アートと文藝のCafe

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創作 『ボートに吹く風』

 枯葉が敷きつめられた池の上で、ボートを漕ぐ。
 
 茶色と黄色の色に染まった池。
 樹木の葉が落ち始める頃になると、岸に近いところは、その枯葉に埋め尽くされて水が見えない。
 オールが跳ね上がった瞬間だけ、下に埋もれた水が顔を出す。

 

 「こんな公園が学校のそばにあるなんて、素敵ですね」

 

 セーラー服を紺色のコートで包んだ少女が、船尾側に座って、僕にそう話しかける。

 

 「この辺りは、うちの学校の庭みたいなもんです」
 水面に視線を注ぐ少女の横顔を見ながら、僕はそう答える。

 

 「うらやましい」

 

 少女が僕の方を振り向く。
 スカートのプリーツが乱れるのを気にしながら、少女は脚を横につつましく組んだまま、しっかりとカバンを抱きしめている。
 ふくよかな頬の間に小さく埋もれた唇が、可愛らしい形で笑っている。

 

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 デートになるなんて、夢にも思わなかった。
 
 「昼休みの30分間だけ、お話をうかがわせてほしいんです」
 
 そういって、わざわざバスを乗り継ぎ、隣町の女子高から僕らの新聞部を訪ねてきた少女。

 

 「高校生の発行する新聞で、いちばん大切な問題とは何か」
 それをテーマに、各高校の新聞部を回り、編集部員のインタビュー記事を書くのだという。

 

 申し込みの手紙を受け取ったのが、もう10日ほど前。
 久しぶりに顔を出した新聞部の部室に、その手紙は埃(ほこり)にまみれたまま、机の上に放り出されていた。
 
 封も切られておらず、誰も読んだ形跡がない。
 もっとも読むような部員もいない。

 

 新聞の構成を考え、割付けをして、印刷所に持っていく仕事は僕一人でやっている。

 記事だけは、先輩たちが書く。
 その原稿を机の上に放り出し、先輩たちは、読書会だのデモだのといって、どこかに行ってしまう。
 彼らにとっての大学進学は、全共闘運動に関わることと結びついている。

 

 「70年安保闘争」という言葉が生まれた1960年代末。
 ベトナム戦争が激化し、アメリカでも、日本でも反戦運動が起こり始めていた。
 反戦闘争の拠点が全国の大学に生まれるようになり、それが高校生にも広がる気配を見せていた。

 

 僕の高校の新聞部というのは、その尖兵だった。
 だから、先輩たちの書く新聞の原稿には、
 「反戦派高校生の条件」
 とか、
 「革命思想と実践の現代的メカニズム」
 とか、
 「授業をボイコットして、街に出よ!」
 などという、勇ましい見出しが踊っている。

   
 一方、手紙に同封されていた女子高校の新聞には、
 「花壇の花を愛する気持ちを全校生徒に」
 などという見出しが散りばめられている。

 

 話が合うのか、合わないのか。
 
 もっとも、インタビューを受けるのは先輩たちで、自分ではない。
 彼らは、きっと、“産学協同路線に組み込まれた現在の教育体制の中で、高校生は反戦闘争にどう関われるのか”
  などという理屈を滔々(とうとう)述べるのだろう。  
  
 そう思っていたが、彼女を迎える当日になって、部室にやってきたのは、結局僕一人だった。

 

 

 「これが僕たちの作っている新聞です」
 
 埃の積もった部室の椅子に彼女を座らせて、僕は自分たちの作っている新聞を見せた。

 
 一面の写真には、デモに参加したという先輩が撮った、ヘルメット姿の高校生が投石している写真が載っている。

 

 それを眺めた少女の顔が曇った。
 何を言おうか、迷っているようだ。

 

 「毎号、こういうテーマなんですか?」

 不安そうな目を上げて、こちらを見上げる。 

  

 「こういうテーマとは?」

 少女の瞳に、キリッとした光が宿る。

 

 「こういう暴力を肯定するようなテーマが編集方針なのですか?」

 いきなり予想外の質問をされて、僕はとまどう。
 
 先輩たちなら、なんと答えるのだろう。
 頭のなかをくるくる回転させて、あせりながら答を探す。

 

 「暴力に対しては、暴力で向かうしかないんじゃないですか? あらゆる領域で、国家的な暴力が強まっている時代に、高校生としても安穏(あんのん)とした生活はできなくなっているでしょ。
 僕たちは、戦争に組み込まれていく日本の現状に抗議して、立ち上がらなければならないじゃないですか」

 

 先輩たちが言っていることを、なんとか継ぎはぎしながら、僕は必死に答える。

 

 「国家的な暴力って?」


 「だから、 …… その、一見平和な生活の裏側で進行している帝国主義的な圧力が、目に見えない暴力として ……

 

 「帝国主義って、どういうことですか?」


 「つまり …… ですね。資本主義的な搾取が、ベトナムのような第三世界の平和な人民を抑圧しているという現状があるわけですよ。だから、黙っていては、それに加担してしまうわけで

 

 少女がメモを取り出して、僕の言葉を鉛筆でなぞる。

 

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 その様子を見て、
 「いや、あくまでも、ひとつの見方ですよ、ひとつの ……
 と僕はうろたえる。

 

 「分かっています。だから、そういうことを問題にすることもなく、ただ漫然と授業を進める学校側の教育態度も欺瞞的だというわけですね」


 「あ、そう! そういうこと」

 

 「しかし、高校生が知り得る “世界” は、まだ自分が一人で考えられるほど十分なものとは思えません」
 
 そう言って、彼女はパタンとメモ帳を閉じる。

 

 「抗議行動やデモも必要なことかもしれません。しかし、まず授業で行われる先生の講義を聞いて、それをしっかり身につけ、それから行動を起こしても十分間に合うのではないですか」 

 

 「いや、僕らにはそんな時間は残されていないですよ」

 

 「いえ、私はもっと先にすべきことがたくさんあるように思います。
 もっと、自分の学校を愛する気持ちとか、困っている友だちを励ます気持ちとか、そういう優しさを心のなかに養うことが、高校生の本分ではないでしょうか」

 

 「いや、 …… それは ……
 と、いいかけて、僕の言葉はそこで行き詰まる。

 

 頑固そうな女だ。
 そう思う気持ちと、自分の言葉で信念を語る彼女の強さに感心する気持ちと、そして、真剣なまなざしで僕を見つめる彼女の美しさに、僕はすっかりまいってしまった。 
 
 なんとか劣勢を取り戻さなければ ……
 ふと浮かんだ言葉は、自分でも思いもつかなかったものだった。

 

 「近くに公園があるんですけど、そこまで歩いて行って、話の続きをしませんか?」
 
 

 

 公園の池に浮かんだボートに、午後の木漏れ日が降り注ぐ。
 水鳥が池に刺された杭の上に乗って、体を休ませている。

 

 少女はもう質問をぶつけて来ない。
 意見も言わない。
 ただ、ボートの揺れに身を任せ、水の上に影を落とす樹木の陰を眺めている。
 木々の葉を吹き払う風が、その彼女の髪を乱す。

 

 「寒くないですか?」
 と尋ねる僕に、彼女は微笑んで、首を横に振る。

 

 夕暮れの匂いが迫る午後の公園。
 ウィークデーのせいか、池に浮かんでいるボートの数も少ない。
 休日なら子供たちが群がるボート乗り場の売店にたたずむ人影もまばらだ。

 

 「いつも、あんなふうに、午後の授業をサボってしまうんですか?」

 

 また意見をいうつもりか。 
 そう思って覗き込む少女の顔に、とがめるような表情は浮かんでいない。
  
 
 「私、本当は迷っているんです」
 と少女は笑う。

 

 「私の女子高は平和すぎて、誰も何も考えないの。私はそれが、いやでいやで。もっと高校生でも考えなければならない問題がいっぱいあるのに と思うんです。
 それで、ほかの高校の人たちは何を考えているんだろう って、そう思って、この企画を進めたんですけど、だからといって、学生運動をやっているような人たちが正しいとも思えないし」
 
 「僕も、何かを考えなければいけないと思っているんだけど
 そう言いながら、次の言葉を探す。

 

 何も浮かんでこない。
 
 先輩たちの議論を聞いて、口だけではいっぱしのことが言えるようになったけれど、自分の言葉は何もない。

 

 テレビのドラマは何を見ているの?
 どんな音楽が好き?
 食べ物だったら、何が好き?

 

 そういう会話に移っていいものなのか、どうなのか。
 語るべき言葉を探しながら、僕は黙ってオールを漕ぐ。

 

 「私、もっといろんなことが知りたいんです」
 
 少女は、そう言って僕を見つめる。
 「同じ年の男子は何を考えているのか、今の日本は本当にひどい方向に進んでいるのか、平和のための戦いといって、なんでモノを壊したり、石を投げている人たちがいるのか。
 誰もまともに答えてくれないんですよ」
 
 「どう思いますか?」
 口には出さずとも、その目が、僕にそう問いかけている。

 
 
 ねぇ、そんなことより、僕とつき合わない?
 今週の日曜日、ヒマ?
 映画なんか観に行くの、どう?

 

 そう言ってしまえば楽なのに。
 でも、それを自然に切り出せるタイミングが見つからない。

 

 もっと風が吹かないかな と僕は密かに願う。
 そして、彼女が寒いと言い出さないかな。
 そうしたら、 「温かいコーヒーでも飲む?」といえるのに。
 コーヒーでも飲んだら、もしかしたら、話題が別の方向に進むかもしれないのに。
  
 
 ボートは、池の真ん中ぐらいに浮かんでいる。
 もう少し進めば、景色が変わる。
 左右の岸が池の中央にせり出してくる地点があり、その奥の視界が遮られる場所があるのだ。

 

 だから、その手前でボートを止めると、池のかなたに、さらに大きな湖でも広がっているように見える。
 
 「ここからの眺めが好きなんです」
 
 僕は、左右の岸がせり出してくる池の真ん中にボートを止め、その奥に広がる “もうひとつの世界” を指し示した。

 

 「ここから、この池を見ていると、この先がどこまでも広がっていて、最後は海にでもたどりつくんじゃないか、と思えるときがあるんです。
 奥まで見通せないから、かえってそんな想像が生まれるんでしょうね。
 実際に、この先まで漕いでいってしまうと、あっという間に行き止まりが見えてきて、がっかりしちゃうんですけどね」

 

 僕の指さした方向に、少女も視線を向ける。

 

 「ほんとですね。アマゾン川でも下っていくみたい」
 「奥まで行ってみる?」
 「いいえ、このままでいいわ」

 

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 僕は、彼女の脳裏に浮かんだというアマゾン川の情景を想像する。
 
 それはどんな水の色をしているんだろう。
 岸辺には、どんな植物が植わっているんだろう。
 もし、そこを二人で漕いでいったとき、僕たちはどんな夢をみるんだろう。
 
 池の奥をじっと見つめる彼女の横顔からは、何も伝わってこない。
 風が出て、彼女の黒髪がまた乱れて、白い頬にかかる。
   
  
▼ Gordon Lightfoot 「If You Could Read My Mind (心に秘めた想い) 」

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