会社勤めをしていた頃、いちばん忙しいときは、土日も会社に泊まり込んでいた。
ある日曜日、会社を離れて街に出たときの情景を、今でも思い出すことがある。
何年前のことか忘れた。
ただ、画像を焼くCD-Rが切れたので、それを買うために、昼食を兼ねて外に出たことがあった。
自分の会社のある町を、休みの日に出歩くことはあまりなかった。
店のシャッターはみな下りていた。
人通りはほとんどない。
クルマの姿もまばらなので、空気が澄んでいる。
ふと、正月元旦の昼下がりに街を歩いているような気分になった。
お目当ての文具屋も休みらしく、閉じたシャッターの向こう側でまどろんでいた。
進路を変えて、新市街の方に向かう。
できたばかりのトンネルをくぐると、町の景観が一変した。
鉄とガラスだけでできた摩天楼の群れが、背の高さを競うように昼下がりの空を支えていた。
オフィスを効率よく集合させた新都市のビジネス空間は、さらに人影が少なかった。
歩いているのは、セーターを着せたプードルを散歩させている近所のオバちゃんと、デート場所を間違えて迷い込んでしまったような学生風のカップルのみ。
コンビニも閉まっているし、ベンチ脇の噴水も止まっている。
文具屋でCD-Rワンセットを買ってから、カフェに入った。
ホットドッグとホットコーヒーを受け取り、店の奥の空いた席を陣取る。
といっても、店のなかには、ほとんど人影がなかった。
ボサノバがかかっている。
アストラット・ジルベルトが、寝起きざまに鼻歌でもうなるように、「おいしい水」を歌っている。
半音進行のピアノ伴奏が、螺旋階段でも下るようなフレーズを繰り返している。
モダンで無機的な内装のカフェと、ボサノバのけだるさはよく似合う。
コートのポケットから文庫本を取り出し、ホットドッグを頬張りながら、ページを開く。
司馬遼太郎の『空海の風景』。
これを読むまで、空海という人も、真言密教の教義もほとんど知らなかった。
空海=「弘法大師」という言葉の響きには、世俗的な解釈を厳しく拒絶するような神秘的な光彩がつきまとっている。
しかし、司馬さんの描く空海は、いたってなまなましい。
彼の持つずるさ、したたかさ、けれんみを見逃さない。
それでいて、高度な抽象化能力と哲学的な直観力を持つ天才としての空海のスケールの大きさが、この小説では余すところなく描き出される。
空海は30を過ぎて、遣唐使の一員として、大唐帝国の都「長安」に留学した。
当時の長安は、今のニューヨーク、パリ、ロンドン、東京をもしのぐ巨大な国際都市だった。
青い目・白い肌を持つ西域人、精悍な北方騎馬民族、肌の浅黒い東南アジア人やインド人、そして日本人が路地裏の隅々にまで満ち溢れ、街全体が、鍋の湯がたぎるように沸騰していた。
世界中の思想が一時、長安に凝縮した。
中国古来の儒教、老荘思想、インドの仏教、ペルシャのゾロアスター教、ヨーロッパのキリスト教。
司馬さんは、これらの世界思想が、空海の思想形成の温床となったことは間違いないと説く。
そういった意味で、この時代の長安には、世界の先端文化が奇跡のように集中していた。
空海の天才性が花開くためには、歴史のいたずらが生んだ、この古今東西まれなる「奇跡」との遭遇が不可欠であった。
司馬さんは、そう言わんとしているようだ。
多様性というものは、抽象性をも引き寄せる。
つまり、いろいろな人種や文化が集中することによって、そういう雑多なものを超える高次な普遍性というものも浮かび上がってくる。
それを別名「哲学」ともいう。
そういう思考を組み立てるときの助けとなるものは、都市の貨幣経済であるとも。
司馬さんはどこか別の本で、
「(仏教の)密教を最初に支持した人たちは商人だった」
と言っていた。
つまり、あらゆる雑多な商品を厳粛に、かつ公平にさばいていく貨幣の力が浸透することによって、人間の思考に「抽象性」や「普遍性」というものが宿るのだと。
だから、世界の商人たちが同一の貨幣で取引を行う巨大都市において、人間の思考が「抽象性」、「普遍性」を獲得していく。
そういう動きが最も沸騰した空間が、この時代の長安だった。
本を閉じると、窓の外は、人気のない休日のビル街。
大唐帝国の長安のにぎわいは、一瞬のうちに幻となる。
空海が、時空を越えて、この物憂いボサノバの流れるカフェに迷い込んだら、何を始めるだろうか。
状況の呑み込みが早い、頭の良い人だったそうである。
自分のいた時代に戻れないと知ったら、案外、翌日あたりからは、ネクタイを小器用に絞め、現代の会社員たちを相手に、グローバル経済時代の密教講義でも始めただろうか。