鹿児島独り旅
前回「薩摩示現流」の記事を書いたが、そのときに体験した鹿児島旅行の思い出を、もう少し綴る。
そのときにも書いたが、この旅行は、CAR雑誌に掲載する “ドライブガイド” の取材が目的だった。
一応、記事にするべきものをあらかた取材して、1日だけ日程が余った。
南に行ってみようかと思った。
「指宿(いぶすき)スカイラン」という看板が出ていたので、それに乗ることにした。
“スカイライン” という名からは自動車専用ハイウェイという感じが伝わってきたが、実際は片道1車線の「信号がない」だけの道だった。
道の途中に現れる展望台に何回か止まって、噴煙を噴く桜島を撮影した。
不思議な気持ちになった。
富士山などがあのような噴煙を撒き散らしたりしたら、大変なニュースになるはずなのに、ここに住んでいる人々はそれを日常的な景色として眺め、気にもせずに暮らしている。
薩摩人というのは、太っ腹な人たちだ。
明治維新から西南戦争にかけての時代、鹿児島はほとんど日本国内における「独立国」といった体裁を示すが、薩摩人のそういう剛胆さというのは、“火を噴く山” を町の中に抱えているという風土が生んだものかもしれないと思った。
指宿スカイラインを走って南に下ってくると、今度は、開聞岳が見え隠れするようになった。
富士山と似たコニーデ型の美しい山だ。
ヤシの木などの隙間からみる開聞岳は、なんだか行ったことのないバリ島とか、ハワイとかいった、“南の楽園” をイメージさせた。
幼少の頃、街角に貼られた『南太平洋』というミュージカル映画のポスターを見たことがある。(wikipedia で調べると1958年の映画だという)
その映画を思い出した。
どんな俳優が出演するどんなストーリーの話なのか。実はいまだによく知らない。
しかし、そのポスターに秘められた南国の官能というものだけは、子供の私にも理解できた。
「南の国には大人の恋がある」
何の根拠もなく、そう思い込むようになったのは、もしかしたら、そのときに刷り込まれたものかもしれない。
この『南太平洋』というミュージカルに使われたヒット曲に「魅惑の宵」という曲がある。
いやぁこの曲は、昔ほんとうに流行ったものだ。
小さい頃、家族に連れていかれたデパートの食堂などでは、よく “ムードミュージック” というジャンルの音楽が流れていて、そのなかに、必ずこの「魅惑の宵」が入っていた。
デパートの食堂というのは、当時は “洗練された大人の食事どころ” だったから、この曲が映画『南太平洋』で使われている曲だと知った後では、さらに映画そのものが “大人の恋の話” に思えたのだろう。
▼ マントヴァーニ・オーケストラ 「魅惑の宵」
で、「大人の恋」を探すために、鹿児島をさらに南下したら、ウナギを見つけた。
池田湖というところまで来ると、湖岸のボート乗り場やみやげ物屋には、どの店も「一番大きなウナギ」という看板が掲げられている。
「一番のウナギ」を謳う店が何件も連なっているのだが、そのへんは、お互いにあまり頓着してない様子だ。
おおらかな土地柄である。
そのうちの一軒を覗く。
体長2メートル、胴回り50センチという “お化けウナギ” がいた。
ウナギというより黒いニシキヘビである。
顔なんかナマズに近い。
店の人に聞くと、その1匹で、20人分の蒲焼ができるらしい。
ただ、味は大味で、まずくて食える代物(しろもの)ではないという。
あくまでも観光用。
うっかり食べたら、一晩中ウナギの夢にうなされそうだ。
さらに走って南へ。
目指すは指宿。
いつのまにか頭の中では、指宿の町が、ミュージカル『南太平洋』に出てくるような南国リゾートのイメージに染め上げられている。
今晩は、そこで「大人の恋」を見つけよう。
南へ、南へ。
国境の南へ。
あたりは典型的な日本の田舎道になった。
小高い丘陵がうねうねと続き、その間に田畑が広がっている。
その光景は、どこの田舎にも溢れていそうなものだったが、ただ一点、陽光が違う。
明らかに、南国の日差しだ。
夏でもないのに、道の彼方に陽炎でも立っているような気がする。
坦々とした一本道が続くなか、視線が妙な看板を捉えた。
「ムー大陸の秘宝館」
周りが畑だけに、「ムー大陸」と大きく出たところが、なにやら「怪しげ」で「妖しげ」。
無性に寄り道したくなった。
看板の指示する矢印通りに進むと、これがとんでもない山の中だった。
地元のクルマさえ1台も通らない。
その寂しいワインディング・ロードを、上へ上へと登っていくと、いきなり眺望が開け、人気のない広場の向こうに、なんともいえない奇妙な門が立ちはだかっていた。
インド風というのか、イスラム風というのか。
仰々しい赤い門が、「寄ってらっしゃい」とも「立ち去れ!」とも、どちらとも取れる風情で、じっと見下ろしてくる。
テーマパークか?
遊園地か?
それとも宗教施設か?
この摩訶不思議な味わいが、いい感じで、人の好奇心をくすぐってくる。
門の横の事務所にはスピーカーが備え付けられていて、そこから、初期のコンピューターゲームで使われたようなふわふわした電子音のメロディが流れている。
クルマを止めておそるおそる事務所(受付?)の中を覗いてみたが、もとより客などあてにしていないのか、事務所には人っ子一人いない。
門から中を覗くと、意外に奥行きがあって、山あり、谷ありの公園のようになっている。
“秘宝館” は山の向こうにでもあるのか、ここからは姿が見えない。
門から先は “古代ローマのアッピア街道” といった感じの石畳の小道が伸びていて、その彼方の丘の上には、白くピカピカ光る象の彫刻が横たわっている。
ますますもって、わけが分からなくなる。
門の横にこの施設の由来を説明した碑があった。
読むといよいよ大変な施設であることが分かった。
なんでも、
「世界平和の実現のため、3000万年の昔に太平洋に沈んだ理想の仏国土ムー大陸の秘宝を展示」
… した施設なんだとか。
ムー大陸が、釈迦が生まれる前はおろか、人類が生まれるまえから仏教の国だと初めて知って、びっくりした。
よっぽど入ってみようと思ったが、日のあるうちに指宿の町に行きたかったので、残念だったが、あきらめて山道を引き返すことにした。
陽が西に傾きかけた頃、南九州屈指の温泉街である指宿に着く。
映画『ビッグウェンズデー』級の大波が押し寄せる南国の浜辺をイメージしていたのだが、海岸沿いに並ぶホテル、スナック、ストリップ小屋などのたたずまいは、わりと日本のどこでも見られる観光温泉街だった。
ウィークデイのせいか、人の姿もまばら。
旅館やホテルもひっそりとした感じだ。
仮に、どこかの宿に飛び込んでも、だだっぴろい大広間で、浴衣を着たまま一人で食事をとっている自分の姿が想像できた。
街並を見ながら走っているうちに、いつのまにか町を出てしまった。
…… どうするか。
今から戻れば、鹿児島の町には戻れる。
やっぱり、旅の最後の夜は、天文館あたりの居酒屋で、さつま揚げに焼酎でも飲みたい。
南国リゾートの「大人の恋」はあきらめて、再び来た道を引き返す。
途中、ちょっと洒落た喫茶店が見えた。
田舎の町並みにポツンと立っているモダンな店構えが、周りの景色から浮いている。
どんな客が入るのだろうと … と、好奇心が湧く。
店の中には、60年代~70年代のロック・アーチストのLPジャケットやCDが飾られ、心地よいノリのロックが、適度なボリュームで流れていた。
カウンターでは、40代か50代くらいのマスターが地元の青年と話していた。
話題は音楽のことではなさそうだ。
コーヒーを注文し、しげしげと店内のディスプレイを眺める。
ニール・ヤング、ジャニス・ジョプリン、CCR 、ザ・バンド。
古びた30㎝ LP のジャケットが、壁いっぱいに飾られている。
マスターの人生が分かりそうだった。
若い頃 都会の大学でロックの洗礼を受け、それにのめり込み、故郷に戻って、趣味を生かした喫茶店を開く。
そういう人生設計を描いたんだな … という感じがひしひしと伝わってくるのだ。
なんとなく ( … 年齢的にも近そうだったし) 親近感を覚えたので、帰りぎわに、
「今かかっているのは、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングでしょ?」
と聞いた。
マスターは、こともなげに、「そうですが … 」(それが何か?)と怪訝そうな表情で見つめ返してくる。
こんな田舎でロックの話するなんて、お前よっぽど変わりものだなぁ … という感じなのである。
ちょっと鼻白んでしまったが、「ま、いいか … 」と思って、勘定を済ませて外に出る。
少し休んでいる間に、町はすっかり夕暮れの色に染めあげられていた。
夕方になると淋しい町だ、この辺は。
さぁて、ひとっ走り。
天文館で、気の利いた居酒屋でも探し、街の喧騒をサカナに焼酎でも飲もう。
「大人の恋の国」が後ろに遠ざかる。
ふと見上げると、空には早々と一番星。