アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

パンクを神話に高めた男の短い生涯   

昔の映画の現代的鑑賞法

映画批評 
シド・アンド・ナンシー

 

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パンクは嫌いだった  

 1970年代半ば、パンクロックが生まれて、ニューヨークとロンドンのロックシーンが大きく変わろうとしていた頃、私は「聞く音楽」をなくしていた。
 大好きだった黒人ソウルミュージックは、次第に商業色の強いディスコ・サウンドに侵食され始め、音楽というより、踊りのBGMとしての性格を強めていた。
 
 かといって、パンクは嫌いだった。
 ビートルズストーンズからツェッペリン、CSN&Y、バンド、サンタナなどをすべてデビュー当時からフォローしていたつもりの自分にとっては、パンクは「音楽」ではなかった。
 
 しかし、あの時代、もしビートルズストーンズツェッペリンも知らず、かつ、「音」としてよりも「映像」から先にパンクに入っていたならば、私はパンクの虜(とりこ)になっていたかもしれない。
 
 セックス・ピストルズのライブを初めてテレビで見たのは、もう彼らが解散した後、80年代に入ってからである。
 
 安っぽいクラブの貧相なステージで、ジョニー・ロットンが観客をあざ笑うかのようなおどけた目つきで、ツバを吐きながら、猥雑な歌を叫んでいた。

 彼らの動作は、単純に上下に飛び跳ねるだけの硬直したジャンプか、地を這うような蛇ダンス。
 これでもか、これでもか とばかりに、ひたすら観客を挑発しているだけのようにも思えた。

 

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20年若ければ、自分もイカれていたかも
 
 でも、それが新鮮だった。
 たとえ、ビジネス志向のロックバンドのステージと差別化を図るための演出だったとしても、やはり、紛れもなく新しいもの生まれていたんだ という実感を強く持った。

 

 大人たちを不快にさせたといわれたファッションも、基本的にはシンプルなもので、むしろ爽やかさがあった。
 下品なパフォーマンスにも、おし隠せない “ういういしさ” があった。
 あ、いいな と、ぼんやり思った。
 

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 その映像を見ていたのは、すでに感性もカラカラに乾ききった中年の私だったが、もし、ここにいるのが15~16歳頃の自分だったら、完全に向こう側に行っていただろうと想像できた。
 
 ただ、映像を伴わない音として聞いたときはどうか。
 私は、テレビのスピーカーから流れてくるサウンドを、
 「けっこうカッコいい音を出していたな!」
 と感心はしたけれど、それが、映像を伴わない音だけの場合、いま受けた感激をそっくり得られるかどうかは、自信がない。

 

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▲ 本物のシド・ヴィシャス
 

純度100%の “パンク野郎” シド・ヴィシャス

 

 『シド・アンド・ナンシー』は、そのセックス・ピストルズの伝説的なベーシスト、シド・ヴィシャスとその恋人ナンシーが、ヘロインの吸引を繰り返していくうちに身を滅ぼしていくという、ふたりの破滅に至るまでの短い人生を描いたドラマだ。
 (※ シド・ヴィシャスの役をゲーリー・オールドマンが演じている)。
 
 シド・ヴィシャスは、ベーシストとしてセックス・ピストルズに参加しながらも、最初はベースが弾けなかったらしく、彼のステージではプラグがアンプにつながれなかったというウワサがあるくらいだ。
 
 しかし、ステージ上のパフォーマンスを含め、まさにパンクの「精神」を体現したような生き様を貫いたおかげで、死後「伝説のアーチスト」になった。

 

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▲ 映画の中のライブシーン 

 

 劇中、彼らのステージでの演奏シーンがある。
 それを見るだけで、日本のJ・ロックといわれるものが、いかにパンクの影響を受けていたかということが分かる。


 ダルで、投げやりで、それでいてエキセントリックな挑発性を秘めた演奏スタイル。
 機械仕掛けの人形のような動き。
 ヘタウマギターというより、はっきりと “ヘタヘタ” を目指したようなギター。
 3コード中心の縦揺れリズム。
  
 80年代から90年代における日本のロックシーンには、こんなバンドが満ちあふれていた。
 そして、その流れは、後に「ニューウェーブ」といわれるようになった。

 

パンクは芸術運動でいえばダダイズムである。
 
 芸術運動でいえば、パンクはダダイズムだ。
 ダダイズムは美術史のなかでは大きなムーブメントとして取りあげられるが、誰もその代表的な作品を挙げられない。

 パンクも、演奏スタイルではロック史のターニングポイントとなったが、その代表曲は、彼らと寄り添うことができたコアなファンしか挙げられない。
 

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 どちらも、後世に作品を残すという発想から決別したのだから、それは当然の帰結であったろう。

 逆にいえば、「作品を残す」などというさもしい根性にまみれなかったからこそ、彼らは今でも爽やかであり、偉大なのだ。
 
 この映画に出てくるシドとナンシーという恋人たちも、ふたりの生き様を後世に伝えるなどという意識をこれっぽっちも持つことなく、最後は静かに画面の外に消えていく。
 
 芸術家(アーチスト)が私生活で身を滅ぼしていくというテーマは、映画やドラマの格好のネタのひとつである。
 アルコール中毒で死んだアメリカのE・A・ポーや、同性愛で逮捕されたオスカー・ワイルドなど、欧米には「破滅」が勲章となるような芸術家がたくさんいる。


幼児の感性のまま成人した男

 しかし、シドは、ここでは芸術家として描かれてはいない。
 幼児の感性のまま、身体だけ大人になってしまった未熟な人間として描かれている。
 恋人ナンシーも、幼児の脳のまま成熟してしまった女性だ。

 

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▲ 映画の中の二人
 
 だから、「反・社会的」という自覚もなしに、無意識に「脱・社会的」な生き方をしてしまうふたり。

 何ごとも、ふたりの快楽がまず優先。
 レコード会社も、ステージも、お客もクソくらえ!
 明日の仕事よりも、今日のヤク!
 ふたりは、どんどん奈落の底に落ちていく。
 
 しかし、彼らの薬物への依存度が高くなり、ふたりの日常生活が混沌にまみれていけばいくほど、むしろ画面は静謐になり、安らぎのようなものが漂っていく。

 

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あの世の映像

 ラストシーン
 クスリによって意識が混濁したシドは、ナンシーを刺して殺してしまうのだが、そのシドがようやく出所してくる。

 ニューヨークの摩天楼が見える荒涼とした場所を、シドがひとりで歩いている。(なんと、彼の背後に、2001年の9・11テロで破壊される前の貿易センタービルが映っている)
 

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 空は曇天。
 朝なのか夕方なのかはっきりしない。

 周囲には朽ち果てた自動車が、墓石のように並び、電信柱と電信柱の間では、切れた電線が風に揺れている。
 核戦争によって人類が滅亡したような光景だ。


 
 廃虚のようなピザ屋が1軒だけ建っている。
 宗教画のような光がどこからともなく射して、窓の中を照らす。

 客も店主もいない店のテーブルに座り、シドが独りでピザにむしゃぶりついている。
 モノトーンに近い風景の中で、シドの姿だけが鮮やかな色をたたえている。
 
 「ああ 、これは現実の風景ではなく、死後の世界だな」
 と観客は、そこでそのことを理解する。
 
 ピザ屋を出たシドに、3人の黒人の少年が駆け寄ってくる。
 ひとりの子どもの手には、カセットデッキが握られている。
 死の冷気が漂う廃虚の街に、音楽が流れる。
 
 「シド、踊ろうよ」と別の子がいう。
 「子供となんて
 と、うんざり顔のシドだが、そのうち一緒に踊り始める。
 死の舞踏だな …… と解る。

 

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 1台のタクシーが寄ってくる。
 後席に乗っているのは、純白のドレスに身を包んだナンシー。
 晩年のナンシーは、ドラッグで顔が崩れてしまうのだが、白いドレスのナンシーは、シドと知り合った頃のような爽やかな顔に戻っている。
 お迎えだな …… と解る。
 
 ふたりを乗せたタクシーが、世にも荒涼とした風景の中を去っていく。
   
▼ 予告編

シド・アンド・ナンシー sample movie.wmv

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奥様方に聞く「自分の亭主の嫌いなところ」

  
 「熟年離婚」などという言葉があるとおり、定年退職を迎えて、奥様から「離婚話」を突きつけられる旦那さんも増えている。

 それまでずっと一つ屋根の下に暮らしてきた夫婦の間に何が起こったのか。
 「旦那のことが大嫌い」という熟年マダムたちに、その心模様を聞く機会があった。

 

旦那からいちばん聞きたくないセリフ

 

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【たぬき】 お話し中割り込んで恐縮ですけど、皆さん、ご主人に不満をお持ちのようですが、ずばり何が不満の原因になっているのですか?

 

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【A夫人】 旦那が自己中心的なんです。思いやりがない。女房がじっと耐えているということに対する気遣いがない。

 

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【B夫人】 夫婦喧嘩のときに一番聞きたくない言葉ってのがあるの。それは「俺が外で仕事をして稼いでいるのに、文句があるか !」というセリフ。

 働いているのは自分だけだと思っている。今は共稼ぎのご夫婦も増えているでしょうから、言い返せる奥さんも多いでしょうけど、専業主婦が聴けば、これほど男の身勝手さを表しているセリフはほかにないのよね。

 女房が家であくせくと家事をこなすことは「仕事」ではないのか? 「私が陰で支えてきたからこそ、お前は外で仕事ができたんだろう !」と言い返したくなる。

 

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【C夫人】 だいたい世の亭主族は、男と女の社会的な立ち位置を理解していないんですよ。

 私の例だけど、旦那が定年退職して、年金暮らしになり、お金が乏しくなったとき、何気なく「最近化粧品を買うのも我慢している」と私が言ったら、「俺だって買う物を我慢している」と旦那が言い返してくるの。

 釣り道具が買いたかったのか、CDでも買いたかったのか知らないけれど、女の「化粧品」がどういうものであるかをまったく理解していない。

 旦那のその言葉を聞いて、つくづく力が抜けたんです。「この人は自分の趣味のことしか考えていないんだなぁ」ということが分った瞬間でした。

 

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【たぬき】 わぁ、耳が痛い。同じことを女房に言われました。


男はみんな女房に「母」を求めている

 

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【A】 結局ね、男はみんな女房に「母親」を求めているのよ。「なんでも甘やかしてくれるお母さん」というのが、自分の理想の妻なわけ。
 冗談じゃないわよ ! では「お前は私の父になってくれるのか?」と問うと、父親のような広大な慈悲の精神を持っている旦那など、ほとんどいない。

 

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【B】 男の人は、だいたい、自分が女房に話すことを、女房が面白がって聞いていると思い込んでいる人が多いですね。相手がどんな気持ちで聞いているかを考えもせず、自分の自慢話などをとくとくと話す。

 特に定年退職すると、「昔会社で俺がこう提案したから、会社のプロジェクトがどうなった、こうなった」とか、昔の自慢話を繰り返すから、心の中で「お前はもう終わっている」と言いたくなる。

 

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【C】 そう、そう。あとさぁ、さんまか、タモリか、志村けんにでもなったつもりで、家庭内でギャグを連発しているんだけど、結局はみな、ただのダジャレ。面白がっているのは自分一人。


「明るい家庭」の意味の取り違え

 

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【A】 そういうのを「明るい家庭」だと思い込んでいる。

 

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【B】 あと、テレビのニュースを見ながら、偉そうに解説したり。
 そんな素人解説を聞くよりも、私はニュース報道そのものを観たいのに。

 

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【C】 ワイドショーなどで、ダメな旦那が出てくると、「こいつバカだなぁ」とかさ。自分はその人間より偉いと思っているところが滑稽。

 こっちがいら立っていないときは、微笑ましいと思うこともあるけれど、いら立っているときは、そのつぶやき自体に腹が立つ。

 

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【A】 そもそも、「俺は女の気持ちがよく分かる」などと話す男ほど、根がいやらしいのよね。
 フェミニストぶった発言をする男は要注意。自分が「女の気持ちを分かっている」というポーズを相手に訴えて「良い男」に思われたいだけ。


「優しさ」を誤解している

 

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【B】 女が求める「優しい気づかい」と、男が考える「優しい気づかい」は、そもそも発想の土台が違うんですよ。

 男は「重い荷物を持ってやる」とか「スーパーに買い物に出る」とか、「朝のゴミ出しをする」とか、そんな行動だけを取り出して、「俺って優しいだろう」と訴えたがるけど、そんなことは当たり前のこと。

 食事が終わって、流しの前で、これ見よがしに食器洗いなどをしてもらっても、「本当はお前がしなければならない家事を、俺が代わってしてやってんだぜ」というふうに感じられて、かえってプレッシャーになることもあるんです。

 

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【C】 そう、そう。そんなことをしてくれるよりも、自分が悪いと思ったときは、素直に反省したり、謝罪してほしいのよね。

 男は、女に謝ると、何か自分のこけんに関わると思い込んでいるのか、謝るどころか開き直って怒り出したりする。
 哀れになるほど見苦しい。

 素直に謝ってくれれば、こちらの気が晴れることだってあるのに、たいてい開き直るからその後もこじれる。

 

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【A】 もっとたちが悪いのは、謝るべきところを笑いで誤魔化して、機嫌を取ろうとすること。「女なんて笑わせておけばなんとかなる」といういい加減さが透けて見えて、自分は大切な存在に思われていなかったんだなぁ とつくづく惨めな気持ちになるんですよ。


浮気したら即離婚

 

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【たぬき】 浮気が原因で、旦那さんのことを嫌いになったなどということはないですか?

 

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【B】 浮気なんかしたら、それが発覚した翌日に、すぐ離婚手続きを開始するわよ。私は、相手がどんな女かなんか突き止めない。亭主の言い訳も聞かない。ただ、慰謝料の額だけははっきりと決める。老後がかかってくるから。

 

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【C】 私は、浮気をされたことがないから言えるのかもしれないけど、外でモテないような魅力のない男にじっと我慢して、家で支えている私のことをもっと尊重しろと言いたくなる。

 少なくとも、あんたにとって貴重な女なんだから、威張るな !

 

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【A】 だいたいね、とにかく、「俺は女房に優しい」などと思い込んでいる亭主ほど、かえって始末が悪いんですよ。“思い込む” ということは、何か事があったときに反省するチャンスも見逃しているということ。それこそ鈍感な証拠。

 

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【B】 女は一度、その男が嫌いになると、すべてがイヤになってくるんですよ。同じ食器を使うのもイヤ、隣に座って身を寄せられるのもイヤ。最後は同じ空気を吸うのもイヤになってくる。

 だから、世の旦那さんたちに言いたいのは、「靴下が臭いから同じ洗濯機に入れないで」などと言われたら、そうとう嫌われていると覚悟した方がいいですね。

 

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【たぬき】 わっ、自分なんかもう10年ぐらい前からその状態だ !

 

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【B】 あ、それは気を付けた方がいいですよ。でも、もう彼女の気持ちは定まっているかもね。

 

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【たぬき】 どういう意味ですか?

 

【A】【B】【C】 秘密(笑) ……

  

ヒトラーの愛した芸術の正体

絵画・歴史批評

ナチス芸術の空虚さとメランコリー


 ナチス・ドイツの悪名高き総統アドルフ・ヒットラーが、もし青年時代に夢みていたとおり、「画家」としての人生を歩んでいたら、20世紀の歴史はどう変わっていただろうか。
 それは、現代史に関心を持つ多くの人々が一度は考えた「歴史上の I F 」であるかもしれない。
 
 実際に、ヒットラーが画家になることを目指し、ウィーンに赴いて熱心に絵を描いていたことは、あまりにも有名な話である。

 
 このとき、彼が残した絵画は700点。水彩のようなものを含めると2,000点から3,000点ぐらいに及ぶのではないかと推測されている。
  
 しかし、それほどの作品数を数えながらも、彼は美術学校を受験しても合格することがなかった。
 その理由は、「風景画ばかりで、人間を描いたものが極端に少なかった」とされているが、要は “才能がなかった” ということだけなのかもしれない。
  

▼ 画学生時代にヒットラーが描いたとされる 「山の風景」 (1936年)

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 ヒットラーは、自信満々で受けた美術学校の試験に落ちて入学を拒絶されたことを、のちに『わが闘争』において「晴天の霹靂(へきれき)だった」と書いている。
 その一言からも、彼が自信満々の野心家であったことが推測される。

  

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美術への挫折が、ナチス党結成に向かう
 
 画家になる夢を打ち砕かれたヒットラーは、自分の内に燃え盛る表現衝動を、政治活動と文筆に向けた。

 
 そして、それが政治活動へのめり込んでいくきっかけを彼に与え、やがて “20世紀の悪夢” が始まるわけだが、美術を偏愛する彼の欲望は、ナチスの総統になってからも鎮まることはなかった。
 
 実際、ナチスの幹部には、ヒットラーゲーリングをはじめ、ルドルフ・ヘスヒムラーなどの “美術愛好家” が多く、戦争は、彼らの美術品収集の趣味を満足させる手段だったかのような印象さえ受ける。
 
 彼らがかき集めた美術品は、ヨーロッパ各国の美術品の5分の1にも及ぶとされたが、その多くは、ナチス党幹部の私的所有物にされるか、秘匿されるか、軍事費調達のために売られるかして散逸してしまったといわれている。
 
 ナチスから美術品を守る人たちとの駆け引きも熾烈をきわめ、その経緯(いきさつ)は、ドキュメンタリー映画をはじめ、実話や虚構を交えた数々の映画のテーマともなった。
 『ミケランジェロの暗号』、『大列車作戦』などは、その代表作といえるだろう。
  

 
 しかし、美術好きであったナチス幹部たちには、奇妙な偏向があった。
 それは、徹底した「近代美術ぎらい」という傾向である。
 
 彼らは、20世紀になって台頭してきた新しい絵画の潮流をことごとく否定した。
 特に、キルヒナー、ノルデのような表現主義的な絵画を、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌悪した。 

 
▼ エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー『月明かりの冬景色』。ナチスはこの絵を「歪んだフォルムと毒々しい色にまみれた野蛮な絵」 として非難した。

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 それだけでなく、モジリアーニ、ピカソシャガールパウル・クレーゴーギャンゴッホといった、「近代絵画」を支えるビッグネームの作品まで嫌ったというから、ナチス幹部の “美術品好き” というのが、いかに奇妙なバイアスのかかったものであったかということが分かる。
 
 
近代絵画に対する呪詛 「頽廃芸術展」
 
 彼らは、近代アートの何を嫌ったのだろうか。
 
 「頽廃的(たいはいてき)だからだ」という。
 その多くは、彼らに言わせると、
 「不健全で、病的で、背徳的で、刹那的であり、そのまま放置すると、ドイツ人の倫理感や美意識が損なわれる」
 ということだったらしい。
 
 そして、ナチスは1930年代後半、そのようなアートを非難して嘲弄するための「頽廃芸術展」をわざと公開する。
 
 これは、実は、一部のドイツ人の共感を呼んだ。
 “近代ドイツ人” といっても、すべての人々が「近代アート」という新しい潮流を好んだわけではない。

 たとえば、下のノルデの描くキリスト像などは、古典的な宗教画しか知らない素朴な民衆の目から見れば、敬虔な「キリスト教」を冒涜するものだと映った可能性もあり、すべての人が、ナチスの “美意識” を歪んだものだと受け止めたわけでもなさそうだ。

 
エミール・ノルデ 「昇天」

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 ナチスの呪詛の対象は、「爛熟した都市文化」に向かった。
 彼らが嫌ったのは、何よりも、消費都市の無秩序と、狂騒と、刹那的な享楽であった。
 だから、それをそのまま描いたようなゲオルググロスの『メトロポリス』(下)のような作品が、真っ先に “目の敵(めのかたき)” にされた。


▼ ゲオルググロスメトロポリス

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 都市文化は、ナチスから見れば、“大地に根ざす伝統的なドイツ文化” を崩壊させるものであり、人々に軽佻浮薄な精神を植えつけ、堕落と頽廃へ誘うものとされた。
 
 こういうナチス的な “倫理観” が生まれる背景には、第一次世界大戦後のドイツに誕生した「ワイマール共和国」への反発があったかもしれない。
 
 ワイマール共和国が成立した時代というのは、確かに、芸術運動としてのダダイズム表現主義、デザイン運動としてのバウハウス、さらに医学・思想的な運動としての精神分析学など、20世紀を代表する文化が一気に花開いた時代ではあったが、一方では、大戦の重圧から解放された人々の享楽主義、刹那主義がはびこった時代でもあった。
 
 戦争によって心の傷を受けた人々の “やけっぱちな快楽主義” が容認され、街にはキャバレーや娼館があふれ、倒錯的な性文化も蔓延した。

 
 この時代の雰囲気は、ライザ・ミネリが主演した映画『キャバレー』や、ヴィスコンティ監督の『地獄へ落ちた勇者ども』を見ると、よく伝わってくる。

 
▼ 映画 『キャバレー』 (1971年)

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 そのような “頽廃した都市文化” を憂う民衆も確かに存在したわけで、ナチスはそれらの声をたくみに利用した。
 
 「不健全なワイマール文化は、戦勝国英米政府とユダヤ財閥という黒幕によってもたらされたものだ」
 と、ナチス党員が訴えれば、それに賛同する国民も多くいたのである。
 
 
農村共同体の倫理こそナチス思想の基盤
 
 基本的に、ナチス思想というのは、農村文化に根ざしている。
 農業もしくは牧畜業こそ、原始ゲルマンの時代からドイツ民族の “崇高なる精神” を養う基幹産業であるという意識が彼らにはあった。
 
 ナチス・ドイツというと、フォルクスワーゲンのような自動車産業にも力を入れ、アウトバーンの建設も力を注いだことから、近代都市構想を推進した政権という印象が強いが、アウトバーンの発想の元になったのは、むしろ、地方農業を推進させるために、遠く離れた土地と土地を有機的につなげるためのものだったといわれる。

 

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 確かに、ヒットラーは「ベルリン改造構想(ゲルマニア計画)」なるものを持っていた。
 彼は、古代ローマ都市の復活を意図したかのような巨大ドームや凱旋門の建築を、建築家のアルベルト・シュペーアなどと進めていたが、それは巨大モニュメントを主体とした “劇場都市” といったもので、都市が不可避的に抱え込む混沌や猥雑さはそこからは排除されていた。
 
 都市は、あくまでもナチスにとって、民族の団結力と国力の誇示を表現するための象徴空間にすぎなかったといえる。

 
▼ 「ゲルマニア計画」のために模型化された巨大ドーム

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 このような「脱都市化」と「農村美化」は、ナチスの精神構造だけに限定されるものではなく、もともとゲルマン人の内陸的な性格によるものといっていい。

 
 ほの暗い森と、その隙間に生まれるわずかな農耕地を生活基盤として暮らしてきたゲルマン人にとって、先祖代々から伝わる “大地” こそ自分たちの精神をはぐくむ場所であり、それを守ることが戦士としての男の義務であり、その戦士を産み育てることが、女の責務であった。
 
 このような精神構造は、海洋交易を発展させてきたラテン人やアングロ・サクソン人の思想とは相容れない。

 
 英米の資本主義文化を強く反映したワイマール共和国に対するナチスの嫌悪は、原始ゲルマン世界に郷愁を抱くドイツ国民にも通じ合うところがあったのかもしれない。
 
 
ユダヤ嫌いの本当の理由
 
 農耕体質を持つゲルマン人にとって、海洋交易で鍛えられたラテン人やアングロ・サクソン人は、ゲルマン人から見ると、確かに自分たちとは異質な民族に思えたが、彼らにとってもっと “狡猾で信用できない民族” がユダヤ人であった。
 
 ユダヤ人は、イスラエルという国家を持つまで世界中に分散しており、当然ドイツにも多数のユダヤ人が生活していた。
 
 彼らは、ヨーロッパ社会で数々の排斥を受けた経験上、どこの国でも手っ取り早く商売を始められる金融業に手を染めることが多かった。

 
 それは、「金貸し業」というものが、どこの社会においても忌み嫌われる傾向にあったため、成り手も少なく、新参者でも比較的手を出しやすい業種だったからである。
 
 ナチスが政権を取った時代には、ドイツではユダヤ系の金融資本が大いに成長しており、ドイツの工業化は、そのユダヤ資本によって進められる傾向があった。
 
 ナチスはそのユダヤ資本を強奪する方法を思いつく。
 それこそが、「商人に嫌悪感を抱く、ドイツ人の農村共同体的な感情」を刺激することだった。
 
 それには、
 「ユダヤ人が運営する都市工業社会が、農村部から若いドイツ人男女を徴発し、地方産業を疲弊させている」
 と訴えればよかった。
 
 ここから、あの悪名高きナチスの “ユダヤ人狩り” が始まる。

 

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ナチス芸術が目指したもの
 
 彼らが推進したユダヤ人排斥運動は、先ほどの「頽廃美術展」にも反映されている。
 「頽廃美術展」に作品を提示させられた画家の中にはユダヤ人も多かったが、ユダヤ人以外の画家が描いた絵においても、「ユダヤ的だ」という理由がつけば、それは頽廃芸術と見なされた。
 
 ナチスは、徹底して、「頽廃」「背徳」「病的」「不健康」というイメージをユダヤ的なものに重ね合わせた。
 また、それを政策として訴えるには、視覚効果の高い絵画を利用するのが手っ取り早いという計算も働かせていた。
  
 
 では、「頽廃芸術」とは逆に、ナチスが推奨した芸術とはどんなものだったのだろうか。
 
 近代アートに「頽廃性」を見出したナチス幹部は、それとは逆の、古典主義的な規範を持った美術に、自らの理想を託した。
 具体的にいえば、ギリシャ的なものへの回帰である。

 
 健全な肉体美をおおらかに称えるギリシャ彫刻に、彼らはユダヤキリスト教的な文化に “侵される” 前の「原始アーリア人」の “美” を見出した。
 
 それは、レリーフでいえば、下のアルノ・ブレーカーの『勝者の出発』のような作品に代表される。
 

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 しかし、このレリーフには、どこか古典ギリシャ彫刻に見られる格調の高さがない。
 何かが欠けているか、あるいは、何かが過剰になっている。
 
 欠けているのは、美に対する純粋な追求心であり、過剰なのは、政治的プロパガンダを意識した “作為” だ。
 
 「健全な魂は、健全な肉体に宿る」という理念を訴えるために、ことさら「強靭な肉体」や「戦闘的な意志」が強調されているが、そこには、きわめて政治的な意図も見え隠れしている。
 
 
なぜナチスは裸婦像を好んだのか
 
 ナチス美術の特徴は、さらに女性の裸婦像を見たときに、より鮮明に浮かび上がってくる。
 
 ナチス幹部は、裸体画を好んだ。
 なぜなら、それこそが、ギリシャ彫刻のような “健全な肉体美” を訴える格好の素材であったし、近代アートを理解できない大衆に対して、見慣れた画像を与えて安心させる効果があると考えたからだ。
 

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 しかし、その裸婦像にも、何か奇妙な空気が漂っている。
 上のヨハン・シュルトの描く『人生の春』は、そのタイトルに反して、なぜかはつらつとした勢いに乏しく、どこか物憂い。
 古典絵画というよりも、彼らが嫌うアメリカ文化に登場するピンナップガールのようなチープなエロスが臭ってくる。
 
 下は、イーヴォ・ザリガーの『ディアナの休息』。
 ディアナはギリシャローマ神話の「狩りの女神」だから、古典美術に範を求めるナチス美学のニーズに、見事にかなったテーマといえるだろう。
 

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 だけど、この絵にもやはり奇妙な違和感が漂う。
 早い話、野暮ったいのだ。

 
 これは、古典絵画の舞台を使いながらも、(当時の)現代ドイツ女性をそのまま押し込めただけの絵といっていい。
 いわば、古典の規範と現代風俗を安易に結合させた野暮ったさがどうしても拭いきれない。
 
 画家が手を抜いたわけではない。
 むしろ、野暮ったさにこそ、ナチスの政治宣伝が塗り込められていると見るべきだろう。
 
 一言でいえば、これは近代ドイツの農婦たちである。
 ドイツ人の魂である「農村共同体」を支える女たちなのだ。
 つまり、アルノ・ブレーカーのレリーフに登場するような男、すなわち日頃は農作業にいそしみ、戦時においては戦士として勇敢に戦う男たちの「母」なのである。
 
  
女性を “道具” と見なす家族観
 
 このような絵画から、ナチスの「家族観」というものも読み取れるだろう。
 それは徹底的に、ホモソーシャルな世界観に基づいている。
 
 ホモソーシャルな世界とは、「女性を排除した男同士の社会」を指す。
 “女性嫌い” という意味ではない。
 女性を、「戦士を産むための道具」、「男の性欲を満たすための道具」と見なす思想をいう。
 
 ナチス好みの裸婦像に登場する人物が、みな空虚なメランコリーを湛えて(たたえて)いるのは、彼女たちが、「男の性欲と生殖の道具」と見なされることに抵抗する気力を失っているからだ。
 そして、それこそが、ナチス的な男たちの思い描く “女性美” であったかもしれない。
 
 そのことを、さらに端的に物語るのが下の絵。
 これは、ヒットラーに最も高く評価された画家といわれたアドルフ・ツィーグラーの「裸婦」である。
 

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 少女であることを思わせる小さな乳房。そして、ヘアリボン。
 一目見ただけで、ロリータ趣味の男を喜ばせるアイコンが散りばめられていることが分かる。

 
 それでいて、この女性の首周りと乳房の下には、成熟した女性が見せるような “たるみ” がリアルに浮かんでいる。
 実に倒錯的なわいせつさに満ちた絵である。
 
 このような絵画を愛好したナチス幹部の心情の方が、彼らが排斥した「頽廃芸術」よりも、さらに淫靡(いんび)で頽廃的であることはいうまでもない。
 
 ナチス幹部の歪んだ性嗜好を映画として表現したものに、リリアーナ・カヴァーニ監督が撮った『愛の嵐』(1973年)がある。
 

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 ここでは、強制収容所に入れられた少女(シャーロット・ランプリング)が、ナチス幹部を喜ばせる余興として、ナチの軍帽をかぶり、サスペンダーで吊ったズボン姿で歌わされるシーンが出てくる。
 
 痩せた肢体に、貧しい乳房。
 しかし、それがゆえに、逆に際立ってくる倒錯的なエロス。
 それはまさに、先ほどのアドルフ・ツィーグラーの描く「裸婦」とぴたりと重なる。
 
 「健全な肉体美」を標榜していたはずのナチス芸術が、実は、もっとも淫靡であったということは、ヒットラーやその側近たちの計算違いだったのだろうか。
 それとも、それこそが、彼らの求めていたものだったのだろうか。
  

ハワイアン サウンドの快楽

 
音楽批評
カントリー・コンフォート

とジョン・クルーズ 

 
 サーフィンもできない。
 まず、第一に泳げない。
 犬かきで2mも進めば、自分としては上出来なのだ。

 

 それでも、無類に「南の海」が好きだ。
 「時間があったら何がしたいか」と問われたら、使いこなせないサーフボードをそばに置き、波に乗っている自分を想像しながら、南の海を一日中眺め、ハワイアンロックでも聞いていたい。
 
 そんなふうに思っていた時代がある。
 今も、ときどきそう思う。
 
 自分の場合、そういう気持ちの高ぶりを引き出すのは、すべて音楽なのだ。

 

Country Comfort

 70年代の中頃のことだったろうか。
 ラジオから流れてきたカントリーコンフォートというハワイのフォーク・ロックグループの音に、コロリとまいってしまったことがある。

 

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 アコースティックギターを使い、ひたすらメジャーセブンス系の簡単なコードを飽きもせず繰り返すだけの、およそテンションというものが微塵も存在しないロック。

 しかし、そのまのびした音の中に、ヤシの葉陰を通って地上に舞い散る日差しのきらめきがあった。
 波の音も、潮の香りも漂ってきた。

  
 それを聞いているだけで、頭の中の脳みそがとろとろと流れ出し、代わりに、けだるい南国の微風が、からっぽになった頭の中を満たしていくような気がした。
 人間が手に入れられる究極の「快楽」は、そこに尽きるような気がした。 

 

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▼ Sunlite Moonlite/Country Comfort

youtu.be 
 

John Cruz

 
 しばらくそんな気分を忘れていたが、NHKの音楽番組でジョン・クルーズ(写真下)というミュージシャンの『アイランド・スタイル』という曲を聞いた時、久しぶりにその感覚を思い出した。

 

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 番組の説明によると、ジョン・クルーズは、オアフ島出身のシンガーソングライターで、アメリカの東海岸で15年もの音楽修行を積んだ人だという。
 家族はもともと音楽一家で、彼も小さい頃から父親のバンドで練習を重ね、やがて音楽ビジネスで一人立ちしようと思い、アメリカ本土へ出立する。

 

 しかし、何年暮らしても、都会生活になじむことができない。
 故郷のハワイに対する望郷の念がつのる。
 そんな思いから生まれた曲が、『アイランド・スタイル』だったという。


▼ Island Style/John Cruz

youtu.be  
 テロップに流れる歌詞をたどると、
 「島には島の流儀というものがあるのさ」
 という故郷ハワイのたわいない日常生活の一コマを描きながら、ハワイ的生活に対する愛着と、ハワイ人としての誇りが歌われているようだ。

 

 たとえば、
 「週末には、お祖母ちゃんの掃除の手伝いにいかなきゃなんないんだ。お祖母ちゃんはタロイモが好物でね。そんなお祖母ちゃんが僕らは大好きなんだ」

 

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 家族や仲間との何気ない日常生活。
 その退屈な繰り返しの中にこそある「幸せ」 。
 それを、ゆったりと噛み締めながら生きることが、「アイランド・スタイル(島の流儀)」。

 

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 この曲を書いたことで、彼はアメリカ本土での生活と決別し、ハワイに帰ることを決意する。
 
 歌には、そのさっぱりした気持の切り替えが、鮮やかに滲み出ている。
 曲調は、どこかカントリーミュージックの気配が漂う。

 
 あるいは、ジョン・デンバーが歌った「カントリー・ロード」のような、都会人の郷愁を誘う “田舎感” のようなものも伝わってくる。
 それは、アメリカ本土の生活からジョン・クルーズの身体が吸収したものかもしれない。

 

 にもかかわらず、これはやはり「南の海の歌」なのだ。
 降り注ぐ南国の太陽と、頬をかすめる潮風と、足の裏に伝わる熱い砂の感触がある。

 

 そこには、あきらかに、彼が暮らしたニューヨークやボストンとは異なる時間の流れが感じられる。
 たぶんそれは、アメリカ本土で生活体験があったからこそ見えた、ハワイの本当の姿だったのかもしれない。
  
 故郷を知るには、人はいったん故郷を “外” から眺める必要がある。
 そのディスタンスの感覚を「ノスタルジー」というのだろう。

 

 テレビ番組を見たあと、久しぶりに昔聞いたカントリーコンフォートも聞きたくなった。

 こちらは、もう40年も前の音だ。
 しかし、心地よいアコギの音は、まったく古びていない。
 というか、こういう音は古びようがないのだ。
 それは、自然の音だからだ。
 風の音、波の音が千年経っても、変わることがないように。

 

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書きたい原稿があったら今すぐ書け!

 
  堀井憲一郎さんの

『今すぐ書け、の文章法』 

 

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すぐに書けないものに、
面白いものがあった試しはない
 
 コラムニストとして、数々の名文を残している堀井憲一郎さんが、2011年に発表した文章読本の決定版。
 私などは、昔これを読んで、かなり勉強させてもらったものだ。

 

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 「いますぐ書け!」
 というのは、「定年退職を向かえ、時間ができたら、自己表現としての自分の半生記でも 」などと考えているような人たちに向かって、「いますぐ書け!」と言っていると思えばいい。
 
 つまり、そんな余裕をもって書こうとした文章に、面白いものがあったためしがない というアイロニーが、このタイトルには込められている。
 
 プロは、誰でも「いますぐ書いている」。
 締め切りに追われて、「いますぐ書かざるを得ない」。
 
 だから、このタイトルは、アマチュアの文章書きに向かって、「プロってのは、こういうものなんだよ」ということも伝えようとしている。

 
文章の面白さを決めるのは
人へのサービス精神

 

 では、堀井さんのような文章を書くコツとして、何がいちばん大事か?
 それは次のようなものだ。
 
 「文章を書くことの根本精神はサービスにある。サービスだと捉えられていた人だけが、お金を取れる文章を書けるようになる。
 サービスとは、“読んでいる人のことを、いつも考えていること” である。
 “文章を書く技術さえあれば、何とかプロの一角にもぐりこめるんじゃないだろうか” と思っている人が多いだろうが、大きな間違いだ。
 プロの一角に食い込めるのは “文章を書くことがほんとうにサービスだと思っている人” だけである」
 
 これがすべてである。
 この本に書かれていることは、基本的にこのメッセージの変奏曲にすぎない。

 
 
 「サービス」という言葉の意味を分かりやすくいえば、それは読者に「笑ってもらうこと」だ。
 決して、「心を打たれた!」「感銘を受けた!」「世界の構造を分析する新しい視野が獲得できた!」 ではない。
 でも、「笑えた!」は、そのすべてを含む。
 堀井さんは、そう言おうとしている。

 
 
 「プロになる」ことは、けっこう厳しい。
 要は、「お金をもらうこと」であるから、時には、自分の意に沿わないことも書かねばならない。
 「だったらアマチュアのままでいい」と思う人も多いだろう。
 しかし、堀井さんは、「自分の意に沿わない」と思う心こそ “読者” というものを考えたことのない人の発想だと言い切る。

 
 
 「アマチュアが文章を書いているときに設定している読者は、“きちんと読んでくれる読者” ですね。自分の意図に沿って読んでくれて、好意的に同調してくれる読者。
 しかし、それは読者とは言わない。自分の考えの反射でしかない」
 
 で、彼は、次のように続ける。

 
読者とは我がままで身勝手な人間のこと
 
 「雑誌を書くライターが想定しているのは “きわめて不親切な読者” である。
 私個人に興味などなく、私の書いたものを読もうとして雑誌を手に取ったわけではなく、たまたま偶然、私の文章を目にした読者。
 それが “プロの物書きが想定する基本読者” である。
 だから、文章書きの資質は、“さほど熱心でない読者をこちらに振り向かせる工夫が好きかどうか” で決まる。
 それが面倒くさいのなら、文章書きは目指さない方がいい」

 
   
 もちろん、人が何をどう書こうが、それは個人の勝手である。
 特に、ブログのように、別にお金をもらうわけでもない文章は、書き手の自分が気持ちいいままに書いたとしても、誰からも文句をいわれる筋合いはない。
 しかし、読者は得られない。
 「読者」の前に「多くの」という言葉をつければ、なおのこと正確かもしれない。
 
公的な立場に立った
社会的な発言は最悪の文章

 

 自分だけが気持ちよくなる文章の典型として、堀井さんは、「社会的な発言」という例を出す。
 
 「人さまに見られる文章を意識したとき、雑誌であれ、社内報であれ、新聞の投書欄であれ、人はいきなり社会的価値のあることを発言しようとし始める。“公” の立場に立って、人さまに間違いを指摘する存在と化す。

 いわく
 “ 現政権の場当たり的な政策はまさに憂慮すべきものである ”
 “ 地球環境を考えたとき、我々のとる行動はもっと自覚的であらねばならない ”
 “ 教育制度はまさに破綻し始めており、もっと現場の声を教育政策に反映せねばなるまい ”
 等々等々等々等々。

 こういう “社会的発言” こそが、文章を書くときの『敵』である。
 たぶん言っている本人はすごく高いところから発言していて気持ちいいんだろうけれど、でもそんなところからは人を動かす何かは絶対に生まれてこない」
 

 
 ま、耳が痛いよね。
 でも、自戒の意味も込めて、もう少し引用しよう。
 
 「公的な立場から話すと、何の迷いもなく立場を明確にできる。楽である。
 そう、公的な話題を選ぶというのは、ラクしてるのよ、あなた。
 社会正義は、とにかく人をげんなりさせる。社会正義を語るのは “逃げ” である。
 人は “他人の意見” なんか聞きたくない。聞きたいのは “他人のお話” だけである」
 

読者が読みたいのは、作者が
“血を流した” ときの体験記だ
 
 ここで、「他人のお話」と書いてあるところは、きわめて重要。
 つまり、他人の体験。
 書いた人が自分の “身体” を使って感じたこと、眺めたこと、驚いたこと、感心したこと、怖い思いをしたこと。
 それだけが、読者の興味をつなぎとめる。
 そういうことを、彼は言いたいのである。
 
 また、引用。
 
 「(社会正義を語るような)頭の中で発想したものは、自分なりに理路整然としていて、考えている当人にとってはとても気持ちがいい。
 でもその気持よさは “先人が開拓してくれた道” を苦労せずに歩んでいる心地よさである。
 それはふつう、“手垢にまみれた発想” と呼ばれる」

 
 堀井さんに言わせると、
 「事件は必ず身体に起こります。頭の中では起こりません。
 頭が制御して到達しようとしている世界は、なぜか “標準” です。
 頭は、ほうっておくと標準をめざす。頭はとにかく “みんなと共有できる部分をどれだけ増やすか” という訓練ばかりさせられてきたからですね。
 標準はわかりやすい。見ていて安心する。そのかわり、どこにも個性はない」
 


 まぁ、さっきから同じことを繰り返しているわけだけれど、この本はそういう本なのである。
 反復、繰り返し、言い換え。
 結局、同じような内容なのだけど、語り口の変化で、最後まで読ませようという本だ。
 
 こういうのを「洗脳」という。
 
 だけど、この「洗脳」は信じよう。なんだか面白い文章を書く能力が備わってきそうに思えるからだ。
 
 彼はいう。
 
 「では、どういう文章を人は面白いと思うのか。
 “知らなかったことを知る”
 そのとき、人は面白いと思う。
 知らなかったことを知ったとき、人は(自分の)何かが変わった感じがする」

 
読者は、
自分が変わることを求めている
 
 ここは大事なところかもしれない。
 確かに、「自分の何かが変わったと感じる」というのは、人にとって快感だ。
 退屈な日常生活が続くなかで、小さな変化が起きる。
 それは、明日につながる元気をもらうことになる。
 
 で、堀井さんは、「小さな変化でいい」という。
 
 「( 読者に変化を与えるというと)、まるでフランスの啓蒙思想社会主義の革命思想につながりそうな壮大な言葉に聞こえるけれど、もっと細かいことでいい、細かいことの方が、人を変えやすい。
 “唐揚げを簡単においしく揚げる方法”  でいいのである。
 それで唐揚げを画期的に手際よく揚げられる人が出たら、誰も読んでくれない高邁な自己完結型の革命論よりはるかに価値がある。
 簡単な唐揚げの方法には、実際に作った人の説得力がある。
 頭の中で考えられた精密なる理想的革命論には、身体性がない。それでは人を動かせない」
 
 名エッセイというのは、その人を変える要素を心地よい文章でくるんであって、その、底に沈んだ尖った部分をストレートに感じないように仕上げてある。その装いのさりげなさに凄みがあるのだ」
 
 
作者の “熱” は必ず読者を興奮させる
 
 なるほどね。
 椎名誠なんかのエッセイとかも、結局、「ビールを飲むときは、どんな仲間がいいか」みたいな話ばっかりだもんな。
 そこで、さりげなく描かれる人間観察が、けっこうある読者にとっては「哲学」になっていたりするんだよね。
 
 では、どんなことから書き始めればいいのか。
 
 「人に話していて楽しいこと、自分が好きなもの、そこから始めるのがよろしい。
 そのときに発する熱が一種異様さを帯びると、その対象に興味がない人も惹きつける。
 それは、その、話している内容や対象物ではなく、話している当の本人の熱情が異様で面白く、その熱を感じて、人が寄ってくるのだ」

 
 
 最後に、「オリジナリティ」というものが何であるか。
 自分がいま、オリジナリティを発揮できるようなものに触れているのかどうか。
 それを確認するときの心構えのようなものを紹介する。
  
書くことの畏れ(おそれ)、
それがオリジナリティを生む
 
 「何か新しいことを書くとき、そこには畏れ(おそれ)があるはずだ。
 かつて誰も言ったことがないことだし、ということは自分でもそういう意見や文章は見たことがないもの、それを今から書こうとしている。
 怖くないわけがない。


 でも、そこを押し切って出ていくのが、文章を書く、ということなのだ。
 新しいことを書くときに、これはほんとうに書いてしまっていいのだろうか、という恐れを抱くのがふつうである。


 それと同時に “これはもう誰かが書いたことなのではないか” という不安も生まれる。
 何かを書くとき、常にこういう不安に駆られる。
 不安になるのが普通である。


 もし、不安を抱かなかったとしたら、それはおそらく “誰か他の人が言ったこと、すでに世間では認められている意見” を重ねて言おうとしているだけなのだ。
 常にどこかから “それは違う” という異論が出そうだと思われるものこそ、今まで書かれたことがないもの、面白さの可能性を持つものである。
 書いているものに不安を抱かないのなら、おそらくその文章は、つまらないものである」
 
 けっこう、このくだりはビビッと来た。
 
 皆さんも読んでみてください、この本。
 これは文章読本ではあるけれど、それ自体が “面白い読み物” になっている。
 もっとも、それこそが、堀井さんが目指したものなんだろうけれど。

  

 

I'd Rather Go Blind

むしろ盲目になりたいくらいの悲しさ

映画批評
キャデラック・レコード

 

 「恋」って、当人が経験するのが、もっとも感動的なものかもしれないけれど、文学や映画で疑似体験する「恋」にも、なかなか切ないものがあったりする。
 
 特に、優れた「恋の終わり」を描いた作品は、時に、恋愛を実体験する以上に、人間の情感を嵐のように揉みしだくことがある。

 

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 そのような恋を語る映画のひとつに、2008年につくられた音楽映画『キャデラック・レコード』がある。
 1960年代のアメリカ音楽シーンが大きく変化しようとしている季節に、ひっそりと終りを告げる一つの恋物語だ。

 黒人に対する人種差別と偏見が満ちあふれた1950年代のアメリカ社会で、黒人音楽を立派なビジネスに成長させたレコード会社の社長レーナード・チェス。
 その彼の抱えるアーチストの中でも、エタ・ジェイムスは女性シンガーの頂点に立っていた。

 

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 不幸な生い立ちを持つエタを励まし、一人前の歌手に育てようとするレーナード・チェスとエタ・ジェームスとの間には、いつしか、「経営者」と「専属歌手」以上の感情が芽生える。
 
 しかし、レーナードには妻がいた。
 二人の恋には、成就することのない結末しか待っていないことは、お互いに分かっていた。

 

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 さらに、レーナードには、もう一つの別れが加わる。
 一時代を築いたチェス・レコードも、音楽の流行が変わっていくにつれ、経営が思わしくなくなり、レーナードはその経営権を手放さざるを得なくなったのだ。
 
 だから、ここでビヨンセ演じるエタ・ジェイムスが歌う「 I’d Rather Go Blind 」は、レーナード・チェスが失おうとしているすべてのものに対する挽歌となる。
 
 もちろん、実話とはかなりかけ離れたストーリーではあるのだが、複雑な経緯をものすごくシンプル化した設定は、恋愛映画としてみれば、もう完璧なシナリオだ。
  
 愛する男レーナード・チェス(エイドリアン・ブロディ)の前で、最後のレコーディングに臨むエタ・ジェイムス。
 このシーンは、この映画の後半の大きな山場をなす。
 ビヨンセ扮するエタ・ジェイムスが歌う「 I'd Rather Go Blind 」はもう涙モノだ。

 

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  歌詞がいい!
 
 「 I‘d Rather Go Blind 」
 
 いっそ、盲目になれたなら。
 
  Something told me it was over
  When I saw you and her talking
  Something deep down in my soul said, 'Cry, girl'
  When I saw you and that girl walkin' around
  Whoo, I would rather, I would rather go blind, boy
  Then to see you walk away from me, child, no
 
  すべてが終わってしまったことを、私は知った。
  あなたが、彼女と話しているのを見たときに。
  思いっきり泣くしかないではないか。
  彼女と楽しそうに歩き去るあなたを、この目で見てしまったのだから。
  もう見たくない。
  いっそのこと、盲目になれたら。

 

 エタ・ジェイムスのバージョンが大ヒットしたので、いろいろな歌手がカバーしている。
 私も、昔ロッド・スチュワート版で聞いている。
 ほかに、スペンサー・ウィギンズ、クリスティン・マクヴィーらのカバーがある。
 YOU TUBEで、いくつか探して聞いたけど、やはりエタ・ジェイムスのものがいい。
  
 しかし、それと同じくらい、このビヨンセのバージョンが素晴らしい。
 なにしろ、思いのたけを、「会話」ではなく、「歌」で伝えようとしているビヨンセの表情が切ない。

 

 そして、その歌を背中で受け止めながら、振り向きもせず去っていくエイドリアン・ブロディの後ろ姿が悲しい。
 
 「SOUL MUSIC」 という言葉が、いとも簡単にあちこちで使われているけれど、私が知っている限り、ソウル・ミュージックとは、こういう歌を指す。 
 
 ↓  なんと切ない映像なんだ !

youtu.be

 

キャバ系でモテるコツ

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 人間のさまざまな欲望の中で、いちばん奇怪なのは「モテたい」という欲望。
 これ、何なんだろうね?
 特に男にとっては、「モテる」ということが、時に、カネや名誉よりも切実なものとして感じられる時があるんだな。
 
 で、男たちは、たとえ擬似的でも「モテた瞬間」を手に入れたいために、キャバレー、キャバクラといった「キャバ場」に顔を出すことになる。

 たとえ1時間 3、000円取られても、若い女の子がぴったり寄り添ってくれて、酒を注いでくれて、時には腕を組んでくれたり、さらに店によっては × × × (← 注)を触らせてくれたりするわけだから、一瞬のモテ幻想に酔えるわけだね。
 
 ※ 注× × × は次の中から選択可 小指鼻の穴
  
 
 でもさぁ、そういうところに行っても、誰でもモテるわけでもないんだよね。
 
 カネがありそう見えるかどうか。
 関係ないね。
 
 イケメンであるかどうか。
 それもあんまりねぇ ……
 
 話が面白いかどうか。
 男がもっとも誤解しているのが、それだな。
 俺の話は面白い ! って自分で思い込んでいるヤツの話なんて、たいていの場合、たいしたことないんだよね。
  
 
 でもあるよ。モテるための必勝法が。
 
 それはね、自分の一番 “モテ要素” と信じているものを自ら封じることなんだよね。
 つまり、「オンナは、俺のココに魅力を感じるだろうな」と自分で信じているものをまず封印すること。
 それが必勝法。
 

 なぜかといえば、自分の一番のチャームポイントだと信じているものを無理矢理押し出そうとするとね、たいていの人間は、「どーだスゴいだろうぉ!オーラ」がギンギンに出過ぎちゃうわけ。
 それって、商売女からすれば、「バカがまた1人」になってしまうんだよ。
 
 特に、仲間同士でくり出すときは要注意。
 男同士で「モテ度」を競うようになったときは、一番 “モテ” を強調するヤツから、逆に “馬群” に沈んでいく。
 
 比較的許されるのは、自分自身を笑いのネタにするヤツ。
 いわゆる “自虐ネタ” 。
 これは、だいたいどこでも歓迎される。
  
 
 「この前よ、オレの頭の後ろを写真に撮ったヤツがいたの。それを見たら、スポットライトが当たる場所でもないのに、オレの後頭部に光が当たっているのよ」
 「わー、ナニナニ?」
 
 「で、カミさんが、その写真見てよ、“あら知らなかったの? もう3年前からですよ” って言うんだよ」
 「えー、どこどこ?」
 
 「ここだけど
 「あ、大丈夫ですよ。まだボール大だから。帽子かぶってりゃ分かりませんよ」
 
 …… おいおい、ボール大ってほんと?
  
 
 そこでメゲてはいけないのである。
 モテるためには、さらなる自虐ネタを繰り出さなければならない。もう少し辛抱だ。
 
 「ま、ハゲとデブはモテないというけどさ。その二つが重なると辛いよな。ハゲの方は帽子かぶってりゃ何とかなるけど、お腹が出てきたら防ぎようないしな。
  “むかしは相撲取りだった” なんて冗談も通じねぇしよ(笑)」
 
 「大丈夫ですよ。私、お腹の出ているくらいの男の人が好き。だって、自分の欲望に忠実そうな感じじゃないですか。食べたいだけ食べて、ブクブクしている人って、男らしいなぁ!」
 
 …… お前、本気?
 それにしても、ブクブクって 、もう少しほかの言い方ないの?
  

 ここでメゲてはいけないのである。
 
 「まぁお腹の方は、まだベルトをギュッと締めて我慢していりやなんとかなるけれど、足が短いのはごまかしが利かないよなぁ」
 
 「大丈夫ですよ、座っていれば分かりませんから。お客様の場合、けっこう背が高そうに見えますよ」
 
 …… 要するに、胴長って意味?
  
 
 「足が短いのは座っていればごまかせるけど、俺ねぇ、極端なO脚なのよ。ま、幼い頃から乗馬やっていたからしようがないんだけどね」
 「へぇーカッコいい! どうせなら、もっと曲がっていれば、カバにも乗れますよね」
 
 …… カバにまたがってどうすんのよ。バカにしてんのか?
  
 
 そこでメゲてはいけないのである。
 
 「ま、モテなくたってさ、こうやって可愛い女の子と一つ屋根の下で肩を寄せ合っている時間が持てるだけで幸せかもな」
 
 「そーですよ。私なんかも、毎日深夜に帰って、誰もいない部屋の明かりを自分でつけて、“ああいつまで独りぼっちの生活を送るのかなぁ ” とため息ついているときに、ヒョコっとゴキブリが顔を出しただけで、“一つ屋根の下に私と同じ生き物がいたんだ !” と、たとえ隣にいるのがゴキブリだってしみじみしちゃうことがあるんです」
 
 …… あのさぁ、なんでそこでゴキブリの話が出るの?
 それって、俺のこと?

 

  

バブル期の「不倫」はビジネスだった

桐野夏生とは編集

 
 


文芸批評
桐野夏生 『猿の見る夢』

 

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 桐野夏生氏の話題作『猿の見る夢』(講談社 2016年)を読む。
 ある意味で、“完璧な娯楽小説” 。
 SFだとか推理モノとか、ホラーとかいうジャンルに関係なく、「娯楽小説」の定義を、「ページをめくる手が止まらなくなる小説」とするならば、これはほんとうにそのような作品である。

 
 450ページに及ぶ長編であったが、「次の展開がどうなるのか?」という興味に急き立てられるように、ほぼ2日で読了した。

 

▼ 作者・桐野夏生

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 ネタバレになっても、それで面白さが変わるような作品ではないので、簡単に概要を記すと、社会的成功を収めたサラリーマンの定年後の安定した生活と夢が、あることをきっかけにボロボロと崩れ去っていく話、といえばよいのだろうか。
 
 主人公の「薄井正明」は59歳。
 順風満帆のサラリーマン生活を送り、自分を引き立ててくれた現会長の覚えもめでたく、目の前には「次期社長」の夢もちらつき始めている。


妻と愛人を両方あやつる
やり手サラリーマン

 

 もちろん、家庭生活にも何の支障もなく、妻子も健在。
 そして、こっそりと関係を続けてきた10年来の愛人との仲も良好。
 週に1~2度は、都内の一等地にマンションを構える愛人宅に転がり込み、ワインを飲んで、愛人の手料理を味わい、セックスを楽しむ。

 

 この男、どうしたら、そんな “うまい生活” ばかり享受できたのだろうか。
 59歳にして、「還暦」、「定年」、「老後」というテーマを抱えたという年齢から考えると、この主人公は高度成長期に生まれ、バブル時代に青春を謳歌し、その流れに乗って、苦労もなく大企業に就職したという経歴が浮かんでくる。

 
40代で愛人を貫く女の私生活

 

 一方、主人公の男と週に1~2度セックスを重ねる愛人は46歳。
 彼女は、年齢的にいうと、「ジュリアナ東京」がオープンしたときに20歳を迎えたという計算になろうか。

 

 つまりは、彼女もまたバブル文化の申し子なのだ。
 だから、今でも身の回りをすべてバーキンエルメスなどのブランド品で飾り、飲む酒もシャンパンかワイン。


 本来はこじゃれたレストランで外食することが好きなのだが、愛人である男の要望を受け入れ、自分のマンションに男を招き入れて手料理でもてなしている。
 そのために、彼女は男から月3万円のお手当をもらっている。
 
 しかし、内心それだけでは足りないと思っている彼女は、主人公とケンカするたびに、「今までの関係を清算したいのなら、指1本だからね」と脅迫する。
 “指1本” とは1,000万円を意味している。
 
 もちろん、男は1,000万円など払う気持ちもなく、月に払う3万円の手当ですら高いと思っている。


セックスする女がもう一人欲しい

 

 主人公の男は、愛人のほかに、もう一人別の女性にも狙いを付けている。
 会長の秘書を務めている38歳の女性である。
 バブリー志向の愛人とは違い、野暮な性格を持った庶民派の女なのだが、体つきが肉感的であり、主人公はそこに惹かれている。

 

 そのため主人公は、彼女を言葉巧みに夜の食事に誘い出し、高級ホテルのレストランに予約を入れ、さらに肉体関係に持ち込むために、別のホテルにもダブルベッドの部屋を予約。

 

 こうして、虎視眈々と新しい女の肉体をむさぼるつもりでいたが、その作戦は見事に見破られ、けっきょくレストランでは1万8,000円のワインをがぶ飲みされ、別のホテルのルームサービスでは5万円のワインを飲み逃げされ、計15万円ほど散財してしまう。
 
 
 すべてが、この調子。
 つまり、ここに登場する中年男女のラブゲームでは、すべておカネのやりとりが恋愛の基本フォーマットを形づくっているのだ。

 

 彼らは思う。
 「愛」というあいまいなものは、言葉で語り尽せるものでもないし、ましてや「心」などといった無形のものに還元することなどできない。
 「愛」を確認するいちばん確実な方法は、おカネ。
 その額で、愛の深さも計量できる。

 

 つまり、この小説は、日本の高度成長期からバブル期において、日本の “大人の恋愛” を成立させていた背景にあったものは「おカネ」だったということを解き明かす物語なのだ。


バブル期には、なぜ不倫がもてはやされたのか?

 

 80年代から90年代のTVドラマにおいて、そして流行歌において、日本人の恋愛は不倫一色に染め上げられた。
 なぜか?
 それは、あの時代、不倫がビジネスになったからである。
 
 結婚している男女の間に広がる市場は限られてしまう。
 しかし、不倫している男女の間には、飲食サービスにおいても、プレゼント品においても、旅行先においても、より豪華に、より贅沢に、市場は無限に広がっていく。
 「不倫はカネになる」
 世の中のビジネスプランナーやマーケッターたちはそう読んだ。

 

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 バブル文化というのは、早い話、“大人の男女” にとっては不倫文化にすぎなかったといっていい。

 

 しかし、不倫にも香気が漂っていた時代が、かつてあった。
 それは、恋愛が文学と結びついていた時代だ。
 ラクロの『危険な関係』、フロベールの『ボヴァリー夫人』、トルストイの『アンナカレーニナ』、スタンダールの『赤と黒』。

 

 恋愛は、文学やその他のアートに触発されるように誕生し、男女の関係の落ち行く先も、文学やその他のアートが松明(たいまつ)となって道を照らした。

 

 しかし、第2次大戦後、大衆文化の勃興とともに、エリートたちの教養で磨かれてきた恋愛文化の通俗化が始まる。
 そして、戦後の経済成長を背景に、“恋愛の文化” のフォーマットがカネを中心に形成されていく。
 その集大成がバブル恋愛であった。


性欲がむき出しになった不倫の末路

 

 日本においては、高度成長期からバブルの時代へと進んでいく過程で、「気に入った女の子と寝るにはクリスマスイブに1泊10万円の部屋を予約し、ティファニーのペンダントをプレゼントしなければならない」といった恋愛の数量化が始まった。
 このときに、それまで不倫を支えていた文芸的な香気も同時に失われた。

 

 近年の不倫に対する世間の糾弾が激しさを増してきたのは、要するに、文芸的香気を失った不倫が、単に男女の性欲がむき出しになった貧しいものになったからにほかならない。

 

 その発端は、1980年代にある。
 この時代の若者のセックス観がどんなものであったか。

 田中康夫は、デビュー小説の『なんとなくクリスタル』(1981年)の中で、ヒロインの口を借りて、こんなことを言わせている。

 

 「私がいやだったのは、彼ら(同世代の男たち)は、深い関係になった女の子の数を友だちと争うことしか能がないという点だった。女を陥落させるゲームを友だちと競争しているに過ぎない。
 だから、ラブ・アフェアーの経験は豊富でも、彼らは余りにも貧相だった。それに、彼らは話題に乏しいときていた。女の子と車の話題を彼らから取ってしまったら、彼らには何も残らない気がした」

 

 おそらく、ここに登場する “彼ら” の40年後の姿が、この『猿の見る夢』に登場する主人公だといっていい。
 その名前も、「薄井正明」。
 (正義も明晰性も “薄い男” という皮肉がこもったような命名である)。


怪しい占い師や預言者も出現したバブル時代

 

 さて、ここで、もう一つのテーマを語らなければならない。

 80年代のバブル期に恋愛のビジネス化が始まり、愛の度合いが計量化される時代が始まったともいえるが、しかし、人間の心が合理的に計算されるようになるということは、逆にいえば、合理化・計量化できない闇の部分も広がったということでもある。

 

 恋愛がカネで取り引きされる時代というのは、カネで解決できない恋愛の<闇>も深くなるということなのだ。

 近年、恋愛トラブルが発端となった不気味なストーカー殺人が増えているのも、そのことを物語っている。

 

 また、怪しげな占い師や預言者のたぐいが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、合理的な判断を下せると思い込んでいる人々を次々とマインドコントロール下において詐欺事件を起こしたりするのも、それと同じ構造である。

 

 実は、『猿の見る夢』という小説でいちばん重要な登場人物は、途中から登場する女占い師なのである。
 悩み事を抱えている主人公の妻が、ある日自宅に招いた女占い師が、主人公の運命を変えていくのだ。

 

 世の中のすべてのことを合理的な打算でしのいできた主人公は、当然、占いなどという “まやかし” を信じない。
 しかし、実際はこの怪しげな占い師の登場を機に、彼の人生は転落を開始する。


ホラーに近づいていく結末

 

 この女占い師の登場によって、徐々に、この小説にホラーじみた空気が漂い始める。
 最後は、まさに “あの世” の扉がかすかに開くような気配を漂わせながら、小説は幕を閉じていくのだが、その顛末は、ここでは触れない。

 

 装丁が秀逸。
 鴨居玲氏の『出を待つ(道化師)』という装画をあしらった装丁だが、この道化のやつれて崩れた表情が、主人公の崩壊を物語っているようで、切なくなる。
 けっして感情移入のできるような主人公ではないのだが、この絵を見た後に、ふたたび本文に目を通すと、零落していく主人公の肩に、ふと手をかけてやりたくなる。 
 

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campingcarboy.hatenablog.com

  

カラヴァッジオ 『聖マタイの招命』


絵画批評
キリストの教えを、
「思想」として理解した男マタイ
 
 
マタイはどこにいる?

 

 バロック時代のイタリア人画家カラヴァッジオが描いた『聖マタイの招命(しょうめい)』という絵には、後にキリストの弟子になるマタイという男が、キリストの要請に応じて、宗教者としての道を歩むきっかけとなったシーンが取り上げられている。

 

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 特徴的なのは、登場人物たちのファッションや風貌だ。
 キリストが生きた古代の風俗ではなく、カラヴァッジオが生きた時代の人々の風俗が採用されている。
 それも、みなカラヴァッジオの友人たちや、街でスカウトされた人たちがモデルとして使われている。
 
 そのことによって実現された徹底したリアリズムと、光と影のコントラストを強調した技法は、後のベラスケス、レンブラントルーベンスに多大な影響を与えた。

 さて、この絵の中で、はたしてマタイはどこにいるのか。
 つまり、絵に即していえば、キリストは、どの男を指さしているのか。

 

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 まず、絵の中央に描かれたヒゲのオヤジ(↓)が、
 「え、私?」
 と自分で自分のことを指差す姿に目がいく。
 

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 実際、長い間美術批評の世界では、このヒゲオヤジがマタイだと解釈されてきた。
 しかし、近年の研究では、そのオヤジのさらに左側で、キリストの招命などには無関心に、うつむいたまま、一心不乱にカネを勘定している若者(↓)がマタイだという説が浮上してきた。
 おそらく、その新説の方が正しい。

 

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 この絵は、キリストが収税所に立ち寄って、マタイに声をかけるところを描いた作品で、座っているのはみな収税所の役人たちである。
 貧乏人からも厳しく税を徴収する彼らは、当時は「罪人」と同じように、人々から忌み嫌われ、さげすまれていた。
 
 そのため、キリスト以外の宗派の宗教指導者たちは、彼らを「救われない者」と見定め、信仰者として教育することをハナっから嫌っていた。

 しかし、キリストは、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」として、収税者たちの間にも、積極的に分け入っていったという。
 
 で、マタイは、その “ありがたい” キリストの招命にもかかわらず、キリストには目もくれず、テーブルの上に散らばったカネを一心不乱に勘定しているというわけだ。
 
 カラヴァッジオは、なぜそのようなマタイを描いたのか。

 
極悪非道の無頼派カラヴァッジオ
 
 「カラヴァッジオ自身が、まさにマタイのような男だったからだ」
 という説がある。
 カラヴァッジオは、その鋭い写実主義的な技法で、「天才」の名をほしいままにした芸術家だが、当時彼を知る者たちはみな、「神の恩寵」を無視する罪深い画家だという認識を持っていた。


カラヴァッジオの自画像

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 つまり、激情型の彼は、日常生活では、問題を起こしっぱなしだったのだ。
 酒場では、しょっちゅう他のお客に議論をふっかけ、喧嘩を起こし、暴力沙汰で逮捕されることなど日常茶飯事だった。
 
 1606年には、ついに賭博の掛け金をめぐって殺人事件を起こし、ローマから逃亡。
 マルタ島に移ってからも、やはり暴力沙汰で投獄され、脱獄してシチリアナポリを転々としたと伝えられている。
 
 日常生活では、地獄の劫火に焼かれながら過ごすカラヴァッジオだが、ひとたび絵筆を取ると、同時代のどんな画家よりも「人間の真実」に迫る、恐ろしいほどリアルな世界を描き続けた。

 だから、「マタイという、キリストの招命を受けて改心するならず者のドラマは、自分以外の画家には描けない」という強い思いがカラヴァッジオにはあっただろう、と美術史家はいう。


「マタイは俺だ !」
と画家は叫んだに違いない

 

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 絵の中に描かれた、カネ勘定に励むマタイの横顔は、よく見ると、動揺しているようにも、泣いているようにも見える。
 そこには、酒に酔えば必ず暴力沙汰を引き起こす自分の弱さを悔いているカラヴァッジオ自身の姿が見える。

 

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 マタイは、結局キリストの信頼に応えられる弟子となり、その言行を「マタイ伝」として記し、後世にキリストの教えを忠実に残すことになる。
 そして、後にエチオピアで、キリストの教えを広めている最中に、当時の王の怒りを買い、刺客に殺されて殉教したと伝えられている。

 そういうマタイを描いたカラヴァッジオ自身も、人を殺した罪人として許されることなく、マラリアに侵され、短い生涯を閉じる。


「マタイ伝」の怖さ
 
 カラヴァッジオは、はたして、自分が描いたマタイという人物のことを、どれだけ知っていたのだろうか。

 「マタイ伝」(マタイによる福音書)は、キリストの最初の12人の弟子の1人であるマタイが書き残した “キリストの言葉” である。
 このような福音書は、ほかにマルコ、ルカ、ヨハネのものが残っており、全部で四つとされる。
 
 そのなかでマタイ伝は独特のスタンスを維持している。
 すなわち、イエス・キリストという人物の容赦ない激しさと、曖昧さを許さない性格がもっともはっきりと伝えられた書であるという。

 たとえば、
 「私(キリスト)が来たのは、地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
 私は、人をその父に、娘を母に、嫁を姑に、敵対させるために来たのだ」
 
 というような、一見、“家族げんか” を奨励するようなイエスの言葉がしっかりと明記されているのだ。
  
 イエスは、ここでいったい何を語ろうとしたのだろうか。

 すなわち、「父は父らしく子を教育しろ」、「子は子らしく、親の言うことに従え」というような、家庭内の身分上の役割をいったん捨てろ、と言っているのだ。


父や娘を捨てたときに「人間」に出会う
 
 イエスは、こう言おうとしている。
 「身分としての父や娘を棄てたときに、“人間” に出会う」
 つまり、彼は「真の教えに出会うために、いったん家族を捨てろ」といっているのだ。
 
 「人間」は、王や貴族に属しているものではなく、父や娘に属するものでもない。
 「神」にのみ属するものだ。
 イエスは、そう言いたかったのだ。

 こうして、神の前に等しく平等な存在としての「人間」を手に入れたことで、一神教はようやく成立することになる。

 「人間」という概念がのちの西洋近代で確立されていったのは、このキリストの一言が契機となっている。

 マタイは、そのことに敏感に気づいた弟子の一人であり、そのマタイを描いたカラヴァッジオも、当然それに気づいた画家の一人であった。
 

 

 ▼ 参考記事 

campingcarboy.hatenablog.com

 

 

老人度の進み具合テスト

 
 私も今年の4月で69歳になろうとしているわけだけど、昔からつきあっていた友人たちも、だいたいそんな年頃だから、たまに会うと、話がジジ臭くなる。
 老いの兆候が現われてきたことに対する情報交換になりがちなのだ。

 

 「あ、お前もそうなの? 最近、俺もモノの名前がすぐ出てこなくてさぁ」
 「ボケが始まったのかもな。カミさんとの会話なんか、あれ、これ、それ だけになっちゃった」
  ってな会話が増えるのである。

 

 こういうのを “老人性症候群(シンドローム)” といってもいいのかもしれない。

 「老人性症候群」とは、医学的にいうと、「認知症」、「徘徊」、「転倒」、「尿失禁」などを指すらしい。(いやな言葉が並んでいるなぁ
  
 ま、そこまでいかなくても、軽度の「認知症」や「転倒」などは、少しずつ経験するようになってきた。
 とにかく、人の名前とか新しい商品名みたいなものが、覚えたと同時に記憶のかなたに飛んでしまう。

 

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 ところで、そういうのって、進み具合をチェックする方法があるのだろうか?
 自分なりに考えてみたが、次のような症状が出たきたら、要注意だ。
 
 ※ 下のテストは、私自身が作ってみたもの。
   簡単だったよ。
   全部自分のことだから。  

 
 ① すぐ物をなくす。
 5分ほど前に見ていた身の回りの物が、5分後にはなくなっている。
 「あれ、今さっきここにあったのになぁ
 と、探し物が多くなる。
 大事なものから先に、どんどん目の前から姿を消していく。

 たぶん、大事なものだから、すぐ見つかるように “目立つ” ところに置き直したりしているのだ。
 しかし、そのことを忘れて、結局いつも置いてある場所を探す。
 当然、ない !
 パニックになる。
 パニックになると、新しく置き直した場所などまったく視野に入ってこない。

 

 ② 人の名前が、どんどん頭の中から消えていく
 だから、街中などで、偶然知った顔に出会ったときに困る。
 名前が思い出せないから、なるべくその人の名前を口に出さないような会話になる。
 無難なのは、「お元気ですか?」などという挨拶か、天候の話。
 毒にも薬にもならない会話が増える。
 そういうことを繰り返しているうちに、人の付き合いもだんだん淡泊なものになっていく。

 

 ③ 床に落ちた物を拾うだけでも、大変な努力を要するようになる。
 腰をかがめるのが、億劫になるのだ。
 だから、地面に落ちた10円玉を拾うだけのことでも、吹雪の日に防寒着を着こんで野外に出るくらいの大げさな覚悟が必要になる。
 そのため、知らず知らずのうちに、
 「ドッコイショ」
 「ヨイショ」
 という言葉が口をつく。

 

 ④ 些細なことで、怒りやすくなる
 レストランなどで、ウェイトレスのメニューの渡し方がぞんざいだったとか、水を入れたコップを乱暴に置いたとか。そんなことだけで、ちょっとムカっとしたりする。
 「昔の店員と違って、最近の若い者は接客態度がなっていない !」
 と怒るわけだが、要するに「年寄りは世の中の “余計者” に見られている」というヒガミが、そういう気持ちをあおり立てるんだろうな。

 

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 ⑤ スポーツ選手などを比較するときに、同世代の選手を比べるよりも、昔の選手と比較することが多くなる。
  「○○選手は “記録” を残すタイプではなく、長嶋茂雄のような人々の “記憶” に残るタイプだよな」
  とか人に話すんだけど、例に出す選手の名前を知っている人がだんだん少なくなっていることに気づかない。 

 

 ⑥ I Tの革新スピードに付いていけなくても平気になる。
 ネット・コミュニケーションがだんだん億劫になってくるのね。
 だから、ツィッターフェイスブックの違いもよく分からない。ましてや「LINE」って何こと?状態であるが、別にそれで困らなくなる。

 

 ⑦ 身の回りのゴミがやたらと増えていく。
 片付けるのが面倒くさくなっているのだ。
 最初は机の周りがゴミだらけになり、やがて床がゴミだらけになり、最後はゴミ屋敷になる。

 

 ⑧ 同じ年ぐらいの老人と、ついつい自分を見比べてしまう。
 で、相手の頭髪の濃さとか、腹の出具合とか、足取りの状態などを比較して、「勝ったな !」とつぶやくことが多くなる。
 で、たいていの場合、「負けたな !」と思うことはない。(負けそうな相手は、無意識のうちに比較することを避けている)

 

 ⑨ (男の場合)若い女の店員や看護師などから、ちょっと優しい言葉をかけられるだけで、すぐさま「俺に好意があるのかな?」と勘違いするようになる。 
 女を狙うときの “男としてのハンター能力” が鈍ってきて、現状認識が甘くなるからだ。

 

 ⑩ (男の場合)若い女性( … たとえばAKB的なアイドル系女子たち)から好意を寄せられることを諦めているから、同世代ぐらいの熟女(五月みどり吉永小百合たち)の色香に敏感になってくる。
 しかし実生活においては、人生の酸いも甘いもかみ分けた年齢の女性たちが、容貌も衰えた同世代のジジイに反応することはまずないので、たいていは片思いに終わる。
 その結果、老人ストーカーが増える。

 

 ⑪ 成人した子供が期待外れに終わったと思うことが多くなり、そのため、孫を見るごとに、「この子は将来大物になる」という思い込みを強くする。

 

 ⑫ 駅のホームでは、近くの階段を上がるより、時間がかかっても遠くまで歩いてエスカレーターに乗る。
 ま、年老いてきて、階段を上がる体力が衰えてきたということもあるのだろうけれど、要するに老人はヒマなのよ。
 
 
 さて、ご同輩よ。あなたはからのうち、何問当てはまりましたか?
 5問以上当てはまったら、もう “老人性症候群” だよ。

 しかし、以上のことが自覚できれば、そこを注意するだけで、まだまだ若さを取り戻すことは十分に可能。
 元気な老人というのは、みんなそうやって、老いの自覚にめげずに奮闘しているわけね。

 

 

69歳ブロガーの未来予想図

今週のお題 「私の未来予想図」

 

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  「未来予想図」ったって、あ~た
 わしゃ、あとほんの少しで69歳になるんじゃよ。
 「来年、5年後、10年後、どんな生き方を選んでいるでしょう」とか言われたってなぁ、来年70歳。10年後は80歳じゃ。
 そういう人間に「未来」を問われても、はぁ 、なんて答えたらいいんかのぉ

 

 まぁ、なんだな。
 「未来予想図」というようなお題が登場するってこと自体、「はてなブログ」というのは、若い人によって運営されており、記事を投稿する人も若者が中心ということなんじゃな。

 

 わしゃな、この「はてな」に入れてもらってちょうど1ヵ月になるんじゃ。
 それまでほかのブログでほそぼそと記事を書いておったんじゃが、そこがだいぶさびれてきてな。
 そんで、にぎやかな方がいいじゃろう思うて、こっちにも顔を出すようになったんじゃが、まぁ、こっちに来てびっくりじゃ。

 

 元いたブログの中を泳いでいたのは、ドジョウやオタマジャクシのたぐいじゃったが、こっちへ来たら、生きのいいタイやヒラメの舞い踊りじゃ。

 

 しばらくの間は、記事を書きよる人々のいろんな文章をじっと眺めておったが、最後までよぉ読まんうちに、あっという間に新しいのが出てきよる。
 あまりにもみんなの動きが早いので、最初はもう生きた心地がせんかったわ。

 「はてな」というのは大都会なんじゃなぁ。
 大勢の人が一歩たりとも止まらずに動きよる。
 東京でいえば、渋谷とか新橋みたいなもんなんじゃろな。

 
 でも、わしのジジイブログにも好奇心の強い若者たちが少しずつ顔を覗かせてくれるようになってな。
 ぽつりぽつりと☆マークやらブックマークをつけてくれるようになったんじゃが、それはとてもありがたいことだと思うけど、お越しいただいた方々の記事を読みにいっても、正直あんまりよぉ分からんのじゃよ。

 

 言葉がの、
 「EC2インスタンスをTerraformで作成した時の雑記
 「Bravelandは、ターン制で対決するバトルストラテジーゲーム
 「エルフーンGXに続き発表されたドンカラスGXについて解説


 とか書かれても、ちちんぷいぷいなんじゃ。
 特に外国文字のところなんぞは意味も分からんが、読み方すら分からん。

 

 いっぽう、わしの書いているブログというのは、 なんじゃろ 17世紀のフランス絵画はどうじゃとか、日本の戦後文学はどうじゃとか、1960年代のハリウッド映画はどうじゃとか古いもんばっかでな。これじゃ「はてな」の読者の興味をひかんだろうなぁ とずいぶん悩んだもんじゃった。

 

 しかし、そのうち一つ気づいたことがあるんよ。
 それは、新しい言葉を使う若い人たちのブログを読むと、なんだか悩んでいる人もけっこういるってことなんじゃね。
 
 どうしてそれが分かるかって?
 
 「人」というのはな、悩みを抱えているときほど、他人に対して、「元気を出せや」と言いたくなるものなんじゃよ。

 「失恋で落ち込むことほどバカバカしいことはない」
 「生きることに前向きに向かい合おう」
 「悩みは成長を促進するうえで必要なものだ」
 とかね。

 

 そういう記事を書いている人が多いということは、やっぱり若いがゆえに悩んでいるんだなぁ と思ったわけよ。
 そのような励ましの言葉は、ヨソの人に言っているんじゃなくて、自分自身に向けられた言葉なんじゃね。
 つまり、「ヨソ様に教えを垂れてやる」という書き方で、自分自身を励ましておるんじゃね。

 

 そう思ったとき、ようやくわしにも「未来予想図」というようなものが頭に浮かんだのよ。
 そうじゃ! わしはそういう若い方々に、むしろ一生懸命、古典絵画の見方や、昔の映画の鑑賞法、古い小説などを紹介していこう思ったわけよ。

  

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 昔の人たちが残した、そういう古い芸術とか文学などというものにはな、必ず「若いころの悩み」を解決するための秘訣がいっぱい詰まっているもんじゃ。
 つまりな、「人間というのは何なのか?」を考えるヒントが散りばめられているということなんじゃね。

 

 わしゃな、そういう古いもののなかに、今の時代と同じ問題が潜んでいることをもっとはっきり訴えよう思っちょる。
 自信喪失も、自分探しも、失恋も、いじめも、不倫も、パワハラも、セクハラも、ストーカーも今に始まったことじゃない。

 

 それは、古代ギリシャ・ローマの時代からな、そして日本の奈良時代平安時代からすでにあったことなんじゃね。

 
 そういうものを見つけて、「ほら昔の人も悩んでおったよ」と若い人たちに。そぉっとな、あんまりしつこいと嫌われるから、 小さな声で教えてあげたいんじゃよ。
 それがわしのこれからの課題。
 わしの「未来予想図」ってのは、そんなところかいな。

    

 

アートと文藝のCafe

 
井の頭公園Cafe 『千(せん)』

 

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 このブログのタイトルである「アートと文藝のCafe」。 
 実は、この言葉を思いついた喫茶店が実在する。

 

 散歩コースとして気に入っているエリアの一つに、井の頭線の「井の頭公園駅」(東京都・三鷹市)がある。
 その駅前にある「千」という名前の喫茶店がモデルだ。

 

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 「井の頭公園駅」というのは、実に不思議な駅だ。
 そこから600mの距離に、中央線では屈指の繁華街として知られる「吉祥寺」が控えているというのに、たった一駅離れた「井の頭公園駅」は、まるでローカル線の無人駅をしのばせるような、こぢんまりした小さな駅舎の面影をとどめている。

 

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 隣の「吉祥寺駅」の1日の利用者数は29万人。
 それに対して、「井の頭公園駅」の1日の利用者数は7千人。 
 たった1駅しか違わないのに、この駅の利用者は吉祥寺の40分の1にすぎない。

 

 それだけに、朝晩の通勤ラッシュが過ぎると、「井の頭公園駅」は、駅自体が眠りにつくように、のどかな静けさに包まれる。

 駅前にある店舗も数えるほどしかなく、数軒の喫茶店と居酒屋を眺めながら50mほど歩くと、いつのまにか閑静な住宅街になってしまう。

 

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 メルヘンや夢のなかに忽然と現れる “幻の町” 。
 そんな風情が好きで、天気の良い日は、家から40分歩いてこの駅までやってくる。

 駅前に並ぶ居酒屋と喫茶店も、みな “ひと癖あり気” な雰囲気をたたえている。

 

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 店内に入ったわけではないが、表から眺めるかぎり、どの店もオーナーの “こだわり” が道路まで溢れてきそうに思える。
 「文化の香り」
 というものかもしれない。
 このへん一帯を “武蔵野” などと呼ぶことがあるが、「武蔵野」と言葉にして舌に転がすときの文芸的香気がどの店からも漂ってくる。

 

 国木田独歩の随筆『武蔵野』。
 大岡昇平の恋愛小説『武蔵野夫人』。
 山田美妙の短編時代小説『武蔵野』。

 “武蔵野” を冠した文芸ものは実に多い。


 そういう文芸的香りというのは、かつて隣町の吉祥寺が持っていたものだが、同市が中央線を代表する一大消費都市になってしまった今、文芸的な空気感はすっかり吉祥寺から消えた。
 そのかすかな香りが、一駅離れたこの「井の頭公園駅」にひっそりと残っている。

 

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 その駅前に数軒開いている喫茶店のうちの一軒が、前述した「千」である。
 「炭火焼珈琲」という看板を掲げた入り口を覗くと、上にあがる階段が見えた。

 階段を上がり切ったところに、艶やかな花を生けた壺が置かれている。
 生け花のことなどまったく知らない私だが、入り口に目を見張るような花を配したところに、この店のオーナーの心遣いが感じられる。
 つまり、「ここから先は日常空間とは一味違ったくつろぎの場所ですよ」というアピールなのだ。

 

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 店内を覗くと、4人掛けのボックスが四つ。
 2人掛けのボックスが二つ。
 たゆたうように低く流れるショパンノクターン
 煎れ立てのコーヒーの香りが、店内の隅々まで届きそうな “ほどよい狭さ” が落ち着く。

 

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 さりげなく置かれた調度の一つひとつに味がある。
 クラシカルなランプ。
 小さな彫刻。
 棟方志功の版画。
 窓辺を飾る観葉植物も手入れがゆき届いていて、葉の一つ一つがみずみずしい酸素を送り出していそうだ。

 

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 コーヒーは、オーダーを受けてから、オーナーが豆を挽き、一杯ずつドリップで煎れる。
 小さな角砂糖とザラメ状のコーヒーシュガーの2種類がミルクと一緒に運ばれてくる。
 一杯600円というコーヒー代は、メニューを見たときは「高い」と思ったが、その味と香りを味わってみて納得。店内の雰囲気代も入っていると思えば、きわめてリーズナブルに思えた。

 

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 何よりも気に入ったのは、床である。
 見事な光沢をたたえたフローリング。
 床の光り方に “大正ロマン” 的な味わいが感じられて、古き良き時代にタイムスリップしたような気分になる。 


 この渋い光は、相当な年月を重ねないと浮き上がってこない。ワックスがけなどの日頃のメンテナンスもたいへんなのではあるまいか。

 

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 窓から「井の頭公園駅」が見下ろせる。
 野口五郎の歌に「私鉄沿線」というヒット曲があったが、小さな私鉄沿線の駅というのは、恋愛ドラマの格好の舞台となる。
 この店で、コーヒーをすすりながら駅を見下ろしていると、作詞家ならば歌の一つを。小説家ならば短編の一篇を思いつくかもしれない。

 

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 「昭和」という時代には、この店のような「喫茶店文化」ともいえる匂いを持った店が街のいたるところにあった。
 しかし、「平成」になると、「ドトール」や「スターバックス」のようなチェーン店のカフェが普及するようになって、どんどん昔ながらの喫茶店は消えていき、それとともに「喫茶店文化」も消えた。

 

 チェーン店のカフェでは、コーヒーは飲めるが「文化」はない。
 喫茶店の「文化」とは、その店のオーナーの思想そのものだからだ。
 オーナーの世界観によって統一された空間が、昭和の喫茶店だったのだ。

 

 この「千」という喫茶店には、友と(あるいは彼女と)文芸やアートやクラシック音楽を語りたくなるような空気が漂っている。
 たぶん、それはこの店のオーナーの世界観がつくり出した空気なのだ。

 

 そういう店は、日本全国の街の中心部から消えつつある。
 しかし、逆に、このような喫茶店は、吉祥寺といったような一大消費都市の周縁部にひっそりと残っているから風情があるのかもしれない。
  

  

山岸凉子 『日出処の天子』


漫画批評
魔性を秘めた美少年の妖しさ

 

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 「BL(ボーイズ・ラブ)は女性だけのものか?」
 と、男性の私はよくそう思う。
 
 というのは、自分が “BL漫画” にとことんハマった時期があったからだ。
 男がハマれば、「ストレートなホモってことじゃない?」と言われそうだが、いやいや、ホモとかゲイとかいう嗜好を離れ、BLって、本当に切ないのだ。
 
 男女の恋愛は、やがて結婚というステップを踏み、子供も生まれ、生産社会に貢献するという “祝福” に至るシナリオが用意されている。
 しかし、出産による子孫の繁栄というシナリオが成立しないBLは、純度「100%の恋愛」に終始するしかない。
 
 最近は、LGBTへの理解がそうとう進んだとはいえ、まだまだ「子を産まない性愛」というものに対する世間の視線は冷たい。
 だからこそ、逆に「子を産まない性愛」は、ピュアで美しいともいえる。


BLの愛は相手を食らい尽すまで終わらない
 
 ただし、そのピュアな美しさは、常に相手を食らい尽くすような魔性と背中合わせになっている。
 「お前が不幸になるのなら、俺も一緒に不幸になる」
 という一体感とともに、
 「お前が、俺と別れて幸福になることは許さない」
 というハードな愛の規律も貫かれているのだ。
 
 このようなBLの美しさと恐ろしさを、日本の古代史の中で描ききったのが、山岸凉子の『日出処の天子』(ひいづるところのてんし)であった。

 

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ホモで邪悪な聖徳太子

 

 ある日、カミさんがレンタルコミック屋から借りてきたいくつかの漫画のなかに、奇妙な表紙の絵があった。
 美形だが、女か少年か分からないような異形な人物が描かれていた。
 
 「ふ~む … なにこれ? 聖徳太子の話?」
 って感じで、パラパラと2~3ページ繰っているうちに、やめられなくなった。
 美しいのである。
 そこに出てくる厩戸王子(うまやどのおうじ)の姿が。

 わぁ、世の中にはこんなに美しい漫画があったのか!
 目からウロコだった。

 

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 単に “美少年” というのではないのだ。
 なにしろ、ここで描かれる聖徳太子は、英明な聖人君子という世間一般の通念をあざ笑うかのような、「ホモで邪悪な超能力者」という設定なのだから、人に見せないときの素顔に魔性が宿る。

 

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 その表情が怖い。
 美少女と見まがうばかりの美少年が、一転して夜叉、羅刹(やしゃ、らせつ)の表情となる。
 しかし、それがまた美しい。
 山岸凉子の筆力には、ほとほと感服するしかなかった。

 

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凡庸な男に恋してしまうという悲劇

 

 ところで、この厩戸王子の恋の相手は誰なのか?
 古代史では、天皇家転覆を謀ったとして悪人扱いされる蘇我氏3代のうちの2代目、蘇我毛人(そがのえみし)である。
 
 もちろんこの漫画が扱っている時代においては、蘇我氏天皇家の対立者ではなく、まだ天皇家をサポートする大臣一族でしかない。
 その蘇我氏の2代目である毛人は、後に天皇家を超えようとした不遜者という扱いを受けてしまうけれど、漫画では誠実・温厚な性格で、誰に対しても優しい常識人として描かれている。

 

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 ま、それだけが取り柄の “凡人” なのだが、そういう凡人を、魔界の帝王である厩戸王子が恋してしまうという不釣り合いさがミソなのだ。
 その気になれば、人を呪い殺すなど朝飯前という魔力を持つ厩戸王子が、毛人の気持ちだけは独占できないという無力感にうちひしがれて、さめざめと泣く。

 

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 悲しみをたっぷり吸い込んだ細い肩。
 うちひしがれた細いうなじ。
 そういうシーンから、ホモッ気やサドッ気のない男性の下半身をも疼かせるような、濃密なエロスが漂ってくる。


 このエロさはどこから来るのか !?

 といっても、そこに性的な描写が描かれているわけではない。
 直接的に性を暗示するような画像は一切登場しない。
 
 にもかかわらず、ここに登場する厩戸王子は、ものすごいエロい。
 まさに「萌え」という言葉でしか表現できないような “エロさ” だ。
 

さわやかで哀しい最後のページ

 

 で、このハードカバーにして全5巻に及ぶ恋のドラマは、厩戸王子が毛人を諦めることによって、静かに、ひっそりと幕を閉じる。
 
 最後のカットがすがすがしい。
 玄界灘を越えて、随(中国)への使者に託す手紙の草案を練る厩戸皇子の静かな姿が、波の上に描かれている。

 

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 その文案が、例の、
 「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を送る。つつがなきや … 」
 という有名な文章。

 先進国の中国に対し、日本の気概を伝え、アジア史の舞台に日本が登場したことを記す、あのすさまじい手紙なのだ。
 
 その文案を考える王子の姿に、もうバイセクシャルな妖しさは認められない。
 表情にも、秋の風のような静けさが漂っている。
 
 歴史上の聖徳太子は、この時、自分の華々しい時代が始まるスタート台に立ったことになる。

 しかし、漫画の中の厩戸王子は、毛人への愛を諦めるという、精神の砂漠を生きる道を選ぶ。
 聖徳太子の輝かしい業績とは、実は彼のニヒリズムからもたらされたものだという味わい深い省察が、山岸凉子の漫画にはある。


2種類の本を揃えたほどの熱狂
 
 すごい作品と出会ったものだ と思い、貸し本で読むのがもったいなくなり、さっそく本屋に買いに行った。
 それも、保存用のハードカバーの全集。
 そして、日頃読み歩くためのソフトカバーの全集。
 その2種類を買い揃えた。

 

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 関西方面に出張したときは、日程をやりくりして、日帰りで奈良まで飛び、法隆寺などを見に行ったし、アパートの押入のふすまが破れたときは、ふすまを貼り替える代わりに、厩戸王子の漫画を模写して、そこに貼った。
 
 この時期、聖徳太子にまつわる歴史書なども読み漁ったけれど、脳裏に浮かんでくる画像は、いつも山岸凉子厩戸王子であった。

 聖徳太子の業績や歴史的役割などをアカデミックに解説するいろいろな研究書を読んでも、一つとして「ホモで邪悪な超能力者である厩戸王子」に勝る魅力を感じたものはなかった。

 漫画が史実を歪曲してしまう。
 そんなことが起こるとしたら、それはこのようなとんでもない傑作コミックが登場したときのことだろうと思った。
 
  

二コラ・プッサン『アルカディアの牧人たち』 

 
絵画批評

人間はいつから「死」を恐れるようになったのか


 絵画というものは、基礎的な知識がないと、理解できないものが多い。
 特に、近代以前の古典的な西洋絵画の場合は、そこに登場する人物や情景を説明してくれる解説者がいないと、意味が伝わらないことがある。

 

 しかし、その絵が描かれた時代を生きた西洋の人々は、見ただけで、その絵にどういうメッセージが込められていたかをだいたい理解できた。
 テーマの大半は、ギリシャ神話とキリスト教の教義に関係したものだったから、そういう知識を自然と身に付けていた人々は、一目見ただけで、絵の意味を把握できたのである。
 
 ところが である。
 そのような古典的教養を持っていた時代の人ですら、「謎」に出合って困惑していたような絵画もあった。
 そんな絵のひとつに、ニコラ・プッサンが描いた『アルカディアの牧人(まきびと)たち』がある。

 

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乳と蜜があふれかえる楽園
  
 「アルカディア」とは、ヨーロッパ人が、ローマ時代から「牧人たちの理想の楽園」として夢見た地域の名前である。
 もちろん、その名を持つ土地は、ギリシャのペロボネソス半島に実在していた。
 ただ、実際のアルカディアは、どちらかというと地味の痩せた土地で、聖書で謳われるような、「乳と蜜にあふれかえる楽園」というイメージからはほど遠い。
 
 しかし、ローマ時代の詩人ウェルギリウスが、この地を「美しい桃源郷」と歌ったことをきっかけに、「アルカディア」という言葉自体が、ヨーロッパ古典文学では「楽園」の代名詞として使われるようになった。
  
 プッサンの『アルカディアの牧人たち』は、その楽園に住む4人の人物を描いた絵である。

 
“理想郷” のアルカディア
に忍び寄る不安

 

 この絵には、確かに、優しそうな風を宿した緑の木々。遠くに浮かぶのどかな雲など、“楽園” の匂いが立ち込めている。

 

 なのに、4の人物が浮かべる表情は不安そうな影に覆われている。
 左側の3人の男は、身なりからして、この地で遊牧を営む牧人のようだ。
 では、右側の女性は誰か。
 その聡明そうな横顔から推測するに、この地で尊敬を集めている知的階級の貴族かもしれず、男たちの主人であるのかもしれない。

 

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 4人の間には笑いがない。
 岩のようなモニュメントを囲んで、2人の男は、その「岩」の正体を見極めるように、壁面を指でなぞりながら見入っている。
 右の男はたまりかねて、そばにいる女性に何かを尋ねかけている。
  
 彼らは、何か深刻な問題に直面し、それをどう解決するか悩んでいるようだ。
 きっと、簡単には解決しえないようなテーマなのだろう。
 立ち尽くす女性は、その困難さを理解し、物思いにふけっているように見える。
  
 彼らが直面した悩みとは、何か?

 当時すでに、この絵の画面中央に位置するモニュメントが、実は石棺であり、その底に誰かの遺体が安置されているという説明が流布していた。
 つまり、この4人は、墓の前にたたずんでいるのである。


「われもまたアルカディアに在(あ)りき」
 
 誰の墓なのか。
 それは、石棺を穿って中を改めてみても、もう定かではないだろう。
 まず、その前に、その中に遺体があるのか、ないのか。 
 彼らにとって、この永遠の幸せを約束されている楽園に、不幸の象徴たる「人の死」があるということ自体が不思議なのだから。
 
 墓の主(あるじ)の名前でも刻まれていれば、まだその「謎」を解明する手がかりはつかめるかもしれない。
 だが、墓碑銘として残されているのは、
 「 Et in Arcadia ego (エト・イン・アルカディア・エゴ) 」
 という言葉だけ。
 訳すと、「われもまたアルカディアに在(あ)りき」。

 

 「われ」とは誰だ ?
 おそらく、この4人を戸惑わせているのは、その「われ」の正体がつかめないからである。
 それは、この絵が描かれた当時から、すでに多くの議論を呼んだテーマだった。

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 この「われ」に関して、古来より二つの解釈があるとされていた。
 というのは、「 Et in Arcadia ego 」という言葉が、「われもまたアルカディアに在りき」という過去形とも取れるし、「われもまたアルカディアに在る」という現在形としても取れるからだという。
 
 過去形として考えれば、墓の主は、かつてこの地で暮らした先住の牧人であるという推測が成り立つ。
 それが、どのような牧人であったかは不明ながら、立派な石棺に葬られるくらいだから、そうとうな有力者か、あるいはこの楽園の秘密を知った者かもしれない。
 
 しかし、この「 Et in Arcadia ego 」という言葉を現在形として捉えれば、「私も、またここにいる」という意味になる。


墓のなかに埋葬された住人の正体
 
 では、いったい、“今ここに” 誰がいるというのか ?
 
 墓の中に、生きているモノが存在し得ない以上、それは、寓意としての「死」そのものとしか言いようがない。
 そう考えれば、4人の人物に浮かぶ不安の影の正体は、この “永遠の生” を約束された楽園にも、密かに「死」がまぎれ込んでいたことを発見したときの困惑であるといえそうだ。
 
 現代の通説は、後者の方に落ち着いているという。
 すなわち、これは、「死を忘れるべからず」という中世以降のヨーロッパに広まった「メメント・モリ」の思想を表現した絵であるというのが、大方の見方である。


死の恐怖を知ってしまった人間の苦悩

 

 だが、「死を忘れるべからず」というメッセージが、いったいいつ生まれてきたのか。また、当時の人々は、なぜそのメッセージに深い関心を寄せるようになったのか。

 

 それを考えると、面白いことがわかってくる。
 「死の恐怖」というのは、必ずしも人間の本能ではないということだ。
 死を恐れる気持ちというのは、実はこの絵が描かれた時代から深まってきたのだ。
 いわば、この絵は、人間が「死」を本気になって恐れ始めた時代に描かれたものだといえる。

 

▼ 二コラ・プッサン肖像画

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 作者ニコラ・プッサンが生きたのは17世紀。
 歴史区分では「近世」と呼ばれ、芸術領域では「バロック」といわれた時代である。
 すでにルネッサンスを経験したヨーロッパ人の意識は、中世的な神への依存から脱却しつつあった。


 神学的な世界観から解放され、「人間」としての自由、「人間」としての物質的な欲望をストレートに享受できる精神風土が生まれつつあったといえよう。

 

 それが、ちょうど絶対王政を確立しつつあった王権や新興ブルジョワジーの成長期と重なり、ヨーロッパ全体が “人間くさい“ 活力に満ちた時代を迎えていたのである。
 
 だが、「人間くさい時代を迎えた」とはどういうことか ?
 それは、中世まで神に預けていた死の観念を、今度は自分たち「人間」が引き受けなければならない時代が来たということである。
 
 つまり、貨幣経済も浸透し、物質的な生活環境も整い始めた近世ヨーロッパ人たちは、その “豊かな暮らし” が、個人の死によってあっけなく消滅することも知ってしまったわけだ。
 
 だから、「楽園にも死は忍び寄ってくる」という『アルカディアの牧人たち』が示唆した死の恐怖は、近世人にとっては、かなり切実なものになってきたということが分かる。


プッサンがこの絵で描きたかったもの  
  
 ニコラ・プッサンという画家は、その切実なテーマを、どうして自分で引き受けなければならなかったのか。
 これに関しては、美術評論家の中山公男氏が『西洋の誘惑』という著書で鋭く説いている。

 

▼ 『西洋の誘惑』

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 中山公男氏は書く。

 

 「この絵に登場する人々の挙措や表情に漂っている『静かな畏怖』はどこからくるのか?
 それは、物質的にも精神的にも、手に入るものはすべて獲得しようとした近世人たちが、やはり、この世には手に入らぬものがあることを知ったときの畏怖だ。
 つまり、それは中世までは神が保証してくれた『永遠の命』である」

 

 意識しても、しなくても、「死」は刻々と近づいてくる。 
 そのことを忘れるな(メメント・モリ)。

 

 『アルカディアの牧人たち』とは、「神が保証した永遠の命」を取り上げられた人々。すなわち、「死を個人で引き受けなければならなくなった」人々の戸惑いと不安を描いた絵といえる。
 
 つまり、この絵は、その古典絵画のタッチとはうらはらに、「神なき時代」を生き始めた人々が抱える “近代的不安” を先取りする絵にもなっているのだ。  
   

 

サカナクションの歌詞に秘められた昭和文学

音楽批評
山口一郎氏の曲から伝わる
「心地良い違和感」

   
 テレビで、日本のロックグループ「Sakanaction サカナクション」のライブ映像を見たことがある。
 面白い世界観を表現したステージだと思った。

 このバンドのリーダー山口一郎氏には、10年以上も前から注目していた。
 日本の若手ロックバンドのなかで、唯一「アーティスト」という称号を与えられる表現者であるように思っていた。

 

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和文学っぽい歌詞の魅力

 

 とにかく、歌詞がすごいのだ。
 彼がつくる曲は、すべてが “文学している” といっていい。
 それでいて、難しい言葉はない。
 平易な言葉に、深い意味を持たせている。
 作詞家としての能力は抜群だと思う。

 

 山口一郎氏の存在に気づいたのは、NHKEテレ)の音楽トーク番組『ザ・ソングライターズ』だった。

 佐野元春氏がホストを務め、その当時の話題のミュージシャンや作詞家をゲストに招いて日本の音楽を語るという番組で、山口一郎氏はその12回目(2010年)に登場していた。

 

 偶然それを見ていた私は、山口氏が話す一語一語に引き込まれるのを感じた。
 そのことを、かつて別のブログに書いたことがある。

 当時の自分はこんな記事()を残している。
…………………………………………………………………………
 (2010年 9月19日)

 『ザ・ソングライターズ』のなかで佐野元春さんが、山口一郎さんの作った歌の歌詞を朗読した。
 聞いていて、ちょっと驚いた。
 現代を生きる若者の心情を歌っているようでいながら、そこに “昭和文学っぽい” しょっぱさが加わっていたのだ。
 
 単語のひとつひとつが、字義どおり使われていない、 というか、ひとつの言葉に、ものすごく多様な意味が込められている。
 優しい言葉が、鋭利な刃物のような怖さを内包している。
 ぶっそうな言葉の奥に、ふるえる魂のおののきが宿されている。
 ひと言でいうと、“引っかかる” 歌詞なのだ。

…………………………………………………………………………

 

 その番組を観終わった後、Wikipedia などのネット情報を通じて山口一郎氏のことを調べてみた。
 1980年、北海道の小樽市生まれ。
 お父さんの影響を受けて、小さい時から、「明治の短歌」や「昭和の詩」を愛してきたという。

 そのため、子供時代の愛読書が石川啄木寺山修司の短歌、吉本隆明の詩。さらに宮沢賢治の童話だった。

 幼い頃から、そういう “昭和文学” になじんできただけあって、山口氏の言語感覚には独特の嗜好性がある。
 
 
「愛」という言葉が嫌い

 
 たとえば、「好きな言葉は?」という佐野元春氏の質問に対し、すかさず返された答が、
 「夜」

 「では、嫌いな言葉は?」
 「愛」

 

 聞いていて、ため息が出るほど共感した。
 「愛」という言葉が嫌いだという感性は信頼できる。
 なにしろ、ドラマでも歌でも、最近いちばん安っぽく流布している言葉が「愛」だからだ。

 

 そのひと言さえ使えば、一応なんでも丸く収まってしまう呪文の言葉。
 誰も異論を唱えることのできない「愛」。
 しかし、その言葉を安易に使ってしまえば、「説法」なら格好は付くが、「詩」にはならない。(ギャグにはなるが

   

「センチメンタル」こそ「リアリティ」
 
 また、対談中、彼がよく「センチメンタル」という言葉を口にするのが意外でもあり、新鮮でもあった。
 たとえば、彼は、
 「(北海道時代には)自分の中にあるセンチメンタルを共有できる人が周りにいなかった」
 という。
 
 「センチメンタル(感傷的)」という言葉は、時としてネガティブな響きを帯びる。「甘い」とか「めめしい」、「感情におぼれる」というニュアンスを秘めた言葉として使われることが多い。
 
 だが、山口氏の口からこぼれ出る「センチメンタル」は、「リアリティ」の同義語であるように思えた。
 普通の人が「めめしい」と感じるものの中に、むしろ人間の真実があるとでもいわんばかりに。

 

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「夜」と「君」でつくられる歌詞

   
 山口一郎氏の曲がどんなものか。
 実際に聴いてみると、その特徴がよく分かる。
 
 下は、NHKが取り上げたライブでも演奏されていた『バッハの旋律を夜に聴いたせいです』という曲。
 いかにも、彼らしい世界観が投影されている。

 

 キーワードは、やはり彼の大好きな言葉である「夜」
 その夜を象徴する仕掛としての「月」。
 そして、彼の歌には必ずといっていほど登場する「君」といわれる人物。

 

 この三つの言葉が、まさに一幕劇に登場する3人の役者のように、妖艶な役割を与えられ、濃密な寸劇を繰り広げる。
 

サカナクション - 『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』
(MUSIC VIDEO) BEST ALBUM「魚図鑑」

youtu.be

 

 
 いろいろな解釈を可能にする詞であるが、全体的に謎めいた匂いが漂っていて、サカナクションらしいミステリアスな雰囲気が伝わってくる。

 
難しいものは美しい

 

 YouTubeを探してみると、山口氏の最近のインタビューを収録した動画がいくつか見つかった。
 その一つで、彼はこんな発言をしている。

 「僕らは音楽でも本でも、難しいものこそ価値があると思い込んでいた世代なんですね。
 たとえば本ならば、最初は難しくて理解できないものでも、何度も読んでいるうちに突然理解できる瞬間がやってくる。それが高揚感を生んだりする。
 だから、(自分は) “難しいものこそ美しい” と思える感覚を持っているんです。
 ところが、今の子たちって、そういう期待の持ち方をしていないように感じます」

 そのため、
 「東京でメジャーデビューするときに、自分が感動してきた “美しくて難しいもの” をいかに多くの人に伝えられるかということが、たいへんな課題でした」
 という。
 
 
テクノロジーが与える感動 
   
 彼は、その課題を解決する手法として、テクノロジーの力を利用する。

 NHKが放映したライブステージは、艶やかなライトショーを展開しながら、会場の四方にスピーカーを巡らした6.1ch方式で行われていた。
 そこには、“光と音” が高度に融合した最新テクノロジー空間が出現していた。

 

 「人間の新しい感情を発掘するものとしてテクノロジーは大事なものだと考えています。
 人間は、見たこともないもの、はじめて触れるものに感動するんですね。そのときに感じる “心地よい違和感” が人間の感動の源泉になると思っています」
 と山口氏。

 

 「心地よい違和感」 ……
 いい言葉だと思った。
 「クリエイティビティ」というものの本質をずばりと衝く表現だと思う。