思い出したくもない「思い出」というものがある。
自分の恥部を人前にさらけ出してしまったような体験。
そのときの情景を思い出すだけで、穴があったら入りたくなってしまうような記憶。
そういうのって、あるよね。
特に、自分がまだ若くて未熟だった時代に、背伸びして失敗したような記憶がよみがえったときが辛い。
たとえば、間違った情報を、知ったかぶりして、誰かにとくとくと披露したときの恥ずかしい記憶。
好きな女の子が手を振ってくれたので、有頂天になって手を振って応えたら、自分の後ろに彼女の本命の男がいた … なんていう記憶。
そういう「おのれの恥を知る」瞬間をとらえたとき言葉を、「きゃっと叫んでろくろ首」という。
概して、自分の「うぬぼれ」がもろくも崩れたことを思い出すときに、この言葉が似つかわしい。
「ろくろ首」というのは、胴体から首が離れて、スルスルと伸びていくバケモノのこと。
中国あたりの民間伝承にその起源があるらしいが、日本では江戸時代の怪談話などにしきりに登場してくる。
昼間はたいてい普通の人間、それも若い女の姿を取ることが多い。
しかし、夜になると、寝ている女の首がヘビのように伸びて、部屋の隅にある行灯(あんどん)の油をそっと舐める。
… というのが、いろいろな話に出てくる基本パターン。
もちろん、バリエーションも多い。
「首が伸びる」のとは違い、胴体と分離して「首が宙を飛ぶ」というパターンもあるようだ。
いずれにせよ、「きゃっと叫んでろくろ首」という表現は、この「ろくろ首」に遭遇したときのような、“見たくもない自分” を思い出してしまった状態をいう。
この言葉を有名にしたのは作家の吉行淳之介。
彼が書いたエッセイのどれかに、この言葉があった。
どの本か忘れてしまったが、この言葉だけはよく思い出す。
自分自身がそういう心境におちいることが多いからだ。
吉行淳之介自身が編み出した表現かもしれないが、もしかしたら先行者が残した言葉を吉行氏が引用したものかもしれない。(原典を見つけて確認しようと思い、本棚の “吉行コーナー” に手をの伸ばしてみたけれど、どの本も、ぶ厚いホコリにまみれていたのであきらめた)。
それにしても、
「きゃっと叫んでろくろ首」。
なんと絶妙な響きを持った言葉であろう !
おのれの「恥」を突然思い出して居たたまれなくなったような時は、もうこれ以外の言葉で、その心境を表現することなどできないように思えてくる。