音楽批評
カントリー・コンフォート
とジョン・クルーズ
サーフィンもできない。
まず、第一に泳げない。
犬かきで2mも進めば、自分としては上出来なのだ。
それでも、無類に「南の海」が好きだ。
「時間があったら何がしたいか」と問われたら、使いこなせないサーフボードをそばに置き、波に乗っている自分を想像しながら、南の海を一日中眺め、ハワイアンロックでも聞いていたい。
そんなふうに思っていた時代がある。
今も、ときどきそう思う。
自分の場合、そういう気持ちの高ぶりを引き出すのは、すべて音楽なのだ。
Country Comfort
70年代の中頃のことだったろうか。
ラジオから流れてきたカントリーコンフォートというハワイのフォーク・ロックグループの音に、コロリとまいってしまったことがある。
アコースティックギターを使い、ひたすらメジャーセブンス系の簡単なコードを飽きもせず繰り返すだけの、およそテンションというものが微塵も存在しないロック。
しかし、そのまのびした音の中に、ヤシの葉陰を通って地上に舞い散る日差しのきらめきがあった。
波の音も、潮の香りも漂ってきた。
それを聞いているだけで、頭の中の脳みそがとろとろと流れ出し、代わりに、けだるい南国の微風が、からっぽになった頭の中を満たしていくような気がした。
人間が手に入れられる究極の「快楽」は、そこに尽きるような気がした。
▼ Sunlite Moonlite/Country Comfort
John Cruz
しばらくそんな気分を忘れていたが、NHKの音楽番組でジョン・クルーズ(写真下)というミュージシャンの『アイランド・スタイル』という曲を聞いた時、久しぶりにその感覚を思い出した。
番組の説明によると、ジョン・クルーズは、オアフ島出身のシンガーソングライターで、アメリカの東海岸で15年もの音楽修行を積んだ人だという。
家族はもともと音楽一家で、彼も小さい頃から父親のバンドで練習を重ね、やがて音楽ビジネスで一人立ちしようと思い、アメリカ本土へ出立する。
しかし、何年暮らしても、都会生活になじむことができない。
故郷のハワイに対する望郷の念がつのる。
そんな思いから生まれた曲が、『アイランド・スタイル』だったという。
▼ Island Style/John Cruz
youtu.be
テロップに流れる歌詞をたどると、
「島には島の流儀というものがあるのさ」
という故郷ハワイのたわいない日常生活の一コマを描きながら、ハワイ的生活に対する愛着と、ハワイ人としての誇りが歌われているようだ。
たとえば、
「週末には、お祖母ちゃんの掃除の手伝いにいかなきゃなんないんだ。お祖母ちゃんはタロイモが好物でね。そんなお祖母ちゃんが僕らは大好きなんだ」
家族や仲間との何気ない日常生活。
その退屈な繰り返しの中にこそある「幸せ」 。
それを、ゆったりと噛み締めながら生きることが、「アイランド・スタイル(島の流儀)」。
この曲を書いたことで、彼はアメリカ本土での生活と決別し、ハワイに帰ることを決意する。
歌には、そのさっぱりした気持の切り替えが、鮮やかに滲み出ている。
曲調は、どこかカントリーミュージックの気配が漂う。
あるいは、ジョン・デンバーが歌った「カントリー・ロード」のような、都会人の郷愁を誘う “田舎感” のようなものも伝わってくる。
それは、アメリカ本土の生活からジョン・クルーズの身体が吸収したものかもしれない。
にもかかわらず、これはやはり「南の海の歌」なのだ。
降り注ぐ南国の太陽と、頬をかすめる潮風と、足の裏に伝わる熱い砂の感触がある。
そこには、あきらかに、彼が暮らしたニューヨークやボストンとは異なる時間の流れが感じられる。
たぶんそれは、アメリカ本土で生活体験があったからこそ見えた、ハワイの本当の姿だったのかもしれない。
故郷を知るには、人はいったん故郷を “外” から眺める必要がある。
そのディスタンスの感覚を「ノスタルジー」というのだろう。
テレビ番組を見たあと、久しぶりに昔聞いたカントリーコンフォートも聞きたくなった。
こちらは、もう40年も前の音だ。
しかし、心地よいアコギの音は、まったく古びていない。
というか、こういう音は古びようがないのだ。
それは、自然の音だからだ。
風の音、波の音が千年経っても、変わることがないように。