音楽・絵画評論
音の抽象画 ウィンダム・ヒル
1980年代というと、日本では「バブルの熱狂」に覆われた時代というイメージがある。
しかし、今でこそそういう印象が強いが、少なくとも80年代が始まったとき、それはむしろ奇妙に冷えた時代が訪れたように思えた。
たった一瞬のことだったかもしれない。
でも、「クールな時代」に入ったように、私には感じられたのだ。
それは、例えていえば、溶鉱炉の燃え盛る鉄工所が、熱と音の消えたコンピューター制御の工場に変わったような印象だった。
そんなときに、ウィンダム・ヒルを聞いた。
「ああ、これからの時代に受ける音楽は、こういう音なんだ」
と、強く思ったものだった。
ウィンダム・ヒルの音には空気と光しかない
「ウィンダム・ヒル」というのは、ギタリストのウィリアム・アッカーマンによって創設されたレコード・レーベルである。
創設は1976年。
Wikipedia によると、同レーベルから出されたジョージ・ウィンストンの『ロンジング』の大ヒットにより、「1980年代のニューエイジ・ミュージックの一翼を担った」という説明がなされている。
ニューエイジ・ミュージックというのは、ヒッピー文化を源流とする禅やヨガのBGMとして使われるスピリチュアルな音楽を指すらしい。
一般的には、「自然、宇宙、生命などをテーマにし、瞑想を助けたり、音楽療法に使われたりする音楽」だという。(Wikipediaより)
しかし、ウィンダム・ヒル系の音を実際に聞いてみると、そのような宗教臭さとは無縁であることが分かる。
岩の間から滲み出る真水のような清涼感はあるが、「宇宙」やら「生命」といった大テーマを訴える押し付けがましさがない。
「空気」と「光」
ウィンダム・ヒルの音には、その二つしかない。
▼ William Ackerman 「Visiting」
どんなジャンルにも入らない音楽
今では、「ニューエイジ・ミュージック」とか、「ヒーリング・ミュージック」というジャンルにくくられるのだろうけれど、当時こういう音を表現する言葉がなかった。
今聞いても、不思議な音である。
クラシックになじんだ人には、ジャズかポップスに聞こえ、ジャズやポップスに親しんでいる人には、クラシックに聞こえたのではなかろうか。
エンヤや喜多郎などの音楽と同列に扱われることも多いが、まったく別種の音である。
私も、当時これを聞いていて、どのようなシチュエーションに合う音か、それが分からず、何とも奇妙な気分になったものである。
ドライブ・ミュージックに使えば眠くなりそう。
カクテル・バーで流れていれば、酒が薄く感じられそう。
恋人との語らいの最中に聞いていると、沈黙が多くなりそう。
どういうシチュエーションにも、合いそうにない。
強いていえば、葉を落とす木々を見ながら、秋の公園で過ごすときの音楽 … とでもいえようか。
しかし、そこには、 “秋のさびしさ” を強調するようなセンチメンタリズムがない。
ひたすらその音は、「空気」を感じさせるだけにとどまり、「光」を感じさせるだけにとどまっている。
その “とりとめのなさ” が新鮮だった。
今までの生活に染み込んでいたBGMとは違う「音」だと分かったのだ。
「生活」を感じさせない音。
つまり、「実在する物」に囲まれた世界に、「不在」の気配を忍ばせる音だった。
「音」で描いたパウル・クレーの絵
絵でいえば、これは抽象画である。
それもパウル・クレーのような、淡い優しい色彩で描かれた抽象画だ。
▼ パウル・クレー 「ニーゼン」
クレーの絵には、山や町といった対象物を特定できるものもある。
しかし、その山や町はほとんど輪郭を失い、今にも空気の中に溶け込んでいきそうに見える。
▼ パウル・クレー 「カイルアンの眺め」
つまり、それは、「実在」の山や町が、「不在」の世界に移行して、色と空気だけになっていく過程をとらえた絵といっていい。
ウィンダム・ヒルの音楽、特にウィリアム・アッカーマンのギターの調べからは、そのパウル・クレーの抽象画に近い雰囲気が漂っている。
同レーベルの人気アーティスト、ジョージ・ウィンストンのピアノには美しさも感じとれるが、具象画の生々しさも残っている。
しかし、アッカーマンのギターは、見事な抽象画になりきっている。
エリック・サティーの “残響(エコー)”
彼の “大先輩” には、エリック・サティーがいる。
サティーもまた、音楽が「芸術性」や「物語」や「教養」と切り離せなかった時代に、純粋に「音の陰影」だけを追求した人だが、アッカーマンもその路線を歩んだ。
実際に、アッカーマンは、サティーに傾倒していたらしい。
どちらの音楽も、生活の中のどういうシチュエーションにも、合わない。
食べたり、飲んだり、笑ったり、悩んだりする我々の生活を、ただの「色」と「光」に還元していくような音。
だからこそ、彼らの音楽は、「生活の呪縛」から人間を解き放ってくれるのだ。
ウィンダム・ヒルの “抽象画” に興味を持たれた方には、もう少し。
▼ William Ackerman 「Gazos」