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「色覚異常」は病気じゃない

 
 昔、 私が小学生だった頃(もう50年以上も前の話だ)、学校の健康診断に「色盲(しきもう)検査」という項目があった。

 

 「色の識別が正しくできているかどうか」ということを検査するもので、“正常” とみなされない時には、「色盲」という(差別的な)診断が下された。

 

 今でもそういう検査があるのかどうか、私は知らない。
 最近「色盲検査」という言葉そのものを聞かなくなったからだ。
 もしかしたら、そういう検査そのものが廃止されているのかもしれない。

 

 でも、50年前の私は、そういう検査が行われると、常に「赤緑色盲」という判定を受けた。
 この世にある色のうち、「赤と緑の区別がつかない」という意味だ。
 こういう人たちの比率は、男性でだいたい5%ぐらい。女性では0.2%ほど存在するといわれていた。

 

 もちろん、そんな自覚は私自身にはなかった。
 トマトの「赤」とほうれん草の「緑」は、生活の中では識別できたからだ。

 

 ただ、当時の「石原式(写真下)」といわれた「赤と緑の点がランダムにばらまかれた検査方法」によると、必ず「赤緑色盲」とされた。

 

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 そんなことすら忘れて、すでに50年ほど経ったが、最近ちょっと小耳にはさんだ情報によると、この「赤緑色盲」という診断は、必ずしも “病気” ではないというのだ。

 

 むしろ、人類が3,000万年も前から持っていた特性の一つで、そういう色覚を持った人が存在したおかげで、人類は今日まで生き延びてこれたのだという。

 

 そう語るのは、人類学者の河村正二博士だ。

 

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 河村氏によると、この特性を供えた人間が一定の範囲で存在していたからこそ、草原に潜む天敵を遠くから見抜いたり、狩りをする対象をいち早く発見したりできたのだという。

 

 くわしくいう。

 

 太古の昔、ヒトを含む霊長類は、主に樹上で生活していた。
 そのときの食糧は、樹上から採れる木の実が中心だった。
 
 しかし、約200万年ほど前、樹上生活をやめ、地面に降りて生活する集団が現われた。
 すなわち、ヒトである。

 

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 草原に降りても、最初の頃の基本的な食物は木の実だった。
 それを採集するとき、緑の葉と赤い果実が遠くから見分けられた方が便利である。
 そのため、ヒトの目は、葉と果実を明確に識別できるような色覚を洗練させるようになった。

 

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 ところが、草原における生活に適合するには、それだけではだめだった。

 

 というのは、ヒトに襲いかかる肉食獣などを見分けるときに、赤と緑の色別がはっきりできるだけでは不十分だったのである。

 

 肉食獣の多くは、たいてい草の色や大地の色にカムフラージュされて、遠くからは見分けがつかない。

 

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 そういうときには、赤と緑の色別に長けているよりも、物の「形」や「明暗」に敏感な色覚を備えた個体の方が、草原のかすかな変化を素早く察知することができる。

 

 実は、「赤緑色盲」といわれた色覚異常の人は、色別能力が不十分であったかわりに、「物の形」や「明暗の差」に対しては鋭く反応していたのだ。

 

 これは、恐竜時代を生き延びた哺乳類がみなモノクロの色覚しか持っていなかったことからも証明される。

 すなわち、恐竜時代の哺乳類は、みな捕食者を避けるように、夜の闇で生活することを覚えた。

 

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 そういう初期の哺乳類に「赤と緑」を識別する色覚は必要なかった。
 それよりも、闇の中を動くエサや天敵を見つけるための「物の形」や「明暗の差」が大事だった。

 

 今でも、霊長類以外の哺乳類は、基本的に白・黒の世界しか見ていない。

 

 このように、人類の歴史というのは、果実を主に収集するグループを中心にしながら、一方では、天敵の存在を敏感に察知するモノクロ的感性を持つ “見張り役” を配置する形で発展してきたわけだ。

 

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 そういう “草原の監視役” を引き受けたグループは、もちろん天敵への気配りが主な仕事だったろうが、やがて人類が狩りを覚えるようになってからは、草原に身を隠す “エモノ” をいち早く発見する役目を引き受けた。
 
 だから、赤と緑の区別が苦手な人を「色覚異常」というのは、非常に失礼な言い方であって、人類史における「斥候役」としての使命をになってきたともいうべきだろう。

 

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 もし、そうでなければ、とっくの昔に、そういう色覚の人は淘汰されていたはずである。
 つまり、赤と緑の区別が苦手な人というのは、狩りの習慣がなくなった現代においては、一つの「個性」であると考えていいようだ。