アートと文藝のCafe

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クリスマスと紅白の季節

 

 新型コロナウイルスが蔓延しているせいで、年末行事を自宅で迎える人が増えそうだという。
 仕事の都合で、今までは年末も家に帰れなかった人にとっては、いいチャンスなのかもしれない。

 

 私個人の思い出を語ると、昔から、この季節には楽しいイベントを経験したことが一度もなかった。
 サラリーマンをやっていたとき、年末年始は一気に仕事がきつくなる季節だったからだ。

 

 当時編集にしていた年間本の締め切りが春先だったので、巷でジングルベルが鳴っているイブの日も、会社に一人残って残業していたし、大晦日の除夜の鐘も、電車に揺られたまま聞いたこともあった。
 ま、そんなことはいいんだけど。
  
 
 ところで、日本人は、これまでクリスマス・イブをどう過ごしてきたのだろう。
  
 私がまだ幼かった頃、 1950年代の話だが クリスマス・イブというのは、母親と子供が家でひっそりと祝うものだった。

 

 親父は というと、だいたいどこの家庭の親父もそうだったけれど、 会社の同僚たちとキャバレーなどに繰り出し、夜更けまで大騒ぎすることが多かった。

 

 当時の風刺漫画などには、サラリーマンのオヤジたちがサンタの赤い帽子を被り、
 「ジンゴベー♪ ジンゴベー♪」
 と歌いながらダンスフロアで踊りまくっている様子がよく描かれていた。
 うちの親父も「接待麻雀」と称して、家に帰って来なかった。

 

 そのうち、
 「クリスマスぐらいは家に帰って家族サービスをしよう」
 という風潮が高まってきて、世のオヤジたちは、ケーキを買ってまっすぐ家に帰るようになった。 
 それが、1960年代に入ってからだと思う。 

 

 今はもう、クリスマス・イブに外で騒いでいるオヤジはいない。
 テレビCMなどを見ていても、イブの日は家族そろってケーキを食べるのが「幸せ」というイメージが浸透している。  

 

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 ところで、若い人たちが、クリスマス・イブを恋人と一緒に過ごす習慣を持つようになったのは、いったいいつ頃からなのだろう。
 
 私が、そういうことに気づいたのは、バブルの時代だった。
 当時、都心のホテルの夜景の見えるレストランは、そうとう前から若いカップルの予約で埋まり、男は給料の1~2ヶ月分の宝飾品を彼女のために奮発し、その夜はそのホテルで1泊したとか。

 

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 「今はそういう時代だ」
 と当時のマスコミに知らされて、イブの日も残業していた私は、「ウッソだろ !! 」と腹を立てた記憶がある。

 

 しかし、いろいろな話を後から聞いてみると、イブを恋人同士で祝うことになったカップルたちも、それ相当の努力があったという。

 

 男の方は、膨大な出費をせねばならないし、女の方も、そのお目当ての男をGet するために、いろいろな段取りを重ねる必要があった。

 

 なにしろこの時代のイケてる女子は、「ホンメイ君」のほかに「アッシー君」やら「ミツグ君」といった複数のボーイフレンドを確保しておくことが当たり前だった。

 

 アッシー君やミツグ君たちだって、自分こそが「ホンメイ君」だと信じ込んでいる。
 だから、クリスマス・イブの約束を取り付けるために、彼らの間で、メスのトナカイを奪い合うオスのトナカイ同士のような争奪戦が起こる。

 

 そういう煩わしいゴタゴタを処理し、イブの夜を「ホンメイ君」と過ごすためには、女性の方も緻密な対応が欠かせなかった。 

 

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 ちなみに、バブル期のクリスマス・イブに男が用意したデート費用は、プレゼントだけで最低10万円。
 ほか、ディナー代に宿泊代。
 トータル30万円でも足りないこともあったとか。 

 

 

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 そのデート予算が2007年には2万円台にまで下がり、2015年になると、8千円台に落ち着いたという話を聞いた。

 

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 『ユーミンの罪』(2013年11月発行)という本を書いた酒井順子さん(写真下)によると、「イブを恋人と過ごす」というブームが巻き起こった背景には、1980年に出されたユーミンの『SURF&SNOW』というアルバムの影響があったという。

 

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 その中にある『恋人がサンタクロース』という歌が、「恋愛」と「イブ」 を結びつけたというのだ。
  
 「サンタが隣のお洒落なおねえさんを、クリスマスに連れて行ってしまった」
 と聞かされる主人公の女の子は、自分もサンタに連れて行かれるような女になりたいと思う。

 

 “サンタ” が「恋人」の寓喩であり、“連れ出した” というのが、「結婚」を意味することはいうまでもない。

 

 『恋人がサンタクロース』の歌が若いカップルにとって大きな意味を持った頃というのは、ちょうど「紅白歌合戦」に若者が振り向きもしなくなった時期と一致している。

 

 それまでの「紅白」は、大晦日の夜に家族全員がコタツに入って楽しむ “家族行事” だった。

 残業と夜の居酒屋放浪で家を空けがちなお父さんも、その日だけは団欒に加わり、子どもたちも、久しぶりに家族全員が顔を合わせる年末の一夜を楽しむ。

 

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 そんな状況から、子どもたちが抜け出したのが、ちょうどユーミンのニューミュージックが流行る時代。

 

 2000年代になると、ようやく紅白にも顔を見せるようになったユーミン(写真下)だが、それまでユーミンといえば、「紅白」みたいな家族の “かったるいぬくもり” などにはそっぽを向いていた人という印象が強かった。

 

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 当時は、そういうアーティストの方がカッコよかったわけで、若者たちはどんどん「紅白」に背を向けていった。

 「紅白」の視聴率は、現在で30%の後半ぐらいらしいが、1963年の時点では、80%を超えていた。
 60年代というのは、「紅白」が家族をつなぐ求心力を秘めた時代だったのだ。
 

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 たぶん、それは「近代家族」の形成期と波長を合わせている。
 60年代から70年代に入って、地方から出てきた人々が、都心の近郊に家を構え、「夫婦に子供二人」という平均的な近代家族を形成するようになっていく。

 

 「紅白」は、そうして田舎を捨ててしまった家族たちの “バーチャルな故郷” の役目を負っていたのだ。

 

 その擬似故郷的な匂いをもたらす「紅白」の野暮ったさに、若いころのユーミンは背を向けた。


 それに共感した(当時の)若者たちは、大みそかに家を出て、「初詣」と称し、同年代のカレ氏やカノジョと連れ立って、都会を練り歩いた。

 そして、高層ビルのバーなどに入り、都会の夜景を眺め、その人工的な光の乱舞に酔った。

 

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 80年代に、大都会の光を、ユーミンほどうまく歌ったアーティストはいなかったかもしれない。
 しかし、そのあざとい美しさには、どこか生物的なグロテスクさも交じっていた。

 

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  当時思いついた短歌がある。

  「夜景がきれい」と女がいう
  しょせんオレたちは蛾(が)の仲間