アートと文藝のCafe

アート、文芸、映画、音楽などを気楽に語れるCafe です。ぜひお立ち寄りを。

OLDMAN

OLD MAN  オールドマン

 

 午後のスタンドカフェで、ぽつねんと、外の景色を見ている老人がいた。

 喫煙席だった。

 

 人がまばらに座った客席から、いく筋かの紫煙がのぼっていた。
 老人はタバコを吸わないようだ。
 喫煙席には、間違えて入ってきたのかもしれない。
 あるいは、そんなことに頓着していないのかもしれない。

 

f:id:campingcarboy:20190308164921j:plain


 白いヒゲをゆったりと垂らし、ソフト帽を目深にかぶった老人の姿は、セピア色の写真で見る明治の軍人のようだった。
 ひとつ時代を間違えば、馬上傲然(ごうぜん)と敵陣をにらみ、三軍を指揮する人のようにも見える。

 

 でも、今の老人の目は、動くものには何ひとつ反応していない。
 灰色がかった瞳の視線が、歩道を行き交う人々を避けるように、道に落ちた木の影だけに注がれていた。
 陽の差し込む窓際の席で、空いているのはその老人の隣だけだった。

 

 私はその椅子を引き出し、背もたれにコートをかけた。
 セルフサービスの店だから、テーブルが汚れていればお客がダスターを手にとって拭くしかない。

 
 老人のティーカップの周りが汚れていた。

 

 「よかったら、拭きましょうか?」
 私は、自分のテーブルを拭いたついでに、老人の前のゴミを軽く払った。
 「ご親切に

 
 老人は、はにかんだような笑いを浮かべ、ちらりとこちらを見た。
 「あんたは優しそうな人だね」
 言外に、そんなメッセージがこめられたような目だった。

 

 それがきっかけで、会話が始まった。

 「今日は歩きすぎて

 まるで暖でも取るように、両手でティーカップを抱え込んだ老人は、
  「 疲れました」 
 という言葉を内に秘めながら、ゆっくりと語りだした。

 

f:id:campingcarboy:20190308165157j:plain

 

 私は、カフェで読むために買ってきた週刊誌をあきらめ、それをテーブルの上に伏せて、老人の言葉を待った。

 「大名屋敷がとぎれた辺りで引き返せばよかったんでしょうけれど、花街のあたりも歩いてみたくてね」

 

 いつの時代の話なのだろう。
 この辺りでは、大名屋敷も、花街も聞いたことがない。

 

 「町名も変わり、町の景色も変わってしまいましたから、どこを歩いているのか、もう分からないようになりました」
 そう笑う老人の頬に、深いシワが刻まれる。

 

 いくつぐらいなのか。
 80には手が届くのだろうか。それともその上か

 

 「この近くに住まわれていたんですか?」
 尋ねる事もことさら思い浮かばなかったので、場当たり的な質問を投げかけてみた。

 「ここからは少し歩いたところです。テラマチです」

 テラマチ ……

 「寺町」という地名なのか、それとも、単に “寺が多いところ” という意味なのか。

 

 「釣りもできたですよ。祠(ほこら)の裏に寝ているミミズをエサによ~釣ったものです」

 いつの時代の、どこの話だろう。
 祠って、なんだ?

 

 老人のしゃべる話は、遠い世界を舞台にした昔話のように聞こえた。
 相槌を打つタイミングも見つからないまま、私は、黙って老人の話の流れに身を任せた。

 

 「このあたりは路面電車が走っとったですよ、昔はね
 少しだけ、華やいだ声になった。
 「路面電車の時代の方がにぎやかでしたね。今の方が人通りは増えたけれど、にぎやかさは感じられんです」

 

 路面電車が走っていたのは、私も覚えている。
 一ヶ月だけだったが、それに乗って通学した記憶もある。
 町の中を電車が走る風景は、自動車が走るよりも “都会的” に思えた。
 だから、老人のいう「にぎやか」という意味が分かるような気がした。

 

 ようやく共通の話題が出たと思った矢先、老人は不思議なことをしゃべり出した。

 

 「週末に一本だけでしたけど、夜ね、無人路面電車が走るんですよ。
 実験だったんですね。
 遠隔操作というのか、自動操縦の試験なんですね。
 それを土曜の深夜だったか、会社が実験するんでしょうねぇ。
 もちろんお客さんは乗せないですよ。
 私は二度ほど見たことがありましたけれど、怖いもんですよ、幽霊電車みたいで

 

 そう言いながらも、老人は面白そうに笑った。

 「へぇ~!」と、私は驚くふりをするしかなかった。
 そのようなことがありえるはずがない と私の理性はこっそりとささやいていた。

 

  からかっているのか?

  

 老人の横顔は、おだやかな冬の陽射しを跳ね返して、白い鑞(ろう)のように光っていた。
 会話はとぎれたが、私たちは、冬の陽だまりでまどろむ二匹の猫のように、じっと外を見ていた。 
   

f:id:campingcarboy:20190308165359j:plain

 

 「さて、とんだお邪魔をしてしまって
 老人はソフト帽をかぶり直して、私に笑った。


 「いえいえ、面白いお話を
 私は、立ち上がった老人を見上げて、微笑み返した。

 

 両足を引きずるように去っていった老人のテーブルには、ティーカップが置き去りにされていた。
 セルフサービスのルールを知らなかったのだろう。

 …… やれやれ。出るときに、それも一緒に下げるか。

 

 ガラス窓の向こうに広がる街の景色は、日没の残照を浴びて、メタリカルな蛍光色に輝いていた。
 ドアを出て、間もないというのに、老人の姿はもう見えなかった。

 

 

▼ 「オールドマン」 ニール・ヤング

youtu.be