
- 20世紀を代表する英国の大御所ロックバンド。1963年のレコードデビュー以来、今なお現役で活動する。 ローリング・ストーンズ、ストーンズとも。 メンバー 幼馴染で、共にブルースを愛したミック・ジャガー(vo)とキース・リチャーズ(g)、最も音楽的才能に長け.. 続きを読む
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音楽批評
モノクロのローリング・ストーンズ
ザ・ローリング・ストーンズは、モノクロームのバンドである。
昔、WOWOWライブで放映された『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』というドキュメンタリーフィルムを観たときに、そう思った。
このドキュメンタリーは、ローリング・ストーンズの1965年のアイリッシュ・ツアーを追った記録フィルムである。
モノクロでしか表現できない彼らの “若さ”
個々のメンバーに対するインタビュー、練習風景、ステージ映像を断片的につなぎ合せたラフな体裁ながら、そこにデビュー当時のストーンズが漂わす生々しい息づかいが溢れ出ていて、彼らの若さが匂い立つようだった。
だが、その若さは、圧倒的なモノクロームの影に包まれて、陽光の明るさを拒絶しているようにも見えた。
ローリング・ストーンズにモノクロの匂いを感じたのは、そのドキュメンタリーがモノクロフィルムで撮られていたということもあったが、彼らの初期のレコードジャケットに、けっこうモノクロ写真が使われていたからかもしれない。
(同じ時期、ビートルズのアルバムジャケットはほとんどがカラーである)
モノクロはイギリスの色である
モノクローム。
それは、イギリスの色である。
晴れる日が少なく、どんよりした曇天の下で、街も人も白黒の濃淡の中に溶け入っていく国の色だ。
『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』という映画には、彼らのツアー中の移動風景が出てくる。
客席のテーブルに向かい合い、とりとめもない無駄口を叩きながら時間をつぶす彼らの向こう側に、アイルランドのさびしい田園風景が流れていく。
たぶんカラーフィルムなら、緑色に輝く絨毯(じゅうたん)のような草原が広がっていることだろう。
そして、その草原の彼方に見え隠れする低い丘陵は、薄い青色に染まっているはずだ。
しかし、モノクロフィルムに焼き付けられた草原と丘陵は、起伏も定かではない枯れた濃淡のグレー一色に沈んでいた。
それは、この地にアングロ・サクソン人が住み着く前の、文明の届かぬ絶海の孤島の風景に見えた。
その情景がなんとも、ストーンズメンバーの少し物憂い表情に似合っていた。
彼らの列車の中の振る舞いは、騒がしく、ときに陽気で、同乗する庶民の笑いを誘ってはいたが、どこかはかなげであった。
同じようなシーンが、ビートルズの映画『ア・ハードデイズ・ナイト』にも出てくる。
ビートルズもまた、列車のなかで “お茶目” を繰り広げる。
同じモノクロフィルムなのに、どこか違う。
ビートルズの場合は、メンバーの身体から溢れるエネルギーがモノクロ映像を “カラー” に変えてしまう。
はちゃめちゃで、人を食っていて、そのパワーで周囲を撹乱させることで自分たちも楽しんでしまう楽天性。
そういう天性の明るさをビートルズは持っている(もしくは演じることができる)。
ストーンズのメランコリー
しかし、ストーンズのメンバーは、カメラを意識した笑顔をこちらに向けても、どこかメランコリックである。
不器用な青年たちだ、という気がする。
当時ストーンズは、ビートルズよりも不良性が強く、暴力的で、セクシーで、ワイルドなグループだと見られていた。
特に、常にドラッグにまみれた生活を繰り返したキース・リチャーズの行状が “伝説” となり、それもまた「ワルのバンド」というイメージを強めた。
しかし、彼らの本質は、むしろ内省的で、静かで、大人しい人たちであったように思う。
昔のステージの様子が、よくYOU TUBEにアップされている。
▼ 彼らの初期のレパートリーのひとつ 「Off The Hook」
腰をセクシーに回しながら、ぶ厚い唇からツバを吐き出すようにミックが歌い、その脇で不敵な笑みを浮かべたブライアン・ジョーンズがギターを鳴らす。
キースはキースで、醒めた目つきで観客を眺め、半開きになった唇にときおり幼さの残る笑いを漂わす。
そして、ビル・ワイマンは、能面のような表情を保ちながら、カメラが近づいたときだけ笑う。
ラフ&ワイルドな音の正体
彼らの笑いには戸惑いがある。
聴衆を煽るだけ煽っておきながら、その反応の激しさに困惑しているような戸惑いが見え隠れする。
彼らの攻撃的なサウンズは、むしろその戸惑いを隠すように生まれてきた音だろう。
ラフ&ワイルド。
初期ストーンズの音を、一言で表現すればそのような言葉になるが、それは単に彼らの演奏が不器用であったということかもしれず、彼らの音楽性が、天賦の才に恵まれたビートルズに遠く届かなかったということだけかもしれない。
だが、まぎれもなく、イギリスという風土が持つ「モノクロームの哀感」を表現し得たのはストーンズの方であり、それがゆえに、彼らの「ラフ&ワイルド」には切々たるさびしが漂うことになった。
だから、アメリカ黒人のブルースやR&Bを取り上げても、そこに “野太さ” の代りに “神経質さ” がにじみ出る。
黒人音楽からは最も遠い “音”
ストーンズの音楽ルーツを語るとき、必ず「ブルース」と「R&B」という言葉が出てくる。どの解説書も一様に、彼らのサウンドのルーツをアメリカ黒人音楽に求める。
しかし、私が聞く限り、彼らはブルースやR&Bからもっとも遠いところの「音」を出していた。
オーティス・レディングの歌う『I’ve Been Loving You Too Long (愛しすぎて)』 と、ストーンズのカバーする『I’ve Been Loving You Too Long』は、同じ歌詞で同じメロディーながら、水と油のような異質なもの際立たせる。
オーティスは、魂が張り裂けんばかりの気迫を込めて、この切々たる歌を天に向かって “朗々” と歌い上げるが、ミック・ジャガーは鬱々たる悲哀を内面世界に沈ませる。
▼ Otis Redding 「I’ve Been Loving You Too Long」
ストーンズはイギリスのローカルバンドだ
オーティスの歌には、民族のルーツであるアフリカを出てアメリカにまで至るまでの「大陸」がある。
しかし、ミックにあるのは「島」だ。
彼の歌声には、ドーバー海峡を吹き狂う風の音が舞っている。
彼らのサウンズには、地味豊かなヨーロッパ大陸を海峡越しに遠望していた民族がずっと聴き続けてきた「荒れた波」の音がする。
ビートルズはイギリスで生まれ、世界で開花した “グローバルバンド” であったが、ストーンズは、世界中にファンを獲得したにせよ、基本的にはイギリスのローカルバンドである。
しかし、それは彼らの名誉を汚すことにはならない。
彼らの奏でる音楽には、まぎれもなく「白」と「黒」と「グレー」に染められたイギリスの風土がにじみ出ている。
それは、王族同士の陰惨な粛清劇を経たのちに、統一国家をつくり、産業革命時に、労働者たちを悲惨な状態に追い込んでから、世界制覇を勝ちとった「光と影(モノクローム)」の国の “音” なのだ。
▼ 現在(2016年当時)のザ・ローリング・ストーンズ