年を取るということは、涙腺が緩みやすくなってきたということかもしれない。
感情を制御する機能が衰えてきているせいか、突拍子もなく、そういう状態が襲ってくる。
10年ぐらい前だったか。
土曜の夜のことだった。
大森屋の「しらすふりかけ」を手のひらにこぼして、それをツマミとしてべろべろ舐めながら、レント(※ 奄美の黒糖焼酎)の水割りを飲みつつ、テレビを見ていたときだ。
『地球街道』という番組で、女優の藤田朋子夫妻が、リバプールを訪れるというドキュメント映像が流れた。
リバプール。
ビートルズ(上)が、青春時代を過ごした町だ。
ジョン・レノンの生家。
ペニーレイン。
ストロベリーフィールド。
セントピーターズ教会。
キャバーンクラブ(写真下)。
… などが次々と画面に登場する。
へぇ … こんなとこだったのか …
と、画面を食い入るように見た。
ビートルズは好きだったから、それらの固有名詞はみな知っていたけれど、具体的な映像を見るのは初めてだった。
まず驚いたのは、ジョン・レノンの生家などが、まるで観光資源のように、しっかりと保存されていたことだ。
ジョンの寝たベッド。弾いたギターなどが、そのままの状態(作為的だったけれど)で残されている。
ああ … 連中も、「古典」になったんだなぁ … と思った。
昔の音楽の教科書なんかに出てきた「ベートーベンの生家」、「ショパンの生家」みたいなものと同じ扱いだったからだ。
で、セントピーターズ教会というのが出てきた。
そこの体育館みたいなところで、ジョン・レノンがコンサートを開く段取りだったという。
… ということを、頭の禿げ上がったようなジジイが説明している。
ジジイはいう。
「そのとき、ジョンと知り合ったばかりのポール・マッカートニーが、この場所に寄ってきて、いきなりジョンのギターを取り上げ、それを弾き出したのです!」
「その、ポールがギターを弾いた場所がここです」
と、頭の禿げ上がったジジイが、大げさな身振りで、教会の床の部分を指差し、興奮気味に叫ぶ。
そのとき、ジョンは、ポールの音楽技量にびっくりして、すぐさま自分のバンド「クオーリィメン」(写真下)のメンバーにポールを誘ったのだという。
「まさに、この場所で、歴史が始まったのです! その場を、当時15歳だった私は、一部始終を見ていたのです」
ジジイの目に涙が浮かんでいたようにも見えた。
ガーン、と自分の涙腺もゆるくなって、目頭に涙がにじんだ。
体育館のような、ただの板敷の場所で、ジョンのギターをポールが弾いた。
それがなかったら、ビートルズはこの世に存在しなかった。
そう思ったら、テレビに映ったそのなんの変哲もない空間が、突然、まばゆいばかりの光に満ちた神聖な場所に見えてきた。
人間の歴史は、偶然に左右される。
俺が、ビートルズから与えられた愉楽、勇気、快感 … 。
それを可能にしてくれた「偶然」の出会いを実現した場所。
そのとき、それだけで、もう涙が出た。
その後、ビートルズのデビュー前までドラマーを務めたピート・ベストが出演した。
白髪頭の、ただの酒屋のオッサンみたいなオヤジ。
しかし、彼こそは、ビートルズがレコードデビューを果たす以前、ドイツのハンブルクなどで荒稼ぎをやっていた頃の主要メンバーだったのだ。
▼ 現役時代のピート・ベスト
ところが彼は、他のメンバーに比べて、音楽技量が劣っているというマネージャーの判断によって、ビートルズを解雇される。
ビートルズのドラマーには、リンゴ・スター(写真下)が加わり、ピート・ベスト以外のメンバーはレコードデビューの後、世界進出を果たす。
「あのときは辛かったよ」
と、今は一庶民となったピート・ベストが語る。
だけど、彼は日本から来たインタビュアーの質問にも、終始穏かなニコニコ顔を浮かべている。
本当に幸せそうだ。
その幸せは、今の彼を支える大事な一言を、ジョン・レノンからもらったときに生まれたという。
「ビートルズの最良の音は、レコードになっていない」
超有名人になったジョンが、ある日ピートと再会したとき、そう語ったのだという。
「ビートルズの一番素晴らしかった演奏は、俺たちが無名時代だったとき、お前がドラマーを務めていたハンブルグ時代のライブだ」
ジョンのその言葉が、ビートルズを解雇されて以来、ずっと失意のどん底にいたピートを救った。
ジョンはお世辞を言ったわけではない。
今、ようやくハンブルグ時代の音源の一部が、CDなどにも出回るようになった。
音は稚拙で荒っぽい。
でも、そこには後のビートルズには見られない、自分たちの可能性を信じる楽天的なふてぶてしさが生んだ、みずみずしい音があった。
ビートルズのメンバーは、成熟と引き換えに、メンバー同士の軋轢も重なって、やがて、みずみずしさを失っていく。
ピート・ベストは逆に、メンバーから外されたがゆえに、永遠の「みずみずしさ」を手に入れた。
だから、テレビに映ったピート・ベストは、今もなお幸せそうな笑顔を浮かべることできるのだ。
ビートルズよ、ピートよ、ありがとう。
あんたたちのくれた音のおかげで、俺は幸せだったぜ。
MONEY (1962) by the Beatles with Pete Best
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