋をまたぎ、そして東シナ海から日本海へと進む航路を、艦隊としての秩序を保ちながら完遂したというだけで壮挙だ。


 スエズ運河を渡れば、まだいくらかの航路の短縮は図れただろう。

 

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 しかし、当時のスエズは日本と同盟していたイギリスが支配していた。
 イギリスは、「ロシア船は石炭を満載するため喫水線が下がってしまう」ということを理由に、スエズの通行を許さなかった。

 

 そのため、バルチック艦隊は、アフリカ南端の喜望峰を越えなければならなかったのである。
 

 
 北国で生を受けたロシア人たちは、アフリカの西岸を南下するときに、まず南国の暑さと湿気に悩まされた。

 熱気のこもる船内で寝ることは不可能になり、士官も兵卒も、上半身裸になったまま甲板にごろ寝するのだが、そのようなだらしなさが日常化することによって、士気もどんどん低下していく。

 


「粗悪な燃料」が招いた不運

 

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バルチック艦隊の1番艦を務めた「ボロジノ」
 
 続いて、船を動かすための石炭の確保に苦しむ。
 日本を支援するイギリスは、石炭を供給できるような自国の港をけっしてロシア艦隊に開放することはなかった。

 

 のみならず、フランスにプレッシャーをかけて、ロシアの同盟国であるフランス領の港においても、ロシア艦隊への石炭供給を断るように働きかけた。

  
 頼みの綱であったロシアの軍事力が、日本軍によって削ぎ落とされていく現状を冷静に分析したフランスは、打算的な政治力を発揮し、イギリスの機嫌を損ねないように、ロシアに冷たく当たるようになる。

 

 ロシア艦隊が寄港できる港は、フランス領内であっても環境の劣悪な港しかなく、石炭を仕入れる港はさらに限定されていく。

 

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▲ 洋上のバルチック艦隊 粗悪な石炭しか積めなかったので、吐き出す黒煙の量が多い
  
 だから、石炭が供給される港に入ったときは、あらんかぎりの石炭を積み込むことになり、そのため船員たちの居住スペースは狭められ、船の重量も重くなり、航行速度はさらに減少する。

 

 しかも、石炭を詰め込むという重労働が、長旅に疲れた船員たちの疲労度をさらに増すことになる。

 

 
大暴風雨に翻弄される艦隊
 
 彼らは、青息吐息でようやく喜望峰を回るのだが、そこで待っていたのは、大航海時代の船乗りたちを悩ませた、想像を絶するような大暴風。

 

 船よりも高い大波が艦尾を襲い、その次には、船そのものが波の頂点に押し上げられ、眼下に、今にも波に呑み込まれそうな僚船の姿を見下ろすことになる。
 船員たちは、生きた心地がしなかったろう。
   
 
 ようやくたどり着いたマダガスカル島で、彼らは、旅順港と旅順の要塞が、日本軍の手に落ちたという悲報を受け取る。

 

 バルチック艦隊の東征の目的は、旅順港に寄港している旅順艦隊と合流して、圧倒的な海軍力で日本軍にプレッシャーをかけることにあったから、航海の半ばで、その目的も潰えてしまったことになる。

 

 しかも、彼らにとって難攻不落に思えた旅順要塞が陥落したことで、日本の軍事力への過大評価が、幻影となって彼らの神経を蝕み始める。

 

 
発狂して海に飛び込む水兵も続出
 
 以降、水平線の彼方に昇る煙を見ただけで、彼らは「日本の巡洋艦隊の出撃か?」と恐れおののき、それが無用の緊張となって、兵士たちの睡眠を妨げるようになる。
 
 艦隊をワンセットしか持たない日本海軍が、わざわざインド洋まで兵力を割くなどということはありえないのだが、疑心暗鬼に駆られたロシア海軍は、幻の日本海軍に悩まされながら、航海を続けなければならなくなる。
 発狂して海に飛び込む兵士も続出し、軍としての統制力もどんどん弛緩していく。
 

 
 このような難行苦行の航海を続けたバルチック艦隊を待っていたのが、あの日本海海戦の悲惨な結末なのだから、これはもう涙なくしては読めない話だ。

 

▼ せっかくたどり着いた日本海で、日本の連合艦隊によって壊滅状態に陥るバルチック艦隊NHKドラマ『坂の上の雲』)

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 『坂の上の雲』という小説は、そのような “敵国” ロシアの兵士たちが立たされた苦境をも公平な視線で描ききった小説である。

 

NHKドラマ『坂の上の雲』の日本軍連合艦隊

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悲惨な結末

 

 この物語を読むと、日露戦争の勝利が、けっして日本軍の “優秀さ” だけによってもたらされたものでないことが分かる。

 

 あの戦争は、欧米列強の政治的な思惑の中で繰り広げられた戦いで、戦況を支配するのは、諸外国の駆け引きをどう利用するかというその “読み” の力にかかっていた。
 その結果が、日本海海戦に結実した。

 強いていえば、当時の日本政府は、欧米列強の政治的な思惑を “読む” 力があったということなのかもしれない。

 

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 ロシア艦隊の兵士のなかには、日本兵士の顔なども見ることなく、見知らぬ東洋の海にたどりついた瞬間に、海底に沈んでしまった者もたくさんいただろう。
 当たり前の話だが、戦争は悲惨である。

 

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司馬遼太郎に洗脳された日本人 … だってよ

 

 近頃、いろいろな方のブログを拝読していると、広告の掲載欄を残しているものに、次のような広告を見る機会が増えた。

 

 「司馬遼太郎に洗脳された日本人」
 「司馬遼太郎の日本史」の罠

 

 一般人のブログのみならず、有名ブロガーとしてネットに多くの読者を持つ池田信夫氏の『池田信夫 blog』にも上記の広告が掲載されている。

 

 クリックしてみると、どうやら本の広告らしい。
 ただ、上記のキャッチをそのまま謳う本ではない。
 書籍名は、『明治維新の大嘘』。
 そのメインタイトルの横に、小さな活字で、「司馬遼太郎の日本史の罠」というサブタイトルが添えらえている。

 

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 著者の名は、三橋貴明氏(写真下)。
 経済評論家だという。

 

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 司馬遼太郎ファンである私は、気になって、その広告の中身を調べてみた。

 

 下記のような紹介文が添えられていた。

 

 「明治維新は、坂本龍馬西郷隆盛などの活躍により、古い体制だった江戸幕府を打ち倒した革命。そのおかげで日本は近代化した と、ほとんどの国民は大河ドラマの影響を受けているせいか、そう思っています。しかし、本当の明治維新の姿は、そうではありません」

 

 そう謳ってから、司馬遼太郎の『坂の上の雲』(日露戦争をテーマにした小説)を取り上げる。

 

 「『坂の上の雲』では、日本は昔から “小国” で、人口も少なく、アメリカやヨーロッパ諸国よりも弱小国家。ロシアなんかには逆立ちしてもかなわなかったと書かれているが、けっしてそうではなかった」
 という。
 
 つまり、当時の日本はアジアを代表する大国であり、ロシアに勝ったのも当然だった  ということを、著者は伝えたいらしい。

 

 しかし、“司馬遼太郎批判” を展開しているのは、どうやらその個所だけらしい。

 

 要は、明治維新の “真実” を伝えたがっている著者が、日本の国民的作家である司馬遼太郎を批判する(振りして)、自分の本を宣伝しようとしているだけなのだ。

 

 これはずるいよな。
 司馬遼太郎の小説を批判するのなら、その著作をもっと大きな書体でどうどうと掲げるべきだ。
 第一、「罠」とか「洗脳」などという言葉を使って、司馬遼太郎を攻撃するセンスが下品である。

 

 そもそも、「日本人はNHK大河ドラマに騙されている」といったところで、このドラマを見る視聴者にはほとんど意味のない指摘だ。

 なぜなら、大河ファンの多くはみな歴史に興味がある人間だから、いろいろな文献と照らし合わせて、ドラマの “嘘” などはとっくに見抜いている。

 

 みな、それを承知で大河を見ているのだから、三橋貴明氏が「大河は嘘だ」といい張ったところで、大河の視聴者は逆にうんざりしてしまう。

 

 私は、この三橋貴明という著者のことをよく知らない。
 いくつもの著作を出しているようだし、YOU TUBEなどでも自分のチャンネルを持っているようだ。

 

 だが、彼の情報をネットでさぁっと眺めただけでは、この人がどういう立ち位置の人なのかよく分からなかった。
 
 YOU TUBEでの話しっぷりなどから察するに、彼は、高潔な信念とか深い洞察力とか繊細な神経を持っている人には見えなかった。

 

 もちろん、以上のような評価はすべて私の第一印象に過ぎない。
 当然、私が誤解している部分もあるだろう。
 ただ、ネットに露出している彼の表情、および自作の著書を語るときの語り口だけから判断すると、その著作を読む気がまったく起こらなかった。

 

 私の長年の読書体験などから導き出された答は、
 「信用できない人だ」
  であった。


 もちろん、司馬遼太郎の小説やエッセイがすべて歴史の真実を伝えているとは、私自身も思わない。


 実際に、彼自身の強い好みや錯誤によって歪曲されているところも数多くある。
 さらに、没後25年を経て時代の空気も変わり、テーマや視点がいまの風潮になじまないものもたくさんある。 

 

 だから、三橋貴明氏が、「日本人は司馬遼太郎に洗脳されている」といったところで、私の気持ちをいえば、「今さら何を言ってやがる」という気分なのだ。

 

 さらにいえば、三橋氏には、致命的な錯誤がある。
 それは、司馬遼太郎という物書きは歴史評論家でもなければ学者でもないということだ。

 

 確かに、司馬遼太郎の存命中に、「司馬史観」という言葉も生まれ、あたかも、司馬氏の歴史観が日本史の通説になっているような受け止められ方をしたことも事実だ。

 

 しかし、司馬氏自身が、「自分は歴史学者だ」などとは一言もいっていない。

 

 彼はあくまでも小説家なのである。
 小説家というのは、物語をつくって読者を喜ばせる職業だ。
 「物語」の場合は、まず「面白いこと」がいちばんであり、歴史的事実を反映しているかどうかは二の次である。

 

 実際に、司馬氏の代表作の一つ、『竜馬がゆく』は、坂本龍馬という人物の伝記ではない。
 あくまでも、“面白おかしく” 描いた物語なのだ。
 だから、司馬氏は坂本龍馬の「龍馬」の名を、あえて(事実とは違う)「竜馬」にしているのだ。

 

 齋藤道三織田信長明智光秀という戦国の英傑たちを描いた『国盗り物語』においても同様。

 当時、齋藤道三に関する資料はほとんどなかったから、司馬氏はこの人物に関してほとんど一から創造している。
 そこには、まさに惚れ惚れするくらいの人物造形が生まれている。

 
 つまり、司馬氏の書く小説は無類に面白いのだ。
 この面白さこそ、司馬ファンにとっては “宝” なのだ。
 だから、三橋貴明氏が、「日本人は司馬遼太郎に洗脳されている」とかいったところで、
 「うるせぇ! お前は引っ込んでいろ !」
 という言葉しか浮かばないのである。

 

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司馬遼太郎

 

 ただ、いくら「面白い!」といっても、すでに「司馬史観」だけでは歴史を語れない時代になっているのも確かだ。
 
 というのは、司馬氏のメンタリティーというのは、基本的に、日本の「高度成長期」の空気感を背景にしているからだ。

 

 まさに、彼の描く世界こそ、「坂の上の雲」である。
 今は苦しい登り坂だが、頂上まで登れば、青雲たなびく眺望が開ける!
 そういう気分がどの小説にも満ち溢れている。

 

 だから、彼の小説では、合理性と開明性が大きなカギとなる。
 昭和の読者たちは、この “明るさ” に魅せられた。

 

 「坂の上の雲」に出てくる男たちもそうだが、斎藤道三織田信長羽柴秀吉坂本龍馬土方歳三
 誰もが、死に絶えるときでも青空を仰いだまま絶命する。
 それは、まさに、1960年代から70年代初頭まで続いた「高度成長期」の感性なのだ。

 

 もちろん、今の時代は、そういう “昭和賛美” がそのまま通用する時代ではない。
 なにせ、彼の死後、日本は長期のデフレに苦しみ、自殺者の数も増え、世界のグローバル経済に翻弄され、そしていまコロナ禍にあえいでいる。

 

 “坂の上の雲” を夢見た昭和のサラリーマンたちの時代は遠くに去ってしまった。
 だから、「司馬史観」を批判する三橋氏のような評論家も出て来るのだろう。

 

 それでも言いたい。
 “司馬遼” 的な明るさに洗脳されて、何が悪い?

 

 ま、これ以上のことは、私自身が三橋氏の著作を読んでいないので、さすがにいえない。
 もし読めば、それなりに納得し、共感するところもあるのかもしれないが、(繰り返しになるが、)三橋氏から漂ってくるのは、山師(詐欺師・いかさま師)の臭いでしかない。

 

秀吉の成金趣味

塔の形而上学

  

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▲ ピーター・ブリューゲルの『バベルの塔
 
 人間は、塔が好きだ。
 古くは、旧約聖書の「バベルの塔」(← 本当にあったかは不明)に始まり、エッフェル塔やら、東京タワーやら、東京スカイツリーやら、ドバイのプルジェ・ハリファやら ……


 何のためか、よく分からないけれど、とにかくみんな塔を建てるのが好きだ。
 
 だけど、なんで人間は古来よりそんなに「塔」を建てたがるのだろう?
 
 権力者の “権威” の誇示とかいう説もあるけれど、それなら、まずドッシリした安定感が必要で、不安定さを漂わせながらヒョロヒョロ伸びていく建物が必要とは思えない。
 
 スペース効率を高めるためだという人もいる。
 地価の高い大都市の場合は、フロアを積み重ねていくことで、総敷地面積を増やすことができる。
 まぁ、合理的な説明だね。
  
▼ 高層ビル

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 確かに、現代の「高層ビル」というのは、そう説明することも可能だ。
 だけど、「塔」は、「高層ビル」とは違う。
 「高層ビル」には “意味” があるけれど、「塔」には “意味” がない。
 
 「塔」というのは、その「高層ビル」が終わり、その上に「無意味な空間」が現れるところから始まる。
 
 プルジュ・ハリファの地上828mとかいう高さって、どんなに高速エレベーターを使ったって、人間が暮らす空間にはならない。
 まず、そんな高いところまで、水道とか、ガスとか、トイレや風呂とか、ライフラインを整備するとなると、とてつもないコストがかかる。
  
 周りが砂漠で、建物を建てるスペースに困らないドバイでは、そんなコストは無意味なコストだ。
 第一、地震が来たらどうなるだろう?  ってな不安は常につきまとう。
 
 トレードセンタービルを襲った9・11事件のように、飛行機が突入してきたらどうなるのよ とか思うと、もう住むなんてことは考えるだけで怖い。
 
 だから、人間が住む空間として、「塔」は意味がない。
 ホテルやオフィスがいっぱい入っているはずのプルジュ・ハリファだって、160階以降206階までは、全部機械室だっていうじゃない。
 一定以上高いところには人間は住めないってことを、建築家もちゃんと分かっているんだろうね。
  
 スカイツリーは「電波塔」として建てられたわけだけど、専門家の中には、「電波塔なら、別にあれほどの高さなんか必要ない」っていう人もいるようだ。
  

 
 では、もう一度原点に返って、
 「人間は、なぜ塔を建てるのだろう?」
 
 たぶん、そこには、「重力」への挑戦という意味があるような気がする。
 
▼ 重力への挑戦 …… ホント?

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 「重力」ってのは、物理学的には、地球上の物体が地球から受ける力のことで、 「万有引力と地球の自転による遠心力との合力」なんてよく言われるけれど、象徴的にいえば、「重力の働く場」というのは、大地に這いつくばって生きていくしかない人間の性(さが)を背負った世界のことだ。
 
 「塔」とは、その「人間の性(さが)」を超えようとする意志が、「形」をとったものだ。 

 

 要は、「人間は、どれだけ “神さま” に近づけるのか」と問う建築なんだね。
 さらに言葉を変えて言えば、「人間の知恵や技術や文明は、どこまで進化できるのか」を問う建築のこと。
  
 進化の行く末を見極めたいという衝動に「意味」はない。
 生物の「進化」に意味がないのと同じように。
 
 旧約聖書の神さまが、人間による「バベルの塔」の建設を恐れたのは、それが「意味」を持たない行為だったからだ。


 もし、人間たちが、高い塔を造って、それを集合住宅にしようとか、ショッピングモールに使おうというのだったら、神さまは見逃していただろう。
 
 しかし、「バベルの塔」には意味がなかった。
 「無意味なこと」を追求することは、「神の秩序」への冒涜である。
 それは、この世に意味を与えることを使命と考える神さまに放たれた “悪意” にすぎない。

 

 神さまは、「バベルの塔」の建設に、人間のニヒリズムをみたのかもしれない。
 (だから、キリスト教原理主義の人たちから見ると、「進化」を唱えたダーウィンの教えは、ニヒリズムに感じられるのだろう)。
  
 
 この先、「塔」はいったいどうなるのだろう。
 現在、世界で最も高いといわれるプルジュ・ハリファを超える1000m超えのビルの計画がすでに進んでいるという。

 

 きっと、これからもどんどん「塔」の高さは延長されるだろう。
 そして、いつかは力学の限界を超えて、破綻するだろう。


 
 しかし、それまで人間は「塔」の高さを伸ばし続けるだろう。
 あたかも、どこで破綻するかを見極めようといわんばかりに。

 

 

灰とダイヤモンド

  
祝祭(ダイヤモンド)と死(灰)
 


 『灰とダイヤモンド』という言葉から、今の人たちは何を想いうかべるのだろうか。
 
 2013年に、ももいろクローバーZがリリースしたアルバムの中に、そういうタイトルの歌があるという。
 1994年までさかのぼれば、日本のロックグループGLAY(↓)がインディーズの時代に出したアルバムにも『灰とダイヤモンド』という曲が入っているそうな。

 

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 さらに古い時代に遡行すれば、1985年に沢田研二が、やはり『灰とダイヤモンド』(↓)というタイトルで、44枚目のシングルレコードを発表したとか。

 

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 個々の歌がどのような内容を持つのか。また、なぜそのようなタイトルが付けられたのか、私は知らない。

 

 ただ、なんとなく思うのだが、三つの曲を作ったそれぞれの人たちは、いずれも『灰とダイヤモンド』という言葉から何かのインスピレーションを拾ったのではないかという気がするのだ。


 それは1958年に、ポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダによってつくられた、あまりにも有名な映画のタイトルだからだ。

   

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 コロナウイルスの蔓延が強いる “巣ごもり状態” の日々から逃れるために、昔から気になっていた映画を発掘し、あらためてそれを観賞する時間をつくっている。

 

 今回は、ポーランド映画を代表する傑作といわれる『灰とダイヤモンド』。
 制作年は、1958年。
 60年以上も前の作品となる。
 もちろん、フィルムはモノクロ。
 画質も音質も、今の映画の水準から比べると、けっして良いとはいえない。

 

 だが、見始めると、一気に引き込まれた。
 やはり、「名作」といわれる映画は、60年程度の “古さ” などまったく問題にしないようだ。
 
 
今の時代にも色あせないカッコいい映像

 

 計算され尽くしたカメラアングル。
 音楽と役者のセリフがスリリングにかみ合う音響効果。
 登場人物たちの魅力的な表情。

 

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 もう、何から何まで新鮮 ‼
 ここで展開されていたのは、むしろ現代映画がいまだ実現していない “未来的映像” だった。 

 

 もちろん、60年以上前の映画が、すべて新鮮に感じられるということはありえない。
 そこには、やはりアンジェイ・ワイダという監督の天才的な才能が作用していたというべきだろう。

 

アンジェイ・ワイダ監督

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 以下、この映画の時代背景を簡単に述べる。

 

 舞台は1945年のポーランドのある地方都市。
 その年の5月8日、それまでポーランドを占領していたナチス・ドイツが連合軍に降伏し、ポーランドはようやく解放されることになった。

 

 しかし、ナチス・ドイツのくびきから自由になったポーランドには、すぐその次の支配者が迫っていた。 
 スターリン率いるソビエト連邦共産党である。
 この時期、スターリンは、政敵や自国民への凄惨な粛清を繰り返しながら、ヒトラー以上の独裁政権を樹立しようとしていた。
 
 
スターリンの魔の手が迫る東欧

 

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 そのスターリンの政治介入を許したポーランド東ドイツチェコスロバキアルーマニアユーゴスラビアなどの東欧諸国では、ソ連主導型の社会主義政府が次々と誕生し、イギリス、フランス、西ドイツなどの西側諸国と対立するようになった。

 

 しかし、ポーランドには、ソ連が指導する社会主義政策を嫌い、自由主義政府を樹立したいと思うグループがいた。
 彼らは、ソ連の息がかかったポーランド共産党の首脳陣を暗殺し、ソ連への抵抗運動を進めようとしていた。

 

 ここまでが、この『灰とダイヤモンド』という映画の背景である。
 

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共産党政府の検閲をどうくぐり抜けたのか?

 

 映画の主人公は、“ポーランドのジェームス・ディーン” といわれたズビグニエフ・チブルスキーが演じるマチェク(写真上)。
 その主人公に暗殺されるのが、ソ連共産主義教育を受けてきた「ポーランド共産党員」のシチューカ(写真下)である。

 

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 今の時代を生きる我々が観ると、この映画は、共産主義の抑圧と戦う自由主義者を主人公にした “反体制ドラマ” に思える。
 だが、この映画が作られたときの状況は、もう少し複雑だ。

 

 監督のアンジェイ・ワイダがこの映画を企画した1950年代初頭。ポーランド共産党政権は、自国の出版物や映像表現に厳しい検閲を施していた。
 
 すなわち、少しでも共産党を批判するような文学・評論・映画があれば、たちどころに表現の修正を迫り、場合によって発表を断念させた。

 

 だから、この映画のように、共産党政権を倒そうとする人間が主人公となるような作品は、当時のポーランドでは上映できるはずはなかったのだ。

 

 では、アンジェイ・ワイダは、いったいどのようにして政府の検閲をくぐり抜けたのか。
 
 主人公を変えたのである。
 つまり、暗殺者のマチェクが主人公となる映画ではなく、見ようによっては、むしろ彼に殺されるシチューカ(写真下)の方こそ主人公だと解釈できる可能性を残したのだ。

 

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 すなわち、マチェクは、軽薄な “ちゃら男” として描かれ、一方のシチューカは、ポーランドの将来を真剣に考える “信念の政治家” というキャラクターを与えられた。

 

 さらに、ワイダ監督は、シチューカを殺したマチェクが翌朝ポーランド政府軍に発見され、薄汚いゴミ捨て場で虫ケラのように殺されていくというエンディングを用意した。

 

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 このマチェクのみじめな死を確認した共産党の検閲者は、
 「政府を転覆させようとしたテロリストの容赦ない末路を描いたこのシーンがあってこそ、この映画は共産党政府の正しさを実証する宣伝になる」
 と手放しで喜んだと伝えられている。

 

 しかし、映画を観た観客は、マチュクの死を、「共産党政府が自由を求める青年を惨殺するシーン」として解釈し、国家権力に対し、一層批判の目を向けるようになったといわれている。
 
 
この映画の “深さ” はどこから来るか?
 
 
 ここまでの説明で、長い行数を使ってしまった。
 しかし、ここからが本当にいいたいことである。

 

 大事なのは、この映画には二つのテーマがあるということだ。
 一つは、マチェクの視点に立って、ポーランド政府をコントロールしようとするソ連の支配体制を暴き出すこと。


 そして、もう一つは、ポーランド共産党の検閲者を喜ばせたように、反体制派のテロリズムの空しさを説くこと。

 

 この相反するテーマを一つの作品に融合させたからこそ、この映画は当時の映画の水準をはるかに超える “深さ” を獲得することになった。
 
 作品の深さは、登場人物たちの内面の深さとなって表れる。
 マチェクに狙われるシチューカは、筋金入りの共産党員として登場するが、実は、自分の息子がソ連に抵抗する反政府組織に入っているという悩みを抱えており、ポーランド人同士が二つの勢力に分かれて戦うことを防ぐことに奔走する男として描かれる。

 

 ただシチューカ(↓)の場合は、新生ポーランドの建設に「ソ連の力を借りる」という方針を貫こうとしていただけなのである。

 

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 一方のマチェクは、ポーランド人同士の分裂に対する危機感をあまり持たない。
 彼にとって「ソ連の支配と戦う」ことは、彼個人のロマンチックな英雄的行動にすぎない。
 要するに、ナイーブ(無邪気)すぎるがゆえに、マチェクは人を殺すことにためらいを感じないのだ。

 

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“ちゃら男” が知った本物の恋

 

 そのマチェクが、なんとシチューカを暗殺する直前に、一人の女に恋してしまう。 
 行動を起こす前の時間つぶしのつもりで、彼はホテルの酒場女と火遊びを始めたのだ。

 しかし、“ちゃら男” を気取っても、根が純真なマチェクは、自分の恋が真剣なものであること気づき、次第に自分に課せられた計画にとまどいを抱き始める。

 

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 とまどいは、「命の大切さ」を彼に教える。
 彼は、シチューカの暗殺を企てれば、自分も殺されるリスクを負うということに、はじめて気づく。


 恋人を持ったマチェクの心に、「死を恐れる心」が生まれる。

 

 一方、マチェクの相手となった女は、ドイツとの戦いで家族や知り合いを失う数々の不幸を経験している。
 だから、自分に言い寄ってきたマチェクが、すぐに自分のもとを去っていくことを本能的に察知する。

 自分の使命と恋の板ばさみになったマチェクが、「悩みを打ち明けたい」と切り出しても、彼女は「悲しい話なら聞きたくない」とマチェクから顔をそむける。

 

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悲劇に耐えた女は「物憂さ」を身につける


 このときの哀しみとアンニュイ(物憂さ)に満ちた女の表情が美しい。
 愛した者たちを戦争が次々と奪っていくという悲劇に耐えているうちに、
 「去っていく者は引き止めても戻らない」
 という諦めが彼女の心に住み着いてしまったのだ。
 それが、女のアンニュイの正体である。
  
 マチェクは、愛した女と一緒になることを考え、危険の伴うシチューカの暗殺計画を放棄したいと上官に願い出る。
 しかし、マチェクの上官はそれを許さない。

  

 仕方なく、マチェクは当初の計画どおりシチューカを付け狙う。
 ホテルを出て歩き始めたシチューカを尾行し、追い越してから、振り向きざまに胸に銃弾を撃ち込む。

 

 このとき、不思議なことが起こる。
 撃たれたシチューカは、なんとマチェクから逃げるのではなく、逆に自分の “同志” を確認したかのように、マチェクの胸に飛び込んでいくのだ。

 

 その体を放心したように支えるマチェク。
 彼の顔にも、同志と抱擁を交わすような優しい表情が一瞬浮かぶ。
 それは、
 「いつの日かともに手を取り合い、喜びを分かち合おう」
 と抱き合うポーランド人同士の “一瞬の連帯” であったかもしれない。

 


祭りのなかの「死」

 

 二人の背後に、突然花火が上がる。
 それは、ポーランドナチス・ドイツから解放された5月8日を祝う記念の花火だった。

 

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 ポーランドの戦勝を祝うこの夜、町のホテルでは夜を徹したパーティーがずっと開かれている。
 朝のまぶしい光が室内に射し込んできたというのに、パーティー会場のフロアでは、酔った男女の踊りが止まらない。

 

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 上機嫌になった紳士が、楽団に向かって叫ぶ。
 「諸君、わが国の誇るショパンポロネーズ(舞踏曲)を踊ろうではないか」

 タバコの煙がたなびくダンスフロアに、調律の狂った楽器による不協和音に満ちたポロネーズが流れる。

 

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 狂騒のなかに忍び寄る “祭りの後の空虚さ” 。
 画面から流れ出るのは、爛熟したデカダンス(退廃)とアンニュイ(物憂さ)。

 

 記念すべき(?)新生ポーランド誕生の日が、なんとも気怠い疲労感に満ちたものであったかを匂わせながら、話は終盤に近づく。 

 

 パーティー会場の狂騒が続く同じ時間に、マチェクは瓦礫の上で息を引き取る。
 「祝祭」と「死」が交差するなかで、米ソの2大強国が静かににらみ合う冷戦時代が幕を開ける。

 

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 『灰とダイヤモンド』とは、19世紀のポーランドの詩人ツィプリアン・ノルヴィットの詩の一節だという。

 

 「すべてのものは、みな燃え尽きて灰となるが、それでも、その灰のなかに燦然と輝くダイヤモンドが残ることを祈る」
 と歌っている、という。

 

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アメリカ人は口で笑い、日本人は目で笑う

 

 NHKBSプレミアムで、面白い企画が放映されていた。

 昨年の暮れだったか、今年の初頭だったか。
 見た日付は忘れたが、興味深い内容だった。

 

 どんな話か?
 人間の目には、他の動物とは違った不思議な “機能” が隠されているというのだ。

 

 つまり、ヒトは、現在のような「目」の構造を持つことによって、はじめて他の動物とは異なる進化の道をたどったのだとか。
 
 それは、白目と黒目の配分である。

 

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 こんなに、白目と黒目がはっきりと分かれる動物は、人間以外にはいないらしい。

 

 動物の場合は、下の写真のように、ほとんどが黒目に覆い隠されている。
 それはなぜかというと、視線の方向を分かりにくくさせるためだという。

 

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 つまり、天敵などと遭遇したとき、視線の位置が相手に伝わってしまうと、
 「あ、あいつヨソ見したな!」
 と、その瞬間をとらえられて、すぐ襲われてしまうからだ。

 

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 そこで動物は、出遭った相手に自分の心の動きを探らせないために、目の中を黒目だらけにして、「サングラス効果」を身に付けたのだ。

 

 では、なぜ人間だけは、視線の位置が相手にすぐ分かるような、不利な目の構造を採り入れたのか?

 

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 それは、天敵と戦うよりも、仲間とのコミュニケーションを優先する方向を選んだからだ。


 つまり、ヒトは、白目と黒目の位置を巧みに動かしながら、ヒトからヒトへと “心の動き” を伝え合うように進化したというのだ。

 

 それは人間が大きな群れをつくるようになったことと関係している。
 というのは、霊長類のなかでも、群れのサイズが大きくなればなるほど、白目の面積が大きくなるのだか。

 

 それは、コミュニケーションの円滑化を考えた結果だ。
 
 群れが大きくなると、いざこざも増える。
 そこで、ヒトは、お互いに目と目で合図を送り、
 「私はあなたに敵意がないわ」
 ということを相手に効率的に伝えるようになった。

 

 そういう “表情” を演出する手法として、黒目と白目の配分が重要なカギとなった。

 

▼ たぬきも、「動物の森」に集まって仲間をつくるようになると、白目と黒目がはっきりと分かれるようになった

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 もちろん、サルのたぐいも群れをつくる。
 彼らも、お互いのいざこざを解消する方法を持っている。


 それが、「毛づくろい」だ。
 彼らは、お互いの毛をケアしながら、「私はあなたにフレンドリーよ」ということを伝え合っていく。

 

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 しかし、「毛づくろい」には時間がかかる。
 しかも、一度にたくさんの仲間に施すことができない。
 その点、人間同士の “視線の交換” は効率的だ。
 瞬時に、気持を伝え合うことができる。

 

 この手法を確立したことで、ヒトは狩りの最中も、声を出すことなく、こっそりエモノの背後に回ることを目で合図し合うようになったし、恋をしているときは、目の力で、相手の異性に気持ちを伝えることが可能になった。 

 

 ま、そんなように、人間は “目の表現力” を手に入れたことで、お互いのコミュニケーションを洗練させるようになった。

 

 しかし、国民性の違いもあるという。
 
 相手に好意を伝えるとき、目の力だけでは不十分だと感じるのは、アメリカ人(欧米人)。
 目だけでも、十分に意志を伝え合うことができると思うのが、日本人。

 

 その違いを調べたテストが面白かった。
 アメリカ人と日本人の顔文字の違いである。

 

 日本人がよく使う下の顔文字。

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 この絵を見ると、たいていの日本人はこれを「笑顔」だと認識する。
 目が「笑っている」からだ。

 

 しかし、アメリカ人は上の絵から「笑顔」を読み取ることができない。
 なぜなら、アメリカ人は、「笑顔」というのは、口が笑っていることが前提となるからだ。


 すなわち、アメリカ人の顔文字で、「笑顔」を表すのは下のような絵となる。

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 このように、口が笑っていることこそ、彼らにとっては「笑顔」なのだ。
 逆に、日本人とは異なり、「目」はただの点でいいのだ。 

 

 この違いは、目も口も、さらにボディランゲージも使って、体全身で自分の感情を表現するアメリカ人と、外に感情を出すことのない日本人の “文化の違い” に由来する。

 

 日本人は、身体全身で自分の心を表現することをひかえる代わりに、目にすべての心を込める。
 「目は口ほどのものをいう」
 という言葉は、まさに日本人のコミュニケーション文化を指している。

 

 そこから、言葉にならない感情のやりとりを重視する日本的な「心」が生まれてくる。

 世界的なコロナ禍に見舞われても、日本人がマスクをすることに抵抗がなかったのは、「目のコミュニケーション」が確保されると思ったからだ。

 

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 それに対し、欧米人がマスクの着用に抵抗したのは、彼らにとっては、「口」こそがコミュニケーションの大切なツールだったからだ。

 

 

「色覚異常」は病気じゃない

 
 昔、 私が小学生だった頃(もう50年以上も前の話だ)、学校の健康診断に「色盲(しきもう)検査」という項目があった。

 

 「色の識別が正しくできているかどうか」ということを検査するもので、“正常” とみなされない時には、「色盲」という(差別的な)診断が下された。

 

 今でもそういう検査があるのかどうか、私は知らない。
 最近「色盲検査」という言葉そのものを聞かなくなったからだ。
 もしかしたら、そういう検査そのものが廃止されているのかもしれない。

 

 でも、50年前の私は、そういう検査が行われると、常に「赤緑色盲」という判定を受けた。
 この世にある色のうち、「赤と緑の区別がつかない」という意味だ。
 こういう人たちの比率は、男性でだいたい5%ぐらい。女性では0.2%ほど存在するといわれていた。

 

 もちろん、そんな自覚は私自身にはなかった。
 トマトの「赤」とほうれん草の「緑」は、生活の中では識別できたからだ。

 

 ただ、当時の「石原式(写真下)」といわれた「赤と緑の点がランダムにばらまかれた検査方法」によると、必ず「赤緑色盲」とされた。

 

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 そんなことすら忘れて、すでに50年ほど経ったが、最近ちょっと小耳にはさんだ情報によると、この「赤緑色盲」という診断は、必ずしも “病気” ではないというのだ。

 

 むしろ、人類が3,000万年も前から持っていた特性の一つで、そういう色覚を持った人が存在したおかげで、人類は今日まで生き延びてこれたのだという。

 

 そう語るのは、人類学者の河村正二博士だ。

 

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 河村氏によると、この特性を供えた人間が一定の範囲で存在していたからこそ、草原に潜む天敵を遠くから見抜いたり、狩りをする対象をいち早く発見したりできたのだという。

 

 くわしくいう。

 

 太古の昔、ヒトを含む霊長類は、主に樹上で生活していた。
 そのときの食糧は、樹上から採れる木の実が中心だった。
 
 しかし、約200万年ほど前、樹上生活をやめ、地面に降りて生活する集団が現われた。
 すなわち、ヒトである。

 

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 草原に降りても、最初の頃の基本的な食物は木の実だった。
 それを採集するとき、緑の葉と赤い果実が遠くから見分けられた方が便利である。
 そのため、ヒトの目は、葉と果実を明確に識別できるような色覚を洗練させるようになった。

 

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 ところが、草原における生活に適合するには、それだけではだめだった。

 

 というのは、ヒトに襲いかかる肉食獣などを見分けるときに、赤と緑の色別がはっきりできるだけでは不十分だったのである。

 

 肉食獣の多くは、たいてい草の色や大地の色にカムフラージュされて、遠くからは見分けがつかない。

 

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 そういうときには、赤と緑の色別に長けているよりも、物の「形」や「明暗」に敏感な色覚を備えた個体の方が、草原のかすかな変化を素早く察知することができる。

 

 実は、「赤緑色盲」といわれた色覚異常の人は、色別能力が不十分であったかわりに、「物の形」や「明暗の差」に対しては鋭く反応していたのだ。

 

 これは、恐竜時代を生き延びた哺乳類がみなモノクロの色覚しか持っていなかったことからも証明される。

 すなわち、恐竜時代の哺乳類は、みな捕食者を避けるように、夜の闇で生活することを覚えた。

 

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 そういう初期の哺乳類に「赤と緑」を識別する色覚は必要なかった。
 それよりも、闇の中を動くエサや天敵を見つけるための「物の形」や「明暗の差」が大事だった。

 

 今でも、霊長類以外の哺乳類は、基本的に白・黒の世界しか見ていない。

 

 このように、人類の歴史というのは、果実を主に収集するグループを中心にしながら、一方では、天敵の存在を敏感に察知するモノクロ的感性を持つ “見張り役” を配置する形で発展してきたわけだ。

 

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 そういう “草原の監視役” を引き受けたグループは、もちろん天敵への気配りが主な仕事だったろうが、やがて人類が狩りを覚えるようになってからは、草原に身を隠す “エモノ” をいち早く発見する役目を引き受けた。
 
 だから、赤と緑の区別が苦手な人を「色覚異常」というのは、非常に失礼な言い方であって、人類史における「斥候役」としての使命をになってきたともいうべきだろう。

 

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 もし、そうでなければ、とっくの昔に、そういう色覚の人は淘汰されていたはずである。
 つまり、赤と緑の区別が苦手な人というのは、狩りの習慣がなくなった現代においては、一つの「個性」であると考えていいようだ。

  

 

映画『AI 崩壊』

AI が人間を裏切る日は来るのか?

  

 BSのWOWOWで、入江悠監督の『AI 崩壊』(2020年1月31日公開)を見る。

 

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 AI が、医療現場から交通システムに至るまで、国民のすべての生活をコントロールするようになった2030年の日本の姿を描いた映画だ。

 

 そのAI が、人間に反旗をひるがえし、タイトル通り突如崩壊。
 国民の生活をサポートしていたさまざまなシステムが壊滅していく。

 

 いわば、コンピューターの反乱。
 『2001年宇宙の旅』(1968年)において、木星に向かっていた宇宙船を制御するコンピューター「HAL9000」の反乱というストーリーをなぞるようなコンセプトだ。

 

 この手の「人工知能生命 vs 人間」というのは、いわば海外のSF映画の定番ともいえる。

 

 人間とAI との間に「恋愛」は成り立つのか? というテーマを扱った作品としては、『her 世界でひとつの彼女』(2014年)や、『エクス・マキナ』(2015年)がある。

 

エクス・マキナ

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 誰でも知っているのは、未来から人間を殺しにやってくる『ターミネーター』というアクション映画シリーズだろう。

 

ターミネーター

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 この手の洋画の “先輩たち” と比較すると、『AI 崩壊』は、思想性においても、アクション性においても、いま一歩及ばないという感想を述べざるを得ない。

 

 まず、この映画に登場する「AI」( のぞみという名前が与えられている)は、そもそも何のために開発されたのか?

 

 「人の命を守り、人を幸せにするため」
 
 高性能 AI を開発した、“天才科学者” である桐生浩介(大沢たかお)は、家族やメディアの記者たちに、そう説明する。
 
 そのため、この「のぞみ」というAI は、2030年の日本の医療現場の隅々まで浸透し、入院患者などの健康チェックをデータ化し、管理下に置くようになっている。

 

 その目的は、人々の健康管理を強化し、病気の早期発見と治療の円滑化を促進し、人の寿命を延命させることだ。

 

▼ 『AI 崩壊』に出てくる「のぞみ」のメインサーバー

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 しかし、そのAI 「のぞみ」が、突如自分に与えられた目的を無視。
 プログラマーたちの制御をあざ笑うかのように、反乱を開始する。
 管理しているすべての患者の余命を計算し、助かる見込みのない人間や、延命処置にコストのかかり過ぎる人間を勝手に処分し始めたのだ。

 

 以下、ネタバレ。
 「のぞみ」の暴走は、実は、そういうプログラムをこっそり仕組んだ犯人の仕業であった。

 

 この犯人には、犯人なりの理屈があった。  

 

 すなわち、高齢者と生活保護者が人口の4割を占めるようになった2030年の日本は、国家財政が破綻寸前にまで追い込まれており、それ以上無駄な医療費を計上させないためにも、誰かが「用済みの人間」をどんどん抹殺する計画に着手しなければならない( と犯人は考えた)。

 

 そのため犯人は、ひそかに「のぞみ」にアクセスし、「のぞみ」が管理している人間の命の価値を勝手に選別する「殺人コンピューター」に仕立てあげた。

 

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 ま、こういう話なのだが、この設定の何が致命的なのか?

 

 それは、AI を使って「人の命を伸ばそうとした」科学者も、そのAI を逆に「殺人マシン」に仕立てた犯人も、ともに「人間の命」を計量できるものとしてしか考えていないことだ。

 

 2030年という近未来の日本を描いているはずなのに、その発想のもとになっているのは、昭和の高度成長期の考え方である。
 
 つまり、“国力” というのは、人の数であり、生産年齢人口が豊富ならば活気ある国家運営が可能になるという発想がそのまま温存されている。

 

 それはまた、国力を維持することのできなくなる人間は「無駄な存在」として、排除の対象となるという考え方の裏返しとなる。

 

 確かに、年齢的に働けない人々が増大していけば、それが国の負担になるというのは、高齢化社会を迎える現在では現実的に危惧されていることだ。

 

 が、それを解決するために、AI を使って「死ぬべき人間」を効率的に判別し、この世から排除するということにはならない。
  
 しかし、この映画の “悪役” は、生産年齢人口以外の “余剰人口” をどんどん抹殺していかなければならないと、シンプルに考えるのだ。

 

 「人の命」を数の問題としてとらえる。
 そういう発想が根底にあるかぎり、「命の神秘」に触れるという視点は生まれない。
 この映画の思想的な薄っぺらさは、そこに起因している。

 

 

 『2001年宇宙の旅』(スタンリー・キューブリック監督 1968年)が、その思想性において圧倒的な深さをいまだに有しているのは、「命」とは生物だけのものなのか? という根源的な問いが提起されていたからである。

 

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 この映画では、宇宙船「ディスカバリー号」に搭載されていたコンピューターの「HAL9000」という存在がその問いを引き受けている。

 

 「HAL9000」は、宇宙船の搭乗員たちには明かされていない秘密のミッションを受け持っていたゆえに、搭乗員たちとの交信中、二つの任務からくるストレスに堪え切れず、搭乗員の方を裏切り始める。 

 

▼ 音声を遮断して「HAL9000が怪しい」とささやく乗組員。
しかし、HALは乗組員たちの唇の動きを読む

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HAL9000の “目”

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 「自分のミッションの秘密がバレないようにするには、宇宙船の乗組員を殺してしまえばいい」。

 

 そう考えた「HAL9000」は、乗組員のうち、コールドスリープ状態になって眠っている人間の生命維持システムをこっそり解除し、殺戮をもくろむ。

 

 乗組員のリーダーを務めていたボーマン船長は、「HAL9000」の反応が奇妙になってきたことに不信を抱き、「HAL9000」を問い詰めていく。
  
 すると、追い詰められた「HAL9000」は、次々と誤作動を繰り返し、宇宙船の機能そのものを解体しようとする。

 

 ボーマン船長は、「もはやこれまで」と覚悟し、「HAL9000」のモジュールを次々と引き抜きながら、機能停止に追い込む(写真下)。

 

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 このときの「HAL9000」の断末魔の状態がすごいのだ。
 
 「怖い」
 「やめてほしい」
 とHAL9000は泣き声で懇願する。
 
 しかし、その声はだんだん間延びし、音声も聞き取りにくくなり、機能が次第に衰弱していく様子をボーマン船長に伝える。

 

 「HAL9000」は、最後に「ディージー・ベル」という歌をうたいながら息絶える。
 その歌は、自分がHAL研究所というところで、はじめて自分を組み立てて稼働させてくれた開発者(チャンドラー博士)が教えてくれた歌だった。

 

 歌声がだんだん間延びし、音が小さくなり、ぷつっと途絶えたときに、反乱を起こしたコンピューターは、ついに機能を停止する。

 

 これは、コンピューターという機械の終焉ではない。
 「命」の終焉である。

 

 『2001年宇宙の旅』を見ていた観客は、ここで、もっとも奇怪で、もっとも悲しく、もっとも恐ろしい「命の終わり」を見つめなければならない。

 

 こういう壮絶な「命の終焉」を、『AI 崩壊』という映画は描けなかった。
 酷な言い方だが、「生命」というものへの考察の深さが欠けていたといわざるを得ない。