梅雨。
カラッと晴れることもなく、湿度だけ高いいやな季節だ。
この時期は、あの、黒光りした背中をテカテカと光らせた、あいつの季節でもあるなぁ。
年をとってきたせいで、夜中にもトイレに立つ機会が増えてきたけれど、ある日、電気を付けると、階段の一段目の下に、あいつがいた。
何を使っていじめてやろうかと、とっさに考えて、とりあえず手元にあった新聞を丸めて、床をビシバシ叩いて追い立てのだけれど、もとよりそんないじめに動じるヤツじゃない。
くるりと宙返りして塀を飛び越す忍者のように、あっという間に暗闇に消えた。
逃げぎわの鮮やかにおいては、天下一品だ。
こいつのことを、「アブラムシ」といった時代もある。
江戸時代だそうだ。
現在、一般的に流布している名称はゴキブリ。
冬場はあんまり見ることはなかったが、「梅雨」といわれる季節に入ってからは、道路でも、ときどきこいつを見かけるようになった。
この前、
「どの家に入ろうかな … 」
と物色している表情で住宅街の歩道を歩いているあいつを見つけたことがあった。
「踏んでやろうか」
と思った瞬間、そいつは側溝のフタの奥に身を隠した。
元来、「生命」を尊ぶ気概に満ちた優しい私は、うっかりアリを踏んでしまっただけでも慙愧の念に耐えないぐらいの気持ちになるが、こと、この黒光り野郎だけは、恍惚たる殺意が高揚していくことを抑えることができない。
子供たちに人気のクワガタだって、カブトムシだって、黒光り野郎であることには変わりないのに人類に愛されている。
ゴキだけが、人間の殺意を引き出すというのは、やはりあの逃げ足の早さが「しゃくにさわる」からだろう。
セコイというか、こまっしゃくれているというか、人を小馬鹿にしているというか。
とにかく憎たらしい。
なんでも、黒光り野郎の逃げ足は、秒速1.5mだそうである。
昆虫界のサラブレッドなのだ。
「エリート」という意味じゃなくて、「速さ」という意味で。
それにまた、どんな狭いスペースにもスルリと潜り込んでしまう、あの薄っぺたさ。
逃げ場をひとつひとつツブして追い立てて、「さぁ、もう観念しろ」とイヒヒと笑った瞬間に、ドアの隙間から逐電するスマートさも、並みの虫とは違う。
怪盗ネズミ小僧を追い詰めた役人たちが、いつも最後に地団太を踏む悔しさというのは、こんなものだったのだろう。
さすが3億年の年月をかけて、どんな環境にも生存できる身体をじっくり進化させてきたヤツは違う。
生存への意志が、身体構造にも脚力にも反映された “完全無欠の生き物” だ。(映画『エイリアン1』にも、そんな表現があったな … )
昔、ゴミ屋敷のような家に両親と住んでいた時代のことだった。
深夜、家族が寝静まったリビングで、テレビの歌謡ショーを眺めていたとき、カシカシとTシャツの袖をひっぱるヤツがいた。
「誰だよ? 何の用だよ?」
と、振り向きざまに腕を伸ばしたら、ゲジゲジという感触の足に触れた。
ギャ-っと叫んで飛び上がった瞬間、天井に頭をぶつけた。(あいつが … じゃなくて、俺が)
驚いたばかりに、そいつの行方を追えなかったことが、今でも悔しい。
昔、会社勤めをしていた頃、ふとデスクの下を見下ろしたら、真っ昼間からあいつがいた。
ひとつ生け捕りにしてやろうと、生きたまま捕獲したことがある。
ぴくぴくヒゲをうごめかして警戒しているヤツの真上から、そぉーっと円筒形のプラスチック製フィルムケースを近づけ、バクっと被せた。
水平方向から接近する敵にはやたら警戒心を働かせるヤツだが、真上からの奇襲には意外と弱いということを知った。
フィルムケースの蓋に空気穴を開け、しばらく飼った。
真横から顔を覗くと、案外可愛い顔をしている。
情が湧いて、残業夜食のケンタッキーフライドチキンなどに付いてくるコーンをエサとして与えた。
しかし、食わない。
毒を盛られることを警戒したのかもしれないし、もしかしたら、散りぎわを潔くして、ゴキブリとしての意地を貫こうとしたのかもしれない。
結局、ハンガーストライキを貫徹し、あっぱれにもゴキブリとしてのプライドを保ったまま散った。
遺体は丁重にティッシュで包んで、ゴミ箱に埋葬した。
南米には、足の長さを含めて体長20㎝ほどの仲間もいるという。
そうなると、「虫」というよりスリッパだ。
スリッパで叩こうにも、うっかりすると間違えてしまう。
ゴキブリの方を掴んでスリッパを叩いたんじゃ、洒落にもならない。
人類の生息域にどしどし侵入してくるインベーダー。
一般的にはそのように思われているけれど、もしかしたら、人間の住環境の方がゴキブリに近づいてしまったのかもしれない。