アートと文藝のCafe

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現実を知るために不条理と向き合う

 

 このGWに、コロナウイルスの蔓延を防止するための三度目の緊急事態宣言が出されたが、人の流れは一向に減らないという。

 

 テレビニュースなどを見ていると、(東京を例にとれば)渋谷、新宿、銀座などの繁華街への人流は多少減ったらしい。
 そのかわり、郊外の観光地へのおびただしい人出が見られた。
 高速道路なども、例年のGWを彷彿とさせるぐらいの渋滞が観測されたという。

 

 郊外に遊びに出た人たちの様子をテレビ局が報道していた。
 「人の密集する都会はまずいが、郊外ならば “三密” を回避できるだろう」
 と計算した人たちが野外にくりだしたとのことだった。

 

 観光地に遊びにきたそういう若者たちに、テレビ局がマイクを向けてインタビューしていた。

 

 「緊急事態宣言が出されたのに、なぜ遊びに出てきたのですか?」
 というテレビ局のスタッフの問に対して、若者が答える。
 「コロナが流行っているといっても、自分の身の回りの人で罹った人はいないから案外大丈夫なのではないかと思っている」

 

 あるいは、
 「“医療崩壊” という言葉をよく聞くが、あくまでもニュースの話でしかないので、あまり実感がない」

 

 こういう回答をいくつか受けた医療従事者の一人が、若者たちに対し、
 「もう少し想像力を持って現実を見てほしい」
 とこぼしていた。


 つまり、自分の主観だけで世の中を見るのではなく、客観的な観察力を発揮して社会を見てほしいということなのだろう。

 

 それを聞いて、
 「想像力というのは、空想に基づいて物事を夢想するのではなく、現実をはっきりと直視することなのだろう」
 と感じた。

 

 「想像力」はあくまでも「現実」に依拠したものである。
 最近、強くそう思う。
 そのことをはっきりと意識したのは、陰謀論を信じる人たちの言動に接したときだ。

 

 昨年のアメリカ大統領選のときに、トランプ氏を支持した人たちの中に、「Qアノン」を名乗る陰謀論集団がいた。
 彼らは、「民主党は世界規模の児童売春組織を運営している悪魔崇拝者たちだ」という何の根拠もないデマを信じて、トランプ支持を訴え続けた。

 

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 現実にはありえないことを、あたかも “真実” のように信じ込む。
 そういう “ニュース” の発生源はほとんどがSNSで、そういうサイトには、事実を確かめることなく、そう信じた人たちの書き込みが殺到する。


 そして、それを鵜呑みにした人たちが、事実を検証することなく、それを拡散する。
 そういう行動こそ、「想像力の欠如」以外の何ものでもない。

 

 では、想像力とは、どのように育まれるものなのか。
 
 漫画家のヤマザキマリ氏(『テルマエ・ロマエ』の作者)は、SDGs を語る番組(BS‐TBS)のなかで、
 「想像力を鍛えるには、不条理なものから目を背けないこと」
 だと語っていた。

 

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 不条理。
 すなわち、すぐには「正解」にたどり着けないようなものと真剣に向き合うことが大事だという。
 

 現代人は、どんどん不条理なものから目を背けるようになってきた。
 「正解」がすぐに示されないものが苦手になってきたのだ。
 
 陰謀論は、そういう心を持つ人に取り付きやすい。
 つまり、ワケの分からないものと対峙して頭を悩ますよりも、陰謀論のように、「何かが悪い」といい切るような説に乗っかった方が、人は自分の頭を使わなくてすむ。

 

 しかし、それは人間として怠惰になることだ。
 不思議なことに、怠惰な人間ほど粗雑な思想に熱狂する。
 それが、この世をどんどんおかしくしている。

 

 不条理なものに目を凝らすことは、そういう陰謀論に依拠せず、もう一度自分自身の頭を使うことに回帰することである。