アートと文藝のCafe

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ネズミの社交性

 
 一人っ子なのである。
 だから、基本的に一人遊びが得意。

 居酒屋の片隅で、一人で黙々と酒など飲んでいるのが、全然苦痛じゃない。

 

 数学者の森毅さんが面白いことを言っていた。
 「一人っ子は協調性があまりないけれど、その足りない分を、社交性で補う」


 当たり!
  と思った。

 

 協調性と社交性は、似たような感じがするけれど、中身はまったく別もの。

 

 人の群のなかに混じって、苦労して、協力し合って、ひとつの成果を出していくのが「協調性」 。


 それに対して、「社交性」ってのは

   やぁやぁ元気、いやぁしばらく! 
   お、楽しそうだねぇ、素晴らしいですね。
   それ、私にも頂戴ね。じゃ またね。

 

  と、他人のふところに飛び込んで調子よくなついた後、てきとうな頃合いを見計らって、さぁっと立ち去るのが社交性。

 

 ま、自分にはそういう傾向がある。

 

 社交性というのは、弱者の武器だ。
 力もなくて、気が弱い人間が、自分の身を守ろうとするときに発達する。

 

 もともとは、恐竜の時代に、森の中でひっそりと暮らし始めたほ乳類の智恵だ。
 たとえば、ネズミなんてのがその代表。
 あいつらが生き延びられたのは、仲間同士の “社交性” があったからだ。

 

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 ジュラ紀とか白亜紀といった恐竜全盛時代に生まれたネズミのようなほ乳類は、昼間は、草原にエサを探しに行くことができない。
 行けば、小型恐竜なんかにパクっと食われて、自分がエサになってしまう。

 

 しかし、自分の巣穴にじっとしていれば安全、というわけにもいかない。
 今度は、ネズミの気配を嗅ぎつけたヘビがそぉっと忍び寄ってきて、いきなり鎌首もたげ、パクリと丸呑みしてしまう。

 

 だからネズミたちは、周囲の情報を取り込むために、聴覚・嗅覚といった情報収集器官をフルに働かせて、仲間同士のコミュニケーションを密にし、恐竜やヘビの脅威から身を守ろうとした。

 

 それが、ネズミから進化したわれわれ人類の「社交性」の母胎となった。

  って、ホントかね。
 いま思いついたヨタ話だけどさ。

 

 だけど、社交性ってのは、周囲の動きに敏感になることから生まれるのは確かだ。
 「人の顔色をうかがう」とか、
 「ゴマを擦る」とか。
 そういう姑息な気づかいが身に付くことで、社交性が育つ。

 

 つまり、今の自分が置かれている状況では、何が危機で、何が面白いのか。そういうことに敏感な精神が「社交性」の母胎となるのだ。

 

 自分にもそういう傾向があって、一人で黙々と居酒屋で酒を飲んでいても、耳だけダンボで、周りの情報収集だけは抜け目ない。

  

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 この前、こんなことがあった。

 「あんたもういい加減にこれ以上飲むのをやめなよ。体を壊してまで飲むんだったら意味ないんだから」
  って言っているのは、カウンターの隣りに腰掛けている水商売風のおバアさん。

 

 「てぇやんでぇ。俺は飲みてぇんだよ、今晩は。 帰りたければ、てめぇが一人で帰ればいいだろ」
  って息巻いているのは、定年退職して、毎日やることがなくて鬱屈していそうなオジイさん。

 

 一見、夫婦の会話のようにみえるけれど、
 「あんたんとこの奥さんに、またワタシ怒鳴られるのもう嫌だよ。ねぇ、もう帰ろうよ。夜も更けてきたんだからさ。医者に止められたんだろ? 酒
 … ってなことをオバアさんがいうからには、なんだかワケ有りのカップルのようにも思える。
 夫婦ではないが、夫婦以上の親密度を保った仲のようだ。
 
 そういう関係に甘えたジジイがさらに吠える。
 「関係ねぇだろ。俺が生きようが死のうが、俺が決めることだ」

 

 夫婦気分になっているバアサンが答える。
 「バカだねぇ、死んじまったら、残されたワタシはどうなるのよ」

 

 こういう会話って、ちょっとした場末の「人生劇場」じゃない?

 さぁ、続きはどうなる?

 

 …… と、舞台で繰り広げられる役者の演技を楽しんでいたら、いきなりこっちにも役が振られた。
 「ねぇ、そこの人」

 

 オジイさんが振り向いて、俺に向かって話しかけてくるのだ。
 「飲みたいときに、好きなだけ飲むってのが楽しくねぇかい? そこの人」

 応援部隊の出動よろしくね、っていう心境なんだろな。

 

 こっちは森の中でコソコソ生きているほ乳類だから、こういうときの対応にも抜かりはない。

 

 「でも、心配してくださる人がそばにいることが、人間には大事なことですから。奥様のお言葉にも耳を傾けてあげないと
  ってな、三流週刊誌の人生相談の答みたいな言葉が、シレっと口をついて出てくるのが、オレなんだな。

 

 ここで「奥様」って言葉を使うのがミソ。
 オバアさんが本当の “奥様” であろうとなかろうと、そんなことは関係ない。
 そのオバアさんが、そのとき “奥様” の役目を務めようとしている気持ちを汲んであげることが肝心だ。

 

 案の定、オレがそう答えたら、「そうよ、そうですよねぇ」と、オバアさん上機嫌。
 で、オジイさんの方も、オバアさんが笑顔になれば、それはそれで、まんざらでもないんだな。

 

 これでそのカップルも円満。

 でも、そういう社交性を発揮する自分って、ホントに太古の森でイジイジ暮らしていたネズミみたいなもんだと、自分では思っているんだけどね。