アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

創作 『ボートに吹く風』

 枯葉が敷きつめられた池の上で、ボートを漕ぐ。
 
 茶色と黄色の色に染まった池。
 樹木の葉が落ち始める頃になると、岸に近いところは、その枯葉に埋め尽くされて水が見えない。
 オールが跳ね上がった瞬間だけ、下に埋もれた水が顔を出す。

 

 「こんな公園が学校のそばにあるなんて、素敵ですね」

 

 セーラー服を紺色のコートで包んだ少女が、船尾側に座って、僕にそう話しかける。

 

 「この辺りは、うちの学校の庭みたいなもんです」
 水面に視線を注ぐ少女の横顔を見ながら、僕はそう答える。

 

 「うらやましい」

 

 少女が僕の方を振り向く。
 スカートのプリーツが乱れるのを気にしながら、少女は脚を横につつましく組んだまま、しっかりとカバンを抱きしめている。
 ふくよかな頬の間に小さく埋もれた唇が、可愛らしい形で笑っている。

 

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 デートになるなんて、夢にも思わなかった。
 
 「昼休みの30分間だけ、お話をうかがわせてほしいんです」
 
 そういって、わざわざバスを乗り継ぎ、隣町の女子高から僕らの新聞部を訪ねてきた少女。

 

 「高校生の発行する新聞で、いちばん大切な問題とは何か」
 それをテーマに、各高校の新聞部を回り、編集部員のインタビュー記事を書くのだという。

 

 申し込みの手紙を受け取ったのが、もう10日ほど前。
 久しぶりに顔を出した新聞部の部室に、その手紙は埃(ほこり)にまみれたまま、机の上に放り出されていた。
 
 封も切られておらず、誰も読んだ形跡がない。
 もっとも読むような部員もいない。

 

 新聞の構成を考え、割付けをして、印刷所に持っていく仕事は僕一人でやっている。

 記事だけは、先輩たちが書く。
 その原稿を机の上に放り出し、先輩たちは、読書会だのデモだのといって、どこかに行ってしまう。
 彼らにとっての大学進学は、全共闘運動に関わることと結びついている。

 

 「70年安保闘争」という言葉が生まれた1960年代末。
 ベトナム戦争が激化し、アメリカでも、日本でも反戦運動が起こり始めていた。
 反戦闘争の拠点が全国の大学に生まれるようになり、それが高校生にも広がる気配を見せていた。

 

 僕の高校の新聞部というのは、その尖兵だった。
 だから、先輩たちの書く新聞の原稿には、
 「反戦派高校生の条件」
 とか、
 「革命思想と実践の現代的メカニズム」
 とか、
 「授業をボイコットして、街に出よ!」
 などという、勇ましい見出しが踊っている。

   
 一方、手紙に同封されていた女子高校の新聞には、
 「花壇の花を愛する気持ちを全校生徒に」
 などという見出しが散りばめられている。

 

 話が合うのか、合わないのか。
 
 もっとも、インタビューを受けるのは先輩たちで、自分ではない。
 彼らは、きっと、“産学協同路線に組み込まれた現在の教育体制の中で、高校生は反戦闘争にどう関われるのか”
  などという理屈を滔々(とうとう)述べるのだろう。  
  
 そう思っていたが、彼女を迎える当日になって、部室にやってきたのは、結局僕一人だった。

 

 

 「これが僕たちの作っている新聞です」
 
 埃の積もった部室の椅子に彼女を座らせて、僕は自分たちの作っている新聞を見せた。

 
 一面の写真には、デモに参加したという先輩が撮った、ヘルメット姿の高校生が投石している写真が載っている。

 

 それを眺めた少女の顔が曇った。
 何を言おうか、迷っているようだ。

 

 「毎号、こういうテーマなんですか?」

 不安そうな目を上げて、こちらを見上げる。 

  

 「こういうテーマとは?」

 少女の瞳に、キリッとした光が宿る。

 

 「こういう暴力を肯定するようなテーマが編集方針なのですか?」

 いきなり予想外の質問をされて、僕はとまどう。
 
 先輩たちなら、なんと答えるのだろう。
 頭のなかをくるくる回転させて、あせりながら答を探す。

 

 「暴力に対しては、暴力で向かうしかないんじゃないですか? あらゆる領域で、国家的な暴力が強まっている時代に、高校生としても安穏(あんのん)とした生活はできなくなっているでしょ。
 僕たちは、戦争に組み込まれていく日本の現状に抗議して、立ち上がらなければならないじゃないですか」

 

 先輩たちが言っていることを、なんとか継ぎはぎしながら、僕は必死に答える。

 

 「国家的な暴力って?」


 「だから、 …… その、一見平和な生活の裏側で進行している帝国主義的な圧力が、目に見えない暴力として ……

 

 「帝国主義って、どういうことですか?」


 「つまり …… ですね。資本主義的な搾取が、ベトナムのような第三世界の平和な人民を抑圧しているという現状があるわけですよ。だから、黙っていては、それに加担してしまうわけで

 

 少女がメモを取り出して、僕の言葉を鉛筆でなぞる。

 

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 その様子を見て、
 「いや、あくまでも、ひとつの見方ですよ、ひとつの ……
 と僕はうろたえる。

 

 「分かっています。だから、そういうことを問題にすることもなく、ただ漫然と授業を進める学校側の教育態度も欺瞞的だというわけですね」


 「あ、そう! そういうこと」

 

 「しかし、高校生が知り得る “世界” は、まだ自分が一人で考えられるほど十分なものとは思えません」
 
 そう言って、彼女はパタンとメモ帳を閉じる。

 

 「抗議行動やデモも必要なことかもしれません。しかし、まず授業で行われる先生の講義を聞いて、それをしっかり身につけ、それから行動を起こしても十分間に合うのではないですか」 

 

 「いや、僕らにはそんな時間は残されていないですよ」

 

 「いえ、私はもっと先にすべきことがたくさんあるように思います。
 もっと、自分の学校を愛する気持ちとか、困っている友だちを励ます気持ちとか、そういう優しさを心のなかに養うことが、高校生の本分ではないでしょうか」

 

 「いや、 …… それは ……
 と、いいかけて、僕の言葉はそこで行き詰まる。

 

 頑固そうな女だ。
 そう思う気持ちと、自分の言葉で信念を語る彼女の強さに感心する気持ちと、そして、真剣なまなざしで僕を見つめる彼女の美しさに、僕はすっかりまいってしまった。 
 
 なんとか劣勢を取り戻さなければ ……
 ふと浮かんだ言葉は、自分でも思いもつかなかったものだった。

 

 「近くに公園があるんですけど、そこまで歩いて行って、話の続きをしませんか?」
 
 

 

 公園の池に浮かんだボートに、午後の木漏れ日が降り注ぐ。
 水鳥が池に刺された杭の上に乗って、体を休ませている。

 

 少女はもう質問をぶつけて来ない。
 意見も言わない。
 ただ、ボートの揺れに身を任せ、水の上に影を落とす樹木の陰を眺めている。
 木々の葉を吹き払う風が、その彼女の髪を乱す。

 

 「寒くないですか?」
 と尋ねる僕に、彼女は微笑んで、首を横に振る。

 

 夕暮れの匂いが迫る午後の公園。
 ウィークデーのせいか、池に浮かんでいるボートの数も少ない。
 休日なら子供たちが群がるボート乗り場の売店にたたずむ人影もまばらだ。

 

 「いつも、あんなふうに、午後の授業をサボってしまうんですか?」

 

 また意見をいうつもりか。 
 そう思って覗き込む少女の顔に、とがめるような表情は浮かんでいない。
  
 
 「私、本当は迷っているんです」
 と少女は笑う。

 

 「私の女子高は平和すぎて、誰も何も考えないの。私はそれが、いやでいやで。もっと高校生でも考えなければならない問題がいっぱいあるのに と思うんです。
 それで、ほかの高校の人たちは何を考えているんだろう って、そう思って、この企画を進めたんですけど、だからといって、学生運動をやっているような人たちが正しいとも思えないし」
 
 「僕も、何かを考えなければいけないと思っているんだけど
 そう言いながら、次の言葉を探す。

 

 何も浮かんでこない。
 
 先輩たちの議論を聞いて、口だけではいっぱしのことが言えるようになったけれど、自分の言葉は何もない。

 

 テレビのドラマは何を見ているの?
 どんな音楽が好き?
 食べ物だったら、何が好き?

 

 そういう会話に移っていいものなのか、どうなのか。
 語るべき言葉を探しながら、僕は黙ってオールを漕ぐ。

 

 「私、もっといろんなことが知りたいんです」
 
 少女は、そう言って僕を見つめる。
 「同じ年の男子は何を考えているのか、今の日本は本当にひどい方向に進んでいるのか、平和のための戦いといって、なんでモノを壊したり、石を投げている人たちがいるのか。
 誰もまともに答えてくれないんですよ」
 
 「どう思いますか?」
 口には出さずとも、その目が、僕にそう問いかけている。

 
 
 ねぇ、そんなことより、僕とつき合わない?
 今週の日曜日、ヒマ?
 映画なんか観に行くの、どう?

 

 そう言ってしまえば楽なのに。
 でも、それを自然に切り出せるタイミングが見つからない。

 

 もっと風が吹かないかな と僕は密かに願う。
 そして、彼女が寒いと言い出さないかな。
 そうしたら、 「温かいコーヒーでも飲む?」といえるのに。
 コーヒーでも飲んだら、もしかしたら、話題が別の方向に進むかもしれないのに。
  
 
 ボートは、池の真ん中ぐらいに浮かんでいる。
 もう少し進めば、景色が変わる。
 左右の岸が池の中央にせり出してくる地点があり、その奥の視界が遮られる場所があるのだ。

 

 だから、その手前でボートを止めると、池のかなたに、さらに大きな湖でも広がっているように見える。
 
 「ここからの眺めが好きなんです」
 
 僕は、左右の岸がせり出してくる池の真ん中にボートを止め、その奥に広がる “もうひとつの世界” を指し示した。

 

 「ここから、この池を見ていると、この先がどこまでも広がっていて、最後は海にでもたどりつくんじゃないか、と思えるときがあるんです。
 奥まで見通せないから、かえってそんな想像が生まれるんでしょうね。
 実際に、この先まで漕いでいってしまうと、あっという間に行き止まりが見えてきて、がっかりしちゃうんですけどね」

 

 僕の指さした方向に、少女も視線を向ける。

 

 「ほんとですね。アマゾン川でも下っていくみたい」
 「奥まで行ってみる?」
 「いいえ、このままでいいわ」

 

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 僕は、彼女の脳裏に浮かんだというアマゾン川の情景を想像する。
 
 それはどんな水の色をしているんだろう。
 岸辺には、どんな植物が植わっているんだろう。
 もし、そこを二人で漕いでいったとき、僕たちはどんな夢をみるんだろう。
 
 池の奥をじっと見つめる彼女の横顔からは、何も伝わってこない。
 風が出て、彼女の黒髪がまた乱れて、白い頬にかかる。
   
  
▼ Gordon Lightfoot 「If You Could Read My Mind (心に秘めた想い) 」

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内面を持たない役者ピエール瀧

 マスコミでは、ピエール瀧がコカインを使用して逮捕されたという報道でにぎわっている。

 逮捕されたため、彼が出演している作品が “お蔵入り” になったり、撮り貯めしていた作品を修正しなければならなかったりと、いろいろ大変な問題が出てきているようだ。

 そのことによる被害総額は何十億円にものぼるという試算も出ていた。

 

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ピエール瀧が出演した作品には罪はない

 

 しかし、朝日新聞の社説でも取り上げられていたが、ピエール瀧の犯した犯罪には厳罰を科さなければならないことは明白だが、出演していた作品まで断罪するというのは行き過ぎではなかろうか、という見方もある。

 

 そういう見方にもうなづける。
 映画やドラマなどに携わっていた人々にとっては、自分たちのそれまでの努力が、ピエール瀧の不始末によって葬り去られるというのは無念であろう。

 

 そういう人たちは、ピエール瀧のことを恨むだろうから、そこにはドロドロした負の連鎖しか生まれない。
 そうなると、世の中は殺伐としてくるだろう。


なぜ彼はコカインなどに手を出したのか?
 
 それにしても である。
 バンド活動を順調にこなし、役者や声優として世間の賞賛も浴び、今後さらに明るい未来が待っていそうなピエール瀧が、なぜコカインなどに手を出したのか?
 それが謎である。

 

 海外で音楽活動をしたときに、向こうのミュージシャン仲間に誘われ、警戒心もなく手を出してしまったことがきっかけになったのでは? という人もいる。

 

 コカインというのは、覚醒剤などと比べると持続時間は短く、切れても禁断症状が出にくいため、使用しても発覚しづらいという計算があったのではないかという人もいる。

 

 そういうことがどれだけ正確な情報なのか、私にはよく分からないが、少なくても、ピエール瀧が薬物を使って “現実逃避” をしたがっていたということだけは確かだ。

 

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 彼は、何から逃げたかったのか?

 “からっぽの自分” から逃げたかったのだ。
 おそらく、彼は、自分の「心の中」には何もないことが分かっていた。

 

 コカイン吸引事件の後、ピエール瀧がいろいろなメディアから取材を受けていた過去のシーンが連続して放映された。
 若い頃から現在まで、彼のイベントの場での挨拶やインタビュー時のトークなどが次々と繰り返された。

 
内面のないタレント

 

 それを漫然と見ていたときに、ひとつ判ったことがある。
 「この人は、自分というものを持っていない人なんだ !」

 

 しゃべっているときの表情、トークの内容。
 自己韜晦(じことうかい)が多すぎるのだ。
 記者たちの質問が自分の核心に触れそうになると、必ずヘラヘラと笑って、人を煙に巻く。

 

 自信がないことを人に悟られないように、余裕たっぷりの笑顔で自分の経歴を語るのだけれど、発言を支える「確固たる自己」がないことへの不安感が、ぎこちない照れ笑いの形をとっている。

 

 その自信のなさは、「ピエール瀧」という芸名に落ち着くまでに、なんと4度も名前を変えていることからも分かる。
 「畳三郎」
 「ピエール畳」
 「ジョルジュ・F・ピエール三世」
 「ポンチョ瀧」
 ……Wikipedia より)

 

 仕事を確立させるために、必死になって改名したという感じではない。
 生き方への迷いを吹っ切れない弱さが、芸名を決めかねているのだ。

 

 「やりたいことがない」ままバンド活動を始め、さほどの決意もないまま役者になり、いつのまにか人気ドラマやNHKの大河で重要な役をこなすようになったが、その中心となるべきところには、いつも “自分” がいなかった。

 

 それをプロデューサーも、監督も、共演者も、マネージャーも、事務所も、そして観客も視聴者も、誰一人見抜けなかった。


誰もがあの「顔」の存在感に騙された

 

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 すべては、あの「顔」のせいである。
 悪役でも、嫌われ役でも、ひとたびピエール瀧が登場すると、セリフをしゃべらないうちから、観客は「こいつが悪役だ」と納得してしまう。

 

 あれほど、存在感の強い「顔」を持つ役者はほかにいない。
 究極の悪役顔だからこそ、逆に、真面目一徹の職人役などがピタリとハマる。

 

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 セリフ以上にモノを語る「顔」。
 その「顔」の奥には “確固たる自己がない” ということを、当のピエール瀧がいちばん分かっていた。

 

 コカインによるいっときの高揚感だけが、からっぽの心に、「ピエール瀧」という幻想の人格を呼び寄せたのだろう。
 
 彼は「マルチタレント」といわれた。
 ミュージシャンも役者も声優も、何でもこなした。
 
 しかし、「何でもこなした」ということは、言葉を変えていえば、何一つ本物ではなかったということである。
 コカインだけが、その空しさから目を逸らす逃避行を助けたのかもしれない。

  

  

ローリング・ストーンズとビートルズの違い

The Rolling Stones

The Rolling Stonesとは編集

 
 

音楽批評
モノクロのローリング・ストーンズ

  
 ザ・ローリング・ストーンズは、モノクロームのバンドである。
 昔、WOWOWライブで放映された『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』というドキュメンタリーフィルムを観たときに、そう思った。

 

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 このドキュメンタリーは、ローリング・ストーンズの1965年のアイリッシュ・ツアーを追った記録フィルムである。

 

モノクロでしか表現できない彼らの “若さ”

 

 個々のメンバーに対するインタビュー、練習風景、ステージ映像を断片的につなぎ合せたラフな体裁ながら、そこにデビュー当時のストーンズが漂わす生々しい息づかいが溢れ出ていて、彼らの若さが匂い立つようだった。
 
 だが、その若さは、圧倒的なモノクロームの影に包まれて、陽光の明るさを拒絶しているようにも見えた。
 
 ローリング・ストーンズにモノクロの匂いを感じたのは、そのドキュメンタリーがモノクロフィルムで撮られていたということもあったが、彼らの初期のレコードジャケットに、けっこうモノクロ写真が使われていたからかもしれない。
 (同じ時期、ビートルズのアルバムジャケットはほとんどがカラーである)

 

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モノクロはイギリスの色である
 
 モノクローム
 それは、イギリスの色である。
 晴れる日が少なく、どんよりした曇天の下で、街も人も白黒の濃淡の中に溶け入っていく国の色だ。

 

 『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』という映画には、彼らのツアー中の移動風景が出てくる。
 客席のテーブルに向かい合い、とりとめもない無駄口を叩きながら時間をつぶす彼らの向こう側に、アイルランドのさびしい田園風景が流れていく。

 

 たぶんカラーフィルムなら、緑色に輝く絨毯(じゅうたん)のような草原が広がっていることだろう。
 そして、その草原の彼方に見え隠れする低い丘陵は、薄い青色に染まっているはずだ。

 

 しかし、モノクロフィルムに焼き付けられた草原と丘陵は、起伏も定かではない枯れた濃淡のグレー一色に沈んでいた。
 それは、この地にアングロ・サクソン人が住み着く前の、文明の届かぬ絶海の孤島の風景に見えた。


ビートルズストーンズの違い

 

 その情景がなんとも、ストーンズメンバーの少し物憂い表情に似合っていた。
 彼らの列車の中の振る舞いは、騒がしく、ときに陽気で、同乗する庶民の笑いを誘ってはいたが、どこかはかなげであった。

 

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 同じようなシーンが、ビートルズの映画『ア・ハードデイズ・ナイト』にも出てくる。
 ビートルズもまた、列車のなかで “お茶目” を繰り広げる。
 同じモノクロフィルムなのに、どこか違う。

 

 ビートルズの場合は、メンバーの身体から溢れるエネルギーがモノクロ映像を “カラー” に変えてしまう。
 はちゃめちゃで、人を食っていて、そのパワーで周囲を撹乱させることで自分たちも楽しんでしまう楽天性。
 そういう天性の明るさをビートルズは持っている(もしくは演じることができる)。


the Beatles

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ストーンズのメランコリー

 

 しかし、ストーンズのメンバーは、カメラを意識した笑顔をこちらに向けても、どこかメランコリックである。
 不器用な青年たちだ、という気がする。

 

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 当時ストーンズは、ビートルズよりも不良性が強く、暴力的で、セクシーで、ワイルドなグループだと見られていた。


 特に、常にドラッグにまみれた生活を繰り返したキース・リチャーズの行状が “伝説” となり、それもまた「ワルのバンド」というイメージを強めた。

 

 しかし、彼らの本質は、むしろ内省的で、静かで、大人しい人たちであったように思う。 
 
 昔のステージの様子が、よくYOU TUBEにアップされている。


▼ 彼らの初期のレパートリーのひとつ 「Off The Hook」

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 腰をセクシーに回しながら、ぶ厚い唇からツバを吐き出すようにミックが歌い、その脇で不敵な笑みを浮かべたブライアン・ジョーンズがギターを鳴らす。


 キースはキースで、醒めた目つきで観客を眺め、半開きになった唇にときおり幼さの残る笑いを漂わす。


 そして、ビル・ワイマンは、能面のような表情を保ちながら、カメラが近づいたときだけ笑う。


ラフ&ワイルドな音の正体

 

 彼らの笑いには戸惑いがある。
 聴衆を煽るだけ煽っておきながら、その反応の激しさに困惑しているような戸惑いが見え隠れする。
 彼らの攻撃的なサウンズは、むしろその戸惑いを隠すように生まれてきた音だろう。
 
 ラフ&ワイルド。


 初期ストーンズの音を、一言で表現すればそのような言葉になるが、それは単に彼らの演奏が不器用であったということかもしれず、彼らの音楽性が、天賦の才に恵まれたビートルズに遠く届かなかったということだけかもしれない。

 

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 だが、まぎれもなく、イギリスという風土が持つ「モノクロームの哀感」を表現し得たのはストーンズの方であり、それがゆえに、彼らの「ラフ&ワイルド」には切々たるさびしが漂うことになった。

 

 だから、アメリカ黒人のブルースやR&Bを取り上げても、そこに “野太さ” の代りに “神経質さ” がにじみ出る。

 

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黒人音楽からは最も遠い “音”

 

 ストーンズの音楽ルーツを語るとき、必ず「ブルース」と「R&B」という言葉が出てくる。どの解説書も一様に、彼らのサウンドのルーツをアメリカ黒人音楽に求める。

 

 しかし、私が聞く限り、彼らはブルースやR&Bからもっとも遠いところの「音」を出していた。


 オーティス・レディングの歌う『I’ve Been Loving You Too Long (愛しすぎて)』 と、ストーンズのカバーする『I’ve Been Loving You Too Long』は、同じ歌詞で同じメロディーながら、水と油のような異質なもの際立たせる。

 

 オーティスは、魂が張り裂けんばかりの気迫を込めて、この切々たる歌を天に向かって “朗々” と歌い上げるが、ミック・ジャガーは鬱々たる悲哀を内面世界に沈ませる。


Otis ReddingI’ve Been Loving You Too Long」

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ストーンズはイギリスのローカルバンドだ
 
 オーティスの歌には、民族のルーツであるアフリカを出てアメリカにまで至るまでの「大陸」がある。

 しかし、ミックにあるのは「島」だ。
 彼の歌声には、ドーバー海峡を吹き狂う風の音が舞っている。


 彼らのサウンズには、地味豊かなヨーロッパ大陸を海峡越しに遠望していた民族がずっと聴き続けてきた「荒れた波」の音がする。

 

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 ビートルズはイギリスで生まれ、世界で開花した “グローバルバンド” であったが、ストーンズは、世界中にファンを獲得したにせよ、基本的にはイギリスのローカルバンドである。

 

 しかし、それは彼らの名誉を汚すことにはならない。
 彼らの奏でる音楽には、まぎれもなく「白」と「黒」と「グレー」に染められたイギリスの風土がにじみ出ている。

 

 それは、王族同士の陰惨な粛清劇を経たのちに、統一国家をつくり、産業革命時に、労働者たちを悲惨な状態に追い込んでから、世界制覇を勝ちとった「光と影(モノクローム)」の国の “音” なのだ。
  

▼ 現在(2016年当時)のザ・ローリング・ストーンズ

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「胡散臭い」って何て読む?

 言葉を誤って覚えている、ということがよくある。
 人の話す言葉や、テレビなどから流れてくる言葉を、よく聞きもせずに、先入観で覚えてしまうからだ。
 自分の場合は、特にそういうのが多い。

 

 5~6年ほど前だったか。
 「デング熱」という病気が流行ったことがあった。

 

 蚊が媒介となって、高熱を発するウィルスをもらってしまう病気だが、てっきり「テング熱」だとばかり思い込んでいた。


 「蚊に刺されて、鼻が天狗(てんぐ)みたいに腫れてしまう病気なんだろう」
 と思い込んでいたが、カミさんから、「あれはデング熱というんですよ。恥ずかしいことを人前で言わないように」と諭された。

 
 中央自動車道の長野県あたりに、「中央道原」というパーキングエリアがある。
 そこを通過するたびに、「ちゅうおう・どうげん」だと思い込んでいた。
 このまえ、そのPAに入ってはじめて気が付いた。

 

 「ちゅうおうどう・はら」と読むのである。
 でも、「ちゅうおう・どうげん」といった方がカッコいい。
 「たけだ・しんげん」とか「さいとう・どうさん」みたいに、戦国武将の名前のように響くではないか。

 

 本当のことを知って、ちょっとガッカリしたが、考えてみたら、「どうげん」と読ませる方に無理がある。
 ま、自分の注意不足でしかない。

 

 昔、「生姜焼き」という言葉を「なましょうが焼き」と覚えていた時期があった。
 だから、食堂などに入ったときには、
 「豚のなましょうが焼き定食をください」
 などとよく言っていたものだ。

 

 それを聞いたウェイトレスが、「普通のしょうがやき、でいいんですね?」とか、「焼いていいんですよね?」などと念を押すので、“バッカじゃねぇの?” と怒っていたが、これも「生姜」という漢字自体が「しょうが」と発音することを後から知った。
 「生しょうが焼き」じゃ、ウェイトレスも困っていただろうな。

 

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 「胡散臭い」という言葉がある。
 発音すると、「うさんくさい」になる。
 しかし、胡散(うさん)の「胡」の字が、胡麻(ごま)の「胡」の字だったので、早とちりして、人にはよく「ごまくさい」としゃべっていた。

 

 ごまくさい。
 本人は、「まじりっけのある不純物」というような意味で使っていたのだが、聞いた人たちは、みなポカンとしていた。
 何やら、新しい言葉のように思えたのだろう。

 

 ある日、後輩を相手に、この「ごまくさい」を連発したことがあった。
 その後輩は、私のことを本をよく読む人間だ思い込んでいたから、知らない言葉を教えられたように神妙に聞いていた。
 だから、そいつの顔を見ながら、ますます調子に乗って「ごまくさい」を連発した。

 
 「うさんくさい」という正しい読み方を知ってから、そいつの顔を思い出すたびに、恥ずかしい記憶がよみがえる。

 まさに、「きゃっと叫んでろくろ首」。


 しかし、ひょっとしたら、そいつは新しい言葉でも覚えたつもりで、その後、人に対して「ごまくさい」という言葉を使ったかもしれない。

 

 私のような人間が、ものを書くというのは怖いことだ。
 物書きとしては失格だ。


 もしかしたら、このブログでも、“勘違い言葉” を気づかずに使っているのではなかろうか。
 見抜いた方は、遠慮せずに指摘してください。

 

参考記事 (↓)

campingcarboy.hatenablog.com

 

 

 

 

AI 搭載型ロボットと人間は恋ができるか?

 
 映画批評
エクス・マキナ

  
 「ロボット」が出てくるSF映画とかアニメに興味があって、その手の話題作があると、よく観る。


 映画によっては、「アンドロイド」とか「レプリカント」、あるいは「サイボーグ」などと言葉を与えられることもあるが、要は “人間そっくりさん” が出てくる作品だ。

 

 なぜ、そういった映画に関心が向くのか。
 それは、現代社会の大きなテーマになりつつある「人間とAI の違いは何なのか?」という問題を考えるときに、ヴィジュアル的なリアリティを与えてくれるからだ。

 

 つい最近観た映画に、アレックス・ガーランド監督の『エクス・マキナ』(2016年)、ルパート・サンダース監督の『ゴースト・イン・ザ・シェル(実写版)』(2017年)、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『ブレードランナー 2049』(2017年)がある。

 

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 この3者のなかで、比較的印象に残ったのは、『エクス・マキナ』(写真上)だった。
 このタイトルは、ラテン語の「機械によって」という言葉を意味するらしい。
 文字通り、他の二つの映画に比べて、ここに登場する女性型AI 搭載ロボットは “生々しく” 機械的だ。
 ボディの大半は半透明で、機械っぽい内部構造が透けている。

 

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 その反動で、彼女が頭にウィッグをかぶり、人間女性の着るドレスを身に着けて登場すると、妙に艶っぽくて、ときにエロティックに見える。
 だから、主人公であるIT 企業のプログラマーの青年と恋のかけひきが始まるという設定にそれなりのリアリティが生まれてくる。

 

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 はたして、「機械」と「人間」の間に恋愛は生じるのだろうか。
 これがけっきょくこの映画の根本的なテーマとなるのだが、その結末を言ってしまうと、「なぁ~んだぁ」ということになるので、あえてネタバレの展開は避けようと思う。


 ただし、「機械」と「人間」の恋が、ミステリアスなサスペンス劇になっていき、最後には劇的なエンディングが用意されているというところまでは明かしていいだろう。

 

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 そのサスペンス的な要素を盛り上げているのが、舞台となる山岳の別荘(写真上)だ。
 ここではIT 企業の社長がたった一人でAI 搭載ロボットを開発しているのだが、その社屋は、徹底的に人間の生活臭を払しょくしたドライな幾何学的空間になっている。

 

▼ 「AI 人間」を開発する社長(右)と「AI 人間」の完成度をテストするために山荘に呼ばれた主人公

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 いってしまえば、この山荘は、人間が人間としての精神を保っていられるぎりぎりの生活空間であり、そこから先は、「人間型機械」でしか生存できないような乾ききった人工世界なのだ。

 

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 「機械」と「人間」の恋が成立するのかどうか、というきわどいテーマは、こういう環境設定がないと成立しない。


 「人間」の方に、このような非人間的な抽象空間に耐えられる感性が用意されていないと、おそらく「人間」は、「機械」が告白する恋を信じることはできないだろう。

 

 つまり、この映画は、人間同等の脳活動を与えられたロボットが、人間固有のものと思われがちな「恋愛」感情を持ちうるか? というテーマを探るだけでなく、人間の方が、どれだけ人工物に心を寄せられるか? ということも描こうとしている。

 

 そういった意味で、本作は、「AI」の進歩に対する一つの示唆的な未来図を描くことに成功したが、観ていて、ちょっと息苦しくなってきたことも告白しよう。

 

 それは、この映画にリアリティを与えている幾何学的抽象空間に、私自身が耐えられなくなってきたからだ。
 登場人物は、AI 美女を入れてたった3人。(あと1人メイド型の人工女性がいるけれど、ほとんどストーリーに絡まない)


 少数の人間たちが繰り広げる密室劇は、だんだん観客を酸素不足の状態に追い込んでいく。

 

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 山荘のロケ地として選ばれたノルウェーフィヨルドの風景も寒々としている。
 主人公と社長がときどき散歩に出かける別荘の外には、太古の人類が耐え抜いてきた氷河期の風景がそびえている。

 

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 遠い将来、地球にもう一度氷河期が来るのだろうか? (そういう説もある)

 
 もし、そういう時代が来たら、そのときの人間にはもう氷河期を生きのびる耐性がなくなっており、生き抜いていけるのは、AI を搭載したロボット人類だけなのだろうか。
 ふと、そういうことまで想像させるようなロケ地が選ばれている。
 

  

↓ 参考記事

campingcarboy.hatenablog.com

 

ワイエス 『クリスティーナの世界』

絵画批評
草原の孤独

 

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 彼女は何をしているのだろう。
 茫漠と広がる草原に倒れたまま、上半身を起こし、丘の稜線に建つ家を眺めている女性がいる。
 
 草原にたたずむ家は、彼女の家なのか。
 それとも、見知らぬ人の家なのか。
 画面に描かれた情景は、何のインフォメーションも伝えてくれない。
 
 絵の題名は『クリスティーナの世界』。
 
 「世界」というからには、この画面に描かれた大地と、空と、彼方にたたずむ家だけが、たぶん、彼女が日常的に眺め、匂いを嗅ぎ、手に触れることのできる “すべて” なのだろう。
 
 彼女は何者なのか。
 そして、何をしているところなのか。
 
 どことなく不安定な彼女の姿態を見ていると、何かの事件性も感じとれる。
 映画かドラマを途中から見てしまったような、全貌の分からぬところから生まれる不安感が、かすかに漂ってくる。

 

ワイエスという画家がテーマにしたもの


 画家の名は、アンドリュー・ワイエス
 1917年、アメリカ・ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれた人だという。
 
 この絵は、彼の代表作といえる作品で、描かれた女性の名はクリスティーナ。
 ワイエスの別荘の近くに住んでいた女性らしい。
 そのクリスティーナが、ポリオに冒された不自由な足を引き吊りながら家族の眠る墓地に祈りに行き、そして、家に戻る途中の状態を描いたのが、この絵である。
 
 自分の身に降りかかった障害を克服するために、クリスティーナは自分がまかなうべき生活をすべて自力でやってのけ、車椅子の助けすら借りようとしなかったという。
 
 ワイエスは、彼女の力強く生き抜く覚悟に感動し、その輝かしい生命力を賛美するために、この絵を描いた。

 

 そのように、巷間で伝えられる解釈に従って眺めれば、この絵は、けなげに生き抜く一人の女性に捧げられた生命賛歌であることが分かる。
 そして、絵の主題が分かれば、もうそこに淋しさや不安を感じ取る要素は何もない(はずだ)。

 

 見渡す限り青く美しい大地が連なり、その彼方には、平和な明るさを保った空が広がっている。

 
 ここまで這ってきたクリスティーナは、今ようやく自分の家が見える位置までたどり着き、トップをキープしてきたマラソンランナーが、ゴールの競技場を見るような安堵感を覚えているはずだ。
 

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この絵の “寂しさ” はどこから来るのか?

 

 なのに、この画面から漂う静謐(せいひつ)な寂しさは、いったい何なのか。
 力強く生きている女性を描いているはずなのに、ここに漂うはかなげな哀切感と虚無感は何に由来するのか。
 
 それは「距離」がもたらすマジックなのだ。
 
 彼女と自分の家の間には、永遠にたどり着けないのではなかろうか、と思えるほどの茫漠たる距離感が存在し、その距離感がこの絵にいい知れぬ寂しさを与えている。
 
 この「距離感」こそ、アメリカという国が持っている寂しさの原点であるように思う。
 
 アメリカの内陸部には、世界中のどこを探しても見当たらないような “がらんどう” が横たわっている。
 荒野を突き抜ける一本道。
 アクセルを思いっきり踏み込み、陽気な音楽が流れるラジオのボリュームを最大限に高めて走っていても、決して癒されることのない空漠感。

 

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 目的地など、次第にどうでもよくなっていくような、このロング・ディスタンス(無限の距離感)の感覚は、時に、旅する者の心をディープな虚無感に引きずり込む。
 
 ラジオから流れ出る能天気なカントリー&ウエスタンも、野獣の咆哮 (ほうこう) を思わせる大排気量エンジンの唸りも、すべて、このとろりと心身を脱力させるような虚無感の前には無力となる。

 

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アメリカという国の内部には「風」しかない
 
 「この世に生を受けている」という実感を与えてくれるものは、その空っぽの大地を吹き抜けていく風だけ。
 アメリカ大陸で一番リアルなものは、あの草原を這うクリスティーナの髪をなぶっている「風」だ。
 
 アンドリュー・ワイエスは、また「風」を描くのもうまい画家だった。
 ここにあるもう一枚の絵。
 『海からの風』
 
 窓から流れ込む風が、レースのカーテンをなびかせているだけの静かな絵。
 目に見えない「風」を、これほど視覚的に鮮明に捉えた絵というものも、他にはあるまい。
 

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 「海からの風」といいながら、その海は遠い。
 窓の外には、少し湿った緑の大地が森まで連なっている。
 森と大地を遮るものは、何もない。
 何もない空漠たる空間が、風がこの窓にたどり着くまでの「距離感」を伝えている。
 

ディスタンス(距離感)が生む詩情
 
 しかし、アメリカ大陸がはらむ「距離感」は、同時に、アメリカ人の詩情の根源ともなっている。
 放浪に放浪を重ねていく人々の心情を描いたホーボーソングやロードムービーという文化は、アメリカでしか生まれなかった。
 
 「チョッパー」という、直線路しか想定していない不思議なハンドルを持つモーターサイクルが存在するのも、「いかに遠くまで行くか」という、アメリカ人の飽くことのない「距離感」との格闘ないしは融合がもたらした結果だ。

 

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 アンドリュー・ワイエスも、アメリカの持つ独特の「距離感」に敏感な画家だった。

 
 家を描いても、その先の風景が存在しない。
 家の向こう側で口を開けているのは、空漠とした虚空。
 それは「無の世界」への入口であり、同時に豊饒な宇宙に通じる扉でもある。


▼ 『ワイエス家の家』

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 アメリカでは、画家はもとより無教養な市井の飲んだくれですら、茫漠と広がるアメリカの虚空を前にしたときは「詩人」になる。

 

 ワイエスが亡くなったのは、ちょうど10年前、2009年であったそうな。
 91歳の大往生だった。   

 

ダッチワイフが “心” を持ってしまったら?

 映画批評
是枝裕和『空気人形』
  
 2009年に公開された是枝裕和監督の『空気人形』。
 10年前の作品だが、DVDを借りて、やっと観ることができた。

 

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 「空気人形」、すなわちラブドール

 

 なにしろ、自分には変態的なところがあって、この「ラブドール(高規格型ダッチワイフ)」というものに、昔からちょっと関心があるのだ。 
 もちろん買ったことはない (高い ! そしてカミさんに誤解される)。
 カタログを取り寄せたこともない。

 

 でも、ときどきネットで、そういう商品を開発している会社のHPを無心に眺めたりすることがある。
 
 でも、エロスを求める ってのと、ちょっと違うんだなぁ。

 

 “物” と交信することへのアブナイ期待 ?? つぅか
 相手はただの無機質な「玩具」なんだけど、話しかけているうちに、自分の脳内に「交信回路」が生まれて、玩具との「会話」が始まるんじゃないかという妄想。
 そういう妄想の誘惑に勝てないことがあるのだ。

 

 だから『空気人形』という映画には、封切り時から興味があった。

 

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 で、観ていて、
 「あ、これは俺の思い描いていたとおりの映画だな」
 と思った。

 
 なにしろ、人形が「心」を獲得して、人間に語りかけてくるのだから。

 言ってしまえば、メルヘン。

 

 メルヘンというのは、
 「人形が意識を持つことの科学的な根拠が乏しい」


  なんていう突っこみを “無用とする” ジャンルだから、観客はノーテンキに画面の流れに身を任せていればいいのだけれど、創る方は大変だろうな。

 手を抜くと、「荒唐無稽じゃねぇか」とか突っ込まれるからね。

 突っ込まれないメルヘンに仕立てるには、やっぱり創り手に「美意識」が要求される。
 この映画は、そこでまず成功している。

 

 あらすじをひと言でいうと、中年独身男の性欲の “はけ口” として買われたダッチワイフ(空気人形)が、あるとき「意識」と「運動能力」を獲得し、持ち主が仕事に出ている昼間に勝手に家を飛び出し、いろいろな人に会うという話。

 

 そして、出会う人たちの「心」触れるうちに、体の中には空気しか入っていない人形にも人間が持つ「心」というものが、次第に形を取り始める。
 すでに幾多の苦渋を経験している人間たちの「心」は幾重にもガードがかけられ、屈折している。

 

 しかし、生まれたばっかりの人形の「心」は屈折を知らない。
 彼女には、人間たちの「心」の奥深いところに隠された悲嘆も、悔恨も、憎悪も見えない。

 

 彼女は、出会う人たちに、みな無垢な自分の姿を投影する。
 出会う光景にも、新鮮な驚きを感じる。
 太陽はどこまでも暖かく、優しい。
 道ばたの花は、限りなく美しく、愛らしい。

 

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▲ 空気人形のぎこちなさと愛らしさを見事に演じたぺ・ドゥナ

 

 そんな真っ白な人形の「心」に、あるときインクのシミが一滴だけこぼれ落ちる。
 ある青年に恋心を抱くことによって、彼女の「心」に、はじめて痛みが走ったのだ。
 
 彼女が好きになった青年には、かつて愛した人間の女性がいるらしい。

 「まだ、その人のことが好きなのだろうか ?」
 「自分はやっぱり代用品(ダッチワイフ)に過ぎないのだろうか ?」
 「あの人は、私の正体を知ったら逃げ出すだろうか ?」

 

 人形は、はじめて心にも「痛み」があることを知るようになる。

 

 ま、そこで、その人形が接する人たちのサブドラマが展開されるわけだけど、みんな何かしらの屈折した心情を抱えているんだよね。
 
 それは、「人生相談」以前の取るに足らない悩みだったり、煩悩だったりするんだけど、その人たちにしてみれば、その “取るに足らない悩み” が、けっこう「やるせない人生」としてのしかかっているわけ。

 

 純度100%のイノセンスに輝いていた人形の「心」にも、次第に人間というものが抱え込んでしまう「やるせない人生」がひたひたと足元を浸していく。

 
 そして、人形は、「心」を持つことは「孤独」を知ることだということを理解するようになる。

 「私は、 その『孤独』を理解してくれる伴侶を持つことが出来るのだろうか ……
 
 後半は、そういうドラマなんだね。
 で、伴侶であってほしい青年を、彼女はなくしてしまう。
 なんで、なくしたのか ということは、この映画のカギだから、ここでは書かない。

 

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▲ 空気が抜けてしまうと、ただのビニールの塊り 

 

 薄幸の人形は、最後に、自ら「燃えないゴミ」になることを選ぶ瞬間、まるで『マッチ売りの少女』のような夢を見る。


 自分に関わったすべての人たちが、「ハッピーバースデー」の歌を唄いながら、人形の最初の誕生日を祝ってくれるのだ。

 

 人形が「心を持った人間」であることを、みんなが認めてくれた最初で最後の晩。
 それは、あくまでも一瞬の幻想にすぎないが、彼女にとっては自分の周りにいた人たちに祝福される唯一のシーンなのである。
  
 概要を語るのはこれでとどめるけれど、何が印象的かというと、全編に漂っている「透明な空気感」。

 もうこれだけ!
 それがすべて。

 

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 舞台として選ばれた東京・隅田川寄りにある湊公園のシュールな空虚感。
 高層ビルと、うらさびれたアパート街が雑居した光景のかもし出す淡い寂寥感。

 

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 それらの生命力が乏しそうな空気感が、逆に中身が「空気」でしかない人形をそっと抱きすくめて守っている。

 
 まるで、「人間の厚かましさ」を除去した静かな街の空気だけが、人形のかぼそい「生命」を支えているという感じで、なんとなく切ない。

 

 「爽やかで、明るい、さびしさ」
  強いていえば、そんな空気が流れる風景が随所に挿入される。

 

   ♪ 街のはずれの背伸びした路地。
      がらんとした防波堤には、緋色の帆を掲げた都市が停泊し、
      摩天楼(まてんろう)の衣ずれが、舗道をひたす。

 

 この映画の画像をずっと追っているうちに、はっぴいえんどの『風をあつめて』という曲が脳裏に浮かんだ。
 

はっぴいえんど 『 風をあつめて』  

youtu.be

 

 

女が男を蹴っ飛ばす時代

 
 それにしても、なんざんしょうねぇ。
 私なども、もうじき70歳の大台が近づくようになりまして、つらつらと思うのですけれど、ここ最近の世の中の変わりようがすさまじくてですねぇ、もう私などは、どう考えたらいいのか分からないような時代になってまいりましたねぇ。

  

 いえいえこれは老人の繰り言ですので、あまり気にとめることもなく聞き逃してくだされば結構なんですが、なんていうんでしょうねぇ 最近のお嬢さま方の元気の良いこと。

 

 まぁ、私どもの若い頃は “ケンカを売る” というのは男の世界のものであって、女性の方がケンカを売るということがあったとしても、それは相手も女性である場合に限られていたように思っていたんですけれども、最近は違うんですねぇ。

 

 女が男にケンカを売る。

 

 そういう光景が日常化されてきた感じがいたしまして、もう、私などは唖然としてしまうわけですが、そういうのは、今の日本ではもう当たり前なんでしょうかねぇ。

 

 え? 何の話か? って。
 いえいえ、これはね、電車の中で見かけた光景なんですけどね、もうずいぶん前の話になりますけど、ちょうどまだ寒さの厳しい2月の始め頃のことでしたかね。

 

 千葉県の幕張で大きなキャンピングカーのショーがあるというので、それを見物しようと思って、電車に乗っていたときのことなんですよ。

 

 通勤ラッシュも一段落して、席もぽつぽつ空いてるという、まぁ、のどかな時間帯の電車だったんですが、 私の前にね、若い女性の方が座っておりましてね、

 
 … どういうお仕事なのか … まぁ、飛び込みの販売セールスか何かのお仕事なんでしょうね。伝票とか地図を交互に眺めて、いろいろ段取りを思案されていたようなんですわ。

 

 それがねぇ、ちょうど大きな川を越えたあたりの駅でしたっけねぇ、扉が開いて、一人の若い男性が飛び込んで来られたんですわ。
 でも、ちょっと勢いがつきすぎたのか、その男性が座っておられた若い女性の足でも踏んでしまったようなんですわ。

 

 その男性は というとね、野球帽などをかぶった遊び人風の方でね、あまり礼儀作法などに頓着されないという風情の方だったんですよ。
 それでも、若い女性の足を踏んだということが分かったので、
 「すいません」
 と、小声で謝ったようなんですわ。

 

 しかし、そのあとがすごかったんですよ。
 その女性、何と答えたと思います?

 

 いえいえ、答える代わりにね、いきなり足をグルリと回して、その男性のすねを思いっきり蹴り上げたんですわ。
 バキッ! と音が出るくらいの勢いだったので、正面に座っていた私もビックリしちゃいましてね。

 

 

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 しかし、あまりにも意表を突いた女性の行動に、蹴られた男性の方も、きょとんとしているわけなんですわ。
 一瞬、何が起こったのか分からなかったんでしょうねぇ。

 

 まぁ、なんていうんでしょうねぇ、その男の人、しばらく呆然とその女性の顔を見つめておりましたけれど、
 「これは怒ったことを相手に伝えた方がいいぞ」
 と、ようやく脳から発した意志表示の伝達が顔の神経につながったのか、目に怒りの色を浮かべて、女性ににらみつけたんですわ。

 

 で、男性がその女性の横顔に視線を向けていることが、気配で伝わったんでしょうなあ。
 その女性、はじめて男性の方に顔を向けましてね、

 「なんだよ、ウザいなぁ」

 もうドラマのセリフみたいにドスの利いた男言葉で返したんですわ。

 

 まぁ、見ると普通のOLさんなんですよ。
 それもちょっと美人でね。


 少し目がきつそうという印象はありましたけれど、別に、背中に入れ墨彫って、角刈りの男性に貢いでいるという風情でもないし、会社からしっかり1ヶ月単位でお給料を頂いている感じの、どこにでもいるようなお嬢さんなんですね。

 

 ところが、口を開くと、出てくる言葉がすごいんですわ。
 「汚らしい目をこっちに向けるなよ。うるせぇんだよ」

 

 こうなると、男性の方が気後れしてしまうんでしょうかね。

 

 「何も蹴ることはないだろ。ちゃんと謝ったじゃねぇかよ」
 と、男も言葉に凄みを利かせようとしているのは分かるんですが、多少声がうわずっているんですよ。

 

 それに対して、若いお嬢さんの方が迫力あるんですね。

 「てめぇがトロいから、人の足踏むんだろ。反省しろよ、コラ!」

 

 もう、字ズラだけ読むと ねぇ、これ眉に剃りを入れた突っ張り兄ちゃんのセリフですよね。
 それが、まだ24~25というきれいな女性の口から出てくるというのが、なんざんしょうねぇ 、もう劇画の世界というか、アニメの世界というか。

 

 「だからといって、蹴ることはねぇだろ。やりすぎだろ」
 男の方も必死なんですけど、どうも、言葉に力がないんですよ。もう気後れしているのが分かるんですね。

 

 それに対して、女性のなんと雄弁なことか。
 「蹴られるようなノロマが何いってやがんでぇ。いちいちウザイんだよ。腐った魚みたいな目でドロンとにらむんじゃねぇよ」

 

 男同士だったら、ここで胸ぐらのつかみ合いということになるんでしょうけれど、まぁ相手が女だということで、男の方もこらえたんでしょうな。

 

 しかし、言論戦となると、言葉の “手数” では負けるな と男の方も分かったようで、その後しばらく、彼も「目に力を込めて」、一生懸命女性の横顔をにらみ付けていたんですが ……

 

 まぁ、この勝負は女性の一本勝ちですな。

 

 そのお嬢さんは、男なんて眼中にないという落ち着いた表情で、さっきまで没頭していた伝票と地図のにらめっこを始めたんですわ。
 もう鮮やかなほど「お前なんかこの世に存在しない」というシカトぶり。

 

 普通、素人は、ケンカを収めようとするときの方が、逆に動揺を漂わせてしまうんですね。

 
 ところが、彼女には一切それが見えないのね。
 感情のないロボットのようなシレっとした顔つきに戻っているんですね。
 こりゃ、相当ケンカ慣れしているな と思ったんですけどね。

 で、その若い男性はというとですね、「こりゃ勝負あった」と思ったんでしょうなぁ。


 次の駅が来ると、さっとホームに降りちゃいましたよ。

 

 もちろん座っている女性は何事もなかったように、去っていく男を完全無視。

 かくして、幕張に向かう電車は、また元のお昼前ののんびり感を漂わせた平和な電車に戻ったわけですけど、ま、驚いちゃいましたね。最近の若い女性の度胸の良さには。

 

 まぁ、こういう女性の方々が増えてきた日本の社会というのは、…… どうなんざんしょうねぇ。
 こういう現象は、日本がたくましくなっていくことの前兆なのか、それとも荒廃していくことの予兆なのか。

 

 もう年老いた私などには、そこのところの判断が本当につかなくなってしまいましたねぇ。

 

欧州キャンピングカーの罪深い快楽

ヨーロッパ系RVの妖しさ
はどこから来るのか?

 

▼ Hymer B660SL 2007年モデル

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欧州車は歴史を知らないと理解できない
  
 キャンピングカーの世界では、国産ビルダーの間で、日本市場を意識した日本的なデザインを追求しようという傾向が強くなってきた。
 ようやく、日本においても、欧米的なキャンピングカー文化とは異なる日本独自のキャンピングカー文化というものが育ちつつある という感慨を持つ。
 
 しかし、その一方で、輸入車の「ディープな快楽」というものを理解する日本人が少しずつ減っていくような寂しさも感じる。

 

 乗用車もそうだが、キャンピングカーも、それを造った民族の美意識、哲学、価値観などが反映されている。
 それは、ボディや家具を構成する素材や形状を分析しただけでは、見えてこないものだ。

 

 特にヨーロッパ車のように、長い歴史を通じて形成されてきたものは、文字どおり「歴史」を知らないと、本当のことが見えない。
 
 たとえば、本場ヨーロッパの高級キャンピングカーが持つ、あの恐ろしいような「快楽」というものを、まだ日本人は知らない。
  というか、目の前に提示されても、それを理解することができない。
  
 現在のキャンピングカージャーナリズムで活躍している人の多くが、ヨーロッパの高級車を見ると、いとも簡単に「豪華」とか「優美」とか「贅沢」などと形容してしまうが、ふと「本当の豪華ってものを分かってんの?」と、意地悪く質問してみたくなることがある。

 
▼ 欧州車の贅沢さをたっぷり教えてくれるドイツ・ホビー社の高級トレーラー

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ヨーロッパ車のゴージャス感の秘密
 
 ヨーロッパ車のゴージャス感というものは、商人資本主義以来の500年の蓄積によってもたらされたものである。

 

 その場合の「資本主義」とは、アフリカの希望峰を超えて東洋の富をあさりに行ったり、大西洋を超えて新大陸から金銀を持ち出すという、ヨーロッパ人たちの「略奪」を合法化した重商主義経済のことをいう。
 
 ヨーロッパ先進国というのは、そのような植民地支配を通して、世界の富を強奪するようにかき集め、それによって壮麗な文化を切り開いた。
 それは、けっして誉められたものではないだろう。
 むしろ、被征服者たちの犠牲の上に花開いた “悪の文化” ともいえる。
 
 しかし、そのような文化には、「血を吸った文化」の猛々しさと眩さ(まばゆさ)があり、触れた者をトロリと誘惑する、熟れた果実のような芳香がある。
 そして、自分を大人と思える …… すなわち「偽善者」であることを自覚した人間だけが味わえる、背徳的な悦びが隠されている。

 

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資本主義を繁栄させたのは「恋愛」である
 
 このような華麗な資本主義文化を成立させる原動力となったものは、いったい何だったのだろう。

 

 マックス・ウェーバーの主張した、プロテスタント的な倫理が資本主義の精神を形成したという洞察に異を唱えた学者として、ヴェルナー・ゾンバルトがいる。

 

 彼は、資本主義を発展させた推進力は、「恋愛」だと唱えた。
 つまり、18世紀になって花開いたフランス宮廷文化における華麗な「恋愛ごっこ」が、資本主義の勃興をうながしたというのである。

 

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 この時代、パリのヴェルサイユ宮殿を中心に繰り広げられた貴族たちの宴では、貴婦人たちや女官たちの歓心を買うために、男たちはあらんかぎりの豪華な文物を手に入れて、女たちにプレゼントした。
 
 プレンゼントの品々には、全欧州の金銀細工や宝石のたぐいは言うに及ばず、東洋や新大陸の珍奇で貴重な工芸品など、ありとあらゆる世界の富がかき集められた。
 
 それらの金銀細工や宝石を加工する産業が各地に勃興し、ヨーロッパの製造業は著しく成長した。
 中国や日本の陶器が上流階級の家庭でコレクションされるようになると、それをヒントに、マイセンをはじめ、ヨーロッパ中に磁器工場がつくられるようになった。

 

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 また、貴族のファッションを構成する素材として、レース製品が欠かせないものとなり、フランドル地方のレース編みは、その緻密さと美しさを評価されて、上流階級の間で飛ぶように売れた。


「不倫」がほんとうに「文化」であった時代
 
 そのような文物が溢れかえった時代の「恋愛」とは、どんなものであったか。
 ヴェルサイユ宮殿で、歴代の王族や貴族の “恋人” として名を馳せた貴婦人たちの呼称を見れば、彼らの恋愛模様というものがよく見えてくる。
 
 「シャトルー公爵夫人」
 「ポンパドゥール侯爵夫人」
 「デュバリー伯爵夫人」
 みな、「夫人」である。つまり、それぞれ夫を持つ立派な主婦たちである。

 

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▲ ポンパドゥール夫人肖像
 
 彼女たちは、夫を持つ身でありながら、時の権力者たちに取り入るための魅力を存分に発揮して愛人に収まり、夜毎のパーティやサロンを切り盛りして、華麗なる宮廷文化の華を咲かせた。

  
 貴族たちが群集うの宮廷では、「結婚」というものは何も意味しなかった。
 夫人たちは、それぞれ夫とは別の王侯貴族の愛人となることを当たり前のように求め、男たちは、妻とは別の貴婦人たちを当たり前のように恋人とした。
 「不倫」という言葉は、この時代の “辞書” には意味のない言葉として誰の目にもとまらなかった。

 

 人々が求めたのは、一瞬のきらめきに、すべてを託す忘我の快楽。
 あでやかな官能。
 ゲームとしての恋。

 

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「F1」ですら上級階層の遊戯だ
 
 平民の娘でも、美貌と才覚に恵まれれば、時の最高権力者の愛妾にもなれる。
 そういう筋道を、ポンパドゥール夫人がつけてからは、男女の関係は一気にアナーキーになった。
 性愛、富、権力。
 人間が快楽と感じるもののすべてが、この時代に合体した。
 
 フランスを中心とするヨーロッパの恋愛文化には、基本的にこのような精神が息づいている。
 かつて作家の五木寛之は、ヨーロッパ社会の中で「F1」というスポーツがどのようなものであるかを、こう書いた。
 
 「F1は、お子様連れで家族ぐるみで楽しみにゆく場ではない。あのエンジン音は、柔らかい幼児の鼓膜には良い影響を与えないはずだ。
 そこは、不倫だの、危険な情事だのと世間から雑音が入ることをものともしない人々が、愛人を連れてゆくような場所なのである」
 
 アンモラルな表現だが、まちがいなく五木寛之は、ヨーロッパ社会の伝統的な恋愛文化を念頭において、これを書いている。
 ヨーロッパのキャンピングカーというのも、こうした流れの中で造り上げられたものだという。

 
キャンプ文化は貴族の娯楽から生まれた
 
 日本オートキャンプ協会(JAC)の初代専務理事を務められた故・岡本昌光氏は、著書『キャンプ夜話』の中で、イギリス国立自動車博物館に保管されているキャンピングトレーラーの第1号といわれる車両を目にして、こう語る。
 
 「その最古のトレーラーの室内には、貴族の応接間のような格調高い家具が置かれ、窓飾りや、カーテン、壁紙、ジュータンまでもが『オリエント急行』のレストランのような豪華な雰囲気を漂わせていた。
 貴族たちは、動く別荘としてキャンピングカーを使い、自分の領地の景色の良い所に置いた。
 彼らはたくさんの召使いや、給仕、料理人を使い、大テーブルには山海の珍味を並べ、美女たちを招待し、最高の酒を味わった」
 
 この記述を読むと、最古のトレーラーといわれるものが、フランスで華開いたロココの精神の延長線上にあることは明らかだ。
 
 その流れは今も続く。
 たとえば、ホビー社の高級トレーラーの天井カーブを見ていると、まるでヴェルサイユ宮殿の天井をそのまま縮小したのではないかとすら思えてくる。

 

ヴェルサイユ宮殿の天井

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▼ ドイツ・ホビー社の高級トレーラーの天井

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「エレガンス」は差別意識から生まれた概念

 

 欧州車デザインのキータームは、「エレガンス」である。
 これも、貴族文化の流れをくむ言葉だ。
 「優美」「気品」「優雅」 … などと訳されるけれど、本来は差別意識の強い言葉だ。
 
 恋をゲームのように遊んだロココの貴族たちは、何よりも野暮ったさを嫌った。
 「まじめな恋や、一途(いちず)な恋というのは野暮ったい」
 だから、“まじめにならない浮気” こそがエレガントなゲームとなる。
 彼らが使う「エレガンス」という言葉には、そういう響きがある。

 

 つまり、「エレガンス」とは、「エレガンス」を解さない人間を侮蔑するために生まれた言葉である。

 

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 そのようなエレガントな恋を楽しむ場所として、彼らは、自分たちの暮らすスペースを精いっぱい優雅で洗練された意匠で飾った。
 
 その「快楽空間」というものが、どのようなものであったか。
 映画を例に取れば、ルキノ・ヴィスコンティの描く数々の映画に登場する人物像、その背景となる舞台、扱われる文物などに余すところなく描かれている。


貴族出身のヴィスコンティ監督
が描いた貴族の暮らし
 
 『イノセント』や『ルードヴィヒ』、『山猫』などという映画には、ヨーロッパ貴族たちが呼吸していた濃密な生活空間の空気が、見事に映像化されている。

 

 ▼ ヴィスコンティの『イノセント』 

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ヴィスコンティの『ルードヴィヒ』

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今のヨーロッパ車にも「快楽」は潜んでいる
 
 現在のヨーロッパ高級キャンピングカーを見ると、さすがにヴィスコンティの映画に出てきそうなバロックロココ的なケバケバしさというものは影を潜めている。
 

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 内装デザインはモダンになり、中にはSF映画の舞台ともなりそうな未来志向の室内空間を形成しているものもある。
 そして、時代のテーマを忠実に反映したエコロジーコンシャスの装備類や素材などをふんだんに投入し、爽やかで健康に満ちあふれたクルマ造りを志向しているように見える。
 

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 想定されるユーザー層は、あくまでも健全な家族であり、幸せな老夫婦。
 そこには、遊戯的な愛を交わし合ったロココの愛人たちの姿は見えない。
  
 しかしドッコイである。
 彼らは、そう簡単に「恋愛空間」としてのキャンピングカーを手放してはいない。
 
 ときめき。
 誘惑の蜜の味。
 吐息の熱さ。
 そいつを、目立たないように、こっそりと、しかし確実に、キャンピングカーに忍び込ませている。
  
 それは、時には、女体のくびれを連想させるコンソールボックスのアールかもしれないし、セクシーなデザインを与えられたハイネックのフォーセットかもしれない。

 

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 それらの形が、見た者をムズムズ とさせるのは、それを考えたデザイナーにも、営業マンにも、使うユーザーにも、恋愛文化の伝統がもたらす “ムズムズ感” が分かっているからである。
 欧州高級車の「色気」というものは、すべてそこから放たれてくるものといえる。

 

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「コマンダー」はキャンピングカーの名車だ!

愛車自慢 
初期型コマンダーGT

 
 仕事柄、 ということもあるが、キャンピングカー旅行が好きである。
 いま乗っているクルマは、「コマンダーGT」。

 

 このキャンピングカーを使った最近の旅行レポートは、下記に書いた。
 https://www.jrva.com/column/detail.php?column_cd=97
 (JRVA 日本RV協会 ホームページ)
   
 この「コマンダー」というキャンピングカーは、2002年(平成14年)に、横浜のキャンピングカーショップ(元)「ロッキー」から発売された。

 

 シャシーが韓国ヒュンダイ製。
 国産キャンピングカービルダーのバンテックがそのシャシーを輸入し、ロッキーが企画を練り、バンテックのタイ工場で造られたキャブコンという意味では、東アジアを股にかけて製作された国際的なキャンピングカーともいえる。

 

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コマンダーGT(初期型)

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「タイガー」を意識したスタイリング 

 

 スタイル的な特徴といえば、かつてアストロをベースにした輸入モーターホームとして一世を風靡した「タイガー」を彷彿とさせるところ。プロポーションもタイガーだし、ストライプの走り方もタイガーを意識している。
 これは当時の「ロッキー」の社長がアメ車好きであったことに由来する。


▼ アストロタイガー(後期型)

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 しかし、この企画を受けたバンテックの社長 故・増田紘宇一(ますだ・こういち)氏は、ヨーロッパ車が好きだったせいもあって、アメ車テイストの車をつくることには内心消極的だったともいわれている。

 
 ただ、そこはバンテックのヒット商品を次々と発表していた故・増田氏のこと。ロッキー側の依頼を受けて、見事にアメリカンテイストのフォルムを造形した。

 

 ちなみに、増田氏がヨットを趣味としていたこともあって、その人間関係から、ボディ造形には日本を代表するヨットデザイナーの横山一郎氏が関わっている。

 

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フィアット・デュカトをライバルに想定したシャシー

 

 このコマンダーを購入するときの、選択肢としての基準は、5m未満のキャブコンで、車両本体価格が500万円未満(当時)。
  ということであったが、実は、ベース車のヒュンダイSRXトラックにすごく興味があったからだ。

 

 なにしろ、このトラックは、商用車の分野でも国際マーケットへの進出を目指していたヒュンダイ自動車が、ヨーロッパのフィアット・デュカトの競合車として設計したトランスポーターだといわれている。

 
 つまり、アウトバーンでの走行も念頭においたもの !?
  となると、当然走りを期待したくなる。

  

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 このベース車を日本に導入するとき、バンテックがあちらこちらの国産ビルダーに、売り込みをかけた。
 それを受けたビルダーさんの反応が様々であった。

 

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某メーカーA社長
 「いいシャシーですよ。ただ韓国製ということで、うちの営業は全員反対でしたね。エンジンブロックなどの構造が日本の三菱系とはいっても、不具合が出たらどうするか。未知の部分が多すぎて

 

某メーカーB社長
 「シャシーはいいけれど、日本では売れないと思うよ。売れない理由が3拍子揃っている。ひとつは左ハンドル。次はディーゼル。そして、やっぱり韓国車はまだ日本では市民権を得ていない」

 

某メーカーC社長
 「これはいいシャシーだよ。ディーゼルだけど、やかましくないんだよ。それに、運転席が乗用車の雰囲気じゃない? しかも、ドアを閉めると、バタッと重厚感があって、トラックじゃないよ、あれは

 

某メーカーD社長
 「韓国製っていうから、それほど期待していなかったけれど、実際走らせたらびっくり! カムロードなんかよりパワーがあるし(当時)、直進安定性もいい。ワイドトレッドなどをわざわざ設定しなくても、ベース車自体の幅が広いから安定感がある。キャンピングカーにしたら良いクルマができると思うよ」

 

某メーカーE社長
 「バンテックさんが入れるというので、ヒュンダイの工場まで試乗に行ったんですよ。そうしたら、思ったより完成度が高かった。まぁ、トヨタほどの完成度ではないけれどね。ターボの回り方はいいので、走りは軽快。ホイールベースも長くて安定しているし、トレッドも広いので、コーナリングの不安がない」

 

  というように、架装した車両が生まれる前から、かなりの情報を得ることができた。

 

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絶妙の車両サイズ
   
 この「コマンダー」がデビューした2002年当時。ヒュンダイSRXベースの国産キャンピングカーは全部で3台あった。
 1台は、輸入元のバンテックが開発した「アトムSRX」。
 もう1台は、フィールドライフの「フランク」。

 
 翌年になると、マックレーの「エンブレム」が登場することになるが、2002年ではまだ「エンブレム」はなかった。
 
バンテックのアトムSRX(初期型 2002年モデル)

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▼ フィールドライフのフランク

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コマンダーGT

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 その中で、このコマンダーを選んだのは、ずばりサイズ。
 5m未満。
 アトムSRXは、全長5585mm。
 フランクは、全長5670mm。
 それに対して、コマンダーは4980mm。
 
 悲しいかな、わが駐車場といっても月極だが、そこに収まるのは5m未満のコマンダーだけだった。

 

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 実は、ベース車のヒュンダイSRXトラックの全長は5415mmなのだ。
 それをわざわざフレームの後部をカットしてまで、ショートボディにこだわったのが、コマンダーだった。

 

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 理想的といえば、理想的。
 頑丈なフレームを残したベース車だから、ボディ剛性もしっかり確保された上に、衝突安全性も保証される。
 それでいて、全長5m未満。
 もう、それだけで、ほぼ自動的に購入車両は決まった。
 
 結果的に、この5m未満ボディのおかげで、旅行に出ても駐車場選びで困ることはなかった。
 なにしろ、キャブコンでありながら、コインパーキングに収まってしまうというのはやはり便利だ。

 

 さらにいえば、リヤオーバーハングがないため、都市部の細い路地に入っていくことにもさほど困らない。
 サイズの収め方が実にうまいクルマであると後で思った。

 

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走行性能にも大満足

 
 走りは、正直にいって「拾い物!」という感じだった。
 実は、「カムロードよりよく走る」という評判は聞いていたのだが、それほどのことはあるまいと、タカをくくっていた。 

 

 当時のカムロードは91馬力。
 SRXのスペックデータは、103馬力(初期型)だったから、それほど大きな差があるわけではない。だから、実際に走らせるまで、大きな期待はなかった。
 
 しかし、ターボの力あなどりがたし。
 キックダウンして回転数が上がるまでは、ディーゼルトラック特有のもたつきがあるが、ターボが効きだしてトルクバンドに乗ってくると、かなり胸のすく走行フィールが味わえる。

 ある販売店のスタッフが「乗用車フィール」と言っていたのも、よく分かった。

 

 高速道路では、軽々と120km巡航ができるので、最初のうちは得意になって飛ばしていたが、燃費はガタっと落ちる。
 
 ちなみに、市街地では5.8~6.8kmリットル。
 高速道路では、平均8.6kmリットルぐらい。

 
 しかし、100kmを超える巡航を継続していると、高速道路でも市街地並みの燃費に落ちる。
 そのため、急ぎの用がないときは、高速でも80~90km走行。
 80kmをキープしていればリッター10kmは走る。

 

 直進安定性もいい。
 なにしろ、ホイールベースが3280mm。これは同時期のカムロードの2545mmを軽くしのぎ、ハイエースのスーパーロング(3110mm)よりもさらに長い。
 そのため、高速道路で100kmを超えても4輪(後輪ダブルだから正確には6輪?)がピタッと地面をトレースしている感触が伝わってきて、ハンドルがまったくぶれることがない。

 

このクルマは左ハンドルで正解

 

 

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 左ハンドル車を持つのは、実は初めてだった。
 だけど、幅2mを超えて、この車のように2.15mぐらいになってくると、やはり左ハンドルは悪くない。

 

 左いっぱいに寄せられるので、狭い道のすれ違いなどは、かえって右ハンドル車より有利に思える。
 
 ただ、最初のうちは、右席に乗った同乗者は、対向車線の車が飛び込んで来るように見えて、かなり困惑していたようだった。
 
 難点があるとしたら、右側から迫ってきた車に追い抜かれるとき、一瞬の死角が生じること。

 
 それを解消するのには、天吊りミラーが効果があるようだ(私は付けていない)。
 この “一瞬の死角” は、この車の納車が始まった頃から、すでに問題になっていたもので、何台かは補助ミラーをつけて納めたという話は聞いた。私は、「事前の注意と慣れ」でなんとかしのいでいる。
 

こんな使いやすいレイアウトはなかなかない!
 
 「コマンダー」というキャンピングカーの外形的特徴をいうと、“鼻付き” であることだ。つまり、ボンネットがバン! っと前に突き出ている。
 
 ボンネット型キャンピングカーは、確かにカッコはいいけれど、5mクラスのキャブコンとなれば、このボンネット部分にスペースを取られてしまう分、居住空間が狭められてしまう。
 つまり、長さの割りに、室内が狭い。

 

 これを「損」と取るか、「贅沢」と取るか。
 私は、「贅沢」と取った。

 

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 ただ、正直にいうと、家族の多いユーザーには向かない車だ。

 
 カタログで謳われている乗車定員は9名。就寝定員は6名だが、それは人間を動かないマネキン人形のように考えて、肌と肌を密着させた状態で詰め込んだときの数値で、実質的には夫婦2名+小さな子供2名というのが許容限度。
 理想をいえば、夫婦2人の車だ。

 

 息子は、いま身長が180cmを超えるが、こいつが一人乗り込んでくるだけで、室内があっという間に半分に縮小されちゃったのか? と思えるほど窮屈になる。
 でも、今はほとんど夫婦2人で使っているので、まったく問題がない。

 

 ボンネットなどという “無駄メシ喰らい” のスペースがあるため、室内空間は狭いのだが、それを感じさせないところが、この車の妙である。
 理由は、バックエントランス。

 

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 エントランスドアが、ボディの真後ろにある。
 エートゥゼットのアミティRRがこれを採用し、評判を取った。

 
 その昔は、日本人が企画した車ではアストロスター、イーグルなどというキャブコンがあり、輸入車ではシヌークがあったが、いずれにせよ、このレイアウトは少数派だ。
 
 トラックキャンパーでは、構造上このスタイルしか取れないわけだから、それはやむを得ないとして、キャブコンでこれを採用する車が少なかったのは、出入口がオーニング下からずれるし、リヤにキャリア類が付けられない などというデメリットがあったためだろう。
 
 でも、そういう不便さを気にしなければ、これは無類にスペース効率の良いアイデアだ。
 フロントエントランスにせよ、リヤエントランスにせよ、ボディの横に入口がある車は、その入口まわりに家具を置くことができない。つまり、エントランスステップが “デッドスペース” になってしまうわけだ。
 
 コマンダーは、バックエントランスを採用したため、運転席からリヤエンドまで真っ直ぐに伸びる純粋なキャビンスペースを確保している。
 そのため、“生意気にも” シャワー・トイレルームさえ実現している。

 

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(写真上)ボディサイドにエントランスドアがない分、室内には、ドーン! と優雅なサイドソファが通っているのが特徴。

  
 足の長さなど自慢できない奥ゆかしい私なんぞは、このサイドソファがあるだけで、(フロアベッドを作ることなく)そのまま寝っ転がることができる。

 

 トラックベースに見えない運転席周りも気に入っているところのひとつ。
 乗用車っぽくハンドルが立っている。
 運転席・助手席とも、肘掛けが付いていて、快適だ。

 

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 下は、キッチンスペース。
 さすがに狭いけど、いちおう2口コンロ付き。
 コンロの上には換気扇があって、煙草を吸っていたときは、この下で煙を吐き出すと同乗者のカミさんに迷惑をかけることがなかったので助かった。

 

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 12V仕様の電子レンジ()も最初から標準装備だった。
 これもけっこう便利。AC電源が取れなくても、冷凍モノを温めたりできるので重宝している。

 

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 ゆったりしたダイネットシートに座り、窓の外に広がる港の夜景などを眺めながら、気に入った音楽を流し、ウィスキーなどをすすっていると、最高の気分である。

 

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コマンダーGT(初期型モデル)主要諸元

ベース車両 ヒュンダイSRXトラック
全長 4980mm
全幅 2150mm
全高 2700mm
エンジン種類 インタークーラー付きターボディーゼル
排気量 2476cc
最高出力 103ps/3800rpm
最大トルク 24,0km/2000rpm
ミッション 4速AT(アイシン精機製)
駆動方式 2WD(FR)
ホイールベース 3280mm
トレッド(前) 1570mm/(後)1408mm ※ 後輪ダブルタイヤ
最小回転半径 6.3m
燃料タンク 70㍑(軽油
発売当時価格(初期型) 4,600,000円
 
主要装備
FRP一体成形ボディ/網戸付きペアガラス/バックエントランスドア/温水ボイラー/ファンタスティックベント/ギャレー(シンク&2口コンロ)/大型外部収納庫(左右)/給排水タンク(各94㍑)/3ウェイ冷蔵庫/12V電子レンジ/105Ahサブバッテリー×2/カセットトイレ/ベバストFFヒーター/サイドオーニング/バックアイカメラ/リヤラダー/大型凸面ミラー/走行充電装置ほか 

OLDMAN

OLD MAN  オールドマン

 

 午後のスタンドカフェで、ぽつねんと、外の景色を見ている老人がいた。

 喫煙席だった。

 

 人がまばらに座った客席から、いく筋かの紫煙がのぼっていた。
 老人はタバコを吸わないようだ。
 喫煙席には、間違えて入ってきたのかもしれない。
 あるいは、そんなことに頓着していないのかもしれない。

 

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 白いヒゲをゆったりと垂らし、ソフト帽を目深にかぶった老人の姿は、セピア色の写真で見る明治の軍人のようだった。
 ひとつ時代を間違えば、馬上傲然(ごうぜん)と敵陣をにらみ、三軍を指揮する人のようにも見える。

 

 でも、今の老人の目は、動くものには何ひとつ反応していない。
 灰色がかった瞳の視線が、歩道を行き交う人々を避けるように、道に落ちた木の影だけに注がれていた。
 陽の差し込む窓際の席で、空いているのはその老人の隣だけだった。

 

 私はその椅子を引き出し、背もたれにコートをかけた。
 セルフサービスの店だから、テーブルが汚れていればお客がダスターを手にとって拭くしかない。

 
 老人のティーカップの周りが汚れていた。

 

 「よかったら、拭きましょうか?」
 私は、自分のテーブルを拭いたついでに、老人の前のゴミを軽く払った。
 「ご親切に

 
 老人は、はにかんだような笑いを浮かべ、ちらりとこちらを見た。
 「あんたは優しそうな人だね」
 言外に、そんなメッセージがこめられたような目だった。

 

 それがきっかけで、会話が始まった。

 「今日は歩きすぎて

 まるで暖でも取るように、両手でティーカップを抱え込んだ老人は、
  「 疲れました」 
 という言葉を内に秘めながら、ゆっくりと語りだした。

 

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 私は、カフェで読むために買ってきた週刊誌をあきらめ、それをテーブルの上に伏せて、老人の言葉を待った。

 「大名屋敷がとぎれた辺りで引き返せばよかったんでしょうけれど、花街のあたりも歩いてみたくてね」

 

 いつの時代の話なのだろう。
 この辺りでは、大名屋敷も、花街も聞いたことがない。

 

 「町名も変わり、町の景色も変わってしまいましたから、どこを歩いているのか、もう分からないようになりました」
 そう笑う老人の頬に、深いシワが刻まれる。

 

 いくつぐらいなのか。
 80には手が届くのだろうか。それともその上か

 

 「この近くに住まわれていたんですか?」
 尋ねる事もことさら思い浮かばなかったので、場当たり的な質問を投げかけてみた。

 「ここからは少し歩いたところです。テラマチです」

 テラマチ ……

 「寺町」という地名なのか、それとも、単に “寺が多いところ” という意味なのか。

 

 「釣りもできたですよ。祠(ほこら)の裏に寝ているミミズをエサによ~釣ったものです」

 いつの時代の、どこの話だろう。
 祠って、なんだ?

 

 老人のしゃべる話は、遠い世界を舞台にした昔話のように聞こえた。
 相槌を打つタイミングも見つからないまま、私は、黙って老人の話の流れに身を任せた。

 

 「このあたりは路面電車が走っとったですよ、昔はね
 少しだけ、華やいだ声になった。
 「路面電車の時代の方がにぎやかでしたね。今の方が人通りは増えたけれど、にぎやかさは感じられんです」

 

 路面電車が走っていたのは、私も覚えている。
 一ヶ月だけだったが、それに乗って通学した記憶もある。
 町の中を電車が走る風景は、自動車が走るよりも “都会的” に思えた。
 だから、老人のいう「にぎやか」という意味が分かるような気がした。

 

 ようやく共通の話題が出たと思った矢先、老人は不思議なことをしゃべり出した。

 

 「週末に一本だけでしたけど、夜ね、無人路面電車が走るんですよ。
 実験だったんですね。
 遠隔操作というのか、自動操縦の試験なんですね。
 それを土曜の深夜だったか、会社が実験するんでしょうねぇ。
 もちろんお客さんは乗せないですよ。
 私は二度ほど見たことがありましたけれど、怖いもんですよ、幽霊電車みたいで

 

 そう言いながらも、老人は面白そうに笑った。

 「へぇ~!」と、私は驚くふりをするしかなかった。
 そのようなことがありえるはずがない と私の理性はこっそりとささやいていた。

 

  からかっているのか?

  

 老人の横顔は、おだやかな冬の陽射しを跳ね返して、白い鑞(ろう)のように光っていた。
 会話はとぎれたが、私たちは、冬の陽だまりでまどろむ二匹の猫のように、じっと外を見ていた。 
   

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 「さて、とんだお邪魔をしてしまって
 老人はソフト帽をかぶり直して、私に笑った。


 「いえいえ、面白いお話を
 私は、立ち上がった老人を見上げて、微笑み返した。

 

 両足を引きずるように去っていった老人のテーブルには、ティーカップが置き去りにされていた。
 セルフサービスのルールを知らなかったのだろう。

 …… やれやれ。出るときに、それも一緒に下げるか。

 

 ガラス窓の向こうに広がる街の景色は、日没の残照を浴びて、メタリカルな蛍光色に輝いていた。
 ドアを出て、間もないというのに、老人の姿はもう見えなかった。

 

 

▼ 「オールドマン」 ニール・ヤング

youtu.be

 

きゃっと叫んでろくろ首

 思い出したくもない「思い出」というものがある。

 自分の恥部を人前にさらけ出してしまったような体験。
 そのときの情景を思い出すだけで、穴があったら入りたくなってしまうような記憶。
 
 そういうのって、あるよね。

 特に、自分がまだ若くて未熟だった時代に、背伸びして失敗したような記憶がよみがえったときが辛い。

 

 たとえば、間違った情報を、知ったかぶりして、誰かにとくとくと披露したときの恥ずかしい記憶。

 好きな女の子が手を振ってくれたので、有頂天になって手を振って応えたら、自分の後ろに彼女の本命の男がいた なんていう記憶。
 
 そういう「おのれの恥を知る」瞬間をとらえたとき言葉を、「きゃっと叫んでろくろ首」という。
 概して、自分の「うぬぼれ」がもろくも崩れたことを思い出すときに、この言葉が似つかわしい。

 

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 「ろくろ首」というのは、胴体から首が離れて、スルスルと伸びていくバケモノのこと。
 中国あたりの民間伝承にその起源があるらしいが、日本では江戸時代の怪談話などにしきりに登場してくる。
 
 昼間はたいてい普通の人間、それも若い女の姿を取ることが多い。
 しかし、夜になると、寝ている女の首がヘビのように伸びて、部屋の隅にある行灯(あんどん)の油をそっと舐める。
  というのが、いろいろな話に出てくる基本パターン。

 

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 もちろん、バリエーションも多い。
 「首が伸びる」のとは違い、胴体と分離して「首が宙を飛ぶ」というパターンもあるようだ。

 

 いずれにせよ、「きゃっと叫んでろくろ首」という表現は、この「ろくろ首」に遭遇したときのような、“見たくもない自分” を思い出してしまった状態をいう。
 
 この言葉を有名にしたのは作家の吉行淳之介
 彼が書いたエッセイのどれかに、この言葉があった。
 
 どの本か忘れてしまったが、この言葉だけはよく思い出す。
 自分自身がそういう心境におちいることが多いからだ。
 
 吉行淳之介自身が編み出した表現かもしれないが、もしかしたら先行者が残した言葉を吉行氏が引用したものかもしれない。(原典を見つけて確認しようと思い、本棚の “吉行コーナー” に手をの伸ばしてみたけれど、どの本も、ぶ厚いホコリにまみれていたのであきらめた)。

 

 それにしても、
 「きゃっと叫んでろくろ首」。

 

 なんと絶妙な響きを持った言葉であろう !
 おのれの「恥」を突然思い出して居たたまれなくなったような時は、もうこれ以外の言葉で、その心境を表現することなどできないように思えてくる。

   

さびしくも美しいラクダのパラダイス

幻の遊園地「白子ラクダの国」
 
 テーマパークというと、誰でも真っ先に浦安の「東京ディズニーランド」や、大阪の「ユニバーサルスタジオ」などを思い浮かべるはずだ。

 

 その二つは、それぞれ人気もあり、集客力もすごい。
 ドキドキ、ワクワク、ルンルン。
 華やかで、ゴージャスで、スリルもあり、およそ人間が熱狂できるすべてのものがてんこ盛りになっている。

 

 しかし、私なんかの場合は、あまりそういったものに興奮しない。
 年を取ったから、 というわけでもなく、昔からそうだった。
 ヘソ曲りの性格なのかもしれない。
 人が見捨ててしまったような、さびしいテーマパークの方が好きなのだ。

 
忘れられた幻の “遊園地”

 

 そういう自分の嗜好で “心のアルバム” を開いてみると、一番先に浮かんでくるのが、「白子ラクダの国」なんである。

 

 「聞いたことがない」という人が大半だろうな。
 いつぐらいに生まれ、いつぐらいに閉鎖された施設なのか。
 千葉県・長生郡白子町のHPを開いて、町の歴史をたどってみると、「昭和50年6月 ラクダの国開園」と、そっけなく1行載っているだけで、その後どうなったのかは、もう触れられていない。

 

 なんで、そういう施設にアクセスする気になったのか。

 

 昔、そこを取材する計画があったからだ。
 当時、携わっていた自動車メーカーのPR誌の編集で、「観光ドライブ情報」のページを引き受けていたとき、「千葉県の外房」がテーマになった。
 事前に資料を集めていたとき、「白子ラクダの国」という施設名が目に飛び込んできたのである。

 

 どんな施設か?
 砂漠に見立てた砂浜で、ラクダの引く荷車のような物に子供を乗せて楽しませるという場所だという。
 ラクダ以外の生き物としては、ヤギもいるらしい。

 

 今の常識で考えると、なんとも地味な企画だが、昭和50年(1975年)当時は、それだけでも集客を見込めたのだろう。 

 

 世でいう「テーマパーク」が日本に続々と誕生してきたのは、1990年代に入ってからだから、70年代に作られたこの施設は、もちろんそんな言葉で呼ばれるわけもなく、単に「遊園地」と言われていたと思われる。
 

なぜ千葉にラクダが?
 
 私がここを訪れたのは、1983年である。

 その日、外房でサーフィンを楽しむ若者たちを撮影し、「Goddess」の千葉店を取材した後、「鴨川シーワールド」、「行川(なめかわ)アイランド」に寄り、最後の目的地である「白子ラクダの国」を目指して、陽が西に傾き始めた九十九里有料道路を走った。

 

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 それにしても、千葉になぜラクダが?
 おそらく、そこから近い御宿(おんじゅく)の町が、童謡の『月の沙漠』の発祥の地だとされていたからだろう。

 1932年に録音されたという加藤まさを作詞・佐々木すぐる作曲のこの童謡を、現在知っている人がどれくらいいるのだろうか。

 

  ♪   月の砂漠を はるばると
    旅のラクダが 行きました
    金と銀との くら置いて
    二つならんで 行きました

 

 2頭のラクダに王子様とお姫様がそれぞれ乗り、
 「おぼろにけぶる月の夜に、砂丘を、とぼとぼと越えて進んでいく」
 と歌詞は伝える。

 いったいどういう状況が語られているのか、幼い頃さんざん聞いた歌ながら、私には、いまだにこの2人が砂漠を越えて行く理由が分からない。

 

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王子様とお姫様の心細い逃避行?
 
 王子様とお姫様なら、ふつう護衛の兵がいっぱい付くだろうに。
  ということは、
 逃避行なんだろうか?
 駆け落ちか?
 
 よく分からん。
 とにかく、歌からは、ロマンチックなものより、心細さの方が伝わってくる。
 王子様とお姫様が、あまりにも仲良さそうに歌われているため、その先に待ち構えている不幸が想像されそうな気がするのだ。

 途中で強盗団などに襲われても、この王子様はあんまり強そうに思えないし。
 それに、「金のくら」と「銀のくら」をこれ見よがしに露出させたまま旅するなんて、この2人には危機管理意識がなさすぎる。

 
 それでもこの歌は、「世代を超えて支持される歌の一つとなっている」(Wikipedia情報)ということで、御宿や白子町では、ご当地ソングとして尊重されていたようだ。
 要するに、この界隈の「町おこし」のテーマソングだったわけだ。

 う~ん …… だとしても、それが理由で「生きたラクダを展示する」というのは、発想にヒネリがない、 と思わないでもなかった。
 「とにかく行ってみるべぇ」


案内板すら出てこない観光スポット 
 
 波乗り道路の左には沈みかける夕陽、右は昇りかける月。
 ほぼ一直線の単調な道が、右左に分かれる「夜」と「昼」の間をぬって、どこまでも続いている。

 

 白子インターで降りる。
 が、この近辺の重要な観光スポットであるはずなのに、案内板らしきものが一つも見当たらない。

 

 ヘルメットを被って道路工事をしていたお兄ちゃんに尋ねてみる。

 「うん? 白子ラクダの国? …… もしかしたら、あっちの方にある建物がそうかなぁ」
 兄ちゃんも自信がなさそうだ。

 

 言われるままに、車が一台も通った跡のない灌木まみれの砂地を走り続ける。
 やがて、荒涼とした埋め立て地のような場所が現われた。
 その片隅には、錆びたブルドーザーがうち捨てられており、その向こうに、朽ち果てたアラビア風の屋根を持った建物が見えてきた。

 

 「いやぁ、これはもう立派な廃墟だ」
 もし、遊びが目的で来たのなら、その光景を見ただけで引き返していただろう。
 しかし、目的は仕事。
 それに、好奇心も湧く。

 

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やったぁ、営業中だったぁ !
 
 さらに前に進む。
 ますます怪しげな建物に見えてくる。
 車を降りて、徒歩で近づく。
 やせこけた小さなヤシに、半分錆びついた自転車が一台。
 切符売り場には人影もない。
 
 「あんた、お客さん?」
 ややあって、ゴム長をはいた背の低いオジサンが切符売り場とは反対の方向からにゅっと顔を出した。

 

 「営業しているんでしょうか?」
 「ああ、やっているよ、いろいろ見ていくかい?」

 
  と言われても、“いろいろ” といえるほどのものが揃っているわけではない。
 切符売り場の裏手に、縄につながれたラクダが2頭。あとはヤギとロバ。
 その横には、倉庫のような建物。

 それだけ。
 これで、入場料を取るのだろうか?

 

 「はい、大人300円」
 オジサンは、(なぜか)片手にスコップを持ち、空いた片手でグイと入場券を突き出す。
 料金と引き換えに手渡された入場券は、しわしわに汚れ、おまけに砂がこびりついていた。

 

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 とりあえず、カメラを掲げて、バシャバシャとラクダを写す。
 「あんた、仕事かね?」


 私の背中越しに、のんびりとオジサンが話しかけてくる。
 「はい、観光ドライブ記事を書いている者ですけど」

 そう言うと、オジサンは親しげに私の隣に並び、
 「今日はあんたが最初のお客さんだよ」
 という。

 

 “言われなくても分かってますよ ” という言葉を呑み込んで、オジサンの話に耳を傾ける。

 「昨日は、青森から来たという親子連れ一組だけだったな」
 人ごとのように、淡々と語る。

 

 「でも、あんたは運がいいよ。混んでないから自由に写真が撮れるしな」
 …… 冗談なのだろうか。
 この施設が、混むなんてことがあるのだろうか?


ラクダもヤギも人が珍しいようだ

 

 黙って視線を向けたオジサンの顔に、人なつっこい笑顔が浮かぶ。
 人なつっこいのはオジサンだけでなく、ラクダやヤギも珍しそうにこっちを見ている。

 
 時が止まったような、静かな空気が流れていく。

 

 ラクダの隣には、椅子を並べた荷車のようなものが、砂に埋もれている。
 それを指し示しながら、オジサン、
 「あの車をラクダが引いて、子供たちが乗って騒いだときは、ここはほんとうににぎやだったんだ」
 と、遠くを見るような目でつぶやく。

 

 「今、人を乗せることのできるラクダはもう一頭だけだが、そいつもトシでね。それが死んだらここも閉鎖だね」

 煙草をくゆらしながら、そう語るオジサンの目は、超然と時の流れを見つめるラクダの目とそっくりだ。

 

 「ここは食事もうまいと評判だったんだよ」
 今度は、切符売り場の奥にたたずむ廃墟を指し示す。
 レストランだったという。
 それが、うち捨てられた工場のように腐り始めている。


視界100メートルだけのアラビア砂漠

 

 陽が落ちかけて、建物の影が次第に長くなる。
 空漠たる風が砂丘に風紋をつくる。
 視界100メートルだけのアラビア砂漠は、今日も何事もなかったように暮れようとしている。
 ラクダとヤギを撮り終わると、もう写真に収めるものがない。
 
 「このお仕事長いんですか?」
 聞くことがないので、そんなことを尋ねてみる。
 
 それには答えず、オジサン、
 「好きじゃなきゃ、こんなことできねぇよ」

 捨てばちのような響きを持った言葉からは、逆に、この施設に対する愛着が滲み出ていた。

 「またきなよ」
 そう言って、オジサンは、煙草の吸殻で砂浜を汚さないように、そって手でもみけしてポケットにしのばせた。


「詩」のある風景
 
 「白子ラクダの国」を出て、再び波乗り道路に乗る。
 窓から流れ込む風が、さすがに冷たさを増している。
 ラジオのジャズが切れぎれに耳にとどく。

 

 車を走らせながらも、オジサンとラクダたちの人なつっこい顔が脳裏を離れない。
 
 たぶん、あのさびしさの中には、“詩” があったのだ。
 時代に置き去りにされたものが、静かに「終わり」を待っていることの寂寥感が、無性に詩心を刺激する。

 

 今はさびれても、かつては子供たちを楽しませたという記憶を温めながら、誰も来ない場所で、ひたすら客を待ち続けるオジサンとラクダ。
 彼らにとって、人を待ち続ける1日は、どのくらいの長さに感じられるのだろうか。
 身勝手な「旅人」である私には、そのへんの感覚がつかめない。

 

 蒼茫と暮れゆく外房の海。
 夕陽が淡々と、前に広がる道路を染めていく。
  

 

ウィンダム・ヒル サウンドの静けさの秘密   

音楽・絵画評論
音の抽象画 ウィンダム・ヒル

 

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 1980年代というと、日本では「バブルの熱狂」に覆われた時代というイメージがある。
 しかし、今でこそそういう印象が強いが、少なくとも80年代が始まったとき、それはむしろ奇妙に冷えた時代が訪れたように思えた。

 

 たった一瞬のことだったかもしれない。
 でも、「クールな時代」に入ったように、私には感じられたのだ。
 それは、例えていえば、溶鉱炉の燃え盛る鉄工所が、熱と音の消えたコンピューター制御の工場に変わったような印象だった。
 
 そんなときに、ウィンダム・ヒルを聞いた。
 「ああ、これからの時代に受ける音楽は、こういう音なんだ」
 と、強く思ったものだった。

 

ウィンダム・ヒルの音には空気と光しかない

   

 「ウィンダム・ヒル」というのは、ギタリストのウィリアム・アッカーマンによって創設されたレコード・レーベルである。

 創設は1976年。
 Wikipedia によると、同レーベルから出されたジョージ・ウィンストンの『ロンジング』の大ヒットにより、「1980年代のニューエイジ・ミュージックの一翼を担った」という説明がなされている。

  

 ニューエイジ・ミュージックというのは、ヒッピー文化を源流とする禅やヨガのBGMとして使われるスピリチュアルな音楽を指すらしい。 

 一般的には、「自然、宇宙、生命などをテーマにし、瞑想を助けたり、音楽療法に使われたりする音楽」だという。(Wikipediaより)

 

 しかし、ウィンダム・ヒル系の音を実際に聞いてみると、そのような宗教臭さとは無縁であることが分かる。
 岩の間から滲み出る真水のような清涼感はあるが、「宇宙」やら「生命」といった大テーマを訴える押し付けがましさがない。

 「空気」と「光」
 ウィンダム・ヒルの音には、その二つしかない。

 

▼ William Ackerman 「Visiting」

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どんなジャンルにも入らない音楽

 

 今では、「ニューエイジ・ミュージック」とか、「ヒーリング・ミュージック」というジャンルにくくられるのだろうけれど、当時こういう音を表現する言葉がなかった。
 今聞いても、不思議な音である。
 クラシックになじんだ人には、ジャズかポップスに聞こえ、ジャズやポップスに親しんでいる人には、クラシックに聞こえたのではなかろうか。

  
 エンヤや喜多郎などの音楽と同列に扱われることも多いが、まったく別種の音である。

 私も、当時これを聞いていて、どのようなシチュエーションに合う音か、それが分からず、何とも奇妙な気分になったものである。

 

 ドライブ・ミュージックに使えば眠くなりそう。
 カクテル・バーで流れていれば、酒が薄く感じられそう。
 恋人との語らいの最中に聞いていると、沈黙が多くなりそう。

 どういうシチュエーションにも、合いそうにない。

 

 強いていえば、葉を落とす木々を見ながら、秋の公園で過ごすときの音楽 とでもいえようか。
 しかし、そこには、 “秋のさびしさ” を強調するようなセンチメンタリズムがない。
 ひたすらその音は、「空気」を感じさせるだけにとどまり、「光」を感じさせるだけにとどまっている。

 

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 その “とりとめのなさ” が新鮮だった。
 今までの生活に染み込んでいたBGMとは違う「音」だと分かったのだ。
 「生活」を感じさせない音。
 つまり、「実在する物」に囲まれた世界に、「不在」の気配を忍ばせる音だった。

 

「音」で描いたパウル・クレーの絵

 

 絵でいえば、これは抽象画である。
 それもパウル・クレーのような、淡い優しい色彩で描かれた抽象画だ。

  
パウル・クレー 「ニーゼン」

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 クレーの絵には、山や町といった対象物を特定できるものもある。
 しかし、その山や町はほとんど輪郭を失い、今にも空気の中に溶け込んでいきそうに見える。

 

パウル・クレー 「カイルアンの眺め

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 つまり、それは、「実在」の山や町が、「不在」の世界に移行して、色と空気だけになっていく過程をとらえた絵といっていい。

 

 ウィンダム・ヒルの音楽、特にウィリアム・アッカーマンのギターの調べからは、そのパウル・クレーの抽象画に近い雰囲気が漂っている。
 同レーベルの人気アーティスト、ジョージ・ウィンストンのピアノには美しさも感じとれるが、具象画の生々しさも残っている。
 しかし、アッカーマンのギターは、見事な抽象画になりきっている。


エリック・サティーの  “残響(エコー)”

 

 彼の “大先輩” には、エリック・サティーがいる。
 サティーもまた、音楽が「芸術性」や「物語」や「教養」と切り離せなかった時代に、純粋に「音の陰影」だけを追求した人だが、アッカーマンもその路線を歩んだ。
 実際に、アッカーマンは、サティーに傾倒していたらしい。

 

 どちらの音楽も、生活の中のどういうシチュエーションにも、合わない。
 食べたり、飲んだり、笑ったり、悩んだりする我々の生活を、ただの「色」と「光」に還元していくような音。
 だからこそ、彼らの音楽は、「生活の呪縛」から人間を解き放ってくれるのだ。

 

  ウィンダム・ヒルの “抽象画” に興味を持たれた方には、もう少し。
  
▼ William Ackerman 「Gazos」

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人に読んでもらえる文章

堀井憲一郎さんの文章道 その2

 

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 前回「書きたい原稿があったら今すぐ書け!」というタイトルのブログで、堀井憲一郎さんの『今すぐ書け、の文章法』という本をちょっと紹介させてもらったけれど、実は、少し漏れたところがある。
  というか、話が長くなるので、はしょったところがある。
 
 しかし、本当はこの “はしょった部分” が、けっこう自分には有用だった。
 
 「有用でありながら」、なぜ採り上げなかったかというと、ごく実用的なことでしかないように思えたからだ。
 たとえば、「漢字を減らせ、改行を多くしろ」とか。
 当たり前といえば、当たり前のことだな と最初は軽視していたのだ。

 

▼ 堀井憲一郎さん

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読みやすい文章を書く実戦テクニック
 
 しかし、案外そのような実用的指南の部分が、実は「著者の思想」そのものであったりする。
 そのような、具体的ノウハウの積み重ねが著者の “思想” を育てるのかもしれないし、逆に、著者の “思想” の実践過程が、現象的には(一見平凡な)「ハウツーもの」の形を取るのかもしれない。
 
 いずれにせよ、「神は細部(ディテール)に宿る」だ。
 
 そこで、今回その第二弾として、前回引用できなかった “実用的なところ” を、いくつか紹介したい。
  

 
 で、まず最初に、自分にとって当たり前だと思っていたことだけど、意外と自分が守っていなかったことを書く。
 それが、
 「漢字を減らせ」
 「すぐ改行しろ」
 というアドバイス
 
 堀井さんはこう書く。
 
 「びっしりと文字が入った文章を見ると、ふつうの人はまず圧倒されてしまう。 
 読む気が失せる。
 ぱっと見た瞬間の印象として、漢字がそんなに多くない。難しい表現もいっぱいあるわけではなさそうだし、(専門用語的な)カタカナも少ない。改行が適度にしてあって読みやすそうだ。
 そういう “内容以前の見た目の問題” が大事だということだ。
 文体や、美しい文章や、正しい日本語である以前に、ビジュアル的にどう見えるのか、それによって読者の食い付きは違う」
 
 これは本当にその通りだと思う。


不要な漢字は極力避けろ
 
 ブログという文章発表の場がアマチュアの人に解放されるようになって、今まで雑誌などでは読めなかった記事が読めるようになったけれど、そこで気づいたのは、副詞、接続詞などに、けっこう難しい漢字を使う人が多いということだった。
 
 「或いは(あるいは)」
 「且つ (かつ)」
 「如何 (いかが)」
 「予め (あらかじめ)」
 「又は (または)」
 「但し (ただし)
 「及び (および)」
 
 ワープロの場合は、単語を入力するだけで機械が漢字に変換してくれるから、書いている人には、文字の「読み」が分かる。
 でも、読者には、読めないこともある。
 
 そうなると、その文章がどんなに面白そうでも、「読めない文字」が  “通せんぼ”  するから、その先に進むのが面倒になってしまう。
 
 その人の漢字学習のお粗末さ といえば、それまでだが、周りの風潮がどんどんそうなっているのだから、これには逆らえない。
 
 そして、“ひらがな多用文” に慣れてしまうと、今度は漢字の多い文章がやたらヤボに見えてくるから不思議だ。

 そのうち、漢字を多用する人が、「もの知り自慢」のイヤなやつに思えてきたりする。
 つくづく慣れとは恐ろしいものだ。
 そんなわけで、自分もなるべく “おごそかな” 漢字は使わないようにした。
 
 でも、やっぱり漢字でなければ表現できないムードというものもある。
 「憂鬱」とか「倦怠」、「頽廃」とか「畏怖」とか。
 そういった “気分が萎える(なえる)ような” 単語は、やっぱり漢字を使わないと雰囲気が出ない。
 仕方なく、「萎える(なえる)」みたいに、ひらがなをカッコに入れて補っている。
 
 おっと、堀井さんの本の話から離れて、自分の話になってしまった。
 
 戻る。


すぐ改行しろ
 
 で、堀井さんが、次に強調するのは、「すぐ改行しろ」である。
 
 週刊誌の記事を書くときのアドバイスであるが、ネット上に掲載する文章の場合は、さらにこのことを気にとめていいように思う。
 
 それは、自分の経験からも言える。
 実は、いくつか気に入ったブログがあり、文章も書かれた内容も面白いので、「読みたい」と思いつつも、読みこなせないブログがあるのだ。
 
 それが、「文字が改行なしでベッタリ並んだブログ」だ。
 
 あまりにも、読みづらいので、自分のテキストファイルにすべてコピーし、自分で改行を入れてから読んだりすることもある。
 だけど、面倒くさいので、そうしょっちゅうはできない。
 そのため、そういうブログからは、自然と足が遠のいてしまう。
 
 こういうブログを書く人は、“信念の人” が多い。
 政治結社みたいなところと近かったり、何かの宗派に属していたり、思想書を研究する学者だったりする。
 自分の主張を、自分と同じレベルで理解してくれる「読者」しか想定できないから、そうなるのだろう。


1行と2行目の間の空白が多すぎると、読みづらい
 
 また、反対に、(若い人の書くものに多いのだけれど)、1行目とその次の行の間がやたら長いものがある。
 尻切れトンボの1行がまず出てきて、その後はいくらスクロールしても、次の行にたどり着けない。

 ようやく、出てきたと思ったら、
 「ふぅ~。疲れた」
 と書いてあっただけだった。
 
 つまり、その長い空白は、本人の “深いため息” を表現していたわけだ。
 
 これも、困るなぁ。
 改行はいいけれど、空白はせいぜい2行空けくらいにとどめてほしい。
 
 ま、これは読む人の「生理」の問題でもあるから、何が正しいとはいえないのかもしれない。

 
 昔は、改行の多い文章を快く思っていなかった時期があった。
 1ページに文字がぎっしり詰まっているような小説 たとえば高橋和巳のような作家の文章を読んだ後、司馬遼太郎の小説を見ると、あまりにスカスカなので、「読者をバカにしているのか?」とすら思った。
 
 その昔、司馬遼太郎の小説は、サラリーマンの処世訓のようにして読まれていた時期があったから、読んだこともない学生から見ると、彼は “金儲け作家” の一人にすぎなかった。
 
 「改行ばかりして、原稿料を稼いでやがる」
 ぐらいに思っていたのだけれど、いま司馬遼太郎の小説は、改行のセンスを見習うためのバイブルになっている。
 
 また脱線した。


文末を「 … と思う」で終わらせる文章は最悪
 
 堀井さんの『いますぐ書け、の文章法』で、いちばん自分が見習うべきだと思ったのは、「文末に “ と思う” を付けるな」という指摘。

 たとえば、
 「原発事故は、快適な電化生活という “夢” を与えてくれた原子力が、“悪夢” の怖さを潜ませていたことを示唆しているように思う
 
 「そういった意味で、これは鉄ちゃん・鉄子のためにつくられた映画なんだろうな、と思う
 
 「彼の教条主義的な音楽理論に反感を募らせ、最後はケンカしていたようにも思う
 
 「この映画は、そこのところで一つの真実を提示しているように思う
 
 堀井さんは、この「 … 思う」について、それは 「断定することの怖さを回避する戦法」にすぎないという。
 
 以下、引用。
 
 「(文章は)強く書く。強く書くかぎりは、断定する。もちろん根拠を示して断定する。言い切らないといけない。
 そこが、人にきちんと届く文章を書くポイントなのだ。
 “断定するのは読む人のため。断定しないのは自己弁護のため” だからだ。
 言い切れないなら書くな。だったら言い切れるまで調べ直してこい」
 
 ドキッ! 
 ですね。
 
 人は、文章に自信を持たないときほど「 と思う」で丸く収めたがる。
 「思うだけなんだから、いいでしょ? 言い切っていないわけだから」
 というように、批判が来たとき「逃げを打ちたい」という気持ちが「 思う」に頼ることになる。
 
 でも、それはいけないと堀井さんはいう。
 …… というように、分かっていても、人間はなかなかこの「思う」の呪縛から逃げ切れない。
 心してかからねば


「私」もしくは「僕」で始まる書き方は避ける

 

 堀井さんの文章作成上のアドバイスをもうひとつ。
 それは、「私」もしくは「僕」で始まる文章を、できるかぎり避けるというもの。
 
 彼はいう。
 
 「日本語の文章は、一人称をすべて取り除くことが可能である。そして、それができた方が、読みやすい。
 “私” もしくは “僕” を、できるかぎり避けるという意味は、“私は” から始まった文章は、その “私” のことよく知ってくれている人が読んでくれるのなら大丈夫だろうけれど、公開される性質の文章であるかぎり、私のことを知らない人が読む方が多いわけで、そのとき “私” で始めると、“私って言い出しているけど、誰?” と思われてしまう。
 ちょっとした疑念がはさまるだけで、人はもう読んでくれなくなる」
 
 これも同感。
 
 実際に、私もブログを書いていて、自分のことを「私」ということに、ものすごい抵抗を感じていた。
 
 「私は 」と書くと、どうしても、「さぁ、この私がこれから素晴らしいことを言うから、みんなお聞き!」という厚かましさが顔を出すような気になるからだ。
 
 じゃ、「僕」はどうか。
 村上春樹の小説じゃあるまいし。
 
 では、「オレ」は?
 任侠物のドラマの主人公じゃないしなぁ。
 
 「わし」というのはどうか?
 昔話に出てくるお爺ちゃんだよ、それは。
 
 で、しょうがなく「自分の場合は 」なんて、あいまいな言い方に落ち着くことが多かった。
 だけど、エッセイとかコラムのたぐいは、別に主語がなくても話を進めることができる。
 まぁ、「私は 」と書かなくてすむのなら、それにこしたことはない。
 
  
 で、堀井さんも言っていたけれど、欧米の文章では、自分のことを語るとき、必ず、「 I (アイ) 」 という主語が頭に来るから主体性を確立する文化が育ったけれど、日本語は主語があいまいだから、主体性を確立する文化が生まれなかった なんていう人がいるけれど、それはウソ。
 
 彼に言わせると、「(それをもって)“日本人は自己表現が下手だ” と批判をする人がいるが、そこを変えたいのなら、この東アジアの海上の島に住むわれわれの生活のシステムそのものを変えるしなかない」
  ということなんだけど、そのとおりかもしれない。
 
 というように、文章をうまく書くための研鑽は、哲学することにもつながる。
 
 と、あまり意味のない “落とし所” (↑)でお茶をにごして、ハイさよなら。
 
 
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