アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

『麒麟がくる』の脚本と役者の演技に期待

 

 NHK大河ドラマ麒麟がくる』の2回目を見たが、初回に続き、安定感のあるつくりになっていた。
 1年続く長丁場のドラマとしては、まずまず無難な滑り出しを見せてくれたのではないか。

 

 で、この2回目。
 戦闘シーンが多少長いようにも感じられた。
 ただ、少ないエキストラと規模の小さなセットでそこそこの見せ場をつくっていたように思う。

 

 いくらNHKが大河にお金をかけようが、昔のように無尽蔵に人とカネが使えるわけではないだろう。(2009年から11年にかけて放映された『坂の上の雲』のおカネの掛け方には度肝を抜かれたが、ああいうハリウッド映画のようなテレビドラマはもう別格だ)
  
 で、通常の大河の場合、戦闘シーンにそれほどおカネを投入できないのであれば、派手なシーンだけを残し、あとボロが出ないように、時間を短縮していった方が観ている方も納得する。

 

 それよりも、大河ドラマの見せ場は、やはり、役者たちのセリフのやり取りによる丁々発止の “斬り合い” だ。

 

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 今回、本木雅弘が演じる斎藤道三(写真上)と、その主筋にあたる土岐頼純(矢野聖人  写真下)との対決シーンは見応えがあった。

 

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 美濃の守護である土岐頼純は、侵略してきた尾張織田信秀を撃退した家老の道三の労をねぎらう。
 しかし、それは表面的なもので、実際には織田信秀と密かに気脈を通じ、斎藤道三を亡き者にしようと画策していた … という設定になっている。

 

 それを見事に見破る道三。
 見破られてうろたえる頼純。

 

 けっきょく頼純は、開き直って道三を罵倒する。
 「お前の本心は、この土岐家を滅ぼし、美濃を乗っ取る気であろう」
 と頼純は道三への憤懣をぶちまける。

 

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 道三、それをやんわりかわしながら、茶を点て、
 「少し落ち着きなされ」
 と、頼純に茶を勧める。

 

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 茶を点てるときの、落ち着き払った道三の仕草と、感情を押し殺した表情から、視聴者は、道三が毒を盛るのではないか、と推測する。

 

 案の定、毒茶をあおいだ頼純は、呻きながら床に転がっていく。

 

 緊迫したシーンが誕生したと思った。
 土岐頼純を演じた矢野聖人は、これが最初で最後の出演になったわけだが、印象に残る演技をこなした。

 
 主人公の明智光秀の若い頃を描いた資料がないように、斎藤道三が美濃を乗っ取るまでの生活を記した資料もない。


 だから、いま『麒麟がくる』で描かれている脚本は、すべて “創作” といっていい。
 そのため、「主君を冷酷に毒殺する道三」という設定になっていても、それが間違いとはいえない。

 

 今回は、本木雅弘と矢野聖人のやり取りが緊迫していたがゆえに、“主君を毒殺する” という設定にもそれなりに説得力があった。

 

 しかし、司馬遼太郎の『国盗り物語』を読んでいる読者からすると、ここまで陰惨な道三には少し違和感がある。

 

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 もちろん、道三という人物が、そうとうの “悪” であることは周知の事実であるが、司馬さんの描く道三には、どこか明るい茶目っ気がある。

 

 人を騙すときも、騙された方が「悔しい !」と地団駄踏みながら、一方で「やられたわい」と苦笑いするような、あっけらかんとした明朗性が道三にはあるのだ。

 

 そうであるがゆえに、正統な守護である土岐氏を追放した道三を、美濃の多くの地侍たちが支えたのだ。

 

 もちろん、そういう “道三像” も、司馬遼太郎の創作にすぎない。
 実際は、主君を毒殺するような陰惨な謀略家であったかもしれない。

 すべては謎。


 登場人物に謎が多いということは、それだけ小説家やドラマの脚本家の腕の見せどころとなる。

 

 その最高傑作が、今のところ司馬遼太郎の『国盗り物語』であるが、『麒麟がくる』の脚本も、それに負けないほどの見どころを創造してほしい。

 

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楽園のファンタジーとメランコリー

  
絵画批評
マックスフィールド・パリッシュの絵

  

 マックスフィールド・パリッシュという画家の絵が好きになったのは、1枚のアルバムジャケットがきっかけだった。

 

 昔(20代半ば)、アメリカのサザン・ロックのアルバムを集めていた時期があって、『THE SOUTH'S GREATEST HITS(サザン・ロックのすべて)』というオムニバス盤を買たことがある。


 1960年代から70年代にかけてのオールマン・ブラザーズ・バンド、レナード・スキナード、アトランタリズムセクションなどのヒット曲がずらりと並んだ “お買い得盤” だった。
  
 収録された曲もさることながら、レコードジャケット(↓)が気に入った。

 

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 泥臭いパワーをみなぎらせた南部野郎たちのロックアルバムにはおよそ似つかわしくない、なんともクラシカルなイラストをあしらったジャケット。
 そのミスマッチ感覚に惚れた。

 

 誰が描いたのか?
 ジャケット裏には、「Cover illustration Bob Hickson」というクレジットがあるだけ。

 

 ボブ・ヒクソン

 

 どういうイラストレーターなのか? ほかに作品はないのだろうか? と、いろいろ当たってみたが、当時、今のようなネット情報にすぐにアクセスできるわけもなく、結局手がかりがなくて、諦めた。
    
 それからしばらく経って、この絵のタッチとよく似たイラストを集めた輸入カレンダーを見つけたので、喜んで買った。

 

 でも、画家の名前が違う。 
 こっちの名前は、Maxfield Parrish(マックスフィールド・パリッシュ)。



 どういうことだ?
  と疑問に感じて、ちょっと調べてみたら、こっちのマックスフィールド・パリッシュさんの絵の方が本物で、ボブ・ヒクソンのサザン・ロックのアルバムジャケットは、そのパロディ つぅか、パクリであるらしい。

 

▼ Maxfield Parrish 『Day break』(部分)

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▼ Bob Hickson 『The South's Greatest Hits』 (部分)

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 いやぁ、それにしても、このボブ・ヒクソンのデザイン(すぐ上の絵)。
 本家本元のパリッシュのタッチをよく生かしている。
 
 涼し気な木の葉。
 赤茶けた岩肌の山。
 ギリシャ風円柱を赤く染める樹木の影。
 まさに、同一の画家が描いたとしか思えない。

 

 こういうのは、“盗作” にならないのだろうか?
 それとも、アメリカはパロディを大歓迎する国なのか。

 

 
牧歌的な憂愁

 

 本家の方のマックスフィールド・パリッシュは、1870年にアメリカのフィラデルフィアに生まれ、1910年代から1920年代にかけて最も活躍した画家。

 
 ネット情報によると、1930年代には、「アメリカで一番有名なイラストレーター・画家であった」らしい。1966年に94歳で亡くなっている。
 たぶん幸せな生涯を貫いた人なのだろう。
 そのせいか、絵に暗さがない。

 

▼ 『Day break』(全景)

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 どこか牧歌的で、のどかで、平和な雰囲気が横溢していて、それでいて、一抹のメラコリー(憂愁)が漂う。
 
 ヨーロッパ古典絵画のようであり、それでいてアメリカン・コミックに通じる軽さがあり、芸術作品と商業デザインとの不分明な隙間を漂うような、不思議な画風だ。

 

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 ヨーロッパ画壇の「ラファエロ前派」の影響を指摘する人もいれば、アメリカ画壇の「ハドソンリバー派」の流れを汲んでいると見る人もいる。

 

ラファエロ前派  フレデリック・レイトン『母と子』

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ハドソンリバー派  アルバートビアスタット『ヨセミテバレー』

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 確かに、人物造形にはラファエロ前派の雰囲気が漂い、自然描写にはハドソンリバー派との類似がある。
 両者のエッセンスを統合して、それにポップな味付けをしたといえばいいのか。
 かすかに漂う「俗っぽさ」が、独特のエキゾチシズムを醸し出しているところが面白い。

 

マックスフィールド・パリッシュ『歓喜

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「永遠の時間」を絵の中に凍結

 

 特徴的なのは「光」だ。
 常に赤茶けた岩肌を照らす光。
 夜明けなのか、夕暮れなのか。

 

 いずれにせよ、1日のもっとも光の変化が激しい時間帯を狙って、それをタブローの中に「永遠の時間」として凍結させている。

 

 最も “移ろいやすいもの” が、止まったまま動かない。
 それは、言ってしまえば、「はかなさ」の凍結である。
 パリッシュの絵に漂うメランコリーの秘密はそこにある。 

 
▼  パリッシュ『Aquamarine』

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 荒涼とした岩肌に当たる残照の、むごいような美しさ。
 涼しげな風を宿す樹木のシルエット。

 

 この世の「快楽」と「寂寥(せきりょう)」が同一平面に混在する神話的な空間。


 そこには、アメリカという国が、ヨーロッパ人にとって “新大陸” であった時代の「ワンダーランド」の気配が息づいている。

 
 

 

刺青という劇的表現

 
 名古屋のキャンピングカーショーを取材に行くとき、必ず泊まっていたのが、三重県桑名市にあった「オートレストラン長島」(写真下)だった。

 

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 残念なことに、2017年に閉館になってしまったが、名古屋のショーが終わった夜は、自分のキャンピングカーでここに泊まるのが楽しみだった。

 なにしろ、そこには24時間営業の食堂とコンビニがあったし、朝の7時まで入れる温泉があった。
 その昔は、中華食堂もあった。

 

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 ま、文句のつけようもない便利な休憩施設なんだけど、この温泉に浸かっていると、ときどき異形のナリをした人々が入ってくることがあった。

 

 空に昇る龍とか、観音菩薩とか、滝を昇る鯉なんかが飛び跳ねている背中を持った人たちがお風呂に入ってくることがあるのだ。

 

 「タトゥー」という外来語よりも、「刺青」という和の響きを持った言葉が似合う模様入りの肌。
 「ドライブイン」とはいいつつ、トラックドライバーの比率が高い場所だったので、自然とそうなったのかもしれない。

 

 もちろん、一目見ただけで、“あっち系” の人ではないことはすぐ分かるし、そういう人たちが、怖い目つきで周りを威嚇したりすることはまずないんだけど、やっぱ、隣のコインロッカーにシャツを投げ込む人の背中で、いきなり不動明王がカッと目を見開いたりすると、ギョッとした。

 

東映ヤクザ映画の菅原文太の刺青

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 そういう人だって、風呂に入るときは、たいてい穏やかな顔つきになっているもんだが、やっぱこちらがジロジロ見過ぎると、いつなんどき「おめぇ、オレの背中にハエでも止まっているというんかい?」なんて凄まれそうで、怖いなぁ とか思ってしまうのだ。

 

「いえいえハエどころか、毛虫やらムカデやら、ゴキブリでも止まっていそうで
 なんて言ってしまったら、
「てめぇ、そいつはゴキブリではなくサソリよ。おまぇ、オレのサソリをよくもゴキブリ扱いにしてくれやがったな」
 とか凄まれたらどうしよう などと思ってしまうため、片目にゴミでも入ったように装って、もう一つの目を薄く開けて、こっそり盗み見る。

 

▼ 同じ刺青でも『緋牡丹博徒』のお竜さんの刺青は色っぽい

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 背中に龍や鯉を “飼っている” ような人たちというのは、柔和な顔つきをしていても、(気のせいかもしらんが)どこかでアウトローの凄みが漂う。

 

 どういう経緯で、彫り物人生を歩むようになったかは知らないけれど、やっぱり 「お断り」 を謳う温泉やプールは多いだろうし、まず公務員とか大手企業みたいな世間体を大事にする固い仕事には就けない。

 

 当然、それを知った上での覚悟があっただろうから、
 「オレの人生はてめぇで落とし前を付けるから、お前ら外野の人間につべこべ言わせないぜ」  
 という無言のメッセージが、そういう人の背中に漂っている。

 

 目立ちたいのに、人の視線を拒否する精神。

 

 そういう相反する心がぶつかり合うときの緊張感が、そこにはみなぎっている。

 

 だから、やっぱそれは「劇的」なのだ。
 こっちの心にも、「怖いけど、見たい」という相反する力が生まれるからだ。

 

 実は、そういう彫り物おじさんがお風呂に入ってくるのを、密かに楽しみにしていた。
 若者が、遊び半分で腕に入れたタトゥーなどには興味がないけれど、背中全面を牡丹が覆うような見事な彫り物というのは、めったに見る機会がない。
 だから、そういう人が来ない日は、ちょっとガッカリした。

 

 一度だけ、見事な「滝を昇る鯉」を掘ったおじさんの背中を見たことがあった。
 これは忘れられない光景だった。

 
 彫った絵柄も美しかったが、何よりも、おじさんの背中が広くて、たくましく、まるで筋肉の動きをともなった “アート” であった。
 
 湯煙の中で、さりげなく半目を開き、こっそりそれを見物した。
 ちょっと、禁断の風景を眺める気分だった。 

  

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 そういう彫り物をこわごわと眺めた後、自分のキャンピングカーに戻ってドアの鍵をばっちり閉め、酒を飲みながら高倉健さん(↑)の歌う『網走番外地』などを聴く。

 

 ♪ 春に、春に追われし、花も散る

   きす(酒)引け、きす(酒)引け、きす(酒)暮れてぇ


 酒がどんどんうまくなる。

 

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 オートレストラン長島がなくなったのは、さびしい限りだ。

 

ランボーやカフカよりも餃子のラー油

 

 短歌を作るようになって、ちょうど1年ほど経つ。
 知人に誘われて、地元の「短歌の会」に顔を出したのが、昨年の1月18日。
 月1回の会に2首ほど用意して提出してきたが、わずか1年ほどの修行では成果が上がるわけもなく、勉強会を主宰する藤井徳子先生からは酷評を与えられることもしばしば。

 

 「現実を直視するのではなく、頭の中(観念)で歌をひねっている」
 とよく叱られる。

 

 ま、言われるまでもなく、確かにそういうところもあるな と自戒しているのだが、「人が笑ってくれるようなコントの台本みたいな歌を作りたい」という気分がなかなか抜けず、それが自分のネックになっている。

 が、たまに成功することもある。

 

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 ツマミなし一杯だけのコップ酒外れ馬券に未練たらたら

 

 という歌を、昨年の5月頃つくった。
 川崎競馬場に出向いたとき(神奈川キャンピングカーショー取材)
にひらめいた歌だ。

 
 このとき、馬券は買わなかったが、昔、東京(府中)競馬場のダービーで大枚を使い果たし、そのときの切ない気分を思い出したらこのフレーズが浮かんだ。

 
 上記の歌だけは、いつも参加している勉強会の藤井先生もほめてくれた。
 そして、東京・多摩地区の短歌愛好家を集めた大会(「多摩歌話会 秋季大会」)に提出することを薦められた。

 

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 その秋季大会のレポートが、2019年12月20日に発行された『多摩歌話会会報(第94号)』に収録されていた。


 勉強会で配られたその冊子を家に持ち帰り、開いてみたら、あらららら ………
 くだんの私の歌が載っているではないか。

 

 多摩歌話会の講評で、この歌を採り上げてくださった小島熱子先生が、今度は原稿という形で次のような感想を記してくださった。

 

 もちろん、選者賞とか歌人クラブ賞などという栄えある選考とは無縁の作品であったが、小島先生は書く。

 

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 「思わず笑ってしまった。下句は実に俗っぽい表現だが、この一首の率直さが何ともいい。
 単刀直入、恐いもの知らずの勢いを買う。少し添削すれば歌として纏まるが、それはそれとしてコップ酒を飲む作者像に巧まずしてペーソスがある」

 

 なんとも好意的な、ありがたい選評である。

 

 
 で、本日、今年最初の短歌会が開かれたが、またもや藤井先生に気に入っていただけるような歌をつくれた。

 

ランボーカフカも今はどうでもいい それより餃子のラー油はどこだ

 

 ランボーは、天才少年といわれたフランスの詩人。
 カフカは、不条理な作風で知られるチェコの小説家。

 

 先生いわく、
 「この歌の面白さは、落差の大きさにある」

 

 ランボーカフカも、ともに文学青年たちが “文学論” を戦わせるときに必ず登場する大作家だが、それが、餃子とラー油という庶民的な食べ物の威力にあっけなく追い払われるというリアルさが、この歌の面白さである。

 

 大変好意的な評価をいただくことができて、ありがたく思った。
 これも次回の多摩歌話会に提出できるというお墨付きをもらった。

 

 調子こいて、まだ未発表の歌をもう2首ほど。

 

 ダリの絵を観ていたわれに友が言う

「お前ってさぁホラー好きな人?」

 

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 豚カツになる日を待たず死ぬ子豚 

  哀れなるかな豚コレラ処分

 

 

亭主を笑い飛ばす女房たち

 

 うちのカミさんが、近所のオバ様方と “お茶” してきたらしい。
 嫌な話を聞いた。
 
 今、カミさんの周りに集まるオバ様方の “お茶” で、いちばん盛り上がる話題は、亭主の自慢話らしいのだ。
  
 「自慢話」という言葉に、無邪気に喜んではいけない。
 「どれだけダメな夫か」ということの、ダメさ加減を自慢するらしいのだ。

 

 ウチの旦那は、会話も面白くなければ、出世もできない、運動神経も鈍い とかいう例を、どれだけ面白く語れるかということの芸の競い合いみたいなことが行われるらしい。
 
 嫌な世の中になったものだ。
  
 今日も、近所のオバ様のお一人が、こう言ったとか。
 
 「私たちの世代でさ、よもやスキーも滑れない男がいるなんて、思いもしなかったのよ。
 だから、“スキーに行こうよ” と誘ったきの返事が妙だったことに気づかなかったのね。
 それまで、いくら誘っても、やれ腰が痛いのだの、膝が悪いだのといって、急に体の不調を訴え始めるわけ。
 で、ようやくスキー場に連れ出して、ゲレンデに立ったとき、“いやぁ今日は特別に寒い日だから止めよう” とか言い出したのよ。
 寒くもなんともない日だったのに。
 だから、私、思い切って背中をポンと押して斜面に投げ出したの。
 どうしたと思う? 
 ワァーとか叫んで、そのまま雪だるまみたいに斜面を転がっていくの!」
  

 そこでオバ様方が一斉にワァーとか盛り上がるらしい。
   

 
 こういうとき、うちのカミさんにも取っておきの切り札があるらしいのだ。
 
 「うちの旦那なんか、プールにいっても、“今日は泳ぐより日向ぼっこに向いているな” などといって、一向に水に入ろうとしないの。
 だから、こっちも可愛く、“ね、一緒に泳ごう!” といって無理やり手を引っ張ったらさ、ギャッとか叫んで、背中からプールに落ちたの。
 そして、けたたましい勢いで両手を回しながら水を跳ね飛ばし始めたわけ。
 私、“犬かき” ってのを生まれてはじめて見た」

 

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 ここで、みんながワァーと盛り上がったらしい。
 
 失礼な話である。
 犬かきだって、立派な泳法だ。
 ただ、クロールとか平泳ぎに比べて、前に進む効率が悪いというだけの話で、 “泳げる” ことにはかわりない。
   
 さらに、もうひとつ、うちのカミさんは、こんなネタも持っているようだ。
 
 「よくうちの旦那は、“オレは社会人野球のピッチャーをやっていた” と自慢するの。なんかすごそうな話に聞こえるじゃない?
 だけど、どうも会社の野球大会で、1回だけ投手をやったことがあるみたいなのよ。
 で、なぜ彼がピッチャーになったかというと、野手だと、どんな球が飛んできても取れないらしいのね。
 だから、いちばん簡単なボールが飛んで来るピッチャーに収まったらしいのだけど、投げるボールがホームベースまで届かないんだって。
 それで、ベースの直前で球がお辞儀するからみんな空振りになっちゃうらしいの。
 で、うちの旦那は、それを “地を這う魔球のフォーク” とか平然といっているのよ」

 

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 で、そこでギャハハとみんなを笑わせて点数稼ぎをしているらしい。

 

 失礼な話だ。
 私は、これでも高校時代は甲子園出場を夢みて、ときどき野球部の練習を眺めに行ったこともあるのだ。

 

 そういう隠れた努力は正直に言っても伝わらないだろうから、言わなかっただけの話。

 

 今度は少しずつ、カミさんにも話してやろう。
 小学校の運動会で、すでに私が10秒を切って、9秒86を記録していたことを。
 50m走で。 

  

『国盗り物語』 斎藤道三の最期

  
 何度も読み返す本というのがある。
 特に小説など、ある感銘を受けた情景が浮かんでくると、
 「また、あそこが読みたいな」
 という気分になり、その部分だけを拾い読みすることがある。
 
 司馬遼太郎の書いた『国盗り物語』の題3巻。
 斎藤道三(さいとう・どうさん)の最期を描いたシーンなどは、もう何度読んだか分からない。
 

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 戦闘の模様を描いた章なのだが、美しいのである。
 「勇壮」とか「雄渾(ゆうこん)」、「凄絶」などといった “汗くさい” 美しさではない。
 
 朝日にきらめく山々の新緑。
 光の粒子が飛び散る川面(かわも) 。 

  
 そういうありきたりの自然の情景が、死を覚悟した斎藤道三の目を通して描かれることによって、涙が出るほど、ため息が出るほど美しく輝きだす瞬間を読者は手に入れることができるのだ。
 
 「これが、俺の最後に眺める風景か


 そういう感慨を持った斎藤道三の目に映る風景は、緑にあふれた野山だけでなく、自分に向かって突進してくる敵の姿ですら美しい。

 

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 最初に読んだとき、
 「ああ、小説家って、すごいなぁ!」
 と単純に驚いた。
 
 斎藤道三は、織田信長の正妻となった濃姫の父、つまり信長の舅(しゅうと)ということで知られる人物だが、歴史好きの人間にとっては、信長以上に面白い人物である。

 

▼ 2020年 NHK大河ドラマ麒麟がくる』の斎藤道三本木雅弘

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 一介の油商人として、京で財をなしてから美濃に流れ、権謀術策をめぐらして、美濃の国主である土岐頼芸(とき・よりよし)をたらしこみ、やがては彼を追放して、美濃一国を手に入れる。

 
 その成り上がりぶりのすさまじさには並ぶ者がなく、「下克上」を文字どおり地でいく人物といえる。
 
 しかし、道三については謎に包まれた部分も多く、その素性がどのようなものであったかは諸説ある。
 最近では「道三」という独立した人物はおらず、親子2代で美濃を手に入れた人物を一人にまとめて伝説化したのではないか、という見方が有力である。

 

▼ 1973年 NHK大河『国盗り物語』の道三(平幹二朗)➀

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 司馬さんは、この謎に満ちた道三を主人公に選び、梟雄(きょうゆう =ずる賢い悪役)とさげすまれていたこの人物に、「陽気に人を騙し、あっけらかんと国を盗んでいく」魅力的なキャラクターを与えた。
 
 そういった意味で、司馬さんはこの人物をまったく一から創造しなければならなかったのだが、逆にいえば、自分の作り上げた道三の心の裏まで緻密に描くことができた。
 
 その道三が最後の戦いを前にして、自分の人生をどう振り返ったか。

 

 この「斎藤道三の最期」を描いた章は、全4巻の『国盗り物語』のなかでも、ひときわ光る章になった。


 
 「陰暦四月といえば、樹(き)の種類の多い稲葉山がさまざまな新緑で輝く」

 という書き出しで、この『血戦』と名付けられた章は始まる。
 
 その稲葉山のふもと長良川の手前に布陣した2千の道三軍は、川を挟んで、その数倍に当たる斎藤義龍(さいとう・よしたつ)の軍と対峙する。
 
 斎藤道三斎藤義龍
 
 親子なのだ。
 しかし、道三の子として育った義龍は、ある日、自分の本当の父は、道三が放逐した土岐頼芸(とき・よりよし)であることを知る。
 なんと「父」と信じてきた道三こそ、実は、自分の本当の父を美濃から追い出し、美濃という国を奪い取った大悪人だったのだ。
 
 真相を知った義龍の怒りは収まらない。

 

▼ 2020年『麒麟がくる』の斎藤義龍伊藤英明

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 一方、道三にしてみれば、尾張の織田、駿河の今川といった強敵に囲まれ、今にも滅びそうだった美濃をここまで強国にしたのは誰ぞ、という思いがある。
 
 「美濃の国主が土岐家のままでいたら、とおの昔に美濃は滅んでいたわい」

 道三には、道三なりの自負があるのだ。
 

  
 だが、すでに家督を義龍に譲り、隠居暮らしを始めていた道三には、戦うにも自分の兵がなかった。
 ようやく集めたのが2千。
 美濃の国主を継いだ義龍の擁する兵力の5分の1程度にすぎない。
 
 すでに道三は、この長良川を自分の “死に場所” と決めていた。
 そして、「三十数年前、美濃に流れてきてこのヨソ者」のために、その最期を共にしようとする者が2千人もいたことに感動している。
 
 その2千の道三軍の頭上に、朝が来る。

  
 「やがて夜があけ、朝霧のこめるなかを弘治二年四月二十日の陽(ひ)がのぼりはじめた。
 朝の陽の下に、対岸の風景がにぎやかに展(ひら)けはじめた。
 雲霞(うんか)の軍勢といっていい。
 おびただしい旗、指物(さしもの)が林立している。

 それらの背後、義龍の本陣のある丸山には、土岐源氏の嫡流(ちゃくりゅう)たることをあらわす藍色(あいいろ)に染められた桔梗(ききょう)の旗が九本、遠霞(とおがすみ)にかすみつつひるがえっていた。
 『やるわ』
 と、道三は苦笑した」

 

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 この “苦笑した” という表現が、なんとも道三の胸中を巧みに描き出して見事だ。
 道三は、自分が訓練し、自分が指揮して、ここまで育ててきた美濃軍団の偉容をはじめて “敵” の視点から眺めたわけだ。
 
 そして、今はその敵を指揮する義龍も、一時は親子の情を交わした仲だ。
 だから、この「やるわ」という苦笑いには、7割方の悔しさと、3割ほどの愛がこもっている。
 
 やがて、
 「風は西に吹き、その前面の青い霧のなかから、敵の先鋒六百が、銃を撃ち槍の穂をきらめかせて突撃して」くる。

 

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 それを見て、道三は、
 「ほう、美しくもあるかな」
 とつぶやくのである。
 彼には、敵の色とりどりの具足、形さまざまな旗指物が、極彩色の絵屏風のように感じられのだ。
 
 「美濃へきていらい、数かぎりとなく戦場をふんできたが、常に必死になって戦ってきたため、それを色彩のある風景として観賞したことがなかった。心にゆとりがなかったのであろう」
 
 そう思う道三の姿を、司馬さんは、
 「なにやら紅葉狩りにでもきて四方(よも)の景色をうちながめている老風流人ののんきさがあった」と書く。

 

▼ 1973年 NHK大河『国盗り物語』の道三(平幹二朗)②

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 もちろん戦上手の道三のこと。
 ただ手をこまねいて敵の突撃を待ちかまえていたわけではない。 


 道三は、
 「床几(しょうぎ)から立ち上がり、采(さい)を休みなく振り、五段に構えた人数をたくみに出し入れしつつ、最初は鉄砲で敵の前列をくずし、その崩れをみるや、さかさず槍組に突撃させ、敵の中軍が崩れ立ったと見たとき、左右の武者のなかから誰々と名指しして三人を選び、
 『敵将の首をあげてこい』
 と、手馴れた料理人のような落ち着きようで、ゆっくりと命じた」

 

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 そして、采配通りの展開となり、道三は、
 「わが腕をみたか」
 と、笑いながら腰をたたくのである。
 
 そのときの道三の心境を、司馬さんはこう書く。
 
 「たしかに勝った。が、道三は、この一時的な戦勝がなんの意味もなさないことを知っていた。
 (しかし、多少は息がつける)
 それだけのことだった」

 
 
 この「多少は息がつける」という道三の心境は、いったいどんなものであったのだろう。
 今日執行されるはずだった死刑が、明日に延期になったと知らされた死刑囚の心境に近いのだろうか。
 
 毎回ここを読むたびに、
 (しかし、多少は息がつける)
 という言葉に涙してしまう。
 そして、自分の実人生において、ものすごく絶望的な展開になったとき、
 「多少は息がつける」
 とつぶやくのがクセになった。

   
 もちろん、一息つけたことで、助かるわけではない。
 しかし、この絶望的な状況のなかで、「一息つく」瞬間を与えられたというのは、どれほどありがたいことか。
 そんなふうに思ってしまうのだ。
 
 話を道三に戻す。

 
 緒戦を華々しく飾ったとしても、多勢に無勢、
 やがて、道三方の兵は、大半が討ち取られていく。
 
 それでも道三は、松林の中の床几に腰を下ろし、ただ一人、いまだ三軍を指揮しているような傲然とした表情で最期の時を迎えようとしている。

 

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 その姿を、かつて部下として仕えていた敵方の武将が発見する。
 すでに死を決意していた道三は、型どおりの手合わせを行っただけで、あっけなく討ち取られる。

 

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 討ち取った武将は、
 「死体の首を掻き切り、持ち上げようとしたが、どうしたはずみか、首を抱えたまま足をコケに滑らせて地に手をついた。

 この挿話 (そうわ)、別に意味はない。
 道三の首はそれほど重かった。武者一人をころばすほどに重かったという、のちの風聞がでるタネになった」
  
 これが斎藤道三の最期を語る文である。
  
 司馬さんのなんとつれないことか。
 感傷や詠嘆を廃した、なんとそっけない終わり方か。
 しかし、ある意味で、なんと道三らしい終わり方か。
 
 一介の油売りとして、いわば「無」から身を起こし、美濃という大国を手に入れ、さらに天下を狙うという華麗な夢を見た男が、最後はまた「無」に還っていく。
 そういう無常観がジワっとこみ上げてくるような、終わり方である。
 
 『国盗り物語』の3巻は、このあと信長を主人公とした話に引き継がれていく。
   

『麒麟がくる』初回はまぁまぁかな

 
 それにしても、今回のNHKの大河『麒麟がくる』の番宣はすさまじかったなぁ。
 いろいろな歴史企画で “明智光秀特集” を組むし、主役の長谷川博己トーク番組に出演させて、役作りの抱負を語らせたりするし。
 「絶対に外せない !」
 というNHKの意気込みがひしひしと伝わってきた。

 

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 その甲斐あってか、初回を見た限り「悪くない」という印象を持った。
 近年の大河ドラマで気に入ったのは、『龍馬伝』(2010年)と『真田丸』(2016年)であったが、久々にそれらに匹敵するようなレベルの作品になりそうな気がする。

 

 今回の『麒麟 』で評価できるのは、昔からの大河ファンの好みをある程度すくい上げているところだ。

 

 大河を見る人間というのは、基本的に “歴史好き” である。
 それも、司馬遼太郎やら吉川英治井上靖などの小説を読みあさって、登場人物に対して、それなりの予備知識を持っている人が多い。

 

 こういう視聴者はうるさい。
 役者の顔かたちやセリフ回しが自分のイメージと違うだけで、
 「ミスキャストだ」
 とか、
 「脚本家を代えろ」
 などと叫ぶ。

 

 時代考証に間違いがあれば、
 「あの武具は源平時代の大鎧じゃねぇか。この時代は当世具足だろ !」
 とか、突っ込みを入れる。

 

 俺なんかさ、大河を見始めたのは、『赤穂浪士』(1964年)からだぜ。
 当時14歳。
 中学2年だよ。
 「すげぇなぁ ! 大人のドラマだなぁ!」
 と、ため息をつきながら、モノクロの映像に見入っていた。

 

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 ほんとうに大河が楽しみになったのは、『太閤記』(1965年)からだ。
 緒形拳という(当時は)まったく無名の役者が抜擢され、主人公の豊臣秀吉を演じたのだが、その緒形拳(写真下)の演技に魅せられて、歴史ドラマの味わい深さというものを知った。

 

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 このときに織田信長を演じたのが、高橋幸治(写真下)だった。
 彼は、信長という男の冷徹さやカッコ良さを格調高く演じて、時には主役の緒形拳を食ってしまったこともあった。

 

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 もうひとつ忘れられない大河は、『国盗り物語』(1973年)。
 当時の俺は、夜遊びばかり繰り返すチャラ男のバカ学生だったから、家などにはまともに帰ったことがなかった。
 それでも日曜日の夜だけは、大河を見るために家に戻った。
 

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 この『国盗り 』の原作は司馬遼太郎
 主人公の斎藤道三を演じたのは平幹二朗(写真上)。
 信長役は高橋英樹(写真下)。

 

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 番組の途中からは、近藤正臣(写真下)が登場し、明智光秀を演じた。

 

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 結局、60作品に近い大河ドラマのなかで、この『国盗り物語』が俺さまのベスト1である。
 役者たちがみな素晴らしかったが、やはり司馬遼太郎の原作の面白さに負うところが大きい。 

 

 あまりにも原作が面白かったので、けっきょく生涯に4度読み返している。
 この時代の司馬遼太郎の文章はもう神がかりといっていい出来映えで、信長が桶狭間の戦いに出撃するために館を出るところなどは、ほとんどそらで覚えている。

 

 だから『麒麟がくる』というドラマの時代背景も、『国盗り 』をはじめとする司馬遼太郎の戦国モノを読みあさっていたので、だいたい頭に入っている。

 

 そういう戦国オタクの俺さまから見ても、今回の『麒麟 』はまぁまぁのスタートだった。

 

 あまり現代的な社会観・政治観を持ち込まないところもよかった。
 こういう戦国ドラマを企画するとき、
 「どうしたら戦争のない世の中がくるだろうか?」
 とか、
 「人の命を大切に思う時代が早く来ないだろうか?」
 などといった近代的ヒューマニズムを平気で語らせる脚本家がいるけれど、戦国ドラマが安っぽくなっていくのは、そういうところからである。

 

 『麒麟 』では、その視点が最小限にとどめられているのもよかった。

 

 主役を演じる長谷川博己がどんな光秀を演じるのか、最初はそこに不安もあったが、時にお茶目、時に生真面目という性格の配分に違和感はなく、それなりに存在感が感じられた。
 『シン・ゴジラ』の矢口を演じていた頃よりもずいぶんうまくなったような気がする。 
 これで、いいんではないの?

 

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 問題があるとしたら、染谷将太の信長(写真下)かなぁ

 

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 なにしろ、俺にとって “大河の信長” といえば、1に高橋幸治、2に高橋英樹だから、それ以外の信長というのが、ちょっと許せない。 
 特に、“丸顔” というだけで、(俺にとっては)致命的だ。

 

 信長の頬は尖っていて、細長くなければならない。
 俺さまの勝手な理想をいえば、伊勢谷友介(写真下)だな。
 憂鬱そうな表情がうまく、さらに意地悪さが顔に出るような役者じゃないとダメだ。

 

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 染谷君、まぁ頑張ってくれぇい。

  

 

中国はなぜ「自由」や「人権」を嫌うのか

習近平主席の訪日の意味

 

 この春、訪日が予定されている中国の習近平(シー・チンピン)国家主席を “国賓扱い” にするかどうかで、いま政権与党内でも議論が起こっている。

 

 「国賓」ともなれば、天皇が主催する国家行事となり、いわばわが国がもろ手を挙げて、現在の中国政府の政治姿勢をすべて承認するということになる。

 

 その中国は、日本に対しては、相変わらず尖閣諸島への領海侵犯を繰り返すのみならず、理由も明らかにせず日本人を拘束し、香港の民主化デモには強硬路線を貫き、台湾の総選挙にも圧力をかけている。

 
 さらに、新疆ウィグル自治区に住むテュルク系住民を強制収容所に送り込み、人権を無視した監視行動を押し進めている。

 

 他国に対する露骨な領土侵害や政治介入。
 自国内の異民族に対しては、人権を無視した管理強化。
  
 中国の政治・外交方針は、習近平政権になってから露骨に強圧的な姿勢を強めている。

  

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 もちろん、それに対する西側諸国の警戒感も強まってきたが、今の中国はそれを気にする態度も見せず、ひたすら膨張政策をはっきりと打ち出すようになってきた。

 

 「習近平氏の国賓待遇はいかがなものか?」という議論が日本で沸き起こってきたのは、国際社会の世論に反する中国の強硬路線に “免罪符を与える” ことになりかねないのでは? という懸念から生じたものである。

 


カネにあかして弱小国を味方にする

 

 実際、いまの習近平路線は、「なりふり構わず」という態度を露骨に見せるようになってきた。

 

 この18日に、ミャンマーを訪問した習近平主席は、アウン・サン・スーチー女史と会談。
 ミャンマーイスラム少数民族ロヒンギャ弾圧を容認したスーチー女史の方針を支持する姿勢を示し、ミャンマーのインフラ整備や通商協定を全面的に支援すると述べたという。

 

 「カネにあかして、弱小国を味方に引き入れる」
 
 これが今の中国の外交方針であり、その矛先は、南太平洋の島々に点在する小国家や経済力に乏しいアフリカの小国家に伸びている。

 

 中国からインフラ整備などで多額の融資を受けても、弱小国にはその返済がかなわない。
 そのときは、中国系企業がそこに入り込み、経済を支配し、政治的には親中国系政権を打ち立てる。

 

 習近平主席は、21世紀も後半になれば、アメリカに代わって「中華帝国」が地球の覇者となると間違いなく信じているはずだ。

 

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習近平主席に “焦り” はないのか?
  
 ただ、習政権にまったく焦りがないか? というと、そうともいえない。
 中国の総人口は、ついに14億を超えたが、長年にわたる「一人っ子政策」のために人口増加率は鈍化。

 今後は、日本以上の少子高齢化社会を迎えるかもしれないと言われている。

 

 そうならない前に、「世界の中華帝国」を樹立するための盤石の布石を敷いておきたい。
 最近の露骨な対外姿勢を見ていると、習主席のそういう焦りも見えてくる。

 


吹けば飛ぶような「自由」と「民主主義」

 

 もし、習近平路線が、東アジア諸国に強大な圧力をかけ始めてきたとき、日本はどうなるのか?


 当然、日本も “東風(とんぷう)” に巻き込まれることになるだろう。

 

 その結果、何が待ち受けているのか?

 

 それは、日本人がこれまで信じてきた欧米的価値観を見直さなければならなくなるときが来るということなのだ。

 

 すなわち、「自由」、「民主主義」、「人権」などといった20世紀的価値観が通用しなくなる時代を覚悟しなければならなくなる。

 

 われわれ日本人は、戦後70年、経済的にも、安全保障上においても、アメリカの傘に守られて、ぬくぬくと過ごすことができた。

 

 だから、「自由」、「民主主義」、「人権」などといった欧米的な価値観がフェイドアウトしていくような社会が来ることを想像できなくなっていた。

 

 しかし、すでにアメリカのトランプ大統領は、かつての歴代のアメリカ大統領ほどには、それらの価値に重きを置いていない。

 

 上記の三つの価値観が国民的に共有されるためには、その国を構成する膨大な中間層が必要となるが、アメリカにおいてもヨーロッパにおいても、そういう中間層の没落が顕著になり、富裕層と貧困層の格差が広がり始めている。

 

 そうなると、「自由」、「民主主義」、「人権」などという思想は次第に効力を失っていく。
 もちろん日本も、徐々にその気配を見せ始めている。

 

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どこの国も民主主義にかかる
コストを支払えなくなってきた


 中国の習近平政権が力を得てきたのは、世界のそういう事情と呼応している。
 
 政治・宗教問題の新しい思想家として脚光を浴びてきた佐藤優氏(写真下)は、習近平政権の台頭をこう分析する。

 

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 「習近平プーチンなどの独裁的な権力者が増えてきたのは、彼らの権力欲だけでは説明できない。
 それは国際情勢がきわめて流動的になり、その変化の激しさに、これまでの政治手法が通用しなくなってきたことを物語っている。
 すなわち、“民主主義的な手続きによる時間のコスト” に政治が耐えられなくなってきたということなのだ」

 

 この説明をそのまま日本に当てはめると、「桜の会」に象徴されるような名簿・資金の流れを隠蔽しようとする現在の安倍政権のやり方にも、民主主義的な時間コストを省こうとする強引さが感じられるということになる。 

 

 
中国的な独裁政治を支えるテクノロジー
 

 世界の指導者が独裁的な傾向を強めるようになったのは、何もいま始まったことではない。
 第二次世界大戦を引き起こしたヒットラームッソリーニも、典型的な独裁者だった。

 

 しかし、あの時代の独裁者たちと、いまの習近平主席では、決定的に違うことがある。


 習近平主席は、ヒットラームッソリーニも持ち得なかった画期的な民衆支配のテクノロジーを手に入れている。

 

 それがAI を駆使した情報統制システムである。
 たとえば「ウィーチャット」などのメッセージアプリをベースにした中国式の「信用スコア」システムがそれにあたる。

 

 現在中国では、この「ウィーチャット」のほかに、アリババグループが展開する「信用スコア」サービスが普及していて、合わせて5億を超えるユーザーに浸透しているという。

 これらのサービスは、政府主導で進められており、そこに登録した個人ユーザーのデータは中国政府の監視下に移行されるようになっている。

 

 それが分かっていても、多くのユーザーはもうこれを手放せなくなっている。
 なぜなら、たとえば「ウィーチャット」のような「信用スコア」を利用していると、通信機能のほか、QR・バーコード決済サービスを受けられたり、数々のクレジットカードが利用できたり、他のユーザーへの送金などをアプリ経由で可能になるといった途方もない便利さを享受できるからだ。

 

 神戸大学の梶谷懐教授は、このことを次のようにいう。

 

 「中国では、快適な生活を享受するために、政府や大企業に個人情報を提供することを当たり前のように考える市民が増えている。
 つまり、中国では、人々の功利主義的な欲求に支えられた “幸福な監視国家” が誕生しつつある」
 (朝日新聞 2020 1月16日)

 

 このような社会を支えるものが、AI の進化である。
 AI は、人間の顔認証や音声データの管理などを得意とするが、個人の学歴、資産状況、趣味なども簡単にデータ化してしまう。

 そのため、中国の若者たちは、婚活も、恋人探しも、「信用スコア」のAI がリサーチした個人データを頼るようになってきたという。

  

 
ジョージ・オーウェルの『1984年』の世界が来る


 こういう社会の行き先には、何が待っているか?

 普通の人間には耐えられないような “過酷な競争社会” がやってくる。
 
 そう答えるのは、経済学者の岩井克人氏(写真下)だ。

 

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 「現在、人間の評価は、まだ完全に数値化されていない。人の優しさや上品さというのは、まだ数値に還元されないものとされている。
 しかし、そういうものまでが、やがてデータアップされることになってしまえば、人間の評価軸はスペックだけとなり、一つでも上位の人間が下位の人間を露骨にさげすむ冷酷な社会が到来する」
 (NHK BS放送『欲望の資本主義 2019』)
 
 そして、そういう方向に向かい始めた中国を、岩井氏は「監視経済社会」という言葉を使って警戒している。

 

 それは、イギリスの小説家ジャージ・オーウェル(写真下)が1949年に書いた近未来小説『1984年』の世界にほからないという。
 オーウェルは、その小説で、民衆が高度な監視社会に苦しむディストピア(暗黒の理想郷)を描いたが、今の中国はまっしぐらにそこに向かっているとも。

 

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5Gによる「スマートシティ」は
ディストピア社会につながっていくのか?


 このような “ディストピア” 的な世界がすでに実現されようとしている。

 

 それが、ファーウェイが中国の深圳に開発している世界初の超高度電子都市「スマートシティ」である。

 

 この町では、人の流れや車の流れなど、刻一刻と変化する町の状況をすべて監視スクリーンでフォローできるようになっている。

 

 その “秘密兵器” となっているのが、5Gのような新しい通信インフラだ。
 これは、従来の4Gレベルのものと比べると、通信速度が10倍。監視カメラが接続できる数も10倍となり、AI の顔認証システムと結合することによって、町行く人々の行動が瞬時に把握できるような機能を持つことになる。

 

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 ファーウェイ側は、こういうシステムを強化することで「犯罪防止と治安強化」に貢献するというが、そのデータが警察に回った場合、中国共産党に対して批判する人々を簡単にチェックすることが可能となる。

 

 つまり、政府にとって都合の悪い人間をどんどん取り締まれるような社会を実現するための “装置” だともいえる。

 

 もちろん、ファーウェイの梁華(リャン・ファー 写真下)会長は、
 「自分たちのシステムが中国共産党からデータを提供するように言われたことは一度もないし、今後も政府の要請に応じるつもりはない」
 と事あるごとに説明しているが、アメリカ政府などはその発言そのものを信じてはいない。

 

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 現在、この「スマートシティ」構想は、ドイツのデュイスブルグという都市を巻き込もうとしている。


 同市の市長は、この中国テクノロジーを活用することによって、市の産業を立て直し、経済的繁栄を実現しようと積極的に動いている。

 

 もちろん、「スマートシティ」というアイデアが、経済効率の飛躍的アップを図ることは間違いないだろう。
 だから、この構想を進めたいと考える国や企業のトップも非常に多い。

 

 しかし、中国製の「スマートシティ」が、今の中国政府の思惑と合致していることだけは間違いない。
 
 というのは、現在のところ、このデュイスブルグという町が、習近平政権が進めている “一帯一路” の西の最終拠点となっているからだ。

 

 一帯一路というのは、鉄道、港、道路などの交通インフラの整備が主流となるが、中国政府は、その線に沿う形で、通信網の整備も進めている。

 

 それが5Gを使った「スマートシティ」の建設で、中国はこの通信網整備を「デジタル・シルクロード」と呼んでいる。
 (以上 NHKスペシャルより)

 

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根本にある儒家思想が
西欧的価値観を排除する

 

 話を最初に戻す。

 なぜ中国は、20世紀に西側諸国が掲げた「自由」「民主主義」「人権」などという価値観を何の未練もなく捨てられるのか?

 

 中国には、最初からそういう思想がなかったからだ。
 西側諸国の価値観というのは、ここ200年ぐらいの間に形成されてきたもので、4,000年に渡る中国の歴史に照らし合わせてみると、まだ底が浅い。

 

 「底が浅い」かぎり、中国人は、そのような考え方を普遍的な価値観として認めるわけにはいかない。
 習近平政権の指導部の人たちは、みなそういうふうに考えているはずだ。

 

 ヨーロッパ人たちが20世紀になってようやく価値を認め始めた「自由」「民衆主義」「人権」などというのは、すべて狭い大陸の小国同士で争っていたヨーロッパ人の考え方で、4,000年以上も昔から広大な領土を統一するために知恵を絞ってきた中国人には通用しない。
 
 そういう彼らの考え方の背景には、儒家の思想がある。

 

 儒家とは、紀元前552年に生まれた孔子の教えを守る人たちのことであり、その根本精神は、
 「民の幸せは安定した国家運営だけが実現する」
 と考えるところにある。

 

 すなわち、儒家の教えでは、個人に「自由」とか「人権」などを与えるよりも、争いのない統一国家を実現することの方が優先される。
 そこまで徹底しなければ、民族も言語も宗教も異なる広大な中国大陸を統一することは不可能だったろう。

 

 習近平政権というのは、中華帝国を守るために腐心してきた歴代の皇帝がやってきたことを、ただ忠実に履行しているだけのことかもしれない。

 

 だから、中国の “膨張政策” というのは、万里の長城を築いて北の蛮族の侵入を阻止したような、彼らの“防衛政策” にすぎないのかもしれない。

 

フェルメール『デルフトの眺望』

 

絵画批評
世界の裏側まで見通す「明晰な視界」

  
 フェルメールの絵のなかでも、『真珠の耳飾りの少女』の次に人気があるといわれている『デルフトの眺望』。

 

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 しとやかな優しい光。
 建物も運河の水面も、細部までくっきりと描かれることによって伝わってくる明晰さ。

 平和的で、安定した構図。

 

 『デルフトの眺望』が鑑賞者に与えるものは、豊かで心地よい安らぎ感である。
 この安らぎ感は、いったいどこから来るのだろう。

 


「不安」というものがまったくない絵

 

 フェルメールの絵には、(いい意味で)ドラマ性がない。
 同時代のライバル(?)であったレンブラントと比べて、ハッタリの精神もなければ、人を驚かそうとするような茶目っ気もない。

 

 彼の描く絵のテーマは、17世紀のオランダの市中に暮らす庶民たちのささやかな日常生活の一場面を、ごく控えめに、それこそ遠慮がちに切り取ったものばかりだ。

 

 この『デルフトの眺望』という風景画においても、「いつもと変わらない街の朝がまた訪れた」という日常性のさりげなさが追求されている。

 
 しかし、フェルメールの絵が鑑賞者に与える “安らぎ感” というのは、安定した日常性が約束するものとは、少し違っている。

 

 「安定した日常性」が保証するものは、退屈感である。
 だが、『デルフトの眺望』が鑑賞者に与えるのは、退屈感ではなく、目を洗ったときに感じるような爽やかな明晰さだ。

 

 言ってしまえば、この絵から得られる “安らぎ感” の正体は、クリアな視覚を得ることによって、自分の精神の健全さを自覚できるところから来るものなのだ。

  

 濁った視界が人間にもたらすのは「不安」である。
 目の前にある対象をよく見定めることができないとき、人はその対象を不気味に思うだけでなく、「不気味に思う」自分の精神もまた不健全ではないのか? という怖れを抱く。

 

 しかし、明晰な視界は、その不安を取り除く。
 取り除くばかりでなく、「クリアな世界を手に入れた」という絶対的な自信にもつながっていく。

 

 なぜなら、明晰な視界は、人間を「闇の不安」から脱出させ、「認識の優位」すなわち「知の勝利」を約束するものだからだ。

 

 『デルフトの眺望』がもたらす感動というのは、「知の勝利」の感動にほかならない。

 

フェルメールが『デルフトの眺望』を描いた実際の場所

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地球の “裏側” に到達したオランダ人

 

 こういう精神性は、実は、フェルメールと同時代を生きたオランダ人全体の精神生活を反映したものだともいえる。
 
 17世紀のオランダ人は、卓越した造船技術を発揮し、世界の海へ勇ましく漕ぎ出していった。
 大西洋からはるかインド洋を横切り、地球儀ではオランダの裏側ともいっていい日本までやってきて、日蘭貿易を始めた。
 その過程で、彼らは、「世界の裏側まで到達した!」という実感を持ったに違いない。

 

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 当時のオランダ人がそう感じていたという証拠に、フェルメールの絵には、地図および地球儀が数多く登場する。

 

フェルメール『地理学者』(上)/『天文学者』(下)

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 彼の後期を代表する『天文学者』および、『地理学者』では、研究者たちの肖像のほかに、地球儀や地図そのものがテーマになっている。

 

 それだけでなく、一般女性のつつましい日常を描いた『窓辺で水差しを持つ女』(下)のような絵でさえ、その背景には、くっきりと世界地図が描きこまれている。

 

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 地図と地球儀。
 この二つの小道具が語っているものは、オランダ市民がみな「地球の裏側まで見た」という共通認識を持っていたということである。

 

 つまり、フェルメールの『デルフトの眺望』は、デルフトというオランダの小さな町を眺望していることを意味するだけではない。
 フェルメールの目が、「地球そのものを明晰に眺望していた」ということを表現しているのだ。

 


「クリアな視界」は魔法の
ような技法によって生まれた


 では、「クリアな視界」を実現したフェルメールは、具体的にはどういうテクニックを使ったのだろうか。

 

 フェルメールは、この絵に二つの技法を導入していたという。
 一つは、「ウェット・イン・ウェット技法」。
 もう一つは、「グレーズ技法」。

 

 まず「ウェット・イン・ウェット」というのは、厚塗りした最初の絵具が乾ききらないうちに、さらに別の絵の具を重ねていく手法のことをいう。
 こうすると、厚塗りの下絵の上で、新しい絵具が複雑な凹凸を作ることになり、それによって、光の微妙な乱反射が実現される。

 

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 もう一つの「グレーズ技法」の “グレーズ” というのは、透明感が出るまで絵具を薄く延ばす技法のことをいう。
 運河の水面に揺れる光の反射に当たる部分に、この技法が使われている。

 

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 まず、最初に白い絵具で下塗りをしておく。
 その下絵の上に、フェルメールが愛好する「ラピスラズリ(青い天然鉱石)」を顔料としたウルトラマリンブルーを油で溶いて、薄く延ばしていく。
 
 こうすると、絵に光が当たったとき、光が薄い青のグレーズ層を通り抜けて、下地の白い部分を明るく反射させるため、まさに「水に揺れる光」の効果を生むことになる。 

 


「広い空」がもたらす効果

 

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 『デルフトの眺望』が実現した “クリアな視界” というのは、このような技法上のテクニックによって導き出されたものが中心となるが、構図上の工夫も見逃せない。

 

 空が広い。
 
 画面の3分の2は、開放感にあふれた大空で構成されているのだ。
 しかも、上空の雲をわざと暗くし、その奥に広がる空には、明るい青空と白い雲を配している。


 この空が暗示するものは、黒い雲が吹き払われた後にやってくる「明るい未来」だ。

 

 「眺望」とは、単に空間的な広がりを意味するだけではない。
 それは、時間的にも、将来「安全と安心」が保証されるという安堵感を伴うことを意味する。

 

 そもそも、なぜ人類は、遠くまで見渡せる場所を確保したときに喜びを感じるのだろうか。
 たぶん それは人類が “サルの仲間” として、樹上生活を営んでいたときの習性の名残である。

 

 人類は、肉食動物に襲われる危険を知りながらも、より生活を進化させるために樹から降りて、大地に立った。

 

 もちろん樹上にいた方が、肉食動物の動きを相手より先に察知できるため、より確実な安全を確保することができただろう。
 それを承知で、人類は樹に頼る生活から決別したのである。
 しかし、樹上にいたときの “安堵感” を忘れることはなかった。

 

 「見晴らしの良い場所」に立ったときに得られる快感というのは、大地で生きるようになる前の、樹上生活の記憶から来るものである。
 
 そういう人類の選んできた道さえも、この『デルフトの眺望』という絵に描き込まれていると思うと、なんとなく感無量になる。

 


半径500mの世界から
一生出なかった男
  

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 フェルメールは、終始このデルフトという町を離れなかったという。
 
 絵に描かれた新旧二つの教会。
 右の新教会は、フェルメールが洗礼を受けたところであり、左側の旧教会は、彼の墓があるところだ。

 

 そして、二つの教会の間に、フェルメールの生家があり、すぐ近くに結婚して住んだ場所がある。

 

 その半径500m圏内が、彼の人生のすべてだった。
 そのような狭い生活圏にこもった状態で、世界の隅々までクリアに見通せる視点を持ち得たということは驚きに値する。

 
 そういう “視線” こそ、彼の生きた時代のオランダの精神風土そのものが持っていたものかもしれない。
 

 
関連記事 (↓) 

campingcarboy.hatenablog.com

 

印象に残る人、印象に残った言葉

 
 もう5年ぐらい前の話だ。
 NHKで、終戦からバブル崩壊までの70年の歴史を追った特番が企画されたことがあった。
 タイトルは忘れたが、“戦後70年を振り返る” という言葉が入っていたような気がする。

 

 そのとき、NHKが保存していた1945年から1990年までの実写フィルムが次々と流され、登場したコメンテーターたちがその感想を語り合った。

 

 コメンテーターたちが誰だったのか、そして何を語ったのか、実はあまり覚えていない。
 ただ、1人印象に残ったのはタモリだった。
 そのとき私は、タモリのクレバーぶりと、その含羞のこもった発言の味わい深さにほんとうに感心した。

 

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 Wiki によると、タモリは、1945年生まれ。現在74歳だという。
 その番組に出たときは70歳だったので、“戦後70年” を語る生き証人のような役割を与えられて登場した。

 

 彼は、70年の人生のうち、
 「いちばん印象に残る時代はいつでしたか?」
 というアナウンサーの問いに対し、
 「バブル以降ですね」
 と明確に答えた。

 
 
 彼が芸人として世に出たのは、1970年代中頃。
 世は高度成長のまっただ中だった。

 

 しかし、タモリは、どうもその時代を好きになれなかったらしい。
 高度成長期は、とにかく “重厚長大” なものを尊重する風潮が強すぎて、それに対する息苦しさみたいなものを感じていたという。

 

 そして、それに続くバブルの時代は、今度は一転して、軽くて派手なものばかりが珍重されるようになった。
 しかし、それに対しても、彼は違和感を抱いていたとも。

 

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 タモリはいう。
 「バブルの頃というのは、誰もが時代に乗り遅れまいと必死に狂騒のなかに身を投じていたんですね。それは、そうしないと自分自身と向き合うことになってしまうから」

 

 すごい言葉だと思った。
 こんな簡潔にバブル期の人間の心象を的確に表現できる人など、ほかにいないのではないか。

 

 私はタモリの説明で、バブル文化にずっと感じていた自分の違和感の正体を教えてもらったような気がした。
  
  
 戦後の日本が繁栄した時代は、「高度成長期」と「バブル期」の二つに分けられる。

 

 その前半に当たる高度成長期は、とにかく「重厚長大」をよしとする風潮が強すぎて、その時代に生きた人たちは、自分のサクセスのイメージを「成長」というキーワードでしか語れなかった。

 それでも、当時の人々は、それなりに “自分” を確立するためにもがいていたともいえる。

 

 ところが、バブル期に入ると、「自分を確立する」というのはもっとも “ダサい” 行為となった。

 

 「自分の “顔” はひとつではない」
  
 誰もが、いろいろな局面に応じて自分の “仮面” を使い分け、その場その場の “ノリ” で多様なキャラクターを演じながら遊ぶようになった。

 

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 そして、それが常態になっていくにしたがって、みな心のどこかに漠然とした不安を抱えるようになっていった。
 いろいろな “仮面” を付けたり外したりしているうちに、誰もが本当の自分というものを見失ってしまったのだ。

 

 しかし、タモリは、そういう「混乱」と「不安」の中にこそ、人間が自分を見つめ直す契機がある思っていたようだ。


 だから、「バブル崩壊後」の時代の方が、タモリにとって、本来の人間と触れ合うことのできる時代に思えたらしい。

 そう語るタモリの姿は、実に印象的だった。

 

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 小島慶子というラジオパーソナリティーがテレビに活躍の場を移し始めていた頃、彼女もまた、朝日新聞のインタビューに答え、印象的なことを話した。

 

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 彼女は、「人の顔」がけっして映し出されることのないラジオというメディアの特質を、次のように語った。

 

 「人の姿は、けっこう遠くにいても見えます。では声は? 近くにいないと聞こえないですよね。つまり、声が聞こえるということは、生活空間に他者が現れるということなんです」

 

 このとき彼女の言った「他者」という言葉にシビれた。
 それは、「目の前に突然 “人” が現れた」という意味で使われた言葉だった。

 

 彼女はラジオ時代に、電話を通じて、リスナーからいろいろな相談を受けるコーナーを持っていたという。

 

 電話を通じて話しかけてくる相手は、もちろん顔も見えず、素性も分からない。

 
 その “まったく知らない相手” が、のっぴきならない不安を抱え、会ったこともな小島慶子に向かって、必死に何かを訴えかけてくる。

 

 そのときの相手の真剣さ、熱っぽさ、必死さが、いつのまにか小島慶子の目の前で、鮮やかに人間の輪郭を取り始める。

 

 それを彼女は「他者」と呼んだ。
 そして、その言葉から、電話を通じて自分のふところに飛び込んできた相手を丸ごと抱きかかえるという、小島慶子の覚悟のようなものが伝わってきた。

 

 こういう印象的な言葉に触れたとき、なるべく自分はそれを書き写すようにしている。

 
 そのときは意味が分からなくても、書き写して、何度か読んでいるうちに、何かが見えてくる。


 その「何か」が、今度は次の言葉を探す力を与えてくれる。 

 

「はてなブログ」を始めて1年

 
 「はてな」というブログサービスを利用させてもらうようになって、ほぼ1年経った。
 
 それまでは、「自動車」や「鉄道」に興味のある方が集まる「ホビダス趣味ログ」というブログで、14年間、キャンピングカーや映画、文芸ネタを中心に記事を書いてきた。

 

 しばらくは、この二つのブログを同時に運営していたのだが、今年に入り、「ホビダス」がブログサービスを終了すると通告してきたので、そちらには「お別れの挨拶」を残し、こちら一本に絞ることにした。
 
 「はてな」を始めた最初の頃は、「ホビダス」との違いにかなり困惑した。
 まず感じたのは、静かな「地方都市」から、いきなり東京や大阪といった「大都市」に出てきてしまったという戸惑いだった。

 

 ・ 人(ブロガー)が多い。
 ・ ディスプレィ(記事の見せ方)が華やかで都会のネオンのよう。
 ・ ブロガーたちの扱うテーマが多様。
 ・ 記事の平均的レベルが高い(つまり、参加者の意識レベルが高い)。
 ・ 情報の消費速度が早い。

 

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 みんな何をテーマに、どんな読者対象を想定してブログを書いているんだろう?

  と、気にしながら、いろいろな「はてなブログ」を読んでいると、まるで満員電車に揺られながら、「あ、降ります! 降ります!」と叫んでいるうちに、新しい乗客が開いたドアからどっと突進してきて、ドアからさらに遠いところに押しやられるような気分だった。

 

 ま、最初のうちは、そういう “混雑ぶり” に圧倒されたけれど、逆に、ある意味で、「はてな」は統一されているという印象も持った。
 行儀のいい人たちが多いという気がするのだ。

 

 つまり、参加者がみな優しい。
 極端な “はみ出し者” がいない。
 みなお互いに気をつかい合っている。

 

 記事内容も、ルールとマナーをわきまえているというか、他人を極端に誹謗中傷するようなものがない。
 誰もがネガティブなネタに傾くことを極力避けようとしている。

 

 そういう “空気” は、またブログサービスを管理している「はてな」という会社の方針から生まれてきているともいえる。

 

 とにかく、参加者が心地よくブログ管理を継続できるようにするための「はてな」事務所の気配りは徹底している。
 不穏な内容の記事が蔓延しないような管理は行き届いているし、健全なブロガーのモチベーションが下がらないようにするための様々な仕掛けを考案することにも余念がない。
 
 私が「ホビダス」で記事を書いていた頃は、かなり挑発的なコメントを送ってくる読者もいた。
 もちろん、それは、私が政治的・思想的に他者を批判する記事を書いたことへの反発から来たものだが、読者から厳しい反論が寄せられると、それはそれで、心地よい緊張感も覚えた。

 

 私のブログは、特に、思想的に右寄りの軍事オタクから反発を買うことが多く、旧日本帝国軍の軍事思想のお粗末さを指摘した記事などには、そうとう食らいついてきた人がいた。
 もちろん、そういう読者への反論を用意するときは、こちらも血がたぎった。

 

 その方とは、ゼロ戦の開発思想や、旧日本軍の戦車のお粗末さなどをテーマに、そうとう議論を重ねた記憶がある。

 

 しかし、「はてな」ユーザーは、(運営会社の管理が行き届いていることもあって)概して紳士的である。
 みな、日本人的な節度をわきまえている。

 

 だから、私も、「はてな」では、誰か(あるいは何か)に対する誹謗・中傷記事は書かないようにしている。

 

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 「はてなブログ」の記事の傾向で、ひとつ気づいたことは、「PV数」や「アフィリエイト」の収益報告をテーマにした記事が多いということだ。
 現状報告と同時に、いかにしたらアクセス数と収益額を向上させるかというノウハウを教えてくれるサイトもたくさんある。

 

 こういうテーマは、「ホビダスブログ」を14年間やってきたときには一度も見かけなかったので、最初は奇異な感じがした。

 

 しかし、それは、この「はてな」ブログの参加者がそれだけ多いことを意味しているのかもしれない。
 つまり、アクセス数を確保するための努力を怠ってしまうと、誰もがすぐ埋もれてしまうということなのだろう。

  

 
 「はてなブログ」を始めて、もう一つ気づいたことは、けっこう悩みを抱えている方が多いということだった。

 

 それは、ここに参加されているブロガーの年齢層も関係していそうだ。
 「若い人が多い」
 最初に感じたのはそれだった。

 

 若ければ、人生上の迷いも多い。
 「若者には未来がある」とよく言われるが、それは、それだけ「迷う時間」がたくさんあるということだ。

 

 私が関わっていた「ホビダスブログ」は、「自動車」や「鉄道」の趣味に特化した “大人のブログ” だったから、人生上の悩みを告白するブロガーはいなかった。

 

 しかし、「はてな」は、(匿名性を保ったままだが)個人的な悩みをカミングアウトする人が多いと感じた。

 

 それは悪いことではない。

  

 「書くことが救いになる」

 

 人間には、そういうところがある。
 心に溜まってきた鬱屈(うっくつ)したものを書き出すことによって、書いた人の心は軽くなる。


 日記のようなものには、備忘録という役割とともに、そういう機能もあるのだ。

 ましてや、ブログのように、自分の書いたものに、コメントや☆マークという形で、共感や励ましの合図を送ってくれる読者がいるということは、記事を書いた人間からすれば、すごく救われた気持ちになるはずだ。

 

 「はてなブログ」には、そういう良さがある。
 このブログサービスが健全に推移していくかぎり、「モノを書く日本人の文化」はすたれないと思う。

  

短歌とは狂気を飼いならす作業である

  

 短歌作家 穂村弘の『ぼくの短歌ノート』を、この前ようやく読了した。

 この本については、一度このブログで触れた(↓)。 

 

 https://campingcarboy.hatenablog.com/entry/2019/01/29/072856

 

    そもそも、読み始めたのは、ちょうど1年前だ。
 つまり、1冊の本を読むのに、丸1年費やしたことになる。

 

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 なんで、それほど時間を要したのか。
 紹介されている一つの短歌を味わうのに時間がかかったからだ。

 

 この本を開くのは、散歩に出かけたついでに立ち寄った喫茶店などが多い。
 そこで、印象に残った短歌に出会うと、本を閉じ、窓の外に広がる木立などを眺めながら、心のなかで反芻する。

 

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 そういう “贅沢” を味わうための本だから、急いで読み終えてしまうのが惜しかったのだ。
   

 
 なぜ、短歌に惹かれるのか。
 それは、短歌という文芸形式が、「答のない謎」だからだ。

 

 言葉の数でいえば、短歌を構成する文字は31文字。
 作者は必ず 五七五七七 という文字数のなかに収めなければならない。
 
 31文字しか使えないのだから、余計な言葉は捨てるしかない。 

 

 そのとき、“捨てられた言葉” が、山の斜面にこだますエコー(残響)のように震えながら、読者の意識の底に降りていく。

 

 つまり、短歌に触れるというのは、言葉としては拾うことのできないエコー(残響)に耳を傾ける作業なのである。

 意識の底に降りてしまった言葉には、美しさは残っていても、意味が残っていない。
 それは、「答のない謎」に向き合うようなものだ。
  

  
 たとえば、この本には、こんな歌が紹介されている。
 
  三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ
   (荻原裕幸 作)

 

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 三越デパートの入り口には、確かにライオンのブロンズ像が左右に置かれている。
 そこで人と待ち合わせなどしていると、つい手を伸ばして無意識にそのライオンを撫でてしまう。

 

 たったそれだけのことを述べた歌なのに、「何の力だ」と結んだとたん、ライオン像が魔法の生き物に変わる。

 

 この歌に批評を添えた穂村弘氏は、こう語る。

 

 「何の力だと指摘されなければ、そんな風には意識しなかったのに、この言葉が出てきたとたん、ちょっと怖くなる。触りたくなるのはライオンだからなのか。ラクダだったらどうか」

 

 穂村氏が言おうとしているのは、この「何の力だ」という言葉の前後には、文字として記録されることなくエコー(残響)となって散っていった無数の言葉があるということなのだ。

 

 その “言葉の形をとらなかった無数のエコー” が、ただのブロンズ像でしかないライオンに不思議な生命力を注入している。
 だから、読者は無意識のうちの、このライオン像に “魔物の気配” を嗅ぎ取ってしまう。

 
 こんな歌も収録されている。

 

 ・間違って押してしまった階数にきちんと停まる誰も降りない
  (礒部真実子 作)

 

 この歌も、当たり前の現象をそのまま歌っているにすぎない。
 なのに、読んでいると、妙な胸騒ぎがする。
 背中をそぉっと冷気が通り過ぎるような怖さもある。

 

 この “怖さ” の正体を、穂村弘氏はこう説明する。

 

 「間違って押してしまった階数でエレベーターが停まったとき、目の前にぽっかり開いたのは、実はもう一つの人生の入口だったのではないか。
 ぼんやりと立っている<私>の横を通り抜けて、もう一人の見えない<私>が降りていったのかもしれない」

 

 穂村氏の解説を待つまでもなく、この歌が、日常の光景に隠れた非日常を歌っていることは明白である。

 

 「誰も降りない」
 という言葉のなかに、すでに「誰か」がたたずんでいる気配がある。
 穂村氏は、それを<もう一人の私>と説明したが、<私>などという存在とはもっと別の、それこそ言葉では説明できない “何者” かが、じっと<私>の背後に息を潜めているようにも思えてくる。

  
 こんな歌はどうだろう。

 

 ・いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る
  (錦見映理子 作)

 

 一読しただけでは、この歌の真意を測ることは難しいかもしれない。
 ただ、作者の精神に “ただならぬこと” が起こっていることだけは分かる。

 

 これに関しては、穂村弘氏の解説をほぼ全文載せよう。

 

 「“いま死んでもいい思える夜ありて” とは、<私>の身に一体何があったのだろう。この歌の底には異様なテンションがある。
 文体が静かでどこか虚ろな分、こいつは本気だという感じが伝わってくる。
 最大の読み所は “異常に白き終電” だろう。
 確かに、“終電” の車内は深夜にしては明るいものだが、ここではそれ以上の非現実的な白さが感受されている」

 

 穂村氏も、謎の多い歌であることを認めている。
 
 そして、一つの解釈として、この “異常に白き終電” とは、“いま死んでもいい” という思いを秘めた<私>の脳から、何か特殊な麻薬的物質が分泌されているために感じられたものではないか? 
  と付け加えている。

 

 もちろん、作者以外に、この「異常に白き終電」の謎を解くことはできない。
 もしかしたら、作者にも “白き終電” の謎は解けていないのかもしれない。

 

 だからこそ、短歌というものは面白いのだ。
 「謎」の奥に、さらに「謎」がある。
 作者にすら解けない「謎」というものもある。
 謎と謎がエコー(残響)となって響き合い、美しい韻律に姿を変え、読者の無意識の淵に沈んでいく。 
  

 選者の穂村氏も衝撃を受け、私もまたびっくりした歌がある。
 
 ・畳のへりがみな起ち上り讃美歌を高らかにうたふ 窓きよき日よ
  (水原紫苑 作)

 

 穂村氏の感想を紹介しよう。

 

 「一読して、異様な高揚感に圧倒される。ここまで引用したどの歌よりも現実世界の理を覆す度合いが激しい。
 “畳のへり” が “みな起ち上り” とは、いかなる状況だろう。
 壁のようにずずっと伸び上がったのか。しかも “讃美歌を高らかに歌ふ” とは、“畳のへり” は和風に見えてクリスチャンなのか。
 この歌の特徴は、ハイテンションでありながら、その理由が読み取れないところにある。
 失恋とか、キスとか、青春とか、死とか、そういう背景がまったくわからない。
 強いていえば狂気だろうか。
 結句の “窓きよき日よ” には、この世の因果関係を寄せ付けない危うい至福感が充ちている」

 

 短歌の方も衝撃的だが、それを読み解こうとする穂村氏の解説も秀逸である。
 原文がはらんでいる「謎」には手を付けず、「謎」の味わい方だけに目を凝らしている。
 さすが歌人である。

 

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 短歌がはらんでいる「謎」とは、「狂気」の別名かもしれない。
 誰も、人間の「狂気」がどこから来るのか知らない。

 

 そもそも、「狂気」とは “出自の分からない感情” のことを指す。
 「喜怒哀楽」のすべての要素を持ちながら、そのどれにも所属しないのが「狂気」だ。

 

 「狂気」は、「喜怒哀楽」の彼方にある。
 だからこそ、恐ろしくもあり、崇高でもあり、哀しく、美しい。
 
 短歌の制作とは、その「狂気」を飼いならす作業である。

  

あっさり醤油味のラーメンが好き

 テレビで安定した視聴率を稼げるのは、スズメバチ駆除の話と、人気ラーメン店の紹介だという話を聞いたことがある。
 つまり、画面にハチかラーメンが映っていれば、「どの番組が面白そうかな 」と、コントローラーをちゃかちゃか動かしていた人の手が止まるということだろう。

 

 ハチは、まぁいいとして、ラーメンが画面に登場すると、私もついついテレビを見入ってしまうタイプである。
 つまり、ラーメンという食べ物は、映像を見るだけで、それを口に運んだときの汁の濃淡や辛さ、麺の食感、具材の味わいなどを想像しやすい食物になっているということなのだ。

 

 で、私の好きなラーメンは、あっさり醤油仕立ての “東京ラーメン” 。
 若い頃は、九州系の濃厚な豚骨味とか、北海道のこってり味噌味などを好んで食っていたけれど、齢(よわい)60歳を超えたあたりから、さっぱりした醤油ベースのラーメンじゃないと食べる気がしなくなった。

 

 年とって、胃が脂っぽいものを受け付けなくなったというわけではない。
 いまだにトンカツはロースだし、ハンバーグなんかも、バターの切れっぱしを上に載せて食べている。ハムサンドなどは、「これでもかぁ !」というほどマヨネーズでまぶす。

 

 だが、ラーメンに限っていえば、あっさり醤油の “東京ラーメン” のうまさがようやく理解できるようになった。

 

 で、下のラーメンは、吉祥寺駅南口(東京・武蔵野市)にある『おおむら』のラーメン(650円)。

 

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 中央線の南口改札を出て、井の頭公園に向かう階段を降りて10秒。
 駅の真正面にある店(写真下)だ。

 

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 なんと、私はここに50年近く通っている。
 店舗は1回だけニューアルされたものの、味は昔のままだ。

 

 麺は潅水がほどよく効いた中程度の太さの縮れ麺。(最近はうどんみたいな太麺を食べさせるラーメン屋も増えたが、私はそういう麺をうまいとは思わない)

 

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 具材は、チャーシュー1枚、メンマ少々、海苔1枚、ネギ少々という、まぁ東京ラーメンの定番ともいえるシンプルさが特徴。
 「もう少しメンマが多いといいなあ  」 
 とか、
 「海苔をもう1枚
 などと思うこともあるのだけれど、トッピングの選択肢はなし。


 しかし、食べ終わる頃には、各具材の量が計算されたちょうどよいものであることが分かる。

 

 で、ここのメニューのもう一つの看板が、チャーハン(800円)なのである。
 この味も絶妙。

 

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 米が一粒ずつふっくらと立ち上がっている感じで、口に入れたときの玉子のまろやかさと、塩味の配分と、脂の乗り方がもう芸術品の域に達している。
 肉片として、刻んだチャーシューが入る。
 これがまたうまい。

 

 悩むのは、ラーメンもしっかり食いたい、 けどチャーハンも食いたいと二択を迫られたとき。
 
 そんなお客のために、ここでは「ラーメン+半チャーハン」(950円)というセットが用意されている。
 店内で見ていると、実際にこのオーダーがいちばん多く通っている。
 誰もがこの店のうまいものをよく知っているのだ。

 

 もうひとつお薦めは、やきそば。
 これもハマる。
 味が単純なソース味ではない。
 醤油をベースにして、ラードやごま油などで味を調えている。
 この味の作り方も神技だ。
  
 やっぱり「店長」と呼ばれる人の腕がすごいのだ。
 私は、この店長が小学生ぐらいの頃から店の手伝いをしていたのをずっと見てきたが、そういう年季を重ねて出来上がった味はやっぱり違う。絶品である。
 (その彼も今では還暦だという)

 

 で、ここの餃子も悪くない。
 ただ、白いご飯と合う味なので、チャーハンをオーダーしてしまうと、お互いの味が相殺されてしまい、すごくもったいないことになる。
 むしろ、ラーメン+餃子の方が相性がいい。
 しかし、そうなるとトータルの金額が1,050円になってしまい、「ラーメン+半チャーハン」のセット料金より高くなる。
 ここが悩むところだ。
 
…………………………………………………………………………

 下は、三鷹駅南口(東京・三鷹市)から歩いて2分程度のところに店を構えている『中華そば みたか』というラーメン屋である。

 
 ここにもときどき顔を出す。
 雑居ビルの地下にある店だが、そこに降りる階段に、いつも常連客が列をなしている。

 

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 この店に通うようになって、やはり40~50年は経つ。
 店の名前は、以前は『江ぐち』といった。


 オーナーが変わったが、味は先代の味をそのまま踏襲している。
 というのも、先代が『江ぐち』を閉めるとき、それを惜しんだ常連客の一人がその味をなんとか世に残したいということで、修行に励み、店を引き継いだからだ。

 

 この店のラーメン(550円)も、あっさりした醤油ベースの “東京ラーメン” 。
 麺は多少太めで、どちらかというと和風味。だから醤油ベースのスープとの相性はいい。

 

 ここはトッピングの自由度が高くて、チャーシュー、メンマ、もやし、玉子などを別オーダーできる。
 ただし、この店にはラーメン以外のメニューはない。

 

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 私が頼むのは、メンマを増量したチャーシューメン(写真上 850円)。
 『江ぐち』の時代から、常連客はこれを「竹の子チャーシュー」と呼んだ。
 だから、私もそうオーダーする。


 で、「メンマ入りのチャーシューメンね」とか頼んでいる客を見ると、心のなかで「お前はまだ新参者だな」とバカにすることにしている。もちろん顔には出さない。

 

 ここのチャーシューは好きである。
 脂身が多いのだが、それがうまいのだ。

 

 ただ、チャーシューをかじりながら、麺をすするときの配分が難しい。
 なにしろ、ここのチャーシューメンを頼むと、もうドンブリの中に麺が入っていることが分からないほど、表面が大量のチューシューで覆われる。

 
 だから、普通のラーメン屋で出されるチャーシューメンの配分で食っていくと、後半になって、チャーシューだけが丼の底に大量に残ってしまうことになる。

 

 そのため、多少「贅沢だな」と思いつつ、麺と一緒に大量のチャーシューを一気に口に入れてしまった方がいいのだ。
 そうすると、スープを飲みほす後半戦になって、麺とチャーシューが同じ配分で減っていくことが確認できて気持ちがいい。

 

…………………………………………………………………………

 吉祥寺・三鷹で、もう一軒だけ、お気に入りの “町中華” を挙げるとすれば、それは「ちくせん」である。

 

 三鷹駅の南口をまっすぐ南へ。
 距離として、駅から500~600メートル。
 時間にして、徒歩5分といったところか。 

 

 ここも古い店だ。
 先代のご主人が亡くなられたあと、今は若い夫婦が店を切り盛りしているが、料理の味にはしっかりと先代の味が受け継がれている。

 

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 お薦めは、店の看板にもなっている600円の「昔ながらのあっさり味の東京ラーメン」。
 まぁ、年配の方ならば、スープを最初に吸っただけで、「あ、これは昔懐かしい味だ!」と思うはず。

 

 ここは、チャーハン(写真下)もうまい。
 ラーメンとチャーハンの両方を食べたい人には、 
 「ラーメン&半チャーハン」
 と、
 「チャーハン&半ラーメン」
 の2種類のセットがある。 

 

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 だけど、個人的にお薦めなのは、餃子である。
 これは本当にうまい!
 
 1人前5個で480円だが、3個で300円という「ミニギョーザ」というメニューも用意されている。
 私はいつもこの二つをいっしょに頼んで、8個(780円)にして食べている。

 

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 忘れてならないのは、ラー油である。
 この味も、ほかの店ではお目にかからない。
 たぶん自家製。
 容器の底に、粉末の唐辛子がしっとりと沈んでいて、その唐辛子の粉をたっぷりすくいとって、小皿に注ぐと、ほんとうに幸せな気分になる。

 

 その小皿に、醤油と酢を少々。
 醤油4に、酢6ぐらいの配分がよいようだ。

 

 そして、いよいよ餃子を小皿に浸け、餃子の裏・表にたんねんにラー油をからめ、白いご飯といっしょにほうばる。

 

 食べ終わっても2日ぐらい幸せな気分が続く。
 
 東京の吉祥寺駅三鷹駅近くに住んでいらっしゃる方で、まだこの3店に足を運んだことがない人がいらっしゃったら、一度お試しあれ。

 

ネズミの社交性

 
 一人っ子なのである。
 だから、基本的に一人遊びが得意。

 居酒屋の片隅で、一人で黙々と酒など飲んでいるのが、全然苦痛じゃない。

 

 数学者の森毅さんが面白いことを言っていた。
 「一人っ子は協調性があまりないけれど、その足りない分を、社交性で補う」


 当たり!
  と思った。

 

 協調性と社交性は、似たような感じがするけれど、中身はまったく別もの。

 

 人の群のなかに混じって、苦労して、協力し合って、ひとつの成果を出していくのが「協調性」 。


 それに対して、「社交性」ってのは

   やぁやぁ元気、いやぁしばらく! 
   お、楽しそうだねぇ、素晴らしいですね。
   それ、私にも頂戴ね。じゃ またね。

 

  と、他人のふところに飛び込んで調子よくなついた後、てきとうな頃合いを見計らって、さぁっと立ち去るのが社交性。

 

 ま、自分にはそういう傾向がある。

 

 社交性というのは、弱者の武器だ。
 力もなくて、気が弱い人間が、自分の身を守ろうとするときに発達する。

 

 もともとは、恐竜の時代に、森の中でひっそりと暮らし始めたほ乳類の智恵だ。
 たとえば、ネズミなんてのがその代表。
 あいつらが生き延びられたのは、仲間同士の “社交性” があったからだ。

 

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 ジュラ紀とか白亜紀といった恐竜全盛時代に生まれたネズミのようなほ乳類は、昼間は、草原にエサを探しに行くことができない。
 行けば、小型恐竜なんかにパクっと食われて、自分がエサになってしまう。

 

 しかし、自分の巣穴にじっとしていれば安全、というわけにもいかない。
 今度は、ネズミの気配を嗅ぎつけたヘビがそぉっと忍び寄ってきて、いきなり鎌首もたげ、パクリと丸呑みしてしまう。

 

 だからネズミたちは、周囲の情報を取り込むために、聴覚・嗅覚といった情報収集器官をフルに働かせて、仲間同士のコミュニケーションを密にし、恐竜やヘビの脅威から身を守ろうとした。

 

 それが、ネズミから進化したわれわれ人類の「社交性」の母胎となった。

  って、ホントかね。
 いま思いついたヨタ話だけどさ。

 

 だけど、社交性ってのは、周囲の動きに敏感になることから生まれるのは確かだ。
 「人の顔色をうかがう」とか、
 「ゴマを擦る」とか。
 そういう姑息な気づかいが身に付くことで、社交性が育つ。

 

 つまり、今の自分が置かれている状況では、何が危機で、何が面白いのか。そういうことに敏感な精神が「社交性」の母胎となるのだ。

 

 自分にもそういう傾向があって、一人で黙々と居酒屋で酒を飲んでいても、耳だけダンボで、周りの情報収集だけは抜け目ない。

  

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 この前、こんなことがあった。

 「あんたもういい加減にこれ以上飲むのをやめなよ。体を壊してまで飲むんだったら意味ないんだから」
  って言っているのは、カウンターの隣りに腰掛けている水商売風のおバアさん。

 

 「てぇやんでぇ。俺は飲みてぇんだよ、今晩は。 帰りたければ、てめぇが一人で帰ればいいだろ」
  って息巻いているのは、定年退職して、毎日やることがなくて鬱屈していそうなオジイさん。

 

 一見、夫婦の会話のようにみえるけれど、
 「あんたんとこの奥さんに、またワタシ怒鳴られるのもう嫌だよ。ねぇ、もう帰ろうよ。夜も更けてきたんだからさ。医者に止められたんだろ? 酒
 … ってなことをオバアさんがいうからには、なんだかワケ有りのカップルのようにも思える。
 夫婦ではないが、夫婦以上の親密度を保った仲のようだ。
 
 そういう関係に甘えたジジイがさらに吠える。
 「関係ねぇだろ。俺が生きようが死のうが、俺が決めることだ」

 

 夫婦気分になっているバアサンが答える。
 「バカだねぇ、死んじまったら、残されたワタシはどうなるのよ」

 

 こういう会話って、ちょっとした場末の「人生劇場」じゃない?

 さぁ、続きはどうなる?

 

 …… と、舞台で繰り広げられる役者の演技を楽しんでいたら、いきなりこっちにも役が振られた。
 「ねぇ、そこの人」

 

 オジイさんが振り向いて、俺に向かって話しかけてくるのだ。
 「飲みたいときに、好きなだけ飲むってのが楽しくねぇかい? そこの人」

 応援部隊の出動よろしくね、っていう心境なんだろな。

 

 こっちは森の中でコソコソ生きているほ乳類だから、こういうときの対応にも抜かりはない。

 

 「でも、心配してくださる人がそばにいることが、人間には大事なことですから。奥様のお言葉にも耳を傾けてあげないと
  ってな、三流週刊誌の人生相談の答みたいな言葉が、シレっと口をついて出てくるのが、オレなんだな。

 

 ここで「奥様」って言葉を使うのがミソ。
 オバアさんが本当の “奥様” であろうとなかろうと、そんなことは関係ない。
 そのオバアさんが、そのとき “奥様” の役目を務めようとしている気持ちを汲んであげることが肝心だ。

 

 案の定、オレがそう答えたら、「そうよ、そうですよねぇ」と、オバアさん上機嫌。
 で、オジイさんの方も、オバアさんが笑顔になれば、それはそれで、まんざらでもないんだな。

 

 これでそのカップルも円満。

 でも、そういう社交性を発揮する自分って、ホントに太古の森でイジイジ暮らしていたネズミみたいなもんだと、自分では思っているんだけどね。
 

陽水の歌が漂わす「死の匂い」

 

 テレビなどで、シンガーソングライター井上陽水の特集を見る機会が増えた。

  

 昨年(2019年)11月27日には、作家の高橋源一郎朝吹真理子、音楽家小室等らが陽水の世界観を “文学” のように語り合う『深読み音楽会』(NHKBSプレミアム)という番組が放映された。

 

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 暮れの12月27日には、NHK総合テレビで、『5人の表現者が語る井上陽水』という企画が組まれ、松任谷由実玉置浩二奥田民生宇多田ヒカルリリー・フランキーらの5人が、それぞれ陽水との親交を語った。 

 

 このような “陽水特集” が続いたのは、令和元年(2019年)が彼のデビュー50周年だったからだ。

 

 井上陽水、1948年生まれ。
 現在(番組収録時)72歳。
 団塊世代(1947年~1949年生まれ)のど真ん中に位置するアーチストである。
 
 この世代というのは、日本がちょうど高度成長を遂げようとしている時期に “青春” を迎え、豊かな生活に馴染み始めた世代だ。
 どこの家庭でもカラーテレビ、クーラー、自家用車などという(当時としては)贅沢品を購入できるような時代が来ようとしていた。

 

 陽水とほぼ同時代を生きたシンガーソングライターの松任谷由実(1954年~)は、『5人の表現者が語る井上陽水』という番組で、こう語っている。

 

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 「陽水の歌にはセンチメント(感傷)とか、メランコリー(憂鬱)といったニュアンスが常に漂う。
 こういうネガティブな雰囲気は、貧しい時代だったら視聴者の共感を得られなかったろう。
 しかし、豊かな時代がくると、それが逆に “贅沢” な感覚になる。

 そういう “贅沢感” が生まれたところに、私たちが登場した時代の豊かさを感じる。
 私は、その豊かさをポジティブに歌ったが、彼はネガティブな情感を喚起する方向で、豊かな時代が来ることの問題点を歌った」

 

 この指摘は、さすがに松任谷由実という音楽家だからこそいえた言葉だ。

 

 彼女の『中央フリーウェイ』(1976年)などは、まさにマイカーを手に入れ、中央高速を日常的な “遊び場” として使い倒している裕福な若者たちの生活を表現している。

 

 それに対し、陽水の『傘がない』(1972年)などは、その豊かな社会に馴染めずに死んでいく若者と、恋人に会いに行くための傘がないことの方が問題だと開き直る若者の、ヒリヒリするような分裂を歌いあげている。

 

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 ここに挙げたユーミンと陽水の歌のテーマは、どちらも「高度成長」だ。
 日本経済の興隆期に沿って、バラ色の生き方を享受できた若者と、その裏で「高度成長の犠牲」となっていく若者。

 
 ユーミンと陽水は、どちらも “団塊世代の精神風景” を、メダルの裏と表として描いた。

 

▼ 『傘がない』

https://youtu.be/SwNRn3ly8Ns

 

都会では 自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない


行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ

  

つめたい雨が 今日は心に浸みる
君の事以外は考えられなくなる
それはいい事だろ?

 

 この『傘がない』の歌詞だけを拾ってみると、井上陽水は、時代の社会問題に鋭く切り込む “社会派シンガーソングライター” のように見えるかもしれない。

 

 しかし、これは、この時代の社会問題を浮き彫りにした歌ではない。
 むしろ、この時代の底に潜む “空虚感” を見つめた歌なのだ。 

 

 リスナーは、『傘がない』と嘆く主人公に共感した段階で、時代の「虚無」と向き合うことになる。 
 それは、「高度成長期」という日本の明るい時代が内側にひっそりと抱え込んでしまった虚無にほかならない。

 

 繁栄が「闇」を抱えるのは、社会の必然でもある。
 「繁栄」というものは、必ずその底の部分に、「繁栄から取り残された部分」を残すからだ。

 

 それが松任谷由実が指摘した “陽水のメランコリー(憂鬱)” の正体であり、そこには、常に「死の匂い」が漂っている。

 

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▼ 『リバーサイドホテル』(1982年

https://youtu.be/OPoSXc_ODdg

 

 誰も知らない夜明けが明けた時 町の角からステキなバスが出る
 若い二人は夢中になれるから 狭いシートに隠れて旅に出る

 

 昼間のうちに何度もKissをして 行く先をたずねるのに疲れはて
 日暮れにバスもタイヤをすりへらし そこで二人はネオンの字を読んだ

 

 ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイド
 食事もリバーサイド Oh リバーサイド

 

 チェックインなら寝顔を見せるだけ
 部屋のドアは金属のメタルで
 シャレたテレビのプラグは抜いてあり
 二人きりでも気持ちは通い合う

 

 ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイド
 食事もリバーサイド Oh リバーサイド

 

 『深読み音楽会』(BSスペシャル)でこの『リバーサイドホテル』がテーマになったとき、この歌から不吉な匂いを嗅ぎ取ったのは、芥川賞作家の朝吹真理子1984年~)だった。

 

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 彼女はいう。

 

 「この歌の特徴は、同義反復後の歌詞がたくさん出てくるところなんですね。
 まず “川沿いリバーサイド” というのが同じ言葉の繰り返し。
 次に、“部屋のドアは金属のメタル” も同義反復でしかない。
 そもそも、“夜明けが明ける” という表現が同じ言葉を重ねているだけ。
 なぜこの歌では、同じ意味の言葉が繰り返されるのか?」

 

 朝吹は、こう説明する。

 

 「それは、ここで歌われる “2人” が、生の世界から死の世界へと移行しているからだと思うんです。
 要するに、この2人は、失われつつある “生” の手触りを確かめなければならないため、同義反復によって現実の世界を確認しようとしているのではないでしょうか」。

 

 だから、朝吹真理子は、この歌を「心中の歌」だという。
 そうでなければ、
 「♪ 狭いシートに隠れて旅に出る」
 「♪ チェックインなら寝顔を見せるだけ」
 などという不思議な言葉の意味を解明できない。

 

 狭いシートとは「棺桶」のことであり、「隠れた旅」とは、黄泉の世界への旅。
 そして、「寝顔がチェックインになる」とは、このホテル自体がすでに  “黄泉の国のホテル” なので、寝顔 すなわち死顔がパスポートになるという意味。

 

 この朝吹の発言を受けて、作家仲間の高橋源一郎もいう。

 

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 「僕もそうだと思う。“リバーサイドホテル” のリバーとは、“三途の川”のこと。今2人は、それを渡ろうとして、後ろ(生の世界)を振り返った状態なのだろう。
 だから、すべてが遠近感を失って、シュールな光景になっている」

 

 『深読み音楽会』の高橋源一郎は、今回陽水のかなりの歌に「死の気配」を嗅ぎ取っている。

 

 たとえば『あなたにお金』(2016年)という歌。
 
 「実に奇妙な歌」だと、高橋はいう。
 普通の歌詞や詩(ポエム)に「お金」という言葉はなかなか使えない。
 
 なぜなら、「お金」は、どんなロマンチックな人間も現実の世界に引き戻してしまう下世話な物であり、詩的情緒からもっとも遠い存在であるからだ。

 

 しかし、陽水は、この「お金」という言葉を最初の歌詞から堂々と使い、さらに、それをタイトルまでにしている。

 

▼ 『あなたにお金』 (2016年) 

https://youtu.be/C74h532IxrI

(ようっすいさんのカバー)

 

あなたにお金をあげたら 帰ろう
メロンを抱いて 星を見ながら帰ろう
まだまだバスは はるか遠くで揺れて
まつ毛の先を 濡らし始めたばかり

 

目の中に 星屑を散りばめて
星空に夏の空重ねて

 

空には汽車が 煙たなびき 走り
汽笛の声に 振り返りながら 帰ろう
時計の針は待ちくたびれて 外れ
静かに闇を 指し間違えて 消えた

 

 この歌で使われる「お金」という言葉が、生々しさを持たず、実に爽やかな哀愁を帯びているのはなぜか?
 … と、高橋源一郎は問いを発する。

 

 「あなたが、すでに死者だからである」
 と、彼はいう。


 つまり、ここに出てくる「お金」は、香典なのだ。

 

 だから、葬儀から帰る自分の「まつ毛の先が濡れ」、死者を乗せた汽車は、「空に浮かんで、煙をたなびかせる」。

 

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 死者はもう「生きている人間の時間」とは無縁なのだから、「時計の針は待ちくたびれて外れる」のだ。

 

 こういう高橋源一郎の解釈はそれなりに説得力を持つけれど、井上陽水がほんとうにそういうことを意識しながらこの歌を作ったかどうかは、分からない。

 

 仮にそうだとしても、陽水は自分の歌を解説するような人ではない。
 彼は、「解説すること」の味気なさから、とことん逃げようとするアーチストだ。

 
 「逃げようとする」のは、恥ずかしいからだろうし、テレもあるからだろう。
 しかし、「解説を拒む」というところにこそ、陽水の “思想” がある。
 
 その思想が、「死の匂い」をたぐり寄せるといっていい。
 多くのリスナーが「シュール」という言葉で彼の歌を理解しようとするとき、その正体は、実は「死」の予感にほかならない。 
 
 たとえば、代表的なヒット曲でもある『ジェラシー』。

 

▼ 『ジェラシー』(2013年)

https://youtu.be/idxsaGwblr8


 この歌には、
 「♪  はまゆりが咲いているところをみると、どうやら、僕らは海に来ているらしい」
 という歌詞(2番)が出てくる。
 

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 普通ならば、海に来ているかどうかは、目を凝らして、周りの風景を眺めれば一目瞭然なはずである。

 

 なのに、この歌に出てくる「僕と君」は、「はまゆり」という植物を手掛かりにしないと自分たちがいる場所が「海」なのかどうなのかも把握できないようになっている。

 

 つまり、この歌も、2人が、意識がもうろうとした状態で「入水」しようとしている状況を歌っているといえなくもないのだ。

 

 「♪  ハンドバックの留め金が外れて化粧が散らばる。波がそれを海の底に引き込む」
 という歌詞も、2人が海に沈んでいく様子をそれとなく暗示しているともとれる。

 

 このような歌に触れると、みな「シュールだ」と口をそろえて語るが、そもそも、「シュール」というのは、合理的に説明のつかない感覚を表現するときの言葉だ。

 

 人間の精神活動で、最後まで合理的に説明できないものとして残るのが「死」である。

 人間は、「死」を語ることも考察することもできるけれど、経験することだけはできない。
 「死」がどんなものであるかを解明することは、AI にもできない。
  
 陽水の歌の「謎」は、すべてそこから降りてくる。