アートと文藝のCafe

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東京五輪の開会式はさびしかった

 

 7月23日。午後8時より、テレビで東京オリンピックの開幕式を4時間かかって見る。
 正直な感想。
 「冗長」の一言。

 

 すべてが長すぎる。
 だらだらと続く無意味なパフォーマンス。
 橋本会長やバッハ会長の、美辞麗句だけ連ねた空疎な挨拶。
 4時間もかける必要のない行事だった。

 

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 ただ、アスリートたちの入場行進だけは素晴らしかった。
 色とりどりの民族衣装を身に着けた選手たちが会場に入ってくるシーンは、彼らの表情、足取り、すべてが感動的だった。
 そこには、これから17日間競技に打ち込もうとする人間たちの決意と情熱が凝縮していた。

 

 おそらく、この入場行進以外のものをすべて切り捨てても、今回のイベントは100%の成果を確保できたのではないだろうか。
 アスリートたちの自信に満ちた力強い行進には、意図された演出などが遠く及ばない “本物” の手応えがあったからだ。

 

 今回の開幕式は、その直前までプロデュースする人たちの不祥事が相次ぎ、担当者の辞任・解任が繰り返されて、およそ成功するイベントとは程遠いものを感じさせた。

 

 それでも、そういうドタバタ騒動を乗り越える素晴らしい演出がなされたのなら、今回のイベントに盛大な拍手を送るのもやぶさかではなかった。
 しかし、実際の仕上がりは、(他の人はどう思ったかしらないが、)案の定、私自身には退屈なものに思えた。

 

 開催を1年も延期して準備した結果がこれだったとは … 。
 残念。
 日本という国の “伸びしろ” がもうなくなっていたことに気づいた瞬間だった。

 

 さらに、聖火が点灯される前、ジョン・レノンの『イマジン』(1971年)がテーマ曲として流れた来たときは、とてつもない脱力感にとらわれた。

 

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 「なんで今ごろこの曲なんだろう?」
 時代をとらえる感覚のおそるべき古さ !

 

 選曲した人は、この歌の歌詞にある「♪ 国境を超えた民族の連帯」というメッセージに共感したのだろう。
 それこそ「五輪の精神にふさわしい」と。
 

 しかし、『イマジン』で歌われたグローバリズムは、1970年代から90年代あたりの世界を表現するもので、2000年代以降、世界環境は変わってしまった。

 

 『イマジン』は、結局は「資本主義市場が国境を超える様子」を表現したというべきで、それを手放しで “人類の連帯” ととらえるのはナイーブすぎる。

 

 国境を超えたのは「人々の無垢な魂」ではなく、「グローバル資本主義」である。 
 そういうグローバリズムの成長によって、世界に経済格差が広がってしまったことを今では事実として認めなければならない。

 

 だから、この歌を2021年の東京五輪のテーマソングに使おうとしたプロデューサーには哀しいまでの感覚の古さを感じてしまう。

 

 私は、57年前の「1964年 東京オリンピック」をリアルタイムで経験した世代である。
 当時14歳。
 中学2年生だった。

 

 今回の「2021東京五輪」の開会式を見て、あらためて「1964年大会」のすごさが実感できた。
 派手なパフォーマンスでごまかさない厳正かつ力強い開会式。
 あれで十分なのだ。

 

 「1964東京五輪」は、競技場の設計やデザインからポスターのデザインまで、何から何まで洒落ていた。
 無駄がなかった。
 シンプルで力強く、人々の心にストレートに突き刺さった。

 

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 それに比べ、2020東京五輪は、衰弱している。
 メッセージも、デザインも、建築物も、すべて衰弱している。
 今の日本人五輪クリエイターたちはむしろ後退している。