アートと文藝のCafe

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ニール・ヤング的哀愁

 ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』が発売されたのは、1970年だった。
  
 その年、日本では学生運動が各地に広がり、よど号ハイジャック事件があり、三島由紀夫の割腹自殺があり、社会は騒然とした雰囲気に包まれていた。

 

 その一方で、「人類の明るい未来」を謳う大阪万博が開催され、ケンタッキーフライドチキンの 1号店が日本に上陸し、東京の銀座では歩行者天国が生まれ、“楽しくウキウキした(?)時代” の到来も告げていた。

 

 未来を呪詛するような「混沌とした現代」と、それとは関係なく進んでいく「明るい未来」。
 今から思うと、なんとも奇妙な時代だった。

 

 そんな時代の中に、そぉっと忍び込んできたニール・ヤングの歌声には、「この世の終末の影」があった。

 

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 苛立ちを隠せないようなギターサウンドを持つ「サザン・マン」や「アイ・キャン・リアリー・ラブ」にも「すべてが終わった」という諦念が潜んでいたし、「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」や「テル・ミー・ホワイ」のような静謐な歌には、「貴重なもの」が失われていく姿をじっと、見守るような喪失感が漂っていた。

 

 その2年後に発売された『ハーヴェスト』になると、ニール・ヤングの「消え行くもの」への挽歌は、より一層鮮明な形を取る。
 大ヒットした「ハート・オブ・ゴールド(孤独の旅路)」や「オールドマン」などは、もう涙なくしては聞けない。

 

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ニール・ヤング 『オールド・マン』

Neil Young - Old Man(1972年)

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 あれほど、繊細な哀しみを音として表現できたアーチストは、あの時代ニール・ヤング一人だった。 

 

 あの頃のニール・ヤングの哀愁の正体が、今になって、よく分かる。
 
 彼はあのとき、はっきりと、アメリカから失われていくものを見ていたのだ。
 アメリカ人から見れば “外国人” であるカナダ人として。

 

 これは、同じカナダ出身のロックバンドである「ザ・バンド」においても同様なのだが、彼らは、アメリカ人以上に、アメリカの伝統的国民歌謡であるカントリー・ミュージックのエッセンスを身につけ、そして、それを追求した音に「滅び行くもの」への哀悼を込めた。

 

 ニール・ヤングにもザ・バンドにも共通して「カントリー・ロック」への志向がうかがわれる。
 しかし、それはすでに、アメリカから失われたカントリー・ミュージックなのである。
 
 彼らの音から伝わる “何やらカントリーっぽい雰囲気” というのは、実はアメリカ本土で流布している現実の「カントリー&ウエスタン」とは別物である。

 
  
 アメリカ人たちのカントリー&ウエスタンが、トラックドライバーたちが眠気覚ましに口ずさむBGMのように消費される音楽だとしたら、ニール・ヤングザ・バンドの音は、さらに、そこから100年昔の空気を伝える。

 

 西部開拓時代に、幌馬車隊が、馬車の円陣の中で、1日が無事に終わったことを神に感謝しながら食後を終え、食後のひとときに、誰ともなく歌いだすような歌。それが、ニール・ヤングザ・バンドの歌の根底にある。

 

 それは、アメリカ流のグローバル資本主義が、世界中に猛威を奮うような時代に失われてしまったもの。
 つまり、世界を「アメリカ流の価値観」で統一するという、アメリカ人の傲慢さによって、かき消されたもの。
 
 それを偲ぶような形で、ニール・ヤングザ・バンドの「カントリー・ロック」があったのだ。


ザ・バンド

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 カナダ人にとって、アメリカは微妙な国だ。
 人種的には、ほぼ似た民族であり、建国の歴史も似通っていながら、カナダはアメリカのように、世界をリードしたこともなく、世界を混乱に落とし込めたこともない。
 そして、自らその国家を批判する “声” を上げたこともなかった。
 
 それは、言葉を変えていえば、カナダには、アメリカが持っていた「物語」が欠けているということなのだ。

 

 だから、カナダ人は、アメリカ人が引き起こす戦争や、人種差別や、傲慢な経済政策は憎むが、アメリカが持っている「物語」には憧れるというアンビバレンツ(二律背反)な立場に置かれる。

 

 ニール・ヤングザ・バンドアメリカ観には、その二つの気持ちへの分裂がうかがえる。
 彼らは、アメリカの持っている「物語」を愛するがゆえに、だからこそ、それを平然と打ち捨てていく今のアメリカをも憎む。

 

 ニール・ヤングが昔から(そして今も)一貫して、アメリカ政府に対する抗議の姿勢を失わないのも、そこに起因する。

 
 彼にとって、アメリカは、グローバル資本主義を推進させて世界市場を独占し、さらに世界の文化の多様性をも抹殺する非人間的システムそのものなのだ。

 

 もちろん、彼のデビュー当時は、平然とベトナム戦争を遂行していくアメリカがあった。

 

 そのベトナム戦争が終わったあとは、アメリカは経済で世界を制覇し、地球上に格差が広がっていくことを平然と容認した。

 その姿勢は、グローバル資本主義から自閉していくトランプ政権に移った今も変わらない。

 
 アメリカの姿勢は70年当時と変わらなくても、ニール・ヤングは、デビュー直後の作品を評価するリスナーを挑発するように、めまぐるしく自分の音楽スタイルを変えていく。
 テクノポップやパンクに接近したかと思うと、トラディッショナルなカントリー・ミュージックに回帰したり。

 彼は、そのつどそのつど、彼のスタイルで、ロックの最前線に踏みとどまろうとする。まるで、その時代の “コンフォートな音” に対して、徹底的に戦おうとするかのように。
 
 ライク・ア・ローリング・ストーン

 

 まさに、とどまるところを知らない、転がる石である。


 そこには、確かに、 “ロック魂” とも名づけられるような不屈の精神が感じられる。

 

 しかし、私は、自分の青春と照らし合わせてみても、あの「身を切られる」ような寂しさを秘めた『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』と『ハーヴェスト』のアルバムに、“自分のニール” を感じる。

 

 何かが終わったときの音楽。
 草原を渡る風のように、とりとめもない寂しさを宿したあの2枚のアルバムは、いつまでも頭の中に鳴り続ける。


 
▼ クレイジーホース時代の名曲 「カウガール・イン・ザ・サンド」

Neil Young - Cowgirl In The Sand

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