むしろ盲目になりたいくらいの悲しさ
映画批評
キャデラック・レコード
「恋」って、当人が経験するのが、もっとも感動的なものかもしれないけれど、文学や映画で疑似体験する「恋」にも、なかなか切ないものがあったりする。
特に、優れた「恋の終わり」を描いた作品は、時に、恋愛を実体験する以上に、人間の情感を嵐のように揉みしだくことがある。
そのような恋を語る映画のひとつに、2008年につくられた音楽映画『キャデラック・レコード』がある。
1960年代のアメリカ音楽シーンが大きく変化しようとしている季節に、ひっそりと終りを告げる一つの恋物語だ。
黒人に対する人種差別と偏見が満ちあふれた1950年代のアメリカ社会で、黒人音楽を立派なビジネスに成長させたレコード会社の社長レーナード・チェス。
その彼の抱えるアーチストの中でも、エタ・ジェイムスは女性シンガーの頂点に立っていた。
不幸な生い立ちを持つエタを励まし、一人前の歌手に育てようとするレーナード・チェスとエタ・ジェームスとの間には、いつしか、「経営者」と「専属歌手」以上の感情が芽生える。
しかし、レーナードには妻がいた。
二人の恋には、成就することのない結末しか待っていないことは、お互いに分かっていた。
さらに、レーナードには、もう一つの別れが加わる。
一時代を築いたチェス・レコードも、音楽の流行が変わっていくにつれ、経営が思わしくなくなり、レーナードはその経営権を手放さざるを得なくなったのだ。
だから、ここでビヨンセ演じるエタ・ジェイムスが歌う「 I’d Rather Go Blind 」は、レーナード・チェスが失おうとしているすべてのものに対する挽歌となる。
もちろん、実話とはかなりかけ離れたストーリーではあるのだが、複雑な経緯をものすごくシンプル化した設定は、恋愛映画としてみれば、もう完璧なシナリオだ。
愛する男レーナード・チェス(エイドリアン・ブロディ)の前で、最後のレコーディングに臨むエタ・ジェイムス。
このシーンは、この映画の後半の大きな山場をなす。
ビヨンセ扮するエタ・ジェイムスが歌う「 I'd Rather Go Blind 」はもう涙モノだ。
歌詞がいい!
「 I‘d Rather Go Blind 」
いっそ、盲目になれたなら。
Something told me it was over
When I saw you and her talking
Something deep down in my soul said, 'Cry, girl'
When I saw you and that girl walkin' around
Whoo, I would rather, I would rather go blind, boy
Then to see you walk away from me, child, no
すべてが終わってしまったことを、私は知った。
あなたが、彼女と話しているのを見たときに。
思いっきり泣くしかないではないか。
彼女と楽しそうに歩き去るあなたを、この目で見てしまったのだから。
もう見たくない。
いっそのこと、盲目になれたら。
エタ・ジェイムスのバージョンが大ヒットしたので、いろいろな歌手がカバーしている。
私も、昔ロッド・スチュワート版で聞いている。
ほかに、スペンサー・ウィギンズ、クリスティン・マクヴィーらのカバーがある。
YOU TUBEで、いくつか探して聞いたけど、やはりエタ・ジェイムスのものがいい。
しかし、それと同じくらい、このビヨンセのバージョンが素晴らしい。
なにしろ、思いのたけを、「会話」ではなく、「歌」で伝えようとしているビヨンセの表情が切ない。
そして、その歌を背中で受け止めながら、振り向きもせず去っていくエイドリアン・ブロディの後ろ姿が悲しい。
「SOUL MUSIC」 という言葉が、いとも簡単にあちこちで使われているけれど、私が知っている限り、ソウル・ミュージックとは、こういう歌を指す。
↓ なんと切ない映像なんだ !