コロナ禍で夏休みも短縮され、長女が宿題として出された「幽霊の標本作り」が間に合わないというので、仕方なく夏休みの最後の土日は、長女を伴って幽霊狩りに出かけた。
私はあまり幽霊に関心がなかったから、長女の話を聞いてびっくり。
いま、子供たちの間では幽霊の標本作りがブームになっていて、ここ4~5年は学校でも、「幽霊集め」を夏休みの宿題として提出させるようになっているという。
世の中もずいぶん変わったものだと思い、念のためにネットで調べてみたら、確かに、「幽霊狩り」、「幽霊ハンティング」、「幽霊標本」、「レア幽霊」などという検索ワードがずらりと並んでいるではないか。
Wikipedia を読んでみると、この「幽霊狩りブーム」の発端は、大手印刷会社の大日販印刷が蒸着フィルムを作る技術の延長で、幽霊のような実体のないものでも、スクラップブックなどに貼り付けられる特殊な糊を開発したからだという。
その糊で貼り付けている限り、幽霊はどんなにジタバタ暴れても、標本箱やスクラップブックから逃れられないらしいのだ。
「幽霊狩り」に関連する情報をなおも検索してみると、興味深いものがいっぱい出てきた。
それらによると、どうやら幽霊も、その生きていた時代によって価値が変わるらしい。
一般的に、江戸時代以前のものはレア物として珍重されるとか。
2004年に、七里ヶ浜で、鎌倉期の甲冑を身にまとった幽霊が捕獲されて以来、レア物幽霊は “レアレイ” と呼ばれ、マニアの間で高額取引されるようになったという。
特に、歴史上有名な人物の幽霊は、投機の対象にもなるらしいのだ。
私は見逃していたが、2016年の記録によれば、「武蔵坊弁慶の幽霊を捕まえた」という人が、テレビの『開運 ! とんでも鑑定団』に出てきたことがあったらしい。
その人物は、岩手の衣川古戦場近くで土産物を営む店主で、古戦場近くを歩いているとき、全身に矢を浴びた法衣を被った甲冑姿の武者幽霊と遭遇。執拗に追跡して捕捉し、衣裳や表情から弁慶の幽霊だと確信して狂喜乱舞。
「鑑定団」の番組に出たとき、当人は5,000万円の評価額を掲げたが、弁慶とは別人の僧兵であることが分かり、50万円の評価に落ち着いたという。
鑑定団の中島尊之助さんは、「弁慶ではありませんが、平安末期の僧兵であることは間違いないので、とても貴重なもの。どうぞいつまでも大切に飾ってあげてください」というコメントを残したそうだ。
別のネット情報では、岐阜県の関市あたりで、もじゃもじゃの頭髪とヒゲを伸ばした体毛の濃い幽霊が捕捉され、「縄文人の幽霊が捕らえられた」と大反響を巻き起こしたが、けっきょく昭和中期のホームレスの幽霊だったことが判明し、世間をがっかりさせた … なんていう話も紹介されていた。
ちなみに「幽霊標本」という言葉で検索してみると、どこかの学校の校長先生の談話がPDFになっていて、次のようなことが書かれていた。
「ネット環境の進み過ぎで、子供たちは自然から遠ざかるようになった。そのため、当校では、夏休みの課題として、幽霊を補足して標本をつくるというテーマを与えることにした。
それがことのほか子供たちの関心を集めることになり、テレビやパソコン、スマホなどに夢中だった子供たちが、幽霊を探して野や山をのびのびと遊びまわるようになった」
… というのである。
その先生の談話は、
「なお、幽霊が出没しやすい “幽霊屋敷” などといわれるところは足場も悪く、危険区域に指定されていることも多いので、幽霊狩りには保護者の同伴が必要」
と結ばれていた。
なるほどと思い、私は長女を呼び出し、「幽霊屋敷に連れていってやろうか?」と聞いてみた。
「お父さん何も知らないの ? 」
と、長女は言い返す。
「夏休みの後半の幽霊屋敷はどこも子供がいっぱいで、整理券を手に入れていないととても入れないのよ」
そんなすごいことになっているとは知らなかった。
幸い我が家にはキャンピングカーがあったので、前夜から幽霊屋敷に出向き、早朝から並んで整理券を手に入れることにした。
金曜日は会社のパソコンを使い、仕事をしているフリをして「幽霊屋敷」を検索し、川崎の工業団地の奥で、かつて病院だった建物が廃墟となり、「幽霊屋敷」として脚光を浴びているという情報を得た。
そこで、金曜の夜から、幽霊狩りに使えそうな網とロープを用意し、キャンピングカーで出かけた。
しかし、やはり幽霊狩りブームを反映してか、その前夜から “幽霊病院” に通じる道路は大渋滞。
臨時に設けられた駐車場にはガードマンがずらりと並んで、交通整理をしている始末。
なんとか駐車場の一角にもぐり込むことに成功。
整理券は早朝の5時から配られるというので、それまで4時間ほどクルマの中で仮眠することにした。
すると、トントンとボディをノックする音が。
窓から覗いてみると、隣のキャンピングカーのお父さんが、缶ビールを掲げてニコニコ顔で立っている。
「いやぁ、やはり幽霊狩りですか ? 」
と、そのお父さんが訊いてきた。
「ええ、子供の夏休みの宿題なもので」
「同じですな。どうですか ? 子供はもう寝たので、外で軽く一杯」
私たちは、森の奥にある病院の廃墟を眺めながら、缶ビールに口をつけた。
「それにしても何ですな。明日は朝から幽霊の争奪戦ですな。たぶん、ここに集まってきた人全員には行き渡らないのではないかな」
と、彼はいう。
「幽霊って、そんなに少ないんですか ? 」
と私は聞く。
「ここは病院だったから、病棟で死んだ人も多いでしょう。だから、普通の幽霊屋敷よりも多いんじゃないかな。でも、最近はやつらも逃げ足が早くなっているから、捕まえるのは昔より難しくなっていますね」
「ほぉ。では、上手に捕まえるコツってのがあるんですかね?」
「慣れてくれば簡単ですよ。足のある幽霊を狙えばいい」
「幽霊って、みんな足がないはずじゃ …… ?」
「いや、新しい幽霊なら足はありますよ。幽霊って、だいたい自分を虐待した人に恨みをはらすために出てくるじゃないですか。
でも、幽霊が半永久的な生命を与えられているのに対し、恨みを買った人間の方は幽霊に比べて長生きするわけでもないでしょ?
恨む相手が死んじゃうと、化けて出るモチベーションも希薄になってしまうから、幽霊の “出現力” も衰えて、徐々に足が退化するらしいんですよ」
「知らなかった … 」
「そういう足のない幽霊は、体全体も透き通っていて捕まえにくい。だから足のあるヤツを狙えばいいんですよ。
昭和・平成に死んだ幽霊は、まだ足があるヤツが多いから捕まえやすいよね。レア物はいないけど … 」
翌朝の病院の廃墟は、異様な熱気に満たされていた。
目を釣り上げた父母たちが、網やらロープやら虫カゴなどを手に抱え、門が開かれるのを待って殺気立っている。
開門は朝の7時。
「整理番号順に並んでくださ~い ! 」
というガードマンの声も虚しく、門が開くと同時に、堤を切ったように人が病院内に突入した。
相手もいちおう幽霊だから、手をダラリと下げて、「うらめしや~」 と脅したりするのだが、欲に目がくらんだ人間たちを押しとどめる力もなく、次々と引き倒され、洗濯物のように畳まれて虫カゴの中に放り込まれていく。
慣れない私など、人の波に呑まれて、手も足も出ない。
すると長女が、
「あ、お父さんあっち。『リング』の貞子みたいなのがトイレに逃げていく ! 」
と私の手を引っ張るので、貞子型の幽霊を追ってトイレに踏み込んだ。
トイレの中には、壊れたテレビが転がっていて、貞子はあわてて、そのテレビの中に逃げ込もうとしているところだった。
私はその足を捕まえ、引きづり出そうとしたが、さすが若い幽霊の敏捷さにはかなわず、間一髪のタイミングで逃してしまった。
「せっかくのチャンスだったのに …… 」
と泣き出す長女をなだめすかし、私はその貞子の入ったテレビを持ち上げて、クルマに運ぶことした。
以来、そのテレビをずっと書斎に置いて、出てくるのを待っているのだが、あれから3ヶ月経っても、一向にテレビに変化は訪れない。
残念なことに、長女の夏休みの宿題には間に合わなかったが、それでも私は貞子が出てくるのを楽しみに、今晩もウィスキーをチビチビとなめながら、何も映らないテレビを見続けている。
※ この物語はフィクションであり、登場する団体・人物名などの名前はすべて架空のものです