昨年の暮れだったか、今年の初頭だったか。
見た日付は忘れたが、興味深い内容だった。
どんな話か?
人間の目には、他の動物とは違った不思議な “機能” が隠されているというのだ。
つまり、ヒトは、現在のような「目」の構造を持つことによって、はじめて他の動物とは異なる進化の道をたどったのだとか。
それは、白目と黒目の配分である。
こんなに、白目と黒目がはっきりと分かれる動物は、人間以外にはいないらしい。
動物の場合は、下の写真のように、ほとんどが黒目に覆い隠されている。
それはなぜかというと、視線の方向を分かりにくくさせるためだという。
つまり、天敵などと遭遇したとき、視線の位置が相手に伝わってしまうと、
「あ、あいつヨソ見したな!」
と、その瞬間をとらえられて、すぐ襲われてしまうからだ。
そこで動物は、出遭った相手に自分の心の動きを探らせないために、目の中を黒目だらけにして、「サングラス効果」を身に付けたのだ。
では、なぜ人間だけは、視線の位置が相手にすぐ分かるような、不利な目の構造を採り入れたのか?
それは、天敵と戦うよりも、仲間とのコミュニケーションを優先する方向を選んだからだ。
つまり、ヒトは、白目と黒目の位置を巧みに動かしながら、ヒトからヒトへと “心の動き” を伝え合うように進化したというのだ。
それは人間が大きな群れをつくるようになったことと関係している。
というのは、霊長類のなかでも、群れのサイズが大きくなればなるほど、白目の面積が大きくなるのだか。
それは、コミュニケーションの円滑化を考えた結果だ。
群れが大きくなると、いざこざも増える。
そこで、ヒトは、お互いに目と目で合図を送り、
「私はあなたに敵意がないわ」
ということを相手に効率的に伝えるようになった。
そういう “表情” を演出する手法として、黒目と白目の配分が重要なカギとなった。
▼ たぬきも、「動物の森」に集まって仲間をつくるようになると、白目と黒目がはっきりと分かれるようになった
もちろん、サルのたぐいも群れをつくる。
彼らも、お互いのいざこざを解消する方法を持っている。
それが、「毛づくろい」だ。
彼らは、お互いの毛をケアしながら、「私はあなたにフレンドリーよ」ということを伝え合っていく。
しかし、「毛づくろい」には時間がかかる。
しかも、一度にたくさんの仲間に施すことができない。
その点、人間同士の “視線の交換” は効率的だ。
瞬時に、気持を伝え合うことができる。
この手法を確立したことで、ヒトは狩りの最中も、声を出すことなく、こっそりエモノの背後に回ることを目で合図し合うようになったし、恋をしているときは、目の力で、相手の異性に気持ちを伝えることが可能になった。
ま、そんなように、人間は “目の表現力” を手に入れたことで、お互いのコミュニケーションを洗練させるようになった。
しかし、国民性の違いもあるという。
相手に好意を伝えるとき、目の力だけでは不十分だと感じるのは、アメリカ人(欧米人)。
目だけでも、十分に意志を伝え合うことができると思うのが、日本人。
その違いを調べたテストが面白かった。
アメリカ人と日本人の顔文字の違いである。
日本人がよく使う下の顔文字。
この絵を見ると、たいていの日本人はこれを「笑顔」だと認識する。
目が「笑っている」からだ。
しかし、アメリカ人は上の絵から「笑顔」を読み取ることができない。
なぜなら、アメリカ人は、「笑顔」というのは、口が笑っていることが前提となるからだ。
すなわち、アメリカ人の顔文字で、「笑顔」を表すのは下のような絵となる。
このように、口が笑っていることこそ、彼らにとっては「笑顔」なのだ。
逆に、日本人とは異なり、「目」はただの点でいいのだ。
この違いは、目も口も、さらにボディランゲージも使って、体全身で自分の感情を表現するアメリカ人と、外に感情を出すことのない日本人の “文化の違い” に由来する。
日本人は、身体全身で自分の心を表現することをひかえる代わりに、目にすべての心を込める。
「目は口ほどのものをいう」
という言葉は、まさに日本人のコミュニケーション文化を指している。
そこから、言葉にならない感情のやりとりを重視する日本的な「心」が生まれてくる。
世界的なコロナ禍に見舞われても、日本人がマスクをすることに抵抗がなかったのは、「目のコミュニケーション」が確保されると思ったからだ。
それに対し、欧米人がマスクの着用に抵抗したのは、彼らにとっては、「口」こそがコミュニケーションの大切なツールだったからだ。