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日本人の心を劇的に変えた「平成」

今週のお題「平成を振り返る」

昭和的な幸福感と決別した時代

 
 平成という時代は、一言でいうと、世界経済のグローバル化に翻弄され、昭和の時代に日本が蓄えたさまざまな資産をすべて喪失した時代だったといえる。

 

 劇作家の宮沢章夫によると、
 「(平成は)日本人が昭和の頃まで維持していた幸福感のようなものが失われた時代だった」という。

  

 彼は、NHKEテレで放映された『ニッポン戦後サブカルチャー史』という番組の最終回(2016年6月19日)で、次のように語った。

 

 昭和が戦後を迎えた頃から、日本は高度成長の時代に経済的な繁栄を謳歌し、常に右肩上がりの成長を経験してきた。

 未来は明るい !
 というのが、昭和の日本人の合言葉であり、“明るい希望” を象徴する代表的な国際イベントである「70年大阪万博」において、戦後の繁栄は頂点を極めた。

 80年代に入ってからも、「バブル(泡)」という危うい豊かさでありながら、日本は戦後最大の “カネ余り社会” を実現。誰しもが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の夢に酔いしれた。

 

 「その多幸感のようなものが、すぅーっと消えていったのが、平成である」
 と、宮沢はいう。

 

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「昭和」という “戦艦大和” の沈没を眺めた平成人

 

 そう考えると、「平成」というのは、日本を世界ナンバーワンの経済大国に押し上げた “昭和的な生産構造” が、あたかも「戦艦大和が沈没するかのように」大海に呑み込まれた時代であったかもしれない。

 

 確かに、戦争だけは起こらなかった。
 平成天皇は、「平成」という時代に、一度も対外戦争がなかったことを喜ばれていた。


 明治や昭和という時代に比べ、平成は戦争を経験しなかったという意味では平和な30年であった。

 

 しかし、その30年は、ある意味、戦争以上の深刻な危機を迎えた時代だった。

 

 
1990年代に日本はガラリと変わった

 

 悲惨な状況のピークは、1990代の末に訪れる。
 そのことを示す次のような数字がある。
 
 国内の新車販売台数は、1996年(平成8年)がピークだった。
 日本全国のガソリンスタンドの数も、1994年(平成6年)がピークだった。

 

 『少年ジャンプ』は、1995年(平成7年)に653万部の発行部数を記録し、世界最大の漫画雑誌になったが、2008年(平成20年)には278万部に下がった。

 

 就業者数も、団塊の世代が働き盛りだった97年(平成9年)が労働人口のピークだった。
 雇用者の平均賃金も、97年を上限とすれば、2010年(平成22年)にはその約15%まで低下した。

 

 このように数値として見る限り、90年代半ばには日本のマーケットがのきなみ縮小していく様子が浮かび上がってくる。


 それに呼応し、90年代の後半になると、労働人口も賃金体系も縮小していった。

 

 なぜ、そういうことが起きたのか。
 その背景にあるものは、世界経済のグローバル化であった。

 

 
グローバル資本主義は世界経済をどう変えたのか?

 

 では、グローバル経済の時代になると、地球上にどういう変化が起こり始めたのか?

 

 その仕組みは、以下のようなものだ。


 まず、IT 技術の進展により、情報のグローバル化とテクノロジーグローバル化が結合し、先進国の製造業においては国内に大規模な工場を維持する必要がなくなってきた。

 

 製造業は、発展途上国の工場に、デザイナーが手掛けた精密な図面データをメールで送るだけでよくなった。

 

 そうすれば、人件費の安い途上国の工場で、そのとおりの製品ができあがってくる。
 それに、ブランドのタグを付けて売る。

 

 国内の賃金が高くなってきた先進国の製造業は、みなこのように海外の工場と契約を結んでアウトソーシングするか、もしくは工場機能を海外に移転して、コストをおそろしいほど圧縮するコツを会得した。

 

 デザインも工場機能も、みな外注。
 本国に残る事務職も非正規社員で十分。

 

 職種によっては、人間が操作していたものをロボットに代行させる。
 社員はどんどん減らして大丈夫。
 それでも仕事を引き受けるのは、安い給料で働く移民だけとなる。

 

 当然、先進国においては失業者が増える。


 仕事があっても、安い賃金しか支払われない仕事しか残っていないので、先進国の労働者たちは、低賃金で働く移民に職を奪われる。

 

 こうして、巨大企業の経営者と一般庶民の経済格差は、どんどん広がっていく。

 

 これがいま世界の先進国で起こっている経済の実態だ。

 

 しかし、格差社会の広がりは、人々の意識を産業構造の変革に向かわせるのではなく、「移民反対」という “分かりやすい” 形の政府批判に収斂していく。

 

 アメリカでは、その声がトランプ大統領の支持を強固にし、ヨーロッパでは右派勢力の台頭につながっている。

 

 
すべての始まり “冷戦の終結” だった

 

 このような、世界がグローバル経済の渦に巻き込まれた最大のきっかけは、1989年に起きた “ベルリンの壁の崩壊” であった。


 つまり、冷戦構造の終結である。

 

 その2年後の1991年には、ソビエト連邦が解体する。

 

 それによって、社会主義圏と自由主義圏に分かれていた二つの経済領域が一気に相互浸透を進め、東西に分かれていた勢力が “世界市場” という共通の舞台で競合する時代が訪れた。

 

 実は、日本における平成のスタート(1989年)は、まさにこの時期とぴったりと重なっている。

 
 言葉をかえていえば、日本の平成とは、世界がグローバル経済化された時代の始まりを宣言した元号であったのだ。  

  

 
「弱肉強食」経済の復活

 

 冷戦構造の崩壊とは、別な言い方をすれば、冷戦以前の世界の復活である。
 その世界とは、どんな世界か。

 

 それは、社会主義諸国家が誕生する以前の「弱肉強食」的な資本主義勢力同士の争いが再発する世界にほかならない。

  
 社会主義という対立軸を失った(なぎ倒した)資本主義は、もう社会主義の理念を恐れる必要がなくなった。

 

 それまで、“経済的な平等”、“貧富の差の廃絶” などを謳って労働者の意識を引きつけてきた社会主義に対し、資本主義側は “自由” や “個人の尊厳” という理念を掲げて対抗してきたが、もうその必要がなくなったのだ。

 

 資本主義は地球上の勝利者となって、天に向かって咆哮する “恐竜” となり、世界はジュラ紀白亜紀に戻った。 

 

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新自由主義」は人の思考様式まで変えた
 
 この “露骨で野蛮な資本主義” のことを、別名「新自由主義」という。

 

 新自由主義(ネオ・リベラリズム)とは、80年代に、アメリカのレーガン大統領およびイギリスのサッチャー首相が領導したアングロサクソン流の市場操作のことで、グローバル化を前提とした金融政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などを進めることによって、世界経済をダイナミックにドライブさせようという経済政策を指す。

 

 現在、この新自由主義的な経済政策に疲れた人たちが、ようやく反旗をひるがえすようになった。

 
 その流れが、アメリカのトランプ大統領の登場に始まり、EUでは右派勢力の台頭という形をとった “反グローバル運動” である。

 

 しかし、グローバル経済がもたらしたアメリカ流の学問の傾向は、あいかわらず世界を覆っている。

 


人間の心を計量化する思想の台頭

 

 では、アメリカ型の学問スタイルとは何か?

 

 それは、「人間」を計量分析的な手法で捉える学問である。


 つまり、個々の人間の「内面」とか「精神」に踏み込まず、人間を “群れ” として考え、大まかな傾向によってグループに分けて、数の多さ・少なさで人間のタイプを識別していくような考え方である。

 

 こういう考え方が主流になると、心理学や精神医学においても、人間の個性や才能はすべてステレオタイプ化された「分類項目」に仕分けられるようになり、人間はただのマーケット分析の対象になっていく。

 

 確かにそれは、市場規模を広げていくためには好都合の “人間観” であった。
 
 こういう人間観が確立されるにしたがい、ドイツの精神分析学をはじめ、ヨーロッパ的な学問は、「19世紀的なパラダイムから脱出できない旧態依然たる思想」というレッテルを貼られることになった。

 

 アメリカは、経済ブロックとしてのEUに脅威を感じていたから、文化的な潮流としても、ヨーロッパ的な伝統を打ち崩していく必要があったのだ。

 


80年代をリードしたフランス哲学の凋落

 

 このアメリカ流学問スタイルの影響力が強まるにしたがって、一時一世を風靡したフランス現代哲学の影響力が一気に失われるようになった。

 

 サルトルに始まって、ミシェル・フーコー、デリタ、ドゥールーズらを輩出したフランス哲学は、80年代までは世界の知的シーンを領導したが、それは、アメリカとソ連が対立した冷戦時代に、そのどちらの世界観にも与さない “第3極” を目指すというスタンスが新鮮だったからだ。
 
 しかし、そのフランス哲学の潮流も、冷戦が終結し、世界の2極構造が崩壊していく過程で目指すべき3極目を失い、沈黙していった。

 

 
「人間」を “人造人間” として捉える思想の登場
 
 代わりに世の中の知的資産を受け継いだのは、テクノロジー研究である。


 人間という存在を、サイボーグやアンドロイドと同じ視点で眺めるという考え方が世の中をリードするようになった。

 

 2000年代からは、脳科学の研究が進み、遺伝子工学が禁断の扉を開け、医療テクノロジーの進歩によって、人間がミュータントとも、サイボーグとも呼べるような新しい「身体」を持つ可能性が世の中の常識を変え始めた。

 

 SF映画ではすでにおなじみになった人間のサイボーグ化が、現実生活にも浸透し始めたのだ。

 

 それは、人類の輝かしい “進歩” でもあるかもしれないが、同時に、それは人類がはじめて体験するカオス(混沌)ともいえるだろう。

 

 最新テクノロジーを駆使した肉体改造によって生まれた新しい「私」は、今までの「私」と同じなのか? それとも別物か?

 

 この分野では、すでに映画『ブレードランナー』、アニメ『イノセンス』、漫画『ヘルタースケルター』などによって、さまざまな思考が繰り返されてるようになった。

 

 そう思うと、平成の終わりは、ちょうど「新しい人間観の前夜」を意味するのかもしれない。

 

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