アートと文藝のCafe

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タクシーゲイシャ

 ゲイシャって言葉の響きから、漢字を当てると「芸者」の方が先に思い浮かぶけれど、電話なんかでタクシーを呼ぶときも「ゲイシャ」だ。
 こっちは「迎車」だけど。

 

 で、タクシーの迎車ってのはほとんど使ったことがないのだが、昔、肺を患って、病院に通っていた頃だけ、よく家に迎車を手配してもらった。
 迎車料金はプラス410円となる。

 

 ま、こういう料金は、タクシー会社やお願いするときの時間帯、距離などによって違うのだろうけれど、私の場合、家から電話して病院まで走ってもらうと、だいたい410円かかった。


 しかし、この410円。
 いったいどういうサービス内容が含まれるのだろうか? と、最初のうちはそこに好奇心が集中した。
  
 
 「迎車タクシー」で、まず驚いたのは、家の前で待っていても、タクシーのドアが開かないのだ。
 普通、客を乗せるときは、自動ドアがパッと開く。
 が、迎車の場合は、運転手は自動ドアを使わない。

 

 代わりに、ドライバーが急いで運転席から飛び降りてきて、腰をかがめ、うやうやしく手でドアを開けるのだ。
 
 「お待たせいたしました。お暑いなかをご迷惑をおかけしました。さぁ。どうぞお乗りください」
 
 「お待たせ」 といったって、そのタクシーが来たのは、配車センターが予告した到着時間より5分も早い。
 つまり「お待たせ」というのは、お客に挨拶するときの “まくら言葉” みたいなものらしい。

 

 次に、自己紹介が念入り。
 「私、生まれも育ちも葛飾・柴又です。帝釈天で産湯をつかい
  みたいな、寅さんの口上に近いほど、芝居がかった丁寧さだ。

 

 「私、◯◯社の◯◯地区を主に担当する◯◯と申します。
 このたびはご利用いただき、誠にありがとうございました。
 それでは、ご指定いただいた目的地まで、すみやかにご案内申しあげます。
 ご利用中なにかご希望があればなんなりとご用命ください。
 エアコンの設定温度はいかがですか? 
 それでは安全運転でまいります。」

 

 聞いている方も、「それでは何卒よろしくお願い申し上げます」と立ち上がって頭を下げなければならないほどの丁重なるご挨拶だ。

 

 確かに、運転は丁寧。
 信号などは黄色になりかける前に停まる。
 もちろん急発進、急加速、急ブレーキのたぐいは一切ない。
 
 
 迎車を何度か経験すると、運転手さんによっては、
 「今日は良いお天気でございますねぇ。雲一つなく、行楽日和というのでしょうねぇ」
 などと、退屈しのぎに とばかりに話しかけてくる。
 

 
 ま、天気が良いのは窓の外を見れば分かるから、何かを教えてあげようというつもりの会話ではないようだ。天候の話をするのも迎車サービスの一環なのだろう。

 

 病院に着いたときの対応もまた丁寧。
 車寄せに停まるまで、前のタクシーが並んでいたりすると、スペースが空くまで静かに待機する。
 
 私なんかは、入り口手前の道路で、
 「もうここでいいから降ります」というのだけれど、「いえ、もう少しお待ちください、すぐ入口前に着けられますから。それに、ここは車の出入りが激しいゆえ、危のうござります」


  なんて、まるで戦場で家臣の武士が主君に語りかけるような言い回しだ。
 こっちも、
 「お、そうじゃな。ひとまず弓矢の届かぬ陣の奥まで引き下がるか」
 などと言いそうになる。

 

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 料金を払うとき、お札のほかに端数の10円玉を用意すると、
 「あ、わざわざご便宜を図っていただき、恐縮です」 
 … だって、さぁ。
 
 10円玉を出すことが、“便宜” だったとは。
 コンビニのレジ打ちの女の子なら、一言「1,010円からお預かりします」で終わるんだけどな。 

 

 で、降りるときも、運転手は自動ドアを開けようとしない。
 「あ、お待ちください、すぐ開けます」
 と、運転席から飛び出そうとする。
  


 そうなると、こっちも、
 「あ、いいです。自動ドアを開けてください」
 というのにも勇気がいる。

 

 でも、ここは勇気の奮いどころだと思って、意を決して、「自動ドアでいいです」 と言ったことがあった。

 

 「あ、いいんですか? ほんとうに “ドア開けサービス” をしなくていいんですかぁ? それではお言葉に甘えて、自動ドアを使わせていただきます」

 

 ようやくこっちも、410円というのは 「ドア開けサービス代」だということが分かった。
 
 …… う~ん ……
 微妙なサービスだな。

 

 乗るときと降りるときで、ドア開けサービスが1回ずつ。
 ということは、1回205円のサービスということになる。
 ドアを開けてもらうのに、205円というのは高いのか、安いのか
 
 確かに、何でもかんでも機械化されている世の中で、わざわざ人の手を煩わすドア開けサービスは、“人のぬくもりを伝える” という意味では貴重なものなのかもしれない。

 

 この頃は、全部で5~6回送迎用タクシーを呼んだけど、自動ドアを使った運転手さんは一人しかいなかった。

 

 そっちの方が気が楽なのだけれど ……

 

 …… でも、不思議だった。
 ドア開けサービスに慣れてしまうと、今度は自動ドアだと、なんか “損した” 気分になった。

 人間って、贅沢で、横着にできているんだな。