アートと文藝のCafe

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片岡義男が創ったアメリカと音楽の世界

アメリカの明るさ、爽やかさ、さびしさ

 

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 エッセイストの温水ゆかりさんは、かつて、団塊世代の男性の “アメリカ好き” を揶揄(やゆ)して、こう言った。
  


 「(私の知り合いの団塊世代は)週末になると福生の米軍ハウスに住む友人宅に集まってバンドの練習をし、終わったら芝生のバーベキューをするのが楽しみだ、という。
 この世代のアメリカン・スタイルへの憧れは、のんきなまでに不滅。けっきょく進駐軍の最大の手柄は、この刷り込みに成功したことだったかもしれない」
 

 
 確かに、この意見も分からないでもない。
 「アメリカが好きだ」
 という年寄りは、いまだに私の知り合いにもいる。
 

 
 その基本のところには、アメ車があり、ロックミュージックがあり、(時にハーレーがあったり)、それらのアイテムが現在の生活から遠く離れてしまっても、彼らは心の中にずっとそれを持ち続けている。

 

 のんき
 といえば、あまりにも「のんき」に、彼らは青春を回顧する心を忘れない。

 私の場合は、同じ団塊世代の端くれであったが、青春時代の交友関係ではアメリカ好きがいなかった。


 私自身にも、アメリカ文化に対する奇妙な反発心があった。
 それよりも、「人間をとりこにするディープな快楽」を教えてくれるヨーロッパ文化。
 そっちの方がはるかに魅力的に思えたのだ。

 

 音楽においては、黒人のソウル/R&B系が好きだったが、それは “アメリカ文化” ではなく、アメリカの白人文化に対するカウンターカルチャーという意識で接していた。

 

 それが、社会人になった頃に逆転した。

 

 片岡義男の小説を知ったからである。
 最初に読んだのは、当時すでに評判になっていた『スローなブギにしてくれ』の入った短篇集だった。


 新しい世界を見たような気になった。
 なんだか熱病に浮かされたように、『人生は野菜スープ』などを立て続けに買って読んだ。

 

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 当時、まだ赤い背表紙の角川文庫は書店には並んでいなかった。
 だから、ハードカバーの単行本を買うわけだが、それを棚から引き抜いてレジに向かうところから、もう読書が始まっていた。

 

 文庫とは違った、適度に重いハードカバー本の厚みの中に、ムスタング・マッハ1の風切り音やら、海岸道路のバーカウンターで飲むビールの味やら、ジュークボックスから流れるアメリカンロックや、キャメルの香りや、ポップコーンの匂いがぎっしり詰まっているのを感じた。

 

 そこには、われわれの世代がとっくに経験していた(そして私が無視していた)アメリカの明るさと、爽やかさと、さびしさがあった。

 

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 アメリカの文化のどうしようもない “軽薄さ” 。
 それが、なぜか、そのときになって “いとおしい軽さ” に変ったのだ。
 
 もちろん、私の意識にそういう変化をもたらしたのは、片岡義男の持つ文体の力である。
 アメリカ文化の軽さの中にこそ、そこを吹き抜ける風のおおらかさが詰まっているのを教えてくれたからだ。

 

 『スローなブギにしてくれ』が、「野性時代」の新人文学賞を受賞した1975年(昭和50年)。
 私のあらゆる生活面で変化が起こっていた。


 この頃、やっと遅い就職を果たし、少し貯まった金で、ようやく自分の自動車を手に入れた。
 粗末なカーオーディオを取り付けて、はじめてクルマの中で音楽を聞くという体験を持った。
 
 すると、音楽の好みが変わった。
 今まで大好きだったソウル/R&B系の音が、クルマの疾走感とは合わないことを知った。
 それまで、むしろ(思想上の理由で)毛嫌いしていたアメリカのサザンロックに急激に惹かれるようになった。
 
 オールマン・ブラザーズ・バンド
 レーナード・スキナード
 ZZトップ
 マーシャル・タッカーバンド。

 

 荒々しく、ラフで、白人っぽいノーテンキさに溢れたアメリカ南部のロックが、第三京浜や湘南道路や、横浜の本牧や、さらに16号線の福生ベースあたりを流すときにぴったり合うことを知った。

 

 

ドライブの風景を変えた魔法の言葉

 

 片岡義男の小説と出合ったのは、そんなときだ。  

 それまで読んでいた三島由紀夫とか、高橋和巳とか、野坂昭如吉行淳之介などとはまったく違った世界だった。

 

 自動車とロック。
 それだけに肩入れしていた時期だったから、片岡義男の小説を読むことは、ドライブに出かけるときの高揚感を事前に手に入れるための精神的ドラッグのようなものだった。
 
 クルマをテーマにした小説としては、五木寛之の作品などもあったが、まったくテイストが違っていた。
 五木寛之のカー小説は、しょせん湿った風土の日本の小説。
 それに比べ、片岡義男のものは、とどろくエンジン音ですら、荒涼としたアメリカ西南部の渇いた空気を運ぶ音のように描かれていた。

 

 「アメリカを走ってみたい」
 そう思い始めたのもその頃。
 ちょうど、パイオニアのカーオーディオの「ロンサムカーボーイ」のCMがいろいろなメディアから流れ始めたような時代。

 

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 地平線まで連なる真っ直ぐのハイウェイ。
 テレビでは、ライ・クーダーあたりの音楽を使った、乾いたセンチメンタリズムを漂わす映像。


 そういうCMを見るたびに、目の前にふさがる霧のようなものが切り裂かれて、くっきりとした視界が広がっていく気分を味わえた。

 

 テレビCMの場合は、片岡義男の小説に出てきそうなコピーが添えられ、時に、本人がナレーションでそれをつぶやいていた。

 

 「120マイルを過ぎると、風の音だけではさびしすぎる」

 

 魔法の言葉だった。
 実際に、自分でクルマを走らせたときは逆で、100㎞ぐらい走ると音楽に飽きて、風の音だけを聞きたくなることがあった。
 しかし、そういう気分を楽しめたのも、その「魔法の言葉」が頭にひっかかっていたがゆえであった。
 
 
 彼の小説が実現した世界とは、どんなものだったのだろう。

 「アメリカの香り」
 一言でいうと、そんな空気に満ちた世界である。

 

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 そういった意味で、ちょっと後に登場する村上春樹の初期作品のテイストに近い。
 実際に、両者が似通っているという指摘をする人も多い。

 

 しかし、明瞭な違いがある。
 片岡義男の描く “アメリカ” は、「日本にしかないアメリカ」なのだ。
 事実、彼の小説には、具体的な地名がたくさん出てくる。
 
 第三京浜
 国道122号線。
 黒磯。
 陸羽街道。
 小田原。
 真鶴道路。

 

 『スローなブギにしてくれ』だけに限ってみても、そのような具体的な地名をランダム拾うことができる。
 もちろん、中には本場のアメリカを舞台とした小説もあるが、彼は圧倒的に日本の具体的な場所を小説の舞台に選んでいる。

 

 なのに、片岡義男は、登場させるアイテムや人物たちの会話で、アメリカの匂いを描く。
 それは、彼の文体によってのみ切り取ることができた “アメリカ” であり、いわば、ある種の精神を研ぎ澄まさなければ発見できないアメリカなのだ。

 

 それに対して、村上春樹の初期作品は、場所を特定できない。
 なんとなく、ちょっと洒落た地方都市のさびしい一角を匂わすだけで、その舞台がボストン郊外であっても、ルート66沿いの地方都市であっても、あるいは日本の神戸あたりでもおかしくないような設定になっている。

 
 
 片岡義男が「日本にしかないアメリカ」を描いたとするならば、村上春樹は、「どこにもないアメリカ」を描いたのだ。

 

 だから、村上春樹の小説を読むときは、ベッドに寝そべったままアメリカ気分を味わうことができる。
 しかし、それを読み終わった後に、クルマにエンジンキーを差して、どこかに行きたいという気分にもならない。 

 

 片岡義男の小説は、常にアクションを喚起する。
 環八を抜けて、第三京浜を通り、横浜新道から茅ヶ崎あたりまで走りたいという衝動をうながす。
 「自分の心に浮かぶアメリカを探す」ために。

 

 別の言葉でいえば、頭脳でアメリカを「感じる」村上春樹
 身体を通じて、アメリカを「発見する」片岡義男

 私にとっては、そんな違いにみえる。

 

 

私の感性に溶け込んだ
片岡作品のエッセンス

 

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 そんな片岡義男が好きで、原稿を頼んだことがある。


 空前絶後の大ブームが起こる前だったが、当時すでに売れっ子作家であった片岡さんは、電話だけで、気軽に仕事に応じてくれた。
 あまりにもあっけなくこちらの願いがかなったので、かえってキツネにつままれたような気がした。

 

 原稿のテーマは、「自動車の中で聞きたいお気に入りの音楽」。
 400字詰めの原稿用紙で3枚程度の量だった。
 
 受け取りは、下北沢の喫茶店だった。
 片岡さんは、定刻どおり、まったく普通のお客のようにフラッと入ってきた。
 
 「もう、片岡さんの大ファンで、実は一度お会いしたいと思ったために、原稿を頼んだくらいなんですけど … 」
 どぎまぎしながら、そんなことを口走ったように思う。

 

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 彼は尊大な素振りも見せず、かといってテレもせず、素直ににっこり笑った。
 私は、多少あがってしまったのだろう。
 その後、どんなことをしゃべったのか、あまり覚えていない。

 

 「また、何かあったら、書いてもいいですよ」
 別れしなに、そんなことを言ってくれたように思う。
 多忙な作家であるにもかかわらず、あまりお金にもならない自動車PR雑誌に、そう言ってくれる人は珍しかった。

 

 原稿のタイトルは、「ロックンロールは軽やかな疾走のリズム」。
 書き出しは、彼が教習所で運転を学んだ頃に体験した自動車の車種から始まっていた。

 

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 自動車とのつきあいがはじまったのは、1958年だという。
 18歳だった。
 「シヴォレー、フォード、ダッジなどのガタビシの車の感触を、体がいまでも覚えている」 
 彼はそう書く。
 そして、免許をとって、クルマを運転するようになる。

 

 「1958年ぐらいから、1962年くらいまでの間に、ぼくたちの身辺にあった音楽は、映画『アメリカン・グラフティ』に出てくるような音楽だった。
 図体だけ大きくて、ほかになんのとりえもないアメリカ車の雰囲気やスピード感に、このころの軽いロックンロールは、じつによく合っている。
 たとえばカーブを曲がっていくとき、鈍いステアリングの向こうに送り込まれていく大きい平たいノーズの感じと、それを追って、つるつるのビニール張りのベンチシートから尻に伝わってくるロールの、かったるい、のんびりした操車感覚に、この頃のロックンロールはとても調和する」

 

 まさに、望んでいたような原稿だった。
 そして、読み進むうちに、あっと息を呑んだ。
 
 「いま、もし東名高速を夜中に走るとき、そのスピード感にふさわしい音楽を選ぶとしたら、たとえばオールマン・ブラザーズ・バンドレーナード・スキナードZZトップのような音楽がまっさきに頭に浮かぶ」

 

 なんという偶然の符合。
 まさに自分がドライブミュージックとして選びとった音楽を、そのまま片岡さんも選んでいる。

 

 そのときは、自分の感性が片岡さんと肩を並べたとうぬぼれたが、よく考えれば、それは片岡義男の小説から汲み取ったエッセンスが、自分の中に血肉化していただけのことだったかもしれない。

 

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 原稿をいただいてから、別れる間際に、私は携えていった『スローなブギにしてくれ』の単行本を差し出して、サインをもらった。
 今でも大事な宝になっている。 

 

株式会社SHIRO 『片岡義男を旅する一冊』より

   

  

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